幽霊
1954年1月15日、鳴門競艇場で行われたレースの判定写真の中にその場にはいなかったはずの黒いボート写っており、これは幽霊ボートではないかと騒ぎになった。幽霊という言葉が使われた背景には、その前年の12月24日に唐津競艇場で横溝幸雄選手が事故死した事件がある。その横溝選手の霊が現れたのではないかと言うのだ。この事件は様々な波紋を呼んだが、蜃気楼ということで話がついた。そして1963年7月24日、再び事件が起こる。横溝選手と同郷の小笠原政敏選手が、鳴門競艇場でレースの最中にあの「心霊写真」を撮影した写真判定柱に激突して死亡してしまったのである。この因縁めいた大事故に、横溝選手が小笠原選手をあの世に連れて行ったのではないかとしきりに話題となった。