真実の
法華経

法華経に出会うは、大海に浮かぶ針の穴に糸を通すが如し

身延山久遠寺の枝垂桜
(出典:日蓮宗https://www.nichiren.or.jp/)

1274年5月17日日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日を身延山開闢(かいびゃく)の日としています。日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦(どくじゅ)と門弟たちの教導に終始し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山妙法華院久遠寺」と命名されました。(出典:久遠寺https://www.kuonji.jp/)

法華経とは

法華経は、利他(世のため人のため)の思想に基づいた大乗仏教の一つで、「諸経の王」と呼ばれるほどで、3000を超えるとも言われる大乗仏教の経典の中でも「最高の経典」と言われています。
お釈迦さまは、歴史上実際に出現し、人々の苦しみに接してみずから大慈悲心を発こして出家し、長い間の修行を経て悟りを開き、人々を救う教えを示されました。お釈迦様は一生の布教活動の総仕上げとして、究極の教えである「法華経」を説きました。この法華経こそ、お釈迦様の言葉による「真実であり最高の教え」なのです。
有名な「観音様(観世音菩薩)」は、法華経の中にある『観音経』に登場する菩薩様で、すべての人々を救済することを説いていて、この章が独立して広く読まれています。

日蓮聖人の出現

お釈迦様は、法華経の中で、末法(まっぽう)という時代にお釈迦様の一番の弟子(本化の四菩薩/上行菩薩 無辺行菩薩 浄行菩薩 安立行菩薩)の出現を預言しました。
お釈迦様は、
①自分と同時代に生きた人々と、自分が死んだ後の2,000年間に生まれる人々は皆、私の徳と力によって救われていくが、2,000年以降の「末法時代」には、自分の教えだけでは救うことができないこと。
②末法時代には、四菩薩が出現して、法華経の根底に秘められた根源の法(南無妙法蓮華経)を説いて、一切の人々が根源から救われること。
と預言しています。
この言葉どおりに末法時代に出現し、お釈迦様の時代に救うことができなかった人々を法華経の南無妙法蓮華経によって導き、未来永劫の人々の成仏のために本化常行菩薩として現れたのが日蓮聖人です。
私たちは、南無妙法蓮華経のお題目を信じて唱えていけば、かならず一生のうちに仏のような境地に至ることができると教えられているのです。

お題目とは

南無妙法蓮華経のことです。お釈迦様が末法の時代を救うためには、最後には、この南無妙法蓮華経の五字七字の他にはないと説かれました。この南無妙法蓮華経は、理論理屈を超越したところにあり、一言で言うならば、言語道断 心行所滅 唯可信得 不可識得(識得すべからず、唯信得すべし)と説明されてあります。つまり、人間の頭脳等でわかるものではありません。ただ、信じて、このようなものであると発見することが一番だと思います。お釈迦様は、法華経の寿量品の中で「今良き薬を留めて、ここに置く。汝等取って服すべし。いえじと憂うることなかれ」(今いい薬をここに置いておきます。あなたたちは、これを飲みなさい。治らないかもしれないと心配することはありません。)と説かれております。筆者の体験の中に、難病、ガンが回復したという実例がいくつもあります。これは、お題目の効能のただ一部分でしかありません。このようなものがお題目であるとわかっていただければ、幸いです。

お題目

なぜお経を
あげるのか

神様仏様をお祀りするときには、お経を読み上げます。お経を読むことによって、神様仏様がお経の力をいただくことになります。そして、私たちのために神界(神様の世界)で動くことができ、私たちを守護してくださるのです。神様仏様にお願いだけしていても神様仏様は本来の力を発揮することができないのです。このように古来からお経の力は大事だと言われています。
特に法華経をあげると神様仏様は一番お喜びになります。どの神様仏様も法華経が欲しくて欲しくてたまらないと言われてます。従って、法華経をあげることで、神様仏様がその力を最も発揮していただくことができるわけです。

信心とは

「信心」は信ずる心と書きます。何を信じるのでしょうか?自分が信じられるものを信じるのでしょうか?私たちは、頭で考え、理解できるものを基本的に信じます。この信じるという意味とは違うのです。
信心とは、理屈では説明がつかないものを本当にそのとおりだと思うことです。神様の存在や力を理屈で説明できるでしょうか?できません。でも、神様は存在して私たちを守ってくださっていると信じること、これが「信心」なのです。

