自転車競技を始めた
きっかけ

中学2年の夏休み、従兄弟の家に5日程泊まりに行った。
従兄弟は小学1年生の時からレースに出始め、
何度か日本一にもなっていた。

僕が泊まっている間も
毎日練習に行っていた。
その間、暇そうにしていた僕を
従兄弟が練習に
誘ってくれたのがきっかけ。

最初は始めるつもりなんて全くなかった。 1週間後、地元の競輪場で記録会があった。
もちろん出るつもりは無かったので、家でテレビを見ていた。 すると伯父から電話がかかってきた。

「あれ、なんで来てないん?」

戸惑いながらもすぐに準備し、

祖母に競輪場まで送ってもらった。

記録会が終わった後、僕も1000mのタイムを測ってもらう事になり、初めてのバンクに緊張しながら発走機に
自転車をセットした。
タイムは1分35秒。遅い。
従兄弟の家に帰ると、僕の母が迎えに来ていた。

卓球部を辞め、陸上部に


仲が良い友達がいるという理由で入った卓球部。
1年の時から市で3位など同級生の中ではそれなりの結果が認められ、中2の夏部長に。

しかし、自転車競技を始めるには圧倒的体力不足の僕。
てっとり早く体力をつけるには従兄弟と同じ陸上部に
入るのが一番だと思い
二学期になるとすぐに退部届を出した。

顧問の先生、担任の先生には
「部長になったばかりやのに無責任」とか
「結果が出てるのに勿体無い」
など反対されたが、それをを押し切り、

陸上部に入部。

楽しく練習

部活が終わると、家に帰り、2人で自転車の練習。
メニューは全て従兄弟が決めていた。

練習と言っても、遊びも含めて楽しみながら。
川にカニ籠を仕掛けたり、モリ突きで天然の鮎を突いたり、神社の裏山で二人で鬼ごっこ、
目的地を決めて、家を出た瞬間ダッシュなど。

そうやって従兄弟と遊びながら、山の足場の悪い斜面で足腰や体幹を鍛え、
楽しみながら練習していた。


自転車が中心の学校生活

自転車の大会はほとんどが県外で開催されていた。
中2の秋からレースに出始め、
多いときはほぼ毎週県外遠征。
体育祭や文化祭にも行けなかった。

自転車漬けの毎日、レースでは弱くてゴールすらさせてもらえない。落車も多くて、怪我だらけ。
最初の1年は自転車競技を始めたことを後悔した。

自転車が楽しくなる

自転車を始めて1年がたった中3の11月、
”ツール・ド・おきなわ” 
という有名な大会で従兄弟と1位2位。

前日に立てた作戦通りにレース展開し、
集団をコントロール出来たのがめっちゃワクワクした。
その大会で初めての表彰台を経験し、ロードレースの楽しさに気付いた。


落車で悔しい思い

高1のインターハイ、ロードレースは1周12.3kmのコースを8周。計98,4km。

ラスト1周、集団の人数も少なくなり、
ペースも上がったが、
なんとか最後の山を乗り越え
ゴールスプリントに備えた。

しかし、残り1kmの下り。前にいた二人が接触。
バランスを崩し落車したのに乗り上げた。
横の茂みに投げ出され、木に激突。
腰あたりを強く打ち、息が吸えなくなった。

少し落ち着いて、
起き上がろうとするけど痛くて動けない。
しばらくして起き上がり、自転車を確認。
壊れてなくて良かった。

初めてのインターハイ。トラブルで最後の勝負に絡めなくなるのは、何より悔しかった。

高2の選抜大会、
1年の時より、かなり余裕を持って走れた。残り3kmくらいから集団は牽制し始め、ペースは上がらないまま
ラスト200mで一人が仕掛けた。
その真後ろにつくことができた。

日本1になる絶好のチャンスにワクワクしたのも束の間。気づくと地面に投げ出されていた。
一瞬何が起きたか理解できなかった。

起き上がり周りを見渡し、落車した事に気づく。
カーボン製の自転車はバキバキに割れ、
ゴールも出来ない。

落車の原因は後ろの人に突っ込まれて、
ホイールがロックした事。
僕に突っ込んだ人は頭を強く打ったらしく、すぐに救急車で運ばれていった。

呆然としたまま壊れた自転車を担ぎ、
応急救護室まで歩いた。
だんだん悔しさがこみ上げてきた。

しかし、レース中の落車はお互い様。自分が原因で人を巻き込んでしまった事もある。
そこで最後のインターハイでは、何が何でも絶対に日本1になると心に決めた。

高校生活

1年
自転車競技部の創部メンバーとして、自宅から40km離れた高校に入学した。
毎日自転車で通学し、
学校終わりには部活の練習。
高1の夏にはインターハイ出場。
全日本選手権では4位に入った。
目標は自転車を始めたときから日本1だったので、嬉しくは無かった。
2年
2年に上がり、4人だった部員が7人になり、夏のインターハイを迎えた。
結果は学校対抗トラック部門、ロード部門、共に総合優勝!
念願の日本1を達成!
ロードレースでは上級生を差し置いて、
従兄弟と1位2位。
一週間後に開催された全日本選手権でも1位2位。
そこから少しずつ高校の知名度も上がっていった。
でも個人種目で優勝したのは従兄弟だけ。正直、実感は湧かなかった。
3年
高3の5月、日本代表としてフランス、スイスに海外遠征。
そこで世界の強さを目の当たりにする。
帰国後、気持ちを入れ直し練習に励み、
迎えた最後のインターハイ。
個人種目では初の日本1を果たした。
3年
高3の5月、日本代表としてフランス、スイスに海外遠征。
そこで世界の強さを目の当たりにする。
帰国後、気持ちを入れ直し練習に励み、
迎えた最後のインターハイ。
個人種目では初の日本1を果たした。

競輪選手養成所受験

部活引退後、競輪選手養成所を受験
高校の時メインでやってたロードレースとは
正反対の競技。

陸上に例えると、フルマラソンと100mくらい違う。

卒業後バイトしながらアマチュア生活午前中は師匠と一緒に練習をさせてもらい、午後からバイト。
1年後 もう1度受験 落ちる

正直、競輪選手にはなれたらいいなくらいに思っていた。絶対プロになるという強い意志も無ければ、命を落とすかもしれないレースを一生続ける覚悟も無かった。
そんな甘い考えのままプロになれるはずも無く、
自転車をやめた。

新しい挑戦

都会で1人暮しをしようと思い、車屋で4ヶ月程バイトを頑張りお金をためる。
丁度コロナが増えだした時期だったので
行けなくなった。

そのバイトは給料はいいけど、拘束時間がながいもっと時間の余裕が欲しいと思ってた時に、
ビジネスに出会う。
すぐ始める

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