なぜMercyは
どんどん夢が叶うの?


はじめまして。Mercyと申します。
このページに目を留めてくれてありがとう。


僕は、普通の人よりかなり
波乱万丈な人生だと思います。


いいこと、たくさんありました。
それはこのあと読んでもらえばわかりますし
そこだけを見られると
「なんだよ、自慢かよ!」と思われそうなのでw
それ以上に大変だったんですよ。。。


こどもの頃はアレルギーがひどく
野菜と果物しか食べられませんでした。

そのうえ病弱で学校に行けるのは月の半分ほど。
両親も「この子は無事に大人になれるのか」と
相当心配したそうです。


転校も多かったので
人に心を開くことができませんでした。

「誰かと仲良くなると、別れるとき辛いから」
そんな理屈をつけては
ひとりで部屋にこもっていました。


ようやく心をひらけると思った人と
結婚したものの激しい裏切りにあい
信頼して預けていた僕名義の口座も含め
全財産を持って行かれました。


NHKを意気揚々と辞めて参加したビッグプロジェクト。
これでずっと安泰だと思っていたら
すべての仕事がわずか半年でなくなりました。

「え、これからどうすればいいの・・・?」
ついこの前まで僕は失意のどん底でした。


…とまあ、苦労話ならいくらでも出てきますw


でも!

でもなぜかいつも、自分の願望は叶い続けてきました。



僕は今、毎日好きな時間に起きて、好きなものを食べ、
思い立ったら好きなところに遊びに行く。
そんな暮らしをしています。

仕事は1日10分もしてません。


仮想通貨や株で儲けたとかではありませんよ!
財産もないし不動産も持ってませんw


でも好きな時に好きなことをめいっぱい楽しめてます。


こどもの頃あんなに病弱だったのに
いまでは病気とはまったく無縁になりました。

毎月どこかに旅行に出かけていますが
どんな長旅でもどんな場所でも
体調を崩すことすらありません。


離婚して全財産を失いましたが
なぜかその時よりも豊かに暮らせています。
大好きなハイブランドの洋服を買い
海外にもしょっちゅう遊びに行ってます。


人間関係にもとっても恵まれていて
最高の仲間やクライアントさんに
いつも大切にしてもらって感謝しかありません。


そして、最愛の人に、最高に愛されてます。
これも感謝しかありません。



いま、この穏やかな暮らしの中で過去を振り返り
その秘密がようやくわかりました。

僕のこれからの人生は
ちょっと不思議なその秘密を
伝えることにあるのかもしれないなって
最近ちょっと思っています。


ですのでここでは
今まで僕が叶えてきた夢をお伝えするとともに
なぜありえないような夢が叶い続けてきたのか
その解説をしていきたいと思っています。


これを読んでくださる方の人生に
すこしでもお役に立てば幸いです^^


Mercy


Mercyの叶えてきた夢

一応時系列に並べてみました。
ボタンをクリックすると
それぞれのページに飛びます(^^)

少年野球でエースになる!