四苦八苦とは

「四苦八苦」という言葉は、仏教用語でお釈迦さまの教えです。お釈迦さまは、人生は「苦」に満ちていると説かれ、「苦」の本質は、自分に執着し様々な欲にとらわれることにあると言いました。そして、この世の根本的な苦しみを「四苦八苦」に分けられました。
●四苦とは「生苦・老苦・病苦・死苦」のことです。
生苦・・・生まれた苦しみ

老苦・・・老いる苦しみ
病苦・・・病の苦しみ
死苦・・・死の苦しみ

●八苦とは、さらに「愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の四苦を足して八苦とされました。
愛別離苦(あいべつりく)・・・愛する人と別れなければならない苦しみ

怨憎会苦(おんぞうえく)・・・嫌いな人とも出会わなければならない苦しみ
求不得苦(ぐふとっく)・・・求めても得られない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく)・・・心身に関する苦しみ

私たちの身近な苦しみを想像しても全てのこの八苦の中に分類されます。
お釈迦さまは3000年以上前に私たちの苦しみの根元を見つけられていたのです。

因果応報とは

ある結果に至った経緯を探ると、直接の原因はひとつでも、それに関する様々の条件がそろって初めて結果が生まれるという事実に気付きます。
直接の原因を「因」といい、それと関わる条件を「縁」と呼び、この二つをあわせて「因縁」といいます。例えば、水を「因」と考えると氷るという「縁」を得て氷になり、また火という「縁」を得てお湯になる。このような関係のことです。この世の全てのことは偶然ではなく、全て必然ということになります。なぜなら、全ての物事は「縁」でつながっているからです。
因縁があって結果が出る。これを「因果」といいます。

私たちは、いたずらをした子供に「悪いことをすると罰が当たるよ」と言ったり、「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ」と言ったりします。同時に「いいことをすれば必ずいいことがある」とも言います。
仏教では悪因悪果・善因善果(善いことを行えば善い結果が現れ、悪い行いは悪い結果を呼ぶ)自因自果(自分のやったことは自分にふりかかる)といい、これらをまとめて因果応報と呼んでいます。
信心をすれば必ず成仏できるということも「因果応報」に繋がっていきます。

諸法実相とは

この世のすべては 宇宙の真理であるひとつの「法」に従い動いています。これを諸法実相(しょほうじっそう)といいます。
宇宙に存在するものの奥には十の姿があります。
1 如是相(にょぜそう)あらゆる存在には必ず相(姿)がある。
2 如是性(にょぜしょう)姿あるものは必ず性質がある。
3 如是体(にょぜたい)性質があるものは必ず本体がある。 
4 如是力(にょぜりき)本体は必ず力(エネルギー)を持つ。
5 如是作(にょぜさ)力・エネルギーは必ず外へ向かう作用がある。
6 如是因(にょぜいん)宇宙には如是体が無数に存在していて、あらゆる作用が働きあっている。この世にポツンと離れて存在するものはひとつもなく、必ず他のものと複雑につながっている。
だからいろいろな現象を起こす原因になる因も無数に存在する。
7 如是縁(にょぜえん)因は、何かの機会で条件が整うとある現象となって現われる。
8 如是果(にょぜか)因が縁を得て結果が生じる。
9 如是報(にょぜほう)如是果が残す働き。
10 本末究竟等(ほんまつくきょうとう)本(初め)から末(終わり)まで究竟(結局)等(同じく)法のとおりになる。
これを十如是(じゅうにょぜ)と言います。如是とは必ずという意味です。 如とは真如(しんにょ)のことで、真実の姿という意味です。この十如是は、個人の心の中にも同じように現われます。

一念三千とは

私たちの世界には十界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏)があります。この十界は、それぞれお互いに他の十界を備えていて、百の世界となります。これを十界互具といいます。
また、この百の世界も、それぞれ十如是(相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等)という因縁因果の変化をくり返しており、100×十如是で千如是となります。
そしてこれら千如是も、それぞれ三世間(国土・衆生・五蘊(ごうん))という様々な環境の中で影響しあって存在していますので、千如是×三世間=三千の世界になります。この三千という世界がすべての心の中に備わっていることから、一念三千と言います。

