The Actor's Journey

アクターズ・ジャーニー

シーズン3

新規参加者(俳優・監督・脚本家)募集開始


応募詳細はここをクリック

参加俳優の話:1

とある若手監督のWSで結果を出せなかった時のこと、同席していた演技トレーナーがため息交じりにこぼしていました。参加者全員準備が足りなさすぎる、と。一体何をどこまで準備したら十分と言えるのか? この時、私の一番の課題だったのが、強い感情を出すべきシーンでも無意識に抑えてしまうことでした。そこでたまたま目に留まった“マイズナーよりも早く効果が出る”というドイツ発の演技術。4日間のWSで、確かに感情を自由かつ自然に発現する体験が出来ました。しかし、ここでようやく根本的に欠けている部分に気が付きます。

「ではこの技術を、どうやって作品作りに生かすのか?」

体系的な演技術、感情と身体の自由なコントロール、そうしたものの獲得を目指して様々なメソッドに取り組んでも、本質が目指すところを理解していなければ“作品作り”には使えない。本質とは、全ての演技術は物語を“観客に届ける”ための方法論だという事。観客を無視した表現、物語から逸脱した俳優自身のリアリティや身体表現は、いくら迫真のものであっても意味がないと感じたのです。

何を学ぶにしてもそれらを生かすための絶対的な土台はないものか。そう考えた時に立ち返ったのが、台本・脚本でした。本が読みこなせないことにはオリジナリティも何もありません。せっかく学んだ技術を物語にリンクさせ活用できなければ、はたして俳優と言えるのだろうか。それって曲芸師か何かじゃないだろうか? 私は台本を読む力をつけることを最重要視することに決めました。そうしたわけで、私にとってアクターズ・ジャーニーの取り組みはとても魅力的だったのです。

このような認識に至ることのできる俳優が少ないのには理由があります。俳優とは監督や演出家の指示通りに、求められた場所で泣けて怒れて、後は的確な抑揚でセリフを喋りこなせさえすればいい。そんな思い込みが、あまりに根深く無自覚のまま居残り、浸透しているのです。どの瞬間にどんな感情を出せばいいか、どう動き、どう話せばいいのか。答えはいつだって監督が教えてくれる。演出家が指示してくれる。だから自分で考えていく必要なんかない……。

監督や演出家サイドにも課題があります。「俳優はコントロールすべきもの」という考えが強ければ強いほど、手綱を強く握りしめ強引に特定のコースを歩ませたがってしまう。やがて俳優は「コントロールされること」に馴れ親しみ、両者の共依存関係が出来上がっていってしまいます。

それは我々が考える「自立した表現者」の在り方ではありません。世の一流の俳優やクリエイターたちは、例外なくその姿勢において自立しています。俳優で言えば、監督や演出家にうまく操ってもらうマリオネットであろうとするのでなく、常に自らの力で脚本から表現すべきものを獲得し、自分の演技にそれを込めるということです。そうしなければ自分の演技がただの受け売りになってしまい、真実の伴わないものになると解っているのです。監督もまたそうです。自分の想定を超えるものをいつだって見たがっています。そうした監督や俳優は「コントロール」したりされたりを是としません。彼らは「コラボレーション」を望みます。


そんな自立した真の表現者を志し、世界の一流たちと同じ地平に足を踏み入れるためには何が必要なのか? その第一歩を共に歩み出すまたとない機会を生み出すために、この秋アクターズ・ジャーニーが挑むのは、俳優、そして監督、脚本家までを巻き込む実験的で壮大なプロジェクトです。
2016年初頭、当時出版されたばかりだった『イヴァナ・チャバックの演技術』(白水社)の自主勉強会として開かれた小さな集まりが、このユニークな訓練環境の始まりでした。ほどなく毎週開催の定期ワークショップへと発展し1年以上にわたり様々な試行錯誤を経ながら、世界の最前線で扱われている演技技術の理論と実践を探求。その過程で俳優一般の脚本の読み方に関するスキルの致命的な欠落に気づいた主催者が、独自にそのための手法をまとめていったものがやがてアクターズ・ジャーニー・ロードマップという形に実を結んでいきます。この開発と公開を契機に、WS名を「アクターズ・ジャーニー」とし、その後以下のような経緯を辿ります。

シーズン1(2017年9~12月)
ロードマップを初公開。『ミザリー』『アメリカン・ビューティー』『ナイトクローラー』などの作品を実際に分析・実演しながら、その道筋を探索。


