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Essay


これまでに発表したエッセイ(archives)をはじめ、日々のことを徒然なるままに。。。

子供の頃は本を読んだり、文章を書くことが好きでした。会社員時代は広告コピーや編集記事を書いていた時期もあります。また少しずつ書いていこうと思います。

archives

週刊朝日【増刊】クオリタ 1998年10月25日号
楽しまなくっちゃ!!
イタリア的おいしい生活

I miei amici italiani
私の友だちのイタリア人

家、それは自分たちの美意識のショールーム

イタリア人の友だちからイチバン影響を受けたのは、その住まい方と自分たちの美意識へのこだわりだ。
彼らの家に遊びにいくとまず家中を案内してくれる。寝室、子供部屋、キッチン、バスルーム.....。どの部屋も整理されているわけではないが、「絵になるな」という感じだ。

彼らはまず照明に気を使っている。全体照明は極力使わずに、間接部分照明で部屋に立体感を作りだしている。日本の行灯(あんどん)は和紙越しの上品な光で彼らの間でも人気が高い。

次に家に置いてあるもの、置いてある場所にこだわりがある。自分の気に入らないものはそれが例え便利なものでも表に出すことはない(私の周りではスリッパはいちばんの嫌われものだ!)。ゴミ箱、ティッシュなどの生活感のあるものは人前に出さない。常に見せることを意識して、自分たちの美意識にこだわりを持っている。

でもとびきりお人よしの物理学者ウーゴが部屋にズラリと並んだカップラーメンの空きカップの前で「ステキでしょ?」と言ったときは、とっさに言葉が出てこなかった.....。

タタミルームの幸せ

近所に住んでいたいつもおしゃれなラウラがニューヨークに転勤することになった。
「タタミを持っていきたいんだけど、畳屋さんを紹介して」と電話してきた。「畳なんて、どうするの?」「リビングルームにタタミコーナーを作るのよ。布団を敷けば、友だちに泊まってもらえるしね」。
日本に住むとタタミファンのなるのかしら?

その後、私が念願のマンションを手に入れ、和室に絨毯を敷いてダイニングルームに改装しようとしたところ、強硬に反対したのはエレガントとは何たるかをいつも私に語るルイージだった。
「どうしてタタミルームにカーペット何で敷くの? あの美しいタタミの目、芳しい香り、日本の美を隠すなんてもったいない! 絶対反対!」とまくしたてる。結局、私は和室をゲストルームとしてそのまま残すことにした。

改装も終わり、友だちを新居に招待した。
子供を学校に送ってから出社する毎日で当時不眠症気味のダビデは私の家の中でこの和室がいたく気に入った様子。他の人がワイワイ騒いでいる間もひとりで瞑想していた。
「この感じ落ち着くなぁ。いい香りだね。ここならぐっすり眠れそうだ」と立ち去りがたい気配。

木の天井、い草の香り、障子越しの木の影.....。どうたら彼らにとって和室はアロマテラピーの効果があるらしい.....。

夫婦円満のコツ

私の知る限り、イタリア男はロマンチックで嫉妬深い。自分が浮気をしていても妻には絶対許さない。だから彼らは恋に弱いロマンチックな女性ではなく、現実的な女性を奥さんにするようだ。

イタリア夫はほめ上手でもある。特に奥さんを人前でほめちぎる。ピアノが弾ける、センスがいい、フランス語を話せる.....。そして新しい服を買った、髪を切ったとくる。とどめは奥さんを「ボクの宝」とまで言う。一方イタリア妻はほめられても、うろたえないし、夫をほめ返すこともない。彼女たちは夫が降り注ぐほめ言葉に「ほめられて悪い気はしない」程度に流しているらしいのだ。

こんな2人が気まずい雰囲気になったら、ともかく会話。これはどちらからともなくそうなるらしい。自己主張はお手のものなので、けっこうエキサイトする。言いたいことを言い合えばそれでだいたい収まるみたい.....。

しかし夫サイドから「東洋の女性は物静かで夫に尽くしていいだろうね.....」とため息とともに聞いたことが何度かある。私自身のことを含めてそれが幻想だと告げるのは、彼らのロマンチックな夢を壊すことになるので微笑みを返すだけにしておいた。

