ごあいさつ

写真ってなんだろう?

 copi写真学校を運営する光画文化研究所は、2007年8月に那覇市ぶんかテンブス館SOHO室に沖縄での写真文化発展への貢献を目的として創設し、以後、同市久茂地のカメラの森山ビル5F、現在の同市若狭へと移転し、これまで10年以上に亘り数々の写真講座や写真ゼミを開催してきました。

 そしてこのたび、学びを制作実践へとより結びつけられるよう、これまでそれぞれ隔年に開催してきた『copi-semi(コピ・ゼミ)』と『写真作家入門:FRAGMENTS展制作ゼミ』などの講座エッセンスの再構築と改良を行い、1年間をプログラム化した『copi写真学校』として開校する運びとなりました。

 1年間といっても、授業は最短で3日間(3週間)、最長で6ヶ月となる4つのコースを設定し、それぞれに選んでいただけるカリキュラムとなっています。  “写真ってなんだろう?”を、より本格的に学んでみたいと感じておられる方々のご入学をお待ちしています。

光画文化研究所 勇崎哲史

 
付記

 学舎は那覇市若狭にある赤瓦木造2階建の古民家です。そこには2匹の猫も暮らしていますので、動物アレルギーをお持ちの方はご留意下さいますよう、よろしくお願いします。

 

講師プロフィール

勇崎哲史(ゆうざきてつし)写真家/写真文化研究

1949年札幌市に生まれる。東京綜合写真専門学校在学中から卒業後の1971-73年、沖縄県のほぼ全域を放浪。1984年北海道東川町に「写真の町構想」を提案。翌85年から21年間に亘り、日本で最初の国際写真フェスティバル「東川町フォトフェスタ」と国際写真賞「東川賞」のプロデューサー、プランナー、キュレイターとして、その立案と制作実施に携わる。1993年「写真甲子園」を考案し、写真の町10年を記念する翌94年より制作実施。また1994年より札幌立写真ライブラリーの多数の企画展を制作するとともに、20万タイトルに及ぶ札幌市関連写真のネガ収蔵とデジタル・アーカイブ化の起案と制作に携わる。沖縄へは1989年に再訪し、以後ほぼ毎年通い続け、2007年那覇市に移住。光画文化研究所を開設。主な著作に写真集『大神島・記憶の家族』平凡社、沖国大ブックレット『思考方法としての写真』沖縄国際大学等がある。

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授業料

受講料納入にてお申込み確定/各コース定員になり次第受付終了

 Aコース:一般40,000円(36,000円)/学生25,000円(20,000円)

上記受講料の他に、撮影実習時に施設利用料などの実費負担が発生する場合があります。

Bコース:一般25,000円(22,000円)/学生16,000円(13,000円)

Cコース:一般 7,000円(6,000円)/学生4,000円(3,000円)

Dコース:一般40,000円(36,000円)/学生25,000円(20,000円)

上記受講料の他に、展示プリント制作費、会場費・広報費分担金等別途実費が発生します。

◆ ( )内金額は「写真の歓び研究会」[略称:よろ研]会員の授業料です。

 

複数コース受講割引

複数コースを受講される場合、合計金額から以下の割引があります

2コース受講:1000円/3コース受講:3000円

分割納入について

受講料の分割納入をご希望される場合は、ご相談に応じます。

お申し込み方法

希望コース(Cコースの場合は昼夜の部も) ②一般・学生の区分 ③氏名(ふりがな) ④年齢・性別 ⑤住所 ⑥各種電話番号 ⑦各種Emailアドレスを明記の上、Eメールもしくは郵便・電話にて、下記の光画文化研究所までお知らせ下さい。 受講料の納付方法等については、お申込をいただいた後、お知らせします。
 
<お問い合わせ・お申し込み先>
copi光画文化研究所(こうがぶんかけんきゅうじょ)
TEL.090-1644-4650/copi.info@gmail.com
〒900-0031那覇市若狭3丁目4番7号

写真展集合体フラグメンツ6は終了しました。
たくさんのご来場ありがとうございました。

2018年5月15日~20日
沖縄県立博物館・美術館 1F
県民ギャラリー

【入場無料】

出品者からのメッセージを見る

この展覧は、沖縄県在住者を主な対象とし、2009年から写真集と写真展の制作ゼミをほぼ隔年で開講し、その成果発表展として行うもので、今回で6期目となります。

●ゼミ受講による発表といっても、その内容は本格的なものです。このゼミでは写真制作に必要な心の持ちようや表現に必要なことがらを学ぶ合同での座学と、個人面談での講師とのコラボレーションによって、個々に内在する個性が引き出され、その人ならではの、それぞれの個展として制作、発表されます。

●発表者の世代は10代の学生から70代まで、広い世代にわたります。また、今回は大阪市から通われた方もおられます。それぞれの個展は、独自のテーマを持ち40〜100点の写真作品で構成されています。鑑賞される方々には、それらのテーマ群、作品群から、ご自身との共通性を発見され、必ずや共感を抱ける個展、作者と出会えるでしょう。

