ある癌サバイバーの記録

大腸癌ステージⅢ治療記録
どなたかのお役に立てば幸いです

Profile

年齢:60代
職業:兼業主婦(自営)
趣味:ウォーキング・水泳・ヨガ・読書・旅行・温泉
体質:きわめて頑健

序章 はじまりのはじまり

それまで病院とは無縁の生活をしていた人間です。

2017年7月半ばのある日、ピタッと排便がストップしました。
生まれてこのかた、ずぅっと便秘ぎみだったのが、一年前くらいからゆるくなり、日に2~3回も出るという、嬉しいやら何やら分からない状態が続いていました。なのに、なんで今さら便秘?と不思議に思いつつ、2・3日様子をみていました。ところが、待てど暮らせど出てくれない。思いきって下剤を飲んでも出ない。あれれ??

思いあまって、近所の胃腸クリニックに駆け込んで、浣腸を所望いたしました。ですが、2本入れても出ない。
おかしいなあ、しつこいなあ…と思いつつも、その病院の医者がそもそもヤブな感じだったので、こりゃダメだと諦め、翌々日、別のクリニックの門をたたきました。出なくなって6日目のことです。このときはもう、お腹が張って張って、臨月な妊婦状態になっていました。むろん、食事なんか摂れません。

2軒目の医者は、新進気鋭といった感じの若いドクターで、受付で嘔吐しかけた私を見て、すぐレントゲンを撮り、「これは便秘じゃありません。腸閉塞です」と即断。手術ができる大きな病院に行ってください、と紹介状をもたせてくれました。おそらく、いやきっと、その腸閉塞が何なのかということも彼は分かっていたのでしょう。私だけが、ええ~腸閉塞~?なにそれ?な感じだったわけです。そして、その足で、救急も受け入れている大病院へ向かいました。

第1章 腸閉塞

午後遅くの受診だったにもかかわらず、すぐに内科の診察を受けられました。そして、麻酔なし下剤なしで内視鏡検査を受けました。検査のあと、画像を見ながら改めて病状の説明を受けました。

自然に起こる腸閉塞は食べ物などが詰まって起こるが、大腸みたいな太い管が詰まるのは、食べ物のせいじゃない。あなたの大腸を詰まらせているこの黒い塊は、癌です。検査したわけではないけれど、これが癌でなくて何なんだというくらい癌です。と言われ、

「癌ですか。が~ん」と言ってしまった私。あほか。

S状結腸に発生した腫瘍がもりもり増殖して、腸管いっぱいに膨れ上がってしまった状態でした。きっと先週までは、まだ真ん中があいてて、そこから軟便がゆるゆる出ていたのでしょうが、6日前に、ある衝撃でビタっと閉じてしまったわけですな。

しかし、このときはもう癌だろうがおできだろうが、なんでもいいから中身出してくれ~死ぬ~という状態になっていました。お腹がふくれて胃のところまで苦しい。癌で死ぬよりお腹が破裂して死んでしまうよなこりゃ、と思いました。

治療には長期の入院が必要です、といわれて、ええ~!?1週間とか2週間ですか?と聞くと、ひと月ふた月かかるでしょう。
ええ~~!?そんなあほな。仕事どうすんねん。身辺整理もしてこなかったのに…

そのまま病室に案内され、さっそく減圧療法という内科的処置がほどこされました。とりあえずは、内科的処置で対処できるならやってみようということなのでしょう。内科のドクターは土日も来てくれて、せっせと減圧療法してくれました。

この療法は、腫瘍のかたまりの中にチューブを差し込んで、向こう側にたまっている便を空気圧を利用して吸い出そうというものです。シュパシュパして便を吸い出すんですが、チューブの途中に便が詰まってしまうと流れにくくなるし、向こう側の入り口で詰まったら、もうアウトです。で、2日目にはアウトな感じになってしまいました。

