情熱の人
近藤太香巳

好きな言葉は「挑戦は青春」と言い切るひとりの日本人経営者がいます。周囲からは「情熱の人」や「純粋そのもの」と評される人物こそ「近藤太香巳(こんどう たかみ)」氏です。

経済大国である日本には成功を収めた多くの経営者がいますが、それぞれには知られざる苦節やエピソードがあるものです。今回は、絶望とも言える状況を何度も乗り越えて、いまもなお躍進を続ける経営者である近藤太香巳氏についてご紹介します。

近藤太香巳氏のプロフィール

近藤太香巳の顔画像

近藤太香巳(こんどう たかみ)

生年月日:1967年11月1日 
出身地:大阪府 血液型:A型

株式会社ネクシィーズグループ 代表取締役社長 兼 グループ代表

近藤太香巳の経歴

近藤太香巳氏の基本情報

夕日の中でランニングする人

近藤太香巳氏は株式会社ネクシィーズグループの代表取締役社長です。株式会社ネクシィーズグループは、LED照明レンタルなどのエネルギー環境事業、電子書籍などの電子メディア事業など様々な成長分野を手がける会社を傘下に持つ事業持ち株会社です。2004年、近藤氏が37歳の時に東証一部上場を達成し、最年少創業社長という記録を打ち立てたことはその当時に大きな話題を呼びました。

近藤氏は自身が手がける事業だけでなく、日本最大規模の経営者交流会である「パッションリーダーズ」の代表理事を務めていたり、積極的に数々の著書も出版し、ビジネスに関心がある若い層を始め、多くの起業家や経営者に経営スキルや起業家精神などを伝えることにも尽力しています。

近藤氏は周囲から、バイタリティが溢れている人物、いつも笑顔、むかしからの友人のような存在などと評価されています。幼い頃に父親から常に笑顔で他人と接することの大切さを学んだという近藤氏は、笑顔はビジネスのバロメーターだとし、いつも人懐こい笑顔で周りの人を楽しませてくれる魅力があります。私生活については、離婚歴があるようで妻と子供がいたようですが、現在は独身のようです。

史上最年少記録で東証一部上場を達成し市場の注目を集めた近藤氏ですが、青春時代や会社設立から上場までのエピソードがユニークだということも話題を呼びます。なかでも、青春時代から起業を思い立つまでの期間は近藤氏を語るうえでは欠かせません。

夕日の中でランニングする人

近藤太香巳氏は株式会社ネクシィーズグループの代表取締役社長です。株式会社ネクシィーズグループは、LED照明レンタルなどのエネルギー環境事業、電子書籍などの電子メディア事業など様々な成長分野を手がける会社を傘下に持つ事業持ち株会社です。2004年、近藤氏が37歳の時に東証一部上場を達成し、最年少創業社長という記録を打ち立てたことはその当時に大きな話題を呼びました。

近藤氏は自身が手がける事業だけでなく、日本最大規模の経営者交流会である「パッションリーダーズ」の代表理事を務めていたり、積極的に数々の著書も出版し、ビジネスに関心がある若い層を始め、多くの起業家や経営者に経営スキルや起業家精神などを伝えることにも尽力しています。

近藤氏は周囲から、バイタリティが溢れている人物、いつも笑顔、むかしからの友人のような存在などと評価されています。幼い頃に父親から常に笑顔で他人と接することの大切さを学んだという近藤氏は、笑顔はビジネスのバロメーターだとし、いつも人懐こい笑顔で周りの人を楽しませてくれる魅力があります。私生活については、離婚歴があるようで妻と子供がいたようですが、現在は独身のようです。

史上最年少記録で東証一部上場を達成し市場の注目を集めた近藤氏ですが、青春時代や会社設立から上場までのエピソードがユニークだということも話題を呼びます。なかでも、青春時代から起業を思い立つまでの期間は近藤氏を語るうえでは欠かせません。

