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ガダルカナル島旅行記

2019/8/12 -8/14
聞いたことあるけどあまり知らない島。

簡単にですが紹介します。
みなさんはガダルカナル島というとどのようなイメージがありますか?

おそらく、日本とアメリカが第二次世界大戦で激戦を繰り広げた所ということでは?

ソロモン諸島という国に訪問する日本人は慰霊関係の方がほとんどのようです。

日本からのツアーも少しありますが、結構高額です。

2019年8月、お盆にしては格安の航空券を発見し、衝動的に弾丸旅行を決行しました。

そして帰国後、ガダルカナル島、そしてソロモン諸島という国の今を知ってもらいたく、

この旅行記を書きました。よろしくお願いします。

(2020/10/01 おまけの後日談を追加しました。)

ガダルカナル島(ソロモン諸島について)

ガダルカナル島の玄関口であるホニアラ空港へは、成田から、ニューギニア航空でポートモレスビー乗り継ぎが一般的です。日本線は現在土曜のみなので、短縮する場合は往復のどちらかをさらに香港またはマニラなどの乗り継ぎにする必要があります。今回は行きは上記のポートモレスビー乗り継ぎ、帰りはポートモレスビーと香港を経由するルートでした。香港から羽田は香港エクスプレスを利用しました。ニューギニア航空のCAは日本語は話せませんが、機内の映画には「翔んで埼玉」もあったりしてそこそこ充実したサービスを受けることができました。
スカイスキャナーでベストの航空券を見つけて下さい。(私は評判が?のeDreaemsのチケットでしたが、特に問題なかったです。) 
(現在、ニューギニア航空の日本直行便は運休中です。ブリスベン経由が最短となっています。)
気候は日本の夏と同じく蒸し暑いです。突然の雨もよくあります。治安は普通レベルだと思います。夜間の外出は奨励されないようですが、首都ホニアラ(wikiによると本来はNagoniara(風の前面←何かかっこいい)と呼ばれていたそうです)にはまさかのカジノがあります。興味ある方は行ってみて下さい。夜の歩道は真っ暗です。スーパーは数件あります。大通りでも信号・横断歩道がありません!渡れる時にわたりましょう⁉ソロモンの人はとってもフレンドリーというわけではないですが、話すと優しい人が多い感じです。人より怖いのが蚊です。虫よけスプレーは必携です。
通貨はソロモンドル。(1ソロモンドル=約13円)物価は安くないです。2Lの水が8ソロモンドル、中華食堂で定食が45ソロモンドルでした。換金は空港で米ドルからがレートが良いそうです。ホテルは日系のソロモンキタノメンダナホテルは日本の感覚で宿泊できます。日本食レストランもありますよ。隣にあるHeritage Park Hotel はリッチ系な人向け。格安系(と言ってもそんなに安くない)も慣れている人は大丈夫ですが、寝室の蚊対策は万全に。チップの必要はないようですが、気持ち次第といったところでしょうか。
通貨はソロモンドル。(1ソロモンドル=約13円)物価は安くないです。2Lの水が8ソロモンドル、中華食堂で定食が45ソロモンドルでした。換金は空港で米ドルからがレートが良いそうです。ホテルは日系のソロモンキタノメンダナホテルは日本の感覚で宿泊できます。日本食レストランもありますよ。隣にあるHeritage Park Hotel はリッチ系な人向け。格安系(と言ってもそんなに安くない)も慣れている人は大丈夫ですが、寝室の蚊対策は万全に。チップの必要はないようですが、気持ち次第といったところでしょうか。