減圧療法もうまく進まず、内科病棟では眠れぬ夜を3夜過ごしました。口からの嘔吐物は便でした。口からうんこ出すなんて世も末だな。このままだと腸が破裂して死んでしまうな。いや今すぐお腹切って死にたいわ…… 悶々と、時間だけが過ぎていきました。

第2章 人工肛門

そんな週末を経て、月曜日、とうとう外科に回されました。
外科のドクターの意見では、この腸閉塞を解決するためにはふたつの方法があると。ひとつはステント挿入、もうひとつは人工肛門造設。
それぞれのメリット・デメリットを提示して、
「どちらにします?」
「ええ~っ、おススメはどっちですか?」(居酒屋トークか)
「いえ、ご自分で決めてください」
「うう……ええと…じゃあ人工肛門で」

ステントは、体へのダメージは軽いかもしれんけど、詰まったらまた出なくなるじゃないですか。確実に出せる方法は、やっぱ腹切りでしょ、と思いました。

で、その夕方に、さっそく人工肛門造設の緊急手術となりました。バタバタの展開でしたが、腸も破裂寸前だったので、さっさとしてもらうほうがありがたかった。家族はもう帰ったあとだったけど、そのまま手術受けましたわ。家族もすぐに引き戻されて、手術に立ち会わされました。ほんとに患者の家族って大変です。ある意味、患者以上に大変です。

手術は3時間くらいだったと記憶しています。全身麻酔から覚めると、HCUという術後用の病室にいましたが、うめき声がうるさい患者がいたせいで、いやおかげで、すぐに一般病棟に戻してもらえました。今度は外科病棟です。

人工肛門=ストーマは、もちろん人生で初体験です。
肛門に器具をつけるのか?なんて思ってる方、ぜんぜん違いますよ。大腸の途中を切断してお腹の外に出すんです。外から見ると、飛び出した腸管が梅干しのように見えます。で、そこから便がニュルニュル外に出る、という仕掛けです。

便はのべつまくなしに出るので、袋をかぶせておきます。この袋のお世話が、馴れるまで大変なんですよね。袋の中身を便器に流すのも、最初はほんとに大わらわでした。あたり一面に飛び散って、毎回這いつくばってトイレ掃除。そのうち、袋の種類も色々あることを知り、こりゃええわいと喜んだのもつかの間、お値段もそれなりで、しかもすべて自費なので、今度は財布が痛むという…

ストーマを造ったからといって、すぐに便が出るわけじゃありません。2日目まではイマイチでした。ナースさんたちが、動け歩けとハッパかけるので、痛いお腹をかかえながら廊下をウォーキングしていると、だんだん出てくるようになりました。3日目くらいからドバドバあふれるように便が出て、お腹もだんだんぺっちゃんこになっていきました。ほんとに嬉しかったです。運動って驚異の万能薬です。

3日目から食事も始まりました。出すために入った病院で、まさか食べるなんて思いもよらなかったので、初めての食事は、スプーンもお箸もなく、付属のプリンの紙スプーンで食べました。食事のことなんか、まるっきり忘れていましたから。

そもそも入院前からずっと絶食状態で、入院してからは、点滴と、溜めこんだ皮下脂肪を使って生きてました。おかげで体重は、この時点でマイナス4キロ。(ここからもっと減っていくのです)

ストーマ生活はトータル2週間に及びました。お腹が軽くて、体重も軽くて、食事は上げ膳据え膳で、暇っちゃあ暇ですが、夏のバカンスと思えば至上のバカンスです。癌のことも忘れて、超快適な入院生活を送っていました。

ずっと4人部屋でしたが、あの人なんで入院してるんだろ?と、救急病院の患者としては不可解な立ち位置で過ごしておりました。こういう病院は、急性期を過ぎたら、他の病院に転院するのが規則ですから。

ですが、このときまでの私の病名は「腸閉塞」です。手術も腸閉塞を治療するための手術でした。内科病棟と合わせて、このときまで18日間、腸閉塞患者として入院していました。

