6月1日(月)から営業再開致しました。
感染症対策として、マスクの着用と「利用者カード」のご記入などを
お願いしております。
ご理解・ご協力の程、よろしくお願い致します。
塩原温泉との出会い-。
尾崎紅葉、夏目漱石、与謝野晶子夫妻、国木田独歩、平塚らいてう、斉藤茂吉-。
明治・大正時代を中心に、塩原温泉には名だたる文人墨客が足を運んでいます。
都会の喧騒から離れ、良質な温泉で身体を休め、その渓谷美で疲れた心を癒し、
時には情熱的な恋愛の舞台として…。

先人たちの足取り、そして作品に描かれた塩原での旅紀行を辿れば、
ぐっと親近感がわくはずです。
資料展示室では、そんな彼らの足取りやエピソードを解説展示しております。
この機会に、より深く塩原温泉を感じてみませんか。

ご要望があれば、ガイドもお受けいたします。(対応できない日もございます。)

展示内容

塩原温泉年表
塩原温泉が発見されたのは今から1200年以上前の事、古くから湯治場として多くの旅人を癒してきました。明治時代に入り交通網の整備がなされたことで一気に繁栄を極めます。そんな時代の変遷や、文人たちの足取りを年表で確認することが出来ます。彼らの足取りを読み解くと、興味深いストーリーが見えてきます。
風の人 ~塩原温泉を訪れた人たち~
避暑や療養の地として塩原温泉を訪れ、その描写を作品に残した文人たち。塩原の見聞を広めたり、交通整備を進めて塩原温泉の繁栄に貢献した華族たち。
そんな他の地から塩原温泉を訪れ、塩原温泉を愛した人々を「風の人」として紹介しております。
もの語りシネマ
只今の上映内容/「金色夜叉ミステリー」
上映時間 約25分 毎時15分~と45分~

なぜ尾崎紅葉は塩原に来たのか?何を感じ、何を作品に残したのか?尾崎紅葉の足跡を辿りながら、塩原温泉と「金色夜叉」について知ることが出来ます。
    
もの語りシネマ
只今の上映内容/「金色夜叉ミステリー」
上映時間 約25分 毎時15分~と45分~

なぜ尾崎紅葉は塩原に来たのか?何を感じ、何を作品に残したのか?尾崎紅葉の足跡を辿りながら、塩原温泉と「金色夜叉」について知ることが出来ます。
    

塩原三恩人
~塩原温泉の発展に貢献した恩人たち~

三島通庸
西郷隆盛や大久保利通によって手腕を見出された旧薩摩藩士で明治政府の内務官僚。討幕運動に参加、東京府の官吏を振り出しに東京府権参事、山形・福島・栃木県令などを歴任し、地域開発・道路開削に邁進しました。
栃木県令であった明治17年(1884)に塩原街道の開削大工事を完成させ、塩原を一大温泉地として大きく飛躍させました。

奥蘭田
『塩渓紀勝』の著者であり、明治の実業家。
明治21年(1888)に塩原に別荘(静奇軒)を構える。
塩渓紀勝は塩原を紹介した先駆的な書籍で、明治23年に出版されました。全渓を十八景に分けた書物で、原文は漢文で書かれ、全景には̪詩画を配しています。その美しい風景描写は全国の著名人に知れ渡ることとなり、名士の別荘が続々と建てられるようになりました。この『塩渓紀勝』がなければ文豪・文人達はおそらく訪れなかっただろうと云われています。
また、塩原に現存する滝の名称も、奥蘭田によって命名されたものが多数あります。

尾崎紅葉
明治30年から35年まで断続的に読売新聞に掲載された 「金色夜叉」の作者。明治30年世に出されると当時の文学青年や一般の爆発的な人気を得て塩原は一躍全国に知られるようになりました。
紅葉は明治32年に塩原温泉を訪れており、翌33年の「続々金色夜叉」の冒頭の部分では、特に名文として名高く、言葉を尽くして塩原の風景を称賛しています。熱海の海岸が物語の始まりであるならば、塩原は物語が終結に向かう重要な場面が描かれているのです。
紅葉死去の為、作品は未完で終わっています。
尾崎紅葉
明治30年から35年まで断続的に読売新聞に掲載された 「金色夜叉」の作者。明治30年世に出されると当時の文学青年や一般の爆発的な人気を得て塩原は一躍全国に知られるようになりました。
紅葉は明治32年に塩原温泉を訪れており、翌33年の「続々金色夜叉」の冒頭の部分では、特に名文として名高く、言葉を尽くして塩原の風景を称賛しています。熱海の海岸が物語の始まりであるならば、塩原は物語が終結に向かう重要な場面が描かれているのです。
紅葉死去の為、作品は未完で終わっています。

