自己紹介
はじめまして。
斉藤鍼灸院院長の斉藤康寛です。
数ある治療院のなかから当院のページをご覧いただき、ありがとうございます。
当院は平成28年8月末より、江東区住吉1丁目から扇橋2丁目に移転しました。
(古いマンションの1階で、天井裏をねずみが走ってて嫌だったから。あと、冬が寒すぎる)。
縁あってこの江東区の地で、皆様の身体を診させていただき、はやくも丸5年になりました。東日本大震災のあった、2011年に開院いたしました。時が経つのは早いですね。
私のことを知らないあなたのために、また鍼灸治療に不安を感じるあなたのために、少しでも私のことを知っていただきたいので、
自己紹介をさせていただきます。
【いじめられっ子の小学生時代】
実は、私の小学生の頃の夢は獣医さんか、イラストレーターになることでした。当時流行っていた漫画『動物のお医者さん』の影響で、高校を卒業したら北海道大学に進学し、(なぜか)畜産の獣医になる。そして主人公のようにハスキー犬を飼うんだ!
そんなことを考えながら、学校から帰ると毎日のように図鑑を開き、ひたすら動物の絵を模写したり、写真集を眺めたりしていました。飼育係も大好きな仕事で、ニワトリやウサギに囲まれて、一人ワクワクしていました。
当時、私はいじめられていました。「いい子ぶり」「ネクラ」、運動神経の悪さ…。放課後になると、ニワトリ小屋に入り浸っていたのも原因かもしれません。もちろん、家族には内緒です。
中学生時代は、ほとんど一日中誰ともしゃべらずに過ごしていました。出席の点呼で、先生からも忘れて飛ばされたりしていました。それほど存在感がなかったのですね。
【イラストレーターになりたかった】
毎日のように模写をしていた私ですが、ところが、中学校では美術の成績は「2」ばかり。模写は好きだけど、まったくアイディアが浮かばない。自由に想像して描けばいいのに、どうしてもオリジナルの絵が描けない…。
アイディアは浮かぶものであり、考えてでてくるものではない。当時はそこら辺がわかっていませんでした。
難しく考えるあまり、そこから身動きが取れなくなる。頭が固かったのです。
中学を卒業する頃には、イラストレーターとしての独自性がないことに気づき、次第に獣医への熱い想いも忘れていきました。
【チベットとの出会い】
いじめの影響なのか、はたまた漫画の影響か、中学の終わりから空手(極真)の道場に通い始めました。高校からは少林寺拳法→中国拳法へと彷徨い、大学(歴史学科)からはいよいよ授業そっちのけで、拳法とバイトに打ち込んでいました。
人生の転機が訪れたのは二十歳ごろ。大学の図書館で見つけた、20世紀初頭のチベットの探検記にのめりこみ、大学4年生の時は一年間の半分がチベットを一人旅していました。
旅の中で、様々な経験と出会いがありました。ある村を訪れたとき、土の壁でできた掘っ立て小屋がありました。入り口には白い布がかかり、そこに赤い十字のマーク。病院です。現代日本では考えられない衛生環境ですが、そこが村の人々の生命線。
また、町のあちこちには、入れ歯や金歯・銀歯を売る露天商がいます。これまた衝撃的でした。こんな路上で入れ歯ですかっ。その場でカスタマイズしてくれるので、なかなかの商売上手?
旅をしていると、やはり土地の歴史、風習はおもしろいものだと気づきます。世界の不思議、この世の理をもっと知りたい。チベットでは何度か死ぬような目にあった。怪我、病気、逮捕…。なのに自分はまだ生きている。それはいったいなぜなのか…。 もし、自分に医療の知識と技術があれば、人の生死を「偶然」や「運命」に左右せず、選ぶことができるのではないだろうか…。そんなことをずっと考えていました。
【住み込みの弟子入り時代】
帰国し、無理やり卒論を提出し、なんとか大学は卒業できました。大学卒業後は拳法の関係で興味のあった接骨・鍼灸の学校に通い、また在学中から江戸川区に治療院を構える師匠に見習いとして弟子入りしました。
昔ながらの徒弟制で、朝から晩まで怒られっぱなしの毎日。「できない・知らない・わからない」はご法度の世界。
先輩と一緒の住み込み生活で、休日の朝は風呂・トイレ掃除から始まる。そんな厳しい修行の日々でしたが、おかげで現在は多くの患者様を診る機会に恵まれました。師匠と地域の皆様に感謝しています。
学生時代からのチベット愛のせいで、今では「チベット先生」と患者さんから呼ばれています。うれしいですね!
当院は突発性難聴専門の治療院です。不安を抱えるあなたの心に、「安心」を届けたい。
あなたに、「希望」を与える存在でありたい。
それが私の願いです。