【満員御礼】フィリピンレイテ島 台風被災地
たくましく生きる村人たちとの
「仕事づくり」を考える旅
2013年史上最大級の台風が襲ったレイテ島。逆境の中でも笑顔を大切に、ハッピーに生きることを大切する村人たち。
最初は1週間のボランティアで訪れたレイテ、知れば知るほど、力強くたくましい、そして愛の溢れるフィリピン人の気質に惹かれ、なんとかお役に立ちたいと支援活動を続けてきた3年間。気がつけば家族として迎え入れてくださる大切な仲間がレイテにできました。
月日を経て復興が進む一方、本質的な問題「仕事をつくっていくこと」になんとか貢献できないかと考える中、3.11の復興活動でお世話になった社会起業家のパイオニアであり師匠の渡邊智惠子さん(http://chieko-watanabe.com/)が、レイテに行き一緒に考えよう!というありがたい機会を下さり、本企画が誕生しました。あの渡邉さんと寝食ともにし、考え方を学ぶことができる事は、他にない贅沢すぎる機会です!
私の活動は他のNGOに比べると小さいかもしれないですが、村人との出会いを起源に、人と人の関係を一番にしてきたからこそ、沢山の人を招くツアーでも実現できる現地の人とのあたたかい交流は胸を張って自慢できます。
しかも、1年の半分をクリスマスに時間をかけるといわれるほど、クリスマスを大切にするフィリピン。今回の渡航は彼らの生き方を感じるベストのタイミングです!
レイテ島の中でも支援が届かなかった、少し辺鄙な場所にあるタバンゴ町。農業と漁業をナリワイにするの村人たちの「暮らし」にふれ、めいいっぱい村人たちと交流を楽しみながら、一緒にできることを考える。どんな新しいご縁が生まれるか楽しみで仕方ありません!みなさんぜひご参加ください。
スケジュール | |
12月 22日 木 | 19:30 セブ・マクタン国際空港 到着ロビー集合 ホテル近郊で夕食会 フライト、セブでのホテルは自己手配してください。 手配方法に関してはこちら⇒ http://bit.ly/2h85uJF ※推奨便 (成田発)フィリピン航空PR433便 成田 14:25発 セブ 19:00着 (関空発)フィリピン航空PR409便 関空 15:25発 セブ 19:10着 ※ ホテル〜空港まで5分。赤坂がお迎えに行きます。 (セブ泊 セサリオホテル又はベラベスタ 同じ敷地内です) |
23日 金 | 午前 村へ移動 午後 村へ到着 村人たちとのご対面! 早朝5時 ホテル発 セブ島からレイテ島へ高速船で移動(約2.5時間) ⇒ タバンゴ町へ専用車で移動(約2時間)⇒ 途中第二次世界大戦戦跡、日本軍慰霊碑訪問 |
24日 | カワヤン小学校(漁村) クリスマスパーティー 集落で交流 交流会&支援トイレ完成確認、日本からのクリスマスプレゼントなどの支援を予定 |
25日 | 農業生産組合訪問(農村) 交流 バナナチップス製造見学 カワヤン小学校(漁村) クリスマスパーティー 続き 夜 参加者にてシェア会 (レイテ泊 簡易ホテル) |
26日 月 | 日中 参加者の希望に応じて 訪問箇所をアレンジ 夜 セブ島へ移動 17時タバンゴ町発、 23時過ぎセブホテル着 (セブ泊 セサリオホテル又はベラベスタ) |
27日 火 | 朝 日本へ移動 ※推奨便 (成田着)フィリピン航空PR434便 セブ 8:00発 成田 13:25着 (関空着)フィリピン航空PR410便 セブ 9:15発 関空 14:25着 ※ ホテル〜空港まで5分。空港まで送迎あり。 |
補足 | スケジュールは「かなり!」流動的となることをご承知おきください。 村でのご招待、天候に応じて柔軟に変更します。予定通りではない偶発性。唯一無二の出会いを皆さんで作っていきましょう♪ |
23日 金 | 午前 村へ移動 午後 村へ到着 村人たちとのご対面! 早朝5時 ホテル発 セブ島からレイテ島へ高速船で移動(約2.5時間) ⇒ タバンゴ町へ専用車で移動(約2時間)⇒ 途中第二次世界大戦戦跡、日本軍慰霊碑訪問 |
2013 年11月8日に世界史上最大級と言われたスーパー台風 ハイエン(フィリピン名:ヨランダ)が襲来。
最大瞬間風速90 メートル、倒壊建物による圧死、高潮(津波のような現象)による水死など、推定死者数が1万人にものぼり、世界中から支援が届いた。被災直後の風景は、家などの建物が全壊し流された瓦礫の山、大型貨物船が陸に打ち上げられるなど、地震直後の日本と酷似していました。そんな中でも「笑顔をつくる」理由を村人たちに聞いて衝撃を受けました。
現在でも復興活動が続きますが、「どんな環境でも、ないものではなく、あるものに感謝してHappyに生きる」そんな力強い村人たちが暮らす村です。
