今は風の時代と言われています。
目まぐるしいスピードで変化していく日々。
焦らずに、くつろいで生きるためにも、
「カラダとココロの理解」は必要です。
禅ヨガアカデミアでは、現役のヨーガ講師/仏弟子が、
多種多様な経験で得た知見をもとに、
あなたの人生をより軽やかにするための、
「カラダもココロも遊びが大事」をコンセプトに、
わかりやすいコトバでお届けします。
ご一緒に内なる旅に出かけましょう!
おそらくですが、モヤっと感が拭え去れないのは、
もっと充足感を味わいたいのかもしれません。
あなたの日常は、
満たされていないわけではありません。
違う言い方をすれば、
思考はただモヤモヤっと漂っているだけなのです。
雲のようにモヤモヤとした、
実体があるような無いような、
そこにどっぷり浸かっているのは、
半分寝ているのと同じ状態なんです。
スッキリしたい。ハッキリさせたい。
あなたは氣づいているはずです。
避けていきたい時間は、
今、この瞬間、
ナニも起こっていない「妄想」です。
とても多くの時間、
私たちは、この世界を勘違いをしてみています。
世界で起こるすべてのことは、私たち自身の、
ココロの働きによるものなんです。
嬉しい、楽しい、悲しい、苦しい、、etc.
それらを感じる二元の世界をも、
すべては「わたし」がそう感じるから、
すべてが生じたと言えるんです。
すべては「わたし」がそう感じ、
すべてを包み込んでいるんです。
「わたし」が創りだしている世界ですので、
「わたし」が何に幸せを感じ、
「わたし」が何に怒りを感じ、
「わたし」が何に苦みを感じ、
全部が全部、
「わたし」にしか分からない。
言ってみれば、
すべては「わたし」の中で起こっているはず。
ここを、よくよく観察していくことで、
妄想から解放されていきます。
わたくし達は、
思考をごちゃごちゃこねくり回して、
日々を過ごしています。
起こっている「事実」に解釈をくっつけて、
世界をみています。
ですから、何が何だかよくわからないまま、
なんだか不安で、
なんだかムカついて、
なんだか幸せじゃなくて、
なんだか自分がよくわからない。
わたくしは、走ることができません。
学生時代の体育授業は、
ずっと見学でした。
一回目の膝の手術は、
中学2年生のときでした。
膝が脱臼しやすいと分かったのが、
小学校1年生の通学路。
それから、
学校で脱臼をしては、保健室、
そして、病院のくり返しです。
2回目の手術は、
高校3年生の卒業式ごろです。
カラダを動かせなかったぶん、
本を読み漁り、勉強もしたんです。
そのおかげで首席で卒業式の代表でしたが、
当のわたくしは、病院のベッドの上。
親が代わりに式典に出席したという、
苦笑してしまう過去です。
そして3回目の手術は、20歳です。
繰り返す手術と入退院の日々。
もうウンザリでした。
主治医の先生には、
「生涯、正座ができるくらい膝は曲がらない」
とどめの言葉を刺されました。
その頃の世界はグレー一色で、
どんよりとし、訳もなく泣いていました。
ふつうに歩いている人や、
ランニングをしている人をみると、
「あなたたちはイイわよね。
私みたいなこの苦しみ、一生わからないでしょ」
モヤモヤした気持ちと怒りが湧き上がり、
私って可哀想という、犠牲者マインドの妄想。
・動かないカラダを持った自分は、劣っている
・みんなと同じスピードで動けない自分は、足手まとい
・膝が曲がらないなんて、ふつうじゃない
いつも自分に対して批判的でした。
自分のありのままの状態を、
批判と否定をくり返し、
私は私のままでいいってことを、
すっかり見失っていました。
面倒くさい人代表のように、
自分に対して「優しいココロ」で接していないのに、
他人に対しては、
可哀想な私を優しく扱ってほしい。
悲劇のヒロイン気取りの、迷惑な妄想劇です。
今でこそ、ヨーガの先生と呼ばれるようになり、
不思議がられることが、多いんです。
なぜ正座もできなくて、どんよりしていた状態から、
「アロハ~!」と、
明るく挨拶するヨーガの先生に変われたのか?
それには、理由があります。
曲がらない膝をどうにかしたい。
解決する方法が、世界のどこかに、
きっとあるはずだと思ってました。
あなたも、もしかすると、
問題に直面したとき、
外側に答えを求めていませんか?
わたくしは外側の答えを求めて、
日本の外に飛び立ちました。
そして、
スポーツ生理学・解剖学、リハビリテーション医学、
心理療法と、自分の身心を変えるために、
がむしゃらに勉強、思考を巡らせました。
しかし、
劇的にこれで変われる!