世界一おいしいイタリア料理

ジェノベーゼのマッシモは在日十数年のビジネスエリート。どうしてずっと日本で仕事をしてこられたかというと「日本は世界一イタリア料理がおいしい」からだという。
ジェノバでは彼のママは「トマト料理が食べたければ、ナポリに行ってちょうだい」と言って作ってくれなかったそうだ。それが日本ではイタリア中の味が食べられる。もちろんジェノバ風のパスタもナポリのピッツアも。

他の在日イタリア人からも日本のイタリア料理への評価が高い。彼らは「イタリア移民の多い、ニューヨークやロンドンは許せるけど、他では基本的にパスタがグチャグチャ。美食の国と自負するフランス人はパスタをナイフで切って食べるし、マドリッドのイタリア料理はケチャップの味だから失格。ブリュッセルのイタリアンレストランはテーブルにタバスコが置いてあって全然わかってない!」と厳しい評価なのだ。

「でも日本でもイタリア人シェフでなきゃダメなんでしょう?」と私が気弱に聞くと、「大丈夫。日本人は研究熱心だから日本では料理の本もたくさんあるし、テレビの料理番組も多いしね。それになんといっても「そばの国」の日本人はアルデンテのなんたるかを知っているよ」とマッシモは日本のイタリア料理を大絶賛してくれた。


イタリアーノはこうして作られる
「子供は遊びの中で学ぶ」ーこれが日本のインターナショナルスクール卒業後、アメリカの大学に通うエミリオの両親の子育ての方針。だから彼は16歳頃から週末は六本木で遊び、家庭のイタリア語、学校での英語に加え、日本語が家族でいちばん上手だ。そしてパーティーなど大人の集まりで皆んなを楽しませることもサラリとこなす青年に成長した。

私が見たイタリア人家庭にはエミリオの両親のようにそれぞれに教育方針があるが、基本はパパが息子を、ママが娘を躾けている。日曜ごとに教会に行くかどうかは別にして、カトリックの教えが根本にあるようだ。正直に、自分勝手をしない、困っている人を助ける、幸せを他の人と分かち合う.....と両親は繰り返す。パパはよく歴史の本を子供たちに読み聞かせる。ローマ時代の話からタイタニック号まで、たとえ子供が聞いていなくても。

そしてパパは男の子に小言を降り注ぐ。「ドアを押さえてあげて」「席をあの女性と替わりなさい」「ハンカチを落としたから拾ってあげて」「ママにジュースを持っていって」「あのおばあさんと一緒に横断歩道を渡りなさい」そして「ミーナのヘアスタイルいいね!」と女性へのリップサービスを忘れた息子に催促と続く。

私はこの父親の数かぎりない注意事項を聞いていると、「イタリア男は一日にしてならず」と納得してしまうのである。

日本人は恥ずかしがり屋か!?

有能なビジネスマンにして日本女性が大好きなステファノに「カフェにいる女の人、よく膝にハンカチーフをのせてるけど、あれはどういう意味なの?」と聞かれ、私は「日本人は恥ずかしがり屋だから隠したいのよ」と答えた。
すると彼は「じゃ長いスカートをはけばいいじゃない」と理解できない様子。「私もあれは幼稚っぽくて好きじゃないわ」とマリア。

ボディケアにぬかりがないエリザベッタは「確かに日本人って恥ずかしがり屋よ。同じ温泉でも韓国の人たちの方がみんな堂々と歩いていたわ」。
それに対して優秀なキャリアウーマンとして日本人ビジネスマンとも親しいマリアは「日本人が恥ずかしがり屋?恥ずかしがり屋ってシャイでしょう。なんでシャイな人が酔っぱらってカラオケ歌うの?」と猛然と反発。

「でも日本人のシャイと僕たちの思うシャイはきっと違うんだよ。だって仕事で警察にいったら、刑事さんが爪を切りながら取り調べしていたよ」というシャープばビジネスエグゼクティブ、マリオの発言に「エー、信じられない!」と一同は大騒ぎに。そしてステファノの「日本人って人前で爪切るの平気みたい。僕の会社の日本人部長もよくパチンパチンやってるよ」の発言のあと、みんなの視線が痛い。「そんな恥ずかしいことしないわ!」と私は必死にアピールした。