 

fragment(英語:フラグメント)とは、土器などの「破片や断片」、詩や文などの「断章」を意味します。


【開催日時】
2018/5/15(火)~20(日) 
9:00 AM~6:00 PM
5/15[火] は11:00AMから開場

【開催場所】
沖縄県立博物館・美術館 1F
県民ギャラリー全室
 
那覇市おもろまち3-1-1 ☎ 098-941-8200

【主催】
光画文化研究所
 
【後援】
沖縄タイムス社/琉球新報社/NHK沖縄放送局/琉球放送/沖縄テレビ/琉球朝日放送/ラジオ沖縄/エフエム沖縄/fm那覇

【お問い合わせ先】
フラグメンツ6事務局 光画文化研究所 
那覇市若狭3-4-7 ☎090-1644-4650  copi.info@gmail.com

合同講評会
フラグメンツ6レビュー

5/20(日) 1:00PM〜
沖縄県立博物館・美術館1F
県民ギャラリー全室


第1室 1:00PM〜(8個展への講評)

第2室 2:40PM〜(7個展への講評)

第3室 4:00PM〜(7個展への講評)

レビュアー
石川竜一/タイラジュン/野口里佳

司会進行
勇崎哲史

(写真 第5回フラグメンツ展[2016年5月]講評会風景)


ゲスト講師プロフィール

石川竜一 ISHIKAWA Ryuichi

写真家[宜野湾市在住]

1984年 宜野湾市に生まれ。沖縄国際大学社会文化学科卒、大学在学中に写真と出会う。2008年 前衛舞踊家 しば正龍に師事。2010年 写真家 勇崎哲史に師事。[写真集]2010年『SHIBA 踊る惑星』、2013年『しば正龍 女形の魅力』を自費出版。2014年『RYUICHI ISHIKAWA』『okinawan portraits』を自主制作。『okinawan portraits 2010-2012』『絶景のポリフォニー』赤々舎、2015年『adrenamix』赤々舎、2016年『CAMP』SLANT。2016年 『okinawan portraits 2012-2016』赤々舎[2016年以降の主な展覧]個展:『考えたときには、もう目の前にはない』横浜市民ギャラリーあざみ野、『CAMP』WAG GALLERY(東京)、『CAMP & OKINAWA』Have A nice gallery(台湾)。2017年「OUTREMER/群青」アツコバルー(東京)。2018年『zkop : a blessing in disguise』Yamamoto Keiko Rochaix (ロンドン)。グループ展:『DUBAI PHOTO EXHIBITION』ドバイ首長国、『六本木クロッシング2016:僕の身体、あなたの声』森美術館(東京)。「音楽は風景を台無しにする 大友良英×石川竜一」てんぶすホール。2017年 「写真家が見つめた沖縄1972-2017」ディレクション、沖縄県立博物館・美術館。日産アートアワード2017展『home work』出品(横浜市)。個展[受賞]2012年、キヤノン写真新世紀佳作賞。2015年、木村伊兵衛賞、日本写真協会新人賞。沖縄タイムス芸術選賞奨励賞。2017年日産アートアワード2017ファイナリスト。

タイラジュン TAIRA Jun

写真家、写真編集者[浦添市在住]

1972年沖縄県石川市(現うるま市)生まれ。1999年大阪外国語大学卒業。市役所臨時職員、飲食店勤務を経て2009年浦添市港川でカフェrat&sheepを開店。2007年〜12年に松本太郎と(#2〜#11まで仲宗根香織も共同で)写真雑誌『LP』を編集・発行する。2010年「写真する人vol.2」(県民ギャラリー)参加。2012年「連続写真展 沖縄で/ 写真は」(ギャラリーM&A)参加。2015年「戦後70年沖縄写真 まぶいぐみ」(那覇市民ギャラリー)参加。2017年 「写真家が見つめた沖縄1972-2017」(沖縄県立博物館・美術館)参加。2016年から、写真家・平敷兼七のアーカイブ化をサポートするグループ「フォット2」代表オーガナイザー。

野口里佳 NOGUCHI Rika

写真家[那覇市在住]

1971年生まれ。埼玉県さいたま市出身。1994年日本大学芸術学部写真学科卒業。2004年よりドイツ、ベルリンに12年間在住。2016年10月より那覇市在住。大学在学中に写真作品の制作を始め、以来国内外で展覧会を中心に活動。現代美術の国際展にも数多く参加している。1995年第5回写真ひとつぼ展グランプリ、1996年写真新世紀年間グランプリ、2002年第52回芸術選奨文部大臣新人賞、2014年第30回東川町賞国内作家賞を受賞。主な個展に「予感」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、香川、2001)、「飛ぶ夢を見た」(原美術館、東京、2004)、「光は未来に届く」(IZU PHOTO MUSEUM、静岡、2011-2012)、「海底」(タカ・イシイギャラリー、東京、2017)など。グループ展に、「55th Carnegie International: Life on Mars」カーネギー美術館、ピッツバーグ、アメリカ、2008)、「ヨコハマトリエンナーレ2011: OUR MAGIC HOUR」(横浜美術館、横浜、2011)、「The 21st Biennale of Sydney: SUPERPOSITION、ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館、シドニー、オーストラリア、2018)などがある。 著書に『鳥を見る』(2001 P3 art and environment)、『この星』(2004 原美術館/アイコンギャラリー)、『太陽』(2009 IZU PHOTO MUSEUM )、『夜の星へ』(2016 IZU PHOTO MUSEUM )、『創造の記録』(2017 roshin books)など。国立近代美術館(東京)、国立国際美術館(大阪)、グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)、ポンピドゥセンター(パリ)などに作品が収蔵されている。