戦跡巡り①

今回はホテルの「戦跡ツアー」を申し込みました。「ツアー」といっても私だけで、ガイドさんにマンツーマンで案内してもらいました。日本語が上手で、「世界青年の船」に参加したことがあるそうで、東京大学、大阪大学の研究生?を家にホームステイさせたりしているそうです。そんなことを車内で聞いているうちに最初の訪問地、ソロモン平和慰霊公苑に着きました。碑文にはソロモン諸島の戦いで散華された118,700人の方々への名誉と尊厳の念をもって建立されたとあります。
次に岡部隊慰霊碑のあるギフ高地へ向かいました。ここでは現地のガイドさんがもう一人加わり、激戦の様子、熱帯雨林へと進む日本の兵士の話しをしてくれました。ご自身も遺骨収集に立ち会ったそうです。写真は少し降りたところの展示室です。日米の兵士が持ち歩いていた様々なもの(ヘルメット、弁当箱、食器など)が陳列されていて、中には三菱強壮剤、キリンビールと書いてある空きビンもありました。日本語は昔は右から読んでたと言ったらガイドさん、感心してました。
中でも、現地ガイドさんが取り出してくれたものがこれで、誰の名前かわかるか聞かれました。同類のアメリカ兵のものには名前がはっきり書いてあるのに、日本兵のものは全て番号だけでした。おそらく、日本の兵士はアメリカの兵士と違って、その身に何かあっても名前がわからないように番号で表されていたのでは?と伝えました。すると、当時を知る村の人は日本軍の上官は、部下に命令する際、番号で呼んでいたとのことです。日米の兵士の環境はだいぶ違っていたようです。
中でも、現地ガイドさんが取り出してくれたものがこれで、誰の名前かわかるか聞かれました。同類のアメリカ兵のものには名前がはっきり書いてあるのに、日本兵のものは全て番号だけでした。おそらく、日本の兵士はアメリカの兵士と違って、その身に何かあっても名前がわからないように番号で表されていたのでは?と伝えました。すると、当時を知る村の人は日本軍の上官は、部下に命令する際、番号で呼んでいたとのことです。日米の兵士の環境はだいぶ違っていたようです。

戦跡巡り②

その後、アメリカ軍が上陸した、レッドビーチ、一木支隊忠魂碑などを案内してもらいました。
「お昼はホテルに戻りますか?」と言われたので、ソロモンの人たちはお昼に何をを食べるのか、食べてみたいと言うと、道沿いのお店に連れて行ってくれました。おすすめは魚と右上の黄色い四角いものとのこと。セットで40ソロモンドル。魚は日本と全く同じでとてもおいしいです。黄色い四角いものはサツマイモを練って固めたもので、甘すぎず味は良いのですが、のどに詰まらない餅のような感じで食べるのに時間がかかり、おなかに結構たまりました。
移動途中、学校や学生を多く見たので、子どもたちのことについて聞くと、1家庭は7人くらいの兄弟姉妹だそうで、実際に教育をうけられるのは2人くらいとのこと。この国では6割の人が働くことができない(ガイドさんの話)らしいです。自転車をほとんど見かけないことを聞いたら、高くてとても買えないとのことでした。(後ほど市内で売ってるところを見たら25000ソロモンドルでした。)街中をたくさん走る車も会社等の所有で個人の所有者はほとんどいないとのことです。

後半は、ムカデ高地、全国ソロモン会慰霊碑、写真のビル村戦争博物館へ。ここは飛行機、大砲、零戦のモーターなど多くのものが集めらています。ここの様子はネットでもたくさん写真があるので載せていません。ぜひ直接目で確かめてほしいです。感じるものがあるはずです。
ツアーも終盤、ボネギビーチの鬼怒川丸の見学(トップの写真です)、アメリカの記念碑を見学しました。
鬼怒川丸は近くに見えますが、水深は深いらしく有名なダイビングスポットとのことです。
記念碑の両側の赤い壁にはアメリカ軍がここでの勝利をきっかけに「Tokyo」へ北上する経緯が英語で書かれています。日本の慰霊ツアーではここは組まれていないことが多いようです。

戦跡ツアーはこれで終わりですが、最後に国立博物館横の川口支隊慰霊碑に寄ってくれました。その時ガイドさんも一緒にお祈りしていたのが印象的でした。
国立博物館には「ガダルカナル島の戦いは日米の戦争であり、私たちの戦争ではない」とありました。確かにソロモンの人たちから見ると私たちとは違った思いがあるのかも知れません。
ツアーも終盤、ボネギビーチの鬼怒川丸の見学(トップの写真です)、アメリカの記念碑を見学しました。
鬼怒川丸は近くに見えますが、水深は深いらしく有名なダイビングスポットとのことです。
記念碑の両側の赤い壁にはアメリカ軍がここでの勝利をきっかけに「Tokyo」へ北上する経緯が英語で書かれています。日本の慰霊ツアーではここは組まれていないことが多いようです。

戦跡ツアーはこれで終わりですが、最後に国立博物館横の川口支隊慰霊碑に寄ってくれました。その時ガイドさんも一緒にお祈りしていたのが印象的でした。
国立博物館には「ガダルカナル島の戦いは日米の戦争であり、私たちの戦争ではない」とありました。確かにソロモンの人たちから見ると私たちとは違った思いがあるのかも知れません。

