運命と共に新しい人生を歩みだすセッション (DNAアクティベーション® +TRUEタロットリーディング +個別に必要な調整セッション込) |
120分 25000円 |
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DNAアクティベーション® | 60分 15000円 |
タロットリーディング | 60分 10000円 |
写真鑑定 | 60分 6000円 |
相談・カウンセリング | 60分 6000円~ |
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大学で化学の研究をしていた元研究員。
家族の借金、離婚、暴力、etc......
人生の大半を闇に放り込まれる。
小さい頃に父親の事業失敗、ギャンブルにより母親の実家に戻ることになる。
父はその頃から単身赴任(という名の別居)をし、何か思いついた事業をやるときだけ
母の実家にお金を貸してほしいと来るようになる。
母の実家は漁師の網元だったので、ある程度貯金があったが度重なる事業の失敗と借金でとうとう貯金がなくなる。
さらに漁師だった祖父が亡くなり、いよいよ家計が回らなくなる。
父がサラリーマンとして働きに出ることになり、家族(母・妹)とついていくことに。
転勤が多く、小学校に上がるまでに4回、小学校での転勤が4回、中学校で1回、
北海道、関東地域を中心に転々とするも、小学校中学年で再び父が単身赴任。
小学校6年のときにとうとう父親からの仕送りが家族に入らなくなる。
それがきっかけで母が錯乱し、家で刃物を振り回すようになる。
家にも帰れず借金の重さを知り、いつも行くコンビニで働こうとするも小学生のため断られる。
コンビニの店長さんにいつもと様子が違うと、優しい言葉をかけられる。
転校が多く、友達ができずいじめにあう。複数人に殴られる、仲間はずれ、机や椅子、靴に画鋲、石を投げつけられる、一人だけプリントが配られない、先生に相談するも「お前が悪い」となぜか相手にしてもらえず。
小学校の隣の中学に入学してやっといじめがなくなったと思ったらまた転校。母の実家に戻る。
田舎のためいじめは無かったが、学力がかなり落ちる。
お金がないのは相変わらずで、車も電車賃もないので高校は田舎の歩いていける偏差値37の高校を選択。
高校に入り、両親が離婚。それを期に生活保護を受ける。
大学に行きたかったが、そんなお金も学力もなく、ひたすら部活を頑張って推薦入学を狙う。
インターハイにいけたので推薦をもえることに。
早稲田、明治、筑波など、自分の学力ではまず合格がもらえない大学から推薦をもらうも、
東京での生活費を工面できず、家庭のことが心配なのもあり大学を断念し浪人する。
家にいては何もできないと思い一人暮らしを始める。この頃から妹が暴力的になり不良になる。
一人暮らし後、何とか念願の薬学部大学に入る。学力がまったく追いつかず勉強についていくのが必死だった。街でヤンキーに絡まれることがなぜか多く、この頃から空手を始める。
奨学金借りて大学に行く選択をしたが、母と妹の関係が悪くなり、妹の高校卒業と同時に私と妹ふたりで住むことに。妹も奨学金で短大へ。
親が実家で一人になって再び不安定になり、結局全員で私の家に住むことになる。母と妹の喧嘩に巻き込まれる。妹が短大へ行くも人間関係がうまくいかない、とのことで中退。その後お金を稼ぐため飲み屋で働くことに。
働き先でのストレスが多かったのか妹と母の喧嘩がさらに激化。自分の勉強が手につかず留年寸前まで追い込まれる。
家族は一緒にいないほうが良いと判断し、母も妹も私もそれぞれ一人暮らしすることに。
バイトで稼いだ引っ越し代をふたりに使ってしまったため、一人暮らしができず自分だけ家がなくなる。
友人の家に転がり込んでありがたいことに寒さをしのぎつつ留年を回避する。
何とか家を借りて一人暮らしができるようになり大学を卒業し薬剤師国家試験合格。
そこで化学研究をしたくて大学に入ったことを思い出し研究室に入ることに。
最新の機器を使用して研究を始める。
やっと自分のやりたいことができてきたと思った矢先、妹が鬱になり自殺未遂をする。病院から電話がきて何度も自殺未遂をするようになったので、監視のためまた一緒に住む。勉強・研究でヘロヘロの状態で家に帰ってくると妹がOD(薬の過剰服用)して手首を切っているという状態が続く。そんな中、肺に穴が空いて入院することになる。
気胸と診断。何度も肺に穴が空きその度に入院するので、主治医に家庭背景を話したところ、精神的なものからきているかもしれないとのことで、手術後に心療内科を薦められる。空手のおかげで絡まれることは少なくなったが、鍛えた精神もとうとうやられてしまったか、と落ち込む。
退院後、心療内科を受診しながら何とか研究を続け、化学論文を同期で一番出し、自分が発見した化学反応もいくつか発表する。そんな中、妹がもう一度学校に行きたいと言い出す。トラブルメーカーのため、まずは鬱を直したほうが今後のためにも良いと考え、好きなことをしている方が本人は気持ちが晴れるというのもあって専門学校の入学を応援することに。学費を稼ぐため研究に区切りを付けて働きに出る。
初任給からボーナスまで学費に充て、妹を何とか専門学校に入学させる。しかしその後、半年で不登校になり1年で退学。理由は対人関係。ヤンキーの性格のため友達ができないことが原因で、担任にも何度か呼び出される。
