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調教師の
平田修とは?

生年月日:1960年5月29日生まれ

所属:栗東

免許取得年:2005年

初出走:2006年3月5日 1回中京2日目12Rサンエムテイオー・3着

初勝利:2006年4月23日 1回福島8日目10Rゼッツー

直近の重賞勝ち鞍:2018年 NHKマイル(GⅠ) ケイアイノーテック

JRAの調教師について

JRAとは?

JRAとは、日本中央競馬会のこと。
競馬法(昭和23年法律第158号)により競馬を行う団体として、農林水産大臣の監督を受け、日本国政府が資本金の全額を出資する特殊法人である。 

監督する部局は、農林水産省生産局畜産競馬監督課。
すなわち、日本中央競馬会は農林水産省の外郭団体である。
 

日本中央競馬会は競馬の健全な発展を図って馬の改良増殖その他畜産の振興に寄与するため、1954年に設立された。

競馬法に規定する中央競馬を全国10か所の競馬場で開催し、あわせて競走馬の育成や、競馬学校での騎手・厩務員の養成などを行い、中央競馬を開催する競馬場・トレーニングセンター・競走馬の育成場などの施設を保有している。

世界最大の馬券売上げを誇り、2019年には約3205億円(第1国庫納付金・第2国庫納付金の合計)を国庫に納入し畜産の振興や社会福祉へ役立てられている。

 

略称「JRA」は、英称「Japan Racing Association」から頭文字を取ったもの。 以前は「NCKNippon Chuo Keiba-kaiの略)」を使用しており、1987年にJRAに変更された。

 

日本中央競馬会が主催する競走の賞金は、世界の中でもアラブ首長国連邦(UAE)と並んで高い部類である。

 

馬主の団体である日本馬主協会連合会の運営費も日本中央競馬会が負担している。
これは「競走協力金 (PDF) 」と呼ばれ、各レースの上位3頭の馬主が所属する馬主協会に支給される。

 

調教師とは?

 

競馬において厩舎を運営し競走馬を管理することを業とする者のことである。

日本では競馬法第16条かつ第22条、競馬法施行規則第21条により、農林水産大臣の認可を受け日本中央競馬会と地方競馬全国協会が調教師試験の施行および免許を交付している。
国家資格である。

日本で調教師になろうとする者は中央競馬では日本中央競馬会から、地方競馬では地方競馬全国協会から、それぞれ調教師免許を取得することが必要である。
この2つの免許は異なるものである。
2021年春現在、中央競馬には約180名が在籍している。

また、調騎分離の制度があり、騎手免許と調教師免許は同時に取得することは出来ないため、騎手免許を持っていた者が調教師免許を取得した場合、騎手免許を返上し騎手を引退するのが通例である。
調教師免許を持っていた者が騎手免許を取得した例は、日本では過去の地方競馬の例外的な事例を除けば無い。

 

調教師試験の合格者は、下記の「開業まで」にもあるとおり、日本の競馬では馬房の数を事実上の物理的制限として利用しているために、ある年に調教師になることができる人数は、引退する調教師の人数との関係で自ずと制限される。
調教師となることの出来る人数が限られる以上、調教師免許試験の合格者数も限られている。

 

中央競馬の調教師免許試験では年に5人から8人ほどというのが通例である。
そのため、しばしば合格率が1割にも満たない難関となる。
学科試験が免除されていた1000勝以上の勝ち星がある騎手を除けば合格者は騎手・調教師・生産者の血縁者や畜産学部出身者が多数を占める。
だが、中には大学の馬術部出身者や畑違いの仕事から転職しての合格者も存在する。

栗東トレーニングセンターとは?

栗東トレーニングセンターとは、
滋賀県栗東市にある、日本中央競馬会(JRA)の施設(トレーニングセンター)である。

設備

最大約2000頭が収容可能な馬房を備え、6つのコースを持つトラック型調教コース、1085mの坂路調教馬場競走馬スイミングプール逍遥馬場といったさまざまな調教施設を有する。

敷地面積:約1,519,000㎡

収容可能頭数:2161頭・119棟

居住者:約1,100世帯・約4000人

平田修が助手を経験した調教師

内藤繁春

愛知県碧海郡高浜町(現・高浜市)出身の元騎手・元調教師・元馬主。
管理馬通算出走11201回という中央競馬の史上最多記録打ち立て、調教師として定年引退間際の2000年に騎手復帰を試みたことで話題を集めた。

実兄・博司は東海地方で飲食店をチェーン展開する株式会社だるまの創業者、同社会長で馬主の内藤耕造は甥である。

 

森秀行

戸山為夫厩舎の調教助手を経て、1993年より厩舎を開業。

1990年代半ばより盛んとなった日本馬の国外遠征を牽引した調教師のひとりであり、1995年にはフジヤマケンザンが香港国際カップに優勝し、日本馬36年ぶりの国外重賞勝利を達成。
1998年にはシーキングザパールがフランスのモーリス・ド・ゲスト賞に優勝し、日本調教馬として初めてヨーロッパG1競走制覇を達成した。
また1999年から2000年にはアグネスワールドがフランスのアベイ・ド・ロンシャン賞とイギリスのジュライカップに優勝している。
ほか日本国内でレガシーワールドによるジャパンカップ(1993年)、エアシャカールによる皐月賞と菊花賞(2000年)、キャプテントゥーレによる皐月賞(2008年)制覇がある。

受賞歴はJRA賞優秀技術調教師3回、同最多勝利調教師2回、同最高勝率調教師1回。

 

橋口弘次郎

大学卒業後の1969年より公営・佐賀競馬で騎手となり1年ほど騎乗、のちに中央競馬へ転じ調教師となった異色の経歴をもつ。
1982年に厩舎開業。

当時としては先進的な調教法であった坂路調教で頭角を現し、1990年にはJRA最多勝利調教師となる。

1992年にGI競走を初制覇して以降、11頭のGI優勝馬を手がけ、地方競馬、日本国外成績との合算では通算1000勝を越える。

 

石坂正

日本中央競馬会(JRA)栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師。

ヴァーミリアン、三冠牝馬ジェンティルドンナほか、数々の活躍馬を管理していた。

佐賀県出身。立命館大学経済学部卒。実子は調教師の石坂公一。