シーズン2(2018年4~7月)
分析を経たうえでの役の「作り込み」までを追求。課題作として黒澤明の未映像化脚本『森の千一夜』に取り組み、撮影にまで挑戦。


シーズン3(2018年9~12月 予定)
「ゼロから生み出す」。俳優一人一人の個性や実人生を足がかりに、数本の短劇を創作予定。募集要領は下段にて。


※前身となったMonday Workshop 時代のダイジェスト動画
アクターズ・ジャーニー・ロードマップは俳優が自らの力で脚本を読み解き、独創的で魅力溢れる演技を可能にするための人物分析をどうやって獲得していくかを示した、この上なくシンプルかつダイナミックな道標です。

自分の演じるキャラクターと物語の最も深い領域へと入り込み、そこで想像もしなかったような驚きの発見を得、そして現実の世界へとその発見を持ち帰る。まるで壮大な旅であり冒険であるかのような経験をこのロードマップはもたらしてくれます。

演技理論においては言わずと知れた、現代演技の標準スタニスラフスキー。彼の理論体系の中でも世界の最前線で必ず扱われていながら、今なお日本だけがその理解に追いつけていない最晩年の到達点「身体的行動メソッド」。

脚本家であれば知らぬ者はいないジョゼフ・キャンベルとクリストファー・ボグラー。その神話研究から物語の普遍的構造を突き止め、人間と社会の集合的な精神構造、すなわち人生というものがどのように運行していくのかを徹底的に詳らかしたことで業界の垣根を超え社会現象ともなった「ヒーローズ・ジャーニー」。

創造過程において過去からの再生産ではなく真にまだ存在しないものを生み出すために欠かせない行為者の内的な変容プロセスをモデル化したことに始まり、トランスパーソナル心理学からブッダ・キリスト思想へも通じる自己超越の道を示したオットー・シャーマーの「U理論」。

各分野それぞれにおいて傑出した金字塔として存在しているこれら3つの理論を、まるで元々ひとつのものであったかのような純度にまで統合することでアクターズ・ジャーニー・ロードマップは誕生しました。しかし理論を頭に入れるのではなく、あくまでこれを「体験」し、俳優に脚本分析と演技のための「道順」を実際に辿ってもらうことがこのロードマップの目的です。

このプロセスに沿って脚本を読み解いていく過程で、俳優は当初に想定していたよりも遥かに大きなものを得ることになります。それは脚本の人物分析がやがて極めて深いレベルでの自己分析になっていくという発見であり、この道程を経なくては気づけなかった自分自身の秘密の隠し場所に至ることで、分析者自身が大きな「変容」を遂げるということです。こうした体験こそが脚本分析という旅を経た者が観客に対して語るべき、すなわち演技を通じて真に届けるべきものであり、これまで存在した誰のものとも違う、完全にその演技者独自の表現というものを可能にしてくれるのです。

参加俳優の話:2

その人物を知ろうと分析を重ね、自分と重なる部分と繋ぎ合わせる作業を進めていましたが、実はこのUの底(注:ロードマップの前半過程で目指す到達点でキャラクターの最深部分)の部分には全く辿りついていなかったんだと思い知らされました。

脚本の中にはそのキャラクターの全人生の集合体が隠されている。それは何なのか、どこに隠されているのか。隠された部分を探し当てたとしても、その答えはキャラクターを演じようとしている自分にしか分からない、自分で与えるしかない。非常に苦労しました。数時間や一日でたどり着くことは出来ませんでした。

Uの底に辿りついたときの光景や衝撃は今でもはっきりと憶えています。キャラクターを知ろうと探していたら、最終的にそこに居たのは自分だった、目の前に自分が現れたのです。自分の記憶の中から消し去りたい過去や、なかったことにして生きてきていた部分、自分が認めたくなかった弱さ、自分が蓋をして心の奥深く、更に奥深くに埋めていたものを一気に抉り取られたような感覚でした。

昼間のいつも通い慣れた何でも無い道をなんだろう、なんだろうと思いながら歩いていました。そしたら突然答えが降りてきました。なんとも訳の分からない感情が身体の中を渦巻いて、その時は自然と涙が溢れていました。それくらい自分の人生を削って刻んで、与えていかないと一人の人物など到底演じることは出来ない、そこで繋がって始めてそのキャラクターと向き合うことができるんだということを深く理解することが出来ました。

アクターズ・ジャーニーがいつも一番に強調して伝えているのは、「演劇とはストーリーテリングである」ということです。映画でも舞台でも同様です。世界の映画製作者や作家たちは、自らを「フィルムメーカー」や「ライター」と呼ぶのと全く等しい頻度で、「ストーリーテラー」という自称を好んで用います。

