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江戸琳派研究

江戸時代初期の京都で俵屋宗達(17世紀前期に活躍)が創始した琳派は、尾形光琳(1658~1716)により、さまざまな流派が活躍した江戸時代絵画の中で最も華麗な装飾様式として確立されました。光琳が活躍した時期の約100年後に、江戸の地で琳派の再興を図ったのが酒井抱一(1761~1828)です。抱一は京都の琳派様式からさらに写実的で洗練された画風を描くようになり、その新様式はのちに、京都に対して「江戸琳派」と呼ばれています。琳派の特徴は描いた自然や人物、動物はそれまでの絵の常識にとらわれないもので、デザイン化や簡略化をして、ビジュアル的な面白さを表現しているのが最大の特徴です。一方で江戸琳派の絵師たちは、風俗画や仏画、吉祥画や俳画などさまざまな主題や作風に対応しうる柔軟性を持ち、多くの文化人との関わりながら、独自の世界を作り上げました。煌びやかな印象を抱きがちな琳派ですが、江戸琳派の絵師たちは、粋で洒脱な俳画やモノクロームの世界をも愛し、表現してきたこともあまり知られてはおりません。私たちはこれらの事実を広く知って頂くために、積極的に所蔵作品の寄託を含め、文献調査の公開を進めています。

琳派とは何か?

 安土桃山時代から江戸時代初期に京都で活動した本阿弥光悦と俵屋宗達(生没年不詳)に始まり、尾形光琳(1658〜1716)と弟の乾山(1663〜1743)を経て江戸の酒井抱一(1761〜1828)に私叔によって継承された、日本美術の装飾的特質を代表する流派として認知されています。世代が異なる宗達と光琳、或いは光琳と抱一の間に直接の師弟関係はありません。宗達、光琳、抱一による一連の「風神雷神図屏風」にみられるように、後の時代の作家が前の時代の作家を慕い、作品を模範として見つめ、写し、学ぶことによって、図像が技法とともに共有され、時代を超えて継承されてきたのです。

江戸琳派の系統

江戸琳派の絵師には、江戸時代から人気を集め絵画界の第一人者であった酒井抱一や近年ようやく脚光が当たってきた弟子の鈴木其一など、一部の琳派の絵師は再評価が進んだ反面、その弟子たちはのほとんどは、まるで存在さえなかったかのように顧みられずにいます。このサイトでは、師匠にも勝るとも劣らない卓越した技量やセンスを持ち、彼らが活躍していた江戸時代、明治時代には名手として評価されながら、大正、昭和と時代が下るに従ってその存在さえ失われてしまったかのような不遇の絵師たちの研究を進め、その画業を紹介していきたいと考えています。古画全般に言える事ですが、公的な博物館や美術館でさえ、作品の真贋を判断できず、既に真筆であることが明確に実証されいるような作品(有力な研究者らが真筆であろうと判断した作品も含む)だけが、繰り返し美術書や雑誌、公的な展覧会の場で公開されるにすぎません。このことは、ひとえに専門家たちの研究が全くと言ってよいほど進んでいないことを物語るもので、昭和初期に確立した知識(史実)をなぞるに過ぎないというのが美術史界の実情です。ここでは積極的に未公開の作品の発表をはじめ、江戸琳派の絵師たちの画業を調査を進め、新たな発見となる発表ができれば幸いです。是非、皆様からの貴重な情報の御提供をお待ちしています。
                        
                    主な江戸琳派絵師             
                
                       酒井抱一

       
        石垣抱真 池田孤邨 鈴木其一 酒井鶯浦  田中抱二 森村抱義 三好元一
                     
        野崎真一 中野其明 鈴木守一 酒井鶯一 村越其栄  市川其融 
             野澤堤雨      酒井道一 村越向栄  稲垣其達  
                       酒井抱祝
               
     
                            