このとき、もし彼らが電車内の女子高校生の着替えを見てしまったら、強烈な質問攻めあうのだろう、と思わず覚悟を決めた。



夏のストッキングはエレガントではない
「アー東京の夏はサウナみたい。早く地中海が見たい」とバカンスが待ち遠しいマルコとガブリエッラ夫妻。数年前の夏の日、彼らの家で冷たいパスタを御馳走になっていたとき突然マルコが「日本の女性はどうして夏にストッキングをはいているの。日本人は暑くないの?」と私に尋ねた。

「うーん、あのつまり日本では裸足はカジュアルで.....」と答えにつまる私。「それってストッキングがフォーマルっていうこと!? フォーマルは他人を不愉快にさせないことが第1でしょう。夏のストッキングは見る人を暑苦しくさせると思わない? イタリアでは結婚式でもはかないし、レディD(故ダイアナ妃)だって素足よ」とヨーロッピアンエレガンスのなんたるかを主張する彼女。

そのときマルコが「でも、僕は君が気に入ったよ。だって素足なんだもの」とウインクと共に素早く私の足に触れた。マルコにはストッキングの問題は、暑さやエレガンスとは別の「触感問題」なのではないかという思いが私の脳裏をかすめた。

可愛いだけの日本の男の子?

せっかく東京にいるのだから日本人の男の子と付き合ってみたい学生のエレナの最近の好みは、ミーハーの彼女らしく、キムタクとサッカーの中田ヒデ。街で見かける男の子たちも清潔でファッショナブルなので日本の男の子に興味津々。

だが、ビジネスウーマンのクラウディアはエレナの話を一蹴する。「日本の男の子はね、自分のことしか考えてないわ。女の人はね、ファッションから音楽や映画まで話題が豊富だけど、男の子は文化的ではない。だいたい公私の区別がないわ」。

さらに日本の会社にいるクールなカルロッタともなると「絶望的」と言う。「ドアを開けない。混んだ電車でお年寄りに席を譲らない。エレベーターはさっさと降りちゃうし、奥さんが重い荷物を持ってたって平気で手ぶらで行っちゃう。ヘアスタイルもドレスもチラッとは見てもほめてもくれない。ロマンチックじゃないのよ。仕事のあと同僚と飲みに行くのがいちばん大事って思ってるみたい」。

私もちょっと厳しいと思いつつ、その通りと思い反論できない。

彼女たちの日本人男性へのメッセージ
「Ragazzi,siate naturali, siate amichevoli!」
(ナチュラルに、仲良くしましょう!)


 Fine(おしまい)
週刊朝日【増刊】qualitaクオリタ 
1998年10月25日号

家、それは自分たちの美意識のショールーム

イタリア人の友だちからイチバン影響を受けたのは、その住まい方と自分たちの美意識へのこだわりだ。
彼らの家に遊びにいくとまず家中を案内してくれる。寝室、子供部屋、キッチン、バスルーム.....。どの部屋も整理されているわけではないが、「絵になるな」という感じだ。

彼らはまず照明に気を使っている。全体照明は極力使わずに、間接部分照明で部屋に立体感を作りだしている。日本の行灯(あんどん)は和紙越しの上品な光で彼らの間でも人気が高い。

次に家に置いてあるもの、置いてある場所にこだわりがある。自分の気に入らないものはそれが例え便利なものでも表に出すことはない(私の周りではスリッパはいちばんの嫌われものだ!)。ゴミ箱、ティッシュなどの生活感のあるものは人前に出さない。常に見せることを意識して、自分たちの美意識にこだわりを持っている。

でもとびきりお人よしの物理学者ウーゴが部屋にズラリと並んだカップラーメンの空きカップの前で「ステキでしょ?」と言ったときは、とっさに言葉が出てこなかった.....。