日米両軍の戦闘は島内のほぼ全域で繰り広げられた。劣勢となり補給を経たれた8万人以上の日本軍兵士が、戦死、病死、餓死でほぼ全滅し、生還率はわずか3%と言われる。島内の至る所に日本軍慰霊碑が残る。日米の渦中に巻き込まれ被害を受けた島民の悲劇の大きさは計り知れません。
交流する小学校の近くにあるお宅には大戦中に日本軍が駐留し、柱などに日本軍が残した彫刻があります。この遠い地に私達の先祖が来ていたことを肌で感じさせられます。島民たちとの交流を通じて、「平和」とは何かを感じ、感謝を実感できる貴重な場所です。
最も被害の大きかったレイテ州の州都タクロバンにて様々なNGOとご縁を得て、約1ヶ月のボランティアを経験させていただいた後、建造物などの被害比率はタクロバンと変わらぬものの、死亡者が少ない、幹線道路から外れ辺鄙な場所にあるため支援の手が届いていなかった「タバンゴ町」とご縁を得る。
赤坂個人として活動をつづけるには、世界から有名なNGOの集まるタクロバンではなく、タバンゴ町に専念することが最も貢献度が高いのではと考え、以降活動拠点として友好を深めて約3年が経つ。
町の名前の由来から「バヤニハン=助け合い」の町と村人たちも自負するほど、親切で素朴な素敵な村人たちがたくさんです♡
※ 参加費に含まれないもの ⇒上記参加費を含めるとトータルで15万円程に
(国際線航空券 6万円台〜、セブホテル宿泊2泊分 8000円程〜、セブ空港利用税2000円程、海外旅行損害保険代、個人的な買い物(食事の際の飲酒代、ソフトドリンク、お菓子やお土産)
※フライト、セブホテルの自己手配になります。
手順はこちら⇒ http://bit.ly/2h85uJF
※参加条件 誓約書(http://bit.ly/2hfVtq9)への同意、海外旅行保険の加入、未成年は親権者の同意
※振込先は別途ご案内します
※現地案内人、赤坂友紀 赤坂剛史
訪問先ではセブアノ語が主な言語です。村人によっては英語もとても堪能です。小学校の先生は英語が上手ですし、案内人の赤坂が英語通訳をしますのでご案心ください。また、一緒に子どもたちと遊ぶといった、言語に頼らずに交流できるような機会も設けます。
株式会社アバンティ代表取締役社長。1952年北海道斜里郡出身、明治大学商学部卒業。1975年株式会社タスコジャパン入社。1983年に副社長に就任。1985年株式会社アバンティ設立。代表取締役就任。1990年タスコジャパン退社。1993年Katan House Japan Inc.をテキサス州サンアントニオに設立、代表取締役就任。2008年長年に亘りオーガニックコットンという素材を世界に広めた功績により株式会社アバンティが「毎日ファッション大賞」受賞。2009年めざましい活躍をした女性たちを表彰し、働く女性たちにロールモデルを表示する「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2010」に、渡邉智恵子がリーダー部門を受賞、総合7位を受賞。2010年NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に日本の社会起業家のパイオニアとして取り上げられる。2009年経済産業省「日本を代表するソーシャルビジネス55選」に選ばれる。2011年一般社団法人小諸エコビレッジ設立。代表理事就任。2011年東北復興支援「東北グランマの仕事づくり」を開始。2012年ふくしまオーガニックコットンプロジェクトを開始。2013年わくわくのびのび絵こども塾を一般社団法人化、塾長に就任。著書「女だからできたこと」
2011年春、私(赤坂)が自動車メーカーに在勤中に通っていたビジネススクール「社会起業大学」にて渡邉智恵子さんが特別講師として講演。「働くことこそ人間の喜び」「東北に支援ではなく雇用をつくる!」という渡邉さんの話、そして全身から溢れるパワーと愛情に感銘を受け、赤坂が復興支援として通っていた石巻の最北端の漁村で雇用ブロジェクトを実施できないか相談を持ちかけました。渡邉さんはソーシャルビジネス界のゴッドマザー(笑)赤坂はその辺の会社員という立場の隔たりもなく、翌週末には一緒に石巻へ。
漁業の大打撃を受け仕事を失ったお母さんたちと、オーガニックコットンの残布を利用した「クリスマスオーナメント」をつくる、しかも「2000セット」は作ろう!と大きすぎる目標を打ち出す渡邉さんに皆おどろきましたが、志高い仲間が次々と集まり、たった半年間の準備で2011年12月には2500万円分の売上を達成し、直接雇用につなげました。(NHKニュースウォッチ9)翌年以降、アバンティの本業として採用された「東北グランマの仕事づくり」は今もなお継続し東北を支えています。
「大きなビジョンを打ち上げる」「スピード感」そして「三方良し」の精神、渡邉さんの生き方を身近で学べる機会は本当に貴重です!!