今、この一瞬の中に大宇宙の全てが宿っている。始めのない過去から永遠の未来も皆この一瞬の中にあるのです。このことを頭で理解するだけでなく、体で感じ会得し、自分自身が大宇宙と同体となった時、「一念三千」を悟る、すなわち「成仏」できるということなのです。
ここでいう「成仏」とは、死んで仏になることではありません、真理に目覚めることを意味します。成仏の原理「一念三千」にあります。それを体得するには、お題目(南無妙法蓮華経)を唱えることである日蓮聖人は説かれました。

久遠実成とは

「久遠実成」とは、法華経の後半に説かれている教えで、インドにお生まれになり八〇歳で入滅されたお釈迦様は実は仮のお姿であり、真実のお釈迦様は久遠の昔(永遠の過去)に悟りを開かれた永遠の存在であると同時に、全ての諸仏はお釈迦様の化身にすぎないことが明かされています。そしてお釈迦様は真摯な本当の信仰を持つものに対して、何時でも、たとえ如何なる所でも、常に救済の活動を続けておられるとしています。

輪廻転生の真実

輪廻転生とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天という六つの居場所を生まれ変わり死に変わりして巡るということです。人間に生まれたから、次も人間に生まれ変わるとは限りません。犬猫として生まれ変わるかもしれません。すべては神様仏様がお決めになることなのです。自分では決められません。生前どれほどの信仰心があったかによって判断されます。
過去世の業の結果として現在の居場所があり、現世の業によって未来世の居場所が決まるという善因善果・悪因悪果の道理に基づくのが、輪廻転生の考え方です。
魂は生き続けているので、これまでの生まれ変わりのことをすべて覚えています。しかし、生まれてくるとき(産道を通るとき)に記憶はなくなってしまいます。なので、前世で苦しんだことも楽しかったことも何も覚えていないのです。しかし、魂は生き続けているので、現世では前世の続きをすることになります。例えば、前世で何かを探し続けたまま死んだ場合は、生まれ変わったときに違う形で何かを探す行動になって現れるのです。

お別れのときに
とても大切なこと

大切な人とお別れをしなければならないときに、大事なことがあります。
1. きちんと葬儀をすること
お経をあげるのは、故人がこの世とお別れをしてあの世にいくためです。そのための儀式です。
2.あの世に行くことを引き止めないこと
引き止めると、本人はあの世に行けなくなってしまい、浮遊霊としてさまようことになります。そうならないように、悲しみを乗り越えて、故人のために真っ直ぐあの世に行くことができるように祈りましょう。

方便品第二

爾時世尊。従三昧安詳而起。
告舎利弗。諸仏智慧。
甚深無量。其智慧門。
難解難入。一切声聞。
辟支仏。所不能知。
所以者何。仏曾親近。
百千万億。無数諸仏。
尽行諸仏。無量道法。
勇猛精進。名称普聞。
成就甚深。未曾有法。
随宜所説。意趣難解。
舎利弗。吾従成仏已来。
種種因縁。種種譬諭。
広演言教。無数方便。
引導衆生。令離諸著。
所以者何。如来方便。
知見波羅蜜。皆已具足。
舎利弗。如来知見。
広大深遠。無量無礙。
力。無所畏。
禅定。解脱。
三昧。深入無際。
成就一切。未曾有法。
舎利弗。如来能種種分別。
巧説諸法。言辞柔軟。
悦可衆心。舎利弗。
取要言之。無量無辺。
未曾有法。仏悉成就。
止。舎利弗。
不須復説。所以者何。
仏所成就。第一希有。
難解之法。唯仏与仏。
乃能究尽。諸法実相。
所謂諸法。如是相。
如是性。如是体。
如是力。如是作。
如是因。如是縁。
如是果。如是報。
如是本末究竟等。