一方で働き始めると、母から仕送りの催促がくるようになり、奨学金の返済と仕送りで自分の給料はほとんど手元に残らなくなる。もっと稼がないと、と思い北海道の人口5000人しかいない漁村に努め、へき地手当をもらうことに。当時ATMのあるコンビニまで車で1時間走らないとお金が下ろせない地域だった。
ときには足りなくなることもあったので、仕事が終わったあとにアルバイトをして生計を立てていた。
そんな中でも自分の楽しいこと、やってみたいことを模索。
コーヒーが好きだったので、いつかカフェを開きたかった。母と妹に散々お金を渡してきたが、渡せば渡すほどもっと欲しいという感じ。収入を増やすため、銀行の融資を何とか受けて気の合う仲間でBARを立ち上げた。BARは曜日交代で回し、自分のときは夜カフェになった。夜カフェの運営はあまり儲からなかったが、楽しかった。
開業当初から代表格が二人いて、私ともう一人。
その仲間の一人が新しいビジネスをしたいと提案してきた。
出来高制のgoogleのMOE対策事業だったが、当の本人が原理をあまり理解していないのもあり、全然軌道に乗っていないのを横目で見ていた。もう一人がBARをあまり開けていなかったことで家賃が滞ってくると、収入を増やすためにBARをDJ BARにすると言い出し、私の憩いの夜カフェの時間はDJ BARに消えた。
DJ BARは盛り上がるので人が集まり、リピート客も多くなった。収入の面では結果は大成功だった。
そんな中、私は自分の売りを出すためにタロット占いをBARで始めた。
これも結果は大成功。占い目当てで今までとは別の客層が増えていった。
DJが増えてきたとき、一人のDJが占ってほしいと言うので占った。
その時出たのは、1か月以内にプロになるかどうかの話が来るから、自分の中ででどうするか考えておいたほうが良い、という結果だった。
本人は、まさかそんな話が来るとは思わず。1か月後、プロのDJがウチのBARに来店。
スタッフをとても気に入ってくれたようで、ここでイベントさせてほしいという打診があった。
イベント終了後、ウチのDJを2人プロにする話が。占いが当たって鳥肌が立つ本人。
その後、ウチから無事にプロDJを輩出。めでたくデビューとなる。
街で1・2を争う建築会社から数千人規模のイベント要請。
社長の息子さんがDJをしていて、ウチの店の常連さんでスタッフとも仲が良かった縁だろう。
きゃりーぱみゅぱみゅ、m-floなど有名アーティストが集まるイベントを開催。
しかし、経営は全然うまくいっていなかった。
もう一人の代表格がイベントのコンサル料をもらうのが下手だったのだ。
そのため、稼げる事業を次々と手を出していくことになり、
私は代表格から退くことにした。
結局仲間は色々な事業に手を出してどれも手につかなくなった。
そんな中、BARで続けていた占いが私の人生を変えた。
もともとスピリチュアルなことに興味があったのと、見えないものや法則に触れている自分の感覚が合っているのがわかり、誰に教わることもなく(というよりも自分より実力がある人が当時回りにいなかった)自分で勉強し、海外の文献も取り寄せて実力を伸ばしていった。
そうして研鑽を積んでいったところ、夜カフェを復活させBARが盛り返してきた。自分の行動の結果が占いに出るので、それに従ってやってきた。
占いは自分の氣づきを加速させてくれる。それがときに苦しい決断だったとしても、それが必要ならそのようにカードに出る。
そして占いの結果、私はBARを手放すことにした。そうすることで、もっと大きなものを受け取ることができると結果に出たから。
数カ月後、私は「DNAアクティベーション」を受ける機会ができた。
あとから知ったがDNAアクティベーションとは、自分が生まれる前から決めてきたことがDNAにすべて入っているので、それを活性化することで自分が歩きたかった人生を加速させてくれるとのことだった。
これによって人生がものすごく加速した。
母にも妹にも仕送りを送らなくても良くなった。
妹の鬱は結局鬱ではなく知的障害ということがわかって支援を受けることができるようになった。家族の関係は劇的に良くなった。自分も結婚することができた。
本当のスピリチュアルとは、ここまで現実を動かすことができるものなのか!
私はこのエネルギーワークにとても興味をもち、
今では自分がDNAアクティベーションをできるようになった。
おかげで辛い人生を送っている多くの人をサポートをすることができるようになった。
本当に変わりたい人をスピリチュアルな面から現実を変化させることがライフワークとなった。
私は本当にやりたかったことを見つけることができたのだ。
自分のこの経験をこれからの人生に活かして、占い・アドバイスに使っていこうという前向きな目標ができた。
もう一人の代表格が続けていたBARは
結局、DJだけでは回らなくなり、今はもう閉店しているそうだ。
全く変われる要素がない、自分の人生は自分を犠牲にすることで成り立っていると思い込んでいた。
自分の人生にも光が差し込む余地があったのだ。
私はこの自分の素晴らしい体験を多くの人の希望として伝えていきたい!
私でも、こんな状況でも変われたから、どんな絶望的な状況にいても大丈夫です!
皆さんも絶対に変わる方法があります!希望を捨てないで!
絶対未来は明るくなりますから!