高校中退、事故、220万円のローン…

黒い背景

■家族構成
1967年、近藤氏は大阪で喫茶店を営む家庭に生まれました。弟がおり、子供の頃からふたりとも父親の喫茶店を継ぐと思い込んでいたと言います。1階が喫茶店で、2階と3階が住居だった近藤氏の自宅は、日常生活でお客さんと接する機会が多く、家庭内ではどんな時でも笑顔を絶やさないことが決まり事だったと言います。

■学生時代
中学時代は本人も認めるように「やんちゃ」だったという近藤氏は、大阪府立西淀川高等学校に進学しますが2度も中退します。それぞれの理由は、先生との喧嘩、そしてバイクに夢中になったことという破天荒ぶりです。当時からバイクや自動車が好きだったという近藤氏は18歳の時に普通自動車免許を取得し、220万円のローンを組んで憧れだったマイカーを手に入れます。

しかし、納車後17時間で廃車にしてしまう事故を起こしてしまいます。事故の原因は、六甲山で公道バトルの挑発に乗ってしまい3回転スピンしたことによるものでした。幸いなことに体は無事だったのですが、この事故により高校中退で無職の近藤氏に220万円のローンだけが残ってしまったのです。

近藤氏はこの時を振り返って、220万円のローンを親に払わせながら、自身は部屋に引きこもる日が続いていたと言います。近藤氏にとって青春時代は暗く、辛い時代だったのです。

黒い背景

■家族構成
1967年、近藤氏は大阪で喫茶店を営む家庭に生まれました。弟がおり、子供の頃からふたりとも父親の喫茶店を継ぐと思い込んでいたと言います。1階が喫茶店で、2階と3階が住居だった近藤氏の自宅は、日常生活でお客さんと接する機会が多く、家庭内ではどんな時でも笑顔を絶やさないことが決まり事だったと言います。

■学生時代
中学時代は本人も認めるように「やんちゃ」だったという近藤氏は、大阪府立西淀川高等学校に進学しますが2度も中退します。それぞれの理由は、先生との喧嘩、そしてバイクに夢中になったことという破天荒ぶりです。当時からバイクや自動車が好きだったという近藤氏は18歳の時に普通自動車免許を取得し、220万円のローンを組んで憧れだったマイカーを手に入れます。

しかし、納車後17時間で廃車にしてしまう事故を起こしてしまいます。事故の原因は、六甲山で公道バトルの挑発に乗ってしまい3回転スピンしたことによるものでした。幸いなことに体は無事だったのですが、この事故により高校中退で無職の近藤氏に220万円のローンだけが残ってしまったのです。

近藤氏はこの時を振り返って、220万円のローンを親に払わせながら、自身は部屋に引きこもる日が続いていたと言います。近藤氏にとって青春時代は暗く、辛い時代だったのです。

運命の就職、結果ゼロの営業活動

ビルを見上げるビジネスマン

1986年、引きこもりを続けていた近藤氏の前に「月収40万円以上!」という求人広告がありました。その内容は、当時多くの家庭で使われていたアナログ式の黒電話をプッシュホン式の電話に変えてもらうという営業職でした。近藤氏はこれ以上は親に迷惑をかけていられないという決心で応募します。 

しかし、いざ仕事を始めてみると月収40万円はあくまでも営業成績が良好な場合というものでした。完全歩合制で各家庭をまわって契約が成立すれば報酬が増える仕組みだったため、営業に不慣れだった近藤氏は毎日朝8時から1日100軒以上回っても契約ゼロの日が続きました。 

肉体的にも精神的にも過酷だったこの仕事は同期入社50名のうち48名は逃げ出してしまうほどのブラックぶりだったと言います。しかし、半年後、近藤氏は関西地区でナンバーワンになります。近藤氏は先輩社員に営業のイロハを教えてもらえたことや、持ち前の明るさや人懐こさが活きたと当時を振り返っています。そして、この成功体験が現在にまで続く近藤氏の活動の礎になるのです。

