「神に従う人のためには光を、
心のまっすぐな人のためには喜びを、
種蒔いて下さる」(詩編 97編11)
2025年度が始まりました。教会の第一の使命は、「み言葉をべ伝える」ことです。この「み言葉」は、弟子達がイエスから聞いた言葉です。この「言葉」には、十字架を通して示された、「イエスの深い愛と命」が込められています。イエスの「み言葉」は、単なる良い教訓などではなく、生きて働き、力を持った生き物のようなものです。イエスの言葉を聞いて、信じた者の上に、大きな光と喜びが与えられるのです。聖書にこうあります。「神は、従う人のために光を、心のまっすぐな人のために喜びを種蒔いて下さる」。み言葉の種がかれると、いつの日か、その種が芽を出し、花が咲き、豊かな実が実るのです。この神の力を信じて、私達は、み言葉を蒔き続けましょう。
Ⅰコリントの信徒への手紙2章:Ⅰ-5
古代社会では、人の上に立つ人は雄弁でなくてはなりませんでした。しかしパウロは、人間の雄弁さには限界があることを知っていました。雄弁さに頼る人は、これから自分がやろうとしていることを行う中心が人間です。人間が頑張らなくては、何も実現しません。しかしキリスト教は、そうではありません。キリスト教を始めたのは、人間ではなく神様です。神様を中心とするならば、人間の雄弁さに頼らなくてもいいのです。ですからパウロは、「優れた言葉の知恵を用いない」と決心しました。そのかわり彼は、「霊と力の証明」によって語りました。その言葉を聞いた人が、神の力によって信じるようになるためです。
そして語る内容も、十字架につけられたキリスト以外、何も知るまい、語るまいと心に決めていました。福音の中心は、「十字架で出会って下さったキリスト」以外にはありません。ここをはずすと、真のキリスト教ではなくなってしまいます。パウロは今、様々な意見で対立しているコリント教会に対して、かつて自分が語り、皆が大切にしていた「十字架」のもとへ帰って来いと呼びかけているのです。皆の心がこの十字架のキリストから離れる時、待っているのは、混乱と分裂だけです。
私達もあれこれ雄弁に語れなくてもいいのです。むしろ、私達が弱さの中で真剣に耳を傾けて聞いた十字架の言葉こそ、知恵によらない神の言葉です。そこに、霊の力が働いて下さるのです。
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