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公民科教師:田村泰彦

プロフィール

公民科(政治経済)専任教師・田村泰彦です。

企業の経営者にとって、自社の事業の範囲の決定は戦略的に非常に重要な事項でしょう。

新たな分野でのビジネスに進出するとき、その事業を企業内で事業部の追加や社内ベンチャーを通して行うか、それとも別会社化して行うか。

自社製品の部品をサプライヤーから調達するか、それとも自ら生産するか。

今日、そのような問題の分析が応用ミクロの見地から行われるようになってきました。

ノーベル経済学賞のロナルド・コース先生による先駆的研究なしには考えられなかったことでもあります。

ビジネスス教育の変容 - 田村泰彦

1980年代、「エージェンシー理論」や「効率的市場仮説」といったものが、ビジネススクールの授業で取り上げられるようになりました。

そのころ、世の中の経営理論・経済理論にもう一つの抜本的な転機が訪れました。

「経営者資本主義」が、「投資家資本主義」に道を譲るようになったのです。

MBAの学生が教えられるのは、「経営者は株主の代理人」だということです。

ここで見落とされたのは、そのような経営者の役割や責任にまつわる見解が、伝統的なプロフェッショナリズムの概念とまったく相容れなかったという点です。

ホッブス的自己利益追求

アメリカのビジネス教育を改革するという戦後の試みは、予期せぬ結果をもたらしました。

イギリスの哲学者、トーマス・ホッブス的な純粋な自己利益の追求という倫理観が勢いづきました。

経済学という極度に抽象的かつ体系的な「科学」の力を背景に、ビジネススクールがかつて教えようとしていた職業倫理は軽視されるようになりました。

経営者は他のどんな社会集団とも比較にならないほど、大量の物資や人材を支配しており、アメリカ社会において優勢な存在でしたあ。

さらに彼らは、その価値観や規範、さらには方法論を、法律や医療といった、より歴史が長く、かつ自律的な職業分野にも押しつけることができました。

経営者は技術者から経理マンへ

19世紀末から20世紀へとアメリカの企業を率いた多くの経営者は、フォードに代表される技術者出身でした。

それは、ものづくりが中心の時代を反映していました。

20世紀の前半、大企業の経営者の多くは、マーケティングに習熟した人たちでした。

そして戦後の経営者の多くはビジネス・スクール出身で、経理と金融操作の錬金術士たちに変わっていいきました。

企業合併、分割、証券化、格付け、上場--。

その多くは投資銀行が関係し、その極致はデリバティブ(金融派生商品)の技術でした。

投資銀行の躍進

アメリカの1930年代は、投資銀行にとってたそがれの時でした。

ニューディール政策が彼らの冬の時代を作ったのです。

しかし、第2次大戦後、とくに1980年代以降、機関投資家の運用する累積した資金と、通信革命・IT(情報技術)によって、投資銀行は国際的に活躍の場を見いだしました。

そのための自由な市場、規制のない資金移動、時価会計によって、含み資産もあぶり出されました。

四半期ごとの決算で、株式価格が変動していくのに対処する株価至上主義の経営が主流になりました。



田村泰彦