数奇な見立てコレクション

数奇な道具・・・茶器、鉄瓶、茶碗、水指、こぼし、茶杓、蓋置

(1)はじめに

私の茶道体験は、幼少期に遡る。習い事を多くしていた母の茶道教室に付いていくことは寂しさから解放される何事にも代え難い「温かい」ものだった。また、教室に行くと皆が話しかけてくれる会話に「明るい」ものだった。更に、何より茶菓子は「美味しい」ものだった。今でもこの茶道観は常に根底にあるのかもしれない。当ブログは、そのような気持ちを分かち合えたらと思って作成した。
見立てに因んだ雑談を交え、私のエンジョイグッズを紹介することとする。

(2)見立てコレクション紹介
①茶器
ヘレンドのボンボニエール

<ちょっと雑談>
茶道では、数奇者、侘び数奇等々数奇という言葉が多く登場する。その数奇という言葉の意味を多くの方が多くの解釈をしている。私は、二つの解釈をしているが、そのうち一つは始めに一つは最後に書かせて戴く。
「数・奇」の「数」は、古くから「数量の多い」ことを表し、「奇」は「半端物」を表すことから「色々なものを組み合わせて形にする」つまり見立てると解釈できると思う。

 

②鉄瓶
左:シルバーポット、中:深川製磁、右:アンティーク

<ちょっと雑談>
見立ては、人類学者レヴィ・ストロースがブリコラージュ(仏、有り合わせの日曜大工)の言葉を当てたのと同じ意味にとれる。著書「野生の思考」で、当時未開発と言われた文化の物作りの中にも近代の科学の思考と同じブリコラージュという知の構造を見出し、先進国に途上国と優劣は無いと主張した。

③茶碗
カップ:飲み方の所作でプレッシャーを与えないように持ち手つき
ソーサー:よく見るとオリンピック競技の鳥獣戯画

<ちょっと雑談>
数奇やブリコラージュは、点前座の空間の見立てを表しているが、時系列の見立ても存在すると思う。シュンペーターが技術革新のことを新結合(経済発展の理論)という呼び方をした。新結合とは、原材料の調達から製品の販売迄のプロセスの一部に新しい要素を加えることと定義されている。そういった意味では、長次郎の黒茶碗も魚籠も夏の陣の際の竹林の負傷から生まれた織部の茶杓玉あられも原材料の調達という時系列の見立てと解釈できる。
後で紹介する茶籠は、実際に調達に時間を要した。

④水指
左:ロイコぺ、右:伊藤剛俊 作

⑤こぼし
左:ムーランブルー(風車付)、左:伊藤剛俊 作

⑥茶杓
マドラーを中心としたコレクション
手前のシャベルが一番の好み(銘 自分をもっと深く掘れ!)

⑦蓋置
左:月の輪熊、中:シルバーナプキンリング、右:ちゃぶ台(銘 一徹)

2.無用の用の美

(1)SUKIJACKETと茶籠

「無用の用」は、思想的には老子が何もないものから万物が生じるタオのことを表したものと思われるが、ビジネスでは一見無価値なものに価値があるという意味で語られる。

「用の美」は、柳宗悦が名もない職人が無心に役に立つようなものを作ったものに美が存在すると説き、民藝の一大ムーブメントを起した。また物の用と心の用を説きただ機能的なのだけではなく利用することによる高揚感も説いている。

私は、かばん語としてこの二つを合成して「無用の用の美」として使う。

一見無駄と思われるものの中に、重要な機能と美を兼ね備えるという意味である。

例えは上手くないかもしれないが、一見荷物になって邪魔に見えるスケートボードがその人の行動とアメカジルックにマッチしていたり、バックパッカーギターの美しいの旋律で場を和ませたり・・・。

そういった意味では、私はお稽古がある日はお点前用のSUKIJACKETを着て会社に行き、旅行には更に見立ての茶籠を携帯する。

茶道との向かい合い方に、市中の山居にいき非日常の中でリフレッシュするという考え方を聞き、ストレス社会への適応方法として素晴らしいと思った。しかし、朝はお薄で始まり旅行には茶籠を携帯するというライフスタイルもあっていいと思う。旅の野点では、花鳥の来賓を迎えるドレスコードがSUKIJACKETと茶籠になっている。

以下にそういった意味での私のライフスタイルグッズを紹介することとする。

(2)見立てコレクション紹介
SUKIJACKET:順理庵
籠:プラニー工房

SUKIJACKET:母の嫁入り道具の漆糸の着物を心斎橋リフォームでリフォーム
籠:プラニー工房

SUKIJACKET:紺ブレ
籠:プラニー工房

SUKIJACKET:着物を心斎橋リフォームでリフォーム
籠:プラニー工房

最後に数奇とは

始めに数奇という言葉のもう一つの解釈をするとしたので最後に説明させて戴く。

「傾き」に「歌舞伎=歌と踊り(舞)と芸人(伎)」という字を当てたように、「好き」に「数奇」を当てたという考え方である。

ここでポイントであるが、本来、「好き」は煩悩・貪りであって「清」や「寂」と反するものである。にも拘わらず茶道の世界では「**好み」という表現が頻繁に使われている。個人的な見解であるが、ここに大きなカギがあると思っている。

つまり、自分に内在している貪りや執着を茶道具に映し具現化し人目にさらし、それを聖(清)めることに意義があると理解している。その執着に向かい合えるのも、またそもそも見立てで万人を楽しまそうと思うのも、深い温かさが成せる業と思う。
そのような何事にも代え難い温かさを中心に置き、かつ明るくエンジョイ出来るライフスタイルを見立てをきっかけに提案していきたい。