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村中正和の歩み

muranaka's
story

朝からにぎわう最強の治療院。

「加藤さんとこの息子さんが歯医者になったらしいわ。あそこももう安泰だがね。」
「今は歯医者も大変らしいでねぇ。コンビニより多いって聞くで。」
「コンビニより多いはずがないがね。ねぇ!?先生?」

「いやぁ。なんかそうみたいですよ。治療するところはみんな大変ですよ。」
ぱっと見たところ、若そうに見える治療家が答える。

「ここはええがね。流行っとるで。ねぇ、先生。」

「いえいえ。みなさんのおかげです。」

「ここができて私らも助かっとるで。
先生若いのに腕がええで。」

「ほんとだわ。腕が悪かったら私ら来んで。ねぇ?」

名古屋の東に位置するエリア・『一社』。
朝からにぎわいをみせる場所。



自己免疫疾患。不妊。パーキンソン。
その他重度の疾患。
困難とされるこれらの症例に圧倒的な
改善例を誇る鍼灸治療院がある。

ここでは
「一人でも多くの人を笑顔にすること」を
目標に掲げている。

評判を聞きつけ、遠くは九州や四国から
治療のためだけにこの地までやってくる人もいる。

村中正和。 42歳。
一社の社台1丁目にある
『あいわ鍼灸治療院』院長である。

村中の治療にはこだわりがある。
そこには過去に村中自身が負った心の傷があった。

リストラ宣告。

「ちきしょう・・・・この歳でリストラかよ・・・・」

22歳の時、先輩が続けて二人もリストラにあった。二人ともそこそこ大手勤めだったことに驚いた。


“勤めるということは、会社の都合で簡単に
自分の人生を左右されてしまうんだな”。

工業機械のメーカーで営業として働いていた村中も
友人の話を聞きながら、漠然と
自分自身の将来について考えていた。

「シン・キューって何だ?」

「友達が就職決まったから、今度お祝い会やるんだ。」
当時仲の良かった女友達と話をしていた時のことだ。村中もなんとなく聞き返した。

「へぇ。どこに決まったの?」
「鍼灸院だって。鍼灸の学校に行ってたから。」
「しん・きゅう・・・?しんきゅうってなに??」
「え?ハリのことだよ。マジで知らないの?」
「・・・・・・・?」

馴染みも縁も全くない『しんきゅう』という言葉。
妙に引っかかり、インターネットで調べてみた。

そこには驚くべき内容がたくさん書かれていた。

「こんな仕事があるのか・・・」

中国で紀元前4000年前から存在すること。
人の体には経絡と呼ばれるツボが360個所もあること。

痛みや病気がこの鍼と灸だけで治せること。
そして多くの人々からの『鍼で救われた』の声の数々・・・・・

“自分で実際に体験してみたいな。
怖そうだけど・・・・・”

興味が抑えられなくなった村中は
鍼灸院で実際に治療を受けることにする。

学生時代、サッカーをやっていたときから
ずっと残っている膝の違和感が
この『鍼』で治るなら凄いと思った。

調べると、家の近くだけで
「鍼灸」と名の付くところは7件もあった。

なぜ?痛くない!?

そのうちの1件に向かう。実物の鍼を見た。思っていたものとは全然違う。太い。いや、太いと思ったものは筒で、どうもその中に鍼は隠れているらしい。
初めて目にした鍼は細かった。細さは髪の毛ほどの0.18ミリだという。

