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Art Mochida Daisuke
八百万の神の絵師 持田大輔

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八百万の神の紹介

天津久米命(アマツクメ)

【降臨したニニギの随神】

アマツクメ(天久米命)を描いてみました。

アマツクメは『古事記』や『日本書紀』のニニギの共として登場する神様で、アメノオシヒ(天忍日命)と共に天之石靫(あめのいわゆき・天の堅牢な矢入れの意)を取り負い、頭椎の太刀(くぶつちのたち)を取り佩き、天の波士弓(あめのはじゆみ)を取り持ち、

天の真鹿児矢(あまのまかごや)を手に持ち先導した神様で、武装した警護神です。



初代神武天皇(じんむてんのう)の共として登場するオオクメ(大久米命)は古代豪族の久米直(くめのあたい)、久米氏(くめし)の先祖であり、アマツクメを祖神としていて、神武東征に従軍しました。他にも来目部(くめべ)、大来目部(おおくめら)といった一族もアマツクメを祖神としているといわれます。

ヤマトタケルの東征の際に、ヤマトタケルに随伴するのが久米直の祖先の七拳脛(ナナツカハギ)で、この人物は料理人とされます。



『日本書紀』ではアメクシツオオクメ(天槵津大来目)という名前の神様がアマツクメと同一視されていて、記紀神話において警護、軍事にまつわる職務に従事しているという点で共通しています。



神名のクメ(久米)は「組み」の音転で軍隊を表わすという説があり、天の軍を司る軍神という意味になり、また隅(くま)の音転で隅々を守るという説もあって、警護の神様という意味が強くなりますが、どちらにせよ武力を司るのがアマツクメという神様なので、武装したイメージで描いています。





【お祀りする神社】

久米御縣神社(奈良県橿原市久米町)

久目神社(富山県氷見市久目)

大田神社(滋賀県高島市新旭町)

日前國懸神宮 境内 國懸宮末社(和歌山県和歌山市)

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アマテラス(天照大神)

【皇祖神でもある太陽の女神】

八百万の神の中で最も尊い神様、太陽の女神アマテラスを描いてみました。

アマテラスは、太陽を司る太陽神、天皇、皇族の祖神、そして#伊勢神宮

内宮のご祭神でもあり、アマテラスの別名「大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)」は太陽に仕える尊い巫女を神格化した名前、あるいは太陽そのものの神格化と読めます。

『古事記』によると、イザナキが死者の世界とされる黄泉の国(よみのくに)から逃げ帰ってきた後に、清流で体を清めると沢山の神々が生れます。その時に一番最後に生まれた「三貴子(さんきし)」といわれる三つ柱の神がアマテラス、スサノオ、ツクヨミでした。

しかし、日本ではアマテラスですら完全無欠の最高神ではありません。弟スサノオの暴挙に嫌気がさし、天岩戸(あまのいわと)に引きこもり地上世界が闇に閉ざされ、数々の災いを招いてしまう「天の岩戸隠れ」を引き起こしてしまいます。また、弟スサノオが高天ヶ原(天上界)にやって来る時に、高天ヶ原を乗っ取られるのでは?と恐れたアマテラスは、鎧を着て弓矢を構え完全武装しスサノオと相対します。この時の様子をイメージして描いています。



『日本書紀』によると、アマテラスが、高天原(天界)から葦原中国(地上)へ降り立つニニギノミコトに命じた三大神勅があります。

その一つが「宝鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく)」

アマテラスは鏡を渡し「この鏡を私だと思って祀りなさい。そして自分を映し、自省しなさい。もし、私欲により民を苦しめるような『我』が映ったならば、その『我』を取り除きなさい。」そう伝えました。

こうして、アマテラスの御魂代(みたましろ)の神鏡を祀り感謝を届け、新たな決意を行い、最後に祈願する。

これが神社奉斎の始まりと言えます。正しい参拝とは、最初に「感謝」し、そして「決意」し、最後に「祈願」となり、

このアマテラスの神勅の通りに天皇陛下は、皇居の宮中三殿にて年間20回以上の祭祀を執り行い、国民の繁栄と世界平和を祈っています。

何事もなく平和に過ごせることへの感謝と、この国の君主である自覚のもとに、平和と民の繁栄を祈願している姿は、まさに神代から続く我が国の礎となってきました。

【神格】
太陽神 高天原の主神 皇祖神  日本の総氏神


【御利益】
・国土安泰(こくどあんたい)・福徳・開運・勝運


【別称】
天照大神、天照大御神、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、お伊勢様、神明様、大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ、大日女尊(おおひるめのみこと)、大日霊(おおひるめ)、大日女(おおひめ)、皇大御神(すめおおみかみ)、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)


【系譜】
イザナギの子


【祀られている神社】

皇大神宮(伊勢神宮 内宮) (三重県伊勢市宇治館町)

芝大神宮 (東京都港区芝大門)

四柱(よはしら)神社 (長野県松本市大手)

神明神社 (岐阜県加茂郡八百津町)

高浜神社 (大阪府吹田市高浜町)

西宮神社 (兵庫県西宮市社家町)

新田神社(鹿児島県薩摩川内市宮内町)

榎原(よわら)神社 (宮崎県日南市南郷町)

普天満宮 (沖縄県宜野湾市普天間)

その他、各地の皇大神社 神明社と呼ばれる神社

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アメノウズメ(天宇受賣命)

【祭祀を司る芸の女神】

アメノウズメといえば、裸になって舞い踊り、神々を笑わせ楽しませる芸達者な芸能の女神。

日本最古の舞手で、『古事記』に登場する有名な逸話が「天岩戸」での踊りですね。



『古事記』によると、アマテラスは、弟スサノオの横暴を必死に庇い続けますが、とうとう庇いきれなくなってしまいます。

そのあまりの傍若無人な行動にショックを受け、天岩戸に隠れたアマテラス。

太陽の神であるアマテラスが天岩戸に隠れたことで、高天原(天界)は闇に包まれ、様々な災いが起こりました。



困り果てた八百万の神々は、天の安河原(あめのやすかわら)で会議を開きます。 タカミムスビの子で知恵を司るオモイカネの発案により、アマテラスが隠れる岩戸の前で様々な儀式を行う事となり、何か楽しいことをしてアマテラスの興味を引くのが良いかもしれないと、アメノウズメが桶に乗り、さっそうと舞い踊り出しました。

それを見た神様たちは大笑いで盛り上がります。
賑やかな外の様子が気になるアマテラス。
アメノウズメは、衣装がはだけるほど激しく舞いながら「あなた様より尊い神が現れたので、皆で喜んでいるのです。」と言うと、怪訝に思うアマテラスは気になって仕方ありません。

たまらず「それは本当か?」と、岩の隙間から顔を覗かせます。

そこにすかさず、アメノコヤネとフトダマが神鏡を差し出し、光り輝くアマテラスの姿を映し出しました。

それがよもや自らを映し出したものとは気づかないアマテラスは「本当に私によく似た神様だ」と思い、もう少しよく見ようと岩の隙間をさらに開けます。と、その瞬間。待ち構えていた力持ちの神様タヂカラオが自慢の剛力で岩戸を開け、アマテラスの手を掴み、アマテラスを岩戸の外に引っ張り出したのでした。

もう二度とアマテラスが岩戸に閉じ籠る事が出来ないように、神々はその岩戸に縄を張り、結界とします。
その縄が、神社の「注連縄(しめなわ)」の由来と言われています。
そして、アマテラスを映した神鏡は三種の神器の一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」です。

またアメノウズメは、「天の岩戸」の後、アマテラスの側近として仕え、その任を果たすと、今度はアマテラスの孫であるニニギが高千穂に降臨した「天孫降臨」に付き従った五柱(五人の神様)の一柱に列しました。この五柱の神々はそれぞれ祭祀の長とされます。

天孫降臨の道中「 天の八衢 (あめのやちまた/いくつにも分かれた道) 」で一行が迷っていた時に、高天原から葦原中国までを照らす大きな神様が現れました。
アメノウズメは、アマテラスから「あなたは気後れしないから、あなたがあの国津神の名前を聞きなさい」と命じられ、アメノウズメが名前を聞いたその神が、サルタヒコ。その後、名前を明かした功績によってサルタヒコの妻となり「猿女君(さるめのきみ)」と呼ばれるようになりました。
猿女氏は後に、稗田氏が派生し、『古事記』を編纂した稗田阿礼(ひえだのあれ)もその末裔とされ、アメノウズメがいなければ日本の神話は失われていたかもしれません。

伊勢の猿田彦神社(三重県伊勢市)の境内には、猿田彦神社の本殿と向かい合うように佐瑠女(さるめ)神社があり夫婦仲良く鎮座されていまし、高千穂の荒立神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町)にはサルタヒコとアメノウズメが並んでお祀りされています。

アメノウズメは全国で芸能の神として信仰が篤く、今でも多くの芸能人が舞台祈願などに訪れるそうです。

そして、アマテラスが岩戸に籠って様々な災厄が起こり危機的状況の中で、アメノウズメは舞い踊ることで神々を笑わせ楽しませる事が出来ました。この意味に於いても、「笑う門には福来る」をまさに証明してみせた「福の神」であります。


【神格】

芸能の神、俳優の神、舞楽の神


【御利益】
芸能上達、武芸全般の守護


【別称】
天宇受賣、宮比神(ミヤビノカミ)、大宮能売命(オホミヤノメノミコト)、福の神、おたふく、おかめ様


【系譜】
猿女氏の祖神
稗田氏の祖神


【祀られている神社】
鈿女神社(長野県北安曇郡松川村大仙寺)

戸隠神社(長野県長野市)

小古曽神社(三重県四日市市小古曽町)

荒立神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町)

芸能神社 車折神社(京都市右京区嵯峨)の境内社。

宮比神社 筑土八幡神社瓢箪山稲荷神社等の境内社。

伊勢神宮内宮等各地神社に「宮比神」

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アメノオシホミミ(天之忍穂耳命)

【誓約で生まれた最初の使者】

アメノオシホミミを描いてみました。

『古事記』によると、高天ヶ原を乗っ取りに来たのでは?と怪しまれたスサノオでしたが、身の潔白を証明しようとアマテラスにある事を申し出ます。

それが誓約(うけい)と呼ばれるお互いの持ち物を交換して神々を産み出す儀式で、アマテラスとスサノオによる誓約により、アマテラスの勾玉をスサノオがかみ砕いて吐き出した時に生み出された五皇子の長男がアメノオシホミミ。兄弟にアメノホヒ、アマツヒコネ、イクツヒコネ、クマノクスビがいて、同じく誓約の際にスサノオの剣をかみ砕いてアマテラスが産み出したのが宗像三女神です。



この誓約により生まれた神々はアマテラスとスサノオの御子神とされ、アメノオシホミミは長男としてスサノオの身の潔白を証明した象徴として次の名が付けられています。

正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)



この長い名前の意味は「まさかつあかつ」は「正しく勝った、私が勝った」、「かちはやひ」は「勝つこと日の昇るが如く速い」または「素早い勝利の神霊」誓約の勝ち名乗り。

「おしほみみ」は威力(生命力)に満ちた稲穂の神を現しているとされています。



アメノオシホミミは、誓約により誕生した後に造化三神の一柱であるタカミムスビの娘タクハタチヂヒメと結ばれ、天孫降臨で活躍するニニギノミコトを設けました。

『古事記』では他に、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定するための第一の使者として登場しますが、下界を覗くと葦原中国で国津神(オオクニヌシやコトシロヌシなどの出雲系の神々)が物騒に騒いでいたので、アメノオシホミミはすぐに引き返してきました。次に派遣された弟のアメノホヒはオオクニヌシに懐柔され、続くアメノワカヒコもオオクニヌシの娘シタテルヒメと結婚して使命を忘れてしまいます。

次に派遣されたタケミカヅチがオオクニヌシとの交渉を行い、最後まで抵抗したタケミナカタを屈服させてようやく「国譲り」が行われました。



国譲りが無事に終わると、葦原中国の統治の為に再度アメノオシホミミに白羽の矢が立ちますが、息子のニニギノミコトを推薦し降臨させ、自らは高天ヶ原に残りました。

葦原中国への使者として派遣されるも物騒だっために途中で帰ったあたり、非常に警戒心の強い慎重派な神様に思えます。

ですので完全武装した姿で下界(葦原中国)を眺めている様子をイメージしてみました。



【お祀りする神社】



富田八幡宮(勝日神社、島根県安来市)

阿賀神社(滋賀県八日市市)

太郎坊宮(滋賀県東近江市)

英彦山神宮(福岡県田川郡添田町)

西寒多神社(大分県大分市)

新田神社 (鹿児島県薩摩川内市)

泉穴師神社(大阪府泉大津市)

木幡神社(京都府宇治市)

天日神社(兵庫県伊丹市)

二宮神社(兵庫県神戸市)

天忍穂別神社(高知県香南市)

伊豆山神社(静岡県熱海市)





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アメノコヤネ(天児屋命)

【中臣氏の祖神で祝詞の神様】

アメノコヤネを描いてみました。

アメノコヤネはアマテラスが岩戸に隠れた「天岩戸」の段で活躍した神様です。 この神様は、中臣(なかとみ)氏の祖神で春日大社(奈良県奈良市)の御祭神の一柱です。



『古事記 』によると、高天ヶ原(たかまがはら)にやって来た荒神スサノオの乱暴狼藉が酷いせいで、アマテラスが岩戸に引き籠ってしまいます。
そのために、高天ヶ原や地上は闇夜に包まれて様々な災いが一斉に起こったのでした。

そこで、この危機を打開するために、多くの神々が天の安河原(あめのやすかわら)に集まり会議を開き、知恵の神オモイカネが作戦を練りました。まず、常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり/にわとり)を集め鳴かせます。これは伊勢宮の式年遷宮で「鶏鳴三声(けいめいさんせい)」という儀式があり、その起源と言われます。この儀式では「カケコー」という鶏の鳴き声が三回唱えられ、つづく勅使の「出御(しゅつぎょ)」の発声と共に、神霊が新宮に遷られるのです。鶏は伊勢神宮でも見かける事が出来るように、神事と深く結びついた神聖な鳥でした。

鶏を鳴かせ終わると、その次に、イシコリドメが神鏡を作り、タマノヤが大きな勾玉の沢山ついた緒を作ります。

その後からが、アメノコヤネの出番です。
フトダマと一緒に祭事の準備に取り掛かり、まず雄鹿の肩骨を焼いて占いをし、天の香具山(あめのかぐやま)の榊を根こそぎ抜き、上の枝に大きな勾玉の緒をかけ、真ん中には神鏡をかけ、下の枝には白い布と麻の糸で織った青い布を付けて垂らし、これをフトダマが捧げ持ち、アメノコヤネは祝福の祝詞を奏上したのでした。このシーンをイメージして闇で祝詞を奏上しているアメノコヤネを描いています。

その後は、ご存知の通りアメノウズメによる踊りを筆頭にアメノタヂカラオなど、多くの神々の活躍により無事にアマテラスを岩戸から引き出すことに成功したのでした。そして天孫ニニギが降臨した「天孫降臨」の随神として共に高千穂に降臨されたとされています。

名前の「コヤネ」は「小さな屋根(の建物)」、または「言綾根(ことあやね)」の意味で、託宣の神の居所、または祝詞を美しく奏上することと考えられますが、前述の鶏鳴三声のように日本の祭祀において「音」と「声」は重要な要素です。この声は「言霊」であり、「祝詞」を奏上するアメノコヤネは、祭祀を司る主神と云えます。神事で重要視されている『大祓祝詞』も別名を「中臣祓詞(なかとみのはらえことば)」や「中臣祭文(なかとみさいもん)」と呼ばれ、中臣氏とその祖アメノコヤネが古来より祭祀の重要な役割を担っていた事が分かります。

この様に「声」に宿る魂や霊的な力を「言霊」と呼び、言葉を大切にしてきた日本の心をアメノコヤネが現しています。

【神格】
言霊の神
祝詞の神
託宣の神


【ご利益】
国家安泰
出世開運
学業成就


【別称】
天児屋根
天児屋根命
天児屋根神
アメノコヤネ
天之子八根命
春日権現
春日明神
春日大明神

【系譜】

津速産霊命(ツハヤムスビノミコト)の御子神
興台産霊命(コゴトムスビノミコト)の御子神で、天美津玉照比売命(アメノミツタマテルヒメノミコト)を娶って、天押雲命(アメノオシクモノミコト)、天御桙命(アメノミホコノミコト)、天表春命(アメノウワハルノミコト)、天下春命(アメノシタハルノミコト)をもうける。
中臣連の祖神


【祀られている神社】
中臣神社(京都市山科区)

枚岡神社(大阪府東大阪市)

春日大社(奈良県奈良市)

吉田神社(京都市左京区)

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アメノトコタチ(天之常立神)

【別天津神の最後に現れた神】

アメノトコタチ(天之常立神)を描いてみました。

このアメノトコタチは『古事記』において、「造化三神」と、その後に現れたウマシアシカビヒコジと共に「天津神」の中でも別格の存在の五柱として「別天津神(ことあまつかみ)」と呼ばれています。

アメノミナカヌシ→タカミムスビ→カミムスビ→ウマシアシカビヒコジ→アメノトコタチと順に現れたとされますが、この神々はすぐに身を隠したとされ、謎の多い神様でもあります。

『日本書紀』の第一段の一書第六では、天地が分かれた時、葦の芽のように空の中に最初に生まれた神がアメノトコタチとあり、最初の神、創生の神としての側面が記されています。



また、この別天津神と呼ばれる五柱の神々は独神(ひとりがみ)とされ、男神や女神という区別の無い神様です。

ただタカミムスビが男性的、カミムスビが女性的な性質を持つともありますので、それに続くウマシアシカビヒコジがヒコ=男性的な神様だとすると、アメノトコタチは女性的な神様なのかもしれないと考え描いてみました。



アメノトコタチの名前の意味は「天に常に確立させている神」「天の礎が定まったことを示す神」とされ、次に「神世七代(かみよななよ)」の筆頭として現れたクニノトコタチが「国を常に確率させている神」と読めるので、この二神で天と地の対の関係性を現していると考えられます。



別天津神が天(宇宙)の創造に関する神々だとすると、名前からするに宇宙創成や天の定立という重要な役割を担うのがアメノトコタチ。

これに対して国(大地、地球)の創造や定立という役割がクニノトコタチと言え、天があって地があるという概念が古代日本の中にもあったことが伺えます。

「別天津神」と「神世七代」の関係性も、それぞれ別々の神々ではなく、宇宙(天)に内包された、地球(国)と捉えられ、全てが一つに繋がるので、広大かつドラマチックな『古事記』の世界観を見る上で、重要な神がアメノトコタチではないでしょうか。



【祀られる神社】

出雲大社(出雲市)

吉備津彦神社(岡山県岡山市)

駒形神社(岩手県奥州市)

金持神社(鳥取県日野郡日野町)

總社大神宮(福井県越前市)

物部神社 別天神(島根県大田市)

春日大社 境内 天神社(奈良県奈良市)

小川八幡宮 境内社(長野県上水内郡)

胸形神社(栃木県鹿沼市)

などに祀られている。

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アメノホヒ(天之菩卑能命)

【高天ヶ原の使者】

アメノホヒ(天之菩卑能命)を描いてみました。

この神様はアマテラスとスサノオによる「誓約(うけい)」によって、アマテラスの勾玉から生まれた神々の一柱で、アメノオシホミミの弟にあたるとされます。

『古事記』において、この「誓約(うけい)」という儀式は、荒ぶる神スサノオが姉アマテラスに挨拶をしに来た時、高天ヶ原の地面が震え天変地異が起こったので、アマテラスが「スサノオがこの高天ヶ原を乗っ取りにきたのでは?」と怪しんだことから始まります。

スサノオは、自身の身の潔白を証明するために「誓約」を行う事を提案し、自らの十拳剣(とつかのつるぎ)をアマテラスに渡します。

アマテラスは、受け取った十拳剣を三段に折り天真名井(あめのまない)で濯ぎ清め、かみ砕いて霧を吹き出すと、三姉妹の女神が産まれました。その神々がタキリヒメ、イチキシマヒメ、タキツヒメの宗像三女神で宗像大社(福岡県宗像市)のご祭神です。

次にスサノオは、アマテラスが髪や手に付けていた八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を受け取り、天真名井で濯ぎ清め、かみ砕いて霧を吹き出すと五柱の神々が産まれました。この五柱がアメノオシホミミ、アメノホヒ、アマツコヒコネ、クマノクスビです。

この三女神と五兄弟は、ひな人形の「三人官女」と「五人囃子」の元になったと言われていて、スサノオと習合した牛頭天王(ごづてんのう)の御子神を祀る各地の八王子神社のご祭神にもなっています。



こうしてアマテラスとスサノオによって生み出されたアメノホヒですが、高天ヶ原の神々がオオクニヌシの統治する葦原中津国(あしはらなかつくに/地上)を平定するために使者として描かれています。その最初の使者に選ばれたのが兄のアメノオシホミミでしたが、地上を覗くと騒々しく国津神(くにつかみ/地上の神)が暴れていたので引き返してしまいます。

最初の使者が失敗したので、次に葦原中津国に使者として指名されたのがアメノホヒ。

前述の通りアメノホヒとアメノオシホミミはスサノオとアマテラスの誓約によって生まれた神様で、オオクニヌシもスサノオの五世孫と言われる神様であることを考えると、交渉役としては適任と思えます。

しかし、アメノホヒは喜び勇んでオオクニヌシの元に向かいましたが、オオクニヌシの器に感服しあっけなく寝返ってしまったのでした。



続く三人目の使者アメノワカヒコも失敗し、四人目の使者であるタケミカヅチが、ようやく地上の平定に成功すると、アメノホヒはオオクニシに仕えるよう命令され、子のタケヒラトリは出雲国造や土師(はじ)氏、津島県直等の祖となったとされます。

また、アメノホヒは『出雲国造神賀詞』では地上平定に功績のあった神様であると書かれていて、『古事記』では見られない活躍も残されています。

名前の「ホヒ」を「穂霊」の意味として稲穂の神とする説と、「火日」の意味として太陽神とする説があるので、頭に稲穂を飾り、勇ましく地上に降り立とうとしている姿をイメージして描いてみました。

あっさりとオオクニヌシに寝返ったあたりも、心根は優しい素直な神様なのかもしれませんね。



【祀られる神社】



#能義神社(島根県安来市)

#天穂日命神社(鳥取県鳥取市福井)

鷲宮神社(埼玉県久喜市鷲宮)

桐生天満宮(群馬県桐生市)

芦屋神社(兵庫県芦屋市)

馬見岡綿向神社(滋賀県蒲生郡日野町)など



【別名】



・野城大神(のきのおおかみ)

・能義神(のきのかみ)



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アメノワカヒコ(天若日子)

【高天ヶ原に弓を引いた使者】

高天ヶ原の神々がオオクニヌシの葦原中国(あしはらのなかつくに)を譲ってもらうために使者を送りますが、第一の使者アメノオシホミミは途中で帰ってしまいます。

その次に使わせたアメノホヒは、オオクニヌシに恭順してしまい3年過ぎても戻ってきませんでした。

そこで三人目の使者として、神の弓矢を持たせ送り出されたのがアマツクニタマの子アメノワカヒコ。



しかし、アメノワカヒコはオオクニヌシの娘シタテルヒメと結婚し、葦原中国を得ようと企んで8年たっても高天原に戻りませんでした。



そこで高天ヶ原のアマテラスとタカミムスビは、キジノナキメ(雉の鳴女)をアメノワカヒコのもとに遣して戻ってこない理由を尋ねさせることにしました。

キジノナキメが「汝が葦原中国に遣わされたのは、その国の荒ぶる神々を服従させるためぞ。何故8年も連絡せぬ」とアメノワカヒコに問いましたが、キジノナキメの声を聴いたアメノサグメが、不吉な鳥だから射殺すようにとアメノワカヒコに忠告し、彼は遣わされた時に高天ヶ原の神々から与えられた弓矢(天羽々矢と天之麻迦古弓)でキジノナキメを射殺してしまいます。



キジノナキメを射抜いた矢は、そのまま天高く舞い上がり高天原まで飛んで行くと、その血が着いた矢を手にしたタカミムスビは、「これはアメノワカヒコに授けた矢。もしアメノワカヒコが荒ぶる神々を射抜いた矢であれば、この矢は当たらず、アメノワカヒコに邪心があるならばこの矢に当たり禍いあれ」と誓約をして下界に投げ返します。すると、その矢は寝所で寝ていたアメノワカヒコの胸に刺さり、彼は死んでしまいました。



アメノワカヒコの死を嘆く妻シタテルヒメの泣き声が天まで届くと、アメノワカヒコの父のアマツクニタマは下界に降りて葬儀のため喪屋を建て八日八夜の殯をしました。シタテルヒメの兄のアヂスキタカヒコネも弔いに訪れましたが、彼がアメノワカヒコに大変よく似ていたため、アメノワカヒコの父アマツクニタマとその妻が「我が子アメノワカヒコは生きていた!我が君は死んでなかった!」と言って喜び手足に抱きつきました。するとアヂスキタカヒコネは「無礼な!穢らわしい死人と見間違えるな!」と激怒し、十束の剣(とつかのけん)大量(おおはかり)別名、神度劔(かむどのつるぎ)を抜いて喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまいました。

この時に蹴り飛ばされた喪屋が落ちた先は美濃の藍見河(現在の岐阜県長良川付近とも)の喪山(美濃市大矢田)だといわれます。

アメノワカヒコの喪屋は『古事記』では地上(葦原中国)に作ったとありますが、『日本書紀』では疾風(はやち)に遺体を上げさせて、喪屋は天(高天ヶ原)に作ったとあります。



アメノワカヒコとアヂスキタカヒコネが似ていたとされているので、同一の神であったとする説もあり、アメノワカヒコはアヂスキタカヒコネとして復活したとも考えられます。

アメノワカヒコにキジノナキメを討つように進言したアメノサグメが「アマノジャク」の元となったとする説と、アメノワカヒコの「天若」が「アマノジャク」とも読めることから、アメノワカヒコがアマノジャクだとする説もあります。

穀物神として安孫子神社(滋賀県愛知郡秦荘町)、シタテルヒメの配神として売布神社(兵庫県宝塚市)、倭文神社(鳥取県東伯郡湯梨浜町)などに祀られていますが、祀る神社は少ない神様です。

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アワシマ(淡島神)

【ヒルコの次に生まれた女神】

アワシマ(淡島神)は、『古事記』においてイザナギとイザナミの国生みの段に登場する神様で、最初の御子神ヒルコの次に生まれました。

しかし、ヒルコ同様に不具の子であったために、イザナギとイザナミの子には数えないとされます。

ただ、子のうちには数えないとされますが、生まれた時は国土の神としては未熟だっただけで、その後まで神様として存在し、名前の共通点がある最初の国土「淡路島」の元となったのがアワシマとも考えられます。
また、ヒルコが胎盤を現しているともされるので、アワシマは羊水という関係かもしれませんね。

和歌山県和歌山市加太の淡嶋神社を総本社とする全国の淡島神社や淡路神社は全国に1000社程あるとされ、多くが明治期に医学薬学を司る小人神スクナヒコナに置き換わっています。
アワシマは安産・子授け婦人病治癒を始め、裁縫の上達、人形供養など、女性に関するあらゆることに神徳のある女性の守護神とされ、江戸時代には淡島願人と呼ばれる人々がアワシマの人形を祀った厨子を背負い、アワシマ(淡島明神)の神徳を説いて廻った事から信仰が全国に広がりました。
アワシマ(淡島明神)の本体については様々な伝承が残っていて、前述の通りスクナヒコナが医学薬学の神とされていることや、『古事記』や『伯耆国風土記』に、国造りを終えたスクナヒコナが粟島(あわしま)から常世の国へ渡って行ったと記載があることが、淡島神社のご祭神となったことに関係していると思われます。
加太淡島神社を始めとする多くの淡島神社がこの説を採っており、祭神をスクナヒコナと出雲の国造りをしたオオクニヌシとしています。
もともとアワシマをご祭神としていて、今もアワシマをお祀りしている神社は淡島神社(徳島県阿南市)など少数派です。住吉明神(住吉三神)の后神がアワシマであるとする説もあり、アワシマはアマテラスの6番目の御子神で住吉明神に嫁ぎましたが、婦人病にかかったことにより粟島に流されてしまったため、そこで婦人病の人々を救うという誓いを立てました。
この伝承は、和歌山市加太と対岸の友ヶ島が住吉神社の社領であったことから後世に付け加えられたと考えられます。

他にも、淡路島にある住吉神社の摂社にアワシマをお祀りする淡島神社があるそうで、前述の住吉神の后神としてお祀りされているものなのか、もともと土地神や鎮守としてお祀りされていたものなのかは不明ですが、興味深いですね。

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アワシナミ(沫那美神)

【水戸の神が生んだ泡の女神】

『古事記』によると、アワナミノカミ(沫那美神)はイザナギとイザナミが産んだ水戸神のハヤアキツヒコノカミ(速秋津日子神)とハヤアキツヒメカミ(速秋津比売神)が産んだ泡の神の1柱で、アワナギノカミ(沫那芸神)は兄であり夫とされています。

「アワナギとアワナミ」という夫婦の組み合わせは「イザナギとイザナミ」と同じなので、ナギとナミは「の男」、「の女」という意味の神名です。となると大事なのは「アワ」なわけですが、『日本書紀』にはアワナミに関する記述は無いものの、兄であり夫であるアワナギは「イザナギ」を産んだ神として書かれています。

「沫(あわ)」は水の泡の意味とされ、河海の境界の神から生まれたのは、河水と海水との出会う所に泡が多く立つことによるとする説があります。

「ナミ(那美)」は先に生まれたアワナギのナギ(凪)に対するナミ(波)で、水面の泡が波立っていることとする説もあります。また、ナミのナを「の」に当たる連体助詞とし、ミを女性を示す接尾語とする説もあり、より女性的な意味合いを持つ名前ともいえます。

アワナギ・アワナミをイザナギ・イザナミの対になぞらえ、男女の対偶神といえます。

『古事記』では、ハヤアキツヒコノカミとハヤアキツヒメカミの二神の間には以下の四対八柱の神が産まれたと記していて、いずれも水に関係のある神様です。



沫那藝神(アワナギノカミ)・沫那美神(アワナミノカミ)

頬那藝神(ツラナギノカミ)・頬那美神(ツラナミノカミ)

天之水分神(アメノミクマリノカミ)・国之水分神(クニノミクマリノカミ)

天之久比奢母智神(アメノクヒザモチノカミ)・国之久比奢母智神(クニノクヒザモチノカミ)



同時に生まれた八神の関連は、河と海の二神の相打って生じる泡にアワナギ・アワナミが生じ、その水面にツラナギ(頬那芸神)・ツラナミ(頬那美神)が生じ、水が蒸発して天に昇り雨となって国土に下り湧き出す作用をアメノミクマリノカミ(天之水分神)・クニノミクマリノカミ(国之水分神)が司り、アメノクヒザモチノカミ(天之久比奢母智神)・クニノクヒザモチノカミ(国之久比奢母智神)がそれを補助して水を分かち与える、という水の恵みを讃えたものともされています。

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イザナギ(伊耶那岐命)

【最初に夫婦の契りを交わした創造神】

創造の神イザナギを描きました。

イザナギはイザナミと共に天地開闢の際に産まれた「神世七代(かみのよななよ)」のうちの最後に生まれた神様です。

『古事記』によると、高天原の神々から神生みと国生みを命じられたイザナミとイザナギは、授かった天の沼矛(あめのぬぼこ)でオノゴロ島を生み出しました。その島に降り立った二人は、まず夫婦の契りを交わします。そして、高くそびえ立つ天の御柱を立て、お互いに反対方向に回る事にしました。
天の御柱を回りめぐってイザナギに再び出会ったイザナミは、イザナギを前にして溢れる想いを止められず、
「何て素敵な男神でしょう。」
と、女であるイザナミが先に告げてしまいます。
その結果、最初に産まれた子は不完全な姿のヒルコだったため、船に乗せて海に流しました。
これは流産を意味するのかもしれません。再び夫婦神は淡島(あわしま)を産みましたがこれも不完全でした。

なぜ不完全な神しか生まれないのか分からなかった夫婦神は、高天ヶ原の神々に相談します。
すると「女神であるイザナミから声をかけるのが原因だとして、男神であるイザナギから声をかけるとよい。」と忠告を授かると、その通りにした夫婦神は無事に多くの国々や御子神を産み成したとされています。

この逸話では女性から声をかけるのは良くないと記されていますが、これは自然界でもアピールするのは雄が多い為であり、人間もその自然の摂理に倣って行動した方がいいとお伝えしたかったのでしょう。

その後イザナミは、炎の神ヒノカグツチを産んだ時の火傷が原因で黄泉の国へ逝ってしまいます。イザナギは愛する妻を亡くし、嘆き悲しむと、怒りのあまりにヒノカグツチを切り伏せてしまいました。

それでも、イザナキは黄泉の国まで妻を迎えに行き、イザナミが籠る黄泉御殿まで辿り着くと、自分のもとへ戻ってくるよう声をかけます。

すると、そこには腐敗し、体中にウジが湧いき雷神が憑りついた変わり果てた妻の姿があったのでした。

その姿を見るなり、イザナキは慌てて逃げだしてしまいます。

醜い姿を見られ激怒したイザナミは黄泉の軍勢を放ち、逃げるイザナキを追いかけましたが、イザナギは黄泉の国の出口を大岩で塞いでしまうのでした。

イザナキに激怒したイザナミは、「愛しき我が夫よ。このような事をするなら、あなたの国の人間を1日1000人くびり殺します」と叫んだ。

イザナキは「愛しき我が妻よ。それならば、私は1日1500の産屋を建てよう」と言い返します。

憎しみや怒りに囚われてイザナギを追いかけていたイザナミですが、愛しく思う夫の事を忘れられず「愛しき我が夫よ」と声を掛けます。しかも「女性から声をかけると失敗する」と高天ヶ原の神々から忠告があったにも関わらず。

やはりどれだけ怒りに我を忘れようとも、愛する人に対する想いが抑えられることは無かったのです。

つまり、大岩を挟んでの夫婦の問答の結果は「失敗する」ということを暗示していると言えます。前述の高天ヶ原の神々の忠告通りであれば、女性から声をかけたので、イザナミは「1000人くびり殺す」ことも出来きなかったでしょう。

永遠の別れを告げた夫婦神ですが、最後の最後にはお互い自らの過ちを悔い、再び愛に目覚めたのでした。


◆イザナギを祀る神社
伊弉諾神宮 (兵庫県淡路市多賀)
おのころ島神社 (兵庫県南あわじ市)
多賀大社 (滋賀県犬上郡多賀町)
江田神社 (宮崎市阿波岐原町)
筑波山神社 (茨城県つくば市筑波)
佐太神社 (島根県松江市)
三峰神社 (埼玉県秩父市三峰)
英彦山神宮 (福岡県田川郡添田町英彦山)
白山比め神社 (石川県白山市三宮町)
玉置神社 (奈良県吉野郡十津川村)
雄山神社 (富山県中新川郡立山町)
丹生川上神社 (中社) (奈良県吉野郡東吉野村)

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イザナミ(伊耶那美命)

【国と神を産み成した地母神】

イザナミは愛に生きた地母神。 名前のイザナは「誘う(いざなう)」の語源であり、男神イザナキと女神イザナミで「誘い合う男と女」を意味します。

イザナミは、男神イザナキとの夫婦の契りの際に、イザナキを前にして溢れる想いを止められず、「何て素敵な男神でしょう。」と、女神であるイザナミが先に告げてしまいます。

その結果、最初に産まれた子は不完全な姿のヒルコだったため、葦船に乗せて海に流しました。
次に生まれた淡島も不完全な状態で生まれてしまったので、高天ヶ原の神々に夫婦神は相談に行きます。
そして、高天ヶ原の神々の忠告通り、男神であるイザナキから声をかけ、二人は深く愛し合い、多くの国々や御子神を産み成しました。

しかし、イザナミは炎の神ヒノカグツチを産んだ時に大やけどを負ってしまい、黄泉の国(死者の国)へ逝ってしまうのでした。

イザナミが黄泉の国で生の終わりを迎えようとしていたその時、
なんと、愛する妻を連れ戻しに来た夫イザナキの姿がありました。

しかし、イザナミはすでに黄泉の食べ物を口にしていたので、戻りたくても戻ることは難しいと告げます。
それでも夫は諦めません。イザナミも出来ることなら今すぐにでも愛する夫に会いたい。しかし、イザナミは全身に蛆と八雷神(やくさのいかづち)が憑りついていたので、会えるような姿ではなく、すでに黄泉の国の住人へと変化していました。

それでも夫に会いたい一心で、「外に出てくるまでは、絶対に中を覗かないでください。」と約束をし、黄泉の国の神様にイザナキに会えるように申し出ることにしました。

しかし、一向に戻る気配がないイザナミ。しびれを切らした夫イザナキが、会いたい想いを止められず、約束を破って中を覗くと、そこには八雷神が憑りついたイザナミの恐ろしい姿がありました。

イザナキはあまりの驚きに思わず後退り音を立ててしまいます。見られたことに気づいたイザナミは、夫が約束を破ったこと、醜い姿を見られたことに激高します。
一番見られたくない人に、一番見られたくない姿を見られた屈辱。愛するが故に許せなかったのです。

怒り狂う妻に恐れをなした夫は、その場を逃げ去りますが、イザナミは、黄泉の国の軍勢を放ち追いかけました。
黄泉の軍勢とヨモツシコメ達をタケノコや山ぶどう、桃の実で撃退し、何とか逃れたイザナキ。しかし最後はイザナミ自ら追ってきました。黄泉の国の出口まで辿り着いたイザナキは、大きな岩でその出口を塞いでしまいます。

その大岩に向かいイザナミは
「愛する夫よ。このような事をするならば、そちらの国の人間を1日1000人くびり殺しましょう。」と言いました。

イザナキは「愛する妻よ。それならば、1日1500の産屋を建てよう。」と応えました。
ここから、人の「生」と「死」が生まれたといいます。

イザナミは夫を心から愛していました。愛していたからこそ、約束を守ってほしかった。醜い姿も見られたくなかったのです。

怒りに我を忘れてイザナキを追いかけていたイザナミでしたが、大岩を前にして愛に目覚めたともとれます。

女性から声をかけると「事は成就しない」という前例があったにもかかわらず、女神であるイザナミは自ら先に声をかけてしまいます。

この事が意味するのは、夫婦神が大岩を挟んで言い合った 事は「成就しない」 という暗示ではないでしょうか。

イザナミは最後の最後で愛に目覚め、黄泉の国の大神に相応しい御姿になった事でしょう。


【神格】
創造神、万物を生みだす女神、大地母神


【御利益】
出世開運、商売繁盛、家内安全、縁結び、夫婦円満、安産・子育て、無病息災・病気平癒、厄除け、延命長寿、豊作・大漁、火除け


【別称】
伊邪那美神、伊弉冉尊


【系譜】
高天原の神、神世七代の最後の神


【祀られている神社】
花窟神社 (三重県熊野市有馬町)
波上宮 (沖縄県那覇市若狭)
伊弉諾神宮 (兵庫県淡路市多賀)
多賀大社 (滋賀県犬上郡多賀町)
江田神社 (宮崎市阿波岐原町)
筑波山神社 (茨城県つくば市筑波)
佐太神社( 島根県松江市)
三峰神社 (埼玉県秩父市三峰)
英彦山神宮 (福岡県田川郡添田町英彦山)
白山比め神社(石川県白山市三宮町)
玉置神社 (奈良県吉野郡十津川村)
丹生川上神社 (中社) (奈良県吉野郡東吉野村)

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イザナギ、イザナミ(伊耶那岐、伊耶那美命)

【初めて夫婦の契りを交わした神々】

イザナギ(伊耶那岐)とイザナミ(伊耶那美)を描いてみました。この神様達は、『古事記』によると、天地創造の神々のうち「別天津神(ことあまつかみ)」に続いて現れた、「神世七代(かみよななよ)」の中で、最後の七代目に現れた神々です。

(別天津神)造化三神→ウマシアシカビヒコジ→アメノトコタチ

(神世七代)クニノトコタチ(一代目)→トヨクモノ(二代目)→ウヒジニ、スヒチニ(三代目)→ツヌグイ、イクグイ(四代目)→オオトノヂ、オオトノベ(五代目)→オモダル、アヤカシコネ(六代目)→イザナギ、イザナミ(七代目)

