Ⅰ 憲法の力
1 憲法はどう生きてきたか
2 憲法と「現実」の間
Ⅱ 憲法九条と二五条
3 憲法9条と25条・その力と可能性
4 3・11が投げかけた課題
Ⅲ 憲法史をめぐる断章
5 日本国憲法運用史序説
6 日本国憲法の五〇年
7 二つの憲法との格闘
本著作集は、筆者が一九七〇年代後半以降四五年あまりに発表してきた論稿の一部を、いくつかの領域に分けて編集した自選の著作集である。
大学時代、学生運動の片隅に加わる中で、この社会の困難を解決し、人々が幸福に暮らせる社会をつくるには現存する政治・社会を変革していかねばならない、そのためには、当の日本社会と国家の構造を自分の手で検討・解明したいという思いを固めて以来、ひたすら前ばかり向いて走り続けてきた。今、ふり返ってみると、手をつけた課題は、戦前天皇制国家の構造の検討に始まり、憲法、企業社会、教育、自民党政治、象徴天皇制、冷戦後日本の軍事大国化と新自由主義改革、反新自由主義の運動から民主党政権、そして安倍政権、「平成」の天皇、コロナ、社会運動、対抗構想……と、よくいえば「多岐にわたる」が、冷静にみればあれもこれもの混乱、しかもそれら課題の検討のどれ一つ、完成したものはなく中途半端のままである。
そんな試行錯誤の産物ではあるが著作集として発表しても、と思うに至った唯一の理由は、筆者が、一見独立してばらばらに見える諸事象を、現代日本の社会と国家の特殊な構造の相互に関連ある構成部分として検討している点になにがしかの意義があるかと考えたことである。
現代日本の軍事、政治、天皇、治安、憲法、教育、イデオロギーなどなどを、社会の土台となる経済の構造、社会の統合の在り方に規定され特殊な相貌を帯びた、相互に関連する構築物としてとらえ、その構造の形成、確立、再編を歴史的に明らかにする、という方法は、『資本論』の著者、また『帝国主義論』の著者から学んだものであり、それを自分なりに具体化して行なったつもりである。
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全体の巻構成は以下のとおりである。
第1巻 天皇制国家の専制的構造
第2巻 明治憲法下の治安法制と市民の自由
第3巻 戦後日本の治安法制と警察
第4巻 戦後政治史の中の天皇制
第5巻 現代政治史の中の象徴天皇制
第6巻 日本国憲法「改正」史―憲法をめぐる戦後史・その1
第7巻 政治改革と憲法改正―憲法をめぐる戦後史・その2
第8巻 現代の改憲をめぐる攻防ー憲法をめぐる戦後史・その3
第9巻 運動が支える憲法の力ー憲法をめぐる戦後史・その4
第10巻 戦後日本国家の構造―企業社会・自民党政治
第11巻 グローバル化と現代日本の帝国主義化
第12巻 「帝国」アメリカの覇権と日本の軍事大国化
第13巻 新自由主義日本の軌跡
第14巻 新自由主義日本の現在
第15巻 現代日本国家と教育、イデオロギー
第16巻 運動・社会民主主義・対抗構想
あらかじめ、筆者が検討してきた諸事象の相互の関連性と検討の経緯を巻構成との関係で示しておくと、以下のようになる。
現代日本の国家と社会は、いきなり姿を現したわけではなく、明治維新以来後発の開発独裁国家として急速な近代化と植民地支配、帝国主義化を遂げた近代天皇制国家の崩壊・再編成から生まれた。現代日本の国家は、天皇制国家を直接の前提にし、それに規定されて形成された。そのため、筆者は、現代日本の分析を近代天皇制国家の専制的構造の分析から始めざるをえなかった。第1巻、第2巻に収録した論文で筆者は、国民をあれだけ長期にわたり戦争に動員しながらイタリアやドイツとも違って敗戦後も既存の支配体制を維持し続けた天皇制の構造を、天皇に政治権力を集中し市民の自由をトータルに抑え込んだ明治憲法の構造、さらには不敬罪や治安維持法という治安法制を素材にして解明を試みた。
こうした天皇制国家は占領改革で解体を余儀なくされたが、保守支配層は、天皇制時代の統治の経験を捨てきれず五〇年代にはさまざまな領域でその「復活」を図った。しかし、それらの動きは台頭する民主主義運動により挫折を余儀なくされ、自民党政治の転換が図られる。この自民党政治の類い稀な安定の秘密を探って、筆者は、自民党政治安定の土台となった、日本独特の強い企業への労働者の統合の仕組み―企業社会にたどり着いた。そこで、筆者は、第10巻所収の諸論文で、企業社会とそれに規定された企業主義労働組合運動の形成、自民党政治の安定の形成・確立過程を解明した。この時代に形成された教育の競争的構造(第15巻)、西ヨーロッパと対照的な、高度成長期以降の社会党の停滞(第16巻)も、筆者は、企業社会構造の産物として解明を試みた。こうした企業社会と自民党政治という戦後型政治の確立に伴って、天皇制国家の専制性を支えた治安法制や警察も再編成され、現代の国民統合を補完する役割を果たすようになった(第3巻)。戦後たえず復活が企てられてきた天皇制も、こうした戦後社会の中で大きく変貌した。そこで筆者は、第4巻、第5巻で、戦後天皇制が保守政治の下で変容を余儀なくされ、戦後型支配の補完物として新たな機能を果たしていくさまを検討した。
