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終活って?

終活は、何のため?誰のため?


「人間に生まれてよかった」と大満足できるものが、
本当の生きる目的なのです。
そして、その生きる目的を果たすのが、
生きる意味であり、本当の人生の意味です。


生きる意味
色々な後悔の中で、一番よくある後悔は、
「もっと色々なことに挑戦すればよかった」
「他人に合わせすぎた」
「受け身だった」というものです。

一言でいうと、
「もっとやりたいことをやればよかった」ということです。

どちらかといえば、とにかく何かに突撃してしまって、「こんなことをしなければよかった」
と後悔するよりも、自分がしたいことがあったのに、それをしなかったとか、
言いたいことがあったのに、引っ込み思案で言い出せなかったということが多くあります。

確かに、何かをするにはリスクがあり、誰かしらの反対を受けることもあり、
一歩を踏み出せないことがあります。
だからといってやりたいことをやめてしまうよりも、苦労を求めて積極的に取り組んだほうが、
未来を開くことができるでしょう。


でも、人生全体となると話は変わります。
やりたいことを精一杯やっていれば、後悔のない人生になるのでしょうか?

実際、やりたいことをやった上に、
トップレベルの業績を残した人でも、後悔している人がたくさんあります。
  • ダビデ像をはじめ、彫刻、絵画、建築など
    様々な分野で偉大な作品を残したルネサンスの天才、ミケランジェロは、
    晩年、このように言っています。
    「いまやわたしは知った、芸術を偶像とも君主ともみなした
    あの迷妄の情熱がいかに誤っていたかを。
    人間にとってその欲望がいかに災厄の源泉であるかを」
    (ミケランジェロ)
  • 足軽から天下を統一し、太閤にまでのぼりつめ、欲しいものは何でも手に入れた豊臣秀吉は、臨終にこのような寂しい辞世を歌っています。
    「おごらざる者も久しからず 露と落ち露と消えにし我が身かな
         難波(なにわ)のことも夢のまた夢」
    (豊臣秀吉・辞世の句)
  • 俳聖といわれ、教科書に作品が出てくる江戸時代の松尾芭蕉は、最後病気になり、このように言っています。
    「この後はただ生前の俳諧をわすれんとのみおもうはと、かえすがえす悔やみ申されし也」
    (松尾芭蕉)
  • スイレンの絵で有名な、印象派の画家、クロード・モネは、晩年このように言っています。
    「私の人生は失敗に過ぎなかった。そして残されたなすべきことは、私が消える前に自分の作品を壊すことだけだ」
    (クロード・モネ)
  • 文豪・夏目漱石は、晩年の随筆『硝子戸の中』でこのように書いています。
    「今まで書いた事が全く無意味のように思われ出した」
    (夏目漱石)
  • ダビデ像をはじめ、彫刻、絵画、建築など
    様々な分野で偉大な作品を残したルネサンスの天才、ミケランジェロは、
    晩年、このように言っています。
    「いまやわたしは知った、芸術を偶像とも君主ともみなした
    あの迷妄の情熱がいかに誤っていたかを。
    人間にとってその欲望がいかに災厄の源泉であるかを」
    (ミケランジェロ)
やりたいことをやった上に、才能を発揮してすばらしい結果を残した人たちでも、
臨終に後悔しているのです。

すべての人はやがて必ず死んでいきます。私たちも例外ではありません。
人生を終わっていくときには、一体どんな後悔が起きてくるのでしょうか?

それは、よくある「やりたいことをしなかった後悔」とはまったく別の後悔であることが知られています。

死ぬときに後悔すること
人は、まもなく自分が死ぬと自覚したとき、今までとまったく違う後悔が起きてきます。

それは、臨終に自分の人生を振り返ったときに起きてくる
「自分の人生は一体何だったのだろう?」
「自分が生きてきた意味はあるのか」という「人生の目的への後悔」です。
この心の痛みを近年は「スピリチュアル・ペイン」と言われます。
医学では、肉体の苦痛には対処できるのですが、このスピリチュアル・ペインといわれる心の痛みはとることはできません。まったくのお手上げです。

これをお釈迦さまは、「大命まさに終らんとして
悔懼(けく)交(こもごも)至る」
(『大無量寿経』)と説かれています。

「大命(だいみょう)」とは、肉体の命です。
「まさに終わらんとして」ですから、命がいよいよ終わろうとする臨終に、ということです。

「悔(け)」とは、過去に対する後悔
「懼(く)」とは、未来に対する怖れです。

臨終の人の心に、後悔と怖れが代わる代わる起きてくるということです。

過去に対する後悔とは、これまでの人生を振り返って、何にもならないものばかりを
求めてきたという後悔です。

死出の旅立ちには、今まで必死でかき集めたお金も財産も一円たりとも持っていけません。

愛する家族もついては来てくれません。
自分の肉体さえも焼いていかなければなりません。人生に求めるものが間違っていたのです。

物心ついた頃から死ぬとわかっていたのに、
なぜ死の大問題を解決しなかったのか。
死を見つめずに、目を背けて逃げ回っていたのか。

あと回しにしているうちに、あっという間に人生が終わってしまい、
取り返しのつかない後悔をするということです。

人は、何のために生きているのでしょう?
おばさんが亡くなったというハガキ。うちの娘たちもかわいがってくれた方だったので、ショックでした。
慌てて伺ったお家には、ジャージをはいて夜勤開けだという、その家の長女の夫。
犬がいるので、餌やり。
仏壇は無く、縦型のテレビ台をぶち抜いたところに、おばさんの遺影と半年前に亡くなったおじさんの遺影。
おばさんの遺影の前には、十字架がかかった遺骨。おじさんの遺影の前には、仏教の遺骨。
何だか、違和感を感じながら、婿との話。
この家も、誰も住む人がいなくなるので、売りに出すと言う。
おばさんの意思で、仏壇もお墓も用意しなかった。
遺骨は、市内の共有墓地に収めるとのこと。
本当に、それで良いのか?と、思いながら、・・・。うちも、夫は次男で、娘二人。
次女に、「名字を名乗ってくれる旦那さんをよろしく!」と、言うと、そんなことを言っているのは、お母さんだけ!と捨て台詞。
夫は、海に散骨派。墓は立てないと言う。
これからどうなるのか?そんな話は、いつも、後回し。
目の前の生活に追われる毎日。

時間ばかり、流れていく。

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娘二人が嫁いでしまうと、この家を処分してほしい
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