従業員が健康であれば欠勤率が改善し、健康である事で労働意欲も維持され、「社内生産・営業効率アップ」が見込まれます。さらに、従業員が病気・怪我にならないことで、「会社が負担する医療費の低減」に繋がります。
多くの健康な従業員がいることで、「企業ブランドが向上」します。さらに、従業員が健康でいることは、事故や不祥事を予防する「リスクマネジメント」にもつながります。
「企業ブランド」が向上する事により、求人活動も有利に展開する事が出来ます。
私は大学生の頃、自転車競技部に所属していました。大学4年間はその競技部の合宿所で暮らしておりました。その大学は体育学部を有していることもあり、かなり本格的でした。
3年生の12月のある木曜日、午後からの授業へ出席するため、先輩と二人で一緒に練習を兼ね、自転車に乗って大学へ向かいました。
途中にある小高い丘のふもとへ差し掛かった時、僕は後ろを走っていました。僕の前輪が先輩の後輪右側へ接触、僕はバランスを崩して、道路側へ転倒、すぐ後ろを走っていたワゴン車に私は轢かれてしまったのです。25年経った今でもその轢かれた瞬間の感覚ははっきりと覚えています。ワゴン車は私のお腹の上を走っていったのです。
事故後、すぐ一番近くの病院に運ばれ、緊急入院、全身麻酔をかけての開腹手術となりました。当時、私は既に二十歳でしたので、自分で全身麻酔を承諾しての手術でした。術後、聞いたところでは、肝臓の一部が切れ、腸の一部が破裂していたそうです。
数日間の集中治療室を経て、個室へ移りました。腹筋を切っているため、最初は上体を起こす事すら、ままなりませんでした。上体を起こすだけでも腹筋を使っていることが初めてわかりました。
何とか上体を起こして座れるようになったある日、看護婦さんから、ベットから立って、歩いてみて下さい、と言われ、立ち上がりました。しかし、背筋を伸ばして直立できません。前傾姿勢でないと、痛いのです。まして、一歩踏み出そうとしてもお腹が痛くて踏み出せないのです。この時、初めて当たり前に直立で歩く事が如何にすごいことか、わかったのです。
当たり前のことが当たり前にできるありがたさや、そのすごさはそうでない状態になってみた時にわかると思います。健康のありがたさは健康でない状態になった時に、強く感じるものです。しかし、できることなら実際に体験して欲しくはないのです。健康でない状態を体験するという事は、場合によっては、自らの命を危険にさらすことにもなりかねません。私は奇跡的に車に轢かれながらも、今元気に過ごしています。週末は大好きな自転車に乗って、練習やレースであちこち出掛けては走ることができています。当たり前の事が当たり前にできるありがたさ、すばらしさを日々感じています。
今健康なら、健康なままで過ごして欲しい、だから健康にこだわるのです。
【社会保険労務士・健康管理士一般指導員】種井 亮
①栄養面と運動面の指導経験を持つ、有資格者がサポートできる
②前職での減量指導経験 約120件
③病院や老人保健施設での勤務実績から生活習慣病を踏まえた食事指導ができる。
④既往歴、運動経験、現在の生活習慣を踏まえた、運動指導ができる。
⑤行動心理学に基づく人事評価で、社内の人間関係改善ができる。
⑥その結果として、社員の定着率向上を図ることができる。
⑦栄養面、運動面、就業環境をまとめてワンストップで対応できる。
⑧基本的にトレーニング機器を使わない運動を行うので、自宅でも運動習慣が続けられる。
⑨基本的に高価なトレーニング機器を使わないため、その分コストがかからない。
各事業者様の現状や、これからどうしていきたいか? なぜ健康経営を始めようと思ったか?などをお聞きします。 ここで事業主様のお悩みなどお気軽にお聞かせください。 プロのスタッフとともに、ヒアリングからスタートさせていただきます。
事業者様の目指す形、お悩みなどお伺いし、その内容についてのすり合わせを行います。 当事務所からの提案とそれを実行する事で得られる、相乗効果などお話しいたします。 納得の行くまで、すり合わせいたします。
