興山寺略縁起
興山寺の歴史は真言宗総本山高野山から始まっている。天正13年(1585)の豊臣秀吉の紀州攻めにより、兵火が高野山に及ぼうとしたとき、秀吉と直談判して山を守った人物が木食応其上人である。その後、応其上人は青厳寺と興山寺を創建して山内の中心伽藍とし、さらに諸堂を再建した。興山寺は青厳寺と併合され、金剛峯寺と呼ばれるようになった。由緒ある興山寺の名前が消えることを惜しんだ玄浄僧正が、稲葉氏の協力を得て大分県臼杵市に寺号、寺宝を移し、興山寺が現在地に再興された。山号は高野山のままである。臼杵の地においても、高野山から移ってきた寺という意味で、地元の人たちからは寺号よりも山号の「高野山」と呼ばれ、親しまれている