現在の注目展示

~スタッフの自由研究~




文学好きのスタッフによる、自由研究です。

当館スタッフが文献や資料を読み込み、
文人墨客の塩原滞在中のエピソードや、

その人柄に焦点を当ててまとめる手書きのパネルは、
毎回「親しみやすい」と大変好評を頂いております。


今回は海外でも人気が高い新版画家「川瀬巴水」と、
吾輩は猫であるなどで有名な「夏目漱石」の二本立てです。

この2人の巨匠と塩原温泉とのかかわりとは・・・

夏目漱石、塩原滞在中の日記

夏目漱石
本名は塩原金之助。
夏目漱石は大正元年8月に開業したばかりの塩原軌道に乗って塩原を訪れ6泊7日滞在しました。このときの様子は、漱石日記「塩原行」により詳細に読み取ることが出来ます。
漱石は塩原温泉へと続く道をロンドン留学中に旅した「スコットランド」の情景と「塩原」の景観を重ねて、日記に綴っています。


漱石の日記
夏目漱石は生真面目で神経質だったと研究者の間でも語り継がれています。
漱石日記「塩原行」の中でも事細かに日々の出来事を日記に記録しているところでもその性格がうかがえます。
当館では漱石日記「塩原行」の抜粋や、一節を記した文学碑のレプリカも展示されています。
なぜ漱石は塩原に来たのか…夏目漱石と塩原との関わりを読み解くことが出来るかもしれません。

手描きパネル
漱石の足取りやその人柄などを展示しています。手描きのイラストや解説が親しみやすく分かりやすいと、人気の展示コーナーです。
漱石が友人や弟子たちに送った絵葉書、人物像にまつわるエピソードなど塩原にまつわる資料等を基にどなたでも気軽にご覧いただけるよう手描きパネルにて紹介しています。
意外な発見があるかも知れません。
手描きパネル
漱石の足取りやその人柄などを展示しています。手描きのイラストや解説が親しみやすく分かりやすいと、人気の展示コーナーです。
漱石が友人や弟子たちに送った絵葉書、人物像にまつわるエピソードなど塩原にまつわる資料等を基にどなたでも気軽にご覧いただけるよう手描きパネルにて紹介しています。
意外な発見があるかも知れません。

川瀬巴水、浮世絵で描かれた塩原の渓谷美

 川瀬巴水
広重、北斎と並んで海外での評価が高い版画家「川瀬巴水(かわせはすい)」。あのスティーブ・ジョブズもコレクターの一人でした。
巴水は明治16年(1983)、東京都芝区(現・港区)で生まれました。本名は文治郎。生家は糸屋を営んでおり、25歳で父親の家業を継ぎますが画家になる夢を諦めきれず、白馬会葵橋洋画研究所に入り岡田三郎助から洋画を学びます。しかし、挫折を経験し明治34年(1910)27歳の時、一度は入門を断られた日本画家・鏑木清方に再度入門を申し出て許され、「巴水」の雅号を与えられます。
大正7年(1918)、伊東深水に影響を受け版画家に転向し、生涯にわたり風景を版画を主に600点以上の版画を残しました。
昭和27年(1952)には、「増上寺の雪」が伊東深水の版画「髪」と共に無形文化財技術保存記録の作品に認定されました。
昭和32年(1957)自宅にて胃癌のため死去。


