<自己紹介>
小林 秀行です。1977年生まれ、東京都墨田区出身。
株式会社コーティング小林の代表です。
埼玉で金属焼き付け塗装をしており、建築金物や装飾品玩具の塗装が得意です。
「小物塗装の日本一」を目指しています。
<これまでの人生>
私は東京生まれ東京育ちで、墨田区向島に住んでいました。
1980年代の墨田区は花柳界(芸者の街)だったので飲み歩きが多く、ゲロと小便だらけの汚い街でした。私の実家は叔母がスナックを経営しており大繁盛。グレる環境は整っていました。
学校の勉強は小学2年生でドロップアウトしました。
私は体が弱く喘息もちでした。医者にすすめられ柔道を習い始めると、小学校低学年のころには、学年で頭的な存在になりました。
高学年になると、ビーバップハイスクールの影響でタバコと警棒に興味が出ました。時効なので許してください。
中学校でも調子に乗って好き放題でした。
友達とバイクでレースをしたり、警察のお世話になりました。正真正銘のカスでした。
高校を出て父が経営するコーティング小林で働き始めてからも甘ったれていました。
「塗装は安定していて長続きする仕事だぞ」と親父から声をかけられ、「安定しているなら楽そうだな」と軽い気持ちで入社しました。仕事が終われば毎日飲み歩き、深酒の影響で仕事中はトイレにこもり、パフォーマンスは最悪でした。お客さんから褒められたり、JCでできた人脈のおかげで少しずつまともな人間に近づいていましたが、根本的には変わっていませんでした。
私が会社の代表になったのは2008年。
会社の借金は1億2千万円ありました。初めての営業ではお客さんから門前払い。現場では手抜き仕事が横行し、お客さんからはクレームの嵐。最悪の状況でした。
仕事が増えず、ヒマな時期がしばらく続いたせいでイライラが募りました。
そんな時、私の考えを大きく変えるメンターと出会いました。「銀座まるかん」の創業者として知られる斎藤一人さんです。
当時の私は、自分のことしか考えない本当に嫌なヤツだったと思います。
一人さんから学んだのは「自分軸から相手軸へシフトする」こと。要は、相手のことを自分と同じくらい大切に考えて思いやりを持ちましょうということです。
私の在り方が変わると、社内の雰囲気が良くなりました。
社内の雰囲気が良くなると、仕事の品質が良くなりました。
仕事の品質が良くなると、クレームが減りました。
クレームが減ると、リピートが増えました。
リピートが増えると、ご紹介が増えました。
そうして、社内の雰囲気が良くなり、、、正に好循環が生まれました。
私の在り方だけで、言葉一つで人生が変わることを実感しました。
「相手は変えられないが、自分は変えることができる」という言葉がありますが、それを身をもって体感しました。代表になったばかりの時は5,6社しかお客さんがいませんでしたが、今では300社以上のお客さんがいます。
私は本当に絵にかいたようなクズでした。
ですが、小学2年生でドロップアウトしたことを後悔していません。マジメな人生を送っていたら、たぶん塗装屋にはなっていませんでした。コーティング小林に入ったことでたくさんの人たちと出会い、助けてもらい、応援してもらえるようになりました。本当にうれしいことです。ありがとうございます。
コーティング小林は100年続く会社を目指しています。
1978年創業なので、まだ40年ちょっと。まだまだ弱小ですが、これから60年、70年とお客さんから必要とされるサービスを提供し続け、100年企業を目指します。今でこそ「For you」という高尚な経営理念を掲げて仕事に打ち込んでいますが、はじめから「誰かのために働こう」なんて考えていたわけではありません。ヤンチャな若者、ダメダメな自分にガッカリしている人、応援されることに飢えている人、そんな人たちに「こんな生き方もあるんだなあ」と、私の体験が少しでもご参考になれば幸いです。
<師匠>
斎藤 一人さん
西野 亮廣さん
山岸 尚平さん