時間を超えた海に遊ぶ
『LADIES' LIFE』July 1989

豪華客船時代の船出を告げる「ふじ丸」ー。

1989年4月29日、飛行機なら4時間で行ける香港へ、波と光と海風の豊かな時間をかけて4日後に到着。その後、台北、基隆に寄港して東京へ帰る10泊11日の処女航海に旅立った。”浮かぶリゾートホテル”を楽しむ数の衣装と、優雅に過ごすための小道具を大きなトランクにつめて「ボン・ボワイヤージュ!」。
船旅(クルーズ)はテープの虹を船腹にきらめかせて始まった。

洋上の社交界。エンタテイメントな夜が華やぐ。

キール・ロワイヤルを片手に......

夕方5時、出航の時から続いていたざわめきが消えていった。パブリックスペースには人影がない。ドレスアップのために皆、それぞれの船室(キャビン)にこもってしまったのだ。

今宵は船長(キャプテン)主催の「ウェルカム・カクテル・パーティー」。ロングドレスや訪問着に身を包んだ淑女と、タキシードやダークスーツの紳士が続々と登場する。真っ赤なタキシードのちびっ子紳士の姿も見える。まるで外国映画のワンシーンみたい.....私の気持ちもどんどん高揚していくのがわかる。

エメラルドラウンジでは、神津船長と武谷機関長がにこやかな笑顔で、ひとりひとりを招き入れてくれた。

カクテルを手に、船長を囲んでの談笑。ピアノの調べ。しだいに背伸びしていた気分が和らいでいった。航海中のすべてを託す船長の、おだやかでウィットに富んだ人柄が、この船の乗員(クルー)をはじめ、船室(キャビン)のすみずみまで行き届いているように思えた。

 

心から、どうぞよろしく.....

引き続いて「ウェルカム・ディナー」。一緒に乗船した方々300余人が、ダイニングルーム「ふじ」で一堂に会した。航海中の食事は、ほとんど決められた席(シート)でとるようになっているから、同席の方々ともあいさつを交わす。

船旅とは不思議なもので、乗り合わせた人々がとても親しくなってしまう。初めて乗船した時、乗員たちが口々にする歯切れのよい「こんにちは!」に潮風のさわやかさを感じたものだが、私たちも陸上での悩みや、気取り、はにかみを航跡(ウェーキ)とともに海に溶かしてしまったのだろう。心から素直になっていく。

そして、限られたメンバーが一つの時間と空間を共有して行動しているうちに、快い連体感のようなものが湧いてくる。まさに、船長の下に運営されるパラダイスという名の独立国である。

ハープの演奏が流れる中、ゆったりと時間をかけてフランス料理のディナーが進められた。といっても和魂洋才。懐石の献立にも通う趣向が心にくい。


さあ、夜はこれから.....

600人収容できるという豪華なパシフィックホールで、「ペギー葉山ショー」が始まった。赤い絨毯。懐かしい歌の数々。客席までおりてきて語りかけるペギーさんの楽しいおしゃべり。ここが船上ということを忘れて、どこかの国のオペラハウスにでもいるようだ。

船旅の夜はとてもエンタテイメント。往路はペギー葉山さんの、帰路は中原美紗緒さんのコンサートをはじめ、マッジクショー、小咄(こばなし)、ファッションショー、ビンゴ大会、カジノ、クラシックのミニコンサート、映画の上映、縁日など.....。

そして10時になると、夜の軽食(ナイトスナック)が待っている。例えば、生じょうゆの讃岐風うどんとお漬物、日本茶など。ディナーのあと、思わず遊び過ぎて多少空腹感を覚えるころなので、あっさりとした献立に今夜も足が向いてしまう。

とにかく食事はすばらしい。
朝6時半のモーニングコーヒーに始まって7時半の朝食。10時のモーニングブレイク(お茶と軽食)、12時半の昼食、3時のアフタヌーンティー(お茶とお菓子)、5時半のアペリティフそして6時のディナー、10時のナイトスナックと、毎日違うメニューをウエーターやウエートレスがうやうやしく運んでくれる。

飛行機の旅と違ってよく動きまわるし、船の揺れが適度に胃を刺激しているらしく、けっこうおなかが空くものである。

よろしかったら、お相手を.....

