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さぁ、自分の人生を数えろ。

生まれたてホヤホヤ期

【満面の笑み】
自宅出産で生まれました。てへ
この時から幸せ者でした。
カメラを向けられると
”変顔をしないといけない”と思っていた。いいぞ。
好きな食べ物は”クリームの入ったながいパン”でした。

”角砂糖”をスナック菓子だと勘違いしていたため全部の歯が虫歯になりました。。。いいぞ。。。

当時の将来の夢は『歌って踊れる散髪屋さん』でした。

諸々成長期

『ユーモアを知った瞬間』

色んなおもちゃが大好きでした。
トイザらスは天国でした。
25歳現在もトイザらスは変わらず天国です。

本当は家電屋さんの方が天国です。
『怒られちった』

正しいと思っていないことも正しいと思いたかった時期。
意地張る時期ってあるよね。
自分が間違っていると思いながらも、口をすぼめて言い訳を言いまくってましたね。
ディベート習っときゃよかった。
『怒られてシャキッとした』

顔が乗り気ではないが、肩幅に開いた足から分かるように、テンアゲだった。

その調子!
『怒られてシャキッとした』

顔が乗り気ではないが、肩幅に開いた足から分かるように、テンアゲだった。

その調子!

ダンスどハマり期

小学4年生から始めました。音楽好きのスタートです。
(写真だけで見ると凄くチャらく見えますね。。。)
(いいぞ。。。)

ジャンルは「ロック」「ポップ」「パンキング」・・・
簡単にいうとブレイク以外はほとんどやらせていただきました。

音楽を見える化する方法を教えていただきました。

僕以外ほとんど女子だったので初めは死ぬほど怯えてました。

ブルブルでした。

今でも女性と話す時は鬼のように緊張します。
助けてほしい。

なんやかんや学生時代

この写真が物語っているように、どこにいても規則正しく過ごしていたかった時期。

でもふざけ倒したかった時期でもありました。

今も。

この頃が一番痩せていてルックス全盛期だったのかもしれない。

ちなみに法学部でした。記憶にありませんが。。。

ちなみに夜の学部だったので学費が少し安く、昼間にバイト夜に学校という生活を送っておりました。

【やってきたバイトやインターンシップ】
・いきなりステーキ(キッチン/ホール)
・衆議院議員秘書(見習い)
・テレビ番組製作会社AD


アカペラ期

ケミカルテット
けんと
これは『ケミカルテットのけんと』

4人でディズニーソングを本物のプリンセス達より歌っていました。

塔の上でも、海の中でも、船の上でも、空の中でも、バスタブの中でも、おもちゃ箱の中でも、ランプの中でも、全国大会の決勝でも歌っていました。

魔法ってすごい。

現在社会人になったメンバーみんなも、4人集まればそこは夢の国になります。
他にも・・・
  • 色んなオーディションに応募したり、学内の歌うま大会に出たりもしてました。
    個人で出れば出るほど、チームの有り難みを感じました。
  • アカペラの好きなところは、みんなで恋愛が飛び交う中、お歌の練習ができるところ。
  • 『楽器ができない』『楽譜も読めない』そんな僕にとって『アカペラ』は唯一の音楽表現手段でした。今でもほんまにやっててよかったなと思います。
  • アカペラの好きなところは、みんなで恋愛が飛び交う中、お歌の練習ができるところ。
写真達
緊張してる大学の歌うま初代チャンピオンの様子
ケミカルテットの卒業ライブ
ケミカルテットの卒業ライブ

社会人1年目

さぁさぁ。やってまいりました。

就活は最後の最後までやってました。

4年8月までやってたかな?

テレビ局から、製作会社、人材系やら、子供おもちゃメーカーなど色々受けましたが、うまくいかず。

その後方向転換をし、父を継ぐため『コンサルタント』を目指し、第一志望の会社さんに受け入れてもらえました。

入社後素敵な同僚さん達ができて、とても楽しくて夢中になってました、が。

社内で少し評価された時に家族LINEにこう送りました。(※実際の文章ではありません)

僕『MVP貰えた!』

すると家族は、

『すごいじゃん!』

ー数日後ー

兄『〇〇の賞を受賞しました。』

すると家族は、

『すごい!見たよ!!〇〇な所が〇〇で、あんなに〇〇になるなんて頑張ってたんやね!えらい!』

この時に僕はこう思ってしまいました。

(あ、僕の頑張りは家族には見えないんや。)

(僕はなんのために頑張ってたんやろ。)

(兄の仕事は頑張れば頑張るほど、TVやメディアを通して作品として世に残るし、何より家族の目に入って親孝行ができている。)