第3章 腫瘍切除

ストーマ・ライフも軌道に乗り、体力も回復したころ、いよいよメインの腫瘍摘出手術が近づいてきました。

手術に先だち、また内視鏡検査を受けました。今回は下剤をかけて、しっかり腸の中を綺麗にしてから検査しました。

世間では、1リットル以上の下剤を飲むのがつらいとかなんとか言われているようですが、いや大したことありませんって。下剤は飲んだら出てくれますから、腸洗浄と思えば、逆にお得感ありまくりです。しかも普通の人の検査は、麻酔かけてやるそうですが、私なんか、前回も今回も麻酔なしで、ぐりぐりされました。なにが痛いって、これが激烈に痛かったです。

検査したドクターは懐かしの最初の内科医で、前回と違い、腸内が綺麗なもんだから、綺麗になりましたねえ!と大喜びで、丁寧にあちこち見まくっておりました。前回はウンチまみれの腸でしたからね。

下剤かけた腸管は、活火山みたいな黒い腫瘍以外は本当に綺麗で、宿便って都市伝説だったんだと思い知りました。

で、内視鏡やCT検査の結果、転移はないということが分かったので、ターゲットはひとつにしぼられました。あの黒いヤツだけ取ればいいと。
そんな手術の説明やらなんやら経て、いよいよ手術となりました。

手術は腹腔鏡手術で、5時間くらいかかったようです。大腸を30センチほど切除し、そのまわりのリンパも規定どおり切除。ストーマも埋め戻されました。

手術に立ち会った娘は、切り取った大腸を見せてもらったらしい。彼女は医療関係者だからまあ一般人より刺激は少ないでしょうが、患者本人には見せないというのも変な話ですよね。最初にリクエストすると見せてもらえるのかしら? 麻酔が覚めたころには、もう検査に回してるから見られないのかな。

術後は例のHCUに入室しました。このときはここで2泊3日しましたわ。これが地獄と言わずしてなんと言おうってくらい地獄な日々で…
 
今回の手術は、前回のストーマ造設のように単純なものではなく、腫瘍切除とストーマの埋め戻しもしたので、術後の痛みが半端なかったです。

手術時間も長かったので、喉に入れられた気道確保のチューブのせいで痰はからむわ咳は出るわ、挿入された尿道管は痛いわ、なにより切られた腸が痛いわで、体の痛みは相当なものでした。猛烈な寒気もして体温が40度近くにまで跳ね上がりました。そのうち下痢便が出て止まらなくなったり、貧血でぶったおれたり、術後の状態はストーマ手術のときとはぜんぜん違いました。

自分の状態だけでも大変なのに、同じ室内にいるお年寄りの患者さんの痰取り作業の機械音とわめき声が夜中じゅう断続的に続き、ナースが地獄の鬼さながら、安眠している哀れな老人をたたき起し、いじめているように思え、ここは地獄の1丁目かと…。術後のせんもう状態が、そのイメージにますます拍車をかけ、初日は特に、ほんとに地獄のような夜を過ごしました。

第4章 術後の生活

そんな地獄ルームを経て、一般病棟に戻ってきたら、ああ、なんて清潔で静かで気持ちいい世界なんだろう!と本当に感激するばかりです。回診にきた主治医も「顔色がずいぶん良くなりましたね。あの部屋はちょっとねぇ」と、なんだ知ってるんじゃん。さっさと戻してほしかったよ。2泊はきつかった。

で、落ち着いてわが身をみると、あら、リストバンドが変わってる。そう、もう腸閉塞患者じゃないのです。腫瘍手術後は、癌患者としての入院生活がスタートしました。

さて、術後に、はじめて正式な病名をいただきました。大腸癌ステージⅢa。
ステージⅢは転移があることを意味するそうです。切り取ったリンパ節の細胞にひとつだけ転移があったので、Ⅲaという評価になったらしい。

微妙なレベルですが、ステージⅠやⅡとは、まあ全然ちがうでしょう。あんな活火山みたいな凄い塊なのにⅢaで済んだのは、見えない存在たちの護りの強さのおかげとしか思えません。