調査・研究中の江戸琳派絵師1

酒井抱一
酒井抱一 山がらと胡桃図

酒井抱一(1761-1828)は、譜代大名・酒井雅楽頭家の二男として江戸に生まれました。文芸を重んじる酒井家の家風を受け、若き日より俳諧や書画をたしなみ、二十代で狂歌や浮世絵などの江戸の市井文化にも手を染めた抱一は、三十七歳で出家して自由な立場に身を置きます。そのころから、宗達、光琳が京都で築いた琳派様式に傾倒し、江戸後期らしい新たな好みや洗練度を加えた、「江戸琳派」と呼ばれる新様式を確立していきます。風流で典雅な花鳥画を得意としながらも、風俗画や仏画、吉祥画や俳画などさまざまな主題や作風に対応しうる柔軟性を持ち、多くの文化人との関わりながら、独自の世界を作り上げました。 抱一の画業を振り返ると、光琳の画題、画風に倣う作品を制作する一方で、吉原を舞台にした洒脱な行事絵や、細密な仏画、復古的画題なども手掛けており、その作品は幅広い分野に渡ります。光琳の後継者として自負しつつ、都市文化の中で育まれた美意識を、高貴で華麗な色彩、肥痩を活かした艶やかな描線、洗練された江戸特有の情緒的な表現といった造形の中に結実させ、成熟期を迎えた文化・文政期の江戸文化において大輪の花を咲かせます

鈴木其一
鈴木其一

鈴木其一は江戸琳派を開いた酒井抱一の一番弟子です。高い描写力に裏打ちされた明快な色彩と構図、驚きや面白みを潜ませる機知的な趣向は、敢えて余情を配するかのような理知的な画風を特徴付けている。琳派の掉尾を飾るとも評されるが、美人画や風俗画などの単に琳派や抱一様式に収まらない、個性的な要素を多く含んでいる。また、雅趣豊かな抱一の作風とは対照的に、硬質で野卑とも言うべき感覚を盛り込んだ其一の作品は、長く国内の評価が低迷し、作品の流失と研究の立ち遅れを余儀なくされた。しかし、近年の所謂「奇想の絵師」達の評価見直しが進むに連れて、琳派史上に異彩を放つ絵師として注目を集めつつある。平成20年(2008年)東京国立博物館で開かれた『大琳派展』では、宗達・光琳・抱一に並んで其一も大きく取り上げられ、琳派第4の大家として認知されつつある。

中野其明
中野其明
中野其明は、中野敬斎の子として天保5(1834)年に江戸にて出生。鈴木其一に学び、内務省博物局に勤めました。また、酒井抱一の『尾形流略印譜』を増補し刊行しています。其明の作品はあまり知られていませんが、其一から受け継いだ繊細で写実的な作風が多く、見事な技量は師匠の其一に勝るとも劣らないのですが、明治25(1829)年の没後は徐々に忘れ去られていくことになります。
中野其明
中野其明
中野其明は、中野敬斎の子として天保5(1834)年に江戸にて出生。鈴木其一に学び、内務省博物局に勤めました。また、酒井抱一の『尾形流略印譜』を増補し刊行しています。其明の作品はあまり知られていませんが、其一から受け継いだ繊細で写実的な作風が多く、見事な技量は師匠の其一に勝るとも劣らないのですが、明治25(1829)年の没後は徐々に忘れ去られていくことになります。

調査・研究中の江戸琳派絵師2

野崎真一
野崎真一筆

野崎真一(1821~1899)は、酒井抱一門下の石垣抱真の子で、鈴木其一の弟子(つまり酒井抱一の孫弟子)として、幕末から明治へと大きく時代が変化した最中にあって江戸琳派の継承者として活動していましたが、主な作品は海外に流失し、日本では作品数も少ない殆ど忘れ去られた絵師となっています。この作品は真一の絶筆と思われる作品です。真一が無くなる年の正月に描いた試筆の作品で、抱一が好んだ絵画とオーバーラップしてきそうです。

酒井道一
酒井道一

酒井道一は酒井抱一門である山本素堂の次男です。はじめ父および鈴木其一に琳派を習い酒井鶯一の娘と結婚しました。婿養子となり、雨華庵4世を継ぎます。「雨華庵」とは抱一が隠棲した自宅兼画室。維新後は明治10年より始まった第1回内国勧業博覧会に《草木雑花彩色画》の他、扇子の画を担当した作品2点を出品ています。同26年に行われたシカゴ万国博覧会にも出品。翌年、明治天皇の銀婚式の際には屏風絵を献上しています。書・和歌もよくし中井梅成に学んだようです。特に書は江戸琳派絵師随一と呼んでも良いほどの達筆で、この作品の落款や外箱への箱書きは見事です。なお、海外の著名な日本画コレクターから「歴代の琳派絵師に比較すると技量が劣る」という内容の名誉を損なう意見を見かけましたが、道一の作品は非常に緻密で、琳派特有のたらし込み技法は、この作品のように宗達・光琳をはるかに洗練された完成度の高い表現です。江戸から明治への一大変革期において琳派継承者の筆頭として確たる存在感を示した絵師です。