イザナギとイザナミは、それまでに誕生した神々から、国と神を生み出す天の沼矛(あめのぬぼこ)を授かり、天の浮橋に立ち矛を何もない始りの海に刺し入れ「コオロ、コオロ」とかき回すと、オノゴロ島が産まれます。この島に夫婦神は降り、天の御柱(あめのみはしら)と八尋殿(やひろどの)を建て、夫婦の契りを交わし、まずは国土を産み(国生み)、それに続き多くの神々を生み出しました(神生み)。しかし、火の神様を産んだ際にイザナミは火傷を負い亡くなってしまいます。黄泉の国に旅立った妻を取り戻すために、イザナギは決死の覚悟で黄泉の国に向かいますが、妻の忠告を聞かずイザナミの醜い姿を見てしまいます。約束を破られ、見られたくない姿を見られ、怒り狂うイザナミ。恐れをなした夫イザナキは、その場を逃げ去りますが、イザナミは、黄泉の国の軍勢を放ち追いかけました。何とか逃れ黄泉の国の出口まで来たイザナキは、大きな岩で出口を塞いでしまいます。その大岩に向かいイザナミは「愛する夫よ。このような事をするならば、そちらの国の人間を1日1000人くびり殺しましょう。」と言いました。イザナキは「愛する妻よ。それならば、1日1500の産屋を建てよう。」と応え、ここから、人の「生」と「死」が生まれたといいます。イザナミは夫を心から愛していました。愛していたからこそ、約束を守ってほしかった。醜い姿も見られたくなかったのです。怒りに我を忘れてイザナキを追いかけていたイザナミでしたが、大岩を前にして愛に目覚めたともとれます。女性から声をかけると「事は成就しない」という前例があったにもかかわらず、女神であるイザナミは自ら先に声をかけてしまいます。この事が意味するのは、夫婦神が大岩を挟んで言い合った 事は「成就しない」 という暗示ではないでしょうか。イザナミは最後の最後に、再び愛に目覚めたのでした。


【お祀りする神社】

伊弉諾神宮 (兵庫県淡路市多賀)
おのころ島神社 (兵庫県南あわじ市)
多賀大社 (滋賀県犬上郡多賀町)
江田神社 (宮崎市阿波岐原町)
筑波山神社 (茨城県つくば市筑波)
佐太神社 (島根県松江市)
三峰神社 (埼玉県秩父市三峰)
英彦山神宮 (福岡県田川郡添田町英彦山)
白山比咩神社 (石川県白山市三宮町)
玉置神社 (奈良県吉野郡十津川村)
雄山神社 (富山県中新川郡立山町)
丹生川上神社 (中社) (奈良県吉野郡東吉野村)
花窟神社 (三重県熊野市有馬町)
波上宮 (沖縄県那覇市若狭)

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イシコリドメ(伊斯許理度売命)

【八咫鏡を造った女神】

イシコリドメを描いてみました。

この神様は作鏡連(かがみづくりのむらじ)らの祖神とされ、アメノヌカドの子とされています。『古事記』によるとアマテラスの「岩戸隠れ」の際に、アマテラスを岩戸から引き出す重要な役割を担う「八咫鏡(やたかがみ)」を造った神様がイシコリドメ。『日本書紀』によると天の香具山から金を採って来て、日矛(ひぼこ)も造ったとされます。



また古来、伊勢神宮(三重県伊勢市)と同等の影響力を持っていたとも伝わる日前神宮(ひのくまじんぐう)・國懸神宮(くにかかすじんぐう)(和歌山県和歌山市)には八咫鏡に先立って鋳造された鏡である日像鏡・日矛鏡(ひがたのかがみ・ひぼこのかがみ)がご神体として鎮座され、鏡造りの神様イシコリドメもお祀りされています。日像鏡は日前神宮のご神体、日矛鏡は國懸神宮のご神体となって皇室からも皇祖に準ずる神様として特別の崇敬を受けてきました。



天孫降臨の際にイシコリドメは、天孫ニニギに附き従って天降るよう命じられ、アメノコヤネ、フトダマ、アメノウズメ、タマノオヤと共に五伴緒(いつとものお)の一柱として随伴しました。

イシコリドメの名前は、石(イシ)の鋳型を用いて鏡を鋳造することに精通した(コリ)女性(トメ)の意味とされ、鋳物の神・金属加工の神として信仰されています。



【別名】

シリコリドベ



【系譜】

アメノヌカドの子



【お祀りされる神社】



#日前神宮 (和歌山県和歌山市)



#國懸神宮 (和歌山県和歌山市)



#鞴神社 (大阪市天王寺区)



#中山神社 (岡山県津山市)



#鏡作坐天照御魂神社 (奈良県磯城郡)



#岩山神社 (岡山県新見市)



#神社好きとつながりたい  #鏡の神 #古事記 #日本書紀 #神社参拝 #神社 #浮世絵

  #水墨画 #墨絵 #女神 #イシコリドメ #鏡 #天孫降臨 #神社巡り

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イチキシマヒメ(市杵島姫命)

【宗像大社辺津宮に鎮座する女神】

イチキシマヒメ(市杵島姫命)を描いてみました。
この女神はタギツヒメとタキリビメ(タゴリヒメ)と三姉妹で、宗像大社にお祀りされ「宗像三女神」と呼ばれています。

『古事記』によると、天眞名井(あめのまない)でアマテラスとスサノオが交わした「誓約(うけい)」という儀式の中で生まれた女神達です。
その「誓約」の際に、アマテラスがスサノオの十拳剣(とつかのけん)を噛んで吹き出した霧から生まれた三女神の次女がイチキシマヒメ。この誓約によって五男三女神が生まれ、「ひな人形」の五人囃子(ごにんばやし)と三人官女(さんにんかんじょ)は、この「誓約」で生まれた神々をモチーフにしたとも云われます。

『古事記』では市寸島比売命、『日本書紀』では市杵嶋姫命と表記され、「神を斎(いつき)き祀る」という意味の名前とされます。
宗像三女神は、『古事記』と『日本書紀』では生まれた順序や名前が違っています。

イチキシマヒメ(市寸島比売命)は『古事記』では2番目に生まれた女神。

『日本書紀』においては、本文では3番目に、第二の一書では最初に生まれたとしており、第三の一書では、最初に生まれた瀛津嶋姫(おきつしまびめ)の別名がイチキシマヒメであるされ、長女でもあり、次女でもあり、三女でもあると記されています。

イチキシマヒメをご祭神として祀る市杵島神社では、「イチキシマヒメはアマテラスの子で、皇孫ニニギが降臨に際し、養育係として付き添い、ニニギを立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されている」とされています。

イチキシマヒメは、後の時代の神仏習合において本地垂迹(ほんちすいじゃく)が、弁才天に比定され、同神とされてきましたので、弁財天をイメージして琵琶を持たせて描いています。

日本三大弁天とされる広島県の厳島神社・大願寺、神奈川県の江島神社、滋賀県の都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)(竹生島神社)・宝厳寺ではいずれもイチキシマヒメと弁才天が習合されています。



◆イチキシマヒメをお祀りしている主な神社

宗像三女神をご祭神とする福岡県宗像市の宗像大社では、辺津宮(へつみや)に祀られています。

大分県宇佐市の宇佐神宮では、タギツヒメ・タキリヒメと共に三女神が比売神として、二之御殿(3つ並んだ御殿の真ん中)で祀られています。京都府の石清水八幡宮でも同様に、比咩大神として、左御前に祀られています。
また、京都府の松尾大社(京都府京都市西京区)では、中津島姫命の別名で、主祭神の一柱として
大山咋神(おおやまぐいのかみ)と共に祀られています。


【神格】

海の神、航海の神



【御利益】

海上安全、豊漁、交通安全、商売繁盛、芸能上達



【別称】

狭依毘売命(さよりひめのみこと)


【系譜】

アマテラスとスサノオの誓約(うけひ)によって生まれた神


【祀られている神社】

宗像大社(福岡県宗像市)

厳島神社(広島県廿日市市)

江島神社(神奈川県藤沢市)

松尾大社(京都府京都市西京区)

他全国の宗像神社、厳島神社、弁天宮

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気吹戸主(イブキドヌシ)

【罪穢れを祓う神】

イブキドヌシ(気吹戸主神)を描いてみました。

イブキドヌシは『古事記』や『日本書紀』などには出てこない神様ですが、神道の重要理念である祓いを象徴する祓戸四柱(はらえどのよんはしら)のうちの1柱で、大祓祝詞(おおあらえののりと)の中に登場する神で、それぞれの神様の役割は以下のように大祓祝詞に記されています。



・「セオリツヒメ(瀬織津比売)」 はもろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す。

・「ハヤアキツヒメ(速開都比売)」 は海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む。(古事記に神名が記載)

・「イブキドヌシ(気吹戸主)」は ハヤアキツヒメがもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込むと根の国・底の国に息吹を放つ。

・「ハヤサスラヒメ(速佐須良比売)」 は根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって祓う。



以上が祝詞に出てくる祓戸の神々の役割ですが、「イザナギが筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原(あわきがはら)に禊(みそぎ)祓いをした際に産まれた神が

祓戸大神等(はらえどのおおかみ)」と言っており、祓戸大神とは、『古事記』にある神産みの段で黄泉から帰還したイザナギが禊をした際に化成した神々の総称ともとれます。そのためイブキドヌシをはじめ祓戸四柱は、イザナギの禊の際に産まれた神々と同一視される傾向があり、カムナオヒノカミ(神直日神)オオナオヒノカミ(大直日神

)と同神とする伝承が多く、大祓詞後釈

では「此(この)神は、すべて万(よろず)の凶事(まがごと)を、直し清め給う御霊の神にませば、広くいふ時は、早川の瀨に流れ出るより、根国に到りて、さすらひ失(うす)るまで、始め終わりすべて、此神の御霊にあらざることなければ也」と説明されています。



大祓祝詞は中臣祓詞(なかとみのはらえことば、略して中臣祓)・中臣祭文(なかとみさいもん)とも言われ、古代から祭祀一族であった中臣氏が特に重要視していた祝詞ですが、現在も日本全国多くの神社で大祓祝詞は大事にされ、イブキドヌシはじめ祓戸四柱の神々の名が奏上されています。

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イワナガヒメ(磐長姫)

【磐の様な長寿の女神 】

イワナガヒメと言えば、絶世の美女コノハナサクヤヒメの姉で、ニニギに姉妹一緒に嫁いだ女神。

しかし、絶世の美女だった妹コノハナサクヤヒメと違い、容姿が醜かったイワナガヒメは、ニニギから恐れられ、ひとり実家に帰されてしまいます。



コノハナサクヤヒメは桜の様に華やで美しいですが、桜のように咲き、桜のように散る。

その命は短命で儚く限りあるものでした。

反対にイワナガヒメの容姿は醜いが、その命は岩のように長く永遠に栄えることを意味します。

ニニギは容姿だけに気を取られ、イワナガヒメの本質を見抜くことはできなかったのでしょうか?

結果的にイワナガヒメの父であるオオヤマヅミの元へ帰してしまったのでした。

その事で私達の人間(天孫の子孫)の命は限りあるものになり、人類の寿命が出来たと言われています。

ニニギは豊かな高千穂の地に降り立ち、美しき妻コノハナサクヤヒメを娶り、『永遠の命』まで享受しようと欲張らなかったとも取れますが、イワナガヒメの心は酷く傷ついたことでしょう。

一見した容姿の美しさは人を引き付けますが、それは年を重ねれば重ねるほど衰えるものでもあります。

しかし、心の美しさは歳を重ねるたびに豊かになり、その豊かさは表情に現れる。

決して人にチヤホヤされるわけでは無いが、その人の生き様や言葉に救われる人が沢山出てくるでしょう。

つまり、その心の豊かさは岩のように死ぬまで衰えることは無いのです。

その意思を子供達が見習い、岩に苔が生えるほど長い月日を超えても尚、色あせることはありません。

人は、若い頃だけが良いのではありません。また、表面だけの美しさだけでも無い。

人生を豊かにするものは内面の美しさで、その美しさが子を育み、社会を作り、平和な世の中を作ります。

父の元へ帰されたイワナガヒメは、自らの醜さに怒りや失望を感じましたが、ニニギや妹を恨むような事はしませんでした。

これこそがイワナガヒメの心の美しさと言えるのではないでしょうか。




【御利益】
縁切り  #延命長寿



【別称】
石長比売命



【系譜】
オオヤマヅミの子



【祀られている神社】

大将軍神社 (京都市北区)

銀鏡神社 (宮崎県西都市)

伊砂砂神社 (滋賀県草津市)

雲見浅間神社 (静岡県賀茂郡)

伊豆神社(岐阜県岐阜市)

細石神社(福岡県糸島市)

大室山浅間神社(静岡県伊東市)

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ウイヂニ、スイチニ(宇比地邇神、須比智邇神)

【煮えたぎる泥土の神々】

最初の夫婦神であるウヒヂニ(宇比地邇神)とスヒチニ(須比智邇神)を描いてみました。
この神様達は、『古事記』によると、天地創造の神々のうち「神世七代(かみよななよ)」の中で、三代目に現れた神々です。以下がウヒヂニとスヒチニまでの神々の現れた順序です。

造化三神→ウマシアシカビヒコジ→アメノトコタチ→クニノトコタチ→トヨクモノ→ウヒジニ、スヒチニ

それまでに現れた造化三神やウマシアシカビヒコジ、アメノトコタチといった「別天津神(ことあまつかみ)」と、「神世七代」のクニノトコタチ、トヨクモノといった神々は「独神(ひとりがみ)」と呼ばれ、男女の差の無い神々でしたが、ウヒヂニ(男神)とスヒチニ(女神)は、その差が出来てきて夫婦一対そろって現れた点も特徴的です。

『古事記』にある表記のウヒジニの「ウ」は泥の古語で、ウヒ(うい)で最初のという意味もあるので、「泥地の神」あるいは「最初の地(土)の神」の意味で、スヒチニの「ス」が砂のことなので「砂の地の神」と解せます。 『日本書紀』では兄をウイジニ(埿土煮尊)、妹をスイジニ(沙土煮尊)と表記され、煮えたぎった泥や砂(沙)や土を司る神々と読め、「神世七代」の神々が地球創生を象徴するとするとクニノトコタチが地球を造り、トヨクモノが大気を造りあげ、その厚く地表を覆った原始大気は、無数の隕石衝突で生じた多量の熱を閉じ込めてしまったとされます。

この結果、地球の温度は地表でも千数百℃という超高温になり灼熱の星となりました。

そのため、鉄や岩石は溶けて赤いマグマの海となり、地球は火の玉のような姿に変身していきます。

この原始地球の燃え滾る大地を鎮める神々がウヒジニとスイチニなのかもしれません。
灼熱の大地に降り立ち、地均しをするウヒヂニとスヒチニをイメージして描いています。


【ウヒヂニとスヒチニをお祀りする神社】
宮浦宮(鹿児島県霧島市福山町)
物部神社 境内 神代七代社(島根県大田市川合町)
忌部神社(島根県松江市東忌部町)
熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)
二荒山神社 境内 十二社(栃木県宇都宮市馬場通り)
沙田神社(長野県松本市島立区)

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ウカノミタマ(倉稲魂命)

【スサノオの娘の穀物神】

ウカノミタマは稲荷神社のご祭神で、稲荷神、お稲荷さんとも呼ばれ広く親しまれています。

『古事記』ではスサノオとカムオオイチヒメとの間に生まれた神様、『日本書紀』ではイザナキとイザナミの間に生まれた神様と言われますが、実際にどういった神様なのかは記述されていません。ただ名前にある【ウカ】は穀物、食べ物を表すことから、古くから穀物の女神とされ、トヨウケヒメやクシナダヒメ、オオゲツヒメ等の女神様と同じような豊穣神、農耕神といった性質を持っていたので、一部の神々と同一視されることもあります。


稲荷信仰は比較的新しい世代に属する信仰で、ウカノミタマは稲荷神社のご祭神として祀られていますが、元々稲荷神社は渡来人、秦氏(はたうじ)が信仰していた神社とも言われています。

秦氏は『日本書紀』によると、15代応神天皇の治世に仕えた弓月君(ゆづきのきみ)を祖とした百済より渡ってきた帰化人とされ、当初は九州に渡り豊前国(大分県)に拠点を築いたといわれます。

その後、中央政権に進出して、大和国はもちろんのこと山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦付近)、山背国紀伊郡(現在の京都市伏見区)や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)、摂津国豊嶋郡など関西圏各地に広がり、農耕や土木や養蚕、機織りなどの高度な技術を存分に発揮して大いに栄えました。長岡京や平安京の造営、河川の改修などの治水事業にも財政面や技術面でも大きく貢献したとされます。

また全国各地に、秦氏を重用した豪族であることにちなむ地名も見られ畑、幡野、波多野、秦野、畑山、波多も、秦氏に由来のものです。
その秦氏が信奉した氏神がウカノミタマ。

秦氏の権力が高まるのと相まって、民もそれにあやかり、ウカノミタマを祀る神社が各地に増えていきました。これがご利益祈願の原点で、かの弘法大師空海からも篤く信奉されることによって、全国各地に稲荷神社が作られるようになったとされます。

さらに、時代が変化し農業から工業、商業と発展するに伴い、山に行けば五穀豊穣、海に行けば大漁の神、そして都市に行くと商売繁盛の神様として発展を遂げていき、火除け、厄病除けなどあらゆる神徳を授ける万能の神と発展し、生活に密着してお祀りされてきました。

全国にある神社が小さな社も含めると約12万社。

その過半数は稲荷神社と八幡神社の二社で、稲荷神社だけでも大小含め全国に約32000社もあると言われるほどの隆盛を誇っています。

稲荷社が神社の中でも多くの民から支持されてきたのは、伝統に縛られる事なく、繁栄させる為に新しいものに挑戦し、進化、時代に対応して来たからかもしれません。

また、それまでは無かった御利益や御加護があるという考え方も稲荷神社の人気を後押ししたと考えられます。


【神格】
五穀豊穣の神、諸産業繁盛の神、農耕神、穀霊神、商工業神



【御利益】

商売繁盛、産業興隆、芸能上達、家内安全、五穀豊穣


【別称】

お稲荷さん
宇賀御魂
倉稲魂
稲荷神
大物忌(おおものいみ)
御倉神


【系譜】

スサノオの子またはイザナギ、イザナミの子


【祀られている神社】

伏見稲荷大社 (京都市伏見区深草藪之内町)

笠間稲荷神社 (茨城県笠間市笠間)

祐徳稲荷神社 (佐賀県鹿島市)

笠森稲荷 (東京都台東区谷中)

太皷谷稲成神社 (島根県津和野町)

竹駒神社 (宮城県岩沼市)

志和稲荷神社 (岩手県紫波町)

箭弓稲荷神社 (埼玉県東松山市)

他、全国各地の稲荷神社

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ウガヤフキアエズ(鵜葺草葺不合命)

【初代天皇の父神】

初代神武天皇の父であるウガヤフキアエズを描いてみました。

「地神五代(ちじんごだい)」の五代目、「日向三代(ひゅうがさんだい)」の三代目にあたる神様です。

地神五代とは初代アマテラスとして、二代アメノオシホミミ・三代ニニギ

・四代山幸彦(ホオリ)・五代ウガヤフキアエズと連なる「神」と「人(天皇)」を繋げる系譜で、その中でもニニギ・山幸彦(ホオリ)・ウガヤフキアエズは日向三代と呼ばれています。



山幸彦の子で、母は海神トヨタマヒメ。ウガヤフキアエズの妻はトヨタマヒメの妹のタマヨリヒメなので、叔母と結ばれたとされ、海神と関係の深い神様です。



『古事記』『日本書紀』によれば、山幸彦の子を宿したトヨタマヒメが、出産の際、夫に産屋の中を覗くことを固く禁じましたが、山幸彦がひそかに窺うと、なんとトヨタマヒメが「八尋鰐(やひろわに)」になっていました。

本来の姿を見られたことを恥じたトヨタマヒメは、子を産んだ後、海道を塞いで海神の国に帰ってしまいました。

この時に、ウガヤフキアエズが誕生した産屋は、全て鸕鶿(う)の羽を草(かや)として葺いたものでしたが、屋根を葺き合わせないうちに生まれ、草(かや)に包まれ波瀲(なぎさ)に置かれました。

これにより、母親のトヨタマヒメが息子に「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ひこなぎさたけうがやふきあえず)」と名付けたと書かれています。なお、ウガヤフキアエズを御祭神としている鵜戸神宮(宮崎県日南市)は、この時の産屋の跡に建立されたと伝えられています。



しかし、ウガヤフキアエズに関する事績は『日本書紀』『古事記』とも上記のみで、系譜上のみが記されていて謎が多い神様です。

妻(伯母)のタマヨリヒメとの間に五瀬命(イツセノミコト)、稲氷命(イナヒノミコト)、御毛沼命(ミケヌノミコト)、彦火火出見尊(ヒコホホデミ/神武天皇)を得たとされ、山幸彦(彦火火出見尊)と末子、神武天皇(彦火火出見尊)は同名の彦火火出見尊です。『日本書紀』によると、ウガヤフキアエズが崩じた後は吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)に葬られたと伝わりますが、その埋葬地は、南九州各地に伝承が残っています。明治7年に宮内庁により鹿児島県鹿屋市吾平町上名字吾平山にある吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)に治定されていますが、日向の国の人々からの反発が強く、再度の調査により、明治29年に鵜戸神宮背後の山上も「御陵墓伝説地

吾平山上陵」の参考地とされています。



ウガヤフキアエズといえば、古代王朝ウガヤフキアエズ朝(ウガヤ朝)です。

『ウエツフミ』『竹内文献』『神伝上代天皇紀』などの古史古伝に記載されている神武天皇以前の古代王朝で、ウガヤフキアエズが開いた王朝とされています。



ウガヤフキアエズは、『古事記』、『日本書紀』の中では、神武天皇の父とされていますが、『ウエツフミ』『竹内文献』『神伝上代天皇紀』などの中では神武以前にあった王朝の始祖とされています。これらの文書の中でも天皇の数や王朝の継続期間は一致していません。

そもそもこれらの文書は史料価値が認められておらず、ウガヤフキアエズ王朝とは近代以降に偽作された架空の王朝だとされています。

ただ『古事記』「日本書紀」において、ウガヤフキアエズの実績が何もないのが気になります。地神五代、日向三代に列する神様で実績が全く書かれていないのはウガヤフキアエズのみ。山幸彦と神武天皇を繋げる為だけに記載されている感もあり、特に日本を建国した初代天皇の父君であるならば、それにふさわしい実績を描く必要があったと考えるべきです。それに、海幸彦山幸彦神話も『古事記』においては、かなりのウェイトを占めて描かれていますので、ウガヤフキアエズが際立ちます。



ただ、重要な立ち位置にありながら実績の記載に乏しい神々も多く、三貴子のアマテラス、ツクヨミ、スサノオの例を見ると、アマテラスとスサノオが関わるエピソードは多いのですが、ツクヨミはほとんど記載がない神様で、海幸彦山幸彦の兄弟の一人ホスセリも全く記載が無い神様です。

これらの神様は「何もしない事」によってバランスを取っているとも云われます。何もしないので「無為の神」ともされ、陰と陽でもなく、白でも黒でもない「グレー」。あるいは「曖昧さ」を良しとする日本人の精神性を現す上では、欠かせない神様なのかもしれませんね。

【別称】

鸕鷀草葺不合尊
鵜葺草葺不合彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズ)

【神徳】

五穀豊穣
夫婦和合
安産

【御陵墓】

吾平山上陵(あひらのやまのうえのみささぎ)(鹿児島県鹿屋市)(宮内庁治定)

吾平山陵(あひらさんりょう)(宮崎県高千穂町)

吾平山上陵(宮崎県日南市)


【祀られている神社】

鵜戸神宮 (宮崎県日南市)

宮崎神宮 (宮崎県宮崎市)

菅生石部神社 (石川県加賀市)

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ウマシアシカビヒコジ(宇摩志阿斯訶備比古遅神)

【天地創造に関わる別天津神】

今日はウマシアシカビヒコジを描いてみました。



『古事記』では、造化三神と呼ばれるアメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビの三柱が現れた後、まだ地上世界が水に浮かぶ脂のようで、クラゲのように混沌と漂っていたときに、葦が芽を吹くように萌え伸びるものによって成った神とされます。すなわち生命の息吹を現す神がウマシアシカビヒコジといえます。



『日本書紀』本文には出てこないですが第2・第3の一書では最初に現れた神、第6の一書ではアメノトコタチに次ぐ2番目に現れた神ともあり、すぐに身を隠しました。



造化三神とウマシアシカビヒコジ、アメノトコタチの五柱の神々は総称して「別天津神(ことあまつかみ)」と呼ばれ、天津神の中でも特に創造の神としての側面が強い神々とされています。

ただ現れてすぐに身を隠したので、どういった神様かは不明な点が多く、祀られる神社もあまり見かけません。



名前にある「ヒコヂ」は男性を表す語句なので、男性的なイメージを持たせて描いてみました。





【祀られる神社】

出雲大社(島根県出雲市)本殿御客座、

浮嶋神社(愛媛県東温市)など



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ウミサチヒコ(ホデリ)

【山幸彦の兄で隼人族の祖神】

「海幸彦」(ホデリノミコト)を描いてみました。

「海幸と山幸」の物語は山幸彦の際にご紹介しましたが、ニニギに国津神の子ではないかと疑われたコノハナサクヤヒメがその疑いを晴らすために、産屋に火を放ち、火中で生んだ三つ子の神の長男が海幸彦です。

火が盛んに燃えて照り輝いている時に生まれたので火照命(ホデリノミコト、海幸彦)と名付け、弟に火須勢理命(ホスセリノミコト)、火遠理命(ホオリノミコト、山幸彦)がいました。

この兄弟の母コノハナサクヤヒメ(カムアタツヒメ)は隼人の女神です。



『古事記』によると、海幸彦は釣りの名人で、海で魚などを猟って暮していましたが、ある日、狩りをして暮らしていた弟の山幸彦が互いの道具を交換しあう提案をします。

その提案を受けて海幸彦は弓矢を持ち山へ狩りに、山幸彦が釣り竿を持って海に漁に出かけましたが、山幸彦が借りた釣針を無くしてしまいます。その後、海神とその娘トヨタマヒメとの出会いもあり、なんとか兄の釣針を見つけ出します。そして海神から復讐の方法と霊力を備えた宝珠を与えられた山幸彦によって、海幸彦は苦しめられ、山幸彦に服従し「隼人族」の祖になったとされています。

天孫であるニニギとコノハナサクヤヒメとの夫婦関係をもって「隼人族への配慮」とする一方で、この「海幸彦山幸彦」の物語の結末は「海幸彦(隼人)は敗者であり、溺れて弟に仕える」という、かなり屈辱的な内容ですが、隼人族と大和朝廷の関係は、このエピソードが物語るように単に敗者と勝者ではないと推測できます。



海幸彦の末裔である隼人族は7世紀には大和朝廷の傘下ではあったようですが、その気質か、それとも大和から離れているためか、たびたび反乱を起こしていました。しかし、16代仁徳天皇(にんとくてんのう)の時代になって、一部の隼人は都に移住させられています。仁徳朝から「隼人司」に属して宮中で守護に当たることになり、武力による守護だけでなく、犬の吠え声を真似た儀礼が魔除けの力をもつと信じられ重宝されていて、また俳優、相撲、竹細工などを行ったともあり、特に「隼人舞」が宮中で盛んに催されていました。



このように都の近くに隼人を移り住まわせ重用するなど、決して征服された敗者という関係とも違い、天皇や皇族にとっては頼れる臣下と言った方がしっくりきます。

またそれに加えて、その呪術が大和朝廷内部で利用されてもいたことなどから、似たような勢力の熊襲(クマソ)が反抗的に討伐の対象としてのみ描かれるのに対して、かなり好意的に描かれ、その隼人文化も都では継承されていました。『ウエツフミ』にも、この兄弟の逸話は記されていて、『古事記』とは逆で兄弟の仲は良かったとも記されているのも興味深いところです。(ただこの『ウエツフミ』は後世に作られた偽書とされています。)



『古事記』にあるように、隼人族は山幸彦(皇祖)の兄である海幸彦を祖神とするので、天皇家とは血縁者ということになりますが、その出所は謎な面もあります。

その名「隼人」とは「はやぶさ」のように素早い人とか、方位の象徴となる四神に関する言葉のから、南を示す「鳥隼」の「隼」の字によって名付けられたとも、「南」を意味する古称「はえ」から「南人(はえと)」が語源とも諸説あります。また『万葉集』などでは一部で「早人」も使われ「はやひと」とも呼ばれていました。

まさに守り神として、尊敬を払って付けたヤマト側の尊称が「隼人」であり、その後の神武天皇が最初に娶った妻は隼人族のアヒラツヒメだったとされています。

この「天皇家」と「隼人族」との関係は『記紀神話』にも語られていますが、一般的にはよく知られていません。

「ハヤト」と「ヤマト」まさに兄弟の種族であることはこの名称から読み取れ、この「隼人」こそ、古代より日本を支えた影の主役であったのかもしれません。

そう考えると「隼人」の祖である海幸彦は、隼人から薩摩に繋がる、日本史に確実に足跡を残し続けた偉大なる一族の祖神といえます。



【海幸彦(ホデリノミコト)を祀る主な神社・神宮】

#潮嶽神社 (宮崎県日南市)



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オウジンテンノウ(応神天皇)

【八幡神と習合した天皇】

応神天皇(おうじんてんのう)は第15代天皇で、14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)と神功皇后(じんぐうこうごう)との間に生まれました。

神功皇后のお腹の中にいる時から天皇としての定めを受けた「胎中天皇」ともいわれ、その出生は謎も多く神秘に彩られています。

出生前の仲哀天皇8年、母の神功皇后は筑紫橿日宮(香椎宮)で神託を行い「海を渡り金銀財宝のある新羅を攻めるべし」という託宣を受けました。父仲哀天皇は、海の向こうを見渡しても豊かな国は見当たらないので、この神託を怪しみます。そのため神は皇后のお腹の中にいた皇子(応神天皇)に三韓を与えることにしました。まもなく仲哀天皇は突如崩御し、皇后は託宣を現実のものとするため新羅遠征を行い「三韓征伐」を見事成功させたのでした。

皇后は遠征と出産が重ならぬよう月延石(つきのべいし)や鎮懐石(ちんかいせき)と呼ばれる石をお腹に当てて出産を遅らせたと伝わります。

父仲哀天皇が崩御してちょうど十月十日後に筑紫の宇瀰(うみ:福岡県糟屋郡宇美町)で誕生した皇子は誉田別尊(ほむたわけのみこと)と名付けられました。その腕の肉が弓具の鞆(ほむた)のように盛り上がっていた事に由来し「ほむた」の音に「譽田」の字をあてたものだと伝わります。

応神天皇を君主と認めない異母兄の麛坂皇子(かごさかのおうじ)、忍熊皇子(おしくまのおうじ)の策謀は皇后と武内宿禰(たけうちのすくね)らに平定され、皇太后となった母の摂政のもと応神天皇(ほむだわけのみこと)は四歳で太子となりました。



その後応神天皇は、仲姫命(なかつひめ)を皇后として16代仁徳天皇(にんとくてんのう)らを得ました。在位中には様々な渡来人の来朝があったと記録されていて、韓人には池を作らせたほか蝦夷や海人を平定しました。名のある渡来人には弓月君(ゆづきのきみ)、阿直岐(あちき)、王仁(わに)、阿知使主(あちのおみ)といった人物がいて、弓月君は秦氏(はたうじ)の祖です。『古事記』によると和邇吉師(王仁)によって儒教と漢字が伝わったといわれます。

現在全国各地の八幡宮、八幡神社などでは応神天皇を八幡神としてお祀りしている所が多く、全国各地に2万社ほどあるとされていて、応神天皇(八幡神)を主神として、比売神、応神天皇の母である神功皇后を合わせて八幡三神として祀っている形式か、この八幡三神の内の一柱をお祀りする神社がほとんどです。また、八幡三神のうち、比売神や、神功皇后に代えて仲哀天皇や、武内宿禰、タマヨリヒメを祀っている神社もあります。

八幡神と応神天皇は奈良時代から平安時代にかけて習合され始めたので比較的新しい信仰になりますが、それ以降アマテラスに次ぐ皇室の守護神とされていて、誉田八幡宮(大阪府羽曳野市)の創建と応神天皇とのつながりが古くから結び付けられ、皇室も宇佐神宮(大分県宇佐市)や石清水八幡宮(京都府八幡市)を伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟として崇敬してきました。





【別名】



ホムダテンノウ

ホムダワケノミコト

オオトモワケノミコト

ハチマンダイボサツ



【系譜】



仲哀天皇と神功皇后の子





【祀られる神社】



#宇佐神宮 (大分県宇佐市)

#石清水八幡宮 (京都府八幡市)

#筥崎宮 (福岡市東区)

#鶴岡八幡宮 (神奈川県鎌倉市)

#誉田八幡宮 (大阪府羽曳野市)

#藤崎八幡宮 (熊本県熊本市)

#大分八幡宮 (福岡県飯塚市)

#千栗八幡宮 (佐賀県みやき町)

#鹿児島神宮 (鹿児島県霧島市)

#手向山八幡宮 (奈良県奈良市)

#宇美八幡宮 (福岡県糟屋郡宇美町)

富岡八幡宮 (東京都江東区)

市谷亀岡八幡宮 (東京都新宿区)

盛岡八幡宮(岩手県盛岡市)



他、全国各地の八幡宮、八幡神社



#神功皇后 #応神天皇

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意冨加牟豆美命(オオカムヅミ)

【黄泉の軍勢を退けた桃神】

オオカムヅミ(意富加牟豆美命)を描いてみました。

この神様達は、『古事記』によると、黄泉の国でイザナギを黄泉の軍勢から助け出した桃の木の神霊がオオカムヅミとされています。



「大いなる神のミ(霊)」という意味の神名で、他にも大いなる神の実と解釈し、「大神実命」と表記する場合もあり、桃太郎神社(愛知県犬山市)ではオオカムヅミが生まれ変わり桃太郎として鬼を退治したとされます。『日本書紀』にも登場しますが、神名は明記されていません。



『古事記』では、前述の通り亡き妻を取り戻そうとイザナギが、死者の国である黄泉の国に赴きますが、妻イザナミとの約束を破ったために失敗して、ヨモツシコメや八雷神、ヨモツイクサに追われてしまいます。

恐ろしい黄泉の軍勢に追われたイザナギが地上と黄泉の国の境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓まで逃げてきた時に、そこに生えていた桃の木から実を3個取って投げつけると、八雷神とヨモツイクサは撤退したと記されています。



この功績により桃は、イザナギから「オオカムヅミ」の神名を授けられました。そして、「汝が私を助けたように、葦原の中国(あしあらのなかつくに/地上世界)のあらゆる生ある人々が、苦しみに落ち、悲しみ悩む時に助けてやってくれ。」と命じられました。



『日本書紀』では神産みの第九の一書に登場して、『古事記』と同様に、イザナギは黄泉の国で八雷公に追われます。その時、道端に桃の木があり、その木の下に隠れて桃の実を採って投げつけると、雷公は退走していったので、これが、桃を用いて鬼を避ける由縁とされています。



桃は中国では仙木とも呼ばれ、邪気を払う呪力があると考えられ、疫病祓いの実ともされていました。元旦に飲む桃湯は邪気を退け、桃膠(とうきょう/桃の木のヤニ)から作られる仙薬は、万病に効くとされ、桃弓(とうこ)と棘矢(きょくし)が除災の儀礼に古代から用いられてきました。



日本においても古くから、桃を神聖視する信仰があった事が、遺跡をみても分かります。奈良県の纒向遺跡(まきむく)で3世紀前半と推測される土坑から、2千個以上の桃の種が出土しているのが代表的な例で(1ヶ所で出土したタネ数としては国内最多)、桃は祭祀に使われたものとされ、この時代には日本にも、桃に対する邪を祓う信仰が伝来していたと考えられています。



平安時代になると、追儺(ついな、節分の起源)で鬼を追うための桃弓や桃杖が使われ、正月には桃の木片で、卯槌(うづち)というお守りが作られていました。



室町中期には有名な「桃太郎」のおとぎ話がしますが、これは桃が不老長寿の仙果で、邪鬼を払う呪力があったことに関係するとも、オオカムヅミの生まれ変わりが桃太郎であるともされ、雛祭りも「桃の節句」と呼ばれるように、桃の花を飾り、桃酒を飲む風習が見られ、桃の厄災を払う力に係わる祭りとなっています。



これらのおとぎ話や行事にみられるように、オオカムヅミの霊威は形を変えながらも現代に色濃く息づいています。







【お祀りする神社】



賀茂神社 (徳島県阿波市)

赤國神社(京都府綾部市)

境内社

行田八幡神社 (埼玉県行田市)

熊野神社 (東京都多摩市)

多伎藝神社(島根県出雲市)

新治神社(富山県黒部市)

桃島神社(兵庫県豊岡市)

桃太郎神社 (愛知県犬山市)

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オオクニヌシ(大國主大神)

【兎を助けた心優しき神】

オオクニヌシといえば、出雲大社の祭神。彼は優しいだけでなく、天才的に頭も良く、医術にも明るい医療の祖神でもあり出雲は医療発祥の地ともされます。
そしてスサノオの血統を受け継いだ正統後継者なのです。

ただ、その育ちの良さ、優しさと優秀さ故に、兄八十神(やそがみ)たちの嫉妬を買うことになってしまいます。

『古事記』にある有名な話が「因幡の白兎」での八十神からの迫害です。

オオクニヌシは、兄の八十神たちと共に、美しいと評判のヤガミヒメに会い行く道中、サメに嘘をついたために皮を剥ぎ取られて苦しんでいた一匹の兎と出会います。

兄たちは、「海水を体にかけ、高い山の風に当たると良い」と言い、白兎がその通りにすると、さらに傷に海水がしみ込んで苦しんでしまいました。

そこで、大きな荷物を背負ったオオクニヌシが、苦しんでいる兎を介抱します。

オオクニヌシは「真水で体を洗い流し、河口のがまの穂を敷き散らし、その上に寝転がれば治るでしょう」と教え、その通りにすると白兎は瞬く間に回復しました。



傷が癒え喜んだ兎は「あの八十神はヤガミヒメと結ばれることは無く、袋を背負って従者のように見えますが、あなたこそがヤガミヒメと結ばれるでしょう」と告げます。

これは兎神の託宣であり、その予言通りオオクニヌシはヤガミヒメと結婚することになりました。

それを知った八十神は嫉妬で怒り狂い、オオクニヌシを罠にはめて殺してしまいます。

乱暴者で傲慢な兄たちにとって、軟弱者に見えたオオクニヌシがヤガミヒメを娶る事は大変許されがたいことでした。

オオクニヌシの死を知り悲しんだ母親が、天津神に頼み蘇らせて貰いましたが、

それでも兄たちは幾度もオオクニヌシを殺し、そのたびに母親が神様に懇願し蘇らせてもらいます。

執拗な八十神の迫害を逃れようとオオクニヌシと母親が最後に頼ったのは、オオクニヌシの祖先、根の国の王スサノオでありました。

オオクニヌシは、スサノオを訪ねて根の堅洲国まで赴きます。そして、その国でオオクニヌシは心奪われる一人の女性との運命的な出会いをしました。

その女性こそ、スサノオの娘スセリビメ。

オオクニヌシは、スサノオに認められようと様々な試練を耐え、乗り越え成長します。

その姿を見たスサノオは、オオクニヌシを婿として認め、スセリビメと一緒になることを許したのでした。

さらに、自らの剣と弓矢を用いて「葦原の中津国(地上)を治める」という大任とスセリビメを任せたのでした。



根の国から帰ってきたオオクニヌシは、スサノオから授かった剣と弓矢もあり、なんとか八十神達を退けます。

その後オオクニヌシは、常世の国からやって来た小人神スクナビコナ(一寸法師のモデル)と共に、国造りを行いました。

国が完成しようとした時に、相棒スクナビコナは去ってしまい、オオクニヌシは狼狽えます。しかし、その時に海の向こうか「大和国の三輪山に、我を丁重に御魂を祀るように。さすれば、この国を完成させよう」と告げる神が現れ、この神が三輪山に祀られている神様で名を「オオモノヌシ」といい、大神神社(奈良県桜井市)のご鎮座の縁起であります。

出雲大社の祝詞の最後に

「奇魂(くしみたま)幸魂(さちみたま)守給(まもりたまえ)幸給(さきはえたまえ)」と唱えます。

これはオオクニヌシとオオモノヌシが同一の神ともされ、出雲大社においてもオオモノヌシ(奇魂・幸魂)をお祀りされているのです。

この国は、争うことによって造られた国ではありません。

女性を愛し、その愛を貫き、様々な試練に打ち勝ち、その想いが認められたことで国造りが始まっているのです。

この国の国土を形作ったイザナキやイザナミも、そうです。二人の愛によって国が造られました。

私たちが住むこの日本は、争いごとではなく、愛によっていつの間にかつくられた「愛の国」とも言えます。


【神格】

国造りの神、農業神、商業神、医療神、縁結びの神



【祀られている神社】

出雲大社 (島根県出雲市)