さて、術後は、切除した腫瘍箇所とストーマ箇所に「ドレーン」というチューブが2本ささっていて、この管から余分な液体を排出します。

HCUにいたときは、体に何がどれだけくっついているか分からないくらい管だらけだったので、一般病棟に戻ってはじめて知りました。なんだこれは、てなもんです。このドレーンは1週間ほどでスポッと抜かれました。ドレーンがなくなる頃には、体温も血圧も正常になり、シャワーも解禁され、リハビリルームでのリハビリも始まりました。

ただ、便の状態が定まらず、下痢止めに「ミヤBM」を飲むと今度は便秘するという、新生大腸さん、ちょっと対応に苦慮していました。これも数週間すると落ち着いてきました。大丈夫。ただ、長さが決定的に短くなっているので、いくら腸が長いといっても、その点で今までとまったく違う感じがします。

私の場合、一番困ったのは、傷の回復の遅れです。
腹腔鏡手術の痕は細いので、それなりに順調にくっつきましたが、ストーマの痕は、ぽっかり開いているのをムリヤリむぎゅっとくっつけて縫っているので、どうしても隙間があきます。その隙間から化膿して、結局、糸をほどいて、パカッと開けた状態で流水消毒に励むことになりました。

体調は良くなってきたし、あとはストーマの傷痕だけという状態になると、傷のためだけに入院し続けるのも退屈で、自宅でしっかり傷のお世話をするからということで、退院しました。

7月21日に入院して、8月21日に退院。ひと月におよぶ入院生活にやっと終止符が打たれました。やれやれ。

第5章 退院後の生活

病院で毎日リハビリを受けていたとはいえ、しょせん数十分の運動。
自宅に戻って、筋肉の弱り方が半端ないことに愕然としました。

体重は、入院前より7キロ減。その割に体脂肪率の減少がイマイチなのは、脂肪より、他のものが削られてるからでしょう。筋肉とか。
こりゃヤバイということで、さっそくセルフリハビリに励みました。

とはいえ、傷口がパカッと開いているので、そんなにバリバリ動けません。日に3回くらいシャワーで洗浄しないといけないし。おもに自室での筋力トレーニングと近所の散歩。無理のない範囲でおこないました。買い物などは、初回こそ家族に頼りましたが、すぐ運動を兼ねて、自分で行きました。

服薬は特にありません。ひたすら傷が治るよう、お傷さまの面倒だけみましたよ。
1週間ごとに外来受診して、傷の具合をみてガーゼ交換し、ある程度綺麗になったとき、再度、縫合しました。

縫合してからも、完全にくっつくまで、お傷さまのお手当は続きました。傷がほぼくっついた頃、抜糸をして、また様子をみました。

この時期は、遠出することもせず、公園をウォーキングするなど、ひたすらリハビリに励みました。傷がふさがってからは、待ってましたとばかりにジムのプールで泳ぎ始めました。死ぬほど幸せでしたわ。

9月半ば頃、再発防止のための抗癌剤治療の提案を受けました。
これは家族同伴で説明を聞きました。

第6章 抗癌剤治療

どこの病院でもそうなのかどうなのか分かりませんが、私のかかっている病院では、ドクター主導で治療方法を決めるということをしません。腸閉塞のときも、治療方法は患者が選びましたし、腫瘍摘出手術も、手術前に、するかしないか改めて確認されました。(どう考えてもしないわけないやん、あんなでかい塊なのに)

今回の再発防止のための抗癌剤治療も、メリット・デメリットの説明は詳しくされましたが、受けるか受けないかは患者次第という形で提案されました。抗癌剤の説明を聞いていると、噂にたがわずリスキーな治療なので、はじめは受けない方向に、心が固まりつつありました。免疫力アップやら自己治癒力活性化やらは、代替療法が専門の私なら簡単にできるわ、てなもんです。