演劇の起源はそもそもが物語の起源と同義です。遥か太古、まだ人類が文字を持たなかった時代、狩猟にまつわる冒険譚や部族の歴史、土地の神話といった生きるために必要不可欠な知識を、当時の人は口頭や身体を駆使して後の世代に語り継いでいました。俳優とはその始祖において部族の語り部=ストーリーテラーであり、人々を楽しませると同時に啓蒙し、癒やし、向かうべき道を示したメンターでありシャーマン、スピリチュアルリーダーだったのです。現代における演出家や監督、作家、カメラマン他あらゆる技術職も一様に、各媒体でストーリーテリングを行うための役割分担に過ぎないということは、欧米の業界人なら誰もが認識しています。中でも観客の眼前に立ち最も直接的に物語を語ることになるのが、俳優として劇(ドラマ=物語)を演じるという行為です。

観客が「演技に感動した」と言うとき、それは同時にそこに流れている「ストーリーに感動した」のです。俳優その人自身の魅力は関係ないのか、と思われるかもしれませんが、その魅力の出どころもまた、例外なくその人が実人生において体現している物語から端を発します。演劇を仕事とするからには基礎として「物語」の仕組みや構造を理解し、それを自在に取り扱えるようにならなくてはなりません。

アクターズ・ジャーニーではなによりまず脚本・物語を真に理解することから出発し、その土台の上にこそようやく様々な演技スキルやテクニックも立脚するのだということを明らかにしてきました。しかし、それではいったい物語とはそもそも何なのか? それを語るとはどういうことなのか? 多くの人は今なおここで立ち止まってしまうでしょう。この9月から始まるシーズン3では、参加者がこのことを一段と明確に理解し体得するための、抜本的なカリキュラムを計画しています。
俳優にとって、監督が何を意図して指示出しをしてくるのか、そのビジョンや思考回路を伺い知ることが出来れば大きな安心とアドバンテージになるはずです。逆もまた然りで、俳優に伝わり易い方法でディレクションを行えれば、監督にとっても演出の時間効率はもちろん、共に作品を作る俳優たちから得られる結果に大きく深い変化を生み出せることは間違いありません。こうしたことは監督と脚本家、そして脚本家と俳優との関係性においても等しく成り立つでしょう。

この三者の間においては、創作プロセスを共有するうえで効果的な意思疎通を図る共通言語が確立していないと思われがちです。しかしそれもまた日本の常識というだけで、世界の常識ではありません。もしも俳優、監督、脚本家、それぞれが普遍的な理論に基づいた共通の認識を持った上で、互いの立場からの物の見方や考え方を実践を通じて学ぶことができたとしたら、それは誰にとっても多大な血肉となることは想像に難くありません。監督から俳優、脚本家から俳優といった一方通行ではない、互いが互いから双方向に学び合い、教え合い、気付き合うことで自らの向上を最速にしていく。日本において極めて稀な「インターレッスン」環境の創出と、その先にある高品質なクリエイティブ・チームの足掛かり形成に今期はトライしていきます。
内面深くを引き出すセッションを通じ、俳優がどこまで自らの人間性をさらけ出せるか。脚本家がどのようにそれらを独創的な物語として組み上げていくか。そこに監督としていかなる演出を用いて観る者へのアピールを高めるか。三者が三様に自らのスキル向上にしのぎを削り合う工程で、どういった化学反応がそこに生じるのか。もちろん世界水準のクリエイター達が実際に活用している様々な創作・表現のための技術や原理を学びながら進めていくことを旨とするので、「とにかく作って最後に皆で感想を出し合う」ような大味な制作実習の類と異なり、プロセスの細部を楽器の演奏やスポーツ・武術と同等の精度で検証していくことになります。

俳優に臆することなく真っ向から面し、彼らの最高のエクスプレッションを導き出せるようになりたい・海外の監督も学んでいるような理論的な裏付けのある演出法が知りたい監督や演出家ーー自分独りの頭の中だけでなく、生身の俳優たちの躍動に触れ血の通った声を聞くことで思いがけない着想を得たい・世界に通じる普遍的なストーリーテリングの原理原則を身に着けたい脚本家ーー自らの個性や持ち味を出発点にそれらを作品にまで昇華しながら、本当に人物と一体化するとはどういうことかを体験したい・演者としてだけの狭い視点を脱却した位置から真に観客に向かい合う姿勢を学びたい俳優ーーこれら各ポジションを兼任した活動を行っている方、またプロデューサーなど包括的ポストでありながら映画作りのもっと根源的・普遍的な本質を理解したいといった意欲ある方も歓迎です。