食後、私たちはダンスを踊った。「私のころは、ダンスが唯一の遊びだったのよ」という人々でフロアはいっぱい。秋満義孝さんのバンド演奏をバックに踊る銀髪のカップルの姿は、なんとサマになっていることだろう。ワルツ、ルンバ、ブルース、タンゴ、音楽が変わるたびに、みごとにリズムに乗って踊りこなす。全身からこぼれる、いきいきとした表情。

5曲目が始まったところで、私はちょっと休憩。82歳とおっしゃるマダムとパートナーの、エレガントな足さばきをうっとりと見入っていた。

「よろしかったら」と、再びダンスの陶酔に誘われるまで。




海をみつめて、風に吹かれて。
地球の鼓動の中。

潮風の朝、大きな深呼吸をひとつ.....

ふと目を覚ますと6時すぎ。カーテンを開けると、もう甲板(デッキ)でウォーキングをしている早起き組が目に飛び込む。
私も甲板に出て、東シナ海上で迎える朝の開放感を、体いっぱいに味わう。

「おはようございます」
モーニングコーヒーに参加した私を、先客たちが元気なあいさつで迎え入れてくれた。

皆、それぞれにきょうの計画をたてている。毎日のスケジュールは、前日に部屋に届く船内新聞『ポート&スターボード』に記されている。

タイクツなんて言葉を忘れてしまいそうなほどイベントがぎっしり。 スポーツデッキでの体操やデッキゲーム。ダンス、絵画、刺しゅう、マジック、ルーレット、カード、写真教室。シアターでの映画や耳で聞く文学。和室でのお茶会、その他いろいろ。

そろそろ船旅にも慣れてくると、各々が自分のペースでエンジョイできるようになる。

さあ、きょうは何をしましょう。
日数が進むにつれて、陸上の曜日と時間が頭から消えてしまう。たくさんのプログラムに目もくれず、何もしない日があってもいい。都会では怠惰でも、ここではそれが一番すてきかもしれないから。


図書室(ライブラリー)の窓辺の席に座って.....

「ふじ丸」の中に、私だけのお気に入りの場所をいくつか見つけた。

そのひとつが図書室の窓辺の席。お天気の悪い日は、ここで過ごす。窓辺のすずらんの鉢植えの外は、深い色の海と白い波しぶき。

昨日FAXで送られてきたニュースに目を通す。聞こえてくるのはエンジンのかすかなうなりだけの、これもまた幸せな時間といってよい。

サロン「桜」は、夜はミッドナイト・コンサートで、ハープやピアノ、バイオリン、フルートの調べを聞かせてくれる所。

ここの左舷側(ポートサイド)の奥まった席が好きな場所。ブロンズ像やタペストリーの調度品もすばらしく、いつも落ち着いた空気が流れている。ソファーに深く腰を下ろして、窓の外に目をやる。

「海には真珠、天には星、わが心には愛」ーハイネの詩が浮かんで、だれもが詩人になれるロマンチックなひととき。

全身を海の鼓動にあずけ.....。

太陽が顔を出したら、迷わず日光浴を楽しみたい。プールサイドに出てデッキチェアに横たわれば、心地よい揺れに抱きしめられる。それは地球のリズム。

何をしても、何もしなくても、なんとなく絵になるような船上の日々。非現実的な毎日に、自分をドラマチックな人生のヒロインと錯覚している。まあ、それもいいでしょう、などと思い巡らしているうちに、ウトウトと.....。

どのくらいまどろんだろう。軽いのどの渇きを感じてスカイラウンジへ。プールサイドと同じ最上級の8階にあるこのラウンジは、海の眺望が一望できる。

ここですてきなカップルに出会った。今年で結婚50年を迎えるという。

ご夫婦で白いポロシャツのボタンを、きちんと上まで留めている。背すじをシャンと伸ばして。おふたりで助け合って重ねてきた歳月に思いをはせる。長い間一緒にいると似てくるかのよう。真っ白なシャツとボトムが、とてもまぶしい。

どうぞ楽しい旅をお続けください。
黄金の海のペイジェント.....