〜〜〜〜〜〜〜〜

こうして”鬱”になりました。


"うつ"期

『何を頑張っても意味がない』
『僕に価値はないのではないか』
『菅生家に次男は必要なのか』

本気でそう考えておりました。

仕事上出張で飛行機などに乗る機会が多かったのですが、『死んでしまいたいけど、自殺する勇気もないからいっそ事故になってしまえ』と思い仕事に行っていました。

今考えると恐ろしい思考回路です。

その後さらに症状は悪化していき、遂にぶっ倒れてしまいました。

記憶が曖昧になり社用スマホがあることを忘れ、自分の所属部署も忘れ、先輩のお名前も忘れ、、、

そんなこんなで休職させていただくことになりました。

ここからもまだまだ悪夢は続きます。

休職していても、『会社を休むということは、僕の仕事分を先輩や同期がやってくれている』『迷惑をかけてしまっている』と昼も夜も眠れませんでした。

今思い出しても真っ暗な生活でした。

その結果、片目の眼圧が異常に高くなってしまい真夜中でも眩しい状態になったり、喘息が出たり、もう散々でした。

その時僕に転期がやってきました。

回復期

『父の還暦パーティー』

まだ、コロナが世の中に居ない頃僕の父上が60歳になりました。

父はお祝いと感謝の気持ちを込めてパーティーの開催を準備しておりました。

僕がうつになる前父と僕でこんな約束をしていました。

父「還暦パーティーで歌ってくれよ!」

僕「もちろんさ!!!!」

その約束の日が”うつの自分”に近づいてきました。

悩みました。

ほんっっっっっとうに悩みました。

(こんな僕が出て恥さらしにならないか)
(父の顔に泥を塗らないか)
(菅生家の”次男”として振る舞えるのか)
(菅田将暉の弟がこんなにへなちょこでいいのか)
(でも、父との約束がはたしたい)
(こわい)
(でも、こんな僕に”頼んでくれている”)
(断る方がよっぽど怖い)
(でも、今は外にも出れない)

考えに考え”出ることを決意しました”。

パーティーの日の2、3日前からずっと、

僕は夜泣きで眠れませんでした。

当時同棲していた彼女様にも心配をかけてしまっていました。

『心配をかけたくないけど、耐えられる心が無い』

そんな時間を過ごしていました。

ごめんなさい。

そして当日が来ました。

なんとか昔ながらの父の友人様方と挨拶をし、
なけなしの肥料と水で昔話に花を咲かせ、
いよいよ自分達の出番がやってきました。

(怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い)

言葉にしてしまいそうなくらいでした。

ステージに登ると目の前には世にもVIPな方々。

時間は待ってくれずまずは軽いトークから始めました。

僕「みなさん本日はようこそ-------〜〜〜〜〜」

言葉になりきれていない文章を、
『震えた声』と『いつもより多すぎる瞬き』でお届けしました。

そしてついに歌い出します。

その瞬間。

僕に視線を向けている大勢のVIPな方々の瞳の中に、
綺麗に輝いている自分がたくさん映っていました。

ここが僕の回復劇のスタートラインでした。

思い返してみれば社会人になってから僕は『歌うこと』をほぼほぼしていませんでした。

その栄養が復活した瞬間、まさに水を得た魚でした。

我ながら見事に歌いきれました。

歌い終わった自分はもう完全に別人になっていました。

ステージの後、色んな方が
『健人くんの歌声を聞いたら涙と元気が出てきたよ!!!!』『さいっこうや!!』

久しく聞いていなかった”お褒めのお言葉”を多くの人からいただきました。

ここから僕の恩返しが始まりました。

YouTuberそして現在

『自分を元気付けるため』

『嘘でもいいから親に元気な自分を見せるため』

『歌を続ける理由のため』

『僕なんかの歌を待ってくれる人のため』

そんなたくさんの理由が重なりYouTubeをし始めました。

その結果思いの外、撮影編集などが得意と言うことに自信が持てるようになり、今ではお仕事になっております。

そこで自信が持てたので、他のお仕事もできるようになってきました。

本当にありがたいことにとても忙しい最近です。

会社員時代より忙しいのにもかかわらず、心と体は元気を保っています。不思議ですね。

これからも自分しかできないと言うよりかは、自分がやるからこそ意味があることを続けて行けたらなと思っております。

25歳の目標は『人を頼る』です。

いい意味でも悪い意味でも『こだわり』が強くなりすぎて(自分で全部するようになってから)
人に任せると言うことを避けてしまいます。

後何より、『人に頼む=迷惑をかける』と考えてしまうトラウマが抜けません。

今年一年はなんとかそこを壊していきたいなと思います。

ここまで全部読んでくれた方はあなたくらいです。

もし僕がすごく大きい人になった際に『アタック25』と言う合言葉を言ってくださった方には、ライブや何かしらを優先的にご招待させていただきます。

そんな方が1人でも増えるように日々頑張ります。

愛してます。

色々言いましたが過去に出演した
『オルガン坂生徒会』にて
僕の人生を深掘りしてくださったので
ぜひみてみて。