今、茅ケ崎平和教会には、老朽化した会堂を新しくするという大きな課題があります。それには、時間もお金もかかりますが、このような課題に取り組む時は、単に建物を建てることだけでなく、教会の信仰をもしっかり建ててゆくことを忘れてはなりません。財政的なことだけに目が向くと、自分達の力で何とかしようと考えてしまいます。こんな時こそ信仰に立って計画を実現してゆく良いチャンスです。ダビデは言います。「あなたの道を主にゆだねよ」そうです。私達の計画が行き詰まった時こそ、主に借頼してゆだね、祈り、待ちます。私達の計画が主のみ心ならば、主がそれを成し遂げて下さいます。その時私達は、自分の力を誇ることなく、主の偉大さをほめたたえる群れとされるのです。
<礼拝のことば>2025年2月23日
「互いの足を洗いなさい」
ヨハネによる福音書13章12-20
イエスは最後の晩餐の席で、弟子達の足を洗うと、「主であり、師である私が、あなた方の足を洗ったのだから、あなた方も互いに足を洗い合わなければならない」と言われました。即ち、イエスに足を洗われ、罪を赦された者は、今度は自分が、隣人の罪を赦し、互いに重荷を負い合って生きてゆくのです。しかし弟子達は、この後イエスを裏切ります。この時イエスは言われます。「事の起こる前に、今言っておく。事が起こった時、『私はある』と言う事を、あなた方が信じるようになるためである」。この後、ユダの裏切りによって、イエスは十字架につけられ、弟子達は、大いに落胆します。
そんな弟子達のために、イエスは「私はある」という者だと宣言されたのです。「私はある」というのは、かつて神がモーセに名乗られたご自分の名前です(出エジプト 3:14)。ここでイエスは、「私はあるという名の神である」と弟子達にご自分の正体を明らかにされたのです。神が人に自分の名前を明かす目的は、その人に使命を与えるためです。神がモーセに名を明かした後、「エジプトに行って、奴隷にされているイスラエルの民を救え」と命じました。同じように今イエスも弟子達に「あなた方も行って、すべての人を罪から救い出せ」と命じられたのです。神に遣わされたモーセも、イエスに遣わされた弟子達も、失敗だらけの者にすぎません。でも大切なことは、自分に力があるかどうかではなく、自分を遣わしたのが、神であることを忘れないことです。
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教会住所 | 〒253-0028 神奈川県茅ヶ崎市出口町4-71 |
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