阿含宗 桐山靖雄の思想
~著作の世界 法華経から阿含経へ~

阿含宗管長である、桐山靖雄氏の著作の世界を書き起こしてみました。
桐山靖雄氏の阿含経への思いが伝わってくると思います。

『幸福への原理』

この本は、昭和三十二年の刊行である。

わたくし自身の都合したお金に、会員の何人かのお布施を加え、自費出版のようなかたちで二千分ばかり出版した。
この出費にはかなり長い間、わたくしは苦しんだが、しかし、この本は、観念慈恵会を普及させ、桐山靖雄の思想を世人に紹介する意味で、たいへんな働きをしてくれたと思う。

この本は、非常にわかりやすいということで、かなり多くの人びとに読まれ、またこの本を読んで観音慈恵に入信、入会した人もずいぶんあった。いまの阿含宗の北陸道場は、この本一冊で生まれたようなものであった。

わたくしがそれまで培ってきた数字を全部吐き出す気持で、一週間ほどの間に一気に書き上げた。

この本は、法華経に関するわたくしの総決算の書であり、結果的に法華経との決別の書となった。

わたくしが、法華経に入ったのは、前述したような経緯があった。すなわち、自殺を思い立った時、はからずもめぐり合った一冊の小さな経巻によって、自殺を思いとどまったが、その経巻に「般若心経」と「準胝観音経」がおさめられていた。それ以来、わたうしは、観世音菩薩を信仰するようになっていた。観音信仰であるから、不門品(ふもんぼん)を読誦する。普門本は法華経の中にあるわけであるから、自然、法華経に目が向いていった。「妙法蓮華経」の妙法という文字にわたしは非常な魅力を感じた。

何か神秘的なすばらしい法が説かれているに違いないと思ったわけである。それで、法華経と六年間とり組んだ。

六年かかって、法華経のすべてがわかった。

法華経は大乗経典の中でいちばんやさしくわかりやすい経典である。

いうならば、初学の経典である。法華経に立脚した教団や、法華経を信奉する人たちにいわせると、法華経は、最高にして深遠なる経典であるという。

しかし、わたくしは、そうは思わない。
法華経というのは、文学にたとえると、大衆文学であると思う。

いわゆる通俗文学である。これほど、わかりよく興味のもてる経典は少ない。

そして、適度に哲学をちりばめてまとめてあるから、これに入った人たちは、そこにすばらしい思想があって、それによって自分が非常に高められるという感情をもつようになる。
したがって、法華経に入った人は、そこから出ようとしなくなる。それにはもう一つの理由がある。
それは、天台智顗の「五時教判」によって、釈迦がいちばん最後に説いた経典であると誤り伝えられていうことである。そのために、法華経が最高の経典であると思ってしまう。

仏教哲学の上から言えば、華厳経のほうがすぐれている。法華経を大衆文学とすれば、華厳経は純文学である。
空海は、法華経を評して、薬の効能書きのようなものであるといっている。

この言葉はわたくしが密教に入ってから知ったわけであるが、それ以前に、それと同じことを、わたくしは法華経に感じていた。そのためにわたくしは法華経を去ったのであるが、密教に入って、この言葉を知り、空海はさすがに偉い人だと感嘆したものである。
それはなぜかといえば、法華経は、成仏を説いているのだが、肝心の、成仏法が全然書かれていないのである。成仏法が必ずあると信じて六年間勉強したわたくしであるが、成仏法が書かれていないとわかった途端、百年の恋がさめたように、アバタもエクボが、反対にエクボもアバタに見えてきた。

そうして、わたくしは、法華経を飛び出したのである。

わたくしは、法華経に成仏法を求めて入り、いかに因縁解脱を果たすかという明確な修行法を探して、六年間必死に取り組んだ。

因縁解脱、それだけを血眼になって求めた。そして、法華経に成仏法のないことがわかった。

法華経に入って、そこを飛び出した人は、あまり聞いたことがない。それほど、法華経の世界は、わかりやすく、魅力的なのである。
とにんかく、昭和三十一年の正月から京都へ出かけるようになったりして、全国的に会員がふえてきていた。会員が増えるという事が、いろんな職業の人、いろいろな生き方の方の人から、さまざまな相談を受けるということでもあり、わたくしは、一つの壁に突き当たった。

それまで、わたくしは、法華経にもとづき、準胝観音さまを拝んで、そのお力で因縁解脱をしなさいと、会員に指導をしていたが、現実に、いま、苦しんでいる人、たとえば、商売がゆきづまって一家心中としようという人たちの悲痛な声とか、さまざまな理由で切実な悩みや苦しみを訴えてくる人たちに対し、ただ、一生懸命お供を読み、準胝観音さまにおすがりしなさい、ではすまなくなっていた。切羽詰まった人のお役に立つためには、どうしたらよいのか、真剣に考えはじめた。