講師・監修者プロフィール

勇崎哲史 Yuzaki Tetsushi

1949年札幌市生まれ。東京綜合写真専門学校在学中から卒業後の1971-73年、沖縄のほぼ全域を放浪。1984年北海道東川町に「写真の町構想」を提案。日本で最初の国際写真祭と国際写真賞のプロデューサー、プランナー、キューレイターとして、その立案と制作実施に携わる。1994年「写真甲子園」を考案、制作実施。2007年那覇市に移住。光画文化研究所を開設。[主な個展]1998-99年『光の絵日記:沖縄・宮古・八重山1971-73年、そして1990年代』那覇市、宮古島市。2009年『1989』那覇市。[主な著作]写真集『大神島・記憶の家族』平凡社、沖国大ブックレット『思考方法としての写真』沖縄国際大学、写真甲子園10年記念PDF版『写真甲子園への道』写真甲子園実行委員会等がある。

出品者からのメッセージ

こころの落描きIV

宮城ヨシ子[那覇市在住]

初めての写真集、そして初の個展を開いたのは昨年10月のこと。知る人ぞ知るという言葉がピッタリな、那覇市泊の町角にあるギャラリー。はたして人は来てくれるのかと不安だったが、ふたを開けてみれば写真の仲間や友人知人たち、また告知を見たという初対面の方もたくさん来て毎日ワンサカワンサカ~♪状態だった。
 「ヨシ子さんの写真は、【普通の視点】で撮られているね」。一番うれしかった感想である。ギャラリーの近所の人が駐車場を開放してくれたり、近くのマチヤグヮーでもチラシを配ってくれたりした。サーターアンダーギーをお客さんにプレゼントしたが、それも応援してくれている同級生が200個も揚げてくれたものだ。地域のなかで、普通の写真を、普通の人が見てくれる。大きな会場ではなくても、いろんな人に支えられて個展をつくりあげられたことを嬉しく思っている。
 ことしで79歳、今までは年齢のことを言われるのが苦手だったけど、最近では驚かれるのも快感だ。写真を始めて10年の節目でもあり、「フラグメンツ」展も4回目になる。作品がどう変化したのか自分でもよく分かっていないけれど、見る人と一緒に感じ取ってつくりあげていけるなら、ヨシ子さんはとっても幸せ♪です。

泊港カメラ散歩

喜屋武善範[那覇市在住]

2017年9月8日沖縄県立博物館美術館で写真展『ウィルソが見た沖縄』を鑑賞しました。その写真は百年前、当時最新鋭のフィールドカメラを使いガラス乾板で写し取った、1917年2月24日から3月12日までの17日間の沖縄紀行でのものです。 ウィルソンは1876年イギリス生まれの植物学者で、伝説のプラントハンターと言われた人物です。1914年から屋久島をかわきりに北海道、サハリンまで日本の各地を回り植物の標本を集めただけではなく、植物が自然に生育する姿を記録として写真に納めました。 
 「百年後のために記録に残す」。ウィルソンの思いがこめられた写真展と写真集『ウィルソン沖縄の旅1917』(著者 古居智子 琉球新報社刊)を見て、私は今までと違った新たな気持ちでカメラを持てるようになりました。芸術作品やその発表行為でなく、普段目に映る風景や何気ない日常生活を写真で記録することです。
 本展は職場からほぼ10分で移動できる泊港に絞って、身近な被写体を気負わずに撮りまとめました。現在の文化や風習、技術等が垣間見られます。
 泊港カメラ散歩での風景が百年の時間を経てどう進化しているでしょうか? 百年後の世界に思いを馳せて古酒で“ぐすーよーカリーさびら”

辺野古社交街

 新田みゆき[名護市在住]

1960年代—70年代、ベトナム戦争の激化に伴い、キャンプ・シュワブが海兵隊の中継基地となり、辺野古社交街はアメリカ兵で溢れていました。200店舗近い飲食店が軒を連ね、毎夜ドル紙幣が飛び交ったと言われています。ベトナム戦争が終結に向かう中で、本国に帰って行く米兵が多くなり次第に社交街は寂れていきました。 
 現在は数店舗が当時から残る建物でひっそりと営業しています。その数店舗のお店の中で、偶然に入った『ピンクダイヤモンド千草』。店名の『ピンクダイヤモンド』の意味を経営者の方に聞くと、菱形の看板の周りをピンクの電球で飾っていて、それを見た米兵が『ピンクダイヤモンド』と名付けたそうです。 
 店内には米国に帰る米兵の置き土産、ドル札がぎっしりと貼られ、いくつものピンチハンガーにもドル札がたくさん吊るされていました。私は知らない世界へタイムスリップしてしまい、びっくりするとともに手にしていた、カメラでシャッターをきっていました。
 今回の写真展では同じ名護市でも知らない事だらけ…を、写真ならその日、その時間帯にしか撮れなくて、記録として残せます。それは私にとって、とても大切なことです。