人生の師として夫婦ともどもお世話になっており、今回は夫の赤坂剛史もレイテに同行します。
2011年春、私(赤坂)が自動車メーカーに在勤中に通っていたビジネススクール「社会起業大学」にて渡邉智恵子さんが特別講師として講演。「働くことこそ人間の喜び」「東北に支援ではなく雇用をつくる!」という渡邉さんの話、そして全身から溢れるパワーと愛情に感銘を受け、赤坂が復興支援として通っていた石巻の最北端の漁村で雇用ブロジェクトを実施できないか相談を持ちかけました。渡邉さんはソーシャルビジネス界のゴッドマザー(笑)赤坂はその辺の会社員という立場の隔たりもなく、翌週末には一緒に石巻へ。
漁業の大打撃を受け仕事を失ったお母さんたちと、オーガニックコットンの残布を利用した「クリスマスオーナメント」をつくる、しかも「2000セット」は作ろう!と大きすぎる目標を打ち出す渡邉さんに皆おどろきましたが、志高い仲間が次々と集まり、たった半年間の準備で2011年12月には2500万円分の売上を達成し、直接雇用につなげました。(NHKニュースウォッチ9)翌年以降、アバンティの本業として採用された「東北グランマの仕事づくり」は今もなお継続し東北を支えています。
「大きなビジョンを打ち上げる」「スピード感」そして「三方良し」の精神、渡邉さんの生き方を身近で学べる機会は本当に貴重です!!
人生の師として夫婦ともどもお世話になっており、今回は夫の赤坂剛史もレイテに同行します。
活動のきっかけ |
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2013年末、フィリピンを襲ったスーパー台風。 3.11の恩返しと思い、夫と冬休みを利用し1週間のボランティアで訪問。 高潮という津波のような事象が発生し、震災と同じような悲しい風景が広がる中、笑顔で写真に写るフィリピン人のたくましさに衝撃を受けました。現地で出来た友人たちが必要としていることになんとか応えていく内に気がつけば3年が経ちました。 |
代表 赤坂友紀 プロフィール |
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赤坂 友紀(あかさか ゆき) 1978年神戸生まれ。関西学院大学法学部卒。大学1年次にはじめての海外旅行として、フィリピンマニラ近郊のゴミ山「スモーキー・マウンテン」でボランティア活動を経験。以降、仲間とフェアトレード事業を中心とした学生NGOを立ち上げ活動する。 大学卒業後、心ある日本企業で途上国の雇用に貢献したいという想いで、本田技研工業株式会社入社。10年間、中近東アフリカ営業やグローバル広報などに従事。東日本大震災直後に宮城県石巻市北上町大指地区にご縁を得て、漁船の寄贈活動など復興支援活動を行う。社会起業家 渡邉智恵子氏と出会い、女性らの仕事作りの立ち上げに参加。 2013年冬、フィリピン・レイテ島にボランティア活動に参加したことをきっかけに、活動の軸足をレイテ島に置く。 |
代表 赤坂友紀 プロフィール |
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赤坂 友紀(あかさか ゆき) 1978年神戸生まれ。関西学院大学法学部卒。大学1年次にはじめての海外旅行として、フィリピンマニラ近郊のゴミ山「スモーキー・マウンテン」でボランティア活動を経験。以降、仲間とフェアトレード事業を中心とした学生NGOを立ち上げ活動する。 大学卒業後、心ある日本企業で途上国の雇用に貢献したいという想いで、本田技研工業株式会社入社。10年間、中近東アフリカ営業やグローバル広報などに従事。東日本大震災直後に宮城県石巻市北上町大指地区にご縁を得て、漁船の寄贈活動など復興支援活動を行う。社会起業家 渡邉智恵子氏と出会い、女性らの仕事作りの立ち上げに参加。 2013年冬、フィリピン・レイテ島にボランティア活動に参加したことをきっかけに、活動の軸足をレイテ島に置く。 |
レイテ島での活動実績 | |
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緊急支援 | 支援物資の配布(累計2000名分) |
小学校の再建 | 仮設教室の建設 6校(ジャパンプラットフォーム助成) |
学童品 | 小学校への学童品の寄付(類計600名分) |
炊き出し | 小学校での給食支援 (累計250名分) |
交流ツアー | 2015年末、2016年末に実施 |
トイレ支援 | 小学校にトイレ2基、水道システムの寄付 |
交流ツアー | 2015年末、2016年末に実施 |