大前神社 (栃木県真岡市)

大國魂神社 (東京都府中市)

大洗磯前神社(茨城県大洗町)

氷川神社(埼玉県さいたま市)

一之宮貫前神社境内 咲前神社(群馬県富岡市)

二荒山神社(栃木県宇都宮市)

日光二荒山神社(栃木県日光市)

気多大社 (石川県羽咋市)

気多本宮 (石川県七尾市)

小国神社 (静岡県周智郡)

日吉大社 (西本宮、滋賀県大津市)

砥鹿神社 (愛知県豊川市)

出雲大神宮 (京都府亀岡市)

愛宕神社 (京都府亀岡市)

一宮神社 (福知山市)

大国主神社(大阪府大阪市)

道明寺天満宮・元宮土師社 (大阪府藤井寺市)

大神神社 (奈良県桜井市)

高砂神社 (兵庫県高砂市)

飛瀧神社 (和歌山県那智勝浦町)

八桙神社 (徳島県阿南市)

薬師神社  – 全国各地
ほか、全国の出雲神社

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オオゲツヒメ(大気都比売神)

【スサノオに斬られた穀物の女神】

今日はオオゲツヒメを描いてみました。

オオゲツヒメという名は「大いなる食物の女神」という意味で、『古事記』において、最初の夫婦神であるイザナキとイザナミによる「国産み」でうまれた、伊予之二名島(いよのふたなのしま/四国)の中の粟国(あわこく)の別の名前としてオオゲツヒメが初めて登場します。

しかし、そのすぐ後の「神産み」においてイザナキとイザナミの間に生まれたとの記述もあり、同じオオゲツヒメと呼ばれる神が二人生まれたとも読めます。



アマテラスが岩戸に隠れた原因を造ったとして、高天原を追放されたスサノオでしたが、出雲に降り立つ前に会ったのがオオゲツヒメでした。

前述のイザナキとイザナミの「国生み、神生み」で生まれた神様名と同じ(漢字は少し違う)で、お腹をすかしたスサノオに料理を振る舞う神としても登場します。



おもてなしをするために様々な食物をスサノオに提供しますが、スサノオがオオゲツヒメの食事の支度を覗いてみると、オオゲツヒメは鼻や口、尻から食材を取り出し、それらを調理してました。

「そんな汚い物を食べさせていたのか!」と憤慨し、怒りのあまり手に持っていた剣でオオゲツヒメを斬り殺してしまうのでした。

すると、オオゲツヒメの頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれたので、

造化三神の一柱カミムスビが取り出し種と成しました。



『日本書紀』の中ではウケモチと言う名の穀物神が、ツクヨミに斬られ、同じように五穀の起源となりました。



【祀られる神社】

上一宮大粟神社(徳島県名西郡神山町)

一宮神社(徳島県徳島市)

阿波井神社(徳島県鳴門市)

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オオトノヂ、オオトノベ(意富斗能地神、大斗乃弁神)

【大地を固めた夫婦神】

オオトノヂ(意富斗能地神)とオオトノベ(大斗乃弁神)の夫婦神を描いてみました。

この神様達は『古事記』によると、天地創造の神々のうち「別天津神(ことあまつかみ)」に続いて現れた、「神世七代(かみよななよ)」の中で、五代目に現れた神々です。

【別天津神】造化三神→ウマシアシカビヒコジ→アメノトコタチ

【神世七代】クニノトコタチ(一代目)→トヨクモノ(二代目)→ウヒジニ、スヒチニ(三代目)→ツヌグイ、イクグイ(四代目)→オオトノヂ、オオトノベ(五代目)

それまでに現れた造化三神やウマシアシカビヒコジ、アメノトコタチといった「別天津神」と、「神世七代」のクニノトコタチ、トヨクモノといった神々は「独神(ひとりがみ)」と呼ばれ、男女の差の無い神々でしたが、ウヒヂニ(男神)とスヒチニ(女神)は、その差が出来てきて夫婦一対そろって初めて現れ、続くツノグイ(男神)、イクグイ(女神)、その後のオオトノヂ(男神)、オオトノベ(女神)も男神と女神の差がある神々です。

オオトノヂ、オオトノベの神名は「大地が完全に凝固した事」を神格化したとする説があり、オオトノヂの「地(ヂ)」は男性、オオトノベの「弁(ベ)」は女性の意味とされます。

また、「オオ」は「偉大な」という美称で、「ト」は「ミトのマグワイ」の「ト」で、性の象徴であるとする説や「門、戸」の意味がるともされます。その意味で読むとオオトノヂの名義は「偉大な門(戸)の父親」と考えられ、オオトノベの名義は「偉大な門口の女」とも。

今回は「大地を完全に固めた神様」という側面から、他の神世七代の神々と同じく「地球(大地)誕生に関わる神様」と捉えてイメージしています。

45億5千万年前(+-5千万年)、地球が誕生したとされますが、その後、微惑星の衝突が続いた影響で地球は大きくなっていったと考えられています。
微惑星、隕石の大量衝突により灼熱の溶岩(マグマオーシャン)で覆われていた地球でしたが、次第に衝突も収まると地表が冷え、原始大気が大雨となり延々と降り注ぎ、更に大地を冷まし海が出来ていきました。こうしてようやく生命が誕生する土壌が完成し、生命誕生は40億年~35億年前に遡るとされています。

この後の約22億年前と約7億年前に起こったとされる「全地球凍結(スノーボールアース)」は、地球表面全体が凍結するほどの激しい氷河時代だったといわれ、この大氷河期により「大地を完全に固めた」神々としてオオトノヂとオオトノベを描いてみました。
性の起源とされるのが今から15億年ほど前とされ、オオトノヂ、オオトノベの「ト」が有性生殖の始まりを示しているのかもしれません。全地球凍結の影響により原生生物の大量絶滅が起こりましたが、それに続くカンブリア爆発(5億4200万年前から5億3000万年前)と呼ばれる跳躍的な生物進化をもたらし、多細胞生物の出現など生命の進化に大きな影響を与えたとされます。


【お祀りする神社】

宅宮神社(徳島県徳島市上八万町)
波須波神社(島根県出雲市佐田町下橋波172番地)
物部神社 境内 神代七代社(島根県大田市川合町)
忌部神社(島根県松江市東忌部町)
穂見諏訪十五所神社(山梨県北杜市長坂町)
二荒山神社 境内 十二社(栃木県宇都宮市馬場通り)
熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)

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オオヤビコ(大屋毘古神)

【オオクニヌシを匿った木の神】

木の神オオヤビコ(大屋毘古神)を描いてみました。

オオヤビコは木の神で、『日本書紀』に記載のあるスサノオの息子で林業の神イソタケル(五十猛神)と同一神とされています。「イソタケル」の名では『古事記』には記載がありませんが、イザナギとイザナミの「神生み」で六番目に生まれたのがオオヤビコで、スサノオの兄弟ともとれ、家宅六神(かたくろくしん/家の神)の一柱です。



オオヤビコは紀伊の国(木の国)の神とされ、オオクニヌシの母であるサシクニワカヒメが、オオクニヌシを八十神(ヤソガミ)からの迫害から逃れさせるために紹介し、オオクニヌシはオオヤビコの元に赴き紀伊國に匿ってもらいました。

しかし、八十神はその紀伊國まで追いかけてきて執拗に攻め立てます。オオヤビコはオオクニヌシをこっそり裏口から逃して、根の国にいるスサノオの元に逃れるように助言しました。

その後、スサノオの国へ逃れたオオクニヌシはその地でスセリビメと出会いもあり、数々の試練を乗り越え逞しく成長します。オオクニヌシを匿い、オオクニヌシの国造りを陰ながら支えた神様がオオヤビコといってもいいでしょう。





【系譜】

イザナミとイザナミの子

スサノオの息子(日本書紀のイソタケル)



【オオヤビコ(五十猛神)を祀る神社】

伊太祁曽神社 (和歌山県和歌山市)

度津神社 (新潟県佐渡市)

高瀬神社 (富山県南砺市)

来宮神社 (静岡県熱海市)

八坂神社 (京都府京都市東山区)

粟田神社 (粟田神社)

射楯兵主神社 (兵庫県姫路市)

など





#オオヤビコ #スサノオ

#五十猛 #オオクニヌシ

#神社好きとつながりたい  #木の神 #古事記 #日本書紀 #神社参拝 #神社 #浮世絵

  #水墨画 #墨絵 #植林の神

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オオヤマクイ(大山咋神)

【比叡山を守る山の神】

オオヤマクイ(大山咋神)を描いてみました。

オオヤマクイは、スサノオの息子オオトシとアメノシカルミヅヒメのとの間に生まれた子で、名前の「くい(くひ)」は「杭」のことされ、大山に杭を打つ神、大きな山の所有者の神を意味するとされる山の地主神です。

また、農耕(治水)を司る神ともされ、別名のヤマスエノオオヌシノカミ(山末之大主神)は、山の裾や山の頂上の境界を守護する大神ととれます。



『古事記』では、オオクニヌシ神話の最後に、オオヤマクイは近江国の日枝山(ひえのやま、後の比叡山)および葛野(かづの、葛野郡、現京都市)の松尾に鎮座し、鳴鏑(なりかぶら(矢))を神体とすると記されています。

鳴鏑は鏑矢が音をたてて飛ぶので鳴鏑と呼ばれ、松尾大明神(オオヤマクイ)が一本の鏑矢に姿を変えて川を流れ、拾った女性を妊娠させたという伝承があります。

『山城風土記』では賀茂の社のご由緒として、鳴鏑のかわりに丹塗矢とした似た話があります。

このことから鳴鏑神は、賀茂社に祀られる雷神と同一視され、 矢に変化し川を流れることから水神としての側面もあるとされ信仰された神でした。

なお、オオヤマクイは里山に鎮まるとされることから、『古事記』の「日枝山」とは、比叡山全体というより、里山である八王子山(比叡山の一部)を指すとする説もあります。



「日枝山」には日吉大社(滋賀県大津市)が、松尾には松尾大社(京都市西京区)があり、ともにオオヤマクイを祀っています。日枝山と松尾については、共通の祭神を祀る社の存在だけではなく、八王子山と松尾山の両方に巨大な磐座と、古墳群(日吉社東本宮古墳群、松尾山古墳群)が存在し、共通点が多く興味深いです。

比叡山に天台宗の延暦寺ができてからは、オオヤマクイは最澄(さいちょう)によって、天台宗および延暦寺の結界を守る守護神ともされ、お釈迦様の垂迹とされたオオヤマクイ(山王権現)は仏教界でも重要な神様となりました。



天台宗が比叡山延暦寺で興した神道の流派を山王神道と言い、

室町時代の武将で学者でもあった太田道灌(おおたどうかん)が江戸城の守護神として川越日吉社(埼玉県川越市)からオオヤマクイを勧請して、山王祭で有名な日枝神社(東京都千代田区)を建立しました。徳川家康(とくがわいえやす)が江戸に移封された時に城内の紅葉山に遷座し、家康の没後は天海(てんかい)が、山王神道を山王一実神道(さんのういちじつしんとう)と発展させ、家康の御魂を東照権現としてお祀りしたのが日光東照宮(栃木県日光市)です。江戸時代を通して徳川家の氏神となり、明治以降は皇居の鎮守とされ現在も大切にお祀りされています。





【別名】



山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)

山王

松尾大明神



【お祀りする神社】



#日吉大社 東本宮(滋賀県大津市)

#松尾大社 (京都市西京区)

#日吉神社 (東京都千代田区)

#日吉神社 (富山県富山市)

#松尾神社 (島根県出雲市)

#松尾八王子神社 (静岡県磐田市)

他全国の神社



#オオヤマクイ #山王

#大歳 #神生み #スサノオ

#神社好きとつながりたい  #山の神 #古事記 #日本書紀 #神社参拝 #神社 #浮世絵

  #水墨画 #墨絵 #境界の神

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オオヤマヅミ(大山津見神)

【山と酒の神】

山の大神【オオヤマヅミ】を描きました。
別名を酒解神(さけとけのかみ)とも言われ、初めて酒を作って献じた、酒造の祖神とされています。ちなみに酒解神は橘氏の祖神。

『日本書紀』では、イザナギがヒノカグツチを斬った際に生まれたとしています。

『古事記』では、神産みにおいてイザナキとイザナミとの間に生まれました。その後、草と野の神であるカヤノヒメとの間に以下の四対八柱の神を生んでいます。



アメノサヅチ・クニノサヅチ

アメノサギリ・クニノサギリ

アメノクラドカミ・クニノクラドカミ

オオトマトイコノカミ・オオトマトイメノカミ



この四対八柱の神々は、それぞれ土、霧、谷を司る神とされ、高天ヶ原に住まう天津神(あまつかみ)に対する大地の国津神(くにつかみ)の神様です。

元は農業に水を供給する「山の霊」や「山の恵」に対する信仰や、山そのものを神聖視する信仰から派生した山岳信仰の神で、女神的な性格をもっていたとも考えられていますが、『古事記』などに記される過程で男神的な性質を持ち、女神は娘となり,〈父〉であるオオヤマヅミが男神として独立したものともされますので、威厳のある男神として描いています。



『記紀神話』にはオオヤマヅミ自身についての記述はそこまで多くありません。しかし、オオヤマヅミの子と名乗る神が何度か登場していて、有名な逸話の「ヤマタノオロチ退治」において、スサノオの妻となるクシナダヒメの父母、アシナヅチとテナヅチはオオヤマヅミの子と名乗っています。

その後、スサノオはオオヤマヅミの娘であるカムオオイチヒメとの間にオオトシノカミとウカノミタマをもうけていると記しています。また、スサノオとクシナダヒメとの間の子、ヤシマジヌミは、オオヤマヅミの娘のコノハナチルヒメと結婚し、その子孫がオオクニヌシにあたります。スサノオともオオクニヌシとも非常に縁のある神様が、この山神オオヤマヅミです。



そして、オオヤマヅミは天津神とも深い関わりがあり、天孫降臨の後、ニニギはオオヤマヅミの娘であるコノハナサクヤヒメと出逢い一目ぼれします。

オオヤマヅミは、コノハナサクヤヒメからその話を聞くと喜び、コノハナノサクヤヒメとその姉のイワナガヒメを添えてニニギに嫁がせようとしました。

しかし、ニニギが容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを嘆き恥ずかしみ「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は木の花のように短くなるだろう」と告げました。これにより天孫の子は、永遠の命ではなく限られた命になったとされ、ニニギとコノハナサクヤヒメの子供が山幸彦と海幸彦、その山幸彦の孫が神武天皇にあたり皇祖にも関わり合いの深い神様がオオヤマヅミです。

『伊予国風土記』逸文で、16代仁徳天皇(にんとくてんのう)のとき百済国より渡来、初め摂津国御島(大阪府三島)に座し、のち伊予国御島(愛媛県今治市大三島町)に移り、現在の大山祇神社(愛媛県今治市)に祀られたと記し、『釈日本紀』に現在の静岡県三島市大宮町の三嶋大社の祭神としても記しています。山を司る神ですが、日本は山岳が多くその国土の60%以上は山なので、オオヤマヅミも必然と広大な支配地域を有し、その神徳も広く、農業・鉱業はもちろん、漁業・商工業などの分野にまで及び、全国の三島神社を中心に崇敬を集めています。



【祀られている神社】

大山祇神社 (愛媛県今治市)

三島大社 (静岡県三島市)

大山阿夫利神社 (神奈川県伊勢原市)

大山阿夫利神社 (神奈川県伊勢原市)

山末神社 (三重県伊勢市豊川町)

その他、全国の山神神社

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オオワダツミ(大綿津見神)

【大海原を守護する神】

海の神オオワダツミ(大綿津見神)を描いてみました。

『古事記』によると「国産み神産み」の使命を受けたイザナキ、イザナミによって、まず国土となる大八島国(おおやしまのくに)を産み、その後、六つの島々が産み出されます。

国土が出来上がった後に夫婦神が取り掛かった「神産み」によって生まれたのが海神オオワダツミをはじめとする多くの神々でした。

この時に生まれた神様は「家宅六神(かたくろくしん)」とよばれる、家を形成する神、家を守護する神々と山の神オオヤマヅミ、野の神カヤノヒメ、風の神シナツヒコ、木の神ククノチ、水の神ハヤアキツヒコ、火の神ヒノカグツチなどの自然神でした。

「山幸彦と海幸彦兄弟の伝承」では、兄の釣針を無くし責められて落胆していた山幸彦の元に、シオツチノオジという老人が現れて、綿津見宮(わだつみのみや)への行き方を教えてくれます。そこでオオワダツミと娘のトヨタマヒメが山幸彦を歓迎し、天孫ニニギの子である山幸彦に娘を嫁がせました。その後、山幸彦の失くした釣針探しを手伝い、兄の海幸彦をこらしめる「塩満珠(しおみつたま)」と「塩乾珠(しおふるたま)」を授けたとあるので、その場面宝玉を授けているオオワダツミをイメージして描いています。

オオワダツミは、トヨタマヒメの父であるので、別名をトヨタマヒコとされ、もう一人の娘タマヨリヒメも山幸彦とトヨタマヒメの子ウガヤフキアエズと結ばれ、初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)を産みました。こうして二代に渡り皇祖に娘を嫁がせたので皇統に深い関係を持つ神様でもあります。



また、イザナキが黄泉から帰って禊(みそぎ)をした際に産まれたソコツワダツミ、ナカツワダツミ、ウワツワダツミの三柱もワダツミ三神と呼ばれますが、オオワダツミとは別の海神ともされますが、名前も性質も似ている事から近しい関係の神だと考えられます。ワダツミ三柱は、九州北部の海人族であったとされる阿曇連(あずみのむらじ)(阿曇氏)の祖神で、信濃にも安曇氏が進出しています。現在も阿曇氏の末裔が宮司を務める志賀海神社(福岡県福岡市)は阿曇氏伝承の地です。

オオワダツミが水の神、海の神として海上交通の守護や大漁祈願はもちろん、農事や狩猟も守護しても富をもたらすとされ広く崇敬されてきました。またオオワダツミの「ワタ」は「海」の古語とも言われ、他に「渡る」という意味で「大きく渡る津を見守る神」、これは「海原のはるか沖に続く航路を守護する神」という意味にとれ、広大な海そのものを守護する偉大な神格を表現しています。

昔から海に囲まれていた日本において、海の幸、海上交通の守護を司るオオワダツミは偉大な自然の恵みの象徴とも言えますが、それだけではなく皇室と切っても切れない関係にある重要な神様であります。





・オオワダツミ、ワダツミを祀る神社

志賀海神社 (福岡県福岡市東区志賀島 総本社)

大海神社 (住吉大社摂社)(大阪市住吉区)

龍王神社 (奈良市中山西町)

海神社 (和歌山県紀の川市)

綿津見神社・海神社( 全国各地)

志賀神社( 福岡県糟屋郡粕屋町)

風浪宮 (福岡県大川市酒見)

渡海神社 (千葉県銚子市)

穂高神社 (長野県安曇野市穂高)

二見興玉神社 (三重県伊勢市二見町)

林神社  (兵庫県明石市)

小江神社( 兵庫県豊岡市)

海神社( 兵庫県豊岡市)

田土浦坐神社 ( 岡山県倉敷市下津井田之浦)

由加神社本宮(  岡山県倉敷市児島由加)

沼名前神社 (広島県福山市鞆町後地)

水上神社 (島根県大田市温泉津町)

浜殿神社  (長崎県対馬市豊玉町仁位)

高千穂神社 (宮崎県西臼杵郡高千穂町)

鹿児島神社  (鹿児島県鹿児島市草牟田)

飯倉神社  (鹿児島県南九州市)

永尾神社 (熊本県宇城市不知火町永尾615)

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オモイカネ(思金神)

【高天ヶ原の知恵の神】

『古事記』においてオモイカネが活躍する有名な逸話は、「アマテラスの天岩戸隠れ」の話です。

アマテラスが天岩戸に篭った際に、アマテラスを外に出すための会議を開き、神々に知恵を授けた神がオモイカネ。

オモイカネは知恵の神様とされますが、単に知識が豊富なだけではありません。

知識を得ると、その知恵を誇示したり、自己肯定の為に知恵を絞ろうとする人もいます。

しかし、オモイカネの「おもひ」は「思慮」という意味で、思慮(おもい)とは自分の意見や知恵をひけらかすのではなく、色々な人の立場から物事を考え、最善の答えを導き、多く人(神様)の思いを兼ねるとされます。



知恵、思いを「兼ね備える」つまり、思慮を兼ね備える神がオモイカネです。

だからこそ天地が暗闇に包まれ多くの災いが起こった時に、神々からその知恵、思いを求められたのです。



また、オモイカネは国譲りに際して、交渉役の選抜においても知恵を与えました。

ただ、オオクニヌシの葦原中津国(あしはらなかつくに)の元に派遣しようとしたアメノオシホミミは途中で断念し、その後派遣されたアメノホヒは国津神に懐柔され、アメノワカヒコはオオクニヌシの娘シタテルヒメを娶り、恭順してしまいました。

しかし、その失敗はオオクニヌシの器を計る為の智謀だとすると、最後に遣わされたタケミカヅチとの交渉が苦も無くまとまった事に頷けます。

またアマテラスとスサノオの誓約(うけい)にて生まれたのがアメノオシホミミとアメノホヒ。そのスサノオが誓約の後、高天ヶ原から追放されて出来た子孫がオオクニヌシです。つまり、オオクニヌシとの交渉役で、血統的に見て誰もが適役だと考えたのがアメノオシホミミとアメノホヒ。

しかし、その神々では国譲りの交渉が困難であるとオモイカネは気付いていたのかもしれません。ただ、皆の総意を優先し、失敗させることで国譲りが困難である事を知らしめ、オオクニヌシをも油断させることに繋がります。

自分の評価を焦るあまり、本質からズレ、保身に走る。それでは真の解決とはいえません。

オモイカネはこの様に、様々な人の立場から物事を考え、最善の答えを導く神であると言えるでしょう。



そして、国譲り成立の後、ニニギに随伴し天孫降臨した際には、「政(まつりごと)を成せ」とアマテラスから神勅を受けています。

アマテラスから直接神勅を受けたのは、ニニギとオモイカネのみで、オモイカネは造化三神のタカミムスビの御子神とされています。

このことからも高天原において、知の神としてはもちろん、政務祭祀においても信頼の厚い重要な神様でありました。

知恵を武器として使い立ち回るのではなく、周りの意見や思いを尊重し、信頼を得る事が何より大事なことですね。



知恵の神として知られるオモイカネですが、他に木工・金工職人守護という側面もあります。

オモイカネの表記「思金神」という名前の「金」の漢字から、大工の道具の金物、曲尺(カネジャク)とつながり、建築関係でもご利益・御神徳があるとされお祀りされています。

今でも、伝統的な建築現場の仕事始めの日に行われる手斧初(ちょうなはじめ/釿始)という儀式では、オモイカネを祀り祭祀が行われていますので、今回はその手斧初めをイメージして描いてみました。



【神格】
文神
知恵の神



【ご利益】
家運隆昌
出世開運
技術向上
学問・入試合格
木工職人守護



【別称】
思金神
常世思金神
思兼神
八意思兼神
八意思金神
阿智彦(アチヒコ)


【系譜】
タカムスビの子


【祀られている神社】
阿智神社 (長野県下伊那郡阿智村)
安布知神社 (長野県下伊那郡阿智村)
戸隠神社 中社(長野県長野市戸隠)
穂高神社 境内 四神社(長野県安曇野市穂高)
須倍神社 外宮(静岡県浜松市都田町)
事任八幡宮 境内 五社神社(静岡県掛川市八坂)
思金神社 (神奈川県横浜市)
八意思兼神社 (神奈川県伊勢原市)
氷川神社 境内社 気象神社(東京都杉並区)
秩父神社 (埼玉県秩父市番場町)
三峯神社 境内 秩父神社(埼玉県秩父市三峰)
大洗磯前神社 境内 静神社(茨城県東茨城郡大洗町)
若宮神社 (滋賀県草津市岡本町)
地主神社 (京都市東山区)
五字神社 (大阪府箕面市粟生間谷)※「ごあざ」神社
五字神社 (大阪府箕面市粟生外院)※「ごじ」神社
津門神社 (兵庫県西宮市)
三条八幡神社 (兵庫県芦屋市)
蟻通神社 (和歌山県伊都郡かつらぎ町)
高濱神社 (島根県出雲市)
天安河原宮 (宮崎県西臼杵郡高千穂町)

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オモダル、アヤカシコネ(淤母陀琉神、阿夜訶志古泥神)

【完成し賛美しあう夫婦神】

オモダル(淤母陀琉神)とアヤカシコネ(阿夜訶志古泥神)を描いてみました。

この神様達は、『古事記』によると、天地創造の神々のうち「別天津神(ことあまつかみ)」に続いて現れた、「神世七代(かみよななよ)」の中で、六代目に現れた夫婦の神々です。

造化三神→ウマシアシカビヒコジ→アメノトコタチ(別天津神)

クニノトコタチ→トヨクモノ→ウヒジニ、スヒチニ→ツヌグイ、イクグイ→オオトノヂ、オオトノベ→オモダル、アヤカシコネ(神世七代)

それまでに現れた造化三神やウマシアシカビヒコジ、アメノトコタチといった「別天津神」と、「神世七代」のクニノトコタチ、トヨクモノといった神々は「独神(ひとりがみ)」と呼ばれ、男女の差の無い神々でしたが、ウヒヂニ(男神)とスヒチニ(女神)は、その差が出来てきて夫婦一対そろって初めて現れ、続くツノグイ(男神)、イクグイ(女神)その後のオオトノヂ(男神)、オオトノベ(女神)、オモダル(男神)、アヤカシコネ(女神)も男神と女神の差がある神々です。

オモダルの神名は、「主だった物が産まれ、満ち足りる様子」を現しているとされ、、アヤカシコネは「あやにかしこし」と美称したものとされています。

神名の説は他にも、男神から女神に対して「主に満ち足る(美しい)」と賛美した言葉と、「あやかしこ」は女神がその賛美を受けて「もったいない言葉を」と答えたことが語源ともされていますので、その賛美しあう祝福に満ち足りた夫婦神をイメージして描いています。

また他の神世七代の神々と同じく、地球創造の夫婦神であるとも考えられます。
一代目のクニノトコタチから続く、五代目のオオトノヂ、オオトノベまでは、地球の創造と生命の進化に当てはめてイメージしましたが、このオモダルとアヤカシコネは神名の意味を読み解くと、これまでの一連の流れにおいて、大地と生命が「主に満ち足りた、状態になった」という賛美と喜びを表していると思われます。

これは、後に続くイザナギとイザナミが国生みの後に産んだ、オオコトオシオなども同じような神格を有している神様といえます。

『古事記』においては、この宇宙、地球の完成と、生命の誕生から進化までの一連の出来事そのものを現す神か、その奇跡的な事に対する賛美と喜びや感謝を意味する神々がオモダルとアヤカシコネはないでしょうか。


【お祀りする神社】
近津神社(茨城県久慈郡大子町)
二荒山神社 境内社(栃木県宇都宮市馬場通り)
健男霜凝日子神社(大分県竹田市神原)
熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)
熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
穏田神社(東京都渋谷区神宮前)
各地の第六天神社

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神大市比売(カムオオイチヒメ)

【穀物と市の姫神】

カムオオイチヒメ(神大市比売)を描いてみました。この神様は『古事記』において、スサノオの二番目の妻として記載されています。スサノオの一番目の妻は、ヤマタノオロチを退治した際に助けたクシナダヒメですが、どちらの女神様も稲作に関係の深い神様で、スサノオと稲作の関係性の深さを現していると言えます。



カムオオイチヒメは、山の神オオヤマヅミの娘とされていて、スサノオとの間に2柱の御子神、オオトシ(大年神)とウカノミタマ(倉稲魂神)を産みました。

この神々は、どちらも農耕に関係のある神格を有しているのもあり、カムオオイチヒメ自身も農耕神・食料神として信仰されています。

ただ、夫のスサノオ、父神オオヤマヅミ、御子神ウカノミタマ、オオトシをお祀りする神社は全国各地にありますが、カムオオイチヒメをお祀りする神社は非常に少ないといえます。



神名の「神(カム)」は偉大な神威に畏敬して冠する接頭語とされ、「大(オオ)」は「偉大・立派」、「市(イチ)」物々交換をするために人が集まる場を表し、「神々しい、立派な市」と考えられ、

市場の守護神として信仰され、農耕稲作の豊穣神と言う側面もありつつ、経済守護、商売繁盛にも神徳があるとされます。



また山神は陸海問わず物々交換の市場を提供する能力があったため、オオヤマヅミの分身としてカムオオイチヒメが尊ばれていました。

また、穀物の神が山に住んでいると考えていて、それが里の畑に宿って作物を育てるという信仰があったため、山の女神であるカムオオイチヒメもそういった神格を有し、ウカノミタマやオオトシといった穀物神の祖神(おやがみ)として特別な崇敬を受けていたと思われます。



前述の通り神社のご祭神としては比較的少ないですが、大歳御祖神(おおとしみおやのかみ)の神名で祀られることが多いようです。



奈良県桜井市にある3世紀中頃の築造とされる箸墓古墳には、宮内庁治定として「大市墓」の銘があり、



伏見稲荷大社(京都府京都市伏見区)の上社祭神「オオミヤノメ(大宮能売大神)」はアメノウズメと同一視されることもありますが、これを『二十二社註式』、『稲荷神社考』などではカムオオイチヒメであるとされ、穀物神、市場守護神として現在も広く信仰されているとも考えられます。



◆系譜

オオヤマヅミの娘

スサノオの妻

ウカノミタマ(子)

オオトシ(子)



【お祀りする神社】

静岡浅間神社内の大歳御祖神社(静岡県静岡市葵区)

市神社(愛知県津島市米町)

湯田神社(三重県伊勢市小俣町)

市比売神社(京都府京都市下京区)

大内神社(岡山県備前市香登本)

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キクリヒメ(菊理姫)

【和合と縁結びの女神】

キクリヒメを描いてみました。

キクリヒメは『日本書紀』の一書(第十)に一度だけ出てきた謎めいた神様です。

イザナキとイザナミが黄泉の国で仲違いし、黄泉比良坂(よもつひらさか)で別れを告げた時に意見を述べた(仲裁に入った)という女神がキクリヒメ。



結果的に夫婦神は別れる事となりましたが、キクリヒメが間に入って和合させたとも考えられています。

キクリヒメの別名はククリヒメ。ククリとは括るという意味ですので、糸を括っているようなイメージで描いて「縁結びの神」を表現してみました。

和合の神や縁結びの神とされ、シラヤマヒメと習合し白山比咩神社 (石川県白山市)を筆頭に全国の白山神社でお祀りされています。



また、水神または山の水源を平地に届けて水田を潤し、稲穂を実らせる農耕神という側面もあるようです。この事から、水源から流れ出る清流を象徴化した龍神との関係も深く、

白山を水源とする九頭竜川、手取川、長良川流域を中心に山岳信仰を母体とし崇められていました

。その信仰が加賀国を中心に隆盛を誇った白山信仰へと繋がっていきます。



「和合の神」「ご縁結びの神」として知られるキクリヒメ。世の中には良い縁も悪い縁もありますが、人との縁はすべて単なる偶然ではなく、深い縁、意味のある縁によって起こるもの。

しかし、「出会い」は必ず「別れ」をもたらすのが世の常ともいえます。

それは、別れの悲しみや、決別の辛さ、愛のはかなさ、人生の無常さを感じさせます。

しかし、出会う喜びがあったからこそイザナギとイザナミは国を生み、神々を生み出すことが出来ました。

始めがあれば終わりがあり、楽があれば苦があるのと同じように訪れるもの、別れが来るまでの時間を大切に日々過ごすことが肝要ですね。

「袖振り合うも多生の縁」と昔から言われますが、その事をまさにキクリヒメは現しているのではないでしょうか。

アマテラスやスサノオ、ツクヨミといった三貴子(さんきし)と呼ばれる神々を筆頭に、多くの神がイザナギの禊により化生しますが、

これもキクリヒメの仲裁が無ければ、成し遂げられなかったかもしれません。



【神格】

農耕神、白山の神、水神


【ご利益】

五穀豊穣、縁結び、安産・育児、命名、生業繁栄、家内安全、厄除け、開運招福、交通安全、入試合格


【別称】

白山比咩神(シロヤマヒメノカミ)、白山媛命


【系譜】

不明


【祀られている神社】

白山咩神社 (石川県石川郡鶴来町)

白山神社 (新潟市一番堀通町)

白山長滝神社 (岐阜県郡山郡白鳥町)

白山神社 (高知県土佐清水市足摺岬)

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キジノナキメ(雉鳴女)

【高天ヶ原の神の遣い】

キジノナキメを描いてみました。
キジノナキメ(雉鳴女)は『古事記』のオオクニヌシの国譲りの説話に登場する高天ヶ原の使者です。

オオクニヌシが八十神(ヤソガミ)を退け、相方のスクナビコナの尽力も得るなどし葦原中津国(あしあらなかつくに)を平定し終える頃、高天ヶ原の神々が動き出します。

まず葦原中津国(あしはらなかつくに)への使者の勅命を受けたのはアマテラスの御子神アメノオシホミミでした。

さっそくアメノオシホミミは、葦原中津国の様子を伺おうと、天の浮橋に立って覗いてみます。

しかし、葦原中津国がやけに騒々しく見えたので、すぐに高天ヶ原に引き返してしまいました。



アメノオシホミミが失敗したので、次にタカミムスビとアマテラスは神々を集めて誰が使者として適任かを問うと、アメノホヒが良いのではと意見が上がったので、さっそくアメノホヒをオオクニヌシの元に派遣させます。

しかし、第二の使者アメノホヒはオオクニヌシの配下となり、三年経っても高天ヶ原に戻ってきませんでした。



そこで再びタカミムスビとアマテラスが高天ヶ原の神々を集めて問います。

八百万の神々は相談した結果、アメノワカヒコを使者にするべきだとの声が上がり、天之麻迦古弓(あまのまかこゆみ)と天之羽々矢(あめのははや)を授けて、オオクニヌシの元に派遣しました。

しかし、アメノワカヒコもオオクニヌシの娘シタテルヒメと結婚してしまい、オオクニヌシの跡継ぎになろうと八年も高天ヶ原に帰ってきませんでした。



高天ヶ原の神々は、使者が勅命を忘れてしまっているのでは?と考えキジノナキメを葦原中津国に派遣することにします。

キジノナキメがアメノワカヒコの御殿に赴き、「アメノワカヒコよ。汝を葦原中国に派遣したのは、その国の荒ぶる神々を平定するためです。なぜ八年も音沙汰無しなのか?」と問いただすと、傍にいたアメノサグメ(天邪鬼の原型)が「この鳥の鳴き声は不吉な物です。射殺してしまいなさい。」とアメノワカヒコをそそのかしてしまいます。

アメノサグメの妄言を信じたアメノワカヒコは、授かった弓矢でキジノナキメを射ち殺してしまうのでした。

キジノナキメを射た矢は、そのまま高天ヶ原の神々の元まで飛んでいきます。タカミムスビとアマテラスは、その矢に着いた血を見ると、「アメノワカヒコが勅命に従い、荒ぶる神々を射た矢であれば、アメノワカヒコに当たらないであろう。しかし、アメノワカヒコが我々い背いて射た矢であれば、アメノワカヒコにバチが当たるだろう」と言い、矢を葦原中津国に投げ返しました。

高天ヶ原から投げ放たれた矢は、寝ていたアメノワカヒコの胸を射抜き、彼はバツを受け死んでしまいます。



亡くなったアメノワカヒコの葬儀を妻シタテルヒメや父アマツクニタマが泣き悲しみながら行いますが、その喪屋(葬式をする前の遺体安置所)の準備の中でキジノナキメも「哭き女(なきめ)」としての役割があると書かれています。この時の泣いている姿をイメージして描いてみました。

高天ヶ原の使者として描かれているキジノナキメですが、それとは別に葬儀で故人を嘆き悲しむ役割もあるのか、はたまた別のキジノナキメの事なのかは分かりませんが、鳥は異世界(死者の世界)と現世を繋ぐ存在とされてきました。この事を現しているのがキジノナキメなのでしょう。



【系譜】

不明



【別名】

キギシナキメ





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ククノチ(久久能智神)

【イザナギイザナミが生んだ木の神】

木の神ククノチ(久久能智神)を描いてみました。

ククノチは『記紀神話』において、イザナギとイザナミが生んだ木の神様や木の祖神とされる神様で、同じ木の神様オオヤビコと同じような神格を有している自然神です。

ククノチの「クク」は「木々」が転訛したものや「茎」の音の交替形ともされていて、「チ」は神霊、精霊の意味といわれます。



吉備津彦神社(岡山県岡山市)の境内に「坂樹神社」があり、ここのご祭神がククノチであります。

坂樹というのは「境目の木」で、「榊」のことでもあります。日本人は山に神がいると考え、山は神聖な領域であり、その境目に立っていたのが「サカキ」とされました。これは冬になると里の植物がほとんど枯れてしまっているのに、山を見ると常緑樹が生い茂り青々としているところがあるのを見て山の木々の生命力の高さ、特別な力を感じていたのでしょう。それで「常緑樹」を人里と神域を分ける「境目の木」とし、「サカキ」となったわけです。



『古事記』において、ククノチは、山の神オオヤマヅミよりも先に産まれていますので、常緑樹だけでなく、山を成す全ての「木」や生命力を内包した木の神様と考えられます。

男神か女神かの明記はないのですが、オオヤビコが木の男神なので、ククノチは女神としてイメージし描いています。



ククノチは、公智神社(兵庫県西宮市)の主祭神になっているほか、久久比神社(兵庫県豊岡市)などにもお祀りされています。

木魂神社という名のククノチ(木魂神)を祭る神社も複数あり、山が多い日本において木の神様もまた身近な存在だったのは間違いありません。

古代から木は神様が、地上に降臨するときの神籬(ひもろぎ(依り代))と考えられてきました。それが神社のご神木であり、そうした霊樹として祀られてきた木々の生命力を司るのもククノチとされます。





【系譜】

イザナミとイザナミの子





【ご利益】



厄除け

国土開発

山林業守護





【ククノチを祀る神社】

#公智神社(兵庫県西宮市)

#久久比神社(兵庫県豊岡市)

#樽前山神社 (北海道苫小牧市)

#志等美神社 (三重県伊勢市)

#布川神社 (茨城県利根町)

など





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#イザナギ #神生み

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クシナダヒメ(櫛名田姫)

【稲の神霊を現す女神】

クシナダヒメを描いてみました。

クシナダヒメ(櫛名田姫、奇稲田姫)は、ヤマタノオロチの犠牲になる寸前でスサノオに助けられた女神で、山の神様オオヤマヅミの孫娘(テナヅチ、アシナヅチの娘)にあたります。



山神オオヤマヅミは子沢山で、クシナダヒメはコノハナサクヤヒメとイワナガヒメの姪っ子になり、他にオオヤマヅミの娘カムオオイチヒメもまたスサノオの妻で、系図を見ても山神オオヤマヅミとスサノオはかなり深い関係といえます。



『古事記』によると高天原から追放されたばかりのスサノオは、出雲国肥河の川上に住まう、オロチの襲撃を恐れて泣いている夫婦神(夫はアシナヅチ、妻はテナヅチ)と娘に出会います。

スサノオが夫婦に泣いている理由を聞くと、その娘は8人いたが、年に一度、高志の国からヤマタノオロチという8つの頭と8本の尾を持った恐ろしい怪物がやって来て、7人の娘が食べられてしまったといい、今年もヤマタノオロチの来る時期が近付いたため、最後に残った末娘のクシナダヒメも食べられてしまうと泣いていたのでした。



その話を聞いたスサノオは、娘との結婚を条件にオロチ退治を引き受け、クシナダヒメを「櫛」に変えて対オロチ戦の準備に入ります。

すぐスサノオは夫婦に7回絞った強い酒「八塩折之酒(やしおりのさけ)」を造らせて、8つの門を作り、その門全てに強い酒を満たした酒桶を置くよう命じ、自らもヤマタノオロチ退治の準備を急ぎました。



スサノオが待ち構えていると知らず、ヤマタノオロチがやって来ると、大きな8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒をグイグイ飲み干しまる。酒が回りヤマタノオロチが酔って寝てしまうと、すかさずスサノオは十拳剣(とつかのけん)で切り刻んで、見事オロチを退治したのでした。

止めを刺した時に、オロチの尾を切ると 十拳剣

の刃が欠け、尾の中から大剣が出てきます。この大剣がアマテラスに献上した「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」(別名、天叢雲剣/あめのむらくものつるぎ)です。これが熱田神宮(名古屋市熱田区)にお祀りされています。



