働く人に
"ありがとう”
と"笑顔”を

井ノ口 英明
始動!!

こんにちは、ココロ・ヅクリ工房(株)
代表 井ノ口 英明です。

組織開発コンサルタントとして
対話改善ファシリテーターを
やっています。
ここは私の活動をまとめた
ポートフォリオページです。

2020年1月20日に
大手素材メーカー
AGCの
エンジニア

組織開発ファシリテーター
を卒業しました。

興味を持って頂き、
この人と仕事をしたいと
思ってもらえた人、会社と
活動していきたいと
思います。

なので、

少しでも気に入って頂いたり、
ご興味を持って頂いたり、
私のことが気になった
法人・団体の方が
居られましたら、
是非、ご連絡ください。

コンサルタント、
ワークショップ、
アドバイザリー等、
何でも対応しますので、
組織の課題、個人の悩みなど
まずは、話をお聞かせください。

どんな人なの?
Profile

井ノ口 英明(もん吉ィ)

組織開発コンサルタント
 魂の対話改善ファシリテーター
元大手素材メーカー勤務のエンジニア、
を経て、ファシリテーターとして起業。

これまでは、
モノづくりの世界で、
設備導入や保全、ISO対応、
IE&データサイエンスを使い、
工場の支援活動の傍ら、

ワークショップファシリテーターとして、
社内外で活動していました。


モノづくりの会社に
”ココロをツクる”
ことを広め、

日本を元気にしたいと思い、活動中。

ファシリテーター・講師資格:
 レゴ®シリアスプレイ®メソッドと
 教材活用トレーニング修了認定ファシリテーター

 アンガーマネージメント®ファシリテーター
 2030SDGsカードゲームファシリテーター
 だじゃれ活用ファシリテーター
 (日本だじゃれ活用協会認定だじゃれッテラー)

 マンダラエンディングノートファシリテーター
 終活ライフケアプランナー
 メンタル心理カウンセラー

エンジニアとしての資格
 RSTトレーナー(職長教育講師資格)
 高圧ガス製造保安取扱責任者(乙種機械)
 危険物取扱責任者(乙4)
 玉掛け
 床上クレーン操作
 足場主任技術者
 第1週圧力容器取扱責任者
 他

ざっくり出生~これまで

1974.4.13 兵庫県神戸市垂水区で、井ノ口家の次男として生まれる
1979.3 明石市二見町に引っ越す
1981~ 明石市立二見北小学校で勉学。
1987~ 私立 淳心学院中・高等学校で6年一貫教育を受ける
1993~ 山口大学工学部応用化学工学科に入学。
1997~ 山口大学大学院理工学研究科応用化学工学専攻に進学。
1999.4~ (株)石川島岩国製作所 入社(山口県岩国市)
   機械技術屋として歩み始める
2001.11~ (株)アルバックへ移籍(神奈川県茅ケ崎市)
   真空装置技術屋となる
2005.1~ 旭硝子(株)へ移籍(神奈川県横浜市)
エンジニアリングセンター配属
2006.12~ AGCエレクトロニクス(株)へ出向
2009.9~  旭硝子(株)京浜工場設備技術センターへ
2012.9~ 旭硝子(株)生産技術センター 企画推進Gr
2016.9~ 旭硝子(株)生産性革新推進部
2018.7 旭硝子はAGCへ社名変更。
2020.1 AGC株式会社 退職
2020.2 起業:ココロ・ヅクリ工房株式会社設立
1981~ 明石市立二見北小学校で勉学。

2020年2月 起業
ココロ・ヅクリ工房
株式会社
代表取締役就任へ

マインドセットのお手伝い

今、注目は、

・安心安全な職場づくり
  相互理解の促進
  LSP活用ワークショップで
  チームビルディング、
  能動から自発の創造的組織へ
  変革しましょう。

・SDGs
  2030SDGsカードゲームを
  通じて、健全な危機感、
  腑に落ちる対応策と
  可能性を体感頂けます。

・アンガーマネジメント
  安心安全な職場づくりの基本
  パワハラ、モラハラが起きる
  前にしっかりと対策を
  一緒に。

 基本はエンジニアですから、
 モノづくりの現場に寄り添いながら
 組織の悩みを一緒に解決に導きます。

主な活動と動機

何故、
エンジニアが
組織活性化
をやるのか?