「鍼は初めてですか?痛みはありませんから安心してくださいね。」

初老の男性鍼灸師が言った。
村中にとって初の鍼治療はまさに驚きの連続だった。

チクリともしない。
まるで痛くない。
尖ったものが確実に自分の体に
数センチも入っているのになぜだ?・・・・・

「終わりましたよ。」
楽になったような気はするが、まだわからない。
この日はまだピンとこないまま、
狐につままれたように鍼灸院を後にした。

※症状の改善には個人差があります。

「俺、決めた!!」

翌日のことだ。地下鉄の駅の階段を上っているときにふと感じた。

「・・・・あれ?俺、痛みなく普通に歩いてるじゃん・・・・」
そして次の瞬間、

「!!!!・・・・・・ハリだっ!!!!」

驚いたなんてものではない。
とんでもないものに出会った、そう思ったからだ。

“これが鍼か・・・・” 
自分の体がその凄さを今、感じている。


「決めた!俺は鍼灸師になる!!」

4年半続けた営業の仕事をあっさりと辞めた。
資格を取るにはまず学校だ。

退路を断つため、友達も全くいない東京の
専門学校に行くことにした。

やるときは極端だなと自分でも思った。
直感だけだった。

親に相談すると、

「反対はしないけどお金は出せないよ。
自分でなんとかしなさい。」

最初からそのつもりだった。
今までまるで貯金しなかったことを悔いたが仕方がない。
まずは貯金だ。

携帯電話販売店の新規客獲得営業のアルバイト。
営業出身だけに売上も良く、多い時は月に50万以上稼いだ。

半年集中して働き、どうにか150万貯めた。
学校も決まり、これでようやくスタートできる。

ないないづくしの東京。

引越当日。
レンタカーに家財道具一式を積み込み、東京の渋谷区に借りた狭いワンルームに向かう。

日当たりはゼロ。家賃が安いとこんなもんかと思いながら急いで荷物を降ろし、名古屋で借りたレンタカーを新宿駅にある営業所に返しに行った。

新宿駅の南口。明るすぎるネオンと、駅の雑踏。
家路を急ぐ人々。
そこで初めて猛烈な孤独感が襲ってくる。

『ここで暮らしていくんだな・・・今から学生か。
知ってる人は誰もいない。
一人ぼっちで大丈夫かな、俺・・・・』

そんな風に感じたのを覚えている。

帰った部屋はなぜか電気が点かない。
真っ暗の中、テレビを繋いで視ようとした。

「あ・・・リモコン忘れた・・・・」
テレビも点かない。
仕方がないから布団を出して早々と寝た。

「・・・・・友達ない。仕事ない。
・・・・・電気もない・・・か・・・・。」

この夜のことは一生忘れられない。

腰痛が良くなった!?

治療院でのアルバイトも決まった。
授業は毎日、朝から夕方までびっしり詰まっている。

夜、自分の体で実験しようと学校で習った通りに自分で自分の体に鍼を刺してみた。

「イテっ!!」
なぜだ?あそこで刺されたのは痛くなかったのに・・・・

毎日毎日、鍼を自分の体に打った。その数多い時は1日100本。
そのうち痛みは全くなくなった。
驚いたことに、足に打った鍼の反射でその頃気になっていた腰痛が治った。

「おおっ!!・・・・ホントなんだ・・・・」 
気付きがあれば、一人で嬉しくなった。

※症状の改善には個人差があります。

最恐の患者!

「肩が痛むんだ。何とかしてくれや!」
あるとき、バイト先の治療院にやってきた患者。

見た目の怖さとあまりの迫力に、どうしようかとひるんだ。
当然だった。その界隈では有名なヤクザの親分だったからだ。

「はい。わかりました。どうぞこちらへ。どんな感じの痛みですか?」
院長が痛い部分と症状を訪ねる。

「痛みで眠れなくてよ、起きたら起きたですぐに痛いんだよ!」
「そうですか、じゃあ服を脱いで横になってください。」

村中は背中一面の鯉の滝登りの入れ墨を見てドキドキしながらも、
顔色一つ変えずに鍼を打つ院長に見入った。

”凄い、こんなふうにならなきゃいけないな”と気を引き締めた。

「先生ホントにありがとうな。楽になった気がするわ。
しばらく様子を見るわな。」

「お大事にしてくださいね。」
親分は喜んで機嫌よく帰っていった。

「村中くん、ちょっと。」 後日、院長に呼ばれた。
「この前の患者さんね。
『肩が相当ラクになった。調子よくなったぞ』って言ってね。
お礼って言ってこれが届いたから。
好きなだけ持って行っていいよ。」

そこには缶ビールがなんと10ケース。
院長がしみじみと言った。


「どんな人だろうと、苦しんで頼ってきてくれる限りは
うちの患者さん。一生懸命仕事してお礼を言われるって、
いい仕事だと思わない?責任も重いけど、
僕はこの鍼灸っていう仕事が本当に好きなんだ。」

「そうですね。僕も素晴らしい仕事だと思います。」

「君が選ぼうとしている仕事はね、そういう仕事なんだよ。」
「はい!頑張ります!」

村中は自分の未来を思い、たまらない気持になった。
自然と何かが込み上げてくる。
一日も早く、鍼灸師になりたいと思った。

今でも忘れられない思い出だ。

卒業。さあ、就職だ!