最初に述べた通り
僕はめちゃめちゃ病弱でした。

かつアレルギーが酷くて
動物性タンパク質を一切とれず
ひょろひょろのもやしっ子だったんです。

そんな僕が憧れたのが
プロ野球選手。
中でもピッチャーになりたかった。

なぜなら
ピッチャーが投げないと
試合が始まらないからw

自分にすべての注目が集まる。
そんなところに惹かれてたんです。

徐々に外で遊べるようになったものの
病弱だったことと
転校を繰り返していたこともあって
遊ぶ友達はほとんどいませんでした。

そんな僕はひとりで
憧れのプロ野球のピッチャーをイメージしながら
毎日家の壁にボールをぶつけて遊んでました。

「さんしーん!ゲームセット!」
「Mercy投手、きょうも完封勝利です!」
なんて頭の中でイメージしながら
自分勝手にヒーローになりきりますw

来る日も来る日も
家のブロック塀めがけて
ボールを投げ続けていました。


小学校5年生のとき。
僕は新しい学校にあった
少年野球のチームに誘われます。

いまだひょろひょろの僕でしたが
なぜか入部を決意。

ま、一番大きな理由は
ユニフォームを着てみたいから!
だったのは内緒ですw

入ってすぐに僕は希望のポジションを聞かれ
「ピッチャーです!」と即答。

他のポジション知らないしw

当然ですがピッチャーは野球の花形ポジション。
入ってすぐの子が
そう簡単にとれるものではありません。

ましてやダボッダボのユニフォームで
ひょろひょろ男の転校生。
チームメイトも
「コイツ大丈夫か?」という目で見ています。

そしていざマウンドへ。
いつもはひとりでやっていたピッチングを
仲間がとってくれるだけでも感動ものの僕は
いっしょうけんめいただただ投げ込みます。

するとまわりから歓声が上がり始めました。

僕がキャッチャーの構えたところに
ほぼ完璧に投げ込むからでした。


「この年でこんなにコントロールのいい子は
はじめてみた。
みんな、彼をピッチャーにするのに
賛成だよな?」

監督の呼びかけに
拍手で応えるチームメイト。


ひとりでやっていたイメージトレーニングが
いつのまにか僕を
コントロールの良いピッチャーに
育ててくれていたのです。

そうして僕は
いきなりエースになりました。



とはいえ
投げることしか知らない僕は
その後野球のルールの複雑さと
バッティングの難しさに
頭を痛めるのでしたwww







甲子園に出て優勝する!



その後
中学でもエースとして活躍。

高校は野球の名門
帝京高校に入学します。


と書くと
野球のエリートとして
進学したように聞こえますが
まったくそうではなくw

行きたかった都立高校に落ち
どうせ行くなら
楽しそうなところにしようと
帝京高校に決めただけ。

むしろ
甲子園に行くなら帝京だし
甲子園で優勝とかできたら最高だよなと
都立に落ちたことも忘れ
ワクワクしていたのを覚えています。


当時はまだ
一般入試で入った人でも
野球部に所属できたので
いちおう体験入部はしたものの
あまりのレベルの違い、体格の違いに
まったくもってついていける気がせず
1ヶ月ほどで辞めてしまいます。

(辞める際、前田監督に
「お前みたいななで肩はピッチャー向きだから
がんばってほしいけどなー。
石橋っていただろ?
あいつはイカリ肩だから
ピッチャーとしてはダメだって
わかってたんだけど本人の諦めが悪くてなー」
といわれたことを今でも覚えてますw)


時は平成元年、僕が高2の夏。
帝京高校は見事東東京大会を勝ち抜き
甲子園に出場します。

とんねるずの野球特番でおなじみの
吉岡雄二選手を中心としたチームは
あれよあれよというまに
平成元年夏の甲子園で優勝。

アルプスでずっと応援していた僕は
甲子園で優勝するという夢も
あっさり叶ってしまいました。


もちろん選手として叶えたものではなかったけど
ヒーローとして注目を浴びるという意味では
僕も同じような経験をしてるんです!

当時、生徒会副会長だった僕は
受験で参加していない会長の代わりに
いろんなメディアからインタビューされたりして
勝手に同列の気分になっていたのでしたw

まさにヒーローインタビュー!
と思いながら。


自分が通っている3年間で
自分の高校が甲子園で優勝する確率って
相当なもんですよね!
ほんとに僕はラッキーだったなーと思います。

今でもあの時の高揚感は忘れないし
僕にとって一生の宝物です(^^)




サザンのライブを最前列で見る!



同じ頃
野球と同じくらいハマっていたのが
音楽です。

特にサザンオールスターズが大好きで
中学生に入った頃からの大ファン!
今でもライブには必ず行ってます(^^)


そんなサザンのライブは
基本大人数の会場ばかり。
目の前でメンバーを見るなんて
普通なかなかありえないわけですが
僕は桑田さんの目の前で
ライブを見たことがあるんです!