会社、組織・チームが
もっと元気になるために・・・

私は、エンジニアです。
社会人になってから、
20年以上、
モノづくりの現場で
技術を担当してきました。


その私が、
なぜ、組織を元気にする
仕事をしているのか?

発端は、辞めていく若手を
何とかしたいと思ったこと。
でも、自分に何ができるのか
と悩んだ日々が。。。

キャリア相談、
悩み相談、
転職相談
モチベーションアップの方法
・・・

いろいろ模索したが・・・

エンジニアである
私が出来ることは
あまりないようにも
感じた。


実際、2016年9月にLSP
(レゴ®シリアスプレイ®)
メソッドのファシリテーター
資格を取り、
AGC内で展開したい、
と言い出した際、
反対や違和感を感じる人たちが
多かったのも事実。

AGCみたいな大きな組織で、
エンジニアが出来ているなら、
わざわざそんな訳の分からない
世界で勝負しなくても。。。

とか、

今の仕事で成果を出して、
評価される方があなたのためだ、

と言う同僚や上司もいた。


一番、言われたのが、
エンジニアなんだから、
今やっている、
IE(Industrial Engineering)

データサイエンスで
現場を盛り上げていけば
いいじゃないか!!
(2019年当時の部長)


確かに、それも一つでしょう。
実際、それを通じて、
気付きを得て、
現場が活気付いた部署も
あることを知っています。


でも、何かが違う・・・。
と思ったのです。

どうせなら、
見えないところから
見えてくる世界を
もっと良くできれば
ゆるぎない成果が出る
と思った。


組織論を勉強するうちに
直接モチベーションに
働きかけること
が重要
と分かってきたのです。


もちろん、
IEやデータサイエンス
に比べれば、
視えない世界の話

効果が現れるには
時間がかかるだろうし、
直接、測れないかもしれない。


でも、
超が付くくらい


重要!!


視えないから、
測れないから、
やらないのは、
愚の骨頂です。



見えている世界を
よくするためには
見えないところを
これでもかというくらい
よくしないとダメなのです。


そう考えると、
私のようなエンジニアが
モチベーションを扱うこと
の意義が
とてもとても大きい
と感じた。

だから、実践を行ってきたのです。
これからもやっていきます。
思い切って、外の世界で。


エンジニアの私ならではの
やり方、見方、提言

全てが、
モノづくりの
現場の改善に直結し、
経営に直結し、
利益に直結します。

モノづくりの
現場を知り尽くした
私にしかできない
ワークショップを
いち早く導入して、
競合他社に大きく
差を付けてほしい。

そう強く願います。

是非、私と一緒に
成果の出る組織創りを
やりましょう!!

お気軽にお問合せください。

組織活性化活動

AGCの広報・IR
相互理解ワークショップ

所属するAGC(株)内での活動の一コマ

目的はいろいろあってよい
効果はゆっくり現れる

導入した企業・組織だけが
大きく変わっていく世界

コミュニケーション
改善のため・・・

50人規模のワークショップの一コマ。
コミュニケーション改善がテーマ。

他者への理解と
自分の内省に・・・
(相互理解)

少人数でに実施だが、同じ職場の他の人の理解、自分の長所の理解、内省のためのワークショップ。

アーティスト

関係者

メタファーを体感して、新しい音楽活動につながれば・・・とワークショップ。

ここからは、
代表の井ノ口の経歴を少し詳しく…。
興味なければ、飛ばしてください(笑)

大手企業へ転職
(3社目:旭硝子はAGC)
2005.1~2020.1

エンジニアとしての集大成
その後の人生を考える転機

2005年 1月 旭硝子株式会社 へ転職
     エンジニアリングセンター 
      EEグループ 配属
    郡山サイト 関係会社 
    旭ファインマテリアルズ株式会社
   (現AGCエレクトロニクス株式会社)
    の事業の一つである
    合成石英製造装置の開発・導入・改善
    に携わる
    工場建設、製造装置導入の
    プロジェクトに奔走。
       
当時、世界最大規模の石英製造・供給体制
に寄与(社長表彰受賞)

2006年12月 旭ファインマテリアルズ株式会社(現AGCエレクトロニクス株式会社)へ
 休職派遣(出向)
        設備技術センター 配属
        合成石英製造装置の
        開発、工程改善など担当。
        光素子の製造装置導入、
        工程改善
        を担当する。