方便品第二

妙法蓮華経
如来寿量品第十六

自我得仏来 所経諸劫数 
無量百千万 億載阿僧祇
 常説法教化 無数億衆生 
令入於仏道 爾来無量劫
 為衆生度故 方便現涅槃 
而実不滅度 常住此説法
 我常住於此 以諸神通力 
令顛倒衆生 雖近而不見
 衆見我滅度 広供養舎利 
咸皆懐恋慕 而生渇仰心
 衆生既信伏 質直意柔軟 
一心欲見仏 不自惜身命
 時我及衆僧 倶出霊鷲山 
我時語衆生 常在此不滅
 以方便力故 現有滅不滅 
余国有衆生 恭敬信楽者
 我復於彼中 為説無上法 
汝等不聞此 但謂我滅度
 我見諸衆生 没在於苦海 
故不為身現 令其生渇仰
 因其心恋慕 乃出為説法 
神通力如是 於阿僧祇劫
 常在霊鷲山 及余諸住処 
衆生見劫尽 大火所焼時
 我此土安穏 天人常充満 
園林諸堂閣 種種宝荘厳
 宝樹多華果 衆生所遊楽 
諸天撃天鼓 常作衆妓楽
 雨曼陀羅華 散仏及大衆 
我浄土不毀 而衆見焼尽
 憂怖諸苦悩 如是悉充満 
是諸罪衆生 以悪業因縁
 過阿僧祇劫 不聞三宝名 
諸有修功徳 柔和質直者
 則皆見我身 在此而説法 
或時為此衆 説仏寿無量
 久乃見仏者 為説仏難値 
我智力如是 慧光照無量
 寿命無数劫 久修業所得 
汝等有智者 勿於此生疑
 当断令永尽 仏語実不虚 
如医善方便 為治狂子故
 実在而言死 無能説虚妄 
我亦為世父 救諸苦患者
 為凡夫顛倒 実在而言滅 
以常見我故 而生恣心
 放逸著五欲 堕於悪道中 
我常知衆生 行道不行道
 随応所可度 為説種種法 
毎自作是念 以何令衆生
得入無上道 速成就仏身