ヤマタノオロチを退治すると二神はめでたく結婚し、共に住むための宮殿を須賀の地に建てたのでした。

この時、スサノオはクシナダヒメに和歌を捧げます。

これが日本初の和歌と言われ、クシナダヒメは「櫛名田姫」や「奇稲田姫」などと表記され稲の神霊を現している女神ですが、同時に和歌にも関わりのある神様といえます。

またイザナギとイザナミの黄泉の国の段においても、イザナギは「櫛」を投げることで、危うく難を逃れるなど、古来から「櫛」には霊力があると考えられ、さらに女性の生命力(クシナダヒメ)を櫛に変えて身に着ける事で、スサノオは「男神」でありながらも「女神」の神霊さを身に宿したと考えられます。

昔から「稲」は、食糧の他にも稲藁を加工して様々な物が作られ、日本人の生活には切っても切れない関係にあり「命根(いのちね)」や「生き根(いきね)」が、「稲」の語源とも言われ、クシナダヒメのその名は、霊力を秘めた「櫛」と、生命の根源である「稲」を象徴しているといえ、女性の神秘さと稲の生命力を感じさせる女神です。



恐ろしい怪物ヤマタノオロチを前にして、逃げも隠れもせずスサノオに「霊力」と「生命力」を与え、武器として共に戦ったという勇ましい面もこの女神の特徴ですね。

クシナダヒメの、その霊力の高さによって、それまで荒ぶる神の象徴であったスサノオも、彼女との出会いをきっかけに全く変わり、英雄として活躍します。

自らは武器を持たずとも、周りに「生命力」「霊力」という、根源的な恵みを与え続ける事がクシナダヒメの御神徳であります。



【ご利益】

五穀豊穣

縁結び

夫婦和合



【神格】

豊穣の神

稲の神



【別称】

稲田姫

奇稲田媛

久志伊奈太美等与麻奴良比売



【祀られている神社】

八重垣神社 (島根県松江市)

氷川神社 (埼玉県さいたま市)

廣峯神社 (兵庫県姫路市)

須佐神社 (島根県出雲市)

須我神社 (島根県雲南市)

八坂神社 (京都市東山区)

櫛田神社 (富山県射水市)

櫛田宮 (佐賀県神埼市)

六所神社 (神奈川県中郡大磯町)

稲田神社 (茨城県笠間市)

稲田神社 (島根県仁多郡奥出雲町)

各地(旧武蔵の国に偏在)の氷川神社、八坂神社。

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クニノトコタチ(国之常立神)

【神世の最初に現れた神】

クニノトコタチ(国之常立神)を描いてみました。

神名はアメノトコタチ(天之常立神)と対を成した関係性にあるものの、『古事記』において、アメノトコタチは最初に生まれた5柱の神、別天津神(ことあまつかみ)の一柱であるのに対し、クニノトコタチは神世七代(かみよななよ)の最初に生まれた神として記されています。



また、別天津神の神々やクニノトコタチは男神でも女神でもない独神(ひとりがみ)であるとされていますが、『日本書紀』によると「純男(陽気によって受けて生まれた神で、陰気を受けない純粋な男性)」の神であると記してあり、男性的な側面もあるとされるので中世的な男性をイメージして描いてみました。



別天津神の神々は現れたと思いきや、すぐさま身を隠され、神世七代の神々もまた、生まれた後に身を隠したとあり、その後の「国生み」や「神産み」の逸話で活躍するのは最後に生まれたイザナギとイザナミのみで、謎の多い神様達でもあります。



クニノトコタチは『日本書紀』では、最初に生まれた神様と記され、古くから根源神、創造神としての信仰もあり、外宮の渡会氏が興した「伊勢神道」ではアメノミナカヌシ、トヨウケヒメとともに根源神とされ、その影響を受け継いだ「吉田神道」では、クニノトコタチはアメノミナカヌシと同一神と考えられてきました。

大元尊神(宇宙の根源の神、大元の根源の神)に位置付けられ、その流れを汲む教派神道諸派でもクニノトコタチを重要な神としています。



神名の「国之常立」は、「国」を「国土」、「常」を「永久」と解し、「国土が永久に立ち続けること」を意味する神とされ、日本の国土の床(とこ、土台、大地)の成り立ちを意味するともされています。

別天津神が天(宇宙)の創造に関する神々だとすると、名前からするに国や大地の定立という重要な役割を担うのがクニノトコタチ。天があって地があるという概念が古代日本の中にもあったことが伺えます。

「別天津神」と「神世七代」の関係性も、それぞれ別々の神々ではなく、宇宙(天)に内包された、地球(国)と捉えられ、全てが一つに繋がるので、広大かつドラマチックな『古事記』の世界観を見る上で、重要な神がクニノトコタチではないでしょうか。



【祀られる神社】

高椅神社(栃木県小山市)

聖神社(埼玉県秩父市)

十二所神社(埼玉県川口市南鳩ヶ谷)

御岩神社(茨城県日立市)

蘇羽鷹神社(千葉県松戸市)

大宮神社 (千葉県千葉市若葉区)

長尾神社(神奈川県川崎市多摩区)

諸大明神社(愛知県春日井市松本町)

山津照神社(滋賀県米原市)

城南宮(京都府京都市伏見区)

西代神社 (大阪府河内長野市)

国常立神社 (奈良県橿原市、天香久山山頂)

玉置神社(奈良県吉野郡十津川村)

熊野速玉大社(和歌山県新宮市)の相殿

若桜神社(鳥取県八頭郡若桜町)

小村神社(高知県高岡郡日高村)

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グンダリミョウオウ(軍荼利明王)

【悪鬼を撃退し南方を守護する明王】

軍荼利明王の水墨画を描きました。

軍荼利明王は、密教の明王のひとつで、宝生如来(ほうしょうにょらい)の教令輪身(きょうりょうりんしん)(教え導く衆人の性質に合わせて姿を変える事)とされる尊格。



甘露(かんろ)軍荼利明王または吉利吉利(きりきり)明王と呼ばれることもあります。阿修羅や夜叉などの悪鬼から人々を守り、様々な障害を取り除くとされています。

軍荼利の語源はサンスクリット語で「水瓶」や「とぐろを巻いた蛇」を意味し、「甘露(アムリタ)(不死の霊薬)を入れる壺」という意味もあります。

蛇は煩悩の象徴であり執念深さを現すとされ、軍荼利明王が煩悩をこれ以上ないというほど打ち砕くという意味で、煩悩に満ちた人々を叱って正しい道へ導く明王を表現しています。

また、明王の背後には炎が表現され、炎は煩悩を焼き尽くすものと考えられていました。

甘露(不死の霊薬)という意味から息災延命のご利益に優れています。五大明王の一尊で南方を守護しており、単独ではほとんど祀られません。



像容は一般的に3つの眼に8本の手を持つ忿怒の形相で表されることが多いようです。胸の前で交差している印が特徴で、この2手は軍荼利明王の根本印です。

様々な障碍を除くとされ、煩悩除去、息災延命のご利益があるとされています。

五大明王の一尊としては以下のように南方に配されます。



・五大明王の配置



中央 - 不動明王(ふどうみょうおう) - 大日如来(だいにちにょらい)の教令輪身

東方 - 降三世明王(こうざんぜみょうおう) - 阿閦如来(あしゅくにょらい)の教令輪身

南方 - 軍荼利明王 (ぐんだりみょうおう)- 宝生如来の教令輪身

西方 - 大威徳明王(だいいとくみょうおう) - 阿弥陀如来(あみだみょらい)の教令輪身

北方 - 金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)(東密系、不空成就如来(ふくうじょうにょらい)の教令輪身)または烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)(台密系)



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コウギョクテンノウ(皇極天皇)

【史上初めて譲位した天皇】

今日は、日本史上はじめて譲位されたとされる天皇、第35代皇極天皇(こうぎょくてんのう)を描きました。
皇極天皇は重祚(ちょうそ)して第37代斉明天皇(さいめいてんのう)としても即位されて、その後、百済救援に向かう為に筑紫(九州)に向かい、朝倉宮(福岡県)にて崩御されました。重祚された天皇も皇極天皇(斉明天皇)が初めてのことで、34代舒明天皇(じょめいてんのう)と結婚して二男一女を産んだとされます。

この二男一女は、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(天智〈てんじ〉天皇)、間人皇女〈はしひとのひめみこ〉、大海人皇子(おおあまのおうじ)(天武〈てんむ〉天皇)のことでした。

初の女帝(女性天皇)と言われる33代推古天皇(すいこてんのう)から一代おいて即位した二番目の女帝になります。

また重祚した斉明天皇時代に朝鮮半島へ出兵した事でも知られています。
在位5年(660年)に百済が唐と新羅によって滅ぼされました。天皇は、百済の滅亡と遺民の抗戦を知ると、人質として日本に滞在していた百済王子豊璋(ほうしょう)を百済に送りました。百済を助ける為、難波で武器と船舶を作らせ、更に瀬戸内海を西に渡り、筑紫の朝倉宮に遷幸し戦争に備えました。
しかし、遠征の軍が発する前の661年、朝倉にて崩御されてしまいます。
天皇崩御の混乱の最中においても出兵は続けられ、中大兄皇子は、朴市秦造田来津(えち の はた の たくつ)(造船の責任者)を司令官に任命して全面的に支援しました。
日本軍は朝鮮半島南部に上陸し、白村江の戦いを戦いましたが、唐と新羅の連合軍に敗北を喫してしまうこととなり、撤退し唐新羅の脅威を感じながら国防を固めていく事になります。

【諱(いみな)・諡号(しごう)】

諱は寶女王(たからのひめみこ/たからのおおきみ、宝女王)、または寶皇女(読みは同じ、宝皇女)。

和風諡号は天豐財重日足姬天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと、新字体:天豊財重日足姫天皇)。漢風諡号の「皇極天皇」「斉明天皇」は代々の天皇と共に淡海三船によって名付けられたとさています。




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コトシロヌシ(事代主神)

【父の意思を汲んだ神コトシロヌシ】

コトシロヌシ(事代主)は『古事記』によると、オオクニヌシとカムヤタテヒメとの間に生まれた息子であり、国譲りの時に高天ヶ原の使者タケミカヅチと交渉した神様です。

中世以降は、「恵比寿信仰」とも結びついて恵比寿様、戎(えびす)さんとも呼ばれて親しまれています。
「恵比寿と大黒」と言うように恵比寿様と大黒様はセットで呼ばれることが多く、この大黒様は父親であるオオクニヌシ(大国主)と大黒天の「大国」と「大黒」の読みが同じなため同一視され習合したものです。

オオクニヌシは、息子であるこのコトシロヌシを大変信頼していたようです。
コトシロヌシは父に対して献身的だったので、国譲りの際に真っ先にオオクニヌシから大事を託されます。

本来オオクニヌシは慈愛に満ちた国造りを行いたかったのですが、乱暴な兄の八十神(やそがみ)たちから仕掛けられた戦いに身を投じ、それによって国土を広げてきました。
しかし、戦いによって作った国は、戦いによって多くのものが傷つき、やがて戦いにより国は失われることをオオクニヌシ自身も知っていました。

その時、アマテラスから

「これからは慈愛に満ちた国づくりを行うから国をお譲りなさい。」と言われ、オオクニヌシにとっては願っても無いことだったのかもしれません。
しかし、国を簡単に委ねては血と汗を流した者たちの心情は計り知れません。

そこで、全てを理解し、その事を一身に請け負うことが出来るコトシロヌシに判断を委ねたのです。
コトシロヌシは父の心情を理解していました。また、自分が決断することで父の体面を守れる事も知っていたので「この国は天つ神の御子に奉ります」とタケミカヅチに国譲りの了承を申し出たのです。

コトシロヌシは、父オオクニヌシの心情を理解し、自分が決断する事で、全てが治るのであればそれで良しとしたのでした。まさに、二代目の鏡とも言うべき神様。

父のやる事を陰で支え、トップの判断が影響を及ぼすような時は自らが背負う。

功績は全て父親のものになりますが、それは自分のやるべき事、やらなければならない事だと思い、ただひたすら国の為にと人格と徳を高めていてこそ出来た事。

オオクニヌシから託された決断が、後の日本建国に繋がったとして、後世の人々はコトシロヌシに敬意と親しみを込めて恵比寿様として大切にお祀りしています。また宮中八神にも列する貴い神様となっていて、古来から皇統守護の任に就かれ、皇居の中にある宮中三殿の神殿にコトシロヌシはお祀りされています。この神殿にお祀りされているコトシロヌシは、一般的な出雲系の神格ではなく、言葉を司る神として祀られているとされ、新嘗祭(にいなめさい)の前日の鎮魂祭(ちんこんさい)にて篤くお祀りを受けます。今年は年号が変わる事によって、新嘗祭ではなく、大嘗祭(だいじょうさい)として執り行われますが、新嘗祭と共に鎮魂祭は宮中でも最も重要な祭祀であります。

国譲りの後にコトシロヌシは、国譲りの責任を背負い、出雲を離れ伊豆の地で新たな国造りを行ったとも伝わります。

また、スサノオの子孫であるコトシロヌシの娘

五十鈴姫(いすずひめ)が、アマテラスの子孫である神武天皇と結ばれ、天神地祇(てんじんちぎ)の和合によって日本建国が成就したとも解釈できます。

その意味ではコトシロヌシの娘である五十鈴姫は、まさに天地和合の神様。

コトシロヌシは自らは決して目立つ事をせず、我を捨てて周りの為、国の為、世界の為に尽力する姿を示し続ける神様と言えるでしょう。



【神格】

海の神、商業の神、託宣神



【御利益】

商売繁盛、開運、厄除け、福徳円満、病気平癒



【別称】

事代主神(コトシロヌシノカミ)、八重事代主神(ツミハヤエコトシロヌシノカイ)、恵比寿大神



【系譜】

オオクニクヌシの子



【祀られている神社】

美保神社(島根県松江市)

長田神社(兵庫県神戸市)

事代主神社(徳島県阿波市)

三嶋大社(静岡県三島市)

今宮戎神社(大阪市浪速区)

三嶋神社(新潟県長岡市)

富賀神社(東京都三宅村)

十三社神社(東京都新島村)

十日恵比須神社(福岡市博多区)

長田神社(岡山県真庭市)

長田神社(滋賀県高島市)

大穴持御子神社(島根県出雲市)

敷島神社(徳島県吉野川市)

生夷神社(徳島県勝浦郡勝浦町)

建布都神社内西宮神社(徳島県阿波市)

椙尾神社(山形県鶴岡市)

他、全国の神社




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コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)

【燃える情熱を宿す美の女神】

コノハナサクヤヒメをご祭神として祀る有名な神社は、富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)。今ではコノハナサクヤヒメ=浅間大神(あさまのおおかみ)を連想されますが、習合したのは比較的新しいと考えられています。

平安時代には都良香(みやこのよしか)の『富士山記』に「浅間大神」として記載がありますが、これに『古事記』『日本書紀』に見えるコノハナノサクヤヒメが当てられたのは近世に入ってからと見られ、それまでは一般に「浅間神」の名で信仰されていました。

富士山の神霊をコノハナノサクヤヒメに当てる起源は明らかではありません。ただ文献上の初見は江戸時代初期で「コノハナ(木花)」は桜の古名といわれ、ご祭神は富士山の美しい形容に由来するとされています。また、神話にある「コノハナノサクヤヒメの火中での出産」も、火山にまつわる事象として関連付けされたと見られます。また、三島神(三嶋大社)(静岡県三島市)のご祭神をオオヤマヅミと見て、富士と三島が父娘とする伝説も江戸時代頃から散見されます。



『古事記』によるとコノハナサクヤヒメは、山の神様オオヤマヅミの娘で、本名のカムアタツヒメ(神阿多都比売)の「阿多(あた)」は鹿児島県加世田市から野間半島にわたる地域、また薩摩国阿多郡(鹿児島県西部)にちなむ名で、『日本書紀』での本名カムアタカアシツヒメ(神吾田鹿葦津姫)の「鹿葦(かあし)」も薩摩の地名とされ、現在の鹿児島県から宮崎県に古くからいた「隼人族」の女王とも云われます。



『記紀神話』では、高千穂に降臨したニニギノミコトが、笠沙岬でコノハナサクヤヒメに一目惚れし「嫁にもらいたい」と告げるとオオヤマヅミは大いに喜こびました。

さっそくオオヤマヅミは一緒に姉であるイワナガヒメも嫁がせましたが、イワナガヒメの容姿は大変醜かったため、ニニギはコノハナサクヤヒメのみ娶り、姉のイワナガヒメは実家へ帰してしまうのでした。

オオヤマヅミは、イワナガヒメを帰されたことを知り大いに恥じ、ニニギの子孫にある予言をしました。

『 コノハナサクヤヒメは容姿も美しく、桜の如く栄えるが、その命は短命ですぐに散ってしまいます。だから、岩のように強く永遠の命を持つイワナガヒメを一緒に嫁がせたのです。

それを知らないニニギは、イワナガヒメを帰してしまわれた・・』

そのことで、永遠であった神々の寿命も限りあるものになってしまったと言われます。

その後、ニニギとコノハナサクヤヒメは、一夜にして結ばれ身篭りましたが、ニニギは一夜にしてコノハナサクヤヒメが身篭ったことを怪しみ、他の国津神の子ではないかと疑いました。

疑いの目で見られて激怒したコノハナサクヤヒメは、産屋に入って出口を閉ざすと、なんと自ら火を放ち、燃え盛る炎の中でホデリ(海幸彦)、ホスセリ、ホオリ(山幸彦)の三柱の子を無事に産み落としたのでした。

この時生まれた三男ホオリの孫が初代神武天皇となり、コノハナサクヤヒメは天孫に嫁ぎ、皇祖を生んだ貴い女神でもあり、情熱的かつ行動的な女神でもあります。


【神格】

山の神

火の神

酒造の神



【御利益】

安産・子宝、火難消除、織物業の守護、農業、漁業・航海の守護



【別称】

木花開耶姫、酒解子神(さけとけのこのかみ)、木花佐久夜毘売命(このはなさくやびめのみこと)、コノハナチルヒメ、カムアタツミヒメ



【祀られる神社】

富士山本宮浅間大社 (静岡県富士宮市)

高千穂神社 (宮崎県西臼杵郡)

静岡浅間神社 (静岡県静岡市)

霧島神宮 (鹿児島県霧島市)

都萬神社 (宮崎県西都市)

子安神社(三重県伊勢市)

木花神社(宮崎県宮崎市)

新田神社内端陵神社(鹿児島県薩摩川内市)

大山祇神社内姫子邑神社(愛媛県今治市)

懸神社(京都府宇治市)

櫻井子安神社(千葉県旭市)

浅間神社(山梨県笛吹市)

一宮淺間神社(山梨県西八代郡市川三郷町)

阿津神社(徳島県海部郡海陽町)

神根神社(岡山県備前市)

羽梨山神社(茨城県笠間市)

細石神社(福岡県糸島市)

木葉神社 (奈良県橿原市)

わら天神宮 (京都市北区)

國廳裏神社 (鳥取県倉吉市)

箱根神社 (神奈川県足柄下郡箱根町)

久豆彌神社 (福井県敦賀市)


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サシクニワカヒメ(刺国若比売)

【オオクニヌシの母神】

『古事記』によると、サシクニワカヒメ(刺国若比売)はオオクニヌシの母神で、サシクニオオカミの娘とされています。

夫はアメノフユキヌ(天之冬衣神)で、この神様はスサノオから数えて5代目にあたる神様です。



サシクニワカヒメは、八十神(やそがみ)たちに殺された息子オオクニヌシを見て嘆き悲しみ、高天原のカミムスビに懇願し、遣わされたキサガイヒメ、ウムガイヒメと共に彼を蘇生させた大変な息子想いの母神です。



しかし、またも八十神たちの謀略によってオオクニヌシが殺されたため、再びカミムスビに懇願し蘇生させて息子にオオヤビコのいる木の国に逃げるよう施しました。



粟鹿神社(あわがじんじゃ)(兵庫県朝来市)の書物『粟鹿大明神元記』では佐斯久斯和可比売(さしくしわかひめ)と記述されています。

また長野県辰野町の宮木諏訪神社境内にサシクニワカヒメの神陵が存在しています。

諏訪神社のご祭神であるタケミナカタは、オオクニヌシの御子神ですので、サシクニワカヒメの孫にあたる神です。宮木諏訪神社の社伝によると、タケミナカタが出雲から、諏訪に向かわれる時に同行したのがサシクニワカヒメで、この境内の月丘の森に住まわれ長寿の後に、ここでなくったとされています。

サシクニワカヒメは、『古事記』にも記されているように禍を除き福を授ける女神様として多くの人達の信仰を受けて来ました。



「刺国」は「標」を刺すことで、領有を表し、「若」は父の「大」に対する娘の意で、「命」がつかないのは巫女性を表すとして、名義は「国を占有する子の巫女」と考えられています。



◆系譜

サシクニオオカミの娘

オオクニヌシの母



刺国大神の娘で、淤美豆奴神が布怒豆怒神の娘布帝耳神を娶って産んだ天之冬衣神に娶られ、大国主大神を産んでいる。



◆サシクニワカヒメを祀る神社
赤猪岩神社(鳥取県西伯郡南部町)

宮木諏訪神社(長野県上伊那郡辰野町)

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サルタヒコ(猿田彦命)

【伊勢の地主神で導きの神】

『古事記』の天孫降臨によると、アマテラスに勅命を受けたニニギが、高天ヶ原から葦原中国(地上)へ降り立つ途中、いくつにも分かれている道を目の前に立ち往生していました。

その時、高天原から葦原中国までの道を照らす、輝く国津神(地上の神様)が突如として現れたのがサルタヒコです。



一行は何者かと怪しみ、アマテラスはアメノウズメに対し「貴女は優しい女だが、顔を合わせても気後れしないから、あなたが問いなさい」と、アメノウズメに国津神の名を聞き出させます。

するとその神は「我が名は国津神サルタヒコノミコト。天孫の道案内をするために現れたました。」

そう言って名乗り出たので、名を明かしたアメノウズメはサルタヒコの妻となり、「猿女君(さるめのきみ)」と呼ばれるようになりました。

このサルタヒコは『日本書紀』では「鼻長七咫、背丈七尺」という記述があり、天狗の原形ともされています。

サルタヒコは天孫一行らを無事に高千穂に送り届けると、伊勢の地へ行き、伊勢の地を開拓したと伝わります。



ニニギ達一行が立ち往生した道を「天の八衢(やちまた)」と呼び、この「八」という数字は、「八岐大蛇(やまたのおろち)」「八上姫」「八十神(やそがみ)」「八尋」「八咫烏(やたがらす)」など『古事記』によく登場する数字です。

三種の神器である「八咫鏡(やたかがみ)」と、「八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)」も代表的ですし、出雲をその昔は「八雲」と表記され、国歌君が代にも「八千代」が出てきます。「八」という数字は、大きさや無限、永遠、偉大といった意味がり、日本においては神聖な数字とされ、最も縁起の良い数字と古来より考えられてきました。

その為サルタヒコをお祀りしてる伊勢の猿田彦神社(三重県伊勢市)の柱や鳥居は八角形で、縁起の良い「八」を取り入れた形状となっています。また、このサルタヒコは「八方」を見通す力があり、それ故ニニギ一行を無事地上に送り届ける事が出来たと云われ、「八方」を守護する神格も有しています。



後に、ヤマトヒメノ(倭姫命)がアマテラスを祀る地として探していた際、サルタヒコの末裔が献上したのが現在の伊勢の地。

前述の通り、サルタヒコは伊勢の開拓神であり、大地主神だったのです。

争うことなくあっさりと献上した姿には、なんとも日本人らしい徳の高さを感じますね。

この精神が、20年に一度執り行われる式年遷宮へと引き継がれたように思います。

日本では、徳の高い人のことを「英雄」あるいは「神様」と呼ぶことが多くあり、また、そう感じられる人でありたいものです。



その後、何百年もの間、子孫が屋敷内でサルタヒコを祀っていましたが、明治以降、公の神社として祀るようになったのが現在の伊勢の猿田彦神社(三重県伊勢市)です。

この敷地の中には、サルタヒコの妻であるアメノウズメを祀る佐瑠女(さるめ)神社があり、夫婦神は向かい合うような位置に、今も仲良く鎮座されています。



サルタヒコの系譜は記紀神話には記載されておらず謎が多いでが、沖縄の南方に浮かぶ宮古島に「サダル神」と呼ばれる神様が存在し、このサダル神がサルタヒコの起源ともする説があるようで、南方からやってきた一族が信仰していた太陽神とも導きの神とも言われます。

宮古島のサダル神は太陽神では無かったようですが、「サダル神」の意味は沖縄古語によると「先立つ神」と言い、祭祀行列の先頭に立って杖を突いて導く神とされています。

サルタヒコの「導きの神」としての神格は、このサダル神から受け継いだのかもしれません。

またサダルが音韻転訛によってサルタになったという諸説もあり、黒潮に乗って渡来した外来の神様とすると、鼻の長い異様な風体にも納得がいきますね。

 
【神格】

導きの神、交通の神、伊勢の地主神、稲作の神

 

【御利益】

交通安全、縁結び、延命長寿、厄除け、商売繁盛、殖産興業



【別称】

猿田毘古神、猿田彦大神



【系譜】

不明



【祀られている神社】

椿大神社 (三重県鈴鹿市山本町)

白髪神社 (滋賀県高島郡高島町鴨川)

平野神社 (滋賀県大津市松本上町)

巻堀神社 (岩手県岩手郡玉山村巻堀)

高山稲荷神社(青森県西津軽郡車力村)

志和稲荷神社(岩手県紫波郡紫波町)

椋神社 (埼玉県秩父郡吉田町)

都波岐・奈加羅神社(三重県鈴鹿市一宮町)

二見興玉神社 (三重県度会郡二見町)

猿田彦神社 (三重県伊勢市宇治浦田町)

伏見稲荷神社 (京都市伏見区深草藪之内町)

大麻比古神社(徳島県鳴門市大麻町)

祐徳稲荷神社 (佐賀県鹿島市古枝)

猿田彦神社(京都市上京区)

出雲路幸神社 (島根県安来市)

白鬚神社 (岐阜県大垣市)

阿射加神社 (三重県松阪市)など



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シオツチノカミ(塩椎神)

【山幸彦を導いた翁神】

シオツチノカミは、「海幸彦と山幸彦」の物語で登場する翁神で、塩作りの神様す。名前の「シオツチ」は「潮つ霊」「潮つ路」であり、潮流を司る神や潮の路(航海)神という意味で、その名の通り兄の大事な釣り針を失くして困惑していた山幸彦を励まし助言を与え、海神(ワダツミ)の宮への航路を示し導いた神様です。山幸彦はその地で無事に兄の釣り針を見つけ、海神の娘トヨタマヒメとも結ばれました。



『記紀』神話におけるシオツチノカミは、登場人物に予言や情報を提供したり、とるべき行動を示すという重要な役割を持ってるので、予言や呪術的な神格を持っているとされます。

また、シオツチノオジは導きの神や製塩の神としても全国各地で広く信仰されていて、シオツチノカミを祀る神社の総本宮である鹽竈神社(宮城県塩竈市)の社伝では、高天ヶ原の武神タケミカヅチと剣の神フツヌシは、シオツチノカミの先導で諸国を平定した後に塩竈にやってきたとされています。タケミカヅチとフツヌシはすぐに塩竃を去って行きましたがシオツチノカミはこの地にとどまり、人々に漁業や製塩法を教えたという伝承が残っています。

一般的には白髭神社はサルタヒコをお祀りしているお宮ですが、シオツチノカミが白髭神社の祭神とされていることも稀にあるようで、シオツチノカミとサルタヒコの「導きの神」という神格が同じなので同一視されたのではと考えられます。



『日本書紀』の天孫降臨の説話において、日向の高千穂の峰に天降ったニニギが笠狭崎に至った時にコトカツクニカツナガサ(事勝国勝長狭神)が登場し、ニニギに自分の国を奉っていますが、一書では、コトカツクニカツナガサの別名がシオツチノカミで、この神様はイザナギの子であるとしています。



『日本書紀』の「神武東征」のでは、シオツチノカミが「東方に美しい土地があり」と言ったことから神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)は東征を決意したとされ、山幸彦とトヨタマヒメとのご縁結びのきっかけや、神武東征の導きなどで非常に大きな役目を果たしてきた神様です。





【別称】

塩竃明神

シオツチノオキナ、シオツチノヲジ(塩土老翁・塩筒老翁)

コトカツクニカツナガサ(事勝国勝長狭神)





【シオツチノカミを祀る神社】



#鹽竈神社 総本宮(宮城県塩竈市)



#青島神社 (宮崎県宮崎市)



#益救神社 (鹿児島県熊毛郡屋久島町)



#新橋鹽竈神社 (東京都港区)



#高室神社 (静岡県掛川市)



#六所神社 愛知県岡崎市)



#六所神社 (愛知県豊田市)



#塩竈六社大明神(和歌山県田辺市)



#籠祖神社(東京都千代田区神田神社境内社)



#塩屋神社(広島県広島市)



#白髯神社(福井県あわら市)



#塩釜神社 (長崎県南松浦郡新上五島町)



塩竈神社 (和歌山県和歌山市)



#塩竈神社 (全国各地)



#シオツチカミ #シオツチノオジ

#神武天皇 #山幸彦

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シナツヒコ(志那都比古神)

【風の神様】

風の神様シナツヒコ(志那都比古神)を描いてみました。



『古事記』では、イザナギとイザナミが夫婦の契りをして産んだ神々の一柱が風の神シナツヒコです。

『日本書紀』では、イザナミが朝霧を吹き払った息からシナトベまたの名をシナツヒコ(級長戸辺命またの名を級長津彦命)が産まれたとされています。

名前の「シナ」は、「シ」が風の古語とも「息」ともいわれ「ナ」が「多い」や「大きい」という意味を持つので、「大風」あるいは「大きな息」の神様とも読め、古代日本人は風を神様の息と考えていました。



『日本書紀』にあるシナトベは女神とされることもあり、神社によってはシナツヒコの姉または妻ともされています。

本居宣長(もとおりのりなが)の『古事記伝』では、師である賀茂真淵(かものまぶち)の説として、本来は男女一対の神であり、それが同一の神とされるようになったあるので、シナツヒコとシナトベが男女一対の夫婦神とも考えられます。

古代の日本人は風の神シナツヒコ神が、風を起こし淀んだ空気を祓ってくれる有難い面があると信仰していましたが、逆に暴風は大きな被害をもたらすものとして恐れ敬ってもいました。

古代人は祈りを捧げ恵みの風を待ち、暴風が鎮まるのを待ったのでしょう。

ただ稲作にも風は必要ですが、風の恩恵をもっとも受けたのは鍛治、製鉄の技術を持った一族だったと考えられ、古代たたら製鉄(製銅も含む)には風の力が不可欠。木炭の燃焼では製鉄に適した温度まで上がりませんが、ふいご等を使って風(空気)を十分に送る事で、製鉄に必要な温度まで高める事ができます。このように古代より製鉄と風が密接な関係だったのもあり、風神が祀られる地域には鍛治神も祀られてるようです。



龍田大社(奈良県生駒郡)のご祭神はアメノミハシラ(天御柱命)・クニノミハシラ(国御柱命)ですが、社伝や祝詞ではアメノミハシラはシナツヒコ、クニノミハシラはシナツヒメのことで、龍田の風神としてお祀りされていて、風鎮大祭も行われています。

また伊勢神宮(三重県伊勢市)には内宮の別宮に風日祈宮(かざひのみのみや)、外宮の別宮に風宮があって、どちらもシナツヒコとシナトベを祀りしています。風日祈宮は元々「風神社」と呼ばれていましたが、元寇の際に神風を吹かせたのは風神社の神であるとされたことから、「風日祈宮」の宮号が宣下されました。



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シャカ(釈迦)

【悟りを得た仏教の開祖】

お釈迦様は、今から約2600年前、北インド(現在のネパール)で、カピラ城の城主の子供として、誕生されました。父はシュッドーダナ(浄飯王(じょうぼんおう))、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘マーヤー夫人です。



キリストの誕生日とされる日は12月25日ですが、お釈迦様の誕生日はそれほど認知されているとは言えないですね。

ただ、お釈迦様の誕生日は旧暦の4月8日ですので、明治以前は別の日に「降誕会(ごうたんえ)」や「仏生会(ぶっしょうえ)」、「灌仏会(かんぶつえ)」としてお祝いしていました。またインドと同系統の暦を用いる南伝仏教圏では、お釈迦様の誕生日はインド系太陽太陰暦第2月15日にお祝いしていて、地域によってお釈迦様の誕生日も色々とあるようです。



日本では明治以降、4月8日は関東地方以西で桜が満開する時期である事から浄土真宗の僧侶安藤嶺丸が「花まつり」の呼称を提唱して以来、宗派を問わず灌仏会や仏生会、降誕会の代名詞として「花まつり」用いられ定着しています。



「花まつり」では、お釈迦様の像に甘茶をかけてお祝いします。

これは、お釈迦様がルンビニー(ネパールの南部タライ平原にある小さな村)で生まれられる時、うぶ湯の為に、天に9匹の龍が現れ甘露の雨を降り注いだということに由来しています。それで、日本では、ある頃から、甘茶をかけるようになりました。

お釈迦さまが誕生した時、すぐに東西南北にそれぞれ7歩ずつ歩いて、立ち止まり、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊」と唱えたとされています。「花まつり」で見るお釈迦さまの像も、このときのポーズをしているそうです。



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ジングウコウゴウ(神功皇后)

【多くの武勇を残した皇后】

勇ましい伝承を数多く残している、第14代仲哀天皇の皇后「神功皇后(じんぐうこうごう)」。

神功皇后は邪馬台国の女王卑弥呼(ヒミコ)とも同一視されるなど活躍した年代には諸説ありますが、石上神宮に伝わる七支刀(しちしとう)銘文のニ運繰り上げ説によると、およそ4世紀頃に崩御した仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)に代わり治世されたといわれています。



神功皇后は、「三韓征伐(さんかんせいばつ)」を成し遂げるなど類まれな武勇伝を多く持ち、日本最強の女傑とも云われています。

『日本書紀』によると、夫の仲哀天皇の意思を継いで、敵対していた熊襲を見事に討ち取ると、すぐさま渡海遠征を宣言。

和珥津(わにつ)(対馬の鰐浦)から出陣し、新羅、百済、高麗の朝鮮半島三国を戦わずに従えたとされ、これが「三韓征伐」として称えられています。



現在はあまり一般に名前を知られていない神功皇后ですが、戦前までは紙幣の肖像にも載るなど(日本における女性初の肖像紙幣)、かなり有名な歴史上の人物とされ、教育の現場でもその武勇を教えていました。

戦後の皇国史観の反動運動のせいか、現在の歴史学では伝説上の人物とされていますが、それにしては九州を中心に、伝承地の数や、由来の神社など非常に多いのが特徴です。

神社では、住吉三神と共に住吉大神の1柱として、また応神天皇と共に八幡三神の1柱として信仰されています。

武家社会の神である八幡神の母にあたる神であり、数多くの武人が神功皇后を崇拝していました。日本中に数多く伝承が残り、今でも全国各地で神功皇后の三韓征伐を伝える為の山車が存在し、その業績を称える祭りも多いです。



神功皇后伝承の現実味を裏付けるような遺構もあります。福岡県那珂川町にある古代水路「裂田溝(さくたのうなで)」がまさにそう。『日本書紀』によると、水路を掘っていると、大岩が塞がり作業ができなくなった。神功皇后が祈りをささげると、雷が岩を踏み裂き水路がつながったとされます。

この「裂けた岩」の可能性がある遺物が同町教育委員会の2000年代前半の発掘調査で見つかりました。『日本書紀』の記述通り、花こう岩の固い岩盤があり、古代に開削した痕跡も発見されたそうです。





神功皇后をお祀りする神社や伝承が由来になった地名などを含めると山口、福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎6県だけで3000カ所にも及ぶとされます。

また、猛々しい戦に関わるものだけでなく、凱旋後に産んだ皇子に、この地で御子を産み、母乳を与えたなど、1人の母性像を表す伝承も多く残っています。



伝承は具体的で、神功皇后の人間性を垣間見せるようなものばかり。

これほどまでに、各地に名を刻んだ人物はそういません。



【九州の神功皇后の主な伝承地】

#香椎宮 (福岡市)新羅征討の神託を受けた仲哀天皇の霊廟。

#松峡八幡宮 (福岡県筑前町)熊襲討伐の前線基地が置かれ、「羽白熊鷲」と戦った伝承。

#宇美八幡宮 (福岡県宇美町)皇子(応神天皇)を出産したので、「産み」が町名の由来になったと伝わる。

#皇后石 (福岡県吉富町)皇后の命でつくった船をつないだとされる巨岩

#鎮懐石八幡宮 (福岡県糸島市)出産を遅らせるため腰に巻いた石を祀る

#志免町 (福岡県粕屋郡)お紙目を代えたと伝えられている事が町名の由来になったとされる

#東風石 (長崎県壱岐市)船を走らせる追い風が吹くように祈願すると、祈りが通じて石が割れた、と伝わる。

#嬉野温泉 (佐賀県嬉野市)皇后が外征の帰途に温泉を発見した伝説が残る。その時に「あな、うれしの」と言ったのが嬉野の地名の由来とも。

#宇佐神宮 (大分県宇佐市)名物土産の「宇佐飴」は、皇后が皇子を育てる際、母乳の代わりに使ったとする御乳飴の由来を持つ。

#姪浜(福岡市)神功皇后が三韓征伐からの帰途この地に上陸し、衵を洗い干したことから衵ノ浜(あこめのはま)と称され、転訛して姪浜(めいのはま)と呼ばれるようになったものとされる。

#筥崎宮 (福岡市)神木「筥松」は、神功皇后が応神天皇を出産した際、胞衣(えな)(胎盤)を箱に入れてこの地に納め、印として植えられたのがこの「筥松」と言われ、「筥崎(箱崎)」の名称はこの胞衣を納めた箱に由来とされる。

#宮地嶽神社(福岡県福津市)神功皇后が、宮地岳の頂に祭壇を設け祈願したことが由来になったと伝わる。





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ジンムテンノウ(神武天皇)

【日本を建国した初代天皇】

神武天皇を描いてみました。

神武天皇は即位前まで、カムヤマトイワレヒコとも呼ばれ、九州日向(宮崎県)でウガヤフキアエズノミコトの四男として生まれました。

生まれながらにして明達で、強い意志を持っていたカムヤマトイワレヒコは、15歳で皇太子となり、45歳で兄や一族を連れ東征へ向かいました。

その後、大和国を平定し、紀元前660年2月11日に52歳で即位され、初代天皇となりました。

この日が現在でも「建国記念の日」になっていますね。



今年で即位から2679年、今上陛下が126代目、世界中どこを探しても神話と現代まで繋がっている国はありません。

我が国日本は、世界一長く続く国で、神武天皇は、この長く繁栄する国の創始者です。



東征の際に道先案内として遣わされた八咫烏(ヤタガラス)も一緒に描いていますが、

八咫烏はサッカー日本代表のエンブレムとしても使用され有名ですね。



神武天皇の神武とは【優れた知であり、計り知れない勇を備え、民を尊重する仁を兼備した者】という意味。

即位した際『天下を一家と考え、自分が正しいことを行ってその心を広めたい』と述べています。

人は、上に立てば何でも自分の思う通りに行くと勘違いしてしまいますが、

それこそが独裁であり、自我。

『 自分が正しいと思うことは人それぞれ。

だから、自分が正しいと思うことをやりなさい。

その正しいと思う心を広めて、この国を守りたい』と申されました。



我が国日本の君主は2679年前から126代今上天皇に至るまで、この心を守り続けています。

これこそが徳であり、世界一長く続いた国の礎となってきました。

目的意識を持ち、天津神の御心と一体となり、大事を成しとげた神武天皇。その姿は現代まで継がれる天皇の原点であり、日本人の心に残り続けています。



【神格】

軍神、農業神、海の神



【神武天皇を祀る神社】

#橿原神宮 (奈良県橿原市)

#宮崎神宮 (宮崎県宮崎市)

#鵜戸神宮 (宮崎県日南市)

#霧島神宮 (鹿児島県霧島市)

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スガワラノミチザネ(菅原道真)

【右大臣まで昇りつめた学問の神】

学問の神で天神様(雷神)と呼ばれる「菅原道真公(すがわらのみちざね)」を描いてみました。

この天神様をお祀りしている神社は天満宮や天神社と呼ばれ、全国各地に天満天神信仰は広がり1万社を数えるともされます。

天神=菅原道真とされたのは、平安時代のことで、それ以前は高天ヶ原の神々(イザナギやアマテラスなど)のことを天神あるいは天津神と称していました。



文武両道で59代宇多天皇(うだてんのう)から寵愛された道真公は、朝廷における文官の中心的な立場になり、宇多天皇に娘を嫁がせるなど皇室の中でも存在感を大いに発揮していました。

