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浅井隆さんは第二海援隊の代表取締役社長です。
そして「経済ジャーナリスト」金融・経済の専門家でもあります。
そして数々の著書を出版しています。
そんな浅井隆さんは、一体どんな人物なのか調べてみました。
浅井隆さんは、東京都千代田区御茶ノ水に本社を構える第二海援隊という会社で代表取締役社長をつとめています。
1954年東京生まれで、現在62歳です。
第二海援隊のホームページでは、浅井隆さんのコラムが配信されていて、写真も多数掲載されていますが、62歳とは思えない若々しさとフットワークの軽さとバイタリティがうかがえます。
浅井隆さんは東京生まれだそうです。
その後、千葉県市川で過ごします。そして、3歳位から小学校3年まで6年間を柏で過ごしたそうです。
浅井隆さんの小さい頃の思い出は、柏での思い出だとご本人もコラムで述べています。
そして国鉄マンだったお父様の意向でm小学3年生の3学期からは東京都の板橋区に引っ越しました。
思い出深い柏は、住宅地は全くない林と田んぼだらけの自然に囲まれた場所だったそうです。
そこで、浅井隆少年は、虫取りをしたり、田んぼの稲刈りをしたり、のびのびと自然の中で暮らしたそうです。
一方、引っ越した先の板橋区の稲荷台は、住宅と工場が立ち並ぶ土地で、浅井隆少年は緑のない景色にショックを受けたそうです。
コラムの中で浅井隆さんは「コンクリート色の都会」と表現しています。
浅井隆さんは高校時代は理工系を志望していましたが、「成長の限界」という本に強い衝撃を受け、政治を学ぼうと両親に内緒で志望先を早稲田大学政治経済学部に変更したそうです。
早稲田大学在学中に環境問題を研究する「宇宙船地球号を守る会」などを主宰するのですが、「自分の知りたいことを本当に教えてくれる人はいない」と感じてしまい大学を休学することになります。そして、海外放浪に出るのです。
今の浅井隆さんの原点を感じますね!
また、大学1年生のときから学習塾を主宰し、“日本の心”を伝える歴史学や道徳も教え、それが勉強会、セミナーの原型となりました。
海外放浪を経て帰国後に浅井隆さんは早稲田大学を中退しました。
そして、毎日新聞社に入社します。
浅井隆さんはそこで写真記者として世界中をまわる過酷な勤務をしながら経済についての勉強と執筆活動を行います。
その後バブル崩壊後の円高や平成不況の長期化、金融機関の破綻など数々の経済予測を的中させ、数々のベストセラーを誕生させ、経済ジャーナリストとして活躍します。
そして、1996年に第二海援隊を設立します。
現在、第二海援隊の代表取締役社長をつとめながら、執筆・講演活動も引き続きおこなっています。
また、2005年に日本を改革・再生するための会社「再生日本21」を創設しています。
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■今の日本人は、
お金を持っているほど質が悪い。
他人の事を考えない。
金さえ払えば
何をしてもいいとばかりに、
傍若無人にふるまう人間が多い。
■人のせいにしたらおしまい。
もう成長できない。
失敗のない人生などありえない。
失敗しても良いのだ。
重要なのは、
それを次にどう生かすかだ。