信教に自由がありますように。

最近、自分の所属していた宗教団体を脱退しました。

8月20日付で郵送したのでその前になりますが、総本山へ電話しました。

「岐阜法蔵の松葉の飯沼ですが。お世話になってます。」

「念仏宗を脱退したいんですけど。・・・

手続きのようなものはありますか?」

「総本山宛に意思表明を送ってください。」

「ではFAX番号を教えてください。」

「FAXじゃなくて郵便で送ってください。」

と、いうようなやり取りがあって8月21日に速達で送りました。

10日ほどたっても返事がないので、郵便物が総本山に届いてるかを確認し、

9月4日、他に手続きがないかを電話で聞きました。

そしたら手続きはこれで終わりだというので一安心しました。

しかし、家に帰ると自分名前で、お布施の振込み用紙が届いていました。

まあ無視しましたが、来月(11月分)も着ていたら、

問いただしてみようと思っています。

1日に5,6時間の就業でいいや。

9月1日金曜日ふと時間が空き、日頃から思っていた残業のことに気がゆきました。

残業多すぎ、定年を迎える前に死を迎えてしまう(霊魂が死んでしまう)。

何とかならないものかと労基署に電話した。

内容は、あらかじめ調べたサブロク協定について。

どうやら残業じたい、この協定がないとさせてはいけない決まりになっているようです。

そしてその届出がちゃんと労基署に出されているか確認しようと電話しました。

答えは「労働局に開示請求をしてください」との返事。

労働局に電話をしたら、

「究極的にいうと、会社に”36協定の内容を見せてください”と言えば見せてもらえますよ。」

というので「見せてもらえなかったらどうすればいいですか?」と聞いた。

そしたら「みせなければならない」という決まりがあるらしく。

どんな決まりか詳しく聞いたら労基法106条の第1項にある。と自分でも確認しながら、

電話でやりとりした。

ウィキペディアに載っていた内容では、

「常時、各作業場の見やすい場所へ掲示し、又は備え付けること」とあった。

電話のやりとりでは労基署の知識不足か、もしくは私の伝え方が悪かったのか、

いずれにせよ労働局の出る幕では無かったみたいです。

大垣の労基署には電話を入れておきますとのことでした。

従業員だけでなく会社も決まりは守って欲しいですよね。



N宗のイニシャルN.Nさんへ

青年部から一般の部で活動するようになって、

組織内の仏教に対する無知さや後ろ向き加減が目に入る様になってきました。

なによりも私の疑問に答えてくれる人はおろか、

疑問を理解してくれる人すらいませんでした。


決定的だったのは聖書の内容と教団の教えとの比較が出来た事です。

これによって疑問が解け、小仏像を捨てるに至りました。


まずはNさんと電話で話していた内容から、

次に私がお参りに行かない理由を説明いたします。


もうお忘れかもしれませんが、

 聖書よんでる人=クリスチャン ではないのですよ~。

という事を電話で話してたと思います。


理由は2つ①ユダヤ教徒、イスラム教徒も聖書を読む②クリスチャンの中にも偽物がいる。


 ①は簡単で聖書は新約聖書と旧約聖書を合わせて聖書と呼んでいて、

 新しい約束と古い約束って書きます。

 でユダヤ教では旧約聖書を正典としてるということです。

 イスラム教でも教典とされています。(ウィキペディアより)


 ②は分りやすく言うと聖書を読んでいない人です。

 会社の上司や親戚筋に薦められて教会に所属している人

 や読んでいてもまったく理解していない人。


私はどこの教会にも所属していませんし、偽物になりたくもありません。

なのでNさんのいう”クリスチャン”は”どこかの教会の人”

という意味で話していると思ったので、私はクリスチャンではないと答えました。


以上が理由です。


お参りに行かない理由は、聖書を読んだからと話しましたが

天地を造った方が偶像崇拝を禁止しているからです。



たとえば教団では、「信仰はお参りに始まりお参りに終わる。」

と言って別院などに出向き仏像を拝みます。


また「信即所言之理順」(般若経)といって

「信じるとは即ち、そのひとの言う所のことわりにしたがう」

と説明しています。つまり口伝を請う事を信仰としています。


しかし聖書の中のヘブライ人への手紙(11章1節)では

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

と書いてあります。


また、出エジプト記(20章)には「神はこれらすべての言葉を告げられた。…(1節)

あなたはいかなる像も造ってはならない。…(4節)

それらに向かってひれ伏したり、…つかえたりしてはならない。(5節)」とあり


ペトロの手紙①の「律法で禁じられている偶像礼拝(4章3節)」や


聖書の詩遍には「国々の偶像は金銀にすぎず人間の手が造ったもの」

「口があっても話せず、目があっても見えない。」

「耳があっても聞こえず…足があっても歩けず…」

「偶像を造り、それに依り頼む者は、皆、偶像と同じようになる。」

「…主に依り頼め。…天地の造り主、」

「主が、あなたたちを祝福してくださるように。」(115章4節~15節)

などと書かれています。


世界人口の約3分の2半分以上が読んでいる超ロングセラーの書物に書かれてある事です。


いくら日本人に無神論者が多いといっても何かしらを感じて信じています。

神仏をしんじていないのに初詣にもゆくし、クリスマスに行事を行う。


見えないものを感じ、触れることが出来ないものを信じることができるのに、

文字になって残っている神の御言葉を無視して、

わざわざ神様に逆らうことをするでしょうか?