その後、60代醍醐天皇(だいごてんのう)の御代においても、破格の昇進を続け右大臣にまで昇りつめた道真公でしたが、左大臣であった藤原時平(ふじわらのときひら)の謀によって京を追われ、昌泰4年・延喜元年(901年)大宰府へ左遷されてしまいます。

左遷後は大宰府政庁の南側にあった大宰府浄妙院で謹慎していましたが、延喜3年(903年)2月25日に大宰府で薨去し、安楽寺廟に葬られました。

この時に住んでいた大宰府浄妙院は現在、榎社(えのきしゃ)となっていて、道真公を刺客から匿い日夜世話したという浄妙尼(じょうみょうに)(もろ尼御前)がお祀りされています。



失意の中にあった道真公が京の都を去る時に、日頃からとりわけ愛でていた梅の木を詠んだ「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて

春な忘れそ」は有名です。その梅が、京の都から一晩にして道真公の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅」の伝説があり、この梅は太宰府天満宮(福岡県太宰府市)に今もご神木として残っていて各地の天満宮や天神社にも株分けされてます。

ちなみにオランダで最も歴史のある国立大学ライデン大学には、上記の道真公の梅の詩が刻まれた壁があり、日本とオランダとの古い交流の象徴とされています。



道真公の左遷後、政敵・藤原時平は妹の穏子(おんし)を醍醐天皇の中宮とするために入内させて天皇との関係回復に努め、皇室への権力強化へ意欲をみせていきます。

ところが、道真公の死から3年後、藤原時平と関り、道真公の後任として右近衛大将に就任した藤原定国(ふじわらのさだくに)が謎の死を遂げるのを初め、延喜9年(909年)に藤原時平が突然死するなど関係者に不幸が続きました。これ以降、宮廷の中で道真公の怨霊の噂が取り出されると、時平の死から4年後、時平派で道真の後任として従二位に就いた源光(みなもとのひかる)も鷹狩りの最中、泥沼に落ちたまま行方不明になる事故が発生。

延喜23年(923年)、醍醐天皇の皇太子、保明(やすあきら)親王が亡くなると、道真の怨霊を鎮めるため、道真の霊を右大臣に復帰させるとともに正二位を贈りました。しかし、続いて皇太子となった慶頼(よしより)王も2年後に死亡してしまいます。

そして極めつけが延長8年(930年)に発生した清涼殿落雷事件。この日、清涼殿ではこの年起きた干魃(かんばつ)の対策会議を大雨の中で開いている最中で、一瞬の閃光と轟音とともに清涼殿に雷が落ち、続いて雷は紫宸殿にも落ち、宮廷内は逃げ惑う公家、女官らで大混乱となり、時平派だった雷が胸に直撃した大納言・藤原清貫(きよつら)が即死するなど、他にも要人に多数の死傷が出てしまいました。

また、このとき難を逃れた醍醐天皇も、落雷事件のショックで3カ月後、ついに崩御してしまう事態になってしまいました。



もともと北野の地に火雷天神(からいてんじん)が地主神として祀られていたため、清涼殿の落雷事件以後、都人から“雷神”として畏怖されていた道真公への信仰と結びつき、天神=道真公とされるようになったとされています。

こうして、道真公の荒魂を鎮めるため天暦元年(947年)に北野の地に朝廷が社殿を造営し、道真公を祀ったのが北野天満宮(京都市上京区)の始まりとされ、ようやく平静を取り戻しました。

また事件に先立って、醍醐天皇の勅命により、道真が亡くなった大宰府の墓所の地には安楽寺廟天満宮(のちの太宰府天満宮)が建てられました。

その後も怨霊として天満大自在天神(てんまんじざいてんじん)、日本太政威徳天(にほんだいじょういとくてん)などとも呼ばれ、恐れられた道真公でしたが、次第に慈悲の神に変貌し、さらに歌人、学者としての面がクローズアップされた江戸時代ごろから、庶民の間でも学問の神として信仰されるようになったといいます。



◆菅原道真公をお祀りする神社

#北野天満宮 (京都市上京区)

#大宰府天満宮 (福岡県太宰府市)

ほか全国の天満宮、天神社、菅原神社など





#菅原道真 #梅の花

#学問の神 #藤原時平

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  #遣唐使 #宇多天皇 #醍醐天皇 #水墨画 #墨絵 #雷神

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スクナヒコナ(少彦名命)

【国造りをした薬の神】

オオクニヌシがスサノオに託され、国造りを行なった際に、相方として尽力した小さな神様がスクナビコナです。その容姿が小さいことから、一寸法師の原型になったともされ、身体は小さいが、その勇気、仁徳、知恵は国造りの大きな力となりました。

スクナビコナは様々な薬や酒、温泉を作った、 医療の神、酒造りの神、温泉の神 で、酒や薬の神として、久斯之神(くしのかみ/くすのかみ)という名でもお祀りされて、製薬会社や酒造メーカーから篤く信仰されております。

また古来より人々は、酒を神聖な飲み物と捉えていました。日本においても「お酒」を「清らかなもの」、「神様の領域に近付けるもの」と捉えており、古代から神様に感謝を捧げる「神事」が社会に根付き、その場面には必ず「御神酒(おみき)」が存在しました。

更に、古の日本では酒を造る行為そのものが神事として行われてきて、酒造りの工程毎に、専用の祠(ほこら)が用意され、酒造りの最中は祝詞を読み上げながら執り行っていたのです。神事としての意味合いが強かった酒造りは、自然を生み出す神様への敬意と感謝を示すという意味合いがあり、スクナビコナをはじめとする酒神を祀っていました。

『古事記』によると、オオクニヌシの片腕となり国を造ったスクナビコナは、多くの者から大変信頼されていましたが、国の完成を間近に迎えた頃、オオクニヌシは「色々苦労したが、この国もよくなってきた。」と言うとスクナビコナは「良いところも沢山あるが、良くないところも沢山ある。」と言い残し、常世の国に帰ってしまったのでした。オオクニヌシが自らの力で、ここまで国を作ったという傲慢が出てきたから帰ったのかもしれません。
一方のオオクニヌシは、スクナビコナが居なくなってから、どうしてよいか分からなくなり、一人苦しみました。そんな時、海から輝きながら向かって来る神様が現れます。その神は「大和国の三輪山に、我が御魂を祀るように。さすれば、この国を完成させよう。私の御魂を大和の国を青々と取り囲んでいる東の山の上に祀り給え」と告げ、この神が三輪山に祀られている神様で名をオオモノヌシといい、大神神社(奈良県桜井市)のご鎮座の縁起であります。大神神社は、毎年11月14日には新酒の醸造安全祈願大祭が執り行われることでも有名で、祭りの際は全国の酒造家や杜氏たちが醸造安全祈願にやってきます。また、酒屋の看板である「杉玉」はもともと三輪山の神杉の葉を球状に束ねて作られたもので、酒造家は三輪山の神杉の葉を球状に束ねて作られた小型の杉玉を持ち帰り、新酒ができた印として軒先に吊るしていました。
スクナビコナを祀る大神神社が如何に酒造りの歴史において重要な位置づけなのか伺えますね。

初心を思い出させるために、あえてスクナビコナはオオクニヌシのもとを離れたとされ、思いやりを持ち、善を促す己の心を信じなければ大事は成せないことを無言で説いたのでしょう。オオクニヌシにとってのスクナビコナの存在はとても大きかったがゆえに、それが居なく無くなったことによってオオクニヌシは初心に帰り、己の自我、傲慢、驕りを祓うことが出来たのです。
オオクニヌシは、去っていったスクナビコナの無言の意志を察したからこそ、最後まで諦めずに国造りに取り組めました。公のために慈仁を尽くし、一言も己の欲を口にせず、静かに去っていったのも、国を建国する君主としての器があるオオクニヌシを認め信頼したからこそ。スクナビコナは、無償の人徳を象徴する神様だと言えます。

【 祀られている神社】

宿那彦神像石神社(石川県七尾市)

宿那彦神像石神社(石川県鹿島郡中能登町)

穴澤天神社(東京都稲城市)

広沢天神社(愛知県豊田市)

小祝神社(群馬県高崎市)

佐香神社(島根県出雲市)

加多神社(島根県雲南市)

医家神社(徳島県三好市)

惣社八幡神社(福岡県京都郡みやこ町)

阿多彌神社(長崎県壱岐市)

磐座神社(奈良県桜井市)

忍坂坐生根神社(奈良県桜井市)

石上市神社(奈良県天理市)

静志神社(福井県大飯郡おおい町)

手谷神社(兵庫県朝来市)

酒列磯前神社(茨城県那珂湊市)

大洗磯前神社(茨城県東茨城郡大洗町)

北海道神宮(札幌市中央区)
大神神社(奈良県桜井市)

飽波神社(静岡県藤枝市)

高杜神社 中社(長野県中野市)

ほか、全国の神社
#スクナビコナ#古事記#日本書紀#酒神#神社#神社好きとつながりたい#神社参拝#神社巡り#一寸法師#オオクニヌシ#浮世絵

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スサノオ(素戔男尊)

【荒ぶる根の国の王】

スサノオを描いてみました。

『古事記』によるとスサノオはイザナキの子で、太陽神アマテラス、そして月神ツクヨミと共に「三貴子(さんきし/みはしらのうずのみこ)」と呼ばれている尊い神様です。

しかしながら三貴子の中でも、一番分別のない荒ぶる神様がスサノオでした。

父イザナキは、スサノオに海原を任せますが全く言うことを聞かず、それどころか、死んだ母親(イザナミ)に『会いたい会いたい』と泣き叫いてばかりだったので、これに呆れ果てた父は、育て方を間違えたと後悔し、この国を去るよう一喝したのでした。

我が子を追放した父イザナキは、そのまま隠居し近江の多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町)に鎮座されました。いわばこの事はイザナキにとっても命がけの叱責だったのです。多賀大社は伊勢、熊野と並んぶほど中世~近世では参拝者が非常に多い、神聖視されてきた神社です。



国を去る前にスサノオは、姉のアマテラスへ挨拶しようと向かいましたが、地鳴りを轟かせてやって来る荒ぶる神スサノオを見て高天原の神々は「国を乗っ取られるのでは?」と訝しみます。

スサノオは身の潔白を証明するため誓約(うけい)という儀式をアマテラスと交わしますが、その後、アマテラスが岩戸に隠れてしまうきっかけとなる事件を起こしてしまい、葦原中国(あしはらなかつくに)(地上)へ追放されてしまうのでした。



その後スサノオは、大蛇に命を狙われ怯えている夫婦と娘を助けるために、ヤマタノオロチ退治に向かいます。

怪物退治の準備として、まずスサノオは、娘を櫛に姿を変えさせ、その櫛を自らの髪に刺し、夫婦に何度も醸造した強い酒、八塩折酒(やしおりのさけ)を造らせ、また垣根を造り廻らし、その垣根に八つの門を作り、門にそれぞれ八塩折酒を満たした桶を設置し、ヤマタノオロチを待ち受けます。この時に櫛にした娘がクシナダヒメで「櫛になった姫」や「奇(くし)なる稲田の姫」という意味で名付けられたとされます。



準備万全で待ち受けていると、とても大きな蛇が姿を現します。それが頭と尾が八つあり目が赤く不気味に光るヤマタノオロチでした。

スサノオはヤマタノオロチが八塩折酒を飲み干し、酔いつぶれ眠りだした隙をつき、十拳剣(とつかのつるぎ)で斬りかかります。流石のヤマタノオロも酒を飲み、虚を突かれてしまっては敵いません。スサノオは見事にヤマタノオロチを退治し、一躍英雄となったのでした。

退治した ヤマタノオロチ の尻尾から三種の神器である「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」を手に入れ、この剣をアマテラスに献上したとあり、これは熱田神宮(愛知県名古屋市)のご神体の御剣でもあります。

そして、大蛇の脅威から救ったクシナダヒメを妻として迎えると共に、新居として住む場所を出雲の国に決め、須賀(島根県雲南市)に宮殿を造りました。これがスサノオと妻クシナダヒメを祀る須我神社(島根県雲南市)の起源とされます。



スサノオは、一見、力持ちで傍若無人ですが、実は心優しく家族を大切にする神様で、それ故に、我が愛する娘スセリビメが心を寄せるオオクニヌシに対して様々な試練を与えたのでしょう。失敗に失敗を重ね続け、周りに天災を齎す荒ぶる神ですが、どこか人間的で憎めない。スサノオは心根は優しい神様。その心の優しさと根の国の王としての威厳をもったイメージで描いています。



母を慕い、妻を愛し、娘を想う。スサノオの家族を想う気持ちは、最後の最後まで一貫していました。

多くの人が使命と家族への想いの中で、もがき苦しみ、本来の生き様とは異なる道を歩みがちです。

スサノオのように何度も失敗を重ねても、いつかは自分本来の心に出会う事が、人生においても大切だと教えてくれます。



【神格】

豊穣神、防災除疫の神、歌人の神、冥府の神、荒ぶる神の祖



【御利益】

水難、火難、病難除去、五穀豊穣



【別称】

素戔嗚尊(すさのおのみこと)、健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)、牛頭天王(ごずてんのう)、祇園様(ぎおんさま)、天王様(てんのうさま)



【祀られている神社】

八坂神社(京都市東山区祇園町)

氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)

津島神社 (愛知県津島市神明町)

熊野本宮大社 (和歌山県田辺市本宮町)

日御崎神社 (島根県出雲市大社町日御崎)

須佐神社 (島根県出雲市佐田町)

その他、全国の八坂神社など 

#アマテラス #スサノオ #神社好きとつながりたい #水墨画 #祇園祭 #古事記 #日本書紀 #神社参拝 #神社 #夏越しの大祓 #墨絵 #浮世絵

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スセリビメ(須勢理姫)

【夫を愛し、試練を助けた女神】

スセリヒメはスサノオの愛娘であり、オオクニヌシの妻です。

『古事記』によるとオオクニヌシが、兄の八十神(やそがみ)達の暴威から身を隠すために、黄泉の国とも言われる「根の国」に逃れると、出迎えに現れたのがスセリヒメで、二人は一目で心を通じ合わせてしまいます。

スセリヒメは父神スサノオに「大変立派な神が来ております」と告げました。

一目でオオクニヌシを只者ではないと見抜いたスサノオでしたが、スセリヒメを溺愛していたスサノオは、すぐには結婚を承諾しませんでした。

只者ではないが、鍛えたら更に強者になると見たスサノオは、オオクニヌシに様々な試練を与える事にします。

根の国に入ってすぐに、スサノオによるオオクニヌシへの試練が始まるのでした。

しかし、その試練の度にスセリヒメがオオクニヌシを助け、試練をことごとく乗り越えてくるので、スサノオはオオクニヌシに野原に放った矢を取って来いと命じます。そしてオオクニヌシが野原に入った後で、スサノオは野に火を放って、燃え盛る炎で囲んでしまったのでした。

スセリヒメはスサノオによく似て気性が激しく、おてんば娘でしたが、これには手助けする間もなく一面が火の海になったので、オオクニヌシが死んだものと思い嘆き悲しみます。

しかし、オオクニヌシはネズミに教えてもらった穴に逃げ込み、難を逃れていたのでした。

奇跡的に助かったオオクニヌシでしたが、まだ試練が続きます。

スサノオは自らの頭のシラミを獲る事をオオクニヌシに命じましたが、オオクニヌシがのぞき込むと、なんとムカデが頭に巣くっていたのです。すると、スセリヒメが木の実と赤土をオオクニヌシに与え、オオクニヌシはそれを口に含み吐き出し、ムカデを噛み潰したように見せかけたのです。

それを見てスサノオはムカデを噛み潰したと思い「凄いやつ」だと安心して寝てしまいます。

その隙にオオクニヌシとスセリヒメは、スサノオの髪の毛を柱に結び付け、家の戸口に大岩をもって来て塞ぎました。そしてスサノオの宝物である太刀と弓矢と天の詔琴(あめののりごと)を持って逃げたのでした。

こうしてスセリヒメは、父であるスサノオを恐れることなくオオクニヌシと力を合わせ、多くの試練を乗り越えたのです。

最後はスサノオを騙し、駆け落ちしようとしますが、それを知ったスサノオはオオクニヌシの知恵とたくましさを認め、自分の正当なる後継者としたのでした。

さらにスセリヒメの愛の強さに根負けし、2人の結婚を許した面もあるでしょう。



スサノオの命令通りオオクニヌシはスセリヒメを本妻として迎えますが、最初に結婚した稲羽のヤガミヒメは、オオクニヌシの子をすでに身ごもっていました。

そして根の国から帰還したオオクニヌシのもとにヤガミヒメが来訪します。

しかし、嫉妬深いスセリビメを恐れたヤガミヒメは、稲羽国に帰ってしまったのでした。

スサノオから一心に愛され育ったスセリヒメ。

独り占めしていたその自分への愛を、他者に向けられるのは耐え難いことだったかもしれません。愛が自分に向いてる時は健気でも、その愛が他の者に向くと嫉妬心が露わになりました。

ついにオオクニヌシはスセリヒメの嫉妬心にほとほとやりきれなくなって、出雲の国から一人、大和国に旅に出ようと支度をします。

もうこれで別れようという時に、オオクニヌシは「愛する我が妻よ。私が多くの共人を連れて出かけても、貴女は泣きはしないと強気に言うが、麓の一本のススキのようにうなだれて泣く様は、朝の雨が霧となって立ち込めるように、貴女の深い嘆きの霧となろう。なよやかな我妻よ。」と謡います。

それに対しスセリヒメは杯をささげて応えます。「わがオオクニヌシよ。貴方様は男ですから、ぐるりとめぐる島々に、ぐるりとめぐる磯のどこにでも妻をお持ちになるでしょう。しかし私は女ですから、貴方様以外に男性はありません。貴方の他に夫はいません。綾織の絹帳(とばり)の下で、やわらかい麻の寝具の下で、楮(こうぞ)で織った白い寝具の下で、私と共に、いついつまでもお休みになられることでしょう。ですから、この御酒をお召し上がりくださいませ。」と謡い返しました。この歌は「神語(かみがたり)」と言います。

直ちに 仲直りの杯 を交わし合い、大和国へ行くことは無かったと言います。そして今現在に至るまで夫婦仲睦まじくご鎮座されています。

愛の為に人を助け、愛するがゆえに嫉妬心に苦しんだ。

ただひたすら愛に純粋な女神がスセリヒメと言えます。


【御利益】

縁結び


【系譜】

スサノオとクシナダヒメの娘



【祀られている神社】

出雲大社 (島根県出雲市)摂社大神大后神社(御向社)

春日大社 (奈良県奈良市)末社夫婦大国社

國魂神社 (福島県いわき市)

那売佐神社 (島根県出雲市)

総社宮 (岡山県岡山市)

總社 (岡山県総社市)

#古事記

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スミヨシサンシン(住吉三神)

【禊の際に生まれた航海守護の神】

「住吉三神」(すみよしさんしん)を描いてみました。

『古事記』によると黄泉から帰ったイザナキが、清流の中で禊(みそぎ)をした際に生まれた三つ子の神様が「住吉三神」。神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓征伐(さんかんせいばつ)にも尽力したとされ、この神様を祀る神社は「住吉神社」という社名で、日本全国に約600社あります。前述の通り神功皇后と深い関係があるので、八幡宮に合祀されていることも多い神様です。



『古事記』では主にソコツツノオノカミ(底箇之男神)・ナカツツノオノカミ(中箇之男神)・ウワツツノオノカミ(上箇之男神)

『日本書紀』では主にソコツツノオノミコト(底筒男命)・ナカツツノオ ノミコト (中筒男命)・ウワツノオ ノミコト

(表筒男命)、と表記される3神の総称です。住吉大神とも言われますが、この場合は 住吉

大社にともに祀られている神功皇后を含めることがあります。



住吉は、元は「墨江(すみのえ)」と読み、墨江神(すみのえのかみ)とも呼ばれ

『先代旧事本紀』には津守連(つもりのむらじ)いわゆる津守氏によって祀られた神とされていて、この津守氏が住吉大社の歴代宮司の一族となります。その名の通り「津」は「港」の意味で港を守る海人族が津守氏ですね。今は大阪の町中にある住吉大社(大阪市住吉区)ですが、昔は海岸線がすぐ近くにあり、海の鎮守、航海の守護神を海人族がお祀りしていた地でした。



航海の神、海洋の神の性質の他に、和歌の守護神としても数えられ、住吉明神・玉津島明神・柿本人麻呂と合わせて「和歌三神」とも呼ばれます。この他に衣通姫(そとおりひめ)・山部赤人(やまべのあかひと)を和歌三神に含むとするなど諸説があります。

住吉三神は現世に姿を顕す「現人神(あらひとがみ)」ともされ、長い白ひげを生やした老翁の姿で顕れ、和歌や俳句を嗜んだと伝わります。他にも『住吉大社神代記』には住吉明神が現れて軽皇子(かるのみこ)に歌で答えたことや、『伊勢物語』に「住吉に行幸の時、大御神現形(げきょう)し給ひてとしるせり」と天皇に和歌を返したとあり、住吉明神が現人神(あらひとがみ)として和歌で託宣を行ったことが知られていて、これが和歌の守護とされる由縁だそうです。



住吉三神の「底箇之男神」などの名前に入る「箇(筒の意)」とは、古来「星」の意味ともされ、この三柱の神はオリオン座の中央にある「カラスキ星」で航海の目標としたところから、航海守護を司る神とも考えられてきました。カラスキとはオリオン座の三つ星および小三つ星をつないだL字形を,農具のからすきと見て呼ぶ和名です。

オリオン座は主に冬の南の空に見える星座ですが、夏場も夜明け前に三つ並んだ星を見る事ができます。

住吉大社でも本殿が三つ縦に並んでいますので、まさにオリオン座の三ツ星が縦並びに海から昇る時と同じ配置といえますね。



かつての神仏習合の思想では、それぞれ薬師如来(底筒之男神)、阿弥陀如来(中筒之男神)、大日如来(上筒之男神)を本地とすると考えられました。



【住吉三神を祀る主な神社】

三大住吉 三韓征伐に由来する神社

・#住吉大社 (大阪市住吉区)

・#住吉神社 (山口県下関市)

・住吉神社(福岡市博多区)



三大住吉以外の三韓征伐に由来する神社



・住吉神社(長崎県壱岐市)

・#風浪宮 (福岡県大川市)

・#本住吉神社 (神戸市東灘区住吉宮町)



三韓征伐に由来する神社から勧進された神社



・服部住吉神社(大阪府豊中市)

・住吉神社(兵庫県明石市魚住町)

・住吉神社(兵庫県加西市北条町)

・住吉神社(東京都中央区)

・高良大社(福岡県久留米市)

・安宅住吉神社(石川県小松市)

・安住神社(栃木県塩谷郡)

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セオリツヒメ(瀬織津姫)

【穢れを清める清流の女神】

セオリツヒメを描いてみました。

セオリツヒメは『古事記』や『日本書記』には登場しませんが、『祓祝詞』と『大祓祝詞』にその名が出てきます。

神社には祓社(はらいのやしろ)や祓殿(はらえどの)、祓所(はらえど)という施設を備えた神社が全国各地にあります。

これは、参拝の前に、祓社にて俗世の穢れを祓ってから、本殿へ向かうのが正しい参拝の作法だからです。この祓社にお祀りされている神様が四柱いて、その一柱がセオリツヒメです。

この祓社にお祀りされている神様は「祓戸四神(はらえどよんしん)」や「祓戸大神(はらえどのおおかみ)」と呼ばれ、人や世の禍事(まがごと)と罪、穢れを祓ってくださる、祓いと禊ぎ(みそぎ)を司る神々です。 四柱は以下の神となります。



瀬織津比売(セオリツヒメ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す、清流の女神

速開都比売( ハヤアキツヒメ ) -- 海の底で待ち構えていて諸々の禍事・罪・穢れを飲み込む海の女神

気吹戸主(イブキドヌシ) -- ハヤアキツヒメが諸々の禍事・罪・穢れを飲み込んだ後に根の国・底の国に息吹を放つ風の神

速佐須良比売(ハヤサスラヒメ) -- 根の国・底の国に持ち込まれた諸々の禍事・罪・穢れをさすらって失う霊界の女神





前述のとおり、『大祓祝詞』に記載のあるセオリツヒメは祓いの神様として知られていますが、アマテラスの荒魂ともされ伊勢神宮内宮別宮荒祭宮(三重県伊勢市)や、戦前までは廣田神社(兵庫県西宮市)の主祭神とされていました。

しかし祓いの女神でアマテラスとの関係も深いですが、『記紀神話』には登場せず、かなり謎めいた神様でもあります。

また水の神、川の神でもあるので龍神と関係が深く同一視されることもあるので、龍を背後に描いています。



祓戸の大神のうち三神が生命を育む女神であり、田畑を潤す「川」、生命の母である「海」、生命に活力を与える「息吹」、現世と陰陽の関係をもつ「霊界」それぞれが私たちにとって関係深いものです。これは人間のみならず、生命にとって根源的なご神徳を祓戸大神が備えているともいえます。



祓戸大神の司る禊(みそぎ)は「身削ぎ」ともされ、身の垢を削ぎ落し清めることです。『大祓祝詞』によると、自らの心から削ぎ落ちた罪穢れを、セオリツヒメは清流ではるか遠くに運んでくれます。その後、ハヤアキツヒメが海で罪穢れを飲み込み、イブキドヌシが吹き放つと、最後に、ハヤサスラヒメが罪穢れを持ち、さすらうと、いつの間にか穢れが無くなっていたといい、元々、罪穢れを持って生まれた者は無く、祓う事で清浄なる身に戻れることを意味しているとされます。



日本人の生活の中に今も残る「水に流す」という言葉が『ミソギをして新しく生まれ変わる』という祓いの概念が起源であることを考えれば、その意味に於いてもセオリツヒメを初めとする祓戸四神の存在意義は大きく、「祓い」の思想を祝詞として今の世に伝えています。



【神格】

#祓いの神

#水の神

#滝の神

#早川の神

#海の神



【ご利益】

水難防止

雨降らし

罪穢れの祓い清め

治水神



【別称】

天照大神の荒魂(アマテラスオオミカミノアラミタマ)

向津姫(ムカツヒメ)

禍津日神(マガツヒノカミ)

鈴鹿権現



【系譜】

・サクラウチ(桜大刀自神)の娘

・アマテル(天照大御神)の内宮(正室)

・オシホミミ(天忍穂耳尊)の母

・ワカサクラヒメ(アマテルの側室)の姉



【祀られている神社】

六甲比命神社(兵庫県神戸市)

宇奈己呂和気神社(福島県郡山市)

日比谷神社(東京都港区)

小野神社(東京都多摩市)

小野神社(東京都府中市)

瀬織津姫神社(石川県金沢市)

池宮神社(静岡県御前崎市桜ヶ池)

槻神社(愛知県北設楽郡東栄町)

片山神社(三重県亀山市)

佐久奈度神社(滋賀県大津市)

建水分神社(大阪府南河内郡千早赤阪村)

井関三神社(兵庫県たつの市)

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ゾウカサンシン(造化三神)

【天地開闢に現れた三柱の神々】

『古事記』によると、天地が開けし時に突如として現れた神様がアメノミナカヌシ。

それに続く様にタカミムスビ、カミムスビが現れました。

そしてすぐに身をお隠しになったこの三つ柱の神々を総称して「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼びます。

造化三神は男性女性の区別がない独神(ひとりがみ)であり、最初に生まれたアメノミナカヌシは、その名の通り天(宇宙)の中心に坐す神様。

このアメノミナカヌシは中心に引き寄せる力。逆にタカミムスビ、カミムスビは反発する力を現して描いています。

これは原子核を構成する「陽子(タカミムスビ)」「中性子(アメノミナカヌシ)」「電子(カミムスビ)」という風に、捉え電子と陽子は互いにプラスとマイナスの電荷を持つので、反発し合うタカミムスビとカミムスビ。その中心にアメノミナカヌシがいて原子核が構成されているとイメージ出来ます。

また宇宙創造に関わる神様と読めるので、背景は宇宙にして銀河の渦をイメージし、造化三神は物質が内包している「エネルギー体」という側面もあると考えられ、アインシュタインが提唱した相対性理論によるE=mc2では、Eはエネルギー、mは質量、cは光の速度を現します。これは「質量(物体)が運動して光の速度に近づけば、質量はエネルギーに変わりうる」という事になります。

つまりありとあらゆる物質にエネルギー(造化三神)が内包していると推論し、造化三神=エネルギー体として描いています。

また『古事記』によると「造化三神は、皆独り神(ひとりがみ)と成り、身を隠した」と記述されています。

現れてすぐにお隠れになるという点も、そのまま読むと理解できない存在ですが、この「隠れた」という漢字は、単に隠れたという意味ではなく、大事に包み込んだという意味もあります。そして「身」を「隠した」という意味は、「造化三神が自身の体の中に、大事に包み込んだ」となり、我々のいる宇宙も全て「神の体の中」にあるということ。この宇宙そのものというより、それを超える果てしない巨大さを持った神様とも考えられ、まさにアメノミナカヌシ(天之御中主)は、その名を天の中心の主と書きます。

果てしなく広がる宇宙(空)を見上げて古代の人々は深遠で偉大な神々と繋げていったのでしょう。


【神格】

アメノミナカヌシ 宇宙の根源神 タカミムスビ 生成神 カミムスビ 生成神



【御利益】

安産、長寿、招福、出世開運、学業上達、技術向上、縁結び、海上安全、厄除け、病気治癒、中風病退除、養蚕守護、諸願成就開運招福



【別称】

#アメノミナカヌシ #天御中主神 #タカミヌスビ #高木神、#高皇産霊尊  #カミムスビ #神皇産霊尊



【祀られている神社】
秩父神社 (埼玉県秩父市)

水天宮  (福岡県久留米市)

神戸水天宮 (兵庫県神戸市)

沖端水天宮 (福岡県柳川市)

水天宮平沼神社 (神奈川県横浜市)

水天宮 (東京都中央区日本橋)

久米水天宮 (埼玉県所沢市)

葛城神社妙見宮 (福岡県築上郡築上町)

日高神社 (岩手県奥州市)

四柱神社 (長野県松本市)

木嶋坐天照御魂神社 (京都府京都市)

日野宮神社 (東京都日野市)

相馬中村神社 (福島県相馬市)

千葉神社 (千葉県千葉市)

八代神社 (熊本県八代市)など

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タカクラジ(髙倉下)

【神武天皇を助けた功労者】

髙倉下(たかくらじ)を描いてみました。

タカクラジは神武天皇の率いる軍が熊野で窮地に立たされた時に、夢で見た神託によりタケミカヅチの神剣フツノミタマをもたらし、神武東征の手助けをした人物です。



『古事記』、『日本書紀』によると、神武天皇と御軍(みいくさ/神武天皇の率いる軍)は東征中、熊野で突如山から出て来た熊(荒神/悪神)の毒気に当てられた一行は、皆揃って倒れ伏せてしまいます。

この窮地を救ったのがタカクラジでした。



タカクラジが高天ヶ原の武神タケミカヅチから授かった神剣フツノミタマをもたらすと、荒神の毒気は晴れ、神武天皇が覚醒します。

目覚めた神武天皇は「長い眠りにあったようだ」と言うと、神剣を受け取り熊野の荒神を斬り倒し、兵士も皆正気を取り戻しました。

神剣の威力に恐れをなした荒神は、自ら降伏したともされます。



タカクラジの夢の中で、高天ヶ原の神アマテラスとタカギノカミ(タカミムスビ)が、葦原中国(地上)が騒がしいのでタケミカヅチを遣わそうとしたところ、タケミカヅチは「自分がいかなくとも、国を平定した剣があるのでそれを降せばよい」と述べ、タカクラジに「この剣をお主の倉に落とし入れることにしよう。お主は朝目覚めたら、天津神の御子(神武天皇)に献上するのだ」と神勅を授かったので、タカクラジが朝になり目覚めて倉を調べたところ、本当に倉の中に神剣が置いてあったため、それを神武天皇の元に献上したのでした。



この剣はフツノミタマ、またの名をサジフツノカミといい、ミカフツノカミともいい石上神宮(奈良県天理市)に祀られています。

フツノミタマの「フツ」は物を断ち切る際の音を現しているとされ、切断する鋭利な刃物を神格化した神様とも考えられ、フツノミタマが祀られている石上神宮は、物部氏に関係の深い神社です。



『先代旧事本紀』では、物部氏(もののべし)の祖神であるニギハヤヒの子で尾張連(おわりむらじ)らの祖アメノカグヤマ(彌彦神社の御祭神)が別名タカクラジと記されています。



神倉神社(和歌山県新宮市)及び熊野速玉大社の神倉宮に祀られているほか、三重県伊賀市(旧上野市)西高倉の高倉神社にお祀りされています。

高倉神社(三重県伊賀市)はタカクラジの七代の後の子孫であるヤマトエタマヒコがこの地に移り住んでタカクラジを祖神として祭祀した事を起源とする社などに祀られていますが、その数は神武東征の功績を考えるとかなり少ないですね。

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タケイワタツ(建磐龍命)

【阿蘇に鎮座する開拓神】

タケイワタツは神武天皇の孫ともされる、阿蘇山に鎮座する阿蘇神社の御祭神です。

阿蘇山というと、 『 火の国』熊本県のシンボル。日本では北海道の屈斜路カルデラに次いで第2位の規模を誇ります。

そのカルデラに鉄道を引いて、5万人の人々が住んでいる地は世界中を見ても他にありません。

阿蘇山は約90,000年前に最後の大規模な噴火(破局噴火)を起こし、火砕流は九州のほぼ全域に達し、火山灰が日本全域に及ぶ大被害を及ぼしたとされます。

この後も小規模な噴火を含めて、幾度となく災害を起こしていて、中岳は現在でも活発に活動しています。

阿蘇の火山を制して田畑を作り、豊かな国造りをしたのがタケイワタツ。



前述の通りタケイワタツは阿蘇神社のご祭神で、この神社は7代孝霊天皇の時代に、初代阿蘇国造であるハヤミカタマ(タケイワタツの子)によって創建されたと伝わり、そのハヤミカタマの子孫である阿蘇氏が、現在も阿蘇神社の宮司を務めているそうです。



『六国史』では、タケイワタツおよびアソツヒメに対する神階奉叙の記事が見え、タケイワタツは天安3年(859年)に正二位勲五等、阿蘇比咩神(アソツヒメ)は貞観17年(875年)に従三位までそれぞれ昇叙されました。正二位は、諏訪大社、出雲大社、宗像大社、熱田神宮、熊野大社といった神社の御祭神と同列となります。

また阿蘇神社は『延喜式神名帳』によると、肥後国阿蘇郡に「健磐龍命神社名神大」および「阿蘇比咩神社」との記載があり、健磐龍命神は名神大社に、阿蘇比咩神は式内小社に列しています。



阿蘇に伝わる伝承によると、タケイワタツはカルデラに溜まっていた湖を利用し、耕作地を作ろうと考え、その外輪山を蹴破ったとされます。しかし、最初に蹴飛ばした場所は二重になっていて蹴破る事が出来ませんでした。そこが、現在の阿蘇町の「二重峠」。

また、タケイワタツが蹴破った時に尻餅をついて「立てぬ」と言ったことから阿蘇郡南阿蘇村の「立野」の地名の由来となったそうです。

再びタケイワタツが外輪山を蹴破ると、今度は上手く破れて水が外に流れ、耕作地の開拓を無事に成すことが出来ました。勢いよく湖水が流れた時に鹿が数頭流れたので、以後その場所に流れる滝を「数鹿流ヶ滝(すがるがたき)」と呼ぶようになりました。

湖水が引くと、底から巨大なナマズが現れ、残りの湖水をせき止めたので、

タケイワタツは刀で大ナマズを切り、ようやく全ての湖水は流れていきました。

カルデラ湖にいた大ナマズが流れ着いた場所が現在の嘉島町の鯰という地名になっています。

現在も阿蘇は、水が豊富で、阿蘇神社周辺でも湧き水が流れ、白川水源は毎分60トンと言われている名水地で、人口74万人の熊本市では、この湧き水(地下水)を水道水の水源として使っています。

この様にタケイワタツは火山を制し、治水し、田畑を開拓した神様であります。

出雲にオオクニヌシがいる様に、阿蘇ではタケイワタツが国造りを行い、多くの民に恵みを与えました。



記憶に新しい2016年4月の「熊本地震」では阿蘇はもちろん、熊本県、大分県で大きな被害を及ぼし、重要文化財で日本三大楼門のひとつであった阿蘇神社の楼門と拝殿も倒壊してしまいます。

ただ、その無残な姿は、阿蘇山の噴火を鎮める為、地震の被害を最小限に食い止めるためにタケイワタツがその身を挺しているように思えてなりませんでした。


【神格】

阿蘇の神

開拓の神



【御利益】

開運、事業発展、商売繁昌、五穀豊穣、子授け



【別称】

阿蘇都彦(あそつひこ)

阿蘇津彦命(あそつひこのみこと)

阿蘇神(あそのかみ)



【系譜】

神武天皇の孫



【祀られている神社】

阿蘇神社(熊本県阿蘇郡)

阿蘇山上神社(熊本県阿蘇市黒川)

三谷神社(島根県出雲市大津町)

草部吉見神社 (熊本県阿蘇郡高森町)

建軍神社 (熊本県熊本市東区)

甲佐神社 (熊本県上益城郡甲佐町)

郡浦神社(熊本県宇城市三角町)

青井阿蘇神社 (熊本県人吉市上青井町)



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タケウチノスクネ(武内宿禰)

【天皇五代に渡り仕えた長寿の大臣】

武内宿禰(たけうちのすくね)は8代孝元天皇(こうげんてんのう)の子孫(ひ孫)とされ、12代景行天皇(けいこうてんのう)、13代成務天皇(せいむてんのう)、14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、15代応神天皇(おうじんてんのう)、16代仁徳天皇(にんとくてんのう)の五代(200年以上)に渡り仕えた長寿の伝説的な大臣です。古代中央有力豪族の蘇我(そが)、葛城(かつらぎ)、平群(へぐり)、巨勢(こせ)、紀(き)の祖神ともいわれています。



『日本書紀』では「武内宿禰」、『古事記』では「建内宿禰」と表記されて、名前に付く「宿禰(すくね)」は尊称で、名称は「勇猛な、内廷の宿禰」の意味とされています。

神功皇后(じんぐうこうごう)の「三韓征伐(さんかんせいばつ)」に尽力したことが有名で、その後の国内の平定にも多大な功績を残しています。

武内宿禰が没した時には280歳であったとも360歳であっったともあり、異常なほどの長寿なので実在性は昔から疑問視されていますが、祀られる神社は全国各地に点在し、忠臣や長寿の神として広く信仰され、気比神宮(福井県敦賀市、越前国一宮)、宇倍神社(鳥取県鳥取市、因幡国一宮)、高良大社(福岡県久留米市、筑後国一宮)を始めとする各地の神社で祀られています。

特に高良大社では、祭神の「高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)」が中世以降に八幡神第一の伴神とされたことから、応神天皇(八幡神)に仕えた武内宿禰がこれに比定されている。その結果、石清水八幡宮を始めとする全国の八幡宮・八幡社において、境内社のうちに「高良社」として武内宿禰が祀られる例が広く見られます。



景行天皇時代には勅命を受けて東北蝦夷(えみし)の視察を行い蝦夷討伐を進言、成務天皇からは史上初の大臣に任じられ、仲哀天皇とともに熊襲征伐に向かい、仲哀天皇崩御の後は身重の神功皇后を補佐して朝鮮半島に進出し、応神天皇時代には朝鮮半島の人々を指揮して「韓人の池(奈良県田原本町)」を掘らせ、晩年には仁徳天皇の政治に参与したと伝えらます。

また武内宿禰は、明治時代には、忠臣の象徴として紙幣の肖像画に登場したことでも知られていて、明治22年の一円紙幣、明治32年の五円紙幣、大正5年の五円紙幣、昭和18年の一円紙幣、昭和20年の二百円紙幣と合計5回も紙幣に登場しており、これは聖徳太子(しょうとくたいし)の7回、菅原道真(すがわらのみちざね)・和気清麻呂(わけのきよまろ)の6回に次ぐ記録です。

武内宿禰の生誕地については諸説あるのですが、享保16年(1731年)に当時の第71代紀伊国造俊範(きいとしのり)によって、和歌山市松原にある井戸が武内宿禰の産湯の井戸であると考証されました。それ以後、長寿で知られる武内宿禰にあやかるため、紀州徳川家に子供が生まれた時には、この井戸の水を産湯として用いることとしたそうです。

ある説によると武内宿禰と応神天皇は親子関係ともされますので、抱いている赤子は応神天皇をイメージして描いています。





【系譜】

孝元天皇の孫



【別名】

建内宿祢





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タケミカヅチ(建御雷神)