順調に学校は卒業へ。猛勉強の末、鍼師・灸師の国家資格にも合格。
自分に自信も出た。就職先は当然、鍼灸院を探した。

『何年か働いたら、俺も自分で治療院ができるかな?』
そんなことを一人、考えていた。

惨憺たる自分自身。

「バカ野郎!!どけっ!グズグズするな!!」
「はいっ!す、すみませんっ!」

鍼灸専門学校を出て、卒業生でもある大先輩の治療院に運良く就職できた。
しかし、そこで待っていたのは惨憺たる自分自身との対面だった。

「おい村中ぁ!これを見ろっ!」
ある日、院長が指差した棚の上。目で見てもはっきりわかる埃があった。

「指貸せ。」
院長は村中の指でその埃をなぞるようにすくいあげ、その指を村中の頬になすりつけた。

「いいか?こんな汚れにも気付かないような奴が、患者さんの繊細な治療なんかできるのか?・・・・できるはずないよな?違うか?」
「すみませんっ!すぐやります!」

この院長の厳しさはかつて味わったことのないものだった。
アルバイト時代とは違う。

村中は毎日、折れそうな心と必死で闘っていた。

「ふざけんな!お前、
いったい・・・・ 」

忙しすぎる治療院だった。激務に次ぐ激務。毎日毎日怒られっぱなし。元々細い体は半年で体重が5キロも落ちた。
休みの日は洗濯等の家事や日々の勉強に追われた。遊ぶことも全くできない。とにかく追いつめられる毎日。

「おまえみたいなのが治療家になるから
俺ら治療家の地位が上がらねえんだよ!!」

悔しかったが、言われたことができないのは確かだ。
昼食を摂る間もなく、追い立てられるような日々の中、
黙々と治療を続けたがそんな時も容赦なく雷は落ちた。

「おいっ!おまえな、治療家は治療だけすればいいってもんじゃねえぞ!」
「え?あ、はい・・・」

「治療家はな、患者さんに寄り添って希望を与え、痛みが和らいだら共に喜び、治るまで心と心のつながりと信頼関係を築かなきゃ駄目なんだよ。おまえは何だ?今言ったことが一つでもできているのか?・・・・お前、いったい何がしたいんだよ!?」
「すみません!!」

院長の言うことは全くの正論だった。
日々の忙しい治療に猛殺され、数をこなすことが
重要と思ってしまっていたことは否定できなかった。

『俺、いったい何のために鍼灸師になったんだろう・・・・』
心の余裕が全くない中で夜、部屋で一人涙を流す。
そんな日々が続く。

自分の体で、試す。

やるべきこと。考えること。勉強すべきこと。普段の生活・・・・

とにかくやるべきことは毎日毎日、まさに怒涛のごとくやってくる。
どこかで忘れたり、手を抜いたら後ですべて自分に跳ね返ってくる現実。
だから忘れないように手に書いた。
毎日、手は書き殴った文字で隙間もないくらい一杯になった。