妙法蓮華経
如来寿量品第十六

妙法蓮華経
如来神力品第二十一

諸仏救世者 住於大神通 
為悦衆生故  現無量神力

 舌相至梵天 身放無数光 
為求仏道者 現此希有事

 諸仏謦?声 及弾指之声 
周聞十方国 地皆六種動

 以仏滅度後 能持是経故 
諸仏皆歓喜 現無量神力

 属累是経故 讃美受持者 
於無量劫中 猶故不能尽

 是人之功徳 無辺無有窮 
如十方虚空 不可得辺際

 能持是経者 則為已見我 
亦見多宝仏 及諸分身者

 又見我今日 教化諸菩薩 
能持是経者 令我及分身

 滅度多宝仏 一切皆歓喜 
十方現在仏 并過去未来

 亦見亦供養 亦令得歓喜 
諸仏坐道場 所得秘要法

 能持是経者 不久亦当得 
能持是経者 於諸法之義

 名字及言辞 楽説無窮尽 
如風於空中 一切無障礙

 於如来滅後 知仏所説経 
因縁及次第 随義如実説

 如日月光明 能除諸幽冥 
斯人行世間 能滅衆生闇

 教無量菩薩 畢竟住一乗 
是故有智者 聞此功徳利

 於我滅度後 応受持斯経 
是人於仏道 決定無有疑

妙法蓮華経
如来神力品第二十一

観世音菩薩普門品第二十五

 世尊妙相具 我今重問彼 
仏子何因縁 名為観世音
 具足妙相尊 偈答無尽意 
汝聴観音行 善応諸方所
 弘誓深如海 歴劫不思議 
侍多千億仏 発大清浄願
 我為汝略説 聞名及見身 
心念不空過 能滅諸有苦
 仮使興害意 推落大火坑 
念彼観音力 火坑変成池
 或漂流巨海 龍魚諸鬼難 
念彼観音力 波浪不能没
 或在須弥峯 為人所推墮 
念彼観音力 如日虚空住
 或被悪人逐 墮落金剛山 
念彼観音力 不能損一毛
 或値怨賊繞 各執刀加害 
念彼観音力 咸即起慈心
 或遭王難苦 臨刑欲寿終 
念彼観音力 刀尋段段壞
 或囚禁枷鎖 手足被?械 
念彼観音力 釈然得解脱
 呪詛諸毒薬 所欲害身者 
念彼観音力 還著於本人
 或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 
念彼観音力 時悉不敢害
 若悪獣囲繞 利牙爪可怖 
念彼観音力 疾走無辺方
 ?蛇及蝮蠍 気毒煙火然 
念彼観音力 尋声自回去
 雲雷鼓掣電 降雹?大雨 
念彼観音力 応時得消散
 衆生被困厄 無量苦逼身 
観音妙智力 能救世間苦
 具足神通力 広修智方便 
十方諸国土 無刹不現身
 種種諸悪趣 地獄鬼畜生 
生老病死苦 以漸悉令滅
 真観清浄観 広大智慧観 
悲観及慈観 常願常瞻仰
 無垢清浄光 慧日破諸闇 
能伏災風火 普明照世間
 悲体戒雷震 慈意妙大雲 
?甘露法雨 滅除煩悩焔
 諍訟経官処 怖畏軍陣中 
念彼観音力 衆怨悉退散
 妙音観世音 梵音海潮音 
勝彼世間音 是故須常念
 念念勿生疑 観世音浄聖 
於苦悩死厄 能為作依怙
 具一切功徳 慈眼視衆生 
福聚海無量 是故応頂礼
爾時持地菩薩。即従座起。
前白仏言。世尊。
若有衆生。聞是観世音菩薩品。
自在之業。普門示現。

神通力者。当知是人。
功徳不少。仏説是普門品時。
衆中八万四千衆生。皆発無等等。

阿耨多羅三藐三菩提心

観世音菩薩普門品第二十五

プロフィール

名前:明浄院 鳳學(みょうじょういん ほうがく)
・七面山参拝時に青龍権現様のお力によりお題目を勝手に唱えさせられるという不思議な体験をする。
・あるとき、法華経のお上人様から、弘法大師(空海)の直弟子の一人の生まれ変わりであることを告げられる。
・その後、高野山奥の院に参拝した際、弘法大師より「明浄院鳳學」の名前を授かる。

リンク集

久遠寺のHPです
身延山は、鎌倉時代に日蓮聖人によって開かれたお山で、久遠寺は日蓮宗の総本山です。そして、約9年間をここで過ごし、法華経布教に励まれました。
七面山のご紹介
日蓮聖人は身延山にご草庵を構え、法華経読誦の日々を送りましたが、そのご草庵をとりかこむ山々のうち西方にそびえ立つのが七面山です。
七面山の山頂には、敬慎院があります。この敬慎院には、身延山を守護する鎮守神として七面大明神がまつられています。
七面山へのお参りは、みちのり自体が修行の道と言われています。
清澄寺のHPです

境内には若き日の日蓮上人が修行をしたと伝わる練行場跡があり、さらに奥に進むと日蓮聖人が初めて「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えて法華経の布教を決意したとされる聖地・旭が森があります。ここは日蓮聖人が太平洋から昇る朝日を見ながらお題目を唱え、開宗を誓ったと伝わる場所。ちなみに旭が森は、日本で一番早く初日の出が昇る地(離島を除く)としても有名です。(出典:大本山清澄寺 研修会館https://terahaku.jp/temple/seichoji/)

誕生寺のHPです

日蓮聖人は、貞応元年(1222)2月16日、小湊片海の地に降誕した。その時、庭先から泉が湧き出し産湯に使った「誕生水」、時ならぬ時に浜辺に青蓮華が咲いた「蓮華ケ渕」、海面に大小の鯛の群れが集まった「妙の浦」という不思議な「三奇瑞」が伝えられている。(出典:誕生寺http://www.tanjoh-ji.jp/nichiren.html)

ブログです

神仏の不思議について書いています。

清澄寺のHPです

境内には若き日の日蓮上人が修行をしたと伝わる練行場跡があり、さらに奥に進むと日蓮聖人が初めて「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えて法華経の布教を決意したとされる聖地・旭が森があります。ここは日蓮聖人が太平洋から昇る朝日を見ながらお題目を唱え、開宗を誓ったと伝わる場所。ちなみに旭が森は、日本で一番早く初日の出が昇る地(離島を除く)としても有名です。(出典:大本山清澄寺 研修会館https://terahaku.jp/temple/seichoji/)