【国譲りに派遣された武神】

『古事記』によると、創生の夫婦神イザナキとイザナミは愛し合い、支え合うことで、日本の国土と神々を産み出していきました。

しかし、大地母神イザナミをもってしても難産だったのが、火の神ヒノカグツチです。

この火の神様は、生れた時に母イザナミに火傷を負わせ、それが原因でイザナミは死んでしまいます。愛する妻を失ったイザナキは怒り、ヒノカグツチを剣で斬り付け、その剣に付いたヒノカグツチの血が、滴り岩に付いて産まれた神様がタケミカヅチでした。


タケミカヅチは国譲りの際、アマテラスの使者としてオオクニヌシと交渉をした神様でもあり、高天ヶ原最強の武神です。
また地震祓いの神とも言われ、古来より地震を引き起こすオオナマズを踏みつけ、地震を制御し、鎮める役割も担っていると考えられてきました。

さらには、剣に付いた血から化生したので「剣の神様」であり、フツノミタマや『日本書紀』に出てくる剣の神フツヌシは、タケミカヅチの別名ともされています。

そして、『古事記』においてタケミカヅチが活躍したのが「国譲り」とよばれるエピソード。
オオクニヌシが作り上げた国を譲ってもらおうとした「国譲り」の際、アマテラスが何人もの使者を出しますが、ことごとく失敗に終わりました。
しかし、最後に遣わせ「国譲り」を成功させたのが武神タケミカヅチ。


タケミカヅチは、オオクニヌシに国譲りの交渉をする際、武力を行使せず次のようなアマテラスの言葉を伝えました。
「汝がうしはけるこの葦原中津国は、我が御子の知らす国ぞとアマテラスが仰せである。」
「うしはける」(領はける)とは、争う事、武力によって国を治めることを意味し、うしはくがまかり通ると、民衆は権力者や強者の所有物になってしまい、これはいわゆる独裁国家と言えます。

アマテラスは、これからは「知らす国(シラス国)」だと仰りました。これは天津神の御心と一つになり、自然の摂理に逆らわず、国の大事は広く民に知らし、民の為の民衆が主役となる慈愛で満ちた国のことです。

オオクニヌシは、この言葉をタケミカヅチから聞くと、息子たちに決断を委ねます。

タケミカヅチは、早速オオクニヌシの息子の一人であるコトシロヌシ(事代主)と交渉すると、コトシロヌシは「恐れ多い事。そういうことであれば、我が国は天津神のご子孫に譲りましょう」と、交渉をすんなり受け入れたのです。

しかし、それを聞いていたもう一人の息子タケミナカタが大岩を軽々持ち上げてやって来ます。「誰だ、我が国に来てコソコソしているのは!我と力比べをしようではないか!」と勇み足で迫り、タケミカヅチにただ一人抵抗したのでした。


こうして、互いに組み合い力比べをするタケミカヅチとタケミナカタ。
この時の力比べが相撲の起源と云われ、出雲が相撲の発祥の地である由縁です。
互いに組み合いますが、タケミカヅチの手が氷になり、刃に変化しタケミナカタは驚きました。
タケミカヅチはその隙を逃さず一気に投げ飛ばすと、タケミナカタは、諏訪の地に逃げ込み降参し、「この国は天津神の御子にお譲りいたします。」と負けを認め改心し、国譲りの交渉は成立したのでありました。
そして、タケミナカタは諏訪湖の聖地に鎮座され「諏訪大社」の御祭神として、今現在も祀られています。

タケミカヅチは、日本神話最強にして最高の武神と言われていますが、同時に交渉の神とも言えます。
武力のみに頼るのではなく、忠義に従い、アマテラスから言い渡された言葉をしっかりと伝え、天津神の御心と一体となり交渉し、それでも交渉が滞った時には、剣を使わず力比べで解決し、タケミナカタを改心させました。

もし、ここで圧倒的な武力によって国を奪ったならば、それは「うしはく」の国造りと何も変わりません。タケミカヅチは、そのことをよく分かっていたのです。そんな徳を備えた武神が、タケミカヅチであります。


【神格】

剣神、#武神、軍神、#雷神



【御利益】

武道守護、殖産興業、国家鎮護、芸能上達、豊漁、航海安全、安産、病気平癒、厄除け、縁結び、延命長寿、交通安全



【別称】

武甕槌命(たけみかづちのみこと)、鹿島神(かしまのかみ)、鹿島様(かしまさま)、建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)、布都御魂神(ふつのみたまのかみ)、建布都神(たけふつ)、豊布都神(とよふつ)



【系譜】

火の神ヒノカグツチの血から生まれた神。藤原氏の祖神としても知られています。



【祀られている神社】

鹿島神社 (茨城県鹿島市)

春日大社 (奈良市春日野町)

石上神宮 (奈良県天理市布留町布留山)

真上神社 (秋田県男鹿市)

古四王神社 (秋田市寺内字児桜)

塩釜神社 (宮城県塩釜市一森山)

椋神社 (埼玉県秩父郡吉田町)

大原野神社 (京都市西京区大原野南春日町)

吉田神社 (京都市左京区吉田神楽岡町)

枚岡神社 (大阪府東大阪市出雲井町)など

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タケミナカタ(建御名方神)

【諏訪に鎮座する出雲最強の武神】

タケミナカタ(建御名方神)は、諏訪大社のご祭神であり、オオクニヌシの子です。

「国譲り」の時に最後まで抵抗した神様で、出雲から諏訪に逃げ込みました。

タケミナカタの「ミナカタ」は「水潟」に通じ、水の神である竜神や蛇神の化身とも言われます。

『古事記』において、アマテラスの命を受けたタケミカヅチが、オオクニヌシに国を譲るよう迫るのが「国譲り神話」です。

タケミカヅチから問われた時に、オオクニヌシは二人の息子に全てを託します。

オオクニヌシの一人目の息子コトシロヌシ(事代主)は、「この国は、天津神にお渡しします」と、すんなり快諾。

しかし、その直後に千曳の大岩(千人力で動かす岩)を片手に軽々と持ってやって来たのが、オオクニヌシの二人目の息子タケミナカタでした。「我が国に来て、忍びながら話をしているのは誰だ。それならば力くらべをしようではないか。」そう言ってタケミカヅチの手を取り、力比べを挑んだのです。

この力 比べ が「相撲」の起源とされており、出雲大社の式年遷宮では相撲が執り行われます。

力比べをする出雲の武神タケミナカタと高天ヶ原の武神タケミカヅチ。

しかし、タケミカヅチの力は圧倒的でした。タケミナカタが手を掴むと、タケミカヅチの手が氷の柱に変化し、さらにタケミナカタが力を込め掴みかかると、タケミカヅチは手を剣に変えて見せました。流石に驚いたタケミナカタは後退りしますが、すかさずタケミカヅチは「今度はこちらから」と、相手の手を握りつぶして、軽々と投げ飛ばしました。

追い詰められたタケミナカタは、諏訪湖へ逃げ込みます。

「もうここから出てこないから、許してくれ。オオクニヌシとコトシロヌシの意見には背かぬ。天津神の命に背かぬ」と懇願しました。

最後まで抵抗したタケミナカタは、行動力の神様ともいえます。

古代より諏訪の地はミシャグジ様や洩矢神(諏訪上社の神官の一つである神長官を務めてきた守矢氏の始祖)など有力な地主神がいましたが、それらを制したのがタケミナカタ。

その証拠にタケミナカタはその後、諏訪の聖地で軍神となり、戦国大名武田信玄を初め多くの民に崇敬され力と勇気を与えています。また皇統守護の任に就かれて、今も我が国を守っていて、その中心的な社が七年に一度執り行われる豪壮な御柱祭で有名な「諏訪大社」であります。



【神格】

軍神、狩猟の神、山の神、農耕神、五穀豊穣の神、風の神



【御利益】

武運長久、交通安全、盛業繁栄、国土安寧、五穀豊穣



【別称】

お諏訪様、武南方神



【系譜】

オオクニヌシの子



【祀られている神社】

諏訪大社(長野県諏訪市)

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アメノタヂカラオ(天之手力男命)

【剛力で岩戸を開け、光を取り戻した神】

アメノタヂカラオは、高天原(天界)で最も力が強い剛力の神様。

『古事記』で有名なのは「天岩戸」での活躍ですね。

アマテラスが天岩戸に引き籠って、天地が闇に閉ざされた後、天の安河原での会議に参加した重鎮の一人で、高天原きっての怪力の持ち主がアメノタヂカラオ。

天岩戸に引き籠っているアマテラスを外にどうやって出そうかと、知恵の神オモイカネを中心に会議で話し合い、神々は次のような作戦に出ます。

岩戸の前で、ある神が大声で叫びます。

「アマテラスによく似た神様で、アマテラスよりも尊い神様が現れた!」

これはめでたいと神々は一斉に騒ぎ出しました。

その時に裸踊りをして場を盛り上げたのがアメノウズメ。

アマテラスは何やら騒がしい外の様子が気になって、岩戸を少し開けて覗いてみると、そこには自分によく似た光り輝く神様がいたので驚きます。

鏡に映る自分の姿だとは気づかないアマテラスは、もっとよく見てみたいと思い、さらに岩戸を開け、一歩踏み出そうとしました。

その瞬間、ここぞとばかりにアメノタヂカラオがアマテラスの腕を引いて、外に引っ張り出し、さらに岩戸を自慢の剛力で持ち上げ、遠くに投げ飛ばしたのでした。さらに高天ヶ原の神々は岩戸窟に縄を締め、二度と中に入れないようにします。この時にはった縄が注連縄(しめなわ)の由来とされます。

アメノタヂカラオが投げ飛ばした天岩戸の扉は、日向(宮崎県)から信濃国戸隠山(長野県)に落ちたという説もあり、剛力ぶりは人間の常識では測れない目を見張るものがあります。



岩戸の前でアマテラスの御魂を宿した鏡が三種の神器の一つ「八咫鏡(やたかがみ)」。

その後、アマテラスから葦原中国(地上)を統治するよう命じられたニニギが、高天原(天界)から葦原中国に降臨する際に、アメノタヂカラオは随伴し、葦原中国の開拓に多大な功績を残したとも。

また、ヤマトヒメノミコト(倭姫命)がアマテラスを奉斎する地を探し旅をしていた時、地が決まるまでの8年間、アマテラスを長谷山口坐神社(元伊勢)に祀りされたそうです。その時、随神としてアメノタヂカラオをお祀りしたとも言われます。

現在もアメノタヂカラオは、伊勢神宮皇大神宮(内宮)に相殿神として、佐那神社(さなじんじゃ)にも祀られています。

この佐那神社は、伊勢神宮の古材の払い下げを受けて社殿が造り替えられるなど、伊勢神宮との関連が大変深い由緒ある神社で、さらに怪力を持つというイメージのあるアメノタヂカラオは、昔から人々に人気があり、各地にアメノタヂカラオが登場する「岩戸開き」の神楽が伝わっています。

その剛力ぶりから、アメノタヂカラオは、力の神、スポーツの神として知られ、多くのスポーツ選手がアメノタヂカラオをお祀りする神社へ足を運んでいるそうです。

そして、ただ単に剛力なだけではなく、圧倒的な力はあるが、自分の為だけに力をむやみに使うのではなく、力の出しどころを見極めるあたりもアメノタヂカラオの信仰の篤さに関係しているのでしょう。力を持てば誰でも使いたくなるものですが、皆の為、国の為に力を尽くしてきたその姿が、アメノダヂカラオの優しさと真の強さを現しています。


【神格】

力の神、技芸



【御利益】

技芸上達、スポーツ向上、家内安全、開運招福、厄除け、五穀豊穣



【別称】

天手力男神(アメノタジカラオノカミ)、天手力雄命(アメノタジカラオノミコト)



【系譜】

不明



【関連する神社】

戸隠神社 (長野県上水内郡戸隠村)

佐那神社  (三重県多気郡多岐町)

白井神社(兵庫県尼崎子穴太)

湯島神社 (東京都文京区湯島梅園町)

雄山神社 (富山県中新川郡立山町)

石刀神社(愛知県一宮市)

手力雄神社 (岐阜市長森蔵前)

船橋大神宮 (千葉県船橋市宮本)

アメノタヂカラオ

タヂカラオ

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タマヨリヒメ(玉依姫)

【海神の娘で神武天皇の母】

海神の娘タマヨリヒメ(玉依姫)を描いてみました。

『古事記』において、タマヨリヒメは海神(ワダツミ)の娘で、綿津見宮(竜宮)に住んでいる海の女神です。

山幸彦と結婚したトヨタマヒメの妹にあたる女神で、トヨタマヒメが夫の山幸彦との間に出来た子供を産む時に「産屋を覗かないでください」と夫に忠告しますが、山幸彦は産屋を覗いてしまいます。

その時に中で本来の姿(八尋鰐/やひろわに)になって産んでいたところを見られ、トヨタマヒメは綿津見宮(竜宮)に帰る事になってしまいました。

しかし、実家に帰っても、愛する我が子が気になって仕方ないトヨタマヒメは、産み落としたウガヤフキアエズの養育係として派遣したのがタマヨリヒメです。

その後、自身の甥でもあるウガヤフキアエズと結ばれ、初代神武天皇を含め4人の兄弟を産みました。



『日本書紀』によれば、トヨタマヒメは山幸彦との間の子を産むために海から来ましたが、この時、すでに妹のタマヨリヒメを従えていたとされます。『古事記』と大筋は同じでウガヤフキアエズの養育係となったタマヨリヒメは、後にウガヤフキアエズと結ばれます。



タマヨリヒメの名前の意味は「神霊が依り憑く巫女」あるいは「玉(皇位の印)に依り憑く巫女」と考えられ、オオモノヌシの妻であるイクタマヨリヒメ(活玉依毘売)や、『山城国風土記』逸文に見えるタマヨリヒメと同じく、この名前を持つ者は神と結婚する巫女的神性を持つともされるので、玉を持たせた海の女神をイメージして描いています。

宮浦神社(宮崎県日南市)はタマヨリヒメの住居跡といわれていて、宮崎県日南市に玉依姫の陵墓であると伝えられる場所もあります。

またタマヨリヒメは水神、龍神を束ねているという伝説が存在します。

弁財天様が祀られている神社として有名な江島神社(神奈川県藤沢市江の島)と縁の深い龍口明神社(神奈川県鎌倉市)ではご祭神としてタマヨリヒメを祀っていて、社伝ではタマヨリヒメは龍神として崇められていたとされています。





タマヨリヒメの夫:ウガヤフキアエズ



タマヨリヒメとウガヤフキアエズの子→神武天皇(カムヤマトイワレヒコ/ワカミケヌ)、五瀬命(イツセ)、稲氷命(イナヒ)、御毛沼命(ミケヌ)



【神徳】



子宝

海上安全

安産

農業

漁業

殖産興業

商売繁盛

方除け

悪病

災難除け





・トヨタマヒメを祀る神社

霧島神宮  ( 鹿児島県霧島市霧島田口)


高千穂神社 ( 宮崎県西彼杵郡高千穂町)


賀茂御祖神社 #下鴨神社  ( 京都市左京区)


吉野水分神社 (奈良県吉野郡)


若宮神社 (福岡県糟屋郡)


若宮神社 (福岡県筑紫野市)


若宮神社 (福岡県新宮町)


皇祖神社 (福岡県飯塚市)


宮崎神宮 (宮崎県宮崎市)


青海神社 (新潟県加茂市加茂)


玉前神社 (千葉県長生郡一宮町)


知立神社 (愛知県知立市西町神田)


玉井宮 (岡山市門田)


筥崎宮 (福岡市東区箱崎)


宇美八幡宮 (福岡県粕屋郡宇美町)


龍口明神社(神奈川県鎌倉市)





#オオワダツミ #豊玉姫 #玉依姫

#トヨタマヒメ #タマヨリヒメ

#神社好きとつながりたい  #海幸彦 #古事記 #日本書紀 #神社参拝 #神社 #浮世絵

  #神武天皇 #山幸彦 #海神

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ツキタテフナトノカミ(衝立船戸神)

【御杖から成り産まれた神】

ツキタテフナトノカミ(衝立船戸神)を描いてみました。

『古事記』において、黄泉から帰ってきたイザナギが禊(みそぎ)をした際に産まれた神々がアマテラス、スサノオ、ツクヨミといった神々ですが、禊をする前にイザナギが脱ぎ捨てた服や杖、腕輪からも多くの神々が産まれました。

その中でイザナギの御杖から生まれた神がツキタテフナトノカミです。

『日本書紀』では、黄泉津平坂(よもつひらさか)で、怒り狂ったイザナミから逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って投げた杖からクナトサエノカミ(来名戸祖神)が化生していて、同一の神とされます。

イザナギの衣服、杖、袋、腕輪などから生まれた神々は以下の通りとなります。

●御杖→ツキタテフナト
●御帯→ミチノナガチハ
●御囊(ふくろ)→トキハカシ
●御衣→ワズライノウシノカミ
●御褌(ふんどし)→チマタノカミ
●御冠→アキグイノウシノカミ
●左手の腕輪→オキザカル・オキツナギサビコ・オキツカイベラ
●右手の腕輪→ヘザカル・ヘツナギサビコ・ヘツカイベラ

神名の「ふなと」は「くなと」と同意ともされ「来な処」すなわち「来てはならない所」「入口を超えて来るな」の意味といわれ、もとは、道の分岐点、峠、あるいは村と外界との境などで、外からの外敵や悪霊の侵入を見張り防ぐ役割を持った神様とされます。

境界線や道の守護神として道祖神という存在がいますが、同じ神格を有するクナドノカミ、ツキタテフナトノカミは同一化していったと考えれれます。

またサルタヒコも、『日本書紀』において、これらの神と習合したとされるので、ツキタテフナトノカミの風貌はサルタヒコを意識した鼻の長い白髭の御姿をイメージして描いてみました。

イザナギが脱ぎ捨てた褌からチマタノカミが化生したされていますが、この神様も分かれ道の守護者としての神格を有する事から、天之八衢(あめのやちまた)を守護するサルタヒコと同一視される存在です。

なお、道の守護神である道祖神は、道教から由来した庚申信仰と習合して青面金剛が置かれ、「かのえさる」の「申」から転じてサルタヒコとも習合していきました。これらのことから、サルタヒコはイザナギの御子神という考えも出来ます。

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ツクヨミ(月読尊)

【禊で生まれた月と夜の守護神】

月の神ツクヨミは、アマテラスの弟でありスサノオの兄で、この三柱は「 三貴子(さんきし/みはしらのうずのみこ)」と呼ばれ、特に尊い神様とされています。

イザナキがイザナミに追われ黄泉の国から逃げ帰ってきた後、イザナキが清流につかり禊(みそぎ)をし、顔を濯ぐと右目から神様が生れました。それがツクヨミです。

同時に生まれたアマテラスは太陽の神。スサノオは海原の神。そしてツクヨミは夜の神、または月の神と呼ばれています。

アマテラスやスサノオの逸話は『古事記』に記されていますが、ツクヨミはほとんど登場しません。

しかし、その支配領域は、天や海に限定されず広い範囲に及ぶといいます。
また、大陸に派遣され大陸の神様になったという説もあり、ツクヨミの「ヨミ」は「黄泉」の意味ともされ、冥府の神であるという伝承もあり、謎が多い神様です。

ツクヨミ(月読)という「月を読む」の名前から、暦とのゆかりも深いです。
昔の暦は月が満ち欠けする月齢と連動しており、新月から次第に月が満ちていき、満月になるまでの時間の流れを基準としていました。

神社に末日(晦日)、朔日(一日)、十五日に参拝する月参りの習慣は、この月の満ち欠けに関係してます。

一ヶ月うち、十五日を境に振り出しに戻り、「気」が高まることから、 神社で朔日(一日) に祓い、そして十五日にまた祓いを行います。
これが月参り参拝の所以であり、その月を神格化したのがツクヨミ。


ツクヨミ(月夜見)とも書き、夜を支配する偉大な神の側面を表しています。

『日本書紀』では月の神として生まれたとされており、「その輝きは日に次ぐ美しさなので、日と並んで統治すべしと天へ送られた」と記されています。

また悪事を働く者に「お天道様が見ているからバチが当たる」と昔から言いますが、お天道様(太陽)が出ていない時、即ち夜は「月夜見様が見ているからバチが当たる」となり、どんな暗闇でも見通す力がこの神様にはあるようです。



なお、伊勢神宮の外宮である豊受大神宮(三重県伊勢市)とその別宮である月夜見宮(三重県伊勢市)は細長い道で繋がっていて、ツクヨミは夜になると石垣の石を白馬に変えて豊受大神宮のトヨウケヒメのもとへ通うという伝説から「神路通り(かみぢどおり)」と呼ばれています。この道はツクヨミの通り道なので地元では、神路通りの中央を歩くことを避けて通るとされます。



前述の暦もそうですが、「月」は日本人には古来から大切な存在で、和歌などでは「太陽」よりも「月」を読んだ歌が多く、夜な夜な空を見上げては「月」の存在の有難さ、さりげなさに心を動かされてきたのです。

日本最古の和歌集『万葉集』にも「月読」の神名は登場します。

和歌として詠まれた「月読(月余美、月読壮士等、様々な表記があります)」は、神話とは別に単純に「月を擬人化したもの」もあれば、月の神として詠まれたものもあります。

後者のうち、代表的な和歌をひとつ挙げてみましょう。



天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも 月夜見の 持てる越水 い取りきて 公に奉りて 越得じむかも (万葉集 巻第十三の三二四五)

(訳:天へ続く橋も長くあってほしい。高山も高くあってほしい。月の神の持っている若返りの水を取り、あなたに差し上げ若返らせたいものだ)

アマテラスが「陽」ならば、ツクヨミは「陰」となり、

夜の闇に光を届け、海の航海をそっと見守り、さりげなく人々を導くありがたい存在です。

決して表立って活躍はしないが、なくてはならない存在が「月」。

さりげなく闇を照らし出し独特の風情を感じる月夜は、昔から人々の心を引き寄せる魅力があるようです。


【神格】

月の神、農耕神、占いの神、海の神、漁業の神、黄泉の神



【御利益】

海上安全、農業、五穀豊穣、諸願成就



【別称】

月夜見命(つきよみのみこと)、月読神、月弓尊(つきゆみのみこと)



【系譜】

イザナギの子



【祀られている神社】

出羽三山・月山神社(山形県東田川郡立川町月山)

鳥海月山両所宮 (山形市宮町)

賀蘇山神社 (栃木県上都賀郡栗野町)

伊勢皇太神宮内・月読荒魂社・月読宮 (三重県伊勢市)

月夜見宮 (三重県伊勢市)

松尾大社の摂社・月読神社 (京都市西京区室山添町)

西寒田神社 (大分市寒田)

月讀神社(長崎県壱岐市)など

#ツクヨミ

#アマテラス

#月神

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ツヌグイ、イクグイ(角杙神、活杙神)

【生命の生育を担う根源神】

ツヌグイ(角杙神)とイクグイ(活杙神)を描いてみました。

この神様達は、『古事記』によると、天地創造の神々のうち「別天津神(ことあまつかみ)」に続いて現れた、「神世七代(かみよななよ)」の中で、四代目に現れた神々です。

造化三神(アメノミナカヌシ&タカミムスビ&カミムスビ)→ウマシアシカビヒコジ→アメノトコタチ→クニノトコタチ→トヨクモノ→ウヒジニ&スヒチニ→ツヌグイ&イクグイ

天地が初めて開けた時に現れた造化三神やウマシアシカビヒコジ、アメノトコタチといった「別天津神」と、「神世七代」のクニノトコタチ、トヨクモノといった神々は「独神(ひとりがみ)」と呼ばれ、男女の差の無い神々でしたが、ウヒヂニ(男神)とスヒチニ(女神)は、その差が出来てきて夫婦一対そろって初めて現れ、その後に続くツヌグイ(男神)、イクグイ(女神)も男神と女神の差がある神々です。

ウヒヂニ&スヒチニとツヌグイ&イクグイは夫婦一対で1代と数えられます。

ツヌグイの「グイ(クヒ)」は「芽ぐむ」などの「クム」で、「角ぐむ」は角が出はじめる意とされ、角(塩の結晶)を持ったツヌグイを描いています。

またイクグイの「活ぐむ」は生育しはじめるの意とする説があり、生物が発成し育つ土壌が出来上がって来たことを示す神名であるされるので、生命の根源を大事に抱くような姿にしました。

ツヌグイ、イクグイの前に現れたウヒヂニとスイチニによって灼熱の大地の地均しがなされ、原始地球が冷えて大雨が続き、生命の起源といわれる海が出来上がりました。

この海で生命が誕生したとされますが、科学的にはどのような生命が最初の生命だったのかは確定していませんし、どのような環境下で誕生したのかも分かっていません。

ただ、無機物と有機物との融合により、原始の生命体が誕生したとすると、無機物がツヌグイ、有機物がイクグイとも読み取れますので、ツヌグイは海水の主成分塩化ナトリウムの結晶(無機物)をイメージした物を持たせ描いています。生命の原点や、それを育む土壌の醸成を現すのがこのツヌグイ、イクグイではないでしょうか。

【ツヌグイ、イクグイをお祀りする神社】
物部神社 境内 神代七代社(島根県大田市川合町)
宮浦宮(鹿児島県霧島市福山町)

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トコヨノナガナキドリ(常世長鳴鳥)

【常夜の暗闇に鳴く鶏】

今日はトコヨノナガナキドリ(常夜長鳴鳥)を描いてみました。



『古事記』において、天岩戸の段で活躍するのがトコヨノナガナキドリです。

高天ヶ原でスサノオが暴れまわり、その結果アマテラスの側近の女神が死んでしまう事件が起こります。

これに心を痛めたアマテラスは天の岩屋戸に隠れ、太陽の無くなった世界は闇に閉ざされ様々な災いが起きてしまいました。



この緊急事態に高天ヶ原の神々が天の安河原に一同に集結し、力を合わせて作戦会議を開きます。

知恵の神オモイカネの発案で、アマテラスが籠る天の岩屋戸の前で盛大にお祀りを行うことにしました。

そこでまず登場するのがトコヨノナガナキドリの鳴き声でした。



その後は、ご存知の通りアメノウズメ、アメノタヂカラオなど、多くの神々の活躍により無事にアマテラスを岩戸から引き出すことに成功するのでした。



これは伊勢宮の式年遷宮で「鶏鳴三声(けいめいさんせい)」という儀式があり、その起源と言われます。



日本では鶏の鳴き声というと、「コケコッコー」が一般的ですが、ごく一部の限られた場所、人たちの間では「カケコー」が大切に伝えられてきました。

「カケコー」という鶏の鳴き声が三回唱えられ、つづく勅使の「出御(しゅつぎょ)」の発声と共に、神霊が新宮に遷られるのです。

鶏は伊勢神宮でも見かける事が出来るように、神事と深く結びついた神聖な鳥でした。

トコヨノナガナキドリはまさに、早朝に鳴き「太陽」である「アマテラス」を呼び出す神聖な鳥として『古事記』に記されています。



この様に「声」に宿る魂や霊的な力を「言霊」と呼び、言葉や音を大切にしてきた日本の心をトコヨノナガナキドリが現していますね。



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トヨウケヒメ(豊受大神)

【伊勢神宮に祀られる穀物神】

トヨウケヒメは『古事記』において、天孫降臨の際に、ニニギノミコトに付き従い高千穂に降臨した穀物の女神様です。

天孫降臨後は、伊勢神宮の外宮に鎮座されています。

その伊勢神宮の社伝によると、21代雄略天皇の枕元にアマテラスが現れて、『ひとりでは安らかに食事が出来ないので、トヨウケヒメを近くに呼び寄せなさい』と丹波国より遷宮させたとされます。

『丹後国風土記』によりますと、「 ある日、丹波国の泉に天女8人が舞い降り水遊びをしていた。それを見ていた老夫婦が1人の天女の羽衣を隠してしまう。

羽衣を隠された1人の天女は天に帰れず、老夫婦の養女となり、病に効く酒を造って夫婦に富をもたらした。ところが、十余年ほども経つと、夫婦から家を追い出されてしまったのである。漂白した末に奈具村に至り、村の鎮守となった。」この不運な天女がトヨウケヒメとされます。

古代の人にとって水と米で作られる酒は、とても貴重なものだったはず。
トヨウケヒメが穀物に限らず酒造りや薬にも縁深い存在だったのが、この伝承でも推測できます。
神様にささげる神饌に米と酒を用いるのは、トヨウケヒメのこうした逸話や神格によるものかもしれません。

鎌倉時代以降に興った「伊勢神道」においては、アマテラスが祀られている内宮を北極星、外宮のトヨウケヒメを北斗七星に対応させたといいいます。

北斗七星は柄杓の形、柄杓を意味する【斗】がトヨウケの【ト】に当てられたともいわれ、

北斗七星を信仰する「北斗法」によると北斗七星は富や寿命を司るとされています。

また、江戸時代に入り、庶民の憧れとなった「お伊勢参り」では、柄杓を片手に持って歩くと、その柄杓にお金や米などの施しを頂いたそうで、この柄杓も「伊勢神道」におけるトヨウケヒメの神格が顕現したものかもしれません。

ただアマテラスはなぜ他の神ではなく、トヨウケヒメを身近に置いたのでしょう。

単に穀物神だからなのか、それ以外の理由があったのかは分かりませんが、丹後から外宮に鎮座される事によって、より崇敬される存在になったといえます。

古の朝廷は伊勢神宮(内宮、外宮)を篤く奉りましたが、明治時代になると政府の介入によって神宮の在り方も変わってきます。

皇祖神を祀る神社は「内宮」のみとして徹底したとされ、政府が御触れを出すほど「外宮」の影響力が強く、その理由も「伊勢神道」を確立したのが外宮を氏神とする渡会(わたらい)氏で、江戸時代には多くの学者を輩出していた事と関係があると思います。

しかし、政府からの達しがあったにもかかわらず「外宮」は今でも日本中から多くの人々に篤く信仰されているのは、トヨウケヒメの「徳」の高さのおかげです。

太陽から頂く恵みの象徴であった「穀物」「酒」を司るトヨウケヒメは、農耕民族の我々日本人にとって、「太陽神」にも劣らないかけがえのない神様であるのは間違いありません。

【神格】

食物神、穀物神



【御利益】

農業、漁業、衣食住の諸産業、開運招福、厄除け



【別称】

豊受大神(トヨウケノオオカミ)、豊宇気美売神(トヨウケビメノカミ)、豊由宇気神(トユウケノカミ)、豊受気媛(トヨウケノヒメ)



【系譜】

ワクムスビの子



【祀られている神社】

伊勢神宮・外宮 (三重県伊勢市豊川町)

篭神社  (京都府宮津市大垣)

豊受大神宮 境内 多賀宮 (三重県伊勢市)

豊受大神社 元伊勢外宮 (京都府福知山市)

奈具神宮 (京都府宮津市)

瀧原宮 (三重県度会郡)

夕日神社 (富山県氷見市)

岡上神社 (徳島県板野郡板野町)

賀羅加波神社 (広島県三原市)

伊勢神社  (岡山県岡山市)

廣瀬大社 (奈良県北葛城郡河合町)

御前神社 (福井県あわら市)

唐松神社 (秋田県大仙市)

礒部稲村神社 (茨城県桜川市)

二所山田神社 (山口県周南市)

石田神社舊跡社 (三重県多気郡明和町)

花長上神社 (岐阜県揖斐郡揖斐川町)

依遅神社 (京都府京丹後市)

八保神社 (兵庫県赤穂郡上郡町)

丸田神社 (京都府京丹後市)

御祭神社 (東京都三宅村)

小代神社 (兵庫県美方郡香美町)

ほか、全国の神社

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#豊穣神

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トヨクモノ(豊雲野神)

【神世七代の二代目】

雲の神トヨクモノ(豊雲野神)を描いてみました。

この神様は『古事記』において、「神世七代(かみよななよ)」の中で、クニノトコタチに続いて二番目に現れたと記されている神様で、男神や女神という性別の区別の無い独神(ひとりがみ)であります。

クニノトコタチが地球(大地)の根源神、創造神であると捉えると、その次に現れたトヨクモノは、名前の通り雲や大気を司る神様でありますが、これまで生まれた別天津神(ことあまつかみ)やクニノトコタチ同様にすぐに身を隠してしまいました。

最初に現れたアメノミナカヌシ、タカミムスビ、カミムスビという「造化三神(ぞうかさんしん)」が宇宙創造の神様で、ウマシアシカビヒコジやアメノトコタチは、命の萌芽や繁栄と確立を現します。

このことから次に生まれたとされる「神世七代」の神々は地球規模の創生を司る神々だと解釈でき、まずはクニノトコタチは地球(大地)を築き、トヨクモノは雲や大気を造り上げた神で、科学的にも地球が出来た46億年前は当然海は無く、燃え上がる灼熱の大地と100気圧といわれる超高圧の濃縮された二酸化炭素、窒素、水蒸気で構成される原始大気に覆われていました。

この濃縮された原始大気が温度の低下により海になり、多種多様な生命の起源となったので「豊雲野」の神名が現すところの「豊かな雲」は「原始大気」とも読めます。

この原始大気に覆われた地球に立つトヨクモノを、男神や女神の区別の無い独神ではありますが、今回は女神をイメージして描いてみました。

『日本書紀』本文では、天地開闢の後、クニノトコタチ、クニノサヅチに続いて三番目にトヨクモノが化生したとあり、別名も記載がされますが、その後の登場は無く謎の多い神様です。


【別名】
豊斟渟尊、豊斟渟神、豊国主尊、豊組野尊


【トヨクモノをお祀りする神社】

物部神社 境内 神代七代社(島根県大田市川合町)
忌部神社(島根県松江市東忌部町)
穂見諏訪十五所神社(山梨県北杜市長坂町)
熊野速玉大社(和歌山県新宮市新宮)
宮浦宮(鹿児島県霧島市福山町)
埜神社(愛知県豊田市野口町)
大縣神社 境内 大国恵比須神社(愛知県犬山市宮山)
荒橿神社(栃木県芳賀郡茂木町)
二荒山神社 境内 十二社(栃木県宇都宮市馬場通り)
胸形神社(栃木県鹿沼市村井町)

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トヨタマヒメ(豊玉姫)

【皇祖と結ばれた海の女神】

海神の娘トヨタマヒメ(豊玉姫)を描いてみました。

『古事記』において、トヨタマヒメは海神(ワダツミ)の娘で、綿津見宮(竜宮)に住んでいる海の女神で、山幸彦(ホオリノミコト)と結婚します。

その真の姿は八尋鰐(やひろわに)で、子供を産み時に産屋を建て「出産中は決して中を覗かないでほしい」と夫に忠告し出産に臨みました。しかし、異形の姿で子供を産んでいるのを夫の山幸彦に見られたために故郷(綿津見宮)に帰ったとされていますので、半人半魚の人魚をイメージして描いてみました。



トヨタマヒメが、この時に産んだ子がウガヤフキアエズで、その子供が初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)となりました。しかし、産んですぐにウガヤフキアエズを置いて帰ったので、養育係として妹のタマヨリヒメ(玉依姫)を遣わします。このタマヨリヒメがウガヤフキアエズと結ばれ神武天皇が生れたので、トヨタマヒメは神武天皇の祖母であるのと同時に伯母でもあり、皇祖皇統に深く関わる海の女神と云えます。



豊玉姫(トヨタマヒメ)の「豊」は「豊かな」、「玉」を「玉(真珠)」と解し、これは「豊かな玉に依り憑く巫女」という意味であり、『古事記』において山幸彦とトヨタマヒメの出会いの場面でも、山幸彦が持っていた「玉」が重要な御印として使われています。

『古代豪族系図集覧』によれば、トヨタマヒメの弟に宇都志日金拆命(ウツシヒカナサクノカミ)(穂高見命。阿曇氏の祖。)・振魂命(フリタマノミコト)(尾張氏の祖)がいます。この二つの氏族は、ともに海人族と言われる航海技術・漁業技術に長けた海洋民族で、皇族とも関係が深く古代日本で有力豪族として権力を有していました。四方を海に囲まれている日本において、海神をお祀りする事は自然崇拝という側面から見ても元始的であり、全国各地に海の神がお祀りされてきたと推測できます。海神ワダツミとその娘たちが皇祖に二代続いて嫁いだことも、地域の制海権を得た海人族系の地方豪族が、古代日本で多大な影響力を持っていたことを意味しているでしょう。



また産屋を建てた伝説の窟である宮崎県日南市の鵜戸神宮には『古事記』には記載のない独自の伝承があります。

残していく御子神(ウガヤフキアエズ)のために、トヨタマヒメは自分の乳を洞窟に貼り付けて、自分がいなくても御子神が元気に育つようにしました。これが鵜戸神宮内に今も残る「お乳岩」の伝説です。

また、トヨタマヒメが綿津見宮からやってきた時に乗ってきた大きな亀は、トヨタマヒメが綿津見宮へ帰っていったのに気付かずに待ち続け、いつの間にか石になってしまったという「亀石」があります。鵜戸神宮を参った人々は、運だめしに亀石めがけて運玉を投げ入れています。



トヨタマヒメの夫:山幸彦(火折尊(ほおり の みこと) - 『日本書紀』・『古事記』では火遠理命)ニニギとコノハナサクヤヒメの子。



トヨタマヒメと山幸彦の子:ウガヤフキアエズ



・トヨタマヒメを祀る神社

若宮神社 (福岡県福岡市)

海神神社( 長崎県対馬市峰町)

和多都美神社 (長崎県対馬市豊玉町)

天手長男神社 (長崎県壱岐市郷ノ浦町)

津神社 (長崎県壱岐市郷ノ浦町)

鹿児島神宮 (鹿児島県霧島市隼人町)

霧島神宮 (鹿児島県霧島市霧島田口)

益救神社 (鹿児島県熊毛郡屋久島町)

天岩戸神社  西本宮(宮崎県西臼杵郡高千穂町)

高千穂神社 (宮崎県西臼杵郡高千穂町)

青島神社 (宮崎県宮崎市青島)

霧島岑神社 (宮崎県小林市細野)

與止日女神社 (佐賀県佐賀市大和町)

健男霜凝日子神社 (大分県竹田市神原)

和爾賀波神社 (香川県木田郡三木町)

鰐河神社 (香川県木田郡三木町)

朝立彦神社 (徳島県徳島市飯谷町)

雨降神社 (徳島県徳島市不動西町)

速雨神社 (徳島県徳島市八多町)

王子和多津美神社 (徳島県徳島市国府町)

大江神社 (鳥取県八頭郡八頭町)

若狭姫神社 (福井県小浜市遠敷)

大虫神社 (福井県越前市大虫町)

多久比禮志神社 (富山県富山市塩)

鵜坂神社 (富山県富山市婦中町)

櫛田神社 (富山県射水市串田)

出水神社 (石川県加賀市橋立町)

南宮御旅神社 (岐阜県不破郡垂井町)

蛭児神社 (京都府京丹後市久美浜町)

鹽津神社 (滋賀県長浜市西浅井町)

沙田神社 (長野県松本市島立区)

木曽三社神社 (群馬県渋川市北橘町)



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  #神武天皇 #山幸彦 #海神

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ナガスネヒコ(那賀須泥毘古)

【神武天皇に立ちはだかった大和の長】

神武天皇の宿敵ナガスネヒコ(那賀須泥毘古/トミビコ)を描いてみました。

『古事記』でナガスネヒコは、「神武東征」の場面で、神武一行に抵抗した大和地方を拠点とする豪族の長として描かれている人物で、『曽我物語』等ではアビヒコ(安日彦)という兄弟がいるとされています。

トミヤヒメ(ミカシキヤヒメ)という妹がいて、ニギハヤヒの妻に嫁がせ、このトミヤヒメとニギハヤヒの子供がウマシマジで古代有力豪族の物部氏の祖神となりました。



「神武東征」の際に白方津で神武一行を襲撃したのがナガスネヒコの率いる軍で、この時に神武一行は兄のイツセが矢傷を負うなど多大な被害を出し敗戦してしまいました。

「我々は日の御子なのに、日(東)に向かって進軍するのは良くなかった。回り込み日を背負って戦おう」とイツセは言い残して死んでしまいます。

この時にイツセを射たのがナガスネヒコとして弓矢を持たせ描いています。

失意に暮れる間もなく、神武一行は、紀伊半島を回り込んで熊野に上陸し、タケミカヅチの霊剣やヤタガラスの導きもあり、なんとか大和に進軍を果たします。

大和の地でエウカシ、土蜘蛛ヤソタケルやエシキを討ち果たし連戦の疲れもあった神武の軍でしたが、その後、ニギハヤヒの恭順を受けてナガスネヒコの軍は壊滅し、敵対勢力のいなくなった神武天皇は橿原の地で初代天皇として即位されました。