ところが、筆者が、ようやく、現代日本の国家の構造の解明にある程度の見通しをもった直後の九〇年代に入って、冷戦が終焉し、世界秩序が大きく変動する中で、企業社会と自民党政治も大規模な再編の過程に入った。現代日本の国家・社会の構造の再編の時期が始まったのである。筆者は、こうした再編が、冷戦終焉による自由市場秩序の大拡大、アメリカ一極支配による世界秩序の再編、多国籍企業間の「大競争時代」への突入という国際社会の変動と、高度成長以来巨大化し多国籍的進出を強めた日本資本の帝国主義化に根拠をもつものではないかと考えた。その再編の柱は、自由市場秩序擁護を掲げて「ならず者国家」への戦争に踏み込んだアメリカの要請に応じた自衛隊の海外派兵体制づくり・軍事大国化と、日本の巨大企業が世界的競争に勝ち抜くために要求した新自由主義改革の二本柱であった。そこで筆者は、第11巻で現代日本の帝国主義化の総過程を、また第12巻では軍事大国化の柱を、第13巻では新自由主義改革を検討した。
しかし、こうした再編成は、既存の国家構造の大規模な再編を不可欠とした。筆者は、九〇年代初頭に起こった「政治改革」をこうした再編のための突破口と見なして、第7巻で分析した。政治改革を踏まえて、自民党は大きく変貌し、小泉政権以降急進的新自由主義改革が強行されたが、それは、企業社会構造の下で社会保障の脆弱な日本においては他の先進国にはない矛盾と社会の破綻をもたらし、反新自由主義運動を昂揚させ、反新自由主義に転じた民主党の伸張と政権奪取をもたらしたのである。しかし、民主党政権は国民の期待を裏切り、第二次安倍政権が誕生し、後期新自由主義政治を強行した。筆者は、こうした政治の激変を、第14巻の諸論文で、新自由主義と軍事大国化の二本柱を軸に検討した。
筆者が、現代日本社会・国家の特殊な構造の歴史的変化を解明する鍵として注目したのが、憲法とその改変をめぐる対抗の推移であった。支配層が戦後統治に自信をもっていなかった五〇年代には憲法の復古的改変の動きが急であったが、戦後民主主義運動が復古的支配の企図を挫折させ、企業社会と自民党政治の安定期には支配層も憲法の枠組みを承認した統治を追求するようになる。ところが、九〇年代の再編期には、憲法は軍事大国化の障害物として新たな改憲の波がやってくる。しかし、こうした動きに改憲反対の運動が昂揚し、未だに改憲は実現をみていない。筆者は、第6巻から第9巻に収録した著作や諸論文を通じて、こうした憲法をめぐる支配層と運動側の攻防を軸にすえて、現代日本の国家・社会の構造の形成・確立・変容の過程を描くとともに、運動が構造に与える刻印を明らかにしようと試みた。
筆者が、戦前天皇制国家から戦後国家への転換、現代日本社会の歴史的変化を解明するために、憲法と並んで注目したのが、天皇制である。天皇制は、憲法改革と戦後社会の新たな統合の構造の形成によって大きな変貌を余儀なくされた。第4巻では、戦後社会の形成・確立の下での天皇制を、第5巻では、「平成」の天皇期の、政治と天皇の関係を分析した。
筆者は、当初、自分の課題を変革の対象たる現代日本国家の構造分析に集中し、それと対抗し、それに影響を与える運動については、正面から検討してこなかった。しかし、実際には、運動は現代日本国家・社会の構造自体に絶えず影響を与え、またその影響を免れない。そのため、ある時期から、運動と対抗構想をも検討対象に加えざるをえなくなった。第16巻所収の論文は、そうした運動と対抗構想の検討の一部である。とくに、筆者は、戦後日本の運動に独自の役割を果たした「社会民主主義」に注目して検討を行なった。
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冒頭ふれたように、筆者の作業は未完である。この著作集は、筆者にとって、中間総括である。二〇一五年、戦争法に反対する「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」のイニシアティブでつくられた、野党共闘が、ジグザグはありながら発展し、自公政権に代わる選択肢として立ち現れている。この共闘が、政権を握り政治を変えることによって、現代の軍事大国化と新自由主義政治を阻止し、この著作集の続編が必要になる日が来ることを切望している。
二〇二一年三月
渡辺 治