文化人類学 課題

「わたしのカタリツグ・プロジェクト」

サイトを作成することで、インターネットを見れる環境にある人たちへ表現の自由の大切さをカタリツグ。

カタリツグということ

カタリツグ、ということは起こった出来事を、ナカッタコトにしないための行為である。物事を語り継いでいくためには、それを表現することが自由でなければならない。国家などの大きな力、によって、われわれ個人、が語り継いでいこうという意志を曲げられないために、ナカッタコトにされないために、表現の自由が必要なのである。

表現の自由とは、本来、多数派の人々に支持されない表現を保護するためにあると考える。世論が支持するものは守ろうとしなくても、消されることは少ない。むしろ、大多数の人間に疎まれる表現こそが、憲法や法律で守られるべき存在なのである。つまり、表現の自由を守るということは、マイノリティの口を守るということである。マイノリティの声にマジョリティが耳を傾けることが、民主主義の理想の形の一つであったはずである。

しかし、現在、表現の自由はわれわれのあずかり知らぬところでどんどん脅かされている。その例の一つとして、2010年に東京都が提出した「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案における「非実在青少年」を挙げる。
まず、「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案の全文がこちらで公開されているので、ご覧いただきたい。https://www.scribd.com/mobile/doc/27498766/The-Prefectual-Ordinance-about-young-healthy- upbringing-a-reform-bill-2010-2-24
この改正案で、私が最も問題だと考えるのが、7条2項である。要するに、7条2項は「見た目が18歳未満に見えるキャラクターの性的表現」を規制の対象にしているということである。これの何が問題かというと、対象となる条件が非常に曖昧であり、拡大解釈が非常にやりやすいという点である。この条例は否決されたが、「非実在青少年」の部分は変わりつつも、表現に対して容易に規制がかけられそうな内容の条例に改正されてしまった。それがこちらである。
www.reiki.metro.tokyo.jp/reiki_honbun/g101150001.html
7条に限らず、表現の規制を厳しくしていくことが予想される条文がかなり多く見える。
 実際、2014年に、この条例による不健全図書として、指定された図書もすでにある。
 私が、これらの規制を問題視しているのは、このまま、このような非常に曖昧で拡大解釈が可能な表現の規制が進められていけば、ゆくゆくは、国家権力が好きなように表現を規制できるようになってしまうと考える。
 カタリツグことが必要なエピソードは、必ずしも表立って言えることばかりではない。国家的にはタブーな話もあるかもしれない。そのような中で、表現の自由が侵害されるような法案が認められるようなことがあれば、ナカッタコトにされてしまう。カタリツグという行為ができるように、表現の自由を守ることが重要である。