あなたが、あなた自身を創造するための、マスタープラン・ノート
Master note
はじめまして、私である、あなた。
このサイトに出会ってくださって、
ほんとうにありがとう。
私は、
わたしであることを喜ぶ、
あなたです。
あなたは、自分自身であることが
嬉しいですか?
自分自身であることが、喜びですか?
それとも、外側にある何かを
得たときにだけ嬉しいと思う私ですか?

もし、あなたが自分自身であることを喜べない、私であるなら、
あなたに、ここで、自分自身であることが嬉しい、自分になりたいか?
と問いたいと思います。
答えが、成りたいなら、
あなたは、今現在は、自分のことが好きではない
ということになります。

では、
ここで想像してみてください。
あなたは、どんな自分なら、いいと思いますか?
例えば、もうひとりの自分が、
眼の前に現れたとして、
いったい、どんな人物像なら
あなたは、その自分を好きだなと思うでしょうか?

例えば、高級ホテルに
高級外車で登場して、
運転手がいて
高級スーツを身にまとい
洗練された立ち居振る舞いをする
自分が現れたら
そんな自分なら好きになれそうですか?

それとも、
優しい眼差して、ほがらかな笑顔で
落ち込んでいる、あなたの話を真剣にきいて、
あなたを励まし、
必要なアドバイスを与えてくれて、
援助をおしまない
そんな、あなたが現れたら
好感がもてますか?

すこし、時間をとって
想像してみて下さい。

想像は、創造につながる。
想像、イメージできましたか?
想像することは、創造することです。

実際に、想像してみようとしたら、
今の自分で想像できる範囲でしか
イメージすることしかできないということ
に氣付きましたか?

例えば、今あなたが、
体型に不満がるとしたら、
想像した自分は、
スマートだったかもしれません。

経済力に不満があったら、
お金持ちになった自分を
イメージしたかもしれません。

パートナーに恵まれていないと
思っていたら、
素敵な恋人がいる自分を
想像したかもしれません。

あなたは、好きな自分、いいかえると
理想的な自分と、
今の自分に、何か差を見出したでしょうか?

いかがですか?

今の自分からしか、始まらない。
あるがままでいいと、
そういう言い方がされるとき、
その、「あるがまま」
の意味をどうとるでしょうか?

例えば、したいことを先延ばしにしたり、
自分のことを大事にしなかったり、
自らを自ら傷つけたりしている状態だったとして
そのままで、いいと
そういう意味でとるでしょうか?

「あるがまま」