ビルを見上げるビジネスマン

1986年、引きこもりを続けていた近藤氏の前に「月収40万円以上!」という求人広告がありました。その内容は、当時多くの家庭で使われていたアナログ式の黒電話をプッシュホン式の電話に変えてもらうという営業職でした。近藤氏はこれ以上は親に迷惑をかけていられないという決心で応募します。 

しかし、いざ仕事を始めてみると月収40万円はあくまでも営業成績が良好な場合というものでした。完全歩合制で各家庭をまわって契約が成立すれば報酬が増える仕組みだったため、営業に不慣れだった近藤氏は毎日朝8時から1日100軒以上回っても契約ゼロの日が続きました。 

肉体的にも精神的にも過酷だったこの仕事は同期入社50名のうち48名は逃げ出してしまうほどのブラックぶりだったと言います。しかし、半年後、近藤氏は関西地区でナンバーワンになります。近藤氏は先輩社員に営業のイロハを教えてもらえたことや、持ち前の明るさや人懐こさが活きたと当時を振り返っています。そして、この成功体験が現在にまで続く近藤氏の活動の礎になるのです。

19歳、50万円、起業

ジャンプするビジネスマン

1987年、近藤氏が19歳だった時、父親の勧めもあり同業種において独立し起業します。わずか50万円を元手にして興した会社の名は「日本電気通信」。プッシュホン市場を拡大するために競合が少なく、顧客が多い地域として香川県高松市を活動拠点としました。 

当時の訪問販売は都会よりも地方の方が受注されやすく、近藤氏はこの点に目をつけて生まれ育った大阪の地を飛び出したのです。結果的に近藤氏の先見の明は当たり、後の事業展開に繋がる「成長分野ビジネス」の原点を作ったのです。

ジャンプするビジネスマン

1987年、近藤氏が19歳だった時、父親の勧めもあり同業種において独立し起業します。わずか50万円を元手にして興した会社の名は「日本電気通信」。プッシュホン市場を拡大するために競合が少なく、顧客が多い地域として香川県高松市を活動拠点としました。 

当時の訪問販売は都会よりも地方の方が受注されやすく、近藤氏はこの点に目をつけて生まれ育った大阪の地を飛び出したのです。結果的に近藤氏の先見の明は当たり、後の事業展開に繋がる「成長分野ビジネス」の原点を作ったのです。

近藤太香巳氏が起業してから現在まで

恩返しの精神

高松市でプッシュホンの営業を始めた近藤氏は「月収40万円。人生を変える価値ある仕事」というフレーズで求人に着手します。面接にやってきた人たちの多くは荒くれ者と呼んでもいいような人ばかりでしたが、彼らを前に近藤氏は以前の自分を思い返していました。 

数年前までは自身も何も出来ない人間だったにもかかわらず、先輩や周囲の人のおかげで起業できるまで成長できたことを振り返り「恩返しの時」と考えたのです。自身の営業ノウハウを社員たちに還元し、荒くれ者でも成功体験を掴んでほしいという願いを込めて全ての営業ノウハウの共有を実施します。この経験は、後に「経営者交流会・パッションリーダーズ」の立ち上げにも繋がるのでした。

仮面

テルミーシステムの成功、裏切り

1988年、起業から1年で近藤氏の会社は四国売上1位を達成します。さらに売上を伸ばすために、NTTの固定電話加入権を割賦販売する商法「テルミーシステム」を考案。普及し始めの携帯電話にもこのシステムを応用して「テルミープラザ」を創業します。 

携帯電話を保有するために電話加入権が必要だった当時において、初期費用がかからずに携帯電話が保有できることは若者層を中心に大ヒットし、近藤氏は「テルミーシステム」と「テルミープラザ」で大成功を収めたのでした。 