しかし、乳癌サバイバーであり癌友が多い妹のアドバイスを受け、とにかくやれることは全部やっておこうと、最終的には受ける決心をしました。腸閉塞で死にかけていたとき、西洋医学で命を救われたインパクトは大きかったです。

ドクターも、とってもゆるい感じで、きついときは休めばいいし、ダメならダメで途中でやめてもいいし、受けなかったからといって、再発したとき面倒みないわけじゃないし、どんな状況でも万全のサポートをするから、安心して自由に選んでください、ということでした。無理強いしないこの態度も好感がもてました。

こういう話をすると、そりゃあなた、責任取りたくないから全部患者に選ばせてんのよ、という意地の悪い見方をする人もあるでしょうが、私はそうは思いません。自分の身体を治すのは他人ではなく自分です。最終的には自分のもっている治癒力で治るわけですから、どんな治療を受けるか、誰に任せるかなど、患者自身が主体的に決めないと、本当の健康は手に入らないんじゃないでしょうか。自分の人生、人に丸投げしていいわけないし。

今回の体験では、現代医学もここまで来てるんだなあと目からうろこが落ちる思いがしました。代替療法家のほうが、むしろ、ぜったいこれがいいから!など、強制的に勧める傾向が強いので、注意しなければいけないポイントだと思います。自戒をこめて。

この治療は、半年たってから、やっぱり受けますと言っても、もう受けられないそうで、術後2カ月以内にスタートしないといけないらしい。そんなこんなで、じゃあ、とりあえず抗癌剤!(またもや居酒屋のノリ)てことで受けてみることにしました。

さて、抗癌剤治療にもいくつか種類がありますが、私の場合は、点滴だけ、点滴と服薬、服薬だけという3つの中から選べました。点滴は、後々まで手足のしびれが残るというのを聞いて、これは絶対ムリと思い、服薬だけで受けることにしました。

そして、抗癌剤ゼローダを処方されました。服薬だけでも様々な副作用があるので、それを軽減するための薬も2種類処方されました。

抗癌剤治療は、1回で終わるというものではなく、数回、定期的に受けるようになっています。
私の場合、ゼローダ服薬2週間、休薬1週間。トータル3週間が1クールになっています。これを8クール受けると終了というスケジュールです。9月下旬からスタートしました。

途中、やはり抗癌剤の副作用のせいで白血球が減少しすぎ、安全のため1クールお休みという事態も発生しました。そのお休み期間後は、服薬2週間、休薬2週間というゆっくりペースに変更して続けました。抗癌剤は最初は楽々でも、積み重なると副作用も激化してきます。まあ薬が効いてると捉えるべきなんでしょうけど、さすが抗癌剤やね。なめたらいけません。

このころにはもう生活も通常のペースに戻り、仕事もぼちぼち再開していました。
ですが、悪名高い抗癌剤のためには、やはり特別の対策を講じなければなりません。
私がおこなってきた対策を以下にご紹介します。ひとつでもお役に立てば幸いです。

【サプリ】

◎乳酸菌プロテサンS(癌患者御用達高額サプリ。高いので最初はケチケチ1包ずつだったが、副作用に対抗するため2包、3包と増えていった。プロテサンは乳酸菌数によってグレードが種々あるので、治療中、治療後、健康維持など、必要に応じて飲む量やグレードを変えて、こまめに調節するのが無駄のない摂り方)

◎ビタミンC(病人はもちろん健康な人でも飲んだほうがいいと言われているので、こまめに朝晩摂取)

◎ほかの乳酸菌、酪酸菌のサプリ(手軽に安心して飲める乳酸菌錠剤は「新ビオフェルミンS」。酪酸菌は宮入菌の「強ミヤリサン」。宮入菌は善玉悪玉菌のバランスをコントロールする働きがあるので、善玉の乳酸菌がより有効に作用してくれるように思う。ただ、私の場合、規定量を飲むと便秘気味になるので、半量が適量と悟った)

◎ブロッコリスプラウトのサプリ(理想は毎日せっせと食品で摂ることだが、ずっと毎日続けるのはムリなので、カゴメの「スルフォラファン」というサプリを愛用)