真栄原団地2011-2018

 岸本千里[糸満市在住]

最初は2011年、休日になんとなくカメラを持って団地内を散策しながら撮影した。建替工事はすでに始まっていたので、いずれなくなってしまう古い団地の風景を写真に撮っておこうと思った。
 白い給水塔、丸みを帯びたコンクリート、棟と棟の間の小径、壁にアルファベットと数字、個性豊かなベランダ。
 次は2015年、写真集の講座で勇崎先生に勧められて、続きの撮影をすることにした。今度は古い棟と新しい棟の両方を数日かけて撮影した。
 中庭で遊ぶ子供とベンチで休憩中のおばちゃん、鉄筋の塊になった古い棟、生まれたばかりの子猫、12階から見える風景。
 その次は今年、このフラグメンツ展に出展するために、団地を散策する日々。団地に住む猫が大事にされていることを話してくれた方、『桜が満開で綺麗なとこがあるよ』とベランダから声をかけてくれた方、団地の写真集を喜んでくれた方に出会った。ここは飽きることがない。古い棟にも新しい棟にも暮らしている人々の愛着があちらこちらに感じる。
 人々の愛着に触れる心地よさが少しでも伝われば、幸せです。

オブジェ豆腐島

 宮城米子[中城村在住]

 フラグメンツの参加は5回目。今回のテーマは県総合運動公園に面した中城湾に浮かぶ「豆腐島」である。干潮の時には100mも歩けばたどり着く周囲70mほどの小さな無人島を「オブジェ」としてトライしてみることにした。
 豆腐島との出会いは2012年、年賀状にするための朝日を撮ったことにはじまる。その後、西表島で岩の造形美に魅せられ、再び豆腐島を見たとき身近な所にも撮るべき所があると気づいたのである。 
 それからは地の利を生かして、昨年から今年にかけて豆腐島をめぐる光景を撮り続けた。潮の干満を調べ、ある時は沖から、ある時は近くや海岸から眺め、さまざまなオブジェをとらえた。島や岩壁が人や動物の顔に見えたり、滑らかな岩肌に今にも壊れそうな繊細な自然の細工が施されていたり、潮や風雨によって白い幽霊や人体が描かれていたりと、発見の連続で飽きることがなかった。風景の中に人や鳥などが飛び込んでくると、まるで舞台のようでさらに心が躍る。日々変化しながら無限の創造力でオブジェを作り続ける豆腐島。今後どのような展開を見せてくれるか楽しみである。

※ 撮影を通して、竜宮の神様やニライ・カナイの神が来臨する渡口奥武島がこの辺りにあったことを知り、近くの墓群との関係など民俗学的にも興味深いが今後の課題としたい。

旗頭と獅子頭

 松田長榮[浦添市在住]

 出会いって…!なんだろう。一瞬思う時がある。
 私とカメラ、いつ頃だろうかと思えば、高校生の時にカメラを持っていた。友とのスナップ、部活動、その他色々と撮った記憶が蘇る。でも記録が残っていない…。
 平成20年浦添市民大学の文化振興教養学部で地域の民俗芸能と出会い、何気なく見学に行き、何となく「カメラ」をぶら下げていた。資料収集、作品制作など?難しいことは考えずに、目の前の出会いに只々シャッターを切っていた。
 そういった日々で私が特に興味をいだいたのは、獅子舞の獅子頭と綱曵きなどに登場する旗頭である。いずれも金鼓(ちんく)の音に乗り、迫力ある動きを示すが、村落、集落毎に異なる個性を持ち、その多様な姿や表情、華やかな意匠が、私を魅了してやまない。それらは、村落や集落の「守り神」であり「誇り」であり、この世に同じものはふたつとない。
 たとえば、旗頭の部位でいえば、旗と旗字、竿頭の鼓灯籠(ちぢんどぅーるぅ)、鼓灯籠を横からとりまく熨斗(ぬぅし)、灯籠の下に垂れた総(ふさ)、長さが6mにも及ぶ旗竿(はたぞー)。各地の祭りを訪ねるとき、その村落、集落にしかない獅子頭、旗頭との出会いが、私の大きな歓びである。

ガンガラーの谷

中村勇斗[那覇市在住]

「スゴい。本物だ」。2年前、初めて訪れたガンガラーの谷は、私の想像を遥かに超えました。

 ここは鍾乳洞の天井が崩落して出来た谷間で、緑豊かな森が広がっています。谷は古代からの人の営みを感じられる場所でもあります。谷への入口となるケイブカフェは発掘中の遺跡でもあり、世界最古の貝製の釣針を始めとした旧石器人の生活跡が見つかっています。専門ガイドと歩くツアー形式で公開されている谷内には、現在も祈りの空間として使われている御嶽や門中墓が壮大な自然空間のなかに凛として残っています。

