《ある・まま》生きる
~心とじぶんへの目覚め~

《ある・まま》生きるとは
内に“ある”ものを「ある・まま」外へ誕生させていく事。

私はじぶんに「こんな私」と名付けました
私はじぶんに名前を付けました。

「こんな私」と。
 
変われない私。
落ち込む私。
やっぱりダメな私。
大したことない、普通の私。
行動できない私。
世間知らずな私。
親のせいにしてきた私。
プライドが高い私。
諦める私。
デブでブスな私。
雑な私。
人に合わせる私。
 
その私は小さな小さな箱に入って
それは寂しそうにうずくまっていました。

普段は「こんな私」の上に
「普通の私」の仮面をかぶり
外では平気なフリして生きていていました。

そして、一人になると思いました。
  
「こんな私」をどうしようか。
どうしたら私の中から居なくなってくれるだろうか。
「こんな私」さえいなければいいのに・・・

「こんな私」と決別するため、
「こんな私」を乗り越え、克服するため
「こんな私」を病気扱いし、治すため
たくさんの時間を使いました。

でも、けっしていなくなったりはしませんでした。
  
「こんな私」を抱きしめても、慰めても、
いなくなりはしませんでした。

終わらないらせん階段みたいでした。

「こんな私」は私の中にいる事を諦めませんでした。

「こんな私」が、私であり、
じぶんであることを思い出すまで。

たくさんの「こんな私」は
確かに私の中にありました。

あったのに、どこか心の隅にある箱の中に
無意識に隠すように閉まってあって。

なくそうとすればするほど、苦しかった。 
なくそうとするから、苦しかった。

隠すように閉まった私からは声など聴こえてこなくて
ただ「苦しい」と言う事しか分かりませんでした。

でも、心の声にひたすら耳傾け続けていると…
やっと、やっと、やっと聴こえてきました…

“「こんな私」でも、いないことにしないで”
“「こんな私」でも、ここにいていいと言って”

「こんな私」はあるものなのに
どこかへ隠してないことにすることは
あるものを「ありません」
と、否定しているのと同じ事。

「こんな私」はどこかへいなくなって欲しい。
まさに、私はずっと自己否定をしていました。

「こんな私」は、確かに私の中にありました。

あるものはある。

そう。
「こんな私」はただ《ある・まま》いればよかった。
「こんな私」のまま生きてよかった。

《ある・まま》生きる。

それは、
内に"ある"ものを
《ある・まま》外に誕生させていく事。

内に"ある"もの。
それは、心に湧く「思い」「気持ち」
そして「願い」。

時に、内に“ある”ものを外に誕生させるのは怖い。

心に湧くものはキレイなものばかりじゃなく
ドロドロ・トゲトゲしてる気持ちだってあるから。

「そんな無理だよ!」って言われそうな
(本当はこうしたいのに…)という
じぶんの「願い」だってあるから。

でも、ドロドロ・トゲトゲした気持ちも
じぶんの「願い」の手前に“ある”もの。

だから、怖がらずに誕生させていい。
安心して誕生させていい。

じぶんの「願い」を叶えるために。

その為の、生きる伴走者として、私は生きています。

全ての気分・表情は
《あっていい》

心に湧いて
ダメなもの・おかしいもの・変なもの
なんて、一つもない。

ある・まま生きるには

原因探しではなく、心で感じる事

イライラしてムカついてトゲトゲする気持ち
ガッカリしてザワついてドロドロする気持ち

この心地悪い気持ちはなんでだろうって
それはそれは長い時間をかけて
過去の中から“原因”を探していませんか。

原因を見つけると、納得は出来たけど
心地悪い気持ちがなくなるわけじゃない。

私は、原因探しにも疲れ果て
諦めかけていたころ…

心で感じている事を
ただ、感じる事をするようになりました。

原因は原因ではなく、過去は過去へ戻っていく
~原因も過去も《ある・まま》へ~

「ただ、感じる」をやってみたら
やった事がない事に気付きました。

ノートもペンも必要ない。

ただ、ひたすらじぶんの心に刻まれている気持ちを
細かく、細かく、感じる。

悔しさ・哀しさ・怒り・憤り・不満
失望・落胆・恐れ・ムカつき・イラ立ち

感じきった時、過去にあった原因は原因ではなくなり
握りしめていた憎むべき過去は
とても静かに過去へ戻っていってくれました。

問題は問題ではなくなり
過去も原因も《ある・まま》となりました。

知りたくてたまらなかった心地悪い気持ちの原因は
いたってシンプルでした。

それは、じぶんの「願い」と離れている事

探す場所と探すものが違っていました。

探す場所は、過去ではなくじぶんの心であり
探すものは、原因ではなく「願い」でした。

じぶんの「願い」に手が届く

「願い」と離れているなら近づけばいい。

過去ではなくじぶんの心に近づき
心に刻まれている心の声に耳を傾ける。

もしかしたらあなたの心の声は小さいかもしれない。  

“ある”けど、小さな声をかき消す
もう一つの声の方が大きいのかもしれない。

でも“ある”

“ある”からこそ
どうしてもじぶんを諦められないんじゃないでしょうか??

じぶんが何を望み・願っているか。

何かを手に入れる必要もない。
足りないものを補う必要もない。

「願い」の源泉である心に耳を傾ければ
本当のじぶん「願い」に手が届く。 



自然と日向ぼっこの様な安心感を感じる

心に湧き上がる内に“ある”もの。
それこそがあなた“そのもの”。

心に湧いて
・ダメなモノ
・変なモノ
・おかしなモノ
なんて一つもない。

全て、あっていい。
 
「こんな私」のまま、「こんな私」そのもので、生きていい。

ここへ来ると、何とも言えない
日向ぼっこの様な温泉に浸かった時の様な安心感が訪れます。

それこそが、あなたの一番欲しいもの。

闇があれば光がある

光があれば闇がある

心に“ある”ものを
曇って見えなくしている深い闇があるなら

深い闇を創る強い光がある。

あなたが輝き拡がるのは
その光に気付く時。

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プロフィール

二十歳年上の夫と娘一人の3人家族。

高校生の頃から「生きづらさ」を感じ始めます。

うつや過食症を患った20代。

こんな子に育てた両親をとても恨みました。

「「こんな私」の様にならない子育てはどうしたらいいか?」

と本気で考えていた私は、
長女の出産を機に子育てを学び始めます。

学びを進めるうちに
そもそも「こんな私」と思いながら育てる私が親であることが
子どもに一番悪影響であることに気付きます。

我が子に願うより、親である私が、じぶんの願い通りに生きる事。

何を手に入れる「やり方-doing-」を知るよりも
私がどう在るべきかの「あり方-being-」を整える事が大事であることを知りました。

同じようにじぶんを諦められない人、
また生きづらさを抱え、心病む人が
軽やかに《ある・まま》生きるための伴走者として活動しています。

情報発信
《ある・まま》話しています!
(シャウト系です(笑))

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