『古事記』において、ナガスネヒコ個人に関しては、特に討伐の場面もなくナガスネヒコの主君のニギハヤヒが神武天皇に服属したとのみ書かれてますが、『日本書紀』では自己の正統性を主張するため互いに神璽(三種の神器の勾玉)を示し合いましたが、それでもナガスネヒコが戦い続けたためニギハヤヒの手によって殺されたと書かれています。

これについては『記紀伝承』以外では、失脚後に故地に留まり死去したともされていますが、国が荒れ政情不安から太陽に対して弓を引く神事を行ったという東征にも関与していた可能性をも匂わせる故地の伝承や、自らを後裔と主張する矢追氏によると自決したという伝説や東北に逃れたという説もあり謎が多い最後です。



『先代旧事本紀』では神武天皇が紀伊半島を迂回しナガスネヒコと再び対峙した頃には、既にニギハヤヒは亡くなっており、ニギハヤヒの子であるウマシマジが神武天皇への服従を諭しても聞かなかったため殺したとあります。



ナガスネヒコは、旧添下郡鳥見郷(現生駒市北部・奈良市富雄地方)付近、あるいは桜井市付近に勢力を持った豪族という説もあり、ナガスネとは『記紀』では土地の名であると書かれています。

また伊達政宗(だてまさむね)で有名な戦国時代の伊達家がナガスネヒコの子孫であると言われています。

ナガスネヒコは、『記紀神話』では天皇に抵抗した敵として記されているため、明治時代以降は逆賊としても扱われています。そのため、ナガスネヒコを直接、祀る神社は少なく、祀られていたとしても、別名として祀られているようです。諸説ありますが、ナガスネヒコを祀る数少ない神社として、鹽竈神社(宮城県塩竈市)があります。鹽竈神社の「鹽竈大神」は、一般的にはシオツチノカミとされますが、実はナガスネヒコであることが『先代旧事本紀』の中に記されています。



【系譜】

不明



【別名】

トミビコ

トミノナガスネヒコ





#ナガスネヒコ #トミビコ #大和

#神武天皇 #アマテラス

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泣沢女神(ナキサワメ)

【涙から生まれた女神】

ナキサワメ(泣沢女神)を描いてみました。

この女神は、『古事記』の「神生み」の段において登場します。

イザナギとイザナミは最初に夫婦の契りを交わして、多くの国土を産み(国生み)、それにつづいて多くの神々を産み成しました(神生み)。



しかし、イザナミが火の神ヒノカグツチ(ヒノヤギハヤオ)を産んだ際に大やけどを負ってしまいます。

それが原因で妻が黄泉の国に旅立ってしまったので、悲しみに暮れたイザナギが泣き伏した時に、香具山(かぐやま)の畝尾(うねお)の木本(このもと)に落ちた涙から生まれたのがナキサワメです。



畝尾都多本神社(奈良県橿原市)に泣沢という井戸があり、その井戸が御神体として祀られていて、井戸や水の守り神とされています。この事から、ナキサワメは大和三山の一つである香具山の麓の畝傍から湧き出る井戸の神様で、井戸の中には、ナキサワメが流した涙があるといわれています。その井戸には、『万葉集』に和歌が残っています。



哭沢の 神社に神酒すゑ 祷折れども わご大君は高日知らしぬ

(泣沢神社の女神に神酒を捧げて、薨じられた皇子の延命を祈っているのに、皇子はついに天を治めになってしまわれた。)



これは、41代持統天皇(じとうてんのう)の御代10年(696)に、ヒノクマオオキミ(桧隈女王)が再生の神に神酒を捧げタケチノミコ(高市皇子)の延命を祈ったのに、願いが叶わずナキサワメを恨む和歌として残っています。



神名は「泣くように響き渡る沢」から来ているという説と、「ナキ」は「泣き」で、「サワ」は沢山泣くという意味があり、ナキサワメ自身の涙で井戸が産まれたという伝承もあります。



再生の神、出産、延命長寿、井戸の神様、水神などの信仰を集める水との関係が深い女神様です。

古代日本には、巫女が涙を流し死者を弔う儀式が存在したとされていて、そのような巫女の事を「泣き女(なきめ)」といい、『古事記』においても「国譲り」でアメノワカヒコの関わる伝承に登場します。



この泣き女の儀式は死者を弔うだけではなく魂振り(たまふり)の呪術でもあったようです。つまり復活の儀式に深く関わるのが「ナキメ」であり「ナキサワメ」であると考えられ、水と復活の象徴がナキサワメであったために、和歌にあるようにタケチノミコの復活祈願の対象として祈り謡われたのでしょう。



先日行われた「大嘗祭(だいじょうさい)」の前日に行われる鎮魂祭、あるいは鎮魂の儀においても魂振りは重要なキーワードとされます。

鎮魂というのは、魂が体から離れて抜け出すのを防ぎ、体の中にしっかりと落ち着かせる儀礼であり、魂振りは、体の中の魂が勢いを失った状態から再び活発にさせる儀礼です。

アマテラスの天の石屋戸伝承も魂振りであろう、という説があります。日照時間が一年でもっとも短くなる冬至は、太陽のパワー(威霊)がもっとも弱くなった状態だと考えられ、そのパワーを復活させる目的で魂振りが行われ、それを神話化したものが天の石屋戸だというわけです。



泣き女は神と人間との間を繋ぐ巫女であり、ナキサワメは泣き女の役割が神格化したものとも言われており、現在も出産、延命長寿など生命の再生に関わる信仰を集めていて、雨は天地の涙とする説があり降雨の神様としても知られています。









【お祀りする神社】

賀茂神社 (徳島県阿波市)

赤國神社(京都府綾部市)

境内社

行田八幡神社 (埼玉県行田市)

熊野神社 (東京都多摩市)

多伎藝神社(島根県出雲市)

新治神社(富山県黒部市)

桃島神社(兵庫県豊岡市)

桃太郎神社 (愛知県犬山市)

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ニギハヤヒ(邇藝速日命)

【神武天皇に降った大和の神】

ニギハヤヒ(邇藝速日命)は、有力古代豪族の物部氏(もののべし)の祖神とされ、神武天皇に最後まで抵抗した大和の支配者ナガスネヒコ(トミヒコ)が奉じていた神様です。

そのナガスネヒコの妹トミヤスヒメを娶り、ウマシマジを設けました。

このウマシマジが穂積氏(ほづみし)、熊野国造和田氏(くまののくにのみやつこわだし)の祖神ともいわれています。



神武天皇率いる皇軍を襲撃し撃退したナガスネヒコとニギハヤヒの軍ですが、熊野から再び大和に進軍してきた皇軍に対して劣勢を強いられ、ニギハヤヒは御印(勾玉)を差し出し「天津神の御子が天下りやって来たと聞きました。それならば降参しましょう」と帰順の意を表明し、神武天皇に忠誠を誓ったのでした。

『古事記』にはナガスネヒコの最後は描かれていませんが、『日本書紀』にはニギハヤヒによって斬られたとも書かれています。

これにより大和国は神武天皇の支配下になり、橿原の宮で初代天皇として即位しました。



『日本書紀』や『先代旧事本紀』によれば、ニギハヤヒは、神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝(とくさのかんだから)を授かり天磐船(あまのいわふね)に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされています。一般的にしられているニニギによる天孫降臨説話とは別系統の降臨説話と考えられています。

また、有力な氏族、特に祭祀や軍事を司どる有力豪族の筆頭であった物部氏の祖神とされていること、神武天皇より先に大和に鎮座していることが神話に明記されていることなど、ニギハヤヒの存在には多くの重要な問題が含まれています。大和地方に神武天皇の前に出雲系の王権が存在したことを示すとする説や、大和地方に存在した何らかの勢力と物部氏に結びつきがあったとする説など様々な見方があり、古代史全体を含む謎に関わって来る神様です。



【別名】



アメノホアカリ

クシタマ

アマテルクニテルヒコアメノホアカリ







【系譜】



物部氏の祖神







【祀る神社】



#磐船神社  -(大阪府交野市)「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる巨岩を御神体としている。

#天照玉命神社 (京都府福知山市今安)

#石切剣箭神社 (大阪府東大阪市東石切町)

#藤白神社 (和歌山県海南市藤白)

#廣瀬大社 (奈良県北葛城郡河合町)

#矢田坐久志玉比古神社 (奈良県大和郡山市矢田町)

#飛行神社 - 大正時代に飛行機の神として創建。饒速日命は「天磐船に乗りて太虚(おおぞら)を翔行(めぐ)り」の古事[10]に基づき航空祖神とされ、空の神とも言われ信仰を集めています。

#井関三神社  - 天照神社(あまてる・じんじゃ)が崇神天皇2年(BC96年)に巨岩の磐座を御神体として創祀。

#國津比古命神社 (愛媛県松山市八反地)

#物部神社 (島根県大田市川合町)

#唐松山天日宮 (秋田県大仙市協和)

#新屋坐天照御魂神社  (大阪府茨木市西福井)

祭神同一視神社

#真清田神社  - 尾張国一宮。(祭神の天火明命は別名を天照国照彦天火明命と社伝にいう)

#籠神社  - 元伊勢の最初の神社。(祭神の彦火明命は別名を天照国照彦天火明命、又の名を穂穂手見命と社伝にいう)



#神武天皇 #ニギハヤヒ

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ニニギノミコト(瓊瓊杵命)

【高千穂に降臨した神】

ニニギは、『古事記』によるとアマテラスとタカミムスビの孫であり、父神アメノオシホミミと母神ヨロヅハタトヨアキツシヒメとの間に生まれ、高天原(天界)から葦原中国(地上)へ降り立った神様です。

天の神(アマテラスとタカミムスビ)の孫が地上に降臨したので、このことを「天孫降臨」といいます。

日本書紀によるとアマテラスは、降臨するニニギに稲穂を渡し、「この稲を育てて地上を治めなさい」申されました。

そして稲を高く積む場所として名付けられたのが 「高千穂」と 言われています。

さらに『日本書紀』によると、アマテラスは今の天皇家の使命であり、日本建国の理念とされる「三大神勅(さんだいしんちょく)」をニニギに託しています。

一つ目は「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅」

天壌無窮とは、天孫の子孫(うみのこ)が栄えることは、天地がある限り永遠で、そのために国の君主である自覚を持つことです。

二つ目は「宝鏡奉斎(ほうきょうほうさい)の神勅」

三種の神器の一つである八咫鏡(やたかがみ)を渡し、

「この鏡を私の御魂として祀りなさい。その鏡で己を映し出した時に、私利私欲で民を苦しめていないかを自省しなさい」と申しました。

神を己の心に映し、君主としての努めを示したのです。

そして三つ目が「斎庭稲穂(ゆにわいなほ)の神勅」

稲を育て、この国を繁栄させ、民を飢えさせるような事はしてはならないと申されました。

この三つの神勅を守ることが国家君主、天皇の使命であり、126代に渡り未だにその神勅が守り続けられているのが我が国、日本なのです。

これが、民衆が主役の慈愛で満ちた国づくりの根源でした。

このような神話、王権神授説のようなものは、世界中の民族の王家にも伝えられたのではないかと推測出来ます。しかし、日本の場合凄いのは現在もその言葉の通り「皇室が続いている」ということ。これは世界史上においても、稀なことなので外国人が驚くのも無理はありません。



ニニギは高千穂降臨後、オオヤマヅミの娘、コノハナサクヤヒメに一目惚れして妻にします。

天孫の申し出に喜んだオオヤマヅミは、娘を嫁がせる際に姉のイワナガヒメも一緒に嫁がせました。

ところが、姉のイワナガヒメはあまり美しくなかったので、

その姿を見たニニギは畏れ、姉だけをオオヤマヅミのもとへ送り返してしまったのです。

イワナガヒメを送り返された父は、とても残念がり恥じました。

「姉イワナガヒメを一緒に嫁がせたのには、訳がある。コノハナサクヤビメを娶ると、あなた方天孫の一族は、桜の花が咲き誇るように栄えるだろう。イワナガヒメを娶ると、あなた方一族の命は、たとえ雪が降り、風が吹いても常に岩のように動じない、永遠のものとなったであろう。

しかし、イワナガヒメを返されては、あなたの一族の命は桜の花のように儚いものとなる。」

こうして、今に至るまでニニギの子孫である天皇家や人々は、神の子であるにもかかわらず、その命は限りあるものになってしまったと言われています。

君が代の「細石の巌となりて」とは、子々孫々、岩のように永く続くという意味です。

しかし、神であるニニギは、イワナガヒメを添えたオオヤマヅミの意図を分かっていたはず。

ニニギがイワナガヒメを見た時に、その醜さに恐れたのでもなく、そして永遠の命を得ることを怖れたのではなく、古事記には「見畏み(みかしこみ)」と書かれています。これは自分の事を省みて、自省したと読めます。

高千穂に降臨した時に「ここは、いたく素晴らしい国だ」とニニギは言っていますが、その地を治め、美しき愛するコノハナサクヤヒメを娶り。これ以上のものは必要ではないと、自制したのではないでしょうか。永遠の命を貰うのではなく、「足るを知る者は富み、強めて行う者は志有り

」これをまさに実行したところに、ニニギの建国の想いが感じられます。


【神格】

農業神、稲穂の神



【御利益】

五穀豊穣、畜産、国家安泰、家内安全、厄除け、富貴栄達



【別称】

瓊杵尊(ニニギノミコト)、天饌石国饌石天津日高日子火瓊瓊杵命(アメノニギシクニニギシアマツヒコヒコホノニニギノミコト)、天津日高日子番能邇邇芸命(アマツヒコヒコホノニニギノミコト)、彦火瓊瓊杵命(ヒコホノニニギノミコト)



【系譜】

アマテラスの孫、アメノオシホミミの子、タカミムスビの孫



【祀られている神社】

霧島神宮 (鹿児島県霧島市)

高千穂神社 (宮崎県西臼杵郡高千穂町)

新田神社 (鹿児島県薩摩川内市)

日向大神宮外宮 (京都府京都市山科区)

射水神社 (富山県高岡市)

築土神社 (東京都千代田区九段北)

常陸國總社宮 (茨城県石岡市総社)

国見神社 (奈良県御所市)

富士山本宮浅間神社 (静岡県富士宮市宮町)

荒穂神社 (福岡県嘉麻市)

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#天孫降臨

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ハヤサスラヒメ(速佐須良比売)

【祓いの女神】

『大祓詞(おおはらいのりと/おおはらえのことば)』に出てくるハヤサスラヒメを描いてみました。

ハヤサスラヒメは『古事記』や『日本書紀』には記載のない神名ですが、全国の神社で奏上される『大祓詞』において、様々な罪穢れを清めてくれる神様である「祓戸四神(はらえどよんしん)」の内の一柱です。

6月末に「夏越しの大祓(なごしのおおはらえ)」12月末に「年越しの大祓(おおはらえ)」として、年に二回、全国各地の神社で『大祓(おおはらえ)』の神事が執り行われ、参拝者は茅の輪くぐりなどをして、半年間で溜まった身の穢れを清めます。このように日本の祭祀において「祓(はらえ)」の概念はとても重要なもので、イザナギが黄泉から帰って来て禊祓(みそぎばらえ)をする事で生まれたのがアマテラス、スサノオ、ツクヨミといった尊い神々である点を見ても分かります。



また、神職がお祓いで使う「祓幣(はらえぬさ)」祓戸大神(はらえどおおかみ)の依代(よりしろ)となるもので、幣で「左、右、左」と振ると、罪穢れが清められます。

祓戸大神は祓戸四神と同一で以下の神々の総称です。



・セオリツヒメ

・ハヤアキツヒメ

・イブキドヌシ

・ハヤサスラヒメ



『大祓詞』において、この祓戸四神の罪穢れを祓う様子が記されていて「地上にある罪穢れを川の神セオリツヒメが大海原に持ち出して、海のハヤアキツヒメが罪穢れを飲み込み、イブキドヌシが根の国底の国に息吹き放ちます。

最後に根の国底の国に住まうハヤサスラヒメが、罪穢れを持ちさすらっていると無くなってしまった。」とあり、

ハヤサスラヒメはそのお名前通り、イブキドヌシが吹き放った罪・穢れを持ち出しさすらって無くすことで、私たちと地上の罪・穢れを祓ってくださるのですね。



【ハヤサスラヒメが祀られる神社】

日比谷神社(東京都港区)

佐久奈度神社(滋賀県大津市)

地主神社(京都府京都市)

その他、全国の祓戸神社など

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ヒノカグツチ(火之迦具土神)

【多くの神々の元となった火の神】

燃え盛る火を司るヒノカグツチ(火之迦具土神)を描いてみました。
ヒノカグツチのカグは揺れる火の光の意味です。

『古事記』では、ヒノヤギハヤヲノカミ(火之夜藝速男神)・ヒノカガビコノカミ(火之炫毘古神)・カグツチ(加具土命)と表記され、『日本書紀』では、カグツチ(軻遇突智)、ホムスビ(火産霊)と表記されます。



『古事記』において、ヒノカグツチは「神産み」をした夫婦、男神イザナギと女神イザナミとの間に生まれた御子神として登場します。

生れた際に火の神であったために、出産時にイザナミは大やけどを負い、これがもとでイザナミは死んでしまいます。

「美しき我が妻を一人の子供と引き換えに失ってしまった」とイザナギはイザナミの亡骸を前に嘆き悲しみ、その時流した涙からナキサワメが生れました。

イザナギは妻の墓を出雲国(いずものくに)と伯耆国(ほうきのくに)の境の比婆山(ひばやま)に埋葬したとされます。その後、ヒノカグツチは最愛の妻を失って怒ったイザナギに十拳剣(とつかのけん)で斬り殺されてしまいます。斬った十拳剣に付いたヒノカグツチの血から多くの神々が産み出されました。



・イワサクノカミ(石折神)十拳剣の先端からの血が岩石に落ちて生成された神。

・ネサクノカミ(根折神)十拳剣の先端からの血が岩石に落ちて生成された神。

・イワツツノヲノカミ(石筒之男神)十拳剣の先端からの血が岩石に落ちて生成された神。

・ミカハヤヒ(甕速日神)血が岩石に落ちて生成された神。

・ヒハヤヒノカミ(樋速日神)血が岩石に落ちて生成された神。

・タケミカヅチ(建御雷之男神)別名、タケフツ(建布都神)トヨフツ(豊布都神)血が岩石に落ちて生成された神。

・クラオカミノカミ(闇淤加美神)十拳剣の柄からの血より生成された神。

・クラミツハノカミ(闇御津羽神)十拳剣の柄からの血より生成された神。



また、カグツチの死体から、以下の神々が生まれました。



・頭部=マサカヤマツミ(正鹿山津見神)

・胸部=オドヤマツミ(淤縢山津見神)

・腹部=オクヤマツミ(奥山津見神)

・性器=クラヤマツミ(闇山津見神)

・左手=シギヤマツミ(志藝山津見神)

・右手=ハヤマツミ(羽山津見神)

・左足=ハラヤマツミ(原山津見神)

・右足=トヤマツミ(戸山津見神)



・ヒノカグツチを祀る神社


火男火売神社 (大分県別府市)

秋葉山本宮秋葉神社(静岡県浜松市)

野々宮神社(京都市右京区)

愛宕神社(京都市右京区)

愛宕神社(宮城県仙台市)

愛宕神社(茨城県土浦市)

愛宕神社(東京都港区)

鷲尾愛宕神社(福岡市西区)

他全国の愛宕神社、秋葉神社





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ヒルコ(水蛭子神)

【イザナキとイザナミの最初の御子神】

ヒルコ神を描いてみました。

『古事記』において国産みの際、イザナキとイザナミとの間に生まれた最初の御子神がヒルコです。しかし、夫婦神が天の御柱を周った際に、女神であるイザナミから先に声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に乗せられオノゴロ島から流されてしまいました。次に生まれたアハシマと共に、夫婦神の子の数には入れないと記されています。

流された理由について『古事記』ではイザナミの言葉として「わが生める子良くあらず」とあるのみで、どういった子であったかは詳細は不明です。

後世の解釈では、水蛭子(ヒルコ)とあることから水蛭(ヒル)のように手足が異形であったのでは?あるいは手足が無かったのではないかという推測を生みました。



『日本書紀』では三貴子(みはしらのうずのみこ/さんきし)の前に生まれ、必ずしも最初に生まれる神ではありません。

『日本書紀』によると、「イザナミがイザナキに声をかけ、最初に淡路洲(淡路島)、次にヒルコを生みましたが、ヒルコが三歳になっても脚が立たなかったため、天磐櫲樟船(アメノイワクスフネ。堅固な楠で作った船)に乗せて流した」とあります。流されたヒルコがとある地に流れ着いたという伝説は日本全国的に残っていて、各地のヒルコ伝説はこうした『記紀神話』を元に作られたのではないかと思われます。



『源平盛衰記』では、ヒルコが摂津国に流れ着いて海を司る神となって夷三郎殿(エビスサブロウドノ/西宮大明神)として西宮に現れたと記されていて、

西宮神社(兵庫県西宮市)の伝承によると、海に流されたヒルコは兵庫県西宮の「摂津国西の浦」に流れ着き、土地の人々に拾われ育てられ、「戎三郎(エビスサブロウ)」と呼ばれるようになり、

それが戎三郎大明神(海の神)や戎大神として祀られるようになったのが起源とされています。



海の彼方から流れ着いた子が神であり、いずれ福をもたらすというヒルコの福神伝承が、漂着物を依り代とする海の神のエビスと結びつき、ヒルコ=エビスの混同につながりました。沿岸の地域では、漂着物をエビス神として信仰するところが多く、ヒルコとエビス(恵比寿・戎)を同一視する説は室町時代からおこった比較的新しい説で、古今集や恵比寿信仰を人形演劇にした百太夫(ももだゆう)が日本中を講演し巡ったので、全国的にヒルコ神(エビス神)=恵比寿信仰が広がり、その後は更に七福神のエビス様として、福の神の地位を築いていきました。



そのため現在も、ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は数多く、和田神社(神戸市)、西宮神社(兵庫県西宮市)などで祀られていて、エビス=ヒルコの印象は「福男選び」で有名な西宮神社の影響がありますね。

ただエビスを祭神とする神社には恵比寿=事代主(コトシロヌシ)と習合しているところも多く、エビスとされる神様は他にも小人神スクナヒコナなども見られます。このスクナヒコナも『古事記』においては、ある時、突如として海の彼方の常世の国からやって来た神様として描かれています。前述したように、エビスが海からの漂着物を信仰の対象としていた辺りと、「海からやって来た」という共通項があり、さらにスクナヒコナは海の向こうの常世の国という現実世界とは別の世界からの来訪者で、古来より海からやってくる漂着物はこの常世の国からの神聖な送り物とも考えられていたので同一視されていったのでしょう。



平安期の公卿であり歌人の大江朝綱(おおえ の あさつな)は、「伊井諾尊」という題で、「たらちねはいかにあはれと思ふらん三年に成りぬ足たたずして」と詠み、

神話では触れていない不具の子に対する親神の感情を付加し、この憐憫の情は、王権を脅かす穢れとして流された不具の子を憐れみ、異形が神の子の印(聖痕)とする、のちの伝説や伝承に引き継がれたとされます。



また、ヒルコは日る子(太陽の子)であり、尊い「日の御子」であるがゆえに海に流されたとする解釈もあり、こちらの場合では流された日の御子(ヒルコ)を守り仕えたのがエビスであるとされ、ヒルコとエビスは近しい関係ではあったものの、完全に別の神々として伝わっています。



こうして色々な面を持つことになったヒルコ神(エビス神)は漢字で以下のように表記されます。



・蛭子神

・蛭児

・水蛭子(ヒルコ)

・日子

・昼子

・干子

・戎様

・戎大神

・戎三郎大明神

・西宮大神

・恵比寿様



【ヒルコ神のご利益、ご神格】

商売繫盛

大漁

航海安全

産業

商業の神

漁業の神

海の神

市場の神



【ヒルコ神(蛭子)をお祀りする神社】

西宮神社 (兵庫県西宮市)

和田神社 (兵庫県神戸市)

蛭子神社 (徳島県)

西宮神社 (栃木県足利市)

須部神社 (福井県)

三社大神宮 (兵庫県神戸市)など

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フツヌシ(経津主神)

【国を平定した剣の神】

フツヌシ(経津主神)を描いてみました。

この神様は『日本書紀』に登場し、別名は香取神、香取大明神、フツノミタマ、イワイヌシ(イハヒヌシ)とされ、香取神宮(かとりじんぐう)(千葉県香取市)に鎮座されています。この香取神宮は、関東地方を中心として全国にある香取神社の総本社であり、鹿島神宮(かしまじんぐう)(茨城県鹿嶋市)、息栖神社(いきすじんじゃ)(茨城県神栖市)とともに東国三社の一社です。また宮中で行われる元日早朝の祭祀である「四方拝(しほうはい)」で遥拝される一社で、香取神宮は朝廷からも大変重要視されてきた由緒ある古社です。



『日本書紀』のイザナギとイザナミによる(神産みの段)において、イザナギが火の神・カグツチを斬った時、十握剣(とつかのけん)の刃から滴る血が固まって天の安河のほとりにある岩群・五百箇磐石(いおついわむら)となり、これがフツヌシの祖であるとし、別の書ではイワサク・ネサクの子とも記されています。

このフツヌシの有名なエピソードは「国譲り神話」の逸話での活躍です。『日本書紀』によれば、葦原中国(あしはらなかつくに)平定ではタケミカヅチと共に出雲へ天降り、オオクニヌシに国譲りを迫り、平定に尽力しました。



そして、神名の「フツ」は神剣フツノミタマの名と同様、鋭い刀剣で物がプッツリと断ち切られる様を表すもので、刀剣の威力を神格化した神というのが一般的な神名の由来とされています。神の性格としては、前述のようにフツヌシが国土平定に活躍したという説話から、武神・軍神として広く信仰されています。一方、「楫取= かじ(舵)取り」という古名から、古くは航行を掌る神として祀られたという見方もあります。



このフツヌシと深い関係があるとされるのが、神剣フツノミタマです。この神剣は、初代神武天皇の東征を助けたとされ、物部氏(もののべし)の祖と言われるウマシマジが宮中で祀っていましたが、10代崇神天皇の代に至り、同じく物部氏のイカガシコオの手によって石上神宮(奈良県天理市布)に移され、御神体となりました。

このことで石上神宮が大和政権や物部氏の武器庫であったと考えられていることから、フツヌシも元々は物部氏の氏神であったとされます。後に大化の改新で功を上げた中臣鎌足(なかとみのかまたり)をはじめとする、中臣氏(なかとみし)が台頭するにつれて、その氏神であるタケミカヅチにその神格が移り変わったとも云われ、フツヌシとタケミカヅチは対で扱われることが多く、香取神宮と鹿島神宮は利根川を挟みこむように相対して鎮座されています。



また、春日大社(奈良県奈良市)ではフツヌシがタケミカヅチらと共に祀られています。これは香取神宮・鹿島神宮のある常総地方が中臣氏(藤原氏)の本拠地だったため、両神宮のご祭神を奈良に勧請したものです。また、鹽竈神社(宮城県塩釜市)でもフツヌシ・タケミカヅチがシオツチノオジとともに祀られています。



・フツヌシを祀る神社

香取神宮 (茨城県香取市)

石上神宮 (奈良県天理市)

鹿島神宮 (茨城県鹿嶋市)

一之宮貫前神社 (群馬県富岡市)

春日大社 (奈良県奈良市)

塩竃神社 (宮城県塩釜市)

枚岡神社 (大阪府東大阪市)



#フツヌシ #フツノミタマ

#物部 #中臣

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  #神武天皇 #崇神天皇 #武神

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フドウミョウオウ(不動明王)

【大日如来の化身で五大明王の一尊】

【不動明王(ふどうみょうおう)】を描きました。

不動明王は、お不動さん、無動明王、不動尊などの名前でも知られる日本仏教の諸派および修験道で幅広く信仰されている仏様です。

五大明王の一員で、その筆頭とされる場合が多いようです。

アジアの仏教圏では、とくに日本で篤く信仰されていて、仏像も多く見られますね。

空海が密教と共に、この明王信仰を日本に持ち込んだとされるのも人気の理由でしょうか。

この不動明王の憤怒を現した、猛々しい風体は、悪を絶ち仏道に導くことで救済する役目があるからとされます。密教の明王像は多面多臂のものが多いですが、不動明王は一面二臂で降魔の三鈷剣(魔を退散させると同時に人々の煩悩や因縁を断ち切る)と羂索(けんさく/けんじゃく。悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り上げてでも救い出すための投げ縄のようなもの)を持つのを基本としていお姿で描いています。右手に持つ剣は「倶利伽羅剣(くりからのけん)」や「利剣」と呼ばれ、背後の炎は迦楼羅焔(かるらえん)と言います。

一見すると怖い印象の不動明王ですが、大日如来の化身ともされ慈悲深い仏様だとされます。

本地垂迹(ほんじすいじゃく)という、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えで、八百万の神ではタヂカラオの本地とされるのが、この不動明王であります。

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フトダマ(布刀玉命)

【高天ヶ原の祭祀神】

高天ヶ原の祭祀神フトダマを描いてみました。

フトダマは、忌部氏(いんべし)(後に斎部氏)の祖の一柱とされる、祭祀を司る神様です。

斎部氏の斎部広成(いんべ の ひろなり)が書いた『古語拾遺(こごしゅうい)』ではタカミムスビ(高御産巣日神)の子と記されていてます。



『古事記』では、アマテラスが岩戸に隠れた際、知恵の神オモイカネの発案により、岩戸からアマテラスを出すにはどうしたらいいかを占うため、アメノコヤネと共に太占(ふとまに)を行ったとされます。

その後、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)や八咫鏡(やたかがみ)などを下げた天の香山の五百箇真賢木(いおつまさかき)を捧げ持ち、アマテラスが岩戸から少し顔をのぞかせると、アメノコヤネと共にその前に鏡を差し出しました。その時の様子をイメージして、神鏡や勾玉や玉を取り付けた真賢木(榊)を持たせ描いています。

そして岩戸に二度と入れないように縄を張り結界を成したとされ、これが注連縄(しめなわ)の起源とされています。



また高天ヶ原から高千穂にニニギが天下る「天孫降臨」の際には、ニニギに随伴するよう命じられ、五伴緒(いつとものお/五柱の随伴した神)の一人として高千穂に付き従いました。『日本書紀』の一書では、アメノコヤネと共にアマテラスを祀る神殿(伊勢神宮)の守護神になるよう命じられたとも書かれています。

フトダマのフトは「立派」や「偉大」といった意味合いで、タマは「祭祀用の勾玉を意味する」とする説と、フトダマは「太玉串(ふとたまぐし)のこと」という説があります。

祭具の代表である玉や太玉串を使い、祀りを行う司祭者を表す名前から、祭祀を司る神様として祀られています。

祭具というのは、神様と人と繋げるための重要な道具です。玉串や注連縄など祭具を作り、その象徴ともされるフトダマは、玉串を作る時に楮(こうぞ)や麻の糸で織った布を用いたことから、楮や麻の守護神としても信仰されています。



【別称】

『古事記』では布刀玉命(フトダマノミコト)

『日本書紀』では太玉命(フトダマノミコト)

『古語拾遺』では天太玉命(アメノフトダマノミコト)

忌部神(イムベノカミ)

大麻比子命(オオアサヒコノミコト)

大麻比子神(オオアサヒコノカミ)

津咋見命(ツクイミノミコト)





【系譜】



タカミムスビの子

またはタカミムスビの孫、ニニギと同母兄弟。



 親→タカミムスビノミコト

 妻→アメノヒリノメノミコト

 孫→アメノトミ

子孫→忌部氏







【祀られている神社】

天太玉命神社(奈良県橿原市)

大麻比古神社(徳島県鳴門市)

安房神社(千葉県館山市)

大原神社(千葉県君津市)

洲崎大神(神奈川県横浜市)

安房口神社(神奈川県横須賀市)

金札宮(京都府京都市)

忌部神社(島根県松江市)

粟井神社(香川県観音寺市)

天津神社(新潟県糸魚川市)

など

#フトダマ #忌部氏

#玉串 #タカミムスビ

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  #黄泉の国 #崇神天皇 #古語拾遺 #水墨画 #墨絵

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ヤガミヒメ(八上姫)

【稲羽に鎮座する女神】

ヤガミヒメといえばオオクニヌシの最初の妻です。

『古事記』によると、オオクニヌシの兄達である八十神(やそがみ)が、稲羽の国に美しい女神ヤガミヒメがいるので結婚したいと思い、自分たちの荷物をオオクニヌシに背負わせて稲羽の国に行くことにします。

その道中、八十神とオオクニヌシ一行は皮を剥がれ痛みに苦しむ白兎に出会います。

兄達はその兎に「その体を治したければ、海水を浴び、風の強く当たる高い山に行き伏せておけば治る」と言いましたが、兎がその通りにすると傷に塩水が染みて、風で乾燥した皮膚が裂け、猛烈な痛みで更に悶え泣いてしまいました。

その後、そこへ通りかかったオオクニヌシは泣いている兎を蒲の穂を使い治療してあげると、傷が癒え喜んだ兎は『ヤガミヒメ様は、心優しいあなた様をお選びになるでしょう』と予言します。

八十神が念願のヤガミヒメに会うと、ヤガミヒメは『私は、あなた達の言うことは聞きません。私はオオナムチ(オオクニヌシ)様と結婚しようと思っています。』と宣言したのでした。

それを聞いた八十神は怒り狂い、オオクニヌシを騙して殺してしまったのであります。

可哀そうなオオクニヌシの亡骸を見て、母親が泣いて天津神カミムスビに頼んで生き返らせます。それでも、懲りずに八十神はオオクニヌシを何度も殺してしまうのでした。

このままでは命がいくつあっても足りないと思った母親は木国(キノクニ)のオオヤビコの所へオオクニヌシを逃がします。しかし、その木国にも八十神が迫って来るので、オオヤビコはオオクニヌシをなんとか根堅州国(ねのかたすくに/スサノオの国)に逃がしたのでした。

オオクニヌシは、ヤガミヒメを稲羽国に置いて根堅州国へ行ってしまいますが、そこでスサノオの娘スセリビメと結ばれます。そして、スサノオの命でスセリビメを正妻にし国造りを行いました。



ようやくオオクニヌシの国造りが完成したころ、ヤガミヒメはオオクニヌシの子供を身籠っており、臨月に近づいていたので、その事を報告しようと、夫の居る出雲国までオオクニヌシを訪ねてきましたが、それに嫉妬したのが正妻のスセリビメとされます。

ヤガミヒメは、正妻のスセリビメを畏れてオオクニヌシを諦め、稲羽国へ帰ってしまいます。このヤガミヒメとスセリビメの関係は対立関係のようにも取れますが、ヤガミヒメはオオクニヌシを立派に成長させたスセリビメに後を託したのかもしれません。

ヤガミヒメは、帰省する途中で、生まれた赤子を木の枝に掛け置いて帰ったと言われますが、稲羽国の伝承では御子神と一緒に稲羽国に帰りついたとも。

このオオクニヌシとヤガミヒメの御子神は御井神(みいがみ)、またの名を木俣神(きまたのかみ)と言います。その神名は「井泉」を表す水神です。古代では井戸、湧き水は大変貴重だったはずで、井戸を所有する者のは水利権を握る特別な存在、地域の有力者です。

ヤガミヒメは出雲の「生井(いくい)」「福井(

さくい)」「綱長井(つながい)」の三つの井戸を掘って、その生まれた子の産湯として使ったとされる伝承があり、それが三つの井戸なので「三井」。それが「御井神(ミイ神)」の由来になったとされます。

また木俣神(きまたのかみ)が「木の股に挟むことで子供の健康を願う」儀式の神格化で、御井神(みいがみ)が産湯、安産に関わる神であることを考えると、この御子神の名前は子供の出産・成長に関する神様という事になりますね。

稲羽の女王ともされるヤガミヒメは、オオクニヌシとの間に出来た子を愛し、その成長を心から祈願した深い母性を持った女神と言えます。




【神格】

恋愛の神様



【御利益】

安産・子宝・病気平癒



【別称】

八神姫

八上比売



【系譜】

不明



【祀られている神社】

売沼神社(鳥取県鳥取市)

都波只知上神社(鳥取県鳥取市)

島御子神社(長崎県対馬市)


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ヤシマジヌミノカミ(八島士奴美神)

【スサノオの御子神】

ヤシマジヌミノカミ(八島士奴美神)は、『古事記』において、ヤシマジヌミノカミからトオツヤマサキタラシノカミ(遠津山岬多良斯神)まで十五柱を指す十七世神(とおまりななよのかみ)の初代とされる神様で、スサノオとクシナダヒメとの間の御子神です。

スサノオとカムオオイチヒメとの間に生まれたとされるオオトシノカミ(大年神)やウカノミタマ(宇迦之御魂神)の異母兄にあたります。

イザナギの孫でもあり、山の神オオヤマヅミのひ孫でもあります。

また、ヤシマジヌミノカミはオオヤマヅミの娘であるコノハナチルヒメを娶り、フハノモヂクヌスヌノカミを設けました。



『日本書紀』においてはスガノユヤマヌシミナサルヒコヤマシマシノ(清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠)、スガノユイナサカカルヒコヤシマデノミコト(清之繁名坂軽彦八嶋手命)、スガノユヤマヌシミナサルヒコヤシマノ(清之湯山主三名狹漏彦八嶋野)などの名称で記述されている神名が同一の神といわれています。「清之湯山(スガノユヤマ)」は出雲の地名で、出雲と大変縁の深い神様といえ、スサノオの正統後継者で出雲の領主、地主神ではないかと思いますので、スサノオに似た風貌のイメージで描いております。



『先代旧事本紀』ではヤシマジヌミノカミの別名をオオナムチ(大己貴神)とし、粟鹿神社(兵庫県朝来市)の書物『粟鹿大明神元記』ではソガノユヤマヌシミナサムルヒコヤシマシヌ(蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴)と記述されていて、非常に名前の表記が多くあり、また名前も長く複雑な神様です。



ヤシマジヌミノカミの「八島」は「多くの島々」、「士」は「知」(領有する)、「奴」は「主」、「美」は「神霊」と解し、名義は「多くの島々を領有する主の神霊」と考えられていますので、かなり位の高い神名と思われます。





【別称】

スガノユヤマヌシミナサルヒコヤマシマシノ(清之湯山主三名狹漏彦八嶋篠)、

スガノユイナサカカルヒコヤシマデノミコト(清之繁名坂軽彦八嶋手命)、

スガノユヤマヌシミナサルヒコヤシマノ(清之湯山主三名狹漏彦八嶋野)、

ソガノユヤマヌシミナサムルヒコヤシマシヌ(蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴)



【系譜】

スサノオとクシナダヒメの子



【祀られている神社】

粟田神社(京都府京都市東山区)

八坂神社(京都府京都市東山区)

男山神社(香川県さぬき市寒川町)

片埜神社(大阪府枚方市牧野坂)

須加神社(三重県松阪市嬉野権現前町)

河邊神社(島根県雲南市木次町)

須我神社(島根県雲南市大東町)

多倍神社(島根県出雲市佐田町)

兵主神社(兵庫県西脇市黒田庄町)

八島手神社(静岡県田方郡函南町)

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ヤソガミ(八十神)

【出雲の荒ぶる神々】

オオクニヌシの兄神であるヤソガミを描いてみました。

『古事記』においてヤソガミは、「稲羽の白兎」で兎に意地悪をする神として描かれています。名前の「八十(ヤソ)」は「多くの」という意味で固有の神の名前ではないともいわれます。

絶世の美女ヤガミヒメが稲羽にいると聞いたヤソガミは、弟のオオクニヌシ(オオナムチ)を従え荷物を持たせ、稲羽のヤガミヒメへ求婚する旅に出かけました。

その途中、気多(けた)の海辺で皮を剥がされて泣いている兎を見つけるとヤソガミは「その怪我は海水に浸かり、山の頂上で強い日と風に当たれば治る」という治療法を教え、兎がその通りにすると傷に海水が染み込み激痛が走り、強い風に当たると皮がひび割れ更に痛みで悶えることになりました。



そこに遅れてやって来たのがオオクニヌシ。

泣いている兎に「なぜ泣いているのか?」と問うと、兎は息も絶え絶え応えました「私は隠岐の島からこの地に渡ろうと思い、ワニザメ(和邇)を欺いて、『兎とあなたたち一族とを比べて、どちらの一族が多いか数えよう。できるだけ同族を集めてきて、この島から気多の前まで並んでおくれ。私がその上を踏んで走りながら数えて渡ろう』と誘いました。すると、欺かれてワニザメは列をなしたので、私はその上を踏んで数えるふりをしながら渡ってきて、今にもこの地に下りようとした時に、私は本心を漏らし『お前たちは欺されたのさ』と言ってしまいました。すると怒った最後のワニザメは、たちまち私を捕えてすっかり毛を剥がされてしまいました。痛みで泣き憂いていたところ、先に行ったヤソガミから『海水に浸かり、山の頂上で強い日と風に当たれば治る』と聞いたので、そうしたところ海水が染み肌が割れ更なる痛みで苦しんでいたのであります。」