 都会育ちの私でも、何度も歩くと谷の小さな変化にも気づくようになります。小さなことに面白がれる一方、細部にばかり目を向けると、谷全体の景観を味わえなくなることがあります。フラグメンツ展はそんな私にぴったりなイベントでした。

 勉強のために、仲間が撮った谷の写真を見せてもらいました。その写真を見て改めて気がついたのです。木や岩など単体ではなく、緑・水・岩・人・光・風など様々な要素が重なりあい、これが常に変化し続けている景観全体もこの谷の面白さなのだと。

 皆様も是非本物のガンガラーの谷へ足をお運びください。本物が想像を超えた時の感動は、一生に残る記憶となることでしょう。

ヤンバルの自然

喜屋武俊彦[豊見城市在住]

 地理的にも歴史的にも特異な亜熱帯気候で、イタジイの森とその谷部の渓流環境が多くの固有種を育むヤンバル地域は、平成28年9月15日に国立公園に指定されました。更に、今年6月下旬から開催されるユネスコの世界遺産委員会で、ヤンバルを含む「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」の世界遺産登録の可否が審査されます。

 私は、学生時代から記録用としてカメラを持ち、時々ヤンバルに行っていました。デジタルカメラに変わり、写真を写すのが容易になったため、以前から興味があった動植物のデジタル図鑑を作り始め、ヤンバルにも頻繁に行くようになりました。

 現在のヤンバルは、私が行き始めた当時に比べ無数の林道の建設、植林やダム建設のための皆伐、ペットの放棄や外来種の進入、人々の往来等の影響により大きく変貌しており、国立公園化や世界遺産登録に伴い、今後益々大きく変わることが予想されます。

 今回のフラグメンツ展で、世界遺産登録の可否を間じかに控えたこの時期に、これまで図鑑作りの撮影の合間に撮り貯めた中から、ヤンバルの自然の現状を皆様に見て頂き、今後どう変わっていくか推移を見守っていただくことを願っております。

miyu2

玉城和美[南風原町在住]

 フラグメンツへの参加も2回目になる。そして今回もまた孫の写真でタイトルもそのまま「miyu2」である。孫以外は撮らないのか、いや、撮れないのか、と言われそうだが、その通りである。私のパソコンの写真データは、8割ほどが家族で、そのうち半分以上が孫である。

 すばらしい風景も、愛らしい動物たちも、ただそれだけでは撮っていてつまらないのである。どこか足りないと思う。うちの子がいるから、この風景はすばらしいし、うちの子がいるから、この花も美しく咲いている。うちの子 がいるから、ネコは喉を鳴らすのだ。

 あんまり言うと娘に「恥ずかしいからやめて」と怒られるのだが、そんなことは平気。うちの子が一番だと思うのは、親だけなのだから、公言したっていいのだ。どうせ「あの人は親ばかねえ」と優しく笑われるだけなのだから。

 miyuの笑顔を、ふくれっつらを、すました顔をこの手の中に取り込めるのだから、それはとても楽しいのだ。そんな「一番」のmiyuをみなさんに見てもらいたいのはもちろんだけれど「いやいや、うちの子の方がだんぜんかわいい」と思っても、全然かまわないのですよ。

 だってそれが親なんだから。

おじぃとの時間

 知花清人[国頭村在住]

 おじぃと真っ直ぐ向き合う初めての時間。幼き日に見ていた彼は年を重ねていた。痺れる手にボタンがうまく留まらない。足繁く入院しているおばぁの元へ通う。「生きてるだけでいいんだよ~」と耳元で囁く。心配と寂しさと苦悩をシャッター越しに捉え胸がうずく。

 僕の感情の枠にはめているのではと疑問が浮かぶ。「そうなんだね」と彼を理解する。目の前に今居る彼とその歴史に五感と心を向ける。そこにいるのはただ老いと向き合う人ではなく、激動の時代と真摯に向き合い、愛する人と共に力強く生きる一人の人が居た。

 静かに輝く命の脈動を観た。命のバトンを繋いでくれた彼への愛おしさと感謝が湧き溢れる。そしてバトンを受け取った自分の命さえも尊く愛おしく思える。なんとなく聞いてきた「ぬちどぅたから」の言葉が確かな温もりを持って反響する。

 気づけば彼からプレゼントをもらっていた。自分一人の命ではない。大切に生きよう。と彼が生きているだけで学ばせてもらえる僕がいた。大好きなおじぃへ「生きているだけでいいんだよ~。長生きしてね。」と僕も伝えたい。皆さまへ、写真に映るそんな一瞬一瞬を感じて頂けたら嬉しいです。

日録Ⅱ

比嘉初子[宜野湾市在住]

 今回は、2016年2月26日から2018年3月6日までの約2年間の私の日常記録です。

 「可でもなく、不可でもなく」淡々と過ごしてきました。それは写真が物語っております。

 海浜公園へ出かけるのを日課にしており、そこで出会う小動物、美しい自然の風景などは、いつも感動的で私の写真撮影意欲を駆立てました。

人見知りする猫達、それとは対照的にしっぽを千切れんばかりに振回し近寄ってくる犬達。大空を優雅に舞う鳩の群れ、強風時の鳩の集団、2年間追い続けている白サギ等など。

 写真の中の動物達や自然はいつも私を癒してくれます。

 これからも、美しい自然、かわいらしい動物たちを撮り続けていきたいと思います。

日録2017.5〜2018.4

小池亜由美[那覇市在住]