それは、
高いリハビリではありませんでした。
ハッキリと覚えている瞬間があります。
わたくしのヨーガの師匠に、
言われたコトバがあります。
「そういうマインドだから、そういうカラダになる」
稲妻が走るような感覚でした。
ココロには反発が起こりました。
それなのに、
「目が覚めた」そんな瞬間でした。
自分のカラダだと思っているものは一体何なのか??
これが探究していくテーマだとわかりました。
それまでのわたくしは、自分を被害者にして、
他者に対しては勝手に加害者にしたてあげ、
「なんでわかんないのよ?」
無言の暴力をふるっていたのです。
正座ができなくても、いい。
走れなくても、いい。
そう自分を受け入れ、あきらめた頃から、
曲がらなかった膝は、動くようになりました。
ココロに漂っていた妄想の雲は流れ、
晴れやかな気持ちが、戻ってきたのです。
どうやら、私は、
このままでいいらしい。
その感覚を取り戻せました。
ベクトルを内側へと向けてみたら、
「今」には比べるものもなく、
ただ、静かな状態があるだけでした。
大切なことなので、もう一度言いますね。
避けたい時間は、今この瞬間、
何も起こっていない妄想です。
自分で色や解釈をつけた世界から、
答えはやってきません。
「思考」から答えはでてこないんです。
コトバがあるってことは、思考の働きなんですね。
コトバは概念です。
制限があるものは真実じゃない。
「思考」と「真実」はまじりあえない。
もし「わたし」が、この湧いてきた思考に氣づいている「それ」があります。
思考と「それ」。
これを体験している「わたし」とは一体何なのか?
なんだか頭が変な感じになってきましたね。
「それ」はいつも、今、ここにあります。
目にはみえなくても生命エネルギーの働き、
「それ」がある。
呼吸一つにしても、
吸って、吐いて、その「間」がある。
息をしていない「間」も、
「それ」は存在している。
「空」は無ではなくて、
「それ」である。
本来、個人という自分はいなくても、
「わたし」の在り方を変えていくことはできる。
「わたし」が変わり「世界」が変わる。
微細なカラダ(プラーナ)へのアプローチという視点で、
多大な時間を費やし、
今も尚、この結論に磨きをかけ深めております。
実体験をせず、観念的に頭で理解をする人は、
すぐに飽きてしまい、また新しい情報へと流されていきます。
真理は今も昔も変わりません。
新しい時代だから、
変わるというものでもありません。
「とにかく、今より楽になりたい」
外側と言う関わりは不自由でも、
内側の自分のココロは自由だと、氣づいていくアカデミア。
カラダやココロの微細な変化は、
簡単に感じ取れるものではないから、
迷ったっていい。
五感をフルに働かせて、
感じることからはじめましょう!
さてここで、
アロハな禅ヨガアカデミアの内容をお知らせします。
①気づきのトレーニング
「自分のままでいること」を、
実際にやるのが坐禅です。
いろんな思いは、勝手に起こってくることに、
気づくトレーニングです。
毎朝5時半から、朝の坐禅会をしています。
「誘導瞑想」ではありません。
坐禅の「坐」という字は、
土の上に人という文字が2つ並んでいます。
まだ寺院がない時代、
気づきの瞑想をするために、
複数の人が、土の上に坐るものでした。
同じ時間、共に坐ることが、
共鳴共振の経験になります。
②ココロの仕組みを知る
悩みはどこからやってくるのでしょうか?
ココロの構造というものを知るだけで、
感情が乱れたトキ、
今、こんな感じなんだなって、
客観的にみれるようになっていきます。
これがどう作用するかというと、
「真実」に自分の「思考」が混同されにくくなります。
例えば、
「なんであの人は、酷い言い方するのだろう」
と、イヤな気分になったとします。
観察をしてみると、
「あの人の言い方は、私にとっては好ましくない」
という状況に気づきます。
もう少し言うと、
「あの人の言い方は、誰かにとっては何とも思わないのかもしれない」
と、違う可能性までもみえてきます。
観察をするというのは、
「今に気づいている」
ココロのトレーニングなんですね。
これらの講義を音声でお届けしていますので、
くり返し聴いて腑に落ちるまで、お役立てください。
③日常生活が軽やかになる
オンラインヨーガクラスに月1回参加できる
カラダは「今」にしか存在できません。
過去や未来にはいられない、
そんなあたりまえに気づくことを、
ヨーガを通して感じていきます。
「今」のわたしにできるベストな動き、
心地良さ、居心地のわるさ、伸び伸びした感じ、
この瞬間の感覚をかみしめることしかできない、
このカラダを体感していきます。
カラダが落ち着くと、
ココロが落ち着きます。
ココロの在り方が変わると、
カラダの在り方が変わります。
心身はそうやって、軽やかになっていきます。
思い込みや決めつけから解放されて、
最終的には、
生きてるだけでいい。
日常が軽やかになっていく、
それがアロハな禅ヨガアカデミアです。
「存在」と「呼吸」という意味です。
究極的には、
あなたはただ、
ここに存在して息をしているだけでイイんだと、
そんな豊かな気持ちを自他ともに向けていけたら幸せですね。
朝の坐禅会(任意)
毎朝5:30~5:45
(スタエフでライブ配信)
アーカイブを残しますので、リアルタイムで参加できなくても大丈夫です。
オンラインヨーガレッスン
5分前になったら、スマホやPCからZOOMに入ります。入室するだけでレッスンを受講できます。
音声講義配信の内容一部
さてここで、アロハな禅ヨガアカデミアの受講費についてお伝えします。
通常オンラインヨーガレッスンは、2500円です。
あなたには、通常のオンラインヨーガレッスンを、
そのまま参加できる特典がついてきます。
それから、月一回のシェア会では、
どんな質問も、相談もお応えしています。
通常の個人セッションでは、22000円頂いております。
ヨーガ哲学やアーユルヴェーダ的思想、
脳科学に心理学、仏事のあれこれまでの音声講義は、
週に1回配信されます。
そして、坐禅会は毎日開催。
この内容に、あなたは、
ふさわしい価格はいくらだと思いますか?
