アイテックインターナショナル株式会社 山口孝榮
年少期~今までに至るまで。

マトリックスエキスやエクソソームなど、革命的な商品を開発し製造、売上高は100億円をあっさり超えたとも言われているアイテックインターナショナル株式会社。元々は複数の起業を束ねて作られた会社であり、その会社を先導してきたのが山口孝榮さんです。
山口孝榮さんは1954年に生まれていますが、この年は自衛隊の発足など今の日本の成り立ちにつながる重要な年とも言われています。2020年で66歳を迎えるも、いまだ現役の山口孝榮さん、福井県美山町、現在の福井市の出身です。

幼い時から夢見てたこと

山口孝榮さんの実家は農家だったそうですが、山口孝榮さんが生まれた1954年当時は、まだ高度経済成長が始まる前の時代。ここから景気が上向きだす時とあって、福井県の田舎町までその恩恵が回ってきたとは言いがたい時です。
そんなこともあり、あまり裕福ではなく、山口孝榮さんはお金持ちになること、巨万の富を得ることを夢見てたそうです。起業を目指すようになるのは自然の流れであり、少しでも幸せな生活を手に入れたいと思うのは当然と言えるでしょう。

経営を学ぶなら教授より実地

お金持ちになるなら経営を学ぶしかない、その思いで大学に入った山口孝榮さん。しかし、実際に大学に入ったものの、経営を教える先生こそが経営者をやればいいではないかと疑問を持ってしまいます。
これと並行し、山口孝榮さんは友人と一緒に訪問販売の仕事を行うようになります。この時、山口孝榮さんが売っていたのは車に関する商品でしたが、これが飛ぶように売れ、3か月でナンバー1の販売実績を誇り、半年で2000万円を稼ぎ出す事態に。机の上で経営を学ぶより実地で稼いだ方がよほど勉強になる、そう思ったのか、山口孝榮さんはその後、起業を行います。

まさかが起きるも立ち直る

友人と一緒に行った訪問販売が大成功して、自信をつけた山口孝榮さん、21歳の時にアパレル製造会社を起業します。その前にアクセサリーの製造販売を行うなど、色々と模索した中、アパレルに活路を見出した山口孝榮さん。このアパレルの道は成功し、事業拡大を行う中で年商10億円にまで成長させます。
現代でも年商10億円にさせるのはなかなか大変な中、それを山口孝榮さんはやってのけます。ところが、1981年、まさかの事態が襲い掛かります。取引先だった会社が倒産し、そのあおりを受けて連鎖倒産の憂き目に遭ったからです。これにより無一文、ゼロに逆戻りの山口孝榮さんでしたが、こんなことではへこたれません。

3人からスタートして100億円へ

訪問販売での成功やアパレルでの成果など、ちゃんと成功体験を積み重ねている山口孝榮さん、倒産もいわば相手方のあおりを受けただけで、自分が悪いわけではない、そんな強気な姿勢もあってか、すぐに事業を立ち上げます。
従業員は3人、最初はコンビニエンスストアの経営から始め、その後、アパレルの道に再び乗り出します。多角的な経営を行い、最終的には売上100億円へ。年商10億円を考えれば10倍にあたる数字です。一度ゼロになりながらも大きくジャンプアップした背景には、着実に成果を出し、たとえ失敗してもネガティブにならなかった姿勢もあったはずです。

1億円以上を納税!

現在は廃止されている、高額納税者の紹介。立派な経営者は必ずここに名を連ねていましたが、山口孝榮さんは1997年から99年までの3年間、高額納税者として紹介を受けました。
特に1999年は1億円以上を納税しており、幼き時からの夢だったお金持ちになるという夢が見事に叶った形です。決して道は平たんではなかったものの、成し遂げたことはあまりにも大きかったと言えるでしょう。

著書

著書を2冊出し、起業を目指す人からすれば勉強になる事が非常に多い山口孝榮さん。なぜ頑張れたのか、そこには失敗を受け止め過ぎず、パワーに変えてきた歴史があるからかもしれません。私たちが学ぶことは多く、なかなか表舞台に出る事が少ない山口孝榮さんの言葉をもう少し聞いてみたいものです。