帰りの時間は電車の中でブツブツ言いながら当日の反芻。
周りから見れば「?」な人物に見えたに違いない。

苦労を苦労と思わない、
親からもらったこの我慢強く少し鈍いくらいの
自分の性格がなければ、
とっくにおかしくなっていただろう。

帰ってからは自分自身の体に鍼を打った。
自分の体は嘘をつかない。
これ以上ない実験台である。

結果はすべてノートに書き殴った。

疲れて体に鍼を刺したまま眠り、
そのまま朝を迎えることもしょっちゅうだった。

院長の驚きの一言。

治療院に勤めて1年ほど経った頃だった。
『患者さんに寄り添う』という意味がようやくわかり、
自分のファンになって頂ける患者さんも増えてきた。
そんな時のことだ。

激務の中、いよいよ体調がおかしくなった。
めまい、疲れ、微熱が続く。
体が悲鳴を上げているのがわかる。
騙し騙しも限界だった。

「村中、ちょっと来い。」
それを見抜いた院長が営業後、
治療をしてくれながら言った。

「村中・・・・いや、村中先生。」
「・・・はい。」

「もしおまえが倒れたらな・・・」
「はい・・・」

「俺はこの治療院を一か月閉めるからな。」
「え!?」

「・・・・・おまえはそれだけここに必要な人間ってことだ。」

どっと涙が溢れた。

「だから早く治せ。わかったな?」
今までの苦労が認められた。
やっと報われた思いでいっぱいだった。

「頼むぞ。」
「はい!ありがとうございます!」

それからも患者さんの数はますます増えていったが、
村中はキツいと感じることが少なくなっていった。
自己重要感は今まで感じたことがないほど高まっていた。

『俺はこの道で一生生きていく!!』その覚悟が決まったのもこの頃だ。

両親の愛に。

「あんた、頼むからもう問題起こさないで。
お母さんもう、謝るの疲れたわ・・・・」

やんちゃすぎる子供時代。
友達と遊び回り、怪我するのも
相手に怪我させることも度々だった。

そのたびに謝りにいく母。
迷惑を掛けたことを今も申し訳なく思う。

そんな母から月に一度、荷物とともに
息子を心配する手紙が届く。

荷物の中身は食糧が主。
東京では手に入りにくい、村中の好きな赤だしの味噌。

そして米、野菜、レトルト食品。
手紙はいつも同じような内容だった。
ぶっきらぼうで無関心を装う父が実は一番心配していること。
毎日息子の話題が出ない日はないこと。

最後はいつも”あきらめずにやり抜きなさい”という
メッセージで締めくくられていた。

今まで感じたことのなかった親への有難みを感じ、
一人手を合わせた。

父は直接何か言ってくることはなかった。
しかし、心配は杞憂だった。

それは従妹からのメールにあった。

「おじさん、会うとまーくんの自慢ばかりしてるよ。
凄く嬉しそうにね。」

ある時感謝を込めて、返事を書いた。

『いつもありがとう。
二人の子供に生まれてよかったです。
僕は大丈夫。
死んでもやり抜くから見守ってください。』

近くにいれば照れ臭くて言えるはずもないが、
手紙だと言えた。

村中のありのままの気持ちがそこにはあった。

「俺がやりたい治療は・・・・」

ある時、鍼灸学校時代の仲間と飲んだ。
驚いたことに、彼は独立するのだと言った。

「ふたつ道があるとするじゃん?
ひとつは愚痴言いながら会社で働き続ける道。
もうひとつは自分で新しいことを始める道。
・・・・村中はどっち?」

「そりゃあ、独立だよ!だけど・・・・・」 
歯切れの悪さに自分でも気付いた。

自分が本当にやりたい治療とはなんだろうか。
それが決まらないうちは独立などできない。

なぜなら決まらない限り、師匠である院長を超えるための
一歩が始まらないからだ。

それからは毎日毎日、自分のやるべき治療について考えた。
同時に、自分の将来のことも考えるようになった。

「すみません。その症状は鍼灸では何ともならないんです。」
ある時、この院長でもそう答えざるを得ない
患者さんが存在することに気付いた。

いわゆる難病と呼ばれる病気を持ち、
藁にもすがる気持ちで治療院を訪れる患者さんだ。

「無理なものは無理って言わなきゃいけないんだ。
期待を持たせるのも罪だし。辛いけどな・・・。」

信じている鍼にも不可能がある現実。
藁にもすがりたい人を何とかできないジレンマ・・・・

“本当に無理なんだろうか・・・
何か方法はあるのでは・・・・?”

理想は相手の期待を上回る治療を行うこと。
やるしかない。肚は決まった。


「難病と呼ばれる病気にも強い、患者さんの一縷の希望に
応えられる治療院を自分で創ろう、そう思ったんですよね。」


そこからは毎日がさらに楽しくなった。
勉強に次ぐ勉強は時間を忘れて
朝までになることもしばしばだった。

開業する!

難病治療も自ら手掛けるようになり、評判も上々。
友人たちから”明けても暮れても鍼灸のことしか
頭にない鍼灸バカ”と呼ばれても、
自分には最大の褒め言葉に感じた。

『もうそろそろだな・・・・・』

ずっと独立のタイミングをはかっていたが、
準備をするためには退社しなければならなかった。

それは独立の地に選んだのが故郷・名古屋だったからだ。
理由はシンプル。
恩人であるこの院と患者さんの
バッティングを避けること。

そして自分の生まれ育った街への
恩返しのためである。

運命って、変わるんだ!!