値段設定はよくよく考えます。
7000円~って本当は言いたい。
けれど、
続けることが何よりも大切だから、
一日あたり130円。
受講費は3900円/月で受講できるようにしました。
一日あたり130円の価値を、
どのように捉えるかは、あなたの判断だと思っております。
MIE(美福恵香)
アロハシャンティ・ヨガ 主宰
南の島ハワイでヨガ三昧の生活を13年、2010年春、宇都宮に拠点を移した後もヨーガを教えています。
今でこそヨガスタジオで、”ヨーガの先生”としてマットの上に立っておりますが、持病の膝の理由から日常生活さえ困難な時期もあり、3度目の手術の後には、ドクターから「生涯、正座はできない」と言われます。
リハビリを続けましたが不調は解消されず、その後アメリカに渡米、そこでスポーツ医学を経て、ヨーガに辿り着きます。当初、ヨーガに流派があることなど全く知る由もなく、出会うべきして出会ったアイアンガーヨガ。
当初はヴィーラーサナ(割り座)もできないところから始めましたが、アイアンガーヨガ上級認定員Ae Ja Mobleyに師事し、曲がらなかった膝が動き出しました。師の教えを通し、カラダとココロのつながりがあること、その相関性に興味を持ちはじめます。
わたくしの身体を長年に渡り見守ってくれた、師の厳しさの向こう側にある奥深い愛があったからこそ、今こうしてわたくしが存在しています。
その後、24年間、
「ヨーガは人生を楽しく生きるためのツール」を軸に、ヨーガ講師として活躍。
自身が培ってきた経験をもとに、インストラクターを養成する講座を主宰。確実に積み上げていくヨーガスキルを伝授し、初心者レベルから4年以上の経験を得たうえで、スキルを身につけた経験者は、インストラクターとして活動をスタートできている。
ヨーガスートラをベースとした勉強会、瞑想会などを定期的に行い、カラダとココロの繋がりの学びを深める取り組みを行っている。
法人向け、学校向け、PTA向け、イベントなど、出張ヨーガ依頼は多数。(現在の10名以上の法人向け出張ヨーガは60~90分、5万円。交通費・宿泊費別)自身の経験からも、身心の痛みはわかるので、大病後のリハビリをかねた出張ヨーガは、好評をいただき、定期的な出張を各地でしている。
そのほか、状況に依存した状態で経験する幸せではなく、今しかないというセッションでは、空の思想をもとに気づきの方法を伝えている。
【ライフスタイル】
オーストラリア、バリ、米国での大学生活、現地法人勤務などを含め、国境を越え長期にわたった海外生活。
違う文化に触れることが好きで、コロナ前までは年に3~4回は海外へ。世界20数か国以上の行く先々でヨーガをしています。
生徒様とは一緒にインドへ行き、聖地といわれるリシケシのアシュラムでヨーガをし、奥地での瞑想、
アーユルヴェーダを受けたり、寝台列車に乗ったりと楽しい一時を過ごしました。コロナが落ち着いたら、また大人の修学旅行をしたいですね。
世界の国々を旅するうちに、様々な宗教に興味をもちます。その中でもヨーガと仏教のつながりを深めたく、近年では禅に傾倒し、
仏道へ入り戒弟となりました。(戒名/美福恵香) 好きな場所に滞在し、ヨーガをし自由なライフスタイルを送ってます。2022年夏は沖縄へ3週間。
2023年1月はギリシャへ3週間。毎日ヨーガ、毎日坐禅17年、週末ワイン。