奇しくも、時は、東芝のHDDと
ソニー・パナソニックのブルーレイの競争下、
どちらの装置にも使用されていた部品
を製造する装置であった。
        
QMS推進と図面管理者を担当。

2009年 9月 旭硝子・京浜工場へ復帰
       (出向解除)
       設備技術センター 配属
 ・ガラス製造設備(窯・研磨設備他)の保守
 ・装置開発、導入
 ・原料調合設備他、コストダウン施策の推進
  全社で社長表彰案件あり
 ・90年以上経過の工場の修繕班を組織
  クレーン・エレベーター・コンベアの
  定期点検・保守推進
 ・OHS-MS担当となり、社員教育、
  禁煙啓蒙、安全指導など
  また、内部監査員の資格を取得し、
  他部門の内部監査も担当

 ・東日本大震災の際には、
  工場の開発装置の停止状態の巡回、
  その後の非常用発電機設置の手配担当
                   など
2012年 9月  生産技術センター 配属
        企画推進グループ 
        開発推進チーム 配属
      主には研究開発のアシスト、
      組織の強化策立案・実行
     
2010年に研究所の一部と
    エンジニアリングセンターの一部が
    組織化されて誕生したため、
    組織の枠組み作りから開始しており、
    安全・OHS・EMSなどISO活動も
    組織化、意識化されておらず、
    まず、人員整備、人材育成など
    体制作りを実践。
   ・戦略コンサルタントを導入し、
    次の開発案件の種の検討
   ・既存開発案件の整理、改善案の立案
   ・研究開発費用の管理 
   ・人材育成計画の立案
   ・省エネ/防災事務局
   ・戦略的な会議
   (技術報告/進捗/予算決定など)の
    開催調整 
   ・開発棟ビル管理
    など、組織の管理部門の役割を担当。
2014年 京浜工場のBCP
     (事業継続計画)を策定。
     研究開発部門では、社内初の事例。

他方、技術者の横断的ネットワーク活動
においては、バイオ分野に参画し、
バイオ分野での成長性のある案件
の調査などに携わる

2016年1月 生産技術部 企画・管理Gr
        育成・管理T 配属
     エンジニアリングセンター、
     生産技術センター、
     中央研究所の再編があり、
     エンジニアリングセンターを母体
     として、生産技術センターの約半数
     のプロセス系の人員が合体した 
     部門が生産技術部として発足
   ・業務内容は、前述の生産技術センター
    時代の業務の継続
    但し、文化の違う組織が合体した
    ため、各部門の方式の統一化・
    融合化に着手
    輸出管理事務局 拝命
    研究開発系輸出管理を全社の窓口担当
    と連携を執りながら実施  

2016年9月 生産性革新推進部 配属
      各拠点の改善支援
     (主に、鹿島工場、千葉工場の
      化学品事業支援)
   ・基礎化学系プラント運転条件見直し
    改善施策実施
   ・某ポリマー生産能力UP提案施策
    実施。約40億円の純利益増に貢献。

また、2017年からは、組織活性化施策活動、
LEGO® SERIOUS PLAY® メソッド
活用認定ファシリテーターとして、
社内外へ組織活性化に貢献。

2017年5月~11月
・相互理解をテーマに、計10回開催
 (全部署員対象63名) 
・リーダー向け、楽しい働き方をテーマに、
 計2回(12名) 
・2018年1月 堀場製作所、
     ステンドグラスプロジェクト
     (7名)を招き、同研修実施
・2018年 社内某事業部 22名
      関係会社某事業部 7名
      広報・IR 4名
      某技術部某チーム 30名
           関係会社 48名
・2019年 関係会社 18名
      新人研修 6名
     社内某部 23名
     社内某事業部 10名
     社外交流(製鉄会社) 7名
              など

  他方、
  2018年7月 兼業許可を得て、
  ファシリテーター業務を社外で活用。
  (正式な社内兼業許可第1号)
      
※参考情報
 ・現在、日経新聞主催、シニア起業塾 
  コンサルタントの赤羽雄二先生起案
  プログラムである、 
「40歳からのネクストチャレンジ」 
  第1期生起業支援の勉強会に参加中。
(600人規模起業塾:
 食と農、デジタルヘルス、人材育成)
 