名古屋に戻り、物件探しに訪れた不動産屋で、
村中はある一人の人物を紹介される。

この人物との出会いが、
村中のその後の運命を一変させた。

内装工事一式を行ってくれた会社の社長。
この人物がいい意味でとんでもなかった。
様々な会を主宰し、人脈も豊富。

工事はおろか、看板を描いてくれる先生から
広告のプロ、何かあったときの弁護士、
誰でも知っているプロアスリート、
顧客心理を徹底的にレクチャーしてくれるカウンセラーの先生、
そして肝心カナメのたくさんの患者さん、
果てはその後の村中の治療スタイルに
革命を起こすほどの治療法を伝授してくれる
新たな師匠まで、すべてを繋いでくれたのだ。

飲み会やイベントなどのコミュニティーに参加したら、
一気に100人を超える仲間もできた。
今では皆が慕ってくれる。

この間、わずか数か月。村中の運命は変わった。

「自分の強運っぷりに顎が外れそうですよ(笑)。」
そう言って本人が笑うほどだ。

しかし村中の強運はこれだけでは終わらなかった。

「絶対にやめとけ!!」

「あんな激戦区、わざわざ死にに行くようなもんだぞ!考え直せ!」
「まあ、半年だな・・・・そんなにもたないと思うけどな。」

相談した同業の友人が言うことは全て散々な内容だった。
「あそこだけはおまえじゃなくても絶対無理だって!」

開業の地に選んだのは誰もがそう言うほどの
超激戦区・名古屋市名東区一社。

ここを選んだのは街並みが気に入ったのと、
『絶対にここじゃなきゃダメだ。

ここには自分が開業すべき理由が必ず現れる』
という完全な直感だった。

自分の中でひとつの軸を決めた。
それが『あきらめない』ということ。
自分に夢と希望を託してやってくる患者さんを
絶対に笑顔で帰す。それだけを考えたのだ。

そしてついに、夢だった『鍼灸治療院』、オープン。

驚いた。オープンしたての時期こそ
パラパラという入りだったが、
1か月後には「あそこは必ず結果を出してくれるぞ」
という評判を聞きつけ、午前の予約は
すべて埋まるようになったのだから。

それから毎日、日々満員御礼。
地域の方々には感謝してもしきれなかった。

村中にしかできない治療法!

村中の下では、改善が難しいとされる
症状の改善例が多くでてきた。

噂を聞きつけ、患者さんは遠くでは
四国や九州からもやってきた。

※症状の改善には個人差があります。
治療技術の研鑽は勿論のこと、
様々な機械の導入も随時行っている。

「機械の導入は自分自身が日数をかけて
何度も何度も体験し、『これだ!』と
思ったものだけを採用しています。」

今年からドーム型のゲルマニウム温熱治療器を導入した。
体の芯から温めてくれることで血行が猛烈に促進される。
するとどうなるか。
鍼を打った時の体の反応がまるで違うのだ。

発汗によるデトックス作用もある。
冷えや不妊の方には特に良く、何をやっても

疲れが取れない人やアトピーの方にも
村中が自信を持って勧めているものだ。

「先生、ホントに疲れなくなったわ。
ここまではっきりわかるとね、
もっといろいろ挑戦しようかって思うのよ。
市民マラソンにも出ようかって、ね。」

患者さんからこんな言葉を聞けるのも
この機械のおかげだ。

※症状の改善には個人差があります。

朝の日課で。

ある時、大きな会社の社長夫人がやってきた。
重度の自己免疫疾患。
何度か来て頂くうちに
ほぼ治ってしまったことに本人も驚いた。

「今まで色々なところへ行ってきたの。
香港がいいと言われれば香港へも。
でも何ともならなかったのに、
ここにきたらたった三回でこうよ!」

夫人は曲がるようになった両手を、
閉じて開いてを繰り返して見せた。

※症状の改善には個人差があります。

「そうですか。なぜうちに来られたんですか?」

「朝ね、この前の道を通るといつもあなたたち二人が
綺麗にこのあたりを掃除してるじゃない?
若いのに、この人たちは信用できそうって思ったのよ。」

村中は朝、近辺の掃除をして回る。
もちろん綺麗にするのは気持ちがいいこともあるが、
院とお越し頂く患者さんとを結び、
繋いでくれる『道』に感謝の気持ちを表す意味が強い。