この呼びかけが少しでも琴線に触れるところのあった方は、ぜひ下記より応募を検討してみて下さい。



※シーズン2『森の千一夜』リハーサル風景

シーズン3 メンバー募集について

期間:9月21日~12月後半までの毎週金曜。全12~13回を予定。

時間:17時~20時(人数構成によって21時までの延長も考慮中)

場所:台東区の貸しスタジオ。

参加費:40,
000円(全回トータルの金額。一括前払いとなります。)

応募条件:
・世界標準を本気で学び、映像・演劇界に貢献する意思のある俳優・クリエイター。
・フェイスブック・グループ用にアカウントを用意できること。

・極力休まず安定した参加姿勢を保てること。
・開始前や期間中の宿題にもしっかりと取り組めること。

定員:監督・脚本家各2~3名。俳優6~8名程度。男女年齢比等バランスを総合判断し編成します。

応募方法

以下を明記のうえ、infothegeek@gmail.com までご連絡下さい。

1)
俳優の方は履歴や写真の載ったプロフィール。どんな訓練をしてきたかと、出演作品の映像などがあればリンクも。

監督の方はプロフィールと過去作品など含めた経歴。動画を観れるものはリンクも。脚本家の方はそれに加え執筆した脚本テキストを何かひとつ添付下さい。短編があればそちらが望ましいです。またどちらの役職の方も、当WSの選考を経た俳優と直接対峙して頂くことになる手前、なるべく顔や人となりの解るよう資料や自己紹介、近影の写真など添えて下さい。情報量が多い(=どんな人柄なのか知りやすい)方であるほど選考に有利となります。

複数の役職を兼任される方(脚本家兼俳優など)は、担当ポスト全ての該当資料をお送り下さい。

2)
希望動機:目指しているゴールと、これまでの活動で得てきた問題意識など。

3)
この募集投稿を見たサイト名:(FBのグループ/シネマプランナーズ、等)


選考をクリアした方には9月中旬までを目安にこちらから連絡致します。

【※重要※】メール不達が増えてますので上記アドレスが迷惑フィルターにかからぬよう、受信許可などの設定確認をお願いします。

主催:
akira.s (director/writer)

10代前半から映画製作を開始。インディペンデント・フィルムメーカーのカリスマ講師ダヴ・シモンズや、AFIのマークトラビス、UCLAのバーニー・リクテンシュタインらに直接指導を受け、世界水準の演出・脚本技術に触れる。全く演技経験のない大学の友人らに一ヶ月間の演技指導を行い撮り上げた短編『Oddman's Logue』が国内大手映画祭に入賞、初の長編映画『FACELESS』で脚本・監督を務める。以降も数々の映画祭で新作を公開する傍ら、古今東西の物語論・深層心理や精神世界など様々な領域を経て人と物語との関わりを学び続ける。2016年から始めたWSでは監督・脚本・演技を俯瞰する立場から、探求内容を「ストーリーテリングのための技術」と位置づけ、その重要性を伝えている。

Q:シーズン3で創作する短劇とはどういうものでしょうか。映像作品を想定していいのでしょうか。

A:およそ5分~10分程度の、スタジオで俳優が通しで実演できる舞台劇のようなものと考えて下さい。今期はこれまでのように前もって課題作を用意せず、まったくのゼロから作品を創る過程を通じて物語の本質を理解していって頂きます。監督・脚本家と俳優2~3人からなるユニットを複数構成し、それぞれにセッションやディスカッションを重ねて各々の作品を創り上げていって頂きます。(一人で複数のユニットを掛け持ちすることもあります)。映像を主として活動されている監督であっても、舞台形式のストーリーテリングを経験することは演技や脚本の理解に大いに役立つでしょう。また監督にとっての学習機会は多くの場合、企画制作から準備、撮影、編集を経て公開までの長い時間をかけようやくひとつの作品に対するフィードバックが得られますが、本来トレーニングのサイクルは短く細かいほど効率的です。ここでは俳優への演技ディレクションに特化した練習を高効率で行えることになります。短劇の題材やモチーフは前もって決めませんが、そのユニットを構成している「俳優の素材を最大限に活かす」ことを出発点とします。つまり作家や監督が企画などを持ち込むのではなく、集まったその場所から「ゼロ出発」ということです。約三ヶ月の期間で各作品を舞台劇として発表できる質にまで高め、最終日に短編作品集のような形で内部上演を行います。