その頃はもう自分の因縁解脱は、二の次になりかけていた。
わたくしを頼ってきてくれる人たちの期待にまず応えねばならない。「観音慈恵会」の看板を掲げている以上、わたくしはプロであらねばならぬ。
期待にそむかないように、まずやることだ。自分の因縁が切ても切れなくても、そんなことよりも、プロとしてのわたくしに期待して集まってくる人たちを何とか助けねばならない。

しかし、これまでのわたくしの指導で、本当に助けることができるのか、ずいぶん考え悩んだ。そして、仏教の「教え」というのは、澄観和尚が白楽天に示したように、「諸悪莫作、衆善奉行」に尽きる。これが、仏の教えとしての仏教の極意であるという。

しかし、「もろもろの悪を為す莫れ、もろもろの善を行い奉れ」といわれても、それができないのが人間ではないか。わたくしにとっては、「教え」というのは甘すぎる思いがした。誰であろうと、好きにこのんで悪事を行う者はいない。
善い事ばかりをし、人びとに尊敬されたい、愛されたいと考えているのにちがいない。悪い事をしてはいけないとわかっていながら、ついつい悪事を犯してしまう。それが人間というものではないのか。

あるいは人間の弱さというものではないのか。
その第一の見本がわたくしである。

酒税法違反という刑法に触れるようなことをする気持ちなど毫もなかった。しかし、気が付いた時には結局は犯してしまっていた。
詐欺、強盗、殺人などというような罪を犯したと人でも、狂人でない限り、もののはずみとか思いがけなくとか、あるいは、そういう罪を犯さざるをえないような境遇におちいって、気がついたら犯罪者になってしまっていたというのが真相であろう。

善い事、悪い事の区別くらいは誰でも知っている。
知っていながら、罪を犯さざるをえない境遇、あるいはそういう性格、それこそが問題なのではないか、わたくしは自分の経験から痛切にそう思ったのである。

したがって、多くの名僧知識は、おおむね、「諸悪莫作、衆善奉行」を基に教えを説き、指導しているが、それは本当の人生のどん底の苦しみを知らないからではないのか。
悪い事をしてはいけないとわかっていて、悪い事をせずにすんでいるような人は、よほど恵まれた人といわざるをえない。
大抵の人は、悪い事と知りながら、悪いことをせざるをえない。そういう人こそ、本当に救いを求めている人ではないか
そういう人たちこそ、救わねばならない。わたくしは自分自身の経験から痛切にそう思った。

しかし、そういう人たちは、「教え」だけでは救えない。それ以上の何かがなければ、本当に苦しんでいる人たちを救うことはできないと痛切に感じはじめた。もちろんのこと、わたくし自身も、「教え」だけでは救われない。教えだけで、刑獄の星を叩きつぶすことはできないのである。

教え意外、教え以上の、なにかの「力」をもつもの、それが必要だと思った。
そこで、「教え」以上のものとは何であろうかと考え、ついに「仏法」というもの、「教え」に対して「法」というものの存在を考えるようになった。
もともと、お釈迦さまのお説きになった仏教には、「教え」と「法」の両輪があった。

仏の教えとしての仏教と、仏の法としての仏法とがあった。生まれつきすぐれた人は、教えだけで満足し、それで救われるであろうが、大多数の人は「教え」だけではとても救われるものではない。

わたくしはそのように考えて、本格的に「法」というものを模索しはじめたわけである。そうして、いつの間にか、法華経のもつ限界がわかったのである。

結局、法華経というお経は、いろいろな教えを説いているけれども、仏法に関しては、お前たち凡夫には所詮わからないものであるとして、突っ放している。

法華経の表現によれば、仏の智慧は、深甚微妙、不思議の法であって、お前たちにはわかろうとしてもわかるものではない。
ただ、ひたすらに仏の慈悲にすがっていればよいとして、仏法を明らかにせず逃げている。

しかし、この「法」こそ、わたくしが必死に求めているものであり、「教え」によって救われない多くの人びとが求めなければならないものではないのか。

そういった疑問が少しずつ湧いてくる中で、『幸福への原理』は書かれた。あの本は法華思想にもとづく本であった。
書き終わってから、はっきりと法華経の欠陥に気づき、仏法を真剣に考え、求めはじめたのである。

そういう意味で、この本は、法華経への決別の書であるともいえるわけである。

『幸福への原理』は、わたくしの宗教遍歴の一過程であり、一冊の貧しい小さな本にすぎないけれども、わたくしなりに全力を傾け、法華経に取り組んだ歴史が、その中に刻み込まれているのである。

法華経における修行、そして信仰、それから一転して、それに対する疑問、懐疑がすべて盛り込まれている。
したがって、この本は、わたくしの法華経との格闘の記録であると同時に、決別の書であり、その意味でなつかしい本といえる。

このようにして、「法」を求めて独力で模索をつづけ、数年経ってようやく密教にたどりついたわけである。