解題目録から新研究へ

『観世文庫所蔵能楽資料解題目録』(監修 観世清和、編集代表 松岡心平、編集 横山太郎・高橋悠介)は、世阿弥自筆本をはじめ、600年以上にわたって観世家が蓄積してきた約4500点にのぼる資料を、謡本/伝書・注釈等/付/史料/狂言/その他に分類・配列しその全貌を示した目録である。18年間のべ35名による観世文庫調査プロジェクトの成果を結集させて、このたびようやく完成を迎えた。

本書は単なる文献リストではない。詳しい解題を備えた「読む目録」である。最新の研究的知見を盛り込んで、文献の概要や他資料との関連を明らかにし、場合により本文を翻刻し人物や出来事を考証した。768頁というボリュームの所以である。

観世文庫の資料は、観世流史を超えた豊饒な研究資源であり、本書はその案内役となるはずだ。謡本の使用実態、能役者の学問、幕府との関係、能楽社会の実像、技芸伝授の様相といった新たな能楽研究の可能性を開くだけでなく、経済活動や生活文化の資料は、江戸から明治にかけての社会・文化史研究にも裨益(ひえき)するだろう。

また、全国にある武家や弟子家の能楽資料は、本書との対照によりその位置づけを明らかにできる可能性が高く、図書館・博物館や史料館におけるレファレンスとしての活用が期待される。

ネット上の「観世アーカイブ」との連携も本書の特徴だ。これは観世文庫の文献資料写真と暫定的な書誌・解題情報のデータベースで、本書に至る調査の過程で公開された。
本書とは整理番号で対応しており、本書の解題を参照しながら資料写真を検討することもできる。

今後の能楽研究や文化史研究に最重要の一冊であるのは間違いなく、多くの方に手に取っていただければ幸いである。

松岡心平 (東京大学名誉教授)

【監修】

観世清和 (かんぜ きよかず)

1959年生。26世観世宗家。重要無形文化財総合指定保持者。25世観世左近元正の長男。1990年に家元を継承。1995年度芸術選奨文部大臣新人賞、2012年度芸術選奨文部科学大臣賞、2013年伝統文化ポーラ賞大賞を受賞。2015年紫綬褒章受章、2019年JXTG音楽賞受賞。1999年フランス芸術文化勲章シュバリエ受章。

【編集代表】
松岡心平 (まつおか しんぺい)

1954年生。東京大学名誉教授。観世文庫理事。専門は日本中世文学、日本中世芸能。著書に『宴の身体─バサラから世阿弥へ』『能─中世からの響き』『中世芸能を読む』『中世を創った人びと』『能 大和の世界』、編著書に『看聞日記と中世文化』『世阿弥を語れば』『能を読む』など。

【編集】
横山太郎 (よこやま たろう)

1972年生まれ。立教大学現代心理学部教授。観世文庫評議員。専攻は演劇学(能楽)、身体文化研究。主な論文に「能の舞を記譜すること 観世元章の型付『秘事之舞』をめぐって」(松岡心平編『観世元章の世界』檜書店)、「身体の近代 三世井上八千代と観世元滋」(『表象』4号)など。

高橋悠介 (たかはし ゆうすけ)

1978年生まれ。慶應義塾大学附属研究所斯道文庫准教授。観世文庫評議員。専門は能楽を中心とした中世文学、及び寺院資料研究。主な著書・論文に『禅竹能楽論の世界』(慶應義塾大学出版会)、「能の亡霊と魂魄」(『能と狂言』14、2016年)など。

──本目録を刊行する檜書店の雑誌『観世』には、観世文庫調査の過程で発見された資料を紹介する「観世文庫の文書」が11年間132回にわたって連載されました。この連載が完結し、いよいよ『観世文庫所蔵能楽資料解題目録』(以下『目録』)編集の最終段階を迎えようとしていた2020年3月、編者である松岡先生、横山先生、高橋先生に、資料調査の様子と『目録』の意義について鼎談していただき、『観世』2020年4月号に掲載しました。以下にそれを再掲します。

『観世文庫所蔵能楽資料解題目録』出版に向けて ~これまでの調査をふり返って~

松岡 心平(東京大学教授)