自然巡り①

翌日は、地元ツアー会社の「Mataniko Falls Tour」に参加しました。申し込み時は最少催行5名のようなことが書いてありましたが、今日もマンツーマン!若いガイドさん、さらに2匹の犬も一緒で、8時過ぎ、麓のLeleiという村を出発です。のっけからの強い日差しの中、ガイドさんは裸足でグングン草原の丘(というより山!)を登って行きます。「Are you OK?」「Yes!」を繰り返しながら。ここでバテては日本男児の名に恥じてしまう!そんな気持ちで。ちなみに向こうの山々はギフ高地だそうです。
と言うことは、この辺りも当時激しい戦いの場だったのです。うっすら残る横道のようなものは当時の兵士が進んだ跡。左右には頻繁に兵士が掘った塹壕の跡が現れてきます。落ちないようにガイドさんが逐一注意を促します。遥か向こうに見えていた休憩地のマンゴーの木が近づいてきました。
ガイドさんが麓から持ってきたジュースをごちそうになりました。希少な日陰で涼んでいると、ガイドさんが近くの草原をゴソゴソして何かを持ってきました。何と、戦時中の弾丸、兵士のボタン、ベルトの留め具などです。こういったものがあたりにまだたくさんあるとのことです。
ガイドさんが麓から持ってきたジュースをごちそうになりました。希少な日陰で涼んでいると、ガイドさんが近くの草原をゴソゴソして何かを持ってきました。何と、戦時中の弾丸、兵士のボタン、ベルトの留め具などです。こういったものがあたりにまだたくさんあるとのことです。

自然巡り②

再び、草原の道をアップダウンすると急に森に入りはじめました。かれこれ1時間半ぐらいでしょうか、念願のMataniko Falls に到着です!
華厳の滝と袋田の滝と高千穂峡をまとめたような滝・渓谷セット(ちょっと良く言いすぎ?)です。
写真ではお伝えしづらいですが、なかなかスリリングです。次の写真の犬の奥の滝はすさまじかったです。海のイメージが強いソロモン諸島ですが、山も魅力的です。これまでの疲れが一気に吹き飛んでしまいました。
ガイドさん曰く日本人も来るとのことですが、ネットで事前にMataniko Fallsを調べたら、オーストラリア人ぽい人ばかりでした。けっこう途中でバテる人が多い中、とても頑張った的なことを言われました。よく言われます。秩父で鍛えてますので(笑)。
往復した草道からは離陸する飛行機がよく見えます。ガイドさんから日本はどっちの方向?と聞かれました。北西あたりを指したつもりです。帰りの飛行機から急いで撮った映りの悪いガダルカナル島です。Leleiの人々からこの飛行機見えたかな?
往復した草道からは離陸する飛行機がよく見えます。ガイドさんから日本はどっちの方向?と聞かれました。北西あたりを指したつもりです。帰りの飛行機から急いで撮った映りの悪いガダルカナル島です。Leleiの人々からこの飛行機見えたかな?
いかがでしたか。ソロモン諸島は3日間の滞在だったので、断片的なことしか紹介できていないと思います。

写真の映りが悪くて、良さがどこまで伝わったのか甚だあやしいです。でも何かの役に立てたらとてもうれしいです。

戦跡と自然を組み合わせて紹介しましたが、戦争の影響がいまだに多く残る所であることは事実でした。

しかし、今のソロモン諸島の魅力もオーストラリア人やニュージーランド人のように多くの日本人に知ってもらいたいと思います。

ソロモンには、ガダルカナルの近くにはツラギ、サボア、マライタなどがあり、さらにニュージョージア諸島にも多くの島があります。これらの島にも今度は挑戦したいと思います。

最後になりますが、事前情報収集で大変お世話になったソロモン諸島政府観光局日本事務所、ならびにソロモンキタノメンダナホテルのスタッフの方々にこの場を借りてお礼申し上げます。

ありがとうございました。

(おまけの後日談)

2日目のツアーで見せてくれた弾丸等ですが、ガイドさんにお土産で持って帰ったらどうかといわれ、「流れ」で袋に入れて持って帰ることにしました。
実際の弾丸でもないので大丈夫だという意味不明な安心感(今思うとよろしくない)があったのですが、見事香港空港の検閲でひっかかり2時間近く尋問(まではいかないですが)を受けました。警察官も興味深々でした。この日はデモの関係で欠航便も多かったのですが、羽田行は1時間遅れの出発で済みました。
ようやく帰国したものの、現地で蚊に刺されたところが3日後ぐらいに膿み出し、高熱がでたり、下がったり2~3日繰り返し、これはマラリアでは?と思い、大学病院に急いで行きました。白血球値が異常に下がったりとまずい状況もありましたが、結局溶連菌の一種ということだそうです。

いろいろあった旅行でしたが、やはりまた行きたいと思う魅力的な場所です。