国芳とオランダ

国芳とオランダの関係

国芳の「東都三ッ股図」とフェルメールの「デルフトの眺望」を比較検証する。

絵画の比較

歌川国芳
東都三ッ股の図

https://blogs.yahoo.co.jp/torikera3/35681542.html
より転載。

フェルメール
デルフトの眺望

https://paradjanov.biz/japan/otsuka/662/より転載

国芳筆「東都三ッ股図」の謎を解明

国芳の「東都三ッ股図」は、オランダの

画家フェルメールが1661年に描いた

「デルフトの眺望」に、国芳が謎を掛けて

描き換えた画である。

 

先に(画)から解く。

1、「東都三ッ股図」と「デルフトの眺望」は

前面に浜、中景に水面と街並み、背景に広い

空を描き両画共ほぼ同じ構図である。

2、「デルフトの眺望」は、6艘の船が埠頭

に停泊するが「東都三ッ股図」は6艘の

船総てが埠頭から離れる。これは国芳が、

(デルフト)に(出埠頭)を掛けたもの。

描かれる6艘の船は、両画とも同じフォルム

である。

3、国芳は(デルフト)に多くの(でるふと)

を掛けている。次に例を挙げる。

(出二鳥)鴎が上空に1羽、6羽、4羽、3

羽と飛ぶ。3羽から2羽を(出二鳥)すると

1羽、6羽、6羽、1羽の並びに代わる。

これは、フェルメールが「デルフトの眺望」

を描いた1661年と一致する。

(出二塔)左上の二の尖塔を聳えさせた。

(出付戸)建物の屋根、アーチを船に付随。

(出付跳)埠頭の跳ね橋を屋形船の屋根に。

(出鵜頭)中央で男が、鵜飼をしている。

続いて(画題)から解く。

画題「東都三ッ股図」に画中の鵜(う)

と(けちっ)を入れると。

「東都三ッ股図」=「とうとみつまたか」

=「とうとみつけちたか」=

「とうとう見つけちまったか」=

「東都三ッ股図」は「デルフトの眺望」に

謎(でるふと)を掛けて描いた画。

 

解説)オランダ人の(けちっ)は、今も

世界の共通語である。(Let go Dutch)

画中にはフェルメール、デルフト市と、

オランダが登場している。

 

1828年、オランダ商館医シーボルトは

江戸に滞在中国芳にフェルメール、ブリュ

ーゲル、ルーベンス等の情報を伝えた。


国芳の「通称水滸伝豪傑 智多星呉用」は

フェルメールの「天文学者」の左部分と、

「地理学者」の右部分を一枚の画として

模写したものである。又、国芳の描いた

「佐貫院眷属をして為朝をすくふ図」は

ブリューゲルの「BigFish eat

 LittleFish」を模写した画

である。

国芳の描いた「東京 スカイツリー」は

デルフト市の建物の尖塔であった。 以上

国芳の画の謎を徹底解明した。

後半に、国芳筆「東都御厩川岸之図」と

「東都名所 新吉原」の2画を解明。

 

国芳筆「東都御厩川岸之図」を解明

この画は、1860年 大老井伊直弼が桜田門

外で襲撃された「桜田門外の変」を描く。

東都御厩川岸之図

桜田門外の変を描いた。
中央の人物は井伊直弼。


先に(画)から謎を解く。

1、井桁模様の手拭いを頭に巻き、鴨を捕る

網を持つ男が井伊掃部直弼。桶にはイイ鴨。

解説)井伊家の家紋は井桁である。井伊家は

代々掃部(いいかもん)職を世襲する。

2、1860番の番傘を差し、右脇に三本の笠

を抱える刺客が、ピストルで井伊掃部直弼

を狙撃した元水戸藩士 黒沢忠三郎である。

解説1)1860年は桜田門外の変が起きた年。

解説2)三笠山に出でし月かも。(百人一首)

三笠=出でし月=丸い球が出る=ピストル。

3、左からも3人の刺客が忍び寄る。

4、全員裸足(総て逝ってしまった)

5、雪が舞っている。

6、彼方に桜田門が霞んで見える。

 

次に(画題)から解く。

「東都御厩川岸之図」=「とうとうまや

しのず」=「とうとうが死の図」=

「とうとう井伊掃部直弼が死の図」。

解説1)(まや)は猫。(奄美、沖縄で使う)

解説2)猫は井伊家の守り神、猫と言えば

大老井伊掃部直弼。(今は、ひこにゃん)

国芳筆「東都名所 新吉原」を解明

この画は、1858年名将軍徳川家定の死去

と後の将軍は誰なのかを描いた画である。

東都名所新吉原

将軍家定の死を描いた。
中央の人物が将軍徳川家定。

先に(画)から解明。

1、大きく焼けた月が出る。

解説)大きく焼けた=公方(おおやけがた)

=将軍徳川家定。

2、中央で歌を口ずさむ男が将軍徳川家定。

解説)名将軍徳川家定は、世事に暗く愚か

で迂愚と呼ばれていた。(迂愚が)、歌(う)

3、左で、顔を覆う(世を忍ぶ)男が将軍

候補一橋慶喜(よしのぶ)、手拭いを取る

男(形を明かす)が徳川斉昭(なりあき)。

4、駕籠が足早に立ち去る。

解説)1857年、将軍徳川家定を補佐した

中老阿部正弘が死去。(加護が去る)

5、幕府の狗が窺う。背景に田(だ)。

 

次に(画題)から解明。

画題「東都名所新吉原」に画中の、

(迂愚が)、田(だ)、歌(う)を

書き入れると、次の様になる。

「東都名所迂群がようし原」=

「とうとうめいしょうぐんがしんだ

ようしは」=

「とうとう名将軍が死んだ養子は」。

となる。

名将軍徳川家定が死去、徳川家茂が養子に。

 

他の「東都シリーズ」の謎解きは、著者

の(ペライチ岩瀬道夫)を参照ください。

2018年9月6日      岐阜県不破郡垂井町   
           岩瀬道夫  

2枚の画像はhttp://artmatome.com/様より転載。