横山 太郎(立教大学教授)

高橋 悠介(慶應義塾大学准教授)

調査の経緯

松岡 最初に清和宗家から観世文庫の調査のご依頼を受けたのは2002年で、本格的には翌年から観世文庫の資料調査が始まりました。その頃は月に3回程度通って、資料を分類するなどの基礎調査でした。

高橋 当時の資料は、資料名も整理番号もついていない状態でした。国文学研究資料館(国文研)の小川剛生氏(現、慶應義塾大学教授)にご協力を仰ぎ、国文研とタイアップして、国文研の様式の書誌カードに書誌データを記録していきました。

横山 まずは、資料が傷まないよう中性紙の函を発注するところから始まりました。木箱に入っていたり、風呂敷に包まれていた資料をできるだけ元の保存状態を保ちながら整理番号をつけ新しい函に入れていきました。

松岡 その後、2006年から2009年まで、科学研究費の補助金助成を受け、全資料を撮影してデジタル画像化し、データベースとして構築して「観世アーカイブ」の公開にいたりました。

横山 当時はまだフィルムが優勢でしたから、デジタル画像化は大変お金がかかり、補助金を撮影のために費やさなければなりませんでした。

松岡 インターネット上での観世文庫蔵書の公開は、あらためて宗家の英断であったと思います。「観世アーカイブ」公開と同時に、「観世アーカイブ展」を東京大学駒場博物館で開催し、そのプレイベントとして東大駒場薪能を行なって、宗家に『紅葉狩』を舞っていただきました。その年は偶然、東京大学教養学部の60周年でもあって、その記念事業の一環としてさせていただきました。「観世アーカイブ展」では、世阿弥自筆本を展示しましたが、文庫所蔵の世阿弥自筆本のすべてを一度に展示したのはこれ以降ありませんね。
また、「観世アーカイブ」の成果に対してアート・ドキュメンテーション学会から「第五回野上紘子記念アート・ドキュメンテーション推進賞」を受賞しました。
そして、2010年から、第二期の科学研究費の補助金を受け、「観世アーカイブ」の更新・整備と、それを活かした研究が始まりました。その成果が『観世元章の世界』(H26年、檜書店刊)につながっていきます。

(本書目次)
観世文庫資料の特徴

高橋 調査の過程で15世元章の関連資料がとても多いことがわかったのですが、それは江戸時代の能楽史を書き替える大きな資料群ですし、元章は当時のアーカイブを整理し、大きな役割を果たした大夫といえると思います。

横山 元章の父、14世清親が世阿弥の資料を見直したことが大きいですね。清親が世阿弥伝書などを書写し、元章が編纂した『世意深集(せいしんしゅう)』は、現物を見ると圧倒的な存在感です。

松岡 清親がアーカイブ整理の土台を作り、元章がさらに大々的に深めた、といえると思います。また、古い時代になりますが、7世の宗節時代の資料も多いですが、ここは今後の課題です。宗節と元章の時代に大きな山があるのが観世文庫の資料の特色だといえますね。

横山 もっと後世になると、実務的な資料が多くなります。江戸の式楽を示す史料といえば一言で片付いてしまいますが、幕府とどんなやりとりをしたのか、弟子にはどんな指示をしたのかなど、江戸幕府の中で、観世宗家が具体的にどういうことをして、どんなことに苦労していたのかが記録されています。あとは、芸の伝授関係の資料が多いですね。弟子が習事(ならいごと)をするときの起請文などです。膨大な付(つけ)とあわせて、どのように能のわざが伝承されてきたのかを解明する手がかりとなるものです。

高橋 観世大夫家ならではの貴重な資料ですね。

(本書組見本)
「観世文庫の文書」連載を終えて

横山 「観世文庫の文書」の連載は、常に頭のどこかにありました。調査をしながら「今度はこの資料を取り上げたらどうか」などと、調査のメンバーのみんなで話していましたね。

高橋 「観世文庫の文書」で紹介された資料は、もちろんすべて『目録』に入ります。紹介文全体は『目録』には入らないかもしれませんが、そのエッセンスは『目録』に盛り込まれています。