村越向栄
村越向栄

村越 向栄(1840 - 1914)は、江戸時代末期から明治にかけての教育者で江戸琳派の日本画家です。通称、撲。不必庵、欣々と号しました。父・村越其栄より絵を習い慶応3年(1867年)其栄が亡くなると、すぐに「東耕堂」を引き継ぎその堂主となった。明治6年(1873年)学制頒布により「私立村越小学校」(通称「村越学校」)と改称しました。明治15、17年(1882年、84年)第一回、第二回内国絵画共進会に「光琳派」の画家として出品。明治28年(1895年)向栄は村越学校の経営を手放す。学校は明治43年(1910年)大洪水被害によって廃校になるまで千住地域の教育を担いました。
明治39年には酒井道一、稲垣其達(父其栄の師・鈴木其一の門人)、野沢堤雨(抱一高弟・池田孤邨の弟子)と共に四皓会を結成しています。この作品は明治33年に描いた2幅のうちの1幅。見事な写実性を発揮した「鶴の画」です。

村越向栄
村越向栄

村越 向栄(1840 - 1914)は、江戸時代末期から明治にかけての教育者で江戸琳派の日本画家です。通称、撲。不必庵、欣々と号しました。父・村越其栄より絵を習い慶応3年(1867年)其栄が亡くなると、すぐに「東耕堂」を引き継ぎその堂主となった。明治6年(1873年)学制頒布により「私立村越小学校」(通称「村越学校」)と改称しました。明治15、17年(1882年、84年)第一回、第二回内国絵画共進会に「光琳派」の画家として出品。明治28年(1895年)向栄は村越学校の経営を手放す。学校は明治43年(1910年)大洪水被害によって廃校になるまで千住地域の教育を担いました。
明治39年には酒井道一、稲垣其達(父其栄の師・鈴木其一の門人)、野沢堤雨(抱一高弟・池田孤邨の弟子)と共に四皓会を結成しています。この作品は明治33年に描いた2幅のうちの1幅。見事な写実性を発揮した「鶴の画」です。

所蔵品一覧
寄託作品を除き所蔵品はリ-スが可能です。

作品名 貸出状況

1.土佐光孚 甲冑図 江戸時代後期 1幅 ※川越歴史博物館寄託中

寄託中
埼玉県 川越歴史博物館

2.狩野董川中信 鷹に桜花図  江戸時代後期 1幅 表具補修



3.酒井抱一 山雀と胡桃図 江戸時代後期 1幅

4.狩野典信・惟信 西王母と東方朔花鳥図 江戸時代中期 3対幅 父子合作

5.荒木寛畝 金魚図 明治20年 緑書房刊「ランチュウ花傳」に関連内容掲載

1幅 共箱 ※弥富市歴史民俗資料館寄託中

寄託中
愛知県弥富市歴史民俗資料館

6.山口素絢 雷鳥図 江戸時代後期 1幅

7.熊代熊斐 イスカ図 江戸時代後期 1幅

8.大国隆正 和歌に鶴図 文久5年 1幅  ※津和野美術館寄託中

寄託中
山口県 津和野美術館
9.荒木十畝 春閑 昭和14年
美之国15周年記念日本画展出品作・図録・記念絵葉書有
1幅 共箱 ※長崎県大村市歴史資料館 寄託中
寄託中
長崎県大村市歴史資料館