【食事療法】

◎主食は玄米・胚芽米・金芽米などと雑穀をまぜた雑穀米

◎陰陽調和した野菜重ね煮の味噌汁(毎朝の定番)

◎納豆(毎日1個)

◎黒豆(なぜか黒豆。ほぼ毎日)

◎アーユルベーダの完全白湯・びわ茶

◎一口20回噛む・できるだけゆっくり時間をかけて食べる(これは消化器系の術後患者には必須項目ですが、そうでない人にもじつは必要)

◎ご飯など炭水化物は、おかずを半分以上食べてから食べる(カーボンラスト。血糖値対策にもなります)

◎アルコールはおちょこ1杯(アルコール摂りすぎで癌になったのでもう飲みたくない)

【身体療法】

◎官足法による足揉み療法(毎日のセルフ足揉みと定期的なプロマッサージ)

◎ヨガ・水泳・ウォーキング8000歩以上(毎日どれか)

◎温冷浴・裸療法(西式健康法)

◎セルフヒーリング(レイキ)

以上、あれこれ挙げましたが、基本的に、癌を生成増殖させた過去の自分ときっぱり決別して、まったく違ったライフスタイル・メンタルを再構築することが、再発防止のための必須要件だと私は思います。それが、生活習慣病とよばれる疾患の一番効果的な予防対策ではないでしょうか。

一病息災の意識をもってこの経験を生かし、救われた身体を大切に保持していきたいものです。

第7章 治療終了後の生活

さて、抗癌剤治療終了後の生活について書きます。

まず、まだ服用中だった2017年2月末、術後半年のCT検査を受けました。

CT検査は入院中に2回受けていたので余裕のはずが、注射や点滴の記憶がびっくりするほど薄れていて、はじめて受ける素人みたいに緊張しまくったのが、我ながら可笑しかったです。こりゃ、いい歳して生娘ぶってるオバサン状態だなと。点滴台蹴り押しながらコンビニまで歩いて行ってたのは誰だ。

で、受ける前は死ぬほど緊張しましたが、おかげさまで、異常ナシという結果をいただきました。やれやれ。

その後も、抗癌剤治療は続き、服薬休薬の8クールすべて終わって治療の終了宣言が出たのが5月初めでした。

さすがに、終盤は、長期にわたる服用のせいで抗癌剤の化学物質が蓄積されてきたのか、副作用もじわじわきて、ああ、これも副作用のひとつなのかなという症状が出たこともありました。爪の先が割れやすくなるとか、指の皮膚がむけるとか。ただ、発熱や吐き気などは皆無でしたが。おかげで、体重は順調に上昇(笑)。せっかく7キロやせたのに、3キロも戻ってしまいました。

服薬は、実質4月中旬に終わっていたので、ひと月もしたら、抗癌剤も抜けて爽やかになるだろうと期待していましたが、抗癌剤、そんなに甘いもんじゃない。
本当に、抜けた!と感じられるようになったのは、ふた月過ぎてからでした。

これを書いている今は3か月たっていますが、もはや抗癌剤の記憶もなくなりつつあります。人間の順応力ってすごいですね。私の記憶力が情けないだけかもしれんけど。

そんなわけで、治療後の生活といっても、特筆すべきものは何もありません。治療中の生活を継続維持しているだけ。
いきなり大酒くらうようになったとか、運動やめたとか、ハードワークしてるとか、そんな呑気なことは何もありません。

ガンが生活習慣病というなら、生活習慣を変えるしか再発防止はないでしょうし、以前の生活が最悪だったことは、なにより本人が一番よく分かっているので、淡々と新たな自分を生きるしかありません。それでも再発したら、これはもうさっさと魂の故郷に戻っておいでということなので、ある意味、本望です。

完治を目標に生きるより、好く生きることを目標に、今日も淡々と暮らしています。
なんといっても、人生は、時間の長さ(量)ではなく、中身(質)が問題ですからね。