四国、九州エリアで成功を収めた近藤氏は、知人の誘いを受けて東京へ進出します。しかし、この知人は近藤氏のビジネスノウハウを奪い、正式な代理店契約を結んでいないことを理由に近藤氏を事業から追放してしまいます。裏切られた近藤氏は「決して始まりは忘れない」という自身が書いた原稿を読み返し、再起を決意したのでした。
失敗と成功の分岐点

上場目前でのITバブル崩壊、運命の15分

近藤氏はレストランなどに置かれていた「懸賞キャンペーン」に目をつけます。当時、衛星放送などの普及を目的とした懸賞応募用ハガキに副賞として自社提供の無料携帯電話などを付け加えて顧客データを収集します。これにより、近藤氏の会社は携帯電話や衛星放送に関心が高い顧客データを手に入れ、効率的な営業で販売実績を伸ばします。 

この実績がソフトバンクの孫正義氏の目に止まり、ADSL回線の普及に努めていたソフトバンク社と代理店契約を結びます。近藤氏の会社は全国規模にまで成長し、会社設立からわずか10年のスピードで東証マザーズへの上場が決定します。 

上場に合わせるようにして社名を「ネクステル」に変更し、いよいよ上場2週間前を迎えます。しかし、2000年4月にITバブル崩壊が起こり近藤氏の会社の上場は中止、取引があった全金融機関からの融資も中止されてしまいます。上場による資金調達を見越して大型投資も進めていたため、会社の資金は2ヶ月で底をつく状態でした。 

近藤氏は「人生最大のピンチだった」とこの当時を振り返りますが、これまでに培ってきた人脈によって乗り切ります。ソフトバンク・インベストメント(現在のSBIホールディングス)の北尾氏が15分間だけ会ってくれることになったのです。面会の際に近藤氏は北尾氏から「君の目はまだ生きている、協力します。」と言われ、30億円の融資を取り付けます。 

「涙が出るほど嬉しかった」と言う近藤氏はこの一件で息を吹き返し、2年後の2002年には当時のナスダック・ジャパン、近藤氏が37歳になった2004年には東証一部に上場したのでした。

恩返しの精神

高松市でプッシュホンの営業を始めた近藤氏は「月収40万円。人生を変える価値ある仕事」というフレーズで求人に着手します。面接にやってきた人たちの多くは荒くれ者と呼んでもいいような人ばかりでしたが、彼らを前に近藤氏は以前の自分を思い返していました。 

数年前までは自身も何も出来ない人間だったにもかかわらず、先輩や周囲の人のおかげで起業できるまで成長できたことを振り返り「恩返しの時」と考えたのです。自身の営業ノウハウを社員たちに還元し、荒くれ者でも成功体験を掴んでほしいという願いを込めて全ての営業ノウハウの共有を実施します。この経験は、後に「経営者交流会・パッションリーダーズ」の立ち上げにも繋がるのでした。

近藤太香巳氏が社長をつとめるネクシィーズについて

近藤氏は株式会社ネクシィーズグループの代表取締役を務めています。グループ企業では主に電子メディア事業やエネルギー環境関連事業などを成長分野の事業を手がけています。

近藤氏の積極的な事業展開は多岐に渡り、2017年には総合プロデューサーとして秋元康氏を迎えたスマホ用ゲームアプリ「神の手」をグループ企業の株式会社ブランジスタゲームからリリース。
スマホ用ゲームアプリ「神の手」ではAKB48グループ・乃木坂46・欅坂46などのオリジナル景品もあり、ファンを巻き込んだ新しいゲーム市場の開拓を進めています。また、これにより企業とユーザーを結びつける新しい「ゲームメディア」を築き、将来の成長分野として注目を集めています。

この他にもECサイトの支援サービスやWEBコンサルティング、16万件以上に及ぶ医療機関情報や予約、AIによる症状診断などをスマホで完結できる「アイメッド」はこれからの医療分野を変えると期待されています。