10.鈴木其一 鶏図 江戸後期 1幅 共箱


11.中野其明 鶏図 江戸後期~明治 1幅 共箱



12.村越向栄 鶴図 明治33年 双幅 共箱



13.村越向栄 秋草図 明治時代 1幅 表具補修



14.狩野友川 虎図 江戸時代 1幅



15.狩野典信 鷹図 江戸時代 1幅   軸先破損



16.成瀬正典(犬山城主) 鷹図 江戸時代 1幅

表具劣化の為、長期補修作業計画中。賃貸借出来ません。

17.野崎真一 亥図 明治32年 1幅 



18.今尾景年 四時花鳥図 明治38年 4幅 共箱 頼母木家売立品
昭和8年 東京美術倶楽部会場 売立目録掲載資料あり


調査中のため賃貸借できません。

19.狩野尚信  翡翠・寿老人・尾長鳥 江戸時代前期 3幅
メトロポリタン美術館に類似作例所蔵

20.菊池容斎 高砂 江戸時代後期~明治時代初期 双幅
※横幅作品が明治40年刊の美術画報(1907.10.5号)に掲載

3.酒井抱一 山雀と胡桃図 江戸時代後期 1幅

江戸琳派の作品に限らず、中世から近世、近代にかけて描かれ、国内で十分な評価がなされていないまま海外流出が顕著な、いわゆる「日本画」を調査・研究し、その価値を正しく評価できる資料を作成するとともに、広く日本国内で理解されるべく活動に取り組む一環として、公的機関や私設美術館等へ作品を積極的に寄託しています。そのほか、店舗・舞台撮影等へのディスプレイとしても利用できるようリース契約で貸し出しも行っております。ご希望の作品がありましたら、お電話かメールにてご連絡をお願い致します。

収蔵品図像1

1.土佐光孚 甲冑図

狩野中信
2.狩野董川中信 
鷹に桜花図 

3.酒井抱一 
山雀と胡桃図

狩野栄川 狩野養川 
4.狩野典信・惟信 
西王母と東方朔花鳥図

荒木寛畝 金魚図
5.荒木寛畝 金魚図

6.山口素絢 雷鳥図

7.熊代熊斐 イスカ図

8.大国隆正 和歌に鶴図

6.山口素絢 雷鳥図

収蔵品図像2

荒木十畝
9.荒木十畝 春閑

10.鈴木其一 鶏図

11.中野其明 鶏図

12.村越向栄 鶴図

13.村越向栄 秋草図

狩野友川 虎図
14.狩野友川 虎図

15.狩野典信 鷹図

成瀬正典 鷹図
16.成瀬正典(犬山城主)
 鷹図

狩野友川 虎図
14.狩野友川 虎図

収蔵品 画像3

17.野崎真一 亥図

今尾景年 四時花鳥図
18.今尾景年 四時花鳥図

狩野尚信
19.狩野尚信
翡翠・寿老人・長尾鳥
3幅 江戸時代前期

菊池容斎
20.菊池容斎 高砂

菊池容斎
20.菊池容斎 高砂

収蔵品の賃貸規程

東武朝日新聞文化事業部を甲とし、賃借する側を乙とします。 

収蔵品の賃貸 乙は甲に対し、甲の所有する収蔵品の借用を依頼し、甲は収蔵品を受託して乙に賃貸し、乙は収蔵品を賃借するものとします。 収蔵品賃貸借の内容 乙は甲に対し次の義務を依頼します。展示公開されるに限り、収蔵品の展示・解説パネルの作成。

3. 賃貸料 運送費 収蔵品の賃貸料は下記の通りとします。

甲の所有する収蔵品の基本賃貸料は1ヶ月単位とし、軸装品3万円(税別)・屏風一隻5万

円(税別)とします。収蔵品の運送料(往復分)は、乙の負担とします。

修復中の作品や貴重品以外でも、展示場所の環境により、貸出しをお断りする場合があります。

保険・賠償責任

保険料は収蔵品の評価金額 × 1 % として計算します。甲の所有する収蔵品に対する保 険は、甲の負担とします。

乙は、甲の所有する収蔵品を破損・損失した場合は、その損害(保険料のみ)を賠償しなければなりません。

但し、乙側の責任に帰さない場合は、この限りではありません。

遵守義務 乙は下記の事項を守らなければならないものとします。

① 乙は、甲の所有する収蔵品を第3者に、貸与又は譲渡しない事。

乙は、甲の所有する収蔵品に触れたり、形質を変えたり、改めたりしない事。

東武朝日新聞・文化事業部 アクセス

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