講師プロフィール

  • 山本雅子(MASAKO)   

    ◆師事
    故上原貞夫、萩原耕介、Robert Davidovici、故数住岸子、Peter Kenote、マイアミ弦楽四重奏団(Ivan Chan、Keith Robinson)

    ◆参加音楽祭
    ひたち室内楽フェスティバル、Rockland Institute、Kent Blossoms Music Festival(室内楽)、第3回室内楽セミナー「秋吉台の響き」


    ◆経歴・資格        

    2015年精神対話士養成講座基礎課程《第175回》修了。メンタルケア・スペシャリスト(一般財団法人メンタル協会)の認定。バイオリンレッスンを通じた対話に生かす

    2019年経営塾に入塾し学ぶ
    2019年mpiフォニックス英語指導法セミナー受講
    2020年楽譜読みを苦手とする人のための指導法として、一般社団法人フィギャーノート普及会HappyMuseフィギャーノートベーシックインストラクター認定
    2021年1月オンライン指導講座受講
    2021年2月全米ヴァイオリンレベル認定試験、受験対応教室認定。
    2021年3月 教材リリース〈バイオリン入門編〉ゼロから始められる「きらきら星」
    2023年12月 2020年コロナ禍から始めた練習会イベント(オンラインからスタート、自主参加型)が33回目となる。仲間との交流や学びの機会としている。
    2024年3月音いろはメソッド認定教室に登録。分かりやすい指導、繊細な子に対応した指導法。
        

    ◆私のこと

    夫、息子、インコ2羽がいる。バイオリン指導歴20年以上。

    日立市出身。のちに水戸市へ転居。両親は楽器はできませんが母が音楽が好きでした。たくさんの子供がピアノかバイオリンを習っていた当時、私は3歳半からバイオリンを始めました。幼稚園のお遊戯室を借りて行われていたレッスンは私はよく泣きながら弾いていました。

    レッスン中に感情的に大きな声を出す先生、そして、バイオリンが涙で濡れている記憶が大きいです。楽しいとか嬉しいとか思う暇はなく、とにかく言われた通りにやる厳しいレッスンでした。私の指導はその反面教師です。小さいころの発表会では毎回演奏が止まってしまい、何気ない先生の言葉がかえって心に引っかかって毎年毎年上手くいかない、そんな経験があります。

    バイオリンを弾くことは一時期悩んだ思春期の心身の不調も紛らわしてくれる、自分にとっては一つの支えのようなものになっていきました。それはまだ音楽の道などひとつも考えたこともない頃です。その後、高校はバイオリンの練習やレッスンに力を入れながら好きな手芸が出来る家政科への進学を選び、食物・被服・保育全般を学びました。バイオリンのレッスンは週一回、普通列車で片道2時間かけて大学の先生の元へ通いました。



    ◆本格的な音楽の道へ

    音大時代は、華やかな学生たちとの差を感じることもありました。とても高価な楽器を所有する「お嬢様」との違い、楽器の良さと英才教育による音色や技術力の差、防音完備のアパートで練習やプライベートの環境が整う環境の差。しかし、器楽科と比べて授業数の多い音楽教育学科、そして、地方から来た学生4人部屋の寮生活は、その差を埋めるかのように限られた環境と時間の中でのやりくりに慣れて充実していました。自分が所有している楽器のレベルで、いかに響きのある音を創り出すかということで技術力を上げることに没頭しました。工夫や順応することを学び得た4年間でした。中学校への教育実習の経験も大切なものとなっています。



    ◆ようやく来たチャンス

    演奏に関しては、音楽教育学科の生徒には機会がないまま3年間を過ごし、いよいよ4年次を迎えた時にようやく全学生が受講の対象となった海外教授のレッスンを初めて受講しました。ルーマニア人であるダヴィドヴィッチ先生から出る潤いのある音への憧れ、卒業後に先生が指導をされているアメリカの大学院に留学しました。単身で生活する中で忍耐のいる経験の連続でしたが、純粋にヴァイオリンの演奏技術を学ぶ学生の一人として、あらゆるチャンスが与えられている環境に自然と前向きに希望が持てる生活でした。いかなる選択も自由と責任があることを知り、言われた通りに上手くやることが最大のゴールでそれが当たり前だと思っていた当時の私は、それまでよりもだいぶ解放された気分でした。奨学生として大学内での図書館でのアルバイト、大学オーケストラのコンサートマスターをしながらオーケストラ授業で使う大量の楽譜コピーなどもしました。当時、アメリカでは既に全部パソコンでレポート課題提出の時代。日本の音大時代には必要のなかった作業をゼロから覚えていく時間は、練習室にいるよりも遥かに長く費やすこともありました。



    ◆未知の出会い

    新たに出会う人々は素晴らしい演奏家や講師、現地の学生、そして、各国から私と同じように夢を追って来た学生たち。

    多忙なマイアミ弦楽四重奏団のリハーサルの音がドア越しに聴こえていたのはダヴィドビッチ先生のレッスンと同じくらい貴重な時間でした。アンサンブルを通してピアノや室内楽、オーケストラに興味を持ち仲間と音楽を創り上げる楽しさをさらに実感しました。一時期、室内楽は台湾人、キューバ人、アメリカ人、韓国人などでグループを組んでいることもあり、音楽はまさに世界共通語でした。

    大学院卒業後は帰国しフリーランスとして各地演奏活動。これまでに自主企画コンサート、チャリティーコンサート企画参加、地域のコンサート出演等。本格的な指導は音楽教室の所属や個人宅出張レッスンなど3歳からシニアまで週40名以上の指導で経験を積みました。




    ◆学びの多い子育て経験

    結婚・出産と同時に数年間は母親業に専念、子供が幼稚園に通うまで家庭と子供中心の生活をし指導のほうは自分の意志で一旦止めました。バイオリンを弾く時間も大幅に減りましたが5分でも音を出すことを心がけ、バイオリンの5分のために希望を持つことで日々の完全主婦をやれました。子供の外遊びにとことん付き合ったつもりですが、その頃から外で遊ぶ親子をあまり見かけない印象を持っていました。友稼ぎが増え始め、少子化の印象も持っていました。バイオリンは傍らに置き、子育てのひとつの支えになってきました。

    幼稚園や小学校では、PTA活動でたくさんの子供、ママ、先生に出会いました。日頃の教育の現場、仕事を持つママと主婦をするママなど様々な違いを感じ経験したことは、私のバイオリンのマンツーマン指導にも活かされています。5年生の音楽の授業で、ゲストとして弦楽器に関する授業を任せていただいた経験は非常に貴重で、かつて大学時代の教育実習で感じた事とリンクするものがありました。



    お読みいただきありがとうございました。



            


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