仏教では求不得苦、聖書には求めれば与えられる。と伝えていますが、

意味はまったく逆。求めて、得られるか得られないか。

なぜ神様の逆を行うのでしょう。

私は主なる神様にしたがおうと心がけるので仏像も拝まない訳です。


家系と親族

【先祖】高祖父 飯沼 丈次郎
  (じょうじろう)1840年 生まれ
   22歳のとき「丈三郎」という身内を
   亡くしている。
  (兄弟か親か誰かは判別不能)
 曽祖父 飯沼 圓右エ門(そのえもん)
     国枝 金松
 祖父  飯沼 三三、 本田 初次郎
 祖母  飯沼 しずえ(死別)
     飯沼 速水(旧姓:国枝)
     本田 文子(旧姓:石田)
 父 飯沼 明之(旧:明美)
 母 飯沼 千代子(旧姓:本田)

【兄弟姉妹・いとこ】
 姉 伊藤 裕子   弟 西 俊也
 父方 みゆき、ひでき
    しんご、もとみ、まこと
 母方 ゆかり、なおひさ、みか、もとはる
    かつとし、ともひろ

【おじ・おば・おい・めい】
    友子、進、博、ふじお、徹
    みさこ、正二、みちこ
    ゆうな、ゆうり、しんゆう、ちゆう

説法の内容をメモしてはいけない。なぜ?

矛盾が明確になるから。でも、これはあとになって理解したこと (5月30日現在)。

メモをとらせない理由、それは「ショウホウヒボウザイ(誹謗罪)」につながるから。 だと教えられました。

メモを残すと正法(ショウホウ)を知らない人が説法の内容を知ってしまう。

説法の内容は仏に成る為には正法{弥陀の18願(儀式作法によって仏に成る)}しか方法がない。ということを前提で進められてゆきます。

しかもこの「儀式」、最初に”お鈴(オリン)”を鳴らして「絶対に他言いたしません」と仏像の前で誓って始めます。

もちろん当の本人は何を他言してはいけないのかわからないまま誓います。 (儀式の練習のようなものが事前にあり、「大きな声で言ってください」とだけ教えられました) 

なので第三者に儀式の内容が言えないのです。だから第三者には信心深い人に見えるかもしれませんし、本人も誓いを守っているといるから正しい事をしていると思っています。

仮に儀式の内容を言ったとしても、仏に成れる根拠は見当たりませんが。

化佛、化菩薩を拝めることが成仏の証ですよ。と教えられましたが、昔から見えてたという人もいました。

ということは儀式によって見えるようになったわけではなく、むかしから見えてたもの(太陽や月や内視現象のようなもの)が成仏の証だと教えてもらっただけのことですよね。

まあ、わたしは仏になりたくないし、死んだ後極楽浄土に生まれなくてもいいので、儀式の内容を聞かれれば答えますが。

忘れてもいいように、こうして説法の内容をメモをしているわけですが、むしろ刷り込まれた嘘を自分の頭から切り離すため、忘れるために、聞いた話を記録してゆこうと思います。

他にも「なぜ言ってはならないのか」最初のうちは「何を言ってはならない」のか分らなかったので、説法の内容を聞きいて理解しようと努めていました。

まわりの信徒の人たちも分っていない様子でしたし、「説法は寝ていても毛穴からも入るから聴聞に来ることが重要」と口伝えられて、常識となっていました。皆、厭々聞きに行くのも常識でした。「疑うことは悪いこと」だと頭にインプットされています。

「何でもかんでも疑うな、ということではなく、正法を疑うなということです。」と聞きましたが、「心の中で疑っても罪を犯したことになる」とも聞きました。なので疑問に思うことも理解しようとしないのでしょう。

「なぜ儀式作法(正法)の内容を言ってはいけないのか」という疑問に対する答えを説法の中に、聞くことが出来ました。

・法力がなくなる。
・伝えられた人が疑う。
・間違って伝える可能性がある。

など、長年聴き続けた結果ようやくまとまってきました。活字にできるようになってきました。
「疑う事は善い事だ」と思える今日このごろ。
疑われる方はそれなりの理由があります。

根尾~冠山峠→久瀬村~帰宅



                                   2018年八月九日




横山ダムの下にはかつて村がありました。

私がその村を始めて目にしたのは幼少のころ。

なので記憶はうる覚えですが、

母方のおじに連れて行ってもらった記憶があります。

「このむらはもうすぐダムに沈む」

といわれ車の中から村を見下ろした記憶があります。

なんせ遠くからで、初めて来た、山の中の、思い入れもない村です。

漠然とはかない気持ちをもっただけでした。



今日、横山会館というところの、もと住人に話をきいたり、

VTRなどを見て、なかなか賑やかな僻地だったと思いました。

ダムは必要ないので取り壊されれば、その村が復活するかも

などと思いながら、もったいない気持ちと興味をもって村をでました。

何でダムなんか作るのだろうと大人たち世の中の人に

むかし尋ねたことを思い出しました。

今になってそのダムが日本一大きなダムだと知りました。

しかし、その疑問をもったまま移住した方のメッセージも

その横山会館に飾ってありました。






編集画面では動画は再生されません。






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