 この展示を目指して写真を撮るようになって、日々の生活の中に写真という新しい軸ができた気がします。カメラを持って、朝もやの日に被写体を探したり、今までは寝ていた時間に起きて歩いてみたり、短い休みに、家族の顔を撮りに実家の神奈川に帰省したり。。。

 一つ一つ、大したことではないけれど、いつともと違う行動をとり、今までそれほど注意を向けなかった状況や、時間、場所を探すようになりました。

 展示しているのは、そのように、写真によってささやかに拡張された、わたしの日常の風景です。

 こんなに毎日写真を撮る一年は初めてのことで、撮りためた写真は、かなりの量になりました。

写真を見ていると、不思議とそのときの状況がスッと思い出されます。

 誰と一緒だったかとか、そのときのちょっとした会話、妹の赤ちゃんのミルクっぽい匂い。そのような、毎日の新しい記憶に埋もれていくディテールが、写真によって蘇ってくる感覚が、新鮮でした。

父を待つ道

新城清美[沖縄市在住]

 母が急逝したのは22年前。父は退職後にみかんと観葉植物の栽培、出荷をするのを楽しみにしていた矢先のことだった。一人暮らしとなった父が、わが家に住んだのは7年前のこと。そして、父の畑への送り迎えが始まった。

 父はとても不器用だ。畑仕事に毎日出かける。雨の日もどんなに寒い日も作業着に着替え、支度をする。土曜も日曜も祝祭日もなく畑に行く。そんな父を、毎日、出勤前に送り、帰りに迎えるのはたいへんだった。特に、待つ時間は長く感じた。送り迎えのルートには、小川や弾薬庫のある基地、植物園、葬祭場、ごみ処理施設などがあり、畑の入口の目と鼻の先に倉敷ダムがある。

 ある時、迎えに行った私に父は、「捨て猫が3匹いつも一緒にいたんだけど、この前1匹車にひかれて死んだんだ。そしたらあとの2匹が離れようとしないんだよ、危ないのに。かわいそうに。」と話した。そして、畑の門の近くにあるコンテナに住みついた2匹を可愛がりはじめた。

 あの時の夕暮れの父の表情と共に、いつも見慣れた畑への道が、生きたものになった。刻々と表情を変えるダムの水面や今まで遠く静寂でしかなかった場所が、饒舌にさえ思える豊かな表情を持つ世界に変わった。せわしく時間を生きてきた私が、自然の声に耳をすませ、生きものたちを見つめている。亡くした愛する人たちを思い、今を生きることに向き合わせてくれる、父を待つ道である。

沖縄inニューカレドニア

喜屋武敬子[豊見城市在住]

 2017年10月16日~21日の日程で、沖縄・ニューカレドニア友好協会の第四次訪問団として参加する機会を得た。

 現地では沖縄県系人が多く住む北部のポワンディミエで交流10周年の祝賀会と「まぶいぐみーニューカレドニア 引き裂かれた移民史」の上映。また南部のヌメアでの上映と日本親善協会との交流会が持たれた。

 ニューカレドニアはフランスの海外県で、緯度は沖縄とほぼ同じ。大きさは南北400キロ、東西50キロと細長く、面積は四国と同じ位の島である。住んでいる人々は先住民族のポリネシア系、フランス系、その他のヨーロッパや東南アジア系と様々であった。県系の人々は、気候、風景が沖縄の山原に似た島の北部を中心に多数住んでいる。

 沖縄との関わりは、明治から大正にかけてニッケル鉱山の契約移民として渡り、その一部の人が島に残り現地の人と家庭を持ったことによる。しかし太平洋戦争後、日本人は強制送還され、妻子と引き裂かれたままになった。

 現在、沖縄系人は二世、三世の代となり2007年から本格的に交流が始まり、今回が10年目の記念の年であった。 今回、訪問団のレポートとしてふれあいを中心に展示しました。

旅の記憶 Part 5

 原国政裕[豊見城在住]

 旅で写真を撮ることが旅の楽しさを何倍も楽しむ事だと思っている。 飛行機から、電車やバスの車窓から撮る時のワクワクした気持ちは格別のものだ。また旅から帰って気に入った写真を選別している時が楽しい時間である。最近は写真集を作る楽しみも増えた。

 今回の旅の写真は2016〜2017年に撮りためた写真である。 中国福建省は琉球との交易が盛んであった地域で、琉球料理のルーツを探る旅であった。チャンプルー料理の元祖を味わった。そして琉球人墓などを訪れた。 ヒマラヤ/アンナプルナ山群(8000m級)のベースキャンプ(4300m)までのトレッキングは片道に6日間を要した。途中、住民の結婚式に偶然に出遭ったのはラッキーであった。テントの中で女性達が手拍子で歌いながら踊っている中に入り、カチャーシーを踊って喝采を受けたことは楽しい旅の記憶である。そしてアンナプルナ山群の麓に立った時は、そそり立つ高さと覆いかぶさる迫力に圧倒された瞬間であった。