松岡 私が「観世文庫の文書」でその一部を紹介した(H21年11月号)、『風移鑑形(ふういかんぎょう)』の発見は大きかったですね。いわゆる古筆手鑑(こひつてかがみ。著名人などの筆跡による古写本の紙片を貼りつけて鑑賞するもの)ですが、宗節筆の『却来華(きゃくらいか)』が含まれていました。これまで知られていなかった資料でしたから大変驚きました。宗家のおばあさまが大事に保管されていたため、観世文庫資料とは別にされていたようです(宗家のエピソードはH22年2月号参照)。

高橋 『風移鑑形』と同じような折帖に、『装束古裂帳(しょうぞくこぎれちょう)』もありますが、元章時代、有職故実研究に熱心だった田安宗武(たやすむねたけ)から拝領した可能性もあります。この資料などは装束研究の賜物といえますね。

(本書組見本)
『目録』の発行にむけて

高橋 資料一つ一つの書誌や解題の集まりが『目録』の原稿になるわけですが、その配列や、類似資料を説明し、全体の資料の中で個別資料を位置付けるのが、想像以上に大変でした。でも、そこで新しく見えてきたものがとても大きいと感じます。

横山 たしかに『目録』を作ろうとしてはじめてわかったことがたくさんありました。資料を順番に並べようとすることは、各資料の時代検証や誰の資料かという厳密な検討が必要です。これまでも「観世アーカイブ」公開にあたって、資料の検討はしてきましたが、この『目録』の原稿作りを始めてから、解題の情報の質は倍以上になっていると言っても過言ではありません。

高橋 一点一点だけではわからないが、相互に検討してはじめてわかることがありましたね。

横山 「観世アーカイブ」がウェブ上で公開されているのだから、『目録』は必要ないのではないか、という意見も聞きます。私も調べものは電子辞書やデータベースで済ませます。しかし、紙媒体の本には全く違う意味があります。まず、本にするには並べなければいけない。そのこと自体が資料研究を進展させました。

松岡 横山さんは歴史資料を中心に、高橋さんは謡本を中心に『目録』原稿の最終段階の編集をしてもらっていますが、そこが両方とも難関な部門で、これまでの色々な苦労が本の成果として表れると思います。

横山 この2年くらいは分担執筆者の皆で集まり、話し合いながらやっています。それによって、お互いの知識を補い合ったり、新しい情報に修正したり、皆で議論できたことがよかったと思います。資料の読み方など、お互いに教え合うことで、若い人達を含めた研究コミュニティとして、パワーアップしています。

松岡 若い研究者たちが、本当に一所懸命にやっているのがわかります。その結晶を『目録』として出せる、ということになりますし、この『目録』が出ると研究のステージが変わる、ということになると思います。

横山 『目録』では、一つの資料のたった数行の解題の中に、この時代にこういうことがあった、この人物はこういうことを考えていたという新知見が詰め込まれています。

高橋 『目録』が出来上がっても、課題がまだまだたくさんあるのは事実です。全体が見渡せるようになることで、次につなげていけますし、『目録』とウェブの「観世アーカイブ」で、相互補完的な意味を果たすと思います。

横山 完全な本を作ろうとすると永遠に作業が終わりません。どこかで区切りをつけて形にする必要があります。「この『目録』が出発点だ!」を合い言葉に、現在最終調整を行っています。

松岡 『目録』が出ることによって、次の世代に新しい研究を始めてもらいたいと思います。若い研究者たちにこのような機会を与えていただいた観世宗家に感謝を申し上げます。

──本日はありがとうございました。『目録』の完成に向け、編集部として精一杯お手伝いさせていただきます。

『観世文庫所蔵能楽資料解題目録』

最新の研究の知見を盛り込んだ解題目録。

世阿弥自筆本をはじめ、六百年以上にわたって観世宗家が蓄積してきた約四五〇〇点の資料の全貌を示す。ネット上の「観世アーカイブ」との連携で、本書を参照しながら資料写真を検討するという、まったく新しい目録の活用法が実現。
(檜書店刊、A5判 768頁 上製本 定価14,300円〔税込〕ISBN978-4-8279-1106-0)