鳥人間コンテストが結んだ縁
奥井組は安定した成長を続け、平成7年には運送事業区域を山梨、群馬、栃木、茨木に拡大。大型タンクや受水槽、衛生設備や空調設備など、取扱う範囲は多岐にわたっていった。
そんな中、奥井組にさらなる飛躍をもたらす出来事が待っていた。そのきっかけとなったのが「鳥人間コンテスト」だ。
鳥人間コンテストとは、出場者が自作の人力飛行機で飛距離と飛行時間を競い合うコンテストである。
個人はもちろん、大学の研究室や企業の有志チームなど、多彩な参加者が集まる人気イベントで、テレビで放映されることもありご存じの方も多いだろう。
平成8年、鳥人間コンテストに取引先企業の有志がチームを作って出場することを知り、得意先への日頃の恩返しとして奥井利幸はその運搬を買って出たのだ。
会場となる琵琶湖まで人力飛行機を運ぶのだが、開催までには事前に機体チェックがあるため、結局、現地にしばらく滞在することになる。
出場チームと一緒になって応援する中、取引先の人々とも懇意な間柄になれたと言う。
そしてこの時出場したチームというのが、日産自動車の有志であった。
戦後初の国産旅客機YS-11
深夜の輸送大作戦
奥井組の数あるビッグプロジェクトの中でも、YS-11の輸送は記憶に残る一大イベントであった。
YS-11型機とは、日本のメーカーが戦後初めて製造した国産旅客機である。
昭和37年に初飛行を成功させて以来、182機が製造されたが、昭和48年を持って生産終了。
その中の一機が平成9年、埼玉県所沢市の所沢航空記念公園に保存展示されることになり、奥井組がその輸送を任された。
この機体JA8732は量産第101号機。
昭和44年に全日空に引き渡され、全日空および日本近距離航空(エアーニッポン)にリースされていたが、平成9年4月の大島ー羽田便をもって引退。
機体は全日空から埼玉県に寄贈され、県立公園である所沢航空記念公園に展示されることになった。