巴水と塩原
1918年(大正7年)に、巴水が版画家デビューを飾った作品は「塩原おかね路」「塩原しほがま」「塩原畑下」の3点でした。
巴水は几帳面な性格で、日記や写生を細やかに記しており塩原に頻繁に行っていたことは伺い知ることはできますが関東大震災により大正12年以前の日記や写生帳は焼失したため、若い頃の巴水の塩原での動向はほとんど残っていません。しかし、巴水が本格的に絵画を始めようとしていた明治39年から43年頃までの間に巴水が出した25通の手紙の中に塩原から送った絵手紙が含まれていてその内容をみますと塩原でも真摯に写生に励んでいたことが分かります。巴水にとって塩原は子供時代から思い出が詰まった故郷であり、決して塩原を訪れる「客」の目ではなく、そこで生活する人の視線で風景や空気や人々の姿を捉えそのさまざまな姿に美と愛着を感じていたのでしょう。
日本的で繊細かつ色彩豊かな木版画の風景で見る塩原温泉の風景。100年前の作品にも関わらず、どこか近代的にも感じます。
川瀬巴水ポストカード
巴水が版画として作品に残した塩原の風景は10数点。
巴水が生まれた頃より、明治17年、三島通庸による塩原整備開発以降、東北本線の西那須野駅開通を契機に、東京方面から塩原温泉を訪れる観光客の数が飛躍的に増え、塩原温泉は賑やかで華々しい日本屈指の温泉地として知られていましたが、巴水が制作した塩原の風景作品の多くは『東京二十景』や日光の絵に見られるような華やかさは持ち合わせてはいません。処女作の「塩原三部作」も、その2年後の大正9年に制作された「塩原のあら湯の秋」も観光地の明るい風景ではなく、むしろ閑かで、どこかもの悲しさを漂わせたタッチです。これは巴水が愛着のある故郷塩原を風景や人物を美化することなくありのままに描いた貴重な作品といえます。
そして、険しさが際立つ岩壁を、紅葉の美しさが包み込むような印象の「塩原猿岩」や「天狗岩の下」を始め、疎開中に訪れた旅館(新湯温泉)からの窓越しの風景を描いた「湯宿の朝」は、朝焼けに照らされた山々と格子や調度品などの細やかな描写など、どれも日本らしい美しい作品は海外での人気を誇ります。
塩原の風景11点と、塩原生まれの彫師・礒秀勝が手がけた作品「野州佐久山 岩井橋」を含んだ12点が、塩原温泉限定発売のポストカードとなりました。



 ✿協力・監修✿
    国際新版画協会(Ⅰ.S.A)会長 鈴木 昇氏
川瀬巴水ポストカード
巴水が版画として作品に残した塩原の風景は10数点。
巴水が生まれた頃より、明治17年、三島通庸による塩原整備開発以降、東北本線の西那須野駅開通を契機に、東京方面から塩原温泉を訪れる観光客の数が飛躍的に増え、塩原温泉は賑やかで華々しい日本屈指の温泉地として知られていましたが、巴水が制作した塩原の風景作品の多くは『東京二十景』や日光の絵に見られるような華やかさは持ち合わせてはいません。処女作の「塩原三部作」も、その2年後の大正9年に制作された「塩原のあら湯の秋」も観光地の明るい風景ではなく、むしろ閑かで、どこかもの悲しさを漂わせたタッチです。これは巴水が愛着のある故郷塩原を風景や人物を美化することなくありのままに描いた貴重な作品といえます。
そして、険しさが際立つ岩壁を、紅葉の美しさが包み込むような印象の「塩原猿岩」や「天狗岩の下」を始め、疎開中に訪れた旅館(新湯温泉)からの窓越しの風景を描いた「湯宿の朝」は、朝焼けに照らされた山々と格子や調度品などの細やかな描写など、どれも日本らしい美しい作品は海外での人気を誇ります。
塩原の風景11点と、塩原生まれの彫師・礒秀勝が手がけた作品「野州佐久山 岩井橋」を含んだ12点が、塩原温泉限定発売のポストカードとなりました。



 ✿協力・監修✿
    国際新版画協会(Ⅰ.S.A)会長 鈴木 昇氏
飾っておきたい!

巴水の版画ポストカード

入場料について

1階カウンターでチケットをお買い求めの上、ご入場下さい。
大人 300円
65歳以上/小学生/障がい者手帳をお持ちの方 200円
※年齢を証明できる物や、障がい者手帳の掲示をお願いしております。
那須塩原市民の皆様 無料
団体 20名様以上の団体につきましては団体割引が適用となります。
・一般の団体 270円
・65歳以上などの団体 180円
那須塩原市民の皆様 無料

お問合せ先 塩原もの語り館 ℡0287-32-4000(塩原温泉観光協会)