「私」という文字は元々「和多志」と書いていたそうです。「わたし」というと「個人」をイメージしてしまうものですが、本来は「全体」を意味していたそうです。和多志は「多くの志を和したもの」という意味で、ひとりひとりの意志が集合した全体意識を表していました。なので「和多志のモノ」というと「みんなのモノ」ということになり、今はそれを自分が使用し、お借りしているのだという意味になります。つまり全体の共有物(ギフトシェア)だということです。昔の人たちは呼吸をするように当たり前に暮らしの中で分かち合われているギフトを感じ、感謝しながら生きていたのかもしれませんね。
わたしたちはパズルのピースのようにお互いに凸凹を埋め合い、影響し合いながら生きています。凸も凹もギフトなのです。自分にできないことがあるからと落ち込む必要はありません。必ずそこを埋めてくれる人がいます。埋めてくれた人は自分の才能が発揮できた喜びを感じるはずです。それは凹をギフトしたともいえるのではないでしょうか。
自分に贈られたギフトを知り、分かち合われているギフトを感じ、イノチの和を結びながら共にこの地球を遊んでいきましょう(≧∀≦)!!長くなりましたが、最後まで貴重なイノチの時間を使って読んでくださりありがとうございました。あなたの毎日が喜び溢れる豊かな毎日でありますように。
弥栄