Q:台本分析のセミナーなど過去にも参加したことがありますが、「この本はこうやって書かれた」とか「とにかく量を読め」とだけ結論づけられて終わったりと、自分の次の作品で起こせる行動には結びつけられず、新しい本をもらうたびに憂鬱な思いをしています。アクターズ・ジャーニーではどうやって分析を教えているのでしょうか。

A:俳優が演技するための分析方法は、スタニスラフスキーのシステムがそのプロセスを仔細に提供してくれてはいるものの、やはり脚本、そして物語の構造そのものに精通していなければ使いこなすまでのハードルは高いでしょう。逆に演技についてと脚本について、そして演出までオールラウンドに理解した者による「演じるための分析」というゴールを確実に見据えたうえでの手引きがあれば、学びの早さはこれ以上ないものとなるはずです。

更にそれ以前のこととして、アクターズ・ジャーニーではまず「読む」という行為そのものから掘り下げ直します。日本の国語教育の欠陥によって「読解」と「解釈」の違いは何か? と聞かれて答えられる日本人は1%もいません。これが判っていないと文章を正しく「読めている」ことにならないにも関わらずです! このことが当WSの初期においても常に見えない呪縛となって学習者の足を引っ張っていたことを発見したのは、ある意味では最大の成果の一つでした。このレベルから出発することで初めて、分析とは本来非常にクリエイティブなものだということが理解できるようになります。ただ机に向かって機械的な作業をこなすかのような印象とはまるで異なり、本当の脚本分析=スクリプト・ブレイクダウンの方法を身につけると、それはあらゆる俳優としての仕事のプロセスの中でも一二を争う醍醐味を持ったものだったとわかるのです。その頃にはもう脚本に向かうことへの苦手意識はなくなり、分析が楽しみで仕方なくなっていることでしょう。

Q:これまでにメソードやマイズナーといったテクニックを学んできましたが、これらは役に立たないということなのでしょうか? 現場でこれらを活かそうとしても、いつも何かがしっくり来ません。

A:正しい理解とともに身についたテクニックであれば、それらは確実に表現力に寄与しているはずです。ここで言う表現力とは身のこなしや発声、感情への反応といった基礎的なことであり、メソードを学ばれた方なら「楽器としての身体の調律」という喩えはご存知かと思います。ただしそこで完了したのは本当に「調律」に過ぎず、その先に「楽譜(=脚本)の読み方」、それに沿って「演奏(=演技)」していくことの実際、そしてそこにどう本当の「表現力」というものを意味ある形で乗せていくのか、他の演者らとのアンサンブルをどう実現していくのか、などなど、はるかに膨大な量の「本当の」課題が控えています。それらすべての出発点に「脚本を主体的に読む」という課題があり、ここを正確にクリアできている訓練機会が日本には絶望的に少ないと感じています。現場でそれらの基礎技術を活かせないとしたら、この部分が原因のひとつでしょう。

Q:フェイスブックのアカウントを持っていないのですが、グループに入るのは必須でしょうか?

A:フェイスブック・グループでは全体への連絡事項等を執り行いますので、諸事情でフェイスブックを避けている方にも、本グループのためだけにダミーアカウントのようなものを作って加入して頂いております。これに関しては必須とご理解のうえご検討をお願いします。それだけでなくWS内容をより深める様々なコラムなどを練習と並行してシェアしたり、スタジオで撮影した記録ビデオを公開したり、過去のシーズン内容についても参照出来るようになっています。これまでの学習過程がアーカイブされており、新規参加の方でも好きなように自習に用いることが可能ですので、グループに入ることによる利益は確実です。

Q:イヴァナのWSなどでは自分のプライベートを人前で曝け出す必要があり、そこに抵抗を覚えていました。こちらでもそうしたことを強制されるのでしょうか?