 特にこの2年間はスキーに目覚め、北海道ニセコ、山形蔵王、志賀高原、白馬と滑り歩いた。そして、東京銀座や青山、岡本太郎記念館などを廻った2年間であった。

ロカ岬を訪ねて

 山内千代美[読谷村在住]

 ユーラシア大陸の最西端に沈む夕陽を夢見た。

 大航海時代に栄華を極めたその国に降り立ったのは昨年の11月11日深夜。早く寝なくてはいけないのに、明日からの旅に心が躍り、時差ボケも手伝ってなかなか寝付けなかった。

 朝一番で口にしたのは、暖かいコーヒーと外はカリカリ中はふわふわのパステル・デ・ナタ。美味しい焼き菓子はその後も毎日のように食べた。

 時間はゆっくり流れている感じがする。宿泊先だけ決めて、あとはシナリオ無しでロカ岬を目指していく。途中で出会った人達はとても明るく、優しい。古い石畳を登ってくる若い花嫁に出会う。初々しい笑顔にこちらまで幸せな気持ちになる。

 七つの丘を越え、古い街並みを抜け、4日後にようやくユーラシア大陸最西端に沈む夕陽を見る事が出来た!!

 聖家族教会が完成間近だということで、帰路の途中に立ち寄った。2026年完成予定だという。ガウディの建築物は生きている動物や植物のようで、建物の息遣いが聞こえてくるみたいだった。

インド紀行

安田正昭[那覇市在住]

 2017年10月31〜11月8日の日程でインド北東部に位置するビハール州のソンプール・メーラやウッタル・プラデーシュ州のバラナシ等を訪問する機会に恵まれました。この旅行は、私の写真活動における初めての海外渡航で、実にエキサイティングな毎日でした。道中はほとんど専用バスを使用しましたので、村々の写真撮影が可能でした。どの地域でも大勢の子供達が元気よく遊び回り、私の子供時代の沖縄の状況を想起させるのに十分でした。また、洋服姿の女性はほとんど見かけず、原色のサリー姿が印象的でした。

 ヒンドゥー歴カールティカの満月の日から1ヶ月にわたって開かれるソンプール・メーラはアジア最大級の家畜市といわれ、とても賑やかでした。ヒンドゥー教徒にとってこの満月の日は特別な日とされ、ソンプールには数多くの巡礼者が訪れます。早朝からガンダック川に人々が集まり、沐浴をし、聖なる川の水を汲み、寺院へお参りをするのです。

 バラナシはインド最大の聖地とされ、ガンジス川の聖なる水で沐浴や葬儀を行うヒンドゥー教の巡礼者が多く集まる街です。ガンジス川の畔で行われるプジャ(礼拝)やボートから沐浴を見学、そして、入り組んだ路地やガート(沐浴場)を散策し、巡礼者や牛が行き交う町並みを撮影しました。

アンタイトルド

与那嶺肇[与那原町在住]

 え・ これ・ なに? と言ってくれたらうれしいです。

 これまでフラグメンツ展には2度出品してきましたが、いずれも小さな虫たちや野鳥たち、小動物を捉えた「沖縄のいきものたち」シリーズでした。

 3度目となる今回は、それとは大きく異なっています。過去の2度のフラグメンツ展を鑑賞いただいた方には、私の写真が方向を転換したように思われるかも知れません。

 しかしながら、こういった抽象的に切り取った心象風景は、かなり以前の私の写真の中に散見するので、以前からこのような写真を撮りたいと思っていたようです。

 これらの写真は、目の前にある風景と、その裏側にある風景、それを見つけ出そうと思ってシャッターを押し続けたものです。

 同じ風景を見て何を感じるかは、人それぞれに違うでしょう。写真展などを見ているとつくづく私もそう思います。

 今回の写真は自分なりに発見し、感じたことを表現したものですが、みなさんの目には、どのように映り、感じられるでしょうか。

In My Life 

槌谷玲於[那覇市在住]

 こんにちは、槌谷玲於(つちやれお)です。いつもは大学生をしています。地元は高知県で昨年から沖縄県立芸術大学へ進学のためにこの沖縄にきました。大学では工芸を学んでいて、友達となにか一緒に作ったり、絵を描いたり、那覇をうろうろ歩き回ったり。最近はその大学生活の隙間にスマホで写真を撮っています。大学やサークル、家族や友達、大人や子ども、好きや嫌い、いろんなことが自分を作っているんだなぁ、と最近思うことがあります。そんな日々の生活を少しずつ切り取れたらいいなと思い、写真を撮りました。

 スマホっていうのはカメラ付き携帯電話機なのか電話機能つきコンパクトカメラなのかなんてことを考えたりします。空とか植物とか猫とか、人とか、インターネットで調べれば、自分の写真より他の人が撮った綺麗な写真がたくさん見られます。でもそんな景色は自分の記憶の中にはなくて、やっぱり自分の下手くそな写真がいいなと思います。自分が見ても、他の人が見ても楽しいと思える写真を撮りたい。そんな人になりたい。