・LEGO® SERIOUS PLAY® 分科会:
 500人規模のネットワーク交流中

主な実績として、

某オフィス関連企業:
  自分たちの会社の価値と各人の役割の確認
シンガーソングライターの曲作りのお手伝い
(入日茜さん+スタッフ3名)
他、大規模から小規模案件多数。

・マンダラエンディングノート
 ファシリテーター
・一般社団法人だじゃれ活用協会認定
 ファシリテーター

などを基に、2019年1月、人材育成勉強会「ココロ・ヅクリ工房」を立ち上げ、人を元気にする、活性化する活動を展開。
社内外で2019年まで、約120回の研修・ファシリテート実践。

2020.1 AGC株式会社 退職

関東圏への転職(2社目)
知る人ぞ知る、
(株)アルバックへ
(2001.11~2005.1)

機械技術の深化と
少しは化学が・・・

2001年11月 株式会社 アルバックへ転職
       産業機器事業部 設計部 配属
        主に蒸留装置担当
   翌年、同事業部 第一技術部 配転
   真空凍結乾燥装置(フリーズドライ)
    真空蒸留装置など
    食品、医薬品業界向けの技術開発、
    販売促進など担当
(わかもと製薬、テルモ、理研ビタミン、
 聖マリアンナ大学など他多数)

 また、翌年から、第一技術部に
 熱処理装置も加わったため、
 真空熱処理装置(焼入れ。焼きなまし)
 の装置技術も担当
(NKK富山(現JFEマテリアル)、
 諏訪熱処理、合志技研、東京濾器他多数)

2004年7月からは、
      製造部 試運転グループ 配転
      納入先に伺い、
      電気回路・シーケンスを
      読みながら、試運転担当
     (東京濾器、渡辺冶金など)

会社規模としては、
当時、5000人。
一部上場するかどうかという時期。

ここでの経験は、何もかもが新鮮で、
岩国時代からのレベルアップが格段に
図れた時代。

化学系の装置、食品・医薬品の装置に
携われたことでモチベーションが上がった。

真空技術を吸収しようという意欲と
若さが融合した時期だった。

仕事は、深夜まで、
ひどいときは、3時間だけ帰って、
翌朝、出張ということもあった。

お客様に提示する図面、資料などの作成
が追い付かず、綱渡りで何とかしていた、
バタバタの会社だった。

一方で、現場に行かせてもらい、
現場を担当させてもらえるので、
仕事は早く覚えられ、楽しかった。

特に、2003年に、富山の製鉄会社に
納入した大きなバッチ式の真空炉
これが、ここでの集大成のような気がする。
技術~試運転まで。熱による歪みトラブルで、
設計のやり直し、試運転担当者との意思の疎通が
うまくいかず・・・
仕事のトラブルがすべて集約された時期
だったのかもしれない。

ただ、この経験があったため、
今の私が、戒めとしている部分が
多くのあるように感じる。

内部の人との接し方、
お客様との接し方、
客先での振る舞いなど
多くを学べた。

また、乗り越えた苦労の分、
成長できたと思った。

結局、足掛け3年関わり、
延べ滞在期間、半年くらいだった
と記憶しているが、
帰れない状況で、どう楽しむか
与えられた条件の中で、
どう対処するかが学べた。

とは言え、富山は楽しかった。
食が充実、酒が充実。
滞在先のホテル、宿を変えていきながら、
エンジョイし、満喫した。
雨晴らしの岩、如意の渡り、風の盆
何とも風情のある人々、
今でも好きな地域の一つになっている。

何故、辞めたのか?
今でも辞めなくてもよかったと思える会社。
多分、旭硝子に受かっていなかったら、
辞めずに勤めていたはず。

ただ、当時は、二流半の人が多かったかな・・・。

例えば、目の当たりにしたのが、
 とある製造部の主任が、
 今度の出張先にどこの下請けを連れて行こうか
 考えたときに、下請けの社長が主任に忖度が
 始まり、商品券、接待、季節外れのお中元、
 お歳暮など・・・。
 (これ以上は書けません・・・)
ここに居ては、人として狂ってしまうと
思った矢先、旭硝子の募集があった。