安全に、少しでも綺麗にしたいという思いがあるためだ。
街ゆく人々とのコミュニケーションできる嬉しさもある。
だから掃除ほど、いいことだらけのものはないのだ。

「先生おはよう!」
「おはようございます!いい天気ですね。
顔色もいいじゃないですか!」

「おかげさんで。先生のおかげだわ。
毎日調子いいもんで先生の顔も見れんわね。」

「それが一番いいじゃないですか。
悪くなったら思い出してくれればいいんですから。」

「何かあっても先生がおるで安心だわ。」

こんな朝のひと時にも幸せを感じている。

喘息に苦しむ男の子。

「ゲホッ!ゲホッ!ゼー・・ゼー・・・・・」

辛すぎる喘息の発作を抱え、その男の子はやってきた。
3歳というが、標準よりは幾分小柄に見える。
かわいいこの子もいざ発作が始まると本当に苦しそうだ。

今まで様々な病院で炎症を抑える薬や、
気管支を広げる薬を始めとする様々な治療を行ってきた。

親御さんとしても苦しむ我が子の為なら
何でもしたいと考え、
常にもっと楽にしてあげられる病院はないか探している。

同じように喘息に苦しむお子さんを持つ親御さんたちとの
情報交換も欠かせないと言う。

この男の子の場合はどんな治療でも改善すらされず、
少し走ったらゼーゼー、ゲホゲホとなってしまう。

「発作が出てひどいときには夜間の救急病院に運ばれるんです。
もう、見ていられなくて・・・・」

母親の願いは、外でいっぱい遊び、
丈夫で健康に育って欲しい、
ただそれだけだ。

しかし、今の状態ではその願いすら叶わず、
とにかく発作が出ないように
運動を控えさせることしかできないのだ。

そんな時、たまたま膝が悪いその男の子の祖父が
通っていたあいわ鍼灸治療院の話を聞いた。

藁にもすがりたい!

「凄い先生でな。結構全国からいろんな難病の人達が
来とるみたいだぞ。
わしの膝が治って普通に歩けるのも
この先生のおかげだでな。」

父の話を聞き、母親は、
藁をも掴む気持ちで村中の下を訪ねた。

「先生、鍼治療で喘息は改善するんでしょうか?
発作が始まると本当に苦しそうで
見ていられないんです・・・・」

「もちろん。一回でも随分変わりますが、
治療は全部で三回行います。
不安はあると思いますが、任せてください。
たくさんの方が楽になって帰られていますよ。」

※症状の改善には個人差があります。

「・・・・先生、よろしくお願いします。」
子供に鍼、という不安はぬぐえないが
母親は村中に希望を託すことにした。

 

男の子は3歳という歳の割に、
病院慣れしているように見受けられる。

様々な病院を周ってきたのだ。無理もない。

「お外で遊びたいよね。
先生がみんなとお外で遊べるようにしてあげる。
ぜーんぜん痛くないからね。」

子供好きの村中がやさしく話しかけながら、
気管支のツボに鍼を打っていく。

そして村中が見つけた、一見喘息とは無縁に感じる、
頭、手、足のある部分に集中して鍼を打つ。

実はここがポイントになる。
もちろん、打つのは子供用の鍼だ。

30分ほどの治療が終わった。
「全然痛くなかったでしょう?
ボクは泣かないし、えらいねぇ!」

「うん。ありがとう!」 
男の子もほっとした顔で答えた。

「お母さん、これだけでも随分良くなると思いますが、
確認したいので3日後にもう一度お越し願えますか。」

母親は丁寧に頭を下げ、帰って行ったが・・・・

※症状の改善には個人差があります。

発作が・・・・ない!!

「先生!!当日の夜も、次の日も、
全く発作が出てないんです。
一回の治療で、って、こんなことあるんですか!?」

三日後、そこには驚きながらも嬉しそうな母親と
笑顔の男の子の姿があった。

驚くのも無理はない。
たった一回だからだ。

※症状の改善には個人差があります。

「もちろんです。全三回で完成するんです。
今日と、あと一回。それで・・・・・」

村中は膝を着き、男の子の目線で話しかけた。

「お友達とね、もうすぐお外で遊べるよ。
よかったね。」

「うん!」
「頑張ろうね。」
「がんばる!」

二度目以降はさらに違う治療を行う。
『結果で見せる』が信条の村中が研究と研鑽を重ねた独自の治療法だ。



「本当に・・・夢のようです。」

現在、この男の子は母親が望んだ通り、
元気に友達と外で走り回って遊んでいる。

全国で喘息に悩む子供は約70万人いると言われる。
村中は一人でも多くのお子さん、
いや大人の方もここにやってくることを願ってやまない。

※症状の改善には個人差があります。

患者さんの言葉。

「この先生の魅力は何ですか?」
 患者さんに直接聞いてみた。

「腕がいい。だから安心して任せられるでしょ。
私はこの先生を信頼しとるでね。」

アスリート風の若者にも聞いた。
「陸上の怪我で曲がらない膝を村中先生が
きちんと曲がるようにしてくれたんです。
どこへ行ってもダメだったからもうビックリですよ。
今日も腰の治療で来ましたが一発でラクになりました。
通う必要がないんですよね。一発だから(笑)。」