 勇崎先生にはイロイロ言われた言葉が心に残っています。本当にいい先生に出会えたなと、出会いに感謝しています。これからもよろしくお願いします。

Extraordinary in the everyday

奥田卓[うるま市在住]

 「日常の中の非日常」。日常と非日常は、人によってそれぞれ違うと思います。

 ここに展示した写真は、観光地や旅行に行ったり、祭りなどをねらい撮ったものなく、通勤の途中、仕事の合間や食事、買い物の通りがけといった何気のない日々の中で、自分が気になったり、出くわしたシーンにスマートフォンのシャッターボタンを押したものです。

 乗車していたバスが事故にあったり、職場の廊下に差し込む光、ショッピングモールのテラスから見た虹、壁に描かれている絵に映る影・・・。

 代わり映えのない日常と景色に思えても、ちょっとした変化に気づきや発見があると、何か楽しくなったり、もう少し頑張ろうと前向きな気持ちになれます。

 いつもの見慣れた景色なのに、新鮮な感覚、昨日と今日は全く同じじゃない。そして、有名な歌詞をつぶやきます。「I think to myself what a wonderful World..」

 ご覧になられた方が楽しい、面白いなって感じてくれたら嬉しいです。

 ※写真の全てをカメラ付き携帯電話で撮影

iPhone6 Plus(1枚はdocomo PRIME series F-06B)

dogs

 源河正章[那覇市在住]

 犬を撮り始めたのは、たぶん自分が犬を飼っていたから。彼らは正直で、体全体や表情で感情を表現するし、自分自身を家族の一人だと認識している。

 私が幼稚園生ぐらいの頃、縁があり家にきた犬は真っ白でくせっ毛の女の子。お散歩が大好き。ジャーキーが大好き。車の助手席が大好き。汚れた洗濯物が大好き。私の足を毛づくろいするのが大好き。寂しがり屋。相手が怖いと徹底的に目を合わせない。疲れると抱っこをせがむ。水が嫌いで花火も怖い。いろいろ面倒だが愛らしく感じていた。しかし12年前の暑い時期に、別れも言えずに急に旅立ってしまった。なので私は今でも心のどこかで面影を探しているのだと思う。

 この数ヶ月間、意識的に犬たちを撮影してなんとなく気づいたことは、昔の記憶にたどり着くような気がしたということ。すれ違う犬を見ると、なんとなく彼女と重ね合わせて見てしまう自分がいた。

MUSEUM CITY:架空のまち

 波多野祐貴[大阪市在住]

 大きくて透明な一枚のガラス板が割れて破片が床に落ちるように。目の前に広がる景色が同じように崩れてしまう有様をふと想像してみる。わたしの目で見ている仮の世と、現実のあいだの隔たりについて考える時の自分なりの方法だ。

 この2年ほど繰り返し海外のとある国に通った。目眩するような陽射しが降り注ぐ日には花盛りの街路樹の下をくぐり抜け、体が冷え切った冬の夜には色とりどりのネオンが連なる市場の人波に紛れこむ。都市と人間が織りなす空間は過剰なまでに色彩と陰影でごった返していて、わたしはその中に潜り込むようにシャッターを切った。

 ところが、帰ってから写真を眺めてみるとそのような景色は見当たらない。代わりに写っていたのは、色彩も陰影も褪せたまるで知らない架空の場所だった。

 脈絡もなく断片的に切り取られた都市と人間。薄っぺらい虚構でありながら、もう一つの現実が繰り広げられているようでもある。人々のこちらを見つめ返す眼差しの強さ、見ていない時のひどく虚ろな表情、張りぼてのような街のしつらい。むしろ現実以上に現実が露わになっていたりする。

番外 復帰の日を思う

勇崎哲史[那覇市在住]

 フラグメンツ6展の会期初日が、奇しくも沖縄復帰記念日と重なりました。この重なりは意図したものではないのですが、黙してはいられず、会場外展示として急遽制作させていただきました。

 1971年夏から沖縄と交わり、1972年春、旅人ではなく生活者としての視点から沖縄を見つめようと、当時22歳だった私は札幌に暮らす家族から半年間のモラトリアムを得て、同年5月14日から宮古島で暮らしはじめました。この日の夜は激しい雨と不穏な雷鳴が襲い、日本本土への返還を怒り、天も地も人も拒んでいるように感じました。

 1972年5月15日、私は上野村(現・宮古島市上野)でこの日を迎えました。ここで盛大な式典があるとの知らせを得たからです。

 村のあちこちで日の丸が雨にはためき、人々は、日の丸の手ぬぐいを鉢巻きにして、復帰への喜びをあらわにしていました。この光景が戦前の国威高揚のための集会の印象と重なり、誤解を与えかねないと感じ、未熟な私は発表を封印させてしまいました。これらの写真を今振返り、人々が素朴で無邪気に喜んでおられる姿に、なぜか私は申し訳なさを感じてしまいます。

 年々色褪せていく記念日ですが、この日はなんだったのかを考え続けていきたいと思います。

皆様のご来場、お待ちしております。