茅ケ崎のある小料理屋のおかみさんから、
「一流の会社には、一流の考えや精神がある
あなたはここに居る人ではないので、
旭硝子に受かったんなら、行きなさい」
と背中を押してもらった。
涙が出るくらいうれしかった出来事。

就職(1社目)
石川島岩国時代
(1999.4~2001.11)

化学系就職が叶わず、機械技術の道へ


1999年4月 株式会社 石川島岩国製作所入社
       技術部 産業機器設計課 配属
       加熱炉装置の設計に携わる
 初年度より、金属系メーカーの溶解炉、
 溶融炉の一部を設計
(三井金属鉱業、住友金属、
  IHIエアロスペース向けなど)
 翌年、技術部 真空・新素材設計課へ配転
  真空加熱炉(主に焼入れ、焼きなまし)
  の設計・製作に携わる 
  金属冶金メーカーをはじめ、
  バネ、重工業業界向け案件担当
  (東海バネ、日本発条、住友金属、
   川崎重工など)
 ・安全担当として、職場の安全活動に参加 
 ・改善提案表彰など

(出典:写真は、IHI機械システムHPより)

当時、就職超氷河期と言われた時代。
自分のキャリア形成のため、と言うよりは、
「就職浪人」とか「第2新卒」という言葉すら
 無かった時代であり、
「就職すること=当たり前」の価値観が
 根強かった。

山口大学から推薦をもらい、
何とか職を得たのが実態であった。
当然ながら、大学の専攻の延長線上なんて、
選べるはずもなく、
学生時代に習ったこともなく、
見たことすらなかった
”機械系技術、電装系技術”の世界に
入ることに・・・。

何事も勉強という意識が強かった新人時代。
お金をもらいながら、
初めてのことを仕事でやっていく・・・。

恥ずかしながら、
ここでの社会人デビューは、
未熟だったという言葉がピッタリ。

馴染みのない世界で戦うことは、
正直、どれだけしんどかったか。
でも不思議なことに、
ここでの経験が技術屋として、
人としての原点になっているように、
今となっては感じるところ。

会社規模は、当時、200人弱。
真空熱処理炉(バッチ式では、シェア1位)
昔から、得意の溶鉱炉の製作などを
本社が受注したものを請け負う会社。

何故、辞めたのか。
①若かったから。 
自分は、こんなところで終わってたまるか、
と思っていた。 
正直、大学院を出たという自負、
学んできたことが活かせない世界 
福利厚生のあまりない会社
(本社の制度がほとんど使えなかった) 
労働環境が悪いと感じていた。

②処遇の面への不満 
①にも書いているが、
 給料が安かったのは、事実。 
当時、IHIの本社の新卒で、22万円くらい
だったか 
私の初任給が、18万円、
手取り、12万円・・・。 
次年度も、2千円くらいしか上がらず・・・。 
やっていけない・・・と正直に思った。


そんなこんなで、イライラが募ったところに
設計⇒試運転への配転(2001年)
気に入らない奴を現場へ飛ばす、
誰からも嫌われていた某部長O氏の意向
だったと聞いた。

これで、The END だった。

配転を知らせる当時のI課長との面談で、
啖呵を切った、
「どうなるか、覚えていろ!!」
と言ったのを覚えている。
(正直、今、思うとよく言ったと褒めたい。)

これだけやっても、
変われない組織は、やっぱり変われない。
当時は、変化した方が組織のためになる
なんて考えを持って働いている人は
ほとんど居なかった。

残せた実績は、あまりないが、
よくしていただいた先輩の息子さんの
家庭教師を無償で行った
(夕食をごちそうになる代わりに
 高校受験の教科を教えることに)

9月くらいから、週3日くらいだったか
このご子息に、学ぶことの面白さを
体感頂けたのが人としての成長かな・・・。

住環境としては、
製紙会社から出る排煙は、ちょっと臭かった。

山口県自体、自然には恵まれている。
錦帯橋、錦川の鵜飼い、鮎、レンコン、
かなり食と趣味を楽しむにはよいところ。

岩国付近は瀬戸内でも比較的、深い海。
浅瀬では、サヨリ、岸壁からは、太刀魚、
ベラ、アイナメ、クロダイなどが釣れる。

田舎の良さがある土地、地域。

https://ameblo.jp/monkitchy/

https://youtu.be/0rVGng_c6-k

https://www.facebook.com/hinokuchi