ファンクラブに入っていれば
いい席に当たる可能性はあるでしょうが
いちばん前の席だとしても
それなりに距離はありますよね?
僕は桑田さんの歌う真下で見てますから!w


高校1年生の夏。
当時人気の歌番組で
「夜のヒットスタジオ」というものがありました。

番組では
人気アーティストのスタジオライブを
時々やっていたのですが
この年の夏は
5組のアーティストが毎週
スタジオライブをやる!という
かつてない試みをしていました。

そのラインナップに
活動休止明けのサザンもいる!
と知った僕は思わず
ハガキを出し応募したのです。

今いろんな事情を知ってしまうと
たった1枚のハガキしか出さずに
当選しようなんて
なかなか図太いヤツだとわかるのですがw
(現に参加した他の人たちはほぼ全員
50枚以上ハガキを出してました)

なんとなんと当選ですよ!

しかも
5組のアーティストを通しで見れる
特別枠(5名)に当選!

最初の週には夜ヒットのスタジオに呼ばれ
「ものすごいラッキーな5名の方です」
という形でテレビ出演までして
古舘伊知郎さんにインタビューされていますw
(オンエア録ってたはずですが見当たらず…)

スタジオライブでは
100名ほどの狭い会場で
オンエアの時以外にもライブをやってくれていて
サザンのコンサートをたっぷり2時間
満喫することができました。

桑田さんの汗が飛び散るほどの
ステージの真下でライブを見れた
あの感動は忘れません!




テレビ局で働く!


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近日公開!
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。。。。。

この5つやれたらNHK辞める!w


NHKに運良く入れたものの
慣れない地方勤務と
一刻を争う報道の現場の雰囲気に
心身ともけっこう大変でした(^^;;

そんな中最初の勤務地
松山放送局で手がけた最初の番組。

「ナレーション、誰がいい?」
と言われ
「緒川たまきさん!」
と即答。
(当時ソリトンなんかに出ててかなり好きだった)

ギャラや移動のことを考えても
ふつう絶対無理なはずなのに
なんと、来てくれました!松山まで!

ナレーション入れの前に
空港まで迎えに行き
2人で食事しながら打ち合わせ!
(実際はマネージャーさんいましたけど)
夢のようでした・・・❤️


これに気を良くした僕は
「協会人生、これだけできたらいつ辞めてもいい」
という目標を掲げたのです。


それは・・・

NHKスペシャルをつくる

オリンピックの現地取材

サッカーW杯の現地取材

生放送に出演

会長表彰を受ける


NHKの知り合いがいたら
ぜひたずねてみてください。

この5つをすべて達成してる人
たぶん見当たらないはずです。



オリンピックやサッカーW杯は
みんな参加したがる大人気のイベントです。
特に現地派遣は憧れ!
オリンピックは夏・冬で考えても2年に1度
サッカーW杯は4年に1度しかチャンスがありません。

さらに言えば僕はニュースのディレクターなので
スポーツの取材、しかも海外取材なんて
話がくるはずないんです。



また、ディレクターをしていても
Nスペを1本もつくらずに
協会人生を終えていく人も結構います。

看板番組ですし
報道だけでなくあらゆる分野の
ディレクターが参加しますので
なかなかチャンスが回ってこない。


会長表彰は年1回、毎年数十名。
かな〜り忖度があることをあとで知りますがw
それでも狭き門であることに変わりはない。


そして、テレビの生放送出演。
そもそもディレクターは裏方ですから
テレビに出ることはほとんどありません。

でも、出てみたかったw



僕が立てた目標は
ふつうの協会人生を送っている人には
ひとつも縁がないようなものばかり。

「これだけ叶ったらやめてもいい」
というのは裏を返せば
「こんなの全部なんて叶うはずない」
というものなんです。


ところが!

神戸に異動したことが運のツキ。
毎年1月17日、阪神・淡路大震災の
Nスペ枠があったおかげで
入局わずか3年でNスペをつくれることに!


そして同じ年・・・

生放送に出演

(2000年 おはよう日本)

ペットロボットが高齢者を見守るという内容。
20年前から目のつけどころが鋭い!w

オンエアを見た友人や親戚からは
「髪が長い」「NHKらしくない」と
苦情が殺到しました…
そして、このあとどんどん
ありえない展開に!