目標に向かって、取り組みをスタートいたします。 健康経営企業となるようにしっかりとサポートさせていただきます。
各事業者様の現状や、これからどうしていきたいか? なぜ健康経営を始めようと思ったか?などをお聞きします。 ここで事業主様のお悩みなどお気軽にお聞かせください。 プロのスタッフとともに、ヒアリングからスタートさせていただきます。
私が健康経営に携わるきっかけを作ってくれたのは、他ならぬ父でした。私にとって、父は幼少の頃、カッコいい憧れの親父でした。当時私は祖父母が営むアパートに住んでいました。物心ついた頃には、親父がその一室を事務所として社会保険労務士と行政書士の事務所を営んでおりました。やがて事務所が軌道に乗り、事務所を移転、その度にスタッフを雇うようになり、次第に人数は増えていきました。
私が中学生か高校生の頃だったでしょうか、仕事から帰ってきた親父の後頭部を見て、驚きました。円形脱毛症で5~6か所、髪の毛が抜け落ちていたのです。スタッフとの関係で色々と悩んでいたのは知っていましたが、これほどとは知らず、子供心に衝撃を受けました。
今でも鮮明に覚えています。それが原因かどうかはわかりませんが、親父はよく酒を飲んでいました。酒にまつわるエピソードは事欠きませんでした。それがたたったのか、私が20歳の頃、糖尿病を宣告されました。当時私は大学生で、名古屋で自転車競技部の合宿所に下宿していました。盆暮れに帰省すると、そこには食事療法に取り組む親父がいました。
しかし、その姿は何とも寂しげで、見ているこちらも寂しい気持ちになりました。
やがて大学を卒業し、仕事を何度か変わり、24歳で親父の事務所で働くようになります。恥ずかしながら、初めて親父の仕事を知ることになります。とは言っても、生活費をもらえればそれで良し、という程度の気持ちでしたので、あまりにやる気のない仕事ぶりに、親父からは本気で怒られました。
しかし、一緒に仕事をするようになって見たのは、度々病院へ通い、インスリン注射を打ちながら、仕事をする親父でした。
大学生の頃にも、親父からは仕事を継いでみないか?と言われたことがありました。その時は鼻で笑っていました。親の仕事を継ぐなどというのは、ダサいことだと思っていたのです。
その姿を見て、これは僕が継がないといけない、と思ったのが、社労士と行政書士になるきっかけでした。何とか試験に合格することができ、後を継ぐ、という目標は達成されました。しかし、その一方で、僕は一つの夢を断念することになります。
それは親父と楽しく酒を酌み交わす、という夢です。昭和の映画やテレビドラマのワンシーンによく見られますが、僕はそのシーンにすごく憧れていました。
しかし、親父は酒の飲み過ぎで糖尿病を宣告されています。お酒を進めるわけにはいきません。四半世紀の間、僕はそのことをずっと残念に思ってきました。モヤモヤした思いをずっと抱えてきました。
ある年の正月に家族で集まったとき、親父に「一緒に親父と酒を飲めないことをずっと残念に思ってきた。親父はどう思う?」と聞いたことがあります。その時、親父はたった一言、「俺もそれが夢だった…。」と言ったのです。
精神的であれ、肉体的であれ、健康を害する、という事は単に本人の問題だけではありません。周りにいる大切な家族、友人知人、パートナー、経営者であれば、従業員とその家族、取引先や顧客を巻き込むことになります。
本来、当たり前に訪れるはずの楽しい時間や思い出を根こそぎ、奪い取るのです。そして、その時間は2度と戻ってきません。
私は僕と同じ体験をする人を増やしたくないのです。だからこそ、健康にこだわるのです。
人は誰しもいつか死にます。例外はありません。しかし、その寿命を自らの手で縮める必要はないはずです。より長く生きて、死ぬ直前まで人生を楽しんでもらいたい、そのような思いから、健康にこだわるのです。
【社会保険労務士・健康管理士一般指導員】種井 亮