暮れ方にはプロムナードデッキの椅子に腰かけて、海と空が呼び合いながら日が沈むのをじっくりと見守るのもいい。いつものディナーを、その日はちょっと遅らせて。

今朝、この全周300メートルのデッキをジョギングしたことが、遠い昔のようだ。長い1日であった。いえ、まだ終わったわけではない。

徐々に空がオレンジ色に変わり、海はキラキラと巨大な反射鏡になりながら黄昏色に染まっていく。

舷側を打つ波音。

ふと気づくと、船尾には缶ビールを片手に、暮れなずむ水平線を見つめるバンドマンの姿があった。

やがて夜にすっぽりと包まれた時、今夜のショウへと歩む通路わきのギャラリーに、ペーター・ウイリアムの幻想的なリトグラフがかかっているのを見た。三日月のかかる夜、香水びんの中の海を旅している不思議な客船の絵。

「ふじ丸」も、すべるようにミラクルの夜を行く。

映画『慕情』の調べ。360度の夜景がうたう。

「もう何もいらない」.....

寄港地、香港では、久しぶりに味わう中国料理、それも本場とあっては、食が進まないわけがなかった。

また何と言っても、ショッピングを楽しんだ。購入したものをそのまま自分の船室に持ち込めるとあれば、家具や食器と許す限り大きいものや、こわれやすいものも運んでしまう。帰路で着るチャイナドレスを新調したご婦人も見うけられた。

すっかり仲良くなった乗客同士、ひとしきり買い物の成果を披露し合っている。

夜10時、いよいよオーシャンターミナルを出航。プロムナードデッキで見送りの人々に手を振ったあと、6階のスポーツデッキへ。

離岸するやいなや、七彩に煌めく360度の大パノラマが眼前に広がった。ゆっくり船が旋回する。一瞬、「ワー」という声があがったきり皆、無言になる。

香港島と九龍半島、両サイドの美しい夜景が、いまにも手の届きそうな所でゆっくり動いていく。
バックに流れるあの『慕情』のテーマ曲"Love is a splendored thing"。

「もう何もいらない」
こんな気持ちにさせてくれる。

つい先程までの喧騒がうそのようだ。
今晩のナイトスナックは格別ーー。
しばしギリシャ神話の神々と.....

船旅最後の夜、待望の星空になった。
夜9時、航海士の番留さんを先生に「スター・ウォッチング」が始まる。

6階、7階、8階とデッキの電気が消え、目が慣れてくると私たちは星の海の中にいる。「あれは北斗七星、すると、」などと口々に確かめている所に、番留さんの大きな懐中電灯が登場。「この星が」と天に向けられた光の束がさっと伸び、ひとつの星まで帯になって続いている。

ギリシャ神話を交えて、星の物語。
船を操る人にとって、星は自分の位置を知る大事な手段。きっとロマンチックなだけではないだろう。しかし今夜は、しばらく時のたつのも忘れて星空に漂いたい。

船旅も明日で終わろうとしている。
全身を海の鼓動にあずけ.....。

太陽が顔を出したら、迷わず日光浴を楽しみたい。プールサイドに出てデッキチェアに横たわれば、心地よい揺れに抱きしめられる。それは地球のリズム。

何をしても、何もしなくても、なんとなく絵になるような船上の日々。非現実的な毎日に、自分をドラマチックな人生のヒロインと錯覚している。まあ、それもいいでしょう、などと思い巡らしているうちに、ウトウトと.....。

どのくらいまどろんだろう。軽いのどの渇きを感じてスカイラウンジへ。プールサイドと同じ最上級の8階にあるこのラウンジは、海の眺望が一望できる。

ここですてきなカップルに出会った。今年で結婚50年を迎えるという。

ご夫婦で白いポロシャツのボタンを、きちんと上まで留めている。背すじをシャンと伸ばして。おふたりで助け合って重ねてきた歳月に思いをはせる。長い間一緒にいると似てくるかのよう。真っ白なシャツとボトムが、とてもまぶしい。

どうぞ楽しい旅をお続けください。