そこでオオクニヌシは、激痛に苦しみ伏している兎に「真水で体を洗い、蒲の穂で傷を治療しなさい」と伝え、兎がその通りにすると、たちまち傷が癒え回復したのでした。

兎はオオクニヌシに礼を言うと、ある予言をします。「従者のような姿ではありますが、心優しいあなたこそヤガミヒメと結ばれるでしょう」そう言い残し兎はその場を立ち去りました。



その後、ようやく稲羽国に着いたヤソガミは、ヤガミヒメへ会い求婚しますが断られてしまいます。しかもヤガミヒメは兎を助けた心優しいオオクニヌシと結婚することを宣言してしまいます。もともと気の弱く頼りないオオクニヌシをいじめ嫌っていたヤソガミ。このことで更に火が着き逆恨みしたヤソガミは、オオクニヌシを殺す計画を立てるのでした。

まずヤソガミはオオクニヌシに「私がこの山の大きな赤猪を追い落とすから下でお主が受け止めて捕らえよ」と脅すと、崖の上から真っ赤に焼けた猪形の大岩を落としてオオクニヌシを焼き潰し殺してしまいます。

母親のサシクニワカヒメが息子の痛ましい遺体を見て嘆き、高天ヶ原の神々にオオクニヌシの復活を懇願します。母神の必死の想いとカミムスビの助力もあり一段と麗しくなって蘇生したオオクニヌシ。

しかし、再びヤソガミの仕掛けた罠によってオオクニヌシは木に挟まれ命を落としてしまいます。再び蘇生させましたが、このままでは命がいくつあっても足らないと思った母神は、木の国のオオヤビコの元へ逃げるよう勧めます。その木の国にもヤソガミは執拗に攻め入って来たのでした。そこでオオヤビコはスサノオが治める根之堅洲国(ねのかたすくに(根の国))へオオクニヌシを逃れさせ、スサノオの庇護を受ける事になり、娘のスセリビメとも運命的な出会いをします。根の国でスサノオの数々の試練を受けたオオクニヌシは、再び葦原中津国(あしはらなかつくに)に戻るとスサノオから授かった三種の神器である生大刀(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)を使ってようやくヤソガミを平定したのでした。



「稲羽の白兎」の話は有名ですが、一見すると兎に意地悪をしただけの悪者のヤソガミとなります。しかし、この時にヤソガミは兎の傷を塩水で消毒したとも言われ、兎にとっては激痛ですが必要な痛みだったともとれます。

医療に明るいオオクニヌシが来るまでの応急手当を施し、後に来るオオクニヌシに兎を託したのかもしれません。

ヤソガミは乱暴者の神なので、オオクニヌシの兄として日頃から厳しく弟に接していたのでしょう。しかし、そのおかげでスサノオの試練も乗り越えられたと考えると、出雲大社(島根県出雲市)に祀られるまでになったオオクニヌシの成長に欠かせない存在とも思えます。





【系譜】

オオクニヌシの兄



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ヤタガラス(八咫烏)

【神武天皇を導いた神の使い】

日本サッカー協会のエンブレムとしても有名なヤタガラス(八咫烏)を描いてみました。

ヤタガラスは、『古事記』に登場し、初代天皇となる神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)が九州から大和に遠征する「神武東征(じんむとうせい)」の際に、高天ヶ原の神々によって神武天皇のもとに遣わされました。



『古事記』によると神武一行は、九州を出発し東に向かい阿岐国(広島県)、吉備国(岡山県)と順調に進行していましたが、浪速の国(大阪府)でナガスネヒコからの襲撃を受け、兄のイツセが死傷するなど多くの被害が出てしまいます。

その後、「我々は日の神の一族なので、日に向かって(東に向かい)戦うのは良くない。」という訳で熊野国方面から回り込んで戦うことになりますが、そこでも苦難が待ち受けていました。

一行が熊野に着くと大熊が現れ、神武天皇をはじめ兵も皆が大熊の毒気にやられて倒れてしまいます。そこにタケミカヅチの霊剣フツノミタマを授かった高倉下(タカクラジ)が救援に向かい、その霊剣で神武一行を助けたのでした。

高天ヶ原の神々は、苦難が続く神武一行を助け導く案内役を派遣します。この時に派遣され熊野から大和に向かう道を案内したのがヤタガラスで、この霊鳥の案内によって一行は吉野川の川辺を経て、さらに険しい道を行き大和の宇陀に到着しました。

宇陀にはエウカシ・オトウカシの兄弟がいて、その地を縄張りとしていたので、まずヤタガラスを遣わして、神武一行に仕えるか尋ねさせましたが、兄のエウカシは矢を射てヤタガラスを追い返してしまいます。

エウカシは縄張りに入ってきた神武一行を迎え撃とうとしましたが、軍勢を集められませんでした。そこで、神武一行に服従すると偽って、御殿を作ってその中に罠を仕掛け待ち伏せします。

しかし、この罠のことを弟のオトウカシは密告したので、エウカシは逆にそこで神武天皇の臣下のミチノオミとオオクメによって自ら作った罠にかかってしまうのでした。

この後もヤソタケルやエシキ、オトシキ兄弟との連戦を経て、神武一行は疲労が蓄積していきます。しかし、ニギハヤヒが恭順の意向を見せたので、神武天皇は大和を手中に収めようやく橿原の地で即位しました。



熊野三山においてカラスはミサキ神(死霊が鎮められたもの。神使)とされていて、ヤタガラスは熊野大神(スサノオ)に仕える存在として信仰されています。また熊野のシンボルともされ、起請文として使われていた熊野の牛玉宝印(ごおうほういん/熊野牛王符)はカラスを象った文字で書かれています。

名前の咫(あた)は古代の長さの単位で、親指と中指を広げた手の平の長さ(約18センチメートル)のことですが、ヤタガラスは単に「大きいカラス」という意味を現していて、『古事記』や『日本書紀』には「三本足」とは記載がありません。



なお、ヤタガラスは『日本書紀』や『古事記』に登場しますが、『日本書紀』では、同じ神武東征の場面で、金鵄(金色のトビ)がナガスネヒコとの戦いで神武天皇を助けました。





平安時代初期に編纂された『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』では、ヤタガラスはタカミムスビの曾孫である賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)の化身とされ、賀茂氏の祖神になったともあり、奈良県宇陀市榛原の八咫烏神社は建角身命(タケツヌミノミコト)を祭神としています。



【別称】

頭八咫烏、賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)、賀茂大神、

金鵄



【ヤタガラス(カモタケツヌミ)を祀る神社】

八咫烏神社(奈良県宇陀市)

小烏神社(福岡市中央区)

賀茂御祖神社 #下鴨神社 (京都市左京区)

御蔭神社 (京都市左京区)

久我神社 (京都市北区)

熊野速玉大社 境内 八咫烏神社 (和歌山県新宮市)

熊野那智大社 境内 御県彦社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)

など



#ヤタガラス #スサノオ

#神武天皇 #アマテラス

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ヤマサチヒコ(ホオリ)

【海神の娘を娶った皇祖神】

山幸彦(ホオリノミコト)を描いてみました。

山幸彦は、その名前のとおり、山の狩りを生業とし、ニニギとコノハナサクヤヒメとの間に生まれ、海の漁が得意な海幸彦(兄・ホデリノミコト)と兄弟でした。

『古事記』によると山幸彦はある日、海幸彦にお互いの猟具(弓矢と釣り竿)をそれぞれ交換してみることを提案し、兄の海幸彦はしぶしぶその申し出を受けます。

そうして、海幸彦は山に狩りをしに、山幸彦は早速釣りに出掛けたが、お互い上手く獲物が獲れません。しかも、山幸彦は海中で兄から借りた大事な釣針を失くしてしまいます。

いくら探しても兄の釣針は見つからず、仕方なく山幸彦は沢山の釣針を作って、兄海幸彦に償いに行きました。

しかし、海幸彦は、山幸彦が作った釣針を受け取らず、「俺の釣針を返せ」と突き返します。

浜辺で山幸彦が困り果てていた所、塩椎神(しおつちのかみ)に教えられ、小舟に乗り海神の住まう「綿津見神宮(わたつみのかみのみや)」に向かいます。

無事にたどり着くと綿津見神宮の門の近くに生えていた木に登ったとあるので、木に登った姿で描いています。

山幸彦が天孫ニニギの息子であると知ると、海神オオワダツミは歓迎します。海神の娘・トヨタマヒメ(豊玉姫)と結婚し、綿津見神宮で楽しく暮らすうちに、3年もの月日が経ってしまいます。

山幸彦は地上へ帰らねばならない事情を説明し、トヨタマヒメから失くした釣針と霊力のある玉「潮盈珠(しおみつたま)」と「潮乾珠(しおふるたま)」を貰い、その宝玉を使って海幸彦をこらしめ、忠誠を誓わせました。

この海幸彦は大陸と交易していた海人族もしくは南方と交易していた隼人族の祖と云われます。

その後、妻のトヨタマヒメは子供ウガヤフキアエズを産み、山幸彦は神武天皇の祖父にあたり、ニニギ、山幸彦、ウガヤフキアエズを総称して「日向三代」と云い、神話から歴史時代へと移行する架け橋の役目を担っているのです。

この海幸彦と山幸彦の物語は「浦島太郎」の原型とされ、山幸彦=浦島太郎、トヨタマヒメ=乙姫ともされます。

『古事記』には、山幸彦の宮として高千穂宮の記載があり、鹿児島神宮(鹿児島県霧島市)はこの高千穂宮の跡地と伝えらています。

埋葬地の伝承地は南九州各地にあり、明治7年(1874年)に明治政府が鹿児島県霧島市にある霧島山麓を高屋山上陵に治定しました。これは古事記の「高千穂山の西」という記述に基づき、「高千穂山」を高千穂峰とみなして定めたものです。他に宮崎県高千穂町内の古墳、鹿児島県肝付町の国見山、鹿児島県南さつま市の野間岳、宮崎県宮崎市村角町の高屋神社なども山幸彦の神陵という伝承があります。





【山幸彦(ホオリノミコト)の神格】

・農業の神

・稲穂の神



【山幸彦(ホオリノミコト)のご利益・神徳】

・諸産業隆昌

・海上安全

・勝運招来



【山幸彦(ホオリノミコト)の別の呼び方・異称】

・天津日高日子穂穂手見命

・彦火火出見尊

・火折尊

・山幸彦 - 火遠理命(古事記)・彦火火出見尊(日本書紀)





【山幸彦(ホオリノミコト)を祀る主な神社・神宮】

若狭彦神社上社 (福井県小浜市)

鹿児島神宮 (鹿児島県姶良郡)

白羽神社 (静岡県御前崎市)

和多都美神社 (長崎県対馬市)

青島神社 (宮崎県宮崎市)

高千穂神社 (宮崎県西臼杵郡)

天岩戸神社 (宮崎県西臼杵郡)

霧島岑神社 (宮崎県小林市)

霧島東神社 (宮崎県西諸県郡高原町)

鵜戸神宮 (宮崎県日南市)

三宅神社 (宮崎県西都市)

新田神社 (鹿児島県薩摩川内市)

#神社好きとつながりたい #山幸彦 #古事記 #日本書紀 #神社参拝 #神社 #浦島太郎 #竜宮城 #浮世絵

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ヤマタノオロチ(八俣遠呂智)

【八つの首を持つ大蛇】

今日はヤマタノオロチを描いてみました。



ヤマタノオロチを退治したスサノオの物語は有名ですね。

『古事記』によると、高天原で大暴れして追放されてしまったスサノオが、出雲国の肥河に降り立った時、肥河を箸が流れてきます。

近くに村があると思いスサノオが川上を訪れると美しい娘クシナダヒメとその両親が泣いているところでした。



その夫婦はオオヤマヅミの子、アシナヅチとテナヅチで、スサノオが泣いている訳を聞くと、「私たちの間にはクシナダヒメ以外にも7人の娘がいましたが、高志(越国)のヤマタノオロチが年に一度この時期にやって来て娘を食べてしまうのです。今年は最後に残った娘クシナダヒメの番なので嘆いたところです。」と夫婦が答えると、スサノオは「ヤマタノオロチとは何者だ?」と問います。

夫婦が「その大蛇は目が赤く鬼灯のように光り、八つの頭、八つの尾を持ち、その身体は日陰かずらやヒノキや杉が生えていて、八つの谷と八つの峰に及ぶほど大きく。その腹をみると常に血が滲んでいる恐ろしい怪物です」と怪物の姿を説明しました。



ここまで鮮明に詳細に姿について記述がある存在は珍しく、それだけ異形で恐ろしい怪物だったのでしょう。

しかし、スサノオは高天ヶ原での傍若無人ぶりとは変わって、クシナダヒメとの結婚を条件にヤマタノオロチ退治を夫婦に申し出ます。



夫婦はスサノオがアマテラスの弟だと知ると喜び、その申し出を快諾しました。

怪物退治の準備として、まずスサノオは、娘を櫛に姿を変えさせ、その櫛を自らの髪に刺し、夫婦に何度も醸造した強い酒、八塩折酒(やしおりのさけ)を造らせ、また垣根を造り廻らし、その垣根に八つの門を作り、門にそれぞれ八塩折酒を満たした桶を設置し、ヤマタノオロチを待ち受けます。「櫛になった姫」や「奇(くし)なる稲田の姫」という意味でクシナダヒメの名が名付けられたとされます。



準備万全で待ち受けていると、とても大きな蛇が姿を現します。それが頭と尾が八つあり目が赤く不気味に光るヤマタノオロチでした。

スサノオはヤマタノオロチが八塩折酒を飲み干し、酔いつぶれ眠りだした隙をつき、十拳剣(とつかのつるぎ)で斬りかかります。

流石の大蛇も酒を飲み、虚を突かれてしまっては敵いません。スサノオは見事にヤマタノオロチを退治し、一躍英雄となったのでした。


退治した ヤマタノオロチ の尻尾から三種の神器である「草薙の剣(くさなぎのつるぎ)」を手に入れ、この剣をアマテラスに献上したとあり、これは熱田神宮(愛知県名古屋市熱田区)のご神体の御剣でもあります。

そして、大蛇の脅威から救ったクシナダヒメを妻として迎えると共に、新居として住む場所を出雲の国に決め、須賀(島根県雲南市)に宮殿を造りました。

これがスサノオと妻クシナダヒメを祀る須我神社(島根県雲南市)の起源とされます。

またヤマタノオロチは肥河(斐伊川)の氾濫を治めたスサノオの功績を称えた物語とも言われていて、河を上空から見下ろすとヤマタノオロチそっくりです。

ヤマタノオロチだといわれる肥河の現在の長さは153km。鳥取県東部、船通山から流れでると、いくつもの支流をあつめながら、杉など木々のおいしげる深い谷間をぬけ、出雲平野をつらぬき、宍道湖にそそいでいます(1639年以前は日本海にそそいでいました)。

さらに川の上流部は、砂鉄の産地であり、昔から、ここの砂鉄は「たたら製錬」といって、鉄製武器の材料にもなっていました。砂を流し砂鉄を沈殿させてとるカンナ流しによって、川床が砂鉄をふくんだ砂で赤さびた、血に染まったような色になります。

切られたヤマタノオロチの尾からツルギがでてきたり、その血で川が赤くそまったり。まさに、肥河はオロチそのものといるでしょう。

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ヤマトタケル(倭建命)

【東国を制し熊襲を討った英雄】

武勇伝が多く伝わるヤマトタケル(倭建命・オウス)を描いてみました。

ヤマトタケルは、12代景行天皇(けいこうてんのう)の皇子で、14代仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の父にあたり、東国征討・熊襲討伐を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄です。

『古事記』によると、父景行天皇の寵妃を受けていたヤマトタケルの双子の兄、オオウスノミコトでしたが、景行天皇に嫁ぐ女性を自分の妻としたことで父と不仲になってしまいました。

景行天皇はオオウスノミコトとの仲を戻そうと思い、ヤマトタケルに「朝夕の食事の席に同席するようにオオウスに話をつけてくれぬか」と頼みます。しかし、この命令の解釈の違いが、悲惨な結果になってしまいます。

なんとヤマトタケルは兄オオウスノミコトを捕まえ押し潰し殺害し、手足をもいで、むしろに包み投げ捨ててしまいました。

そのためヤマトタケルは父、景行天皇に恐れられ、単独で九州のクマソタケル(熊襲建)兄弟の討伐を命じられることになったのであります。



わずかな従者も与えられなかったヤマトタケルは、まず叔母のヤマトヒメに相談しに伊勢へ赴き、ヤマトヒメから女性の衣装を授けられます。このとき彼は、いまだ少年の髪形を結う年頃でした。

単独でクマソ軍勢とやり合ったのでは難しいと、ヤマトタケルは一計を案じます。授かった女性の衣装を着て、クマソタケルの宴会に忍び込むと、酔いが回り油断したクマソ兄弟に斬りかかり見事討ち取りました。

この時にヤマトタケルの名を名乗るようになったとされます。(ヤマトタケルというのは、ヤマトの強い男という意味)

クマソ兄弟を討ち取ったヤマトタケルはその後、出雲国に入ります。

その国に居た強者イズモタケルと出くわすと、偽の刀を授けて騙し討ちにするなど、瞬く間に西国をことごとく平定してしまいました。



この武勇を引っ提げて大和に帰還したヤマトタケルでしたが、あまりの強者ぶりに景行天皇は更に恐れおののき、すぐさまヤマトタケルに東国征伐の命を与え大和から遠ざけます。

この時に従者が遣わされ、比々羅木八尋矛(ひいらぎのやひろほこ)を授かります。

ヤマトタケルは、また叔母のヤマトヒメに相談に行き「父は、私が死ぬことを望まれているようです。西方の悪しき者どもを討ち取ったばかりなのに、軍勢も添えず東方の征伐を命じました。私はもう死ぬ運命なのでしょう」そう言って泣くと、ヤマトヒメはクサナギの剣と火打ち石の入った袋を授け励ましたとされます。

伊勢から旅立ったヤマトタケルは、すぐに尾張を平定すると、ミヤズヒメを娶ります。

次に相模の国造に焼津で騙され火に囲まれると、クサナギの剣と火打石で難を切り抜け、逆に国造を切り伏せ亡骸を焼きました。



着々と東国を平定していきましたが浦賀水道で船が嵐に合います。この時、妻オトタチバナヒメが海に身を投げて海の神を沈めたことで海を渡ることが出来ました。

そこから蝦夷(えみし/関東以東の異民族のこと)と戦い平定したヤマトタケルは神奈川県と静岡の間の「足柄」に至ると、そこでヤマトタケルが亡き妻オトタチバナヒメを想い「吾妻(あづま)はや」と嘆きました。日本の東部を「あずま」と呼ぶのは、この故事にちなむとされます。

信濃の国で白い鹿を狩り、白犬の導きで美濃国を経て、尾張にいる妻ミヤズヒメの元へ。

ヤマトタケルはクサナギの剣をイヤズヒメのもとに置いて、素手で息吹山の荒ぶる神(白い大猪)を征伐に行きますが、逆にその荒神から大氷雨の呪いを受けてしまいます。

荒神から受けた傷は深く、ヤマトタケルは大和に辿りつく前に能煩野(のぼの/三重県亀山市付近)で亡くなってしまったのでした。

戦いに明け暮れたヤマトタケルの御魂は八尋白智鳥(大きな白鳥)になって大和に飛んだとされます。

【別名】

小碓尊(おうすのみこと)
小碓王(おうすのみこ)
日本童男(やまとおぐな)
日本武尊(やまとたけるのみこと)
日本武皇子(やまとたけるのみこ)
小碓命(おうすのみこと)
倭男具那命(やまとおぐなのみこと)
倭男具那王(やまとおぐなのみこ)
倭建御子(やまとたけるのみこ)


【系譜】

景行天皇の子


【祀られる神社】

大鳥大社 (大阪府堺市西区)

建部大社 (滋賀県大津市)

氣比神宮 (福井県敦賀市)

熱田神社 (大阪府寝屋川市)

熱田神宮 (愛知県名古屋市熱田区)

富岡八幡宮 (東京都江東区)

鳥越神社 (東京都台東区)

千葉神社 (千葉県千葉市中央区)

花園神社 (東京都新宿区)

金鑚神社 (埼玉県児玉郡神川町)

浅草鷲神社 (東京都台東区)

#ヤマトタケル #景行天皇

#英雄譚 #草薙の剣

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  #大和 #武神 #水墨画 #墨絵

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ヤマトヒメ(倭姫命)

【伊勢神宮の起源とされる姫】

ヤマトヒメ(倭姫命)を描いてみました。

11代垂仁天皇(すいにんてんのう)の第四皇女とされるヤマトヒメは、アマテラスの御杖代(みつえしろ)として大和国から伊賀→近江→美濃→尾張の諸国を巡り、最後に伊勢の地に辿り着いたとされます。

その後、神託を受けて伊勢神宮(三重県伊勢市)を創建したと伝わり、伊勢神宮に奉祀する斎宮(いつきのみや)の起源もヤマトヒメとされます。

御杖代とは、神様に仕える者を意味していて、ヤマトヒメの場合はアマテラス御巡幸の御杖として、文字通り各地を巡り歩きました。

ヤマトヒメが伊勢の地に辿り着く前に、アマテラスのご神体である八咫鏡(やたかがみ)を奉斎した場所は、その後「元伊勢」と呼ばれるようになり、伊勢信仰の拠点として今でも信仰篤い土地が多いです。



アマテラスは皇祖神なので、10代崇神天皇(すじんてんのう)の時代までは天皇と「同床共殿(どうしょうきょうでん)」といって、天皇の住まい(皇居)にお祀りされていました。

しかし、なぜか崇神天皇は、その状態を畏怖し皇女・トヨスキイリヒメ(豊鋤入姫命)にアマテラスの神霊を託して倭国笠縫邑磯城(やまとこくかさぬいむらしき)に「磯堅城神籬(しかたきのひもろぎ)」(堅い石で作った神様の奉斎地、降臨地)を立て、更にアマテラスをお祀りするのに理想的な鎮座地を求めて各地を転々とすることになります。



トヨスキイリヒメの跡を継いだのがヤマトヒメでした。

外宮のご祭神であるトヨウケヒメは、『古事記』『日本書紀』には創建の伝承は残っていないものの、『止由気宮儀式帳』や『倭姫命世記』によれば、21代雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の時代にアマテラスの神託によって丹波国(丹後国)から遷座したと伝えられています。



『古事記』によると、ヤマトヒメは、12代景行天皇(けいこうてんのう)の命により熊襲の討伐に向かう甥のヤマトタケル(日本武尊)に草薙剣(くさなぎのけん)と衣服を与えたとされ、草薙剣を携えた様子で描いてみました。

伊勢では、ヤマトヒメは伊勢の地にて薨じ、尾上御陵(おべごりょう)に埋葬されたと伝えられ、三重県伊勢市倭町に現在も眠っています。







【祀られる神社】



#倭姫宮(三重県伊勢市)

など



【別名】

・斎宮



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ヨモツイクサ(黄泉軍)

【黄泉の国の追手】

黄泉の国の兵ヨモツイクサ(黄泉軍)を描いてみました。

国生みと神生みをしたイザナキとイザナミでしたが、イザナミは火の神ヒノカグツチを産んだ際に大やけどを負います。それが原因であの世(黄泉の国)に旅立ってしまいました。

夫であるイザナキは、愛する妻を失ったことで嘆き悲しみますが、イザナミを諦めきれずに死者の国である黄泉の国まで行くことにします。



なんとか黄泉の国に辿り着いたイザナキ。しかし、イザナミはすでに黄泉の食べ物を口にしていたので「戻りたくても戻ることは難しい」と夫に告げます。

それでも夫イザナキは諦めません。イザナミも出来ることなら愛する夫に会いたい。しかし、イザナミは全身にウジが湧き八雷神(やくさのいかづちかみ)が憑りついていたので、会えるような姿ではなく、すでに黄泉の国の住人へと変化していました。

それでも夫に会いたい一心で、「外に出てくるまでは、絶対に中を覗かないでください。」と約束をし、黄泉の国の神様にイザナキに会えるように申し出ることにしました。



しかし、一向に戻る気配のないイザナミにしびれを切らしたイザナキが、会いたい想いを止められず約束を破って中を覗くと、そこには八雷神の憑りついたイザナミの恐ろしい姿がありました。

イザナキはあまりの驚きで思わず声を上げてしまいます。見られたことに気づいたイザナミは、夫が約束を破ったこと、醜い姿を見られたことに激高し、黄泉の国の軍勢ヨモツイクサとヨモツシコメ(黄泉醜女)を放ち追いかけました。

足の速いヨモツシコメやヨモツイクサに追いかけられ、あっと言う間に追い詰められたイザナキ。

追手にイザナキは蔓草で出来た髪飾りを投げつけたところ、そこから山葡萄の実が生えたので、ヨモツシコメはそれに食い付きました。その隙にイザナキは逃げましたが、山葡萄を食べ終わると再びイザナキを追い詰めます。次にイザナキは右の角髪(みづら)から湯津津間櫛(ゆつつまくし)を取り、その歯を折って投げます。すると今度はタケノコが生えてきて、ヨモツシコメはまたそれに食いついたので、その間に、イザナキはヨモツシコメからなんとか逃げ切りました。しかし、ヨモツシコメは撒いたものの、それでもヨモツイクサが追って来たので、イザナキは八束の剣(やつかのけん)を後ろ手に振り呪術をかけます。しかし、それでもヨモツイクサは追跡の手を緩めません。

そこでイザナキは黄泉平坂に生えていた桃の木から桃の実をもぎ取り、勢いよくヨモツイクサに投げつけます。

この桃の木は神木でオオカムヅミといわれ、その名前は「大いなる神の威霊」を意味し、霊気を宿したこの桃の実の攻撃を受けてヨモツイクサを撃退しました。

何とか逃れ黄泉の国の出口まで来たイザナキは、大きな岩で出口を塞いでしまいます。

その大岩に向かいイザナミは「愛する夫よ。このような事をするならば、そちらの国の人間を1日1000人くびり殺しましょう。」と言った。

イザナキは「愛する妻よ。それならば、1日1500の産屋を建てよう。」と応えました。

ここから、人の「生」と「死」が生まれたといいます。



#神社好きとつながりたい  #ヨモツイクサ #古事記 #日本書紀 #神社参拝 #神社 #浮世絵

  #水墨画 #墨絵 #黄泉 #イザナギ #イザナミ  #神社巡り #黄泉の国 #神社仏閣巡り #神社好き

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ヨモツシコメ(黄泉醜女)

【黄泉の国の追手】

黄泉の国のヨモツシコメ(黄泉醜女)を描いてみました。『古事記』では予母都志許売と表記されます。

黄泉の国の醜女(シコメ)という名前ですが、外見が醜いという訳ではなく、強い女=醜女(シコメ)ともされ、武力の高い女性、あるいは霊力の高い女性と考えられます。

オオクニヌシの別名もアシハラノシコオ(葦原色許男・葦原醜男)といい、シコメ(女)に対するシコオ(男)は、葦原中国(あしはらのなかつくに)の強い男という意味です。



地母神イザナミは火の神ヒノカグツチを産んだ際に大やけどを負い、それが原因であの世(黄泉の国)に旅立ってしまいました。

夫であるイザナキは、愛する妻を失ったことで嘆き悲しみますが、イザナミを諦めきれずに死者の国である黄泉の国まで行くことにします。



なんとか黄泉の国に辿り着いたイザナキ。しかし、イザナミはすでに黄泉の食べ物を口にしていたので「戻りたくても戻ることは難しい」と夫に告げます。

それでも夫イザナキは諦めません。イザナミも出来ることなら愛する夫に会いたい。しかし、イザナミは全身にウジが湧き八雷神(やくさのいかづちかみ)が憑りついていたので、会えるような姿ではなく、すでに黄泉の国の住人へと変化していました。

それでも夫に会いたい一心で、「外に出てくるまでは、絶対に中を覗かないでください。」と約束をし、黄泉の国の神様にイザナキに会えるように申し出ることにしました。



しかし、しびれを切らしたイザナキが、会いたい想いを止められず約束を破って中を覗くと、そこには八雷神の憑りついたイザナミの恐ろしい姿がありました。

イザナキはあまりの驚きで思わず声を上げてしまいます。見られたことに気づいたイザナミは、夫が約束を破ったこと、醜い姿を見られたことに激高し、黄泉の国の軍勢ヨモツイクサとヨモツシコメを放ち追いかけました。



足の速いヨモツシコメやヨモツイクサに追いかけられ、あっと言う間に追い詰められたイザナキ。



イザナキは蔓草で出来た髪飾りを投げつけたところ、そこから山葡萄の実が生えたので、ヨモツシコメはそれに食い付きました。

その隙にイザナキは逃げましたが、ヨモツシコメは山葡萄を食べ終わると再びイザナキを追い詰めます。

次にイザナキは右の角髪(みづら)から湯津津間櫛(ゆつつまくし)を取り、その歯を折って投げました。

すると今度はタケノコが生えてきて、ヨモツシコメはまたそれに食いついたので、その間に、イザナキはヨモツシコメからなんとか逃げ切ったのでした。



しかし、ヨモツシコメは撒いたものの、それでもヨモツイクサが追って来たので、イザナキは八束の剣(やつかのけん)を後ろ手に振り呪術をかけます。しかし、それでもヨモツイクサは追跡の手を緩めません。

そこでイザナキは黄泉平坂に生えていた桃の木から桃の実をもぎ取り、勢いよくヨモツイクサに投げつけます。

桃の木は神木でオオカムヅミといわれ、その名前は「大いなる神の威霊」を意味し、霊気を宿した桃の実の攻撃を受けてヨモツイクサは退散しました。

この桃が後世の「桃太郎」の伝承に繋がり、鬼=ヨモツシコメ、ヨモツイクサと考えられます



何とか逃れ黄泉の国の出口まで来たイザナキは、大きな岩で出口を塞いでしまいます。

その大岩に向かいイザナミは「愛する夫よ。このような事をするならば、そちらの国の人間を1日1000人くびり殺しましょう。」と言った。

イザナキは「愛する妻よ。それならば、1日1500の産屋を建てよう。」と応えました。

ここから、人の「生」と「死」が生まれたといいます。



またヨモツシコメはイザナキが産み出した山葡萄とタケノコを食べたので、高天ヶ原の軍勢に降ったとも読めまが、『古事記』にはその後のヨモツシコメの記述はありません。

イザナミが黄泉の国の食べ物を食べて、黄泉の国の神になったように、ヨモツシコメもまた高天ヶ原の神の一員となった可能性はありますね。



#神社好きとつながりたい  #古事記 #日本書紀 #神社参拝 #神社

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リュウジン1(龍神)

【水や海の神とされる龍神】

今日は龍神を描いてみました。

昔より水や川の神様として龍の伝承が伝わり、海の守護神ともされ、日本において龍神は、西洋のドラゴンに代表されるような怪物ではなく神様として広く信仰されています。

もちろん『記紀神話』にあるように、ヤマタノオロチのような恐ろしい側面を持った龍神伝承も残り、日本各地で多種多様な龍神がいると考えられてきました。



『古事記』には水の神様としてミヅハノメやオカミノカミやミクマリノカミという存在がいますが、水と関りの深い龍神信仰は仏教の伝来と同時期、あるいはそれ以降に大陸文化の影響を受けて発展していったものだと思われます。

元々日本に蛇神信仰が根付いている地域が多くあり、その地域では大陸から渡ってきた龍神が蛇神と習合し信仰されました。

他にも土着の神様に龍神信仰が結びついていき、縁結びの神様であるキクリヒメや祓戸(はらえど)の神セオリツヒメなどは龍神との関係が深い女神様であります。



古墳などに見られる東西南北を守護する四神(ししん)の青竜(せいりゅう)が有名ですが、他にも水の神として各地で民間信仰の対象となり、その中でも仏教の守護である八大龍王や九頭竜(くずりゅう)信仰は特に隆盛した龍神信仰といえます。

灌漑(かんがい)技術が発達していなかった時代には、旱魃(かんばつ)が続くと、竜神に食べ物や生け贄を捧げたり、高僧が祈りを捧げるといった雨乞いが行われていて、有名なものでは、神泉苑(二条城南)で空海が祈りを捧げて善女竜王(清瀧権現)を呼び、雨を降らせたという逸話が伝わります。

農耕民族であった日本において水を司る龍神は貴重な神様として受け容れられ、広く一般的にも崇敬されることになりました。この背景には大陸において龍=皇帝の印であったことで神秘性や希少性を付加したことも一因と推測されます。

また、陰陽道や古代道教、風水術における方位や地脈に優れ、繁栄すると考えられている場所を「龍穴(りゅうけつ)」と呼んでいて、その龍穴へ向かう流れを「龍脈(りゅうみゃく)」といいます。

風水では大地の気(パワー)が吹き上がる場所とされ、近年パワースポットとされている土地もこうした「龍穴」や「龍脈」と関係の深く、古来より天変地異から逃れてきた古社は、この「龍穴」に鎮座するといわれます。



【主な全国の龍神信仰】

◆戸隠山の九頭龍

◆白山信仰

◆黒龍大神信仰

◆鹿野山の九頭竜

◆戸隠山の九頭龍

◆箱根の九頭龍

◆平城京の九頭龍

◆三井寺の霊泉と九頭龍大神

◆猪名川・五月山一帯の九頭龍

◆阿蘇山 宝池の九頭龍神

◆葛城山の八大龍王

◆十和田湖の九頭竜

◆長野別所温泉の九頭竜

◆高千穂の八大龍王

◆日南日向岬の八大龍王

◆大峯山寺の護寺院龍泉寺の八大龍王

◆秩父今宮神社の八大龍王

◆伊勢の鬼門を守る金剛証寺の八大龍王

◆京都伏見の清瀧権現

◆諏訪大社の蛇神

◆赤城山の赤城大明神

◆大神神社の蛇神

◆長尾神社の蛇神

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リュウジン2(龍神)

【壱岐を守護する龍神】

今日は龍神を描いてみました。

龍神の住まうとされる島、壱岐(長崎県壱岐市)の龍は七本の指があるとされる龍神の中の龍神で、そのお姿をイメージしています。龍は指の数が増えるほど神通力に秀で、より尊い存在と考えられていました。とくに中華大陸の王朝では「五本指の龍」は王族のみに使用の許可がおりる特別な紋章。さらに、「五歩指の黄金の龍」は黄帝のみが使用できる最上級の龍として考えられ、無断でこの龍の紋を用いたものは死罪に処されたといいます。

その「五本指の龍」を超える「七本指の龍」が壱岐の龍光大神(長崎県壱岐市)に見られます。この壱岐という島は、となりの対馬と並び『魏志倭人伝』の中でもその存在が記され、「一大國」(一支国=いきこく)として三世紀ごろから既に国として栄えていたことが確認出来る非常に歴史のある島で、『古事記』や『日本書紀』にもイザナギとイザナミが産み出した島として描かれています。

そのため神社の数はもちろん、平安時代に編纂された『延喜式(えんぎしき)』にも記載のある式内社が非常に多い地域です。

壱岐自体は小さな島ですが、古代より大陸や朝鮮半島を結ぶ拠点として、対馬と並び栄えていて古墳時代につくられたとされる280基を超える巨石古墳が、その繁栄ぶりを示しています。

ちなみに「龍」と「竜」の字がありますが、天駆けるのを「龍」、地をゆくのが「竜」といわれ、一般的な龍神様のイメージは龍の方が多い印象ですね。



また、朝廷で、吉凶を占う「亀卜(きぼく)」をしていた一族の代表的存在が卜部(うらべ)氏。この卜部氏はアメノコヤネを祖神としている一族ですが、『延喜式』によると、朝廷では伊豆5人、壱岐5人、対馬10人の三国から計20名の卜部を採用していました。





【その他主な全国の龍神信仰】

◆戸隠山の九頭龍

◆白山信仰

◆黒龍大神信仰

◆鹿野山の九頭竜

◆戸隠山の九頭龍

◆箱根の九頭龍

◆平城京の九頭龍

◆三井寺の霊泉と九頭龍大神

◆猪名川・五月山一帯の九頭龍

◆阿蘇山 宝池の九頭龍神

◆葛城山の八大龍王

◆十和田湖の九頭竜

◆長野別所温泉の九頭竜

◆高千穂の八大龍王

◆日南日向岬の八大龍王

◆大峯山寺の護寺院龍泉寺の八大龍王

◆秩父今宮神社の八大龍王

◆伊勢の鬼門を守る金剛証寺の八大龍王

◆京都伏見の清瀧権現

◆諏訪大社の蛇神

◆赤城山の赤城大明神

◆大神神社の蛇神

◆長尾神社の蛇神

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ワタツミサンシン(綿津見三神)

【禊で生まれた三つ子の海神】

ワタツミ三神(綿津見三神)を描いてみました。「ワタ」は海の古語で、「ツ」は「の」を表し、「ミ」は神霊の意であすので、「ワタツミ」は「海の神霊」という意味になります。


黄泉から帰ってきたイザナギが禊をした時に以下の神々が生まれました。

ソコツワタツミ(底津綿津見神、底津少童命)

ナカツワタツミ(中津綿津見神、中津少童命)

ウワツワタツミ(上津綿津見神、表津少童命)

この三神を総称してワタツミ三神と呼んでいます。

この三神は、イザナギとイザナミが生んだオオワタツミとは別の海の神ともされますが

、オオワタツミと同神との説もあります。



イザナギが禊をした時に、ソコツツノオノカミ(底筒之男神)、ナカツツノオノカミ(中筒之男神)、ウワツツノオノカミ(上筒之男神)の住吉三神(住吉大神)も一緒に生まれています。



また、ワタツミ三神の子のウツシヒカナサク(宇都志日金析命(穂高見命))が九州北部の海人族である阿曇連(阿曇氏/あずみし)の祖神であると『古事記』『日本書紀』には記されています。



現在も阿曇氏の末裔が宮司を務める志賀海神社(福岡県福岡市)は安曇氏伝承の色濃い地であり、ウツシヒカナサク(穂高見命)は穂高の峯に降臨したとの伝説が残っていて、信濃(長野県)にも安曇氏が進出しています。



このように、ワタツミ三神は記紀においては阿曇氏(あずみうじ/あづみうじ、安曇氏・阿曇族・安曇族)の祖神または奉斎神とされていて、阿曇氏の読み「アズミ/アヅミ」もまた「アマツミ(海津見)」の略とも見られれいます。この神を奉斎する阿曇氏は海人集団を管掌する伴造氏族でもありました。



『先代旧事本紀』では、同じく神産みの段で「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」と記され、「筑紫斯香神(つくしのしかのかみ)」の名で志賀海神社が氏神に挙げられています。



なお、ワタツミ以外の主な海の神としては、前述のスミヨシ(住吉三神:住吉族が奉斎)・ムナカタ(宗像三女神:宗像族が奉斎)が知られ、九州北部(福岡県)にはそれぞれを祀る住吉神社(福岡市博多区)・宗像大社(福岡県宗像市)が鎮座している点も興味深いです。また、志賀海神社以外にもワタツミ三神をお祀りしている神社は北部九州に多くあります。





・綿津見三神(ワタツミ)を祀る神社

志賀海神社(福岡県福岡市東区志賀島)(総本社)

綿津見神社(福岡県古賀市)

綿津見神社(福岡県糸島市)

綿津見神社(福岡県築上郡築上町)

綿津見神社(福岡県みやま市)

志賀海神社(福岡県八女郡広川町)

綿津見神社・海神社 - 全国各地

志賀神社(福岡県糟屋郡粕屋町)

風浪宮(福岡県大川市酒見)

渡海神社(千葉県銚子市高神西町)

穂高神社(長野県安曇野市穂高)

二見興玉神社(三重県伊勢市二見町)

林神社(兵庫県明石市宮の上)

小江神社(兵庫県豊岡市江野)

田土浦坐神社(岡山県倉敷市下津井田之浦)

由加神社本宮(岡山県倉敷市児島由加)

沼名前神社(広島県福山市鞆町)

水上神社(島根県大田市温泉津町)

浜殿神社(長崎県対馬市豊玉町)

鹿児島神社(鹿児島県鹿児島市草牟田)

飯倉神社(鹿児島県南九州市川辺町)

永尾神社(熊本県宇城市不知火町)

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オリジナル神仏画(浮世絵調)イザナギ(画像はサンプルです)
500,000円(税別)
A3サイズ(297×420mm) 額装

オリジナル神仏画(浮世絵調)イワナガヒメ(画像はサンプルです)
500,000円(税別)
A3サイズ(297×420mm) 額装
オリジナル神仏画(水墨画調)神楽(画像はサンプルです)
400,000円(税別)
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オリジナル神仏画のご依頼
オリジナル神仏画(浮世絵調)
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