インド(マハラシュトラ州)、東京(表参道)に、拠点を持つ多国籍企業。本社は、緑眩しい宮城県山元町にある。作っているのは、「食べる宝石」とも呼ばれるイチゴ。最高級品は1粒1,000円だ!もちろん、多くの秘密がある。最先端のIT化された農場、社会福祉施設でデザインされたタペストリーがかかるコミュニティスペースに、都心のおしゃれさを持つオフィス空間。今年の初夏には、ここで、ノーベル平和賞を受賞したカイラシュ氏と岩佐が対談したぞ。
この山元は、多くの学びが生れる空間だ。「本じゃだめだ。リアルに山元で感じるんだ!」世界最高峰のハーバード・ビジネス・スクールの学生が世界で唯一5年続けてやってきた場所が東北の被災地だ。そう山元町は、東北の代表的な被災地の一つ。東日本大震災で、大きな被害を受けた。荒々しい太平洋と荒れた海岸線。直線日本一をかつて誇った線路跡を抱え込む大地が残った。変わり果てた町の姿、無くなった知人・友人への想いを秘めて、多くのリーダーが、立ち上がった。岩佐大輝は、その一人だ。彼も、山元の地で目覚め、GRAを創業したんだ。
山元で得られる学びを3日に濃縮したプログラムだ。東日本大震災の爪痕が残る震災遺構の中浜小学校からスタートし、リーダーたちと語り合う。GRAのハウスもしっかり見る。そして、岩佐大輝との対談だ。みっちり彼の裏面のストーリーを含めて、語ってくれる。20代の彼の話は壮絶だ。そして、GRAを作っている彼の壮絶な話も刺激的だ。その間、一緒に学ぶ仲間との繋がりが深まっていくんだ。寝泊まりは、太平洋を見下ろせる自然あふれるミガキハウスだ(予定)。
今回のミガキ塾のファシリテーターは阿部結悟という、尊敬すべき男だ。2012年の「日経ビジネスが選ぶ、平成生まれの30人」に選ばれている。山元で生まれ育って、大学は域外に出たけど、震災があり、山元に帰ってきて、地域でふんばっている男だ。泥臭く、一人ひとりと話をし、支えながら、勇気づけている男だ。きっと、共に学べば勇気づけられるはずだ。
【プロフィール】
一般社団法人ふらっとーほく 代表理事
山元の未来への種まき会議 副代表
平成元年、山元町生まれ。
東日本大震災をきっかけに、Uターンし、宮城県南で人材育成事業、コミュニティ支援事業を開始。
地域資源を活用し、体験プログラムやアートプロジェクトを通じ、地域内外の交流機会を創出する「オンパク」事業や、地域課題の解決に取り組むためのプランを作成する「伊達ルネ塾」を立ち上げ、地域内外の学生・社会人のネットワークづくりをサポートする。
企業と地域の対話と学習の場のコーディネート(「サントリー亘理五感塾」等)を行う。
2012年「日経ビジネスが選ぶ、平成生まれの30人」に選出。
1977年、宮城県山元町生まれ。
株式会社GRA代表取締役CEO。日本、インドで6つの法人のトップを務める起業家。
2002年にITコンサルティングを主業とする株式会社ズノウを設立。
2011年の東日本大震災後は、大きな被害を受けた故郷山元町の復興を目的に特定非営利活動法人GRAおよび農業生産法人株式会社GRAを設立。先端施設園芸を軸とした「東北の再創造」をライフワークとするようになる。イチゴビジネスに構造変革を起こし、大手百貨店で、ひと粒1000円で売れる「ミガキイチゴ」を生み出す。2012年11月にはインドのマハラシュト州タレガオンに先端イチゴハウスを建設。
同年、グロービス経営大学院でMBAを取得。
2014年に「ジャパンベンチャーアワード」で「東日本大震災復興賞」を受賞する。
著書に『99%の絶望の中に「1%のチャンス」は実る』(ダイヤモンド社)、『甘酸っぱい経営』(ブックウォーカー)がある。