「神に従う人のためには光を、
心のまっすぐな人のためには喜びを、
種蒔いて下さる」(詩編 97編11)
2025年度が始まりました。教会の第一の使命は、「み言葉をべ伝える」ことです。この「み言葉」は、弟子達がイエスから聞いた言葉です。この「言葉」には、十字架を通して示された、「イエスの深い愛と命」が込められています。イエスの「み言葉」は、単なる良い教訓などではなく、生きて働き、力を持った生き物のようなものです。イエスの言葉を聞いて、信じた者の上に、大きな光と喜びが与えられるのです。聖書にこうあります。「神は、従う人のために光を、心のまっすぐな人のために喜びを種蒔いて下さる」。み言葉の種がかれると、いつの日か、その種が芽を出し、花が咲き、豊かな実が実るのです。この神の力を信じて、私達は、み言葉を蒔き続けましょう。
<礼拝のことば>2025年5月4日
「み言葉を受けて」
ヨハネによる福音書17章14-19
イエスは、最期に弟子達のために、「私は彼らにみ言葉を伝えました」と祈りました。聖書の中で、「み言葉を伝える」と言うのは、「良い教訓を教えました」という程度のものではありません。もっと大きな意味があります。イザヤの中で神はこう言われます。「私の口から出る言葉は、むなしく私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず必ず果たす」(イザヤ 55:11)。まさにこの言葉通り、イエスが病人に向かって、「あなたの罪は赦された」と言うと、この言葉が生きて力を持って働き、病人は癒されたのです。イエスが弟子達に伝えた神の「み言葉」は、このように「生きて、力を持って働くもの」なのです。私達がこのことを言じて、「み言葉」を人に伝える時、「み言葉」自身が動き出し、働くことを目の当たりにすることができるのです。
しかし一つだけ忘れてはならないのは、人が神のみ言葉を受け入れて生きる時、この世から憎しみを受けるということです。この世は、自分と同じでない者を排除しようとします。そんな弟子達の戦いをイエスはご存知の上で、神に祈りました。「彼らを世から取り去るのではなく、悪い者から守ってください」。イエスはこれから十字架にかけられますが、イエスは弟子に殉教を望まれません。むしろ「この世に留まって、御言葉を伝える使命が果たせるように、悪の攻撃から守ってください」と祈られたのです。今私達も、このイエスの祈りに守られているのです。
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