フォーム 予約 決済 メルマガなど集客機能がオールインワン!
今、茅ケ崎平和教会には、老朽化した会堂を新しくするという大きな課題があります。それには、時間もお金もかかりますが、このような課題に取り組む時は、単に建物を建てることだけでなく、教会の信仰をもしっかり建ててゆくことを忘れてはなりません。財政的なことだけに目が向くと、自分達の力で何とかしようと考えてしまいます。こんな時こそ信仰に立って計画を実現してゆく良いチャンスです。ダビデは言います。「あなたの道を主にゆだねよ」そうです。私達の計画が行き詰まった時こそ、主に借頼してゆだね、祈り、待ちます。私達の計画が主のみ心ならば、主がそれを成し遂げて下さいます。その時私達は、自分の力を誇ることなく、主の偉大さをほめたたえる群れとされるのです。
<礼拝のことば>2025年1月5日
「この病気は死で終わらない」
ヨハネによる福音書11章17-27
ラザロの病気の知らせに、すぐ出発しなかったために、イエスがラザロの元に到着したのは、彼が葬られて4日目でした。イエスは遅すぎました。実は、この聖書は、当時ローマ皇帝の迫害に苦しむ教会のために書かれました。彼らは、「なぜ神は、すぐ助けに来て下さらないのか。遅すぎる」と考えました。遅すぎたイエスに対して、無念の思いをぶつけるマルタの姿こそ、当時の教会そのものです。するとイエスは、「あなたの兄弟は復活する」と言われます。これこそがヨハネ福音書の主題です。信仰者にとって一番大切なのは、復活信仰だとイエスは言われるのです。ところがマルタは、「復活は、終わりの日に来ることは承知しています」と答えます。これが当時の復活信仰です。しかしいつ来るかわからない遠い未来の復活では、現実の苦しみや、死の恐れに打ち勝つことなどできません。そんなマルタにイエスは宣言します。「私は復活であり、命である」。復活は遠い未来のことではありません。「私が復活である」と、マルタの目の前に「復活」が立っているのです。この復活であるイエスを信じる時、その人の内に生きている内に復活の命が与えられます。生きている内に復活の命を与えられた者は、死んでも生きます。結局、その人は、決して死ぬことはないのです。これ程、現実的で具体的な救いは在りません。当時の教会は、この復活信仰を与えられて、この後、皇帝の迫害に耐えて最後に勝利しました。何と、皇帝自身がイエスを信じたのです。
電話番号・FAX | 0467-85-2815 |
---|---|
メールアドレス | chiheiwa@gmail.com |
道案内 | 最寄り駅:辻堂駅南口 または 茅ヶ崎駅南口 辻堂駅南口からのバス 茅12系統 若松町経由茅ヶ崎駅南口行きに乗り、美住町で下車、すぐ前。 茅ヶ崎駅南口からのバス 辻12系統 若松町経由辻堂駅南口行きに乗り、美住町で下車、すぐ近く。 |
教会住所 | 〒253-0028 神奈川県茅ヶ崎市出口町4-71 |
見出し | ここをクリックして表示したいテキストを入力してください。 |