このように近藤氏が代表を務める株式会社ネクシィーズグループは、様々な成長分野で画期的なアイディアと業界を超えた結びつきによって成長し続けているのです。

近藤太香巳氏が代表をつとめる経営者交流会『パッションリーダーズ』

近藤氏は自身が手がける事業だけでなく、自身が培ってきた営業や経営のノウハウを多くの人と共有することにも力を入れています。そのひとつが日本最大規模の経営者交流会「パッションリーダーズ」です。 

パッションリーダーズでは、活動を通じて起業家の情熱に火をつけることをコンセプトにしています。また、起業家にしか得られない経験や体験を共有し、起業家が成長できるステージを提供するための交流会としても知られています。いまでは全国で4,000名以上の起業家が参加し、一流の経営者や著名人による講演会や定例セミナーだけでなく、アクティビティなども通じて人脈が広がる場として拡大を続けています。 

会員数、活動数、成長率において日本一であり続ける経営者交流会「パッションリーダーズ」は起業家や経営者にとって貴重な交流の場であり、経営哲学や経営戦略を学ぶ場でもあるのです。

近藤太香巳氏の講演会を生で聞きたい方は、入ってみるのもいいかもしれません。

近藤太香巳氏の著書

近藤太香巳著書パッションナビゲーター
パッション・ナビゲーター(パジェット)
近藤太香巳の著書『夢見ることからはじめよう』の表紙
夢みることから始めよう(ダイヤモンド社)
近藤太香巳の著書『夢は大空へ』の表紙

リーダーは背中で語れ(アーク出版)

50万円から東証一部上場企業を作った男のサクセスストーリーの表紙
世界で一番、価値ある月給封筒(夢みることから始めよう韓国語版)
日本で一番の情熱会社をつくる(ダイヤモンド社)
近藤太香巳の著書『リーダーは背中で語れ』の表紙

Dreams―夢は大空へ、努力は足元へ 近藤太香巳物語』ジャイブ社

近藤太香巳の著書『夢は大空へ』の表紙

リーダーは背中で語れ(アーク出版)

近藤太香巳氏の評判

近藤太香巳氏に対する評判はどんなものがあるの?

持ち前の明るい性格や常に笑顔の近藤氏は「人と人を繋げる磁石のような存在」と言えるでしょう。事実、近藤氏が手がける事業は他業種を巻き込んだ展開で成長を続けています。 

「近藤さんと仕事をしてみたい!」と思わせる魅力はもちろん、経営者歴30年の経験のなかで味わった苦労や成功などの実績が説得力の裏付けになっています。近藤氏の情熱に溢れる姿の裏には、多くの苦労体験があったことは事実です。周囲の人はそれらを包み隠さずオープンマインドの姿勢を貫く近藤氏の「人間味」に魅了されるのかもしれません。 

このようなことから近藤氏は「情熱の人」や「純粋そのもの」と評されているのです。

スキャンダルも!水沢アリーとの関係は?

数々の女性関係は噂であるようだが・・・

近藤太香巳氏の現在の彼女と言われているのはタレントの水沢アリーです。

水沢アリーは1990年生まれの27歳。スターレイプロダクションに所属し、数々のバラエティ番組に出演しています。

2014年~2015年にかけて水沢アリーとの交際が報じられていました。

槙野氏と破局後の2015年秋頃から、近藤氏と23歳という年の差を超えて交際が始まったといわれています。

その後の関係については情報がありません・・・。

人柄がわかるかも?

近藤太香巳氏のSNSはこちら

近藤氏は経営者や起業家である前に、人としての魅力に溢れています。その魅力こそが近藤氏の「情熱」でしょう。
近藤氏が代表を務める「Nexyz」はアルファベットのXYZのさらに先を目指すことに所以しています。また、経営者交流会「パッションリーダーズ」には「パッション・情熱」の想いが込められています。近藤氏は、道の先へ突き進む開拓者精神を伝えてくれる存在なのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

参考サイト
近藤太香巳氏を知る!あの噂の真相は?資産/女性関係/経歴などを調査
文春砲を浴びたネクシィーズの近藤太香巳社長、週刊文春を相手に引くに ...