父親は家庭を顧みず、表に出ていってばかりだった。
父が家に見返りなく出ている状況で、貧乏まっしぐらの環境だった。
一般の障がい者の環境とは雲泥の差があり、
僕が感じるその世の中の障がい者は、親兄弟から大切にされ、
障がい者中心の
家族支援の介護環境が支流の中、
私に限っては、母が父の代わりにはたらきに行かなければならなかった。
もっぱら私は、知り合いのおばあさんと女兄弟の世話のもと生活していた。
よく、
ひとりぼっちで家に居ることがあり身体が重度の為、もっぱら寝ころばされて。
部屋の中は車いすもなく家の中でもの移動は、後頭部とかかとを支点にくねらせながら、自分の行きたい方向へ移動していた。
その姿を母親が見るたびに「まるで芝居小屋のヘビみたいやな。」と言われたものだ。
そのおかげか、運よく私は近所の人たちにも可愛がられた。
親がいなくても、健常者との交流が自然にできた。
私の世界がかわってきたのは、小学高学年になったころから。ようやく自力で福祉用具、歩行器を手に入れ、移動ができるようになったのだ。
電動車いすができたのは、自分が高校を卒業してからとなる。
その時の環境・背景が自分の性格をつくりだし、今に役立っていると思う。
自分と同じような重度しょうがい者の立場で健常者との交流ができる人はまれだと思う。
そんな私だから、物心ついた時から身体は不自由でも不自由を感じたことはなく、
親にもなんで障がい者に産んだのかという一般的によくあるように親を責めるようなことはなかったし、しようともしなかった。
逆に、障がい者で何がわるいのかという持ち主の性格が出来上がった。
今考えれば周りの人のおかげだったのだ。