A:全員の前でそれを行う必要はありませんが、主催者との間ではパーソナリゼーションのプロセスに必要最低限のディスカッションを要求することがあります。それは1対1の対話であったりメールのやりとりでも構いません。ただやはり演技のフィードバック上、皆が見ている前でも部分的な言及を行う必要は生じますので、他の参加者にプライベートを完全秘密で通すことは事実上難しいとお考え下さい。そこで話される私的な内容は一切スタジオの外には持ち出されない、という同意はすべての俳優の練習環境において共有されている約束事のはずですが、ここでもその守秘義務契約は遵守されています。(参加を以て契約に同意したと見なします。)この点で互いを信頼できる参加者同士が集まって練習環境を形成していって頂きます。

Q:これまで多くの映画監督主催のワークショップに参加して、いつも違うことを言われて釈然とせず、不信感に陥っています。

A:そうした場所の多くは、監督自身が「演出レベルでの要求」と「技術レベルでのフィードバック」を混同しているように見受けられます。そのことが俳優にも同様の混乱を生じさせます。「〇〇をやってくれ」という要求こそあれど、皆さんが本当に知りたいのは「どうすればその○○を出来るようになるか」のはずです。その答えを得られないのであれば、そこは「現場の疑似体験」として参加すべき場所であり「芯となる技術を身につける」目的とは相容れないのです。

本WSでは一貫して「テクノロジー」と呼んでも良いレベルの再現性を持った技術を追求して来ました。世界の一流俳優や演出家が現在進行系で学んで実践しているものと同じ理論体系に基づいた表現技法やマインドセットを学び、彼らと自分たちの差をシビアに認識することが、ここで試みているフィードバックの視点です。特定の誰かに気に入ってもらって褒めてもらう(そして現場に呼んでもらう)ための演技という目先のゴールではなく、世界中の観客を魅了し、驚かし、感動させるための、自分を最大限に開花させた演技というものを、ここでは常に目指しています。

最後に

僕がまだ大学生だった時分、ハリウッドから講師を招いて行われていた一週間程のワークショップの終了間際。そのときの主催者が何気なくつぶやいた一言が、思いがけなくも長大な旅の始まりでした。「向こうではとにかく誰に話を聞いても ”映画はストーリーが全てだ” と返ってくる」。このとき僕は頭でそれを「脚本の出来」のようなものとして理解したつもりでしたが、心では咀嚼し切れていませんでした。それはここで使われた言葉が「脚本」ではなく「ストーリー」だったからです。

確かに「脚本」というのは媒体であり形式に過ぎません。では一体そもそも「ストーリー」とは何だろう? 日ごろ当たり前に使い聞いているようで、しかしこれが本当の意味で何なのかについては理解できていると思えませんでした。本質的な「映画そのものの面白さ」で観客を夢中にさせるような映画を撮りたいと考えていた僕にとって、どうやらそれが「ストーリー」というものにかかっているらしい。そんな認識の種が心に植え込まれた瞬間でした。

その時から20年近い歳月を経て、僕が幾多の挫折や回り道を繰り返している間にCGが多くの特撮に置き換わり、フィルムはデジタルに入れ換わり、子供の頃に好んだ80年代特有の愉快で生々しい暴力性やワイルドさもいつの間にかなりを潜めていくなど、映画のスタイルも様変わりしていくのだということをリアルタイムで経験して来ましたが、ひとつだけ確実に変わらず残り続けているものがありました。それは「本当に面白い映画、成功する映画というのは、どこでどうやって作られたものであろうと、結局ストーリーが良いというのに尽きる」ということでした。

大昔の航海を引き合いによく用いられる喩えに、北極星を知ってさえいれば最後には正しい航路に戻ることが出来る、という話があります。「ストーリー」とは何なのかを理解することは、この世界における北極星を知るようなものかもしれません。ここで言う「世界」とは、単にこの業界だけを意味するのではなく、まさに我々が生きているリアルなこの人生そのものです。多くの回り道の過程で僕が得てきた実人生それこそが「ストーリー」というものの本質を理解するにあたって、どんな脚本技術や物語理論などよりも欠くべからざるものであり、かつまた「ストーリー」を探求することでどれほど人生を知ることが出来たかについても、とうてい手短には言い尽くせないからです。

再三述べているようにここではどこよりも「技術」の効果や使い方について精細に扱っていますが、同時にそれだけでは意味がないということも繰り返し強調し続けています。観客が観たいのは「技術」ではないのです。当たり前ですがもういちど確認しましょう。観客は「ストーリー」を求め、そして自分の「人生」にそれを持ち帰って豊かな気持ちになりたがっているのです。我々が提供すべきものはそれです。その方法をここでは追求し、お伝えしています。それは誰よりもまず探求者その人の実人生を豊かにし、迷わぬ道標をもたらしてくれるはずです。何が自分の北極星なのかを明確にしてくれます。このWSからそうした一生物の価値を得て、それを観客に還元していってほしいと思います。そのような尊い志を持った仲間との出会いが、今期もまたあることを心待ちにしています。