国芳スカイツリーは
オランダの建物の尖塔だった

国芳の描いた「東都三ツ股図」 
= 「とうとみつまたか」 
に画中の(う)と(けちっ)を入れると
「とうとみつけちたか」=
「とうとうみつけちまったか」
この謎を解明する。

歌川国芳とフェルメール、      シーボルトの接点。

国芳筆「東都三ッ股図」の謎を解明

国芳の「東都三ッ股図」は、オランダの

画家フェルメールが1661年に描いた

「デルフトの眺望」に、国芳が謎を掛けて

描いた画である。

 

先に(画)から解く。

1、「東都三ッ股図」と「デルフトの眺望」は

前面に浜、中景に水面と街並み、背景に広い

空を描き両画共ほぼ同じ構図である。

2、「デルフトの眺望」は、6艘の船が埠頭

に停泊するが「東都三ッ股図」では6艘の

船総てが埠頭から離れる。これは国芳が、

(デルフト)に(出埠頭)を掛けたもの。

描かれる6艘の船は、両画とも同じフォルム

である。

3、国芳は(デルフト)に多くの(でるふと)

を掛けている。次に例を挙げる。

(出二鳥)鴎が上空に1羽、6羽、4羽、3

羽と飛ぶ。3羽から2羽を(出二鳥)すると

1羽、6羽、6羽、1羽の並びに代わる。

これは、フェルメールが「デルフトの眺望」

を描いた1661年と一致する。

(出二塔)左上の二の尖塔を聳えさせた。

(出付戸)建物の屋根、アーチを船に付随。

(出付跳)埠頭の跳ね橋を屋形船の屋根に。

(出鵜頭)中央で男が、鵜飼をしている。

続いて(画題)から解く

画題「東都三ッ股図」に画中の鵜(う)

と(けちっ)を入れると。

「東都三ッ股図」=「とうとみつまたか」

=「とうとみつけちたか」=

「とうとう見つけちまったか」=

「東都三ッ股図」は「デルフトの眺望」に

謎(でるふと)を掛けて描いた画。 

解説)オランダ人の(けちっ)は、今も

世界の共通語である。(Let go Dutch)

画中には、フェルメール、デルフト市

のオランダが登場している。

 

1828年、オランダ商館医シーボルトは

江戸に滞在中国芳にフェルメール、ブリュ

ーゲル、ルーベンス等の情報を伝えた。


国芳の「通称水滸伝豪傑 智多星呉用」は

フェルメールの「天文学者」の左部分と

フェルメールの「地理学者」の右部分を

一枚の画として描いたものである。又、

国芳の「佐貫院眷属をして為朝をすくふ」

はブリューゲルの「BigFish eat

LittleFish」を参考模写した画である。

 

国芳の描いた「東京 スカイツリー」は

デルフト市の建物の尖塔であった。 以上

2つの絵を比較

歌川国芳
東都三つ股の図

https://blogs.yahoo.co.jp/torikera3/35681542.html
より転載。

フェルメール
デルフトの眺望

Wikipediaより転載

 国芳の画の謎を徹底解明した。

後半に、国芳筆「東都御厩川岸之図」と

「東都名所 新吉原」の2画を解明。

 

国芳筆「東都御厩川岸之図」を解明

この画は、1860年 大老井伊直弼が桜田門

外で襲撃された「桜田門外の変」を描く。

東都御厩川岸之図

1860年3月24日、桜田門外の変。
中央の人物は大老井伊掃部直弼。
右に1860番の番傘を差した黒澤忠三郎。

先に(画)から謎を解く。

1、井桁模様の手拭いを頭に巻き、鴨を捕る

網を持つ男が井伊掃部直弼。桶にはイイ鴨。

解説)井伊家の家紋は井桁である。井伊家は

代々掃部(いいかもん)職を世襲する。

2、1860番の番傘を差し、右脇に三本の笠

を抱える刺客が、ピストルで井伊掃部直弼

を狙撃した元水戸藩士 黒沢忠三郎である。

解説1)1860年は桜田門外の変が起きた年。

解説2)三笠山に出でし月かも。(百人一首)

三笠=出でし月=丸い玉が出る=ピストル。

突撃の合図に、黒沢が発射したピストルの

玉が既に井伊直弼の腹部を貫通していた。

3、左からも3人の刺客が忍び寄る。

4、全員裸足(全員逝ってしまった)。

5、彼方に桜田門が霞んで見える。 

次に(画題)から解く。

「東都御厩川岸之図」=「とうとうまや

しのず」=「とうとう まやが しのず」

=「とうとう猫が死の図」

=「とうとう井伊掃部直弼が死の図」。

解説1)まやは猫。(沖縄、奄美の方言)

解説2)猫は井伊家の守り神、猫と言えば

井伊掃部直弼。(今は、ひこにゃん)

国芳筆「東都名所 新吉原」を解明
この画は、1858年名将軍徳川家定の死去と
後の将軍は誰なのかを描いた画である。

東都名所新吉原

将軍家定の死を描いた。
中央の人物が将軍徳川家定。

先に(画)から解明。

1、大きく焼けた月が出る。

解説)大きく焼けた=公方(おおやけがた)

=将軍徳川家定。

2、中央で歌を口ずさむ男が将軍徳川家定。

解説)名将軍徳川家定は、世事に暗く愚か

で迂愚と呼ばれていた。(迂愚が)、歌(う)

3、左で、顔を覆う(世を忍ぶ)男が将軍

候補一橋慶喜(よしのぶ)、手拭いを取る

男(形を明かす)が徳川斉昭(なりあき)。

4、駕籠が足早に立ち去る。

解説)1857年、将軍徳川家定を補佐した

中老阿部正弘が死去。(加護が去る)

5、幕府の狗が窺う。背景に田(だ)。

 

次に(画題)から解明。

画題「東都名所新吉原」に画中の、

(迂愚が)、田(だ)、歌(う)を

書き入れると、次の様になる。

「東都名所迂群がし原」=

「とうとうめいしょうぐんがしんだ

ようしは」=

「とうとう名将軍が死んだ養子は」

名将軍徳川家定が死去、徳川家茂が養子に。



国芳筆「東都名所両国の涼」は1853年の

ペリー艦隊来航を描いた画であり、国芳筆

「東都名所浅草今戸」は大老井伊直弼の

独裁を揶揄した画である。

 他の「東都シリーズ」の謎解きは、著者

の(ペライチ岩瀬道夫)を参照ください。

岩瀬 道夫

2018年9月18日
岐阜県不破郡垂井町

画像はhttp://artmatome.com/様より転載。