W杯現地取材

(2006年ドイツW杯)

フランスvsイタリアの決勝戦!
ジダンが頭突きして退場したあの試合です。

ドイツに3ヶ月滞在したおかげで
ビールの美味しさを知りました^^

オリンピック現地取材

(2010年バンクーバー五輪)

カーリングのおもしろさに
すっかりハマっちゃいましたねー^^

当時僕はウインタースポーツに
なんの関係もない
長崎放送局勤務でしたがwww

会長表彰は、団体で2度受けました。
2度目は僕が辞めると言ったあとにw

会長表彰を受けるんだから
辞めるの思いとどまりなさいっていう
プレッシャーを相当受けましたが
表彰を受けた数日後に僕は
NHKを退職したのでしたwww




社長になる!

ちょっと話が遡りますが
NHKでの目標をかなえちゃった僕は
もうすっかり意欲が失せてしまいますw
とにかく会社を辞めたかったんです。


2015年。
勉強していたアドラー心理学の集まりで
クリスマス会みたいなのがあって
そこで来年の目標を発表することになったんです。

そこで僕は
「独立して社長になります」って言ったんです。
はい、なんのあてもありませんw

その時にはまだ僕は
起業するきっかけになった民泊に
出会ってすらいません!

ほんとに何の当てもなかったけど
なりたいからそう宣言しちゃいました。


で、まず始めたのが
会社名を考えること!

自分の中で「この名前がいいかなー」という
すきな言葉がいくつかあって、それを並べては
「株式会社●●●● 代表取締役社長」
という肩書きを見てニヤニヤしてましたw

で、会社名をまず決めて
名刺のデザインとかあれこれ考えて
またニヤニヤしてw

そんなことをしてるうちに
取材で民泊のことを勉強することになり
知れば知るほどその可能性に惹かれ
いろんな取材を重ねるうち
自分でもやってみたくなって
そしたらたまたま友人が部屋と名義を貸してくれて
(もちろん副業禁止でしたので…)
取材で学んだノウハウをつかったら
あっという間に大人気物件になって
それに目をつけたある起業家さんから
「そのノウハウを教えるスクールやらない?」と
声をかけられて…

ものすごい勢いで
僕は会社の社長になり
セミナーには延べ1000人
オンラインスクールで150人を教える
大人気コンテンツを生み出したのです。


民泊というものを知り
実際自分が手掛けてから
たった半年。

宣言通り僕は
会社の社長になってました。

自分でもあまりの展開の速さに驚くばかり。

願望実現力は強いと思ってましたが
ここまで速く強い流れを感じたのは
はじめてでした。

やっぱり俺ってツイてる!!!




ベストセラー作家になる!

民泊の先駆けとして注目された僕は
調子に乗って本まで出す流れになりました。

僕はNHK時代に
ある漁村が修学旅行生を受け入れ
体験学習の民泊をしているようすを
取材して番組にしたことがあって
そのあたたかな交流が
ずっと頭に残っていました。

それを「おもてなし民泊」と名付け
そのあたたかな交流を国際的にできるのが
民泊なんだよ、と訴えたのです。

これもありがたいことに
専門家が周りにいてくれたので
僕が書いた原稿は
あっという間に電子書籍になり
一時すべてのkindle本の中で6位に!

送ってもらったこのスクショも宝物(^^)

その後どんどん読んでいただき
ジャンル別のベストセラー1位になりました。

ここで1位をとると
「ベストセラー作家」と名乗って言いそうなので
僕はベストセラー作家なのです!

誰がなんと言おうと!


やっべ、超ツイてるw

この「ベストセラー1位」のマークが証拠!

100万坪の地主になる!

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近日公開!
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最愛の女性に出会う!
(しかも超〜愛されるw)


離婚してからの僕は
その苦い経験を踏まえ
ほんとうの理想の女性って
どんな人だろうって考え続けました。

前の奥さんは
とっても美人だったし
料理も上手だったし
周りからは羨ましがられたりしてたけど
僕の心は晴れなかった。

そういう部分に加え
人として尊敬できるかどうかが
とても大事だってわかったから。


だから
自分の理想をどんどん書き加えていき
「こんな人いるの?」ってくらいの
最高の女性像が
自分の中では出来上がっていきました。

こうであってほしいという
自分の思いに加えて
あの人の「笑った時鼻にできるしわ」
あの人の「声をかける時のしぐさ」
あの人の「困ってる人への対応の仕方」
あの人の「おっぱい」w などなど

