昨年の冬、広島・福山で孤独に死んだ、
従兄弟裕ちゃんの死後の始末に
向かうことになった。
裕ちゃんとの 付き合いはほとんどなかった。
でも動けるのは私しかいなかった。
長くご迷惑をかけていた御住職への面談や、
裕ちゃんのカオスな部屋も訪れないと
いけないことも気が重かった。
引き寄せとしか思えない、
福山倫理法人会での講話の機会も
ちょうど頂いていた。
さらに講話後、福山で、 わたしの
ビジネスである、投資セミナーも
開催することがきまった。
亡き親族との対話、
会員としての責任ある役務、
旅先の地での大好きな仕事。
哀しみと華やかさが混在する中で、
心を込めて
全力で 立ち向かうことになる2日。
ここに目撃者がいて欲しい、
とおもった。
一体誰に?
1番に頭に浮かんだのがみっちょんだ。
「私を撮りにきて欲しい。
みっちょんの2日、私に預けてくれないか。
美しくなくていいから、
この2日の私を残して欲しい。」
わたしの申し出を、 みっちょんは
二つ返事で了承してくれた。
福山での2日間は、
泣いて 泣いて 苦しくて
嬉しくて 楽しくて。
みっちょんが撮ってくれた中で
1番好きな写真は、
裕ちゃんの荒れ果てた部屋に向かう、
私の後ろ姿の写真だ。
孤独で生き辛かったろう、彼の部屋は、
意外にも、 爽やかで 眺めの良い
晴れやかな廊下の先にあった。
この清々しい廊下を裕ちゃんは、
毎朝毎夕歩いてたんだ。
古いけれど 管理が行き届き、
細やかな心配りのある
管理人に、 彼は日々声をかけて
もらっていたはずだ。
不幸な人生、などない。
61歳の誕生日に逝った、
従兄弟の生まれ育った地での2日間。
撮影に際して、みっちょんは
わたしの4年にわたるブログ、
2年間のメルマガを読破してくれていた。
東京から福山への移動を、
新幹線でなく 青春18切符で来るといいはった。
あほか。
と言いながら、 彼女の誠実さと
優しさに心打たれた。
彼女の作ってくれた、私の写真集。
美しくも可愛くも笑顔もほとんどない。
でも。 愛おしい。
私と裕ちゃんを繋ぐ
かけがえのない写真たち。
みっちょん、ありがとう。
あなたに頼んで本当によかった。
心から思うよ。