※症状の改善には個人差があります。

 

ここには体が資本の
有名アスリート達の写真が飾ってある。

日本人なら誰もが知る大物野球選手や、
ボクシングの日本チャンピオン、
有名なプロレスラーもいる。

皆、村中の治療のファンだ。

いつも通ってくれるのはここが好きな人。
電位治療器は椅子に座るだけで
体の悪い部分を改善してくれるもの。

毎日30分でも座って頂ければ体の調子が良くなる。

患者さん同士のコミュニティーを作るために、
椅子はコの字型にして対話ができるようにした。

“楽しみながら健康になる”。
それが患者さんのことを考えて導き出したコンセプトだ。

※症状の改善には個人差があります。

最高のパートナー。

平成13年には運命の相手に巡り合い、
めでたく結婚した。

「おっとりしたやさしい女性ですが彼女は強いですよ。
僕にはもったいないです。」

割と心配性の性格の村中が何を言っても
『大丈夫大丈夫』とさらりと返す。

「彼女が言う『大丈夫』が僕の『大丈夫』なんです。
この人が言うなら大丈夫だろうと思える絶対的な存在。
それが彼女なんです。それに・・・・」

「この人と結婚してから患者さんの数がグーンと伸びました。
福の神ですよ(笑)。」

村中自身がそういうほどの妻を得て、これからさらに
発展していくだろう。

「目下の悩み?体がひとつしかないことです(笑)。」
贅沢な悩みだ。

あなたにとっての、『村中正和』。

悩んだとき、迷った時、村中はいつも考える。

『なぜ自分はここにいるのか?』

しかし答えはすぐに出る。
たった一度の人生のすべてを賭ける
価値ある仕事であることを、
村中はわかっている。
自分の使命を再確認したら、
再びまっすぐ進むだけだ。

「先生のおかげで本当にラクになりました。ありがとう。」

この言葉を、死ぬまでにあと何度聞けるだろう。

自分を必要としてくれる人がいる幸せ。
それが自分がこの世に生まれた意味であり、
今ここにいる意味だと思っている。

これからも一人でも多くの人の
治療ができたら幸せだ。

近寄りやすい素朴なキャラクターに秘めた、
熱い思いと高度な技術。

期待と希望を持ってやってくる方々に
責任とプライドを持って応え、
来る者は拒まない。
それこそが村中正和という男である。

あなたが体のことで悩み苦しむなら、
どうか村中を訪ねて欲しい。

今まで数々の難病の方々が
村中に救われてきたように、
あなたも彼との出会いに希望を見出すことだろう。

「どうされましたか?」

笑顔の村中があなたの痛みに寄り添い、
共に考え、最良の治療方法であなたを
助けてくれるはずだ。

彼こそ、ここに辿り着いた
あなたが出会うべき人物だろう。

そう固く信じる。

どうか、夢と希望を持ってご相談ください。

村中正和

私の仕事は鍼灸師です。
鍼灸と言う最高の東洋医学に出会い、
この技術を極めるべく、
日々研鑽を重ねてきました。

当院に来られる方はご近所の方はもちろん、
全国様々な治療院に行かれても何ともならなかった、
という方が噂を聞きつけて
たくさんいらっしゃいます。

その方々を決してあきらめることなく、
最終的に笑顔に変えていくことを
モットーにしています。

「なぜそんなに支持されるの?」。

私もたくさんの同業者の方々からよく聞かれます。

私にはよくわかりませんが、
私にしかできない治療方法に加え、
お一人お一人と真摯に向かい合い、
確実な治療を地道に続けてきたことと、
患者様方がそれを広めて頂けた
というだけだと思います。

ここに辿り着いたあなたもどこか、
お体で気になることがおありなのだと思います。

見えない繋がり、つまり『ご縁』というものを
私は心の底から信じています。

どうか、あなたの悩みも私にぶつけてみてください。
私は決してあきらめませんから、
あなたも決してあきらめないでください。

村中 正和