理屈ではなく心惹かれる要素を
どんどんデータベース化していきました。

そして
そんな人がそばにいてくれる暮らしと
そんな人に愛されるくらいすごい自分を
想像していました。


すると
ありえないくらいの出会い方で
僕らは出会うことができました。

不思議なことに
相手も僕のすべてが理想だと言い
同じようなことをしていたのがわかり
僕らは笑い合いました。

僕が愛してると言うと
彼女は必ず「その5倍愛してる」と言いますw

自分が愛してるより
ちょっと上回るくらい愛されたいと
思い描いていたのですが
今のところ予想以上ですね(^^)


それからずっとずっと毎瞬毎瞬
ともにここにいられることへの
感謝の気持ちでいっぱいです。





あなたに伝えたいこと

こうやって僕はいつも
自分の夢が叶い続けてきました。

当時は
なぜ僕はこんなにツイてるのか
まったくわかりませんでした。

ただ「ラッキーだな!」くらいにしか思わず
それを真剣に考えようとは
これっぽっちも思っていませんでした。


でも、いま、
僕にはその理由がわかります。

ただラッキーだったわけじゃないって。


まだ今の世の中では
ほとんどの人が
「目に見えるもの」しか信じません。
「証明できるもの」しか信じません。

でも本当は
「目に見えない力」は確実に存在するし
運というものさえ
自分で変えることができるのです。


ほとんどの人が勘違いをしています。

社会の中に自分が存在していて
現実に何か起こるのは
ちっぽけな自分では制御不可能なことで
それを見聞きすることで
自分の中になにか感情や考え方が生まれる

と思っていませんか?


それはまるっきり逆です。

自分が宇宙であり神であり
社会の存在すべてを生み出しています。

現実に何か起こるのは
あなたが何か考えたから。
偶然はひとつもないし
制御不可能なものもひとつもない。

あなたの思考が

現実を創りあげているのです。


よかったらもう一度
僕の今までのラッキー話を読み返してください。

すべてにおいて
「先に」ワクワクしています。
そして
余計な思い込みがありません。

よく言えばピュア
悪く言えばおバカさんですw


知らないということは
とっても強い。
人間が、特に頭のいい大人が陥りがちな
恐怖や不安を感じずにすむから。

この情報化社会の中で
頭の良い人ほど
たくさんの情報を取り込みすぎて
何が正しいのかわからなくなっています。


でも本当は
そんなことしなくていい。

あなたの考えが
すべての現実を創りあげるのだから
自分勝手に都合の良い世界を
つくっちゃえばいいのです。

そう、こどものおままごとの世界のように。


この世は苦しい
と思えばそうなります。

この世はぬるい
と思ってもそうなりますw


どちらでもいいのです。

どれを選ぼうが
あなたが選んだものが

いずれあなたの現実になるのです。

人が何を選ぼうが
それはあなたの世界には
何の関係もありません。

すべての人がそれぞれ
自分の世界を持っているのですから
人に干渉するのは無意味だとわかります。

裏を返せば
大多数の人が信じていることでも
自分の世界で採用しなければ
現実にはあらわれません。


あなたが見ている現実は
すべて
あなたが望んで選んできたことなのです。



僕はこれからも
こどもみたいにまっすぐに
ピュアなおばかさんでい続けます。

無意識にとは言え
僕はそうやって夢を叶えてきて
いまはその仕組みを理解できたから。

これからは
それを使いこなせば
なんでもできるんだっていう
安心感に満ちています。


僕はいま
最高に幸せです。


幸せって何かと
もし問われるならば

「この世の仕組み」を理解できて
自分の世界は自分で創れるんだって
心から納得できること

だと答えたい。


たくさんの苦しいことやつらいことも
自分の考えから生まれてたんだってわかれば
もうその負の連鎖は断ち切れます。


これを読んでくださったあなたに
あなたにとっての最高の幸せが
訪れることを確信しています。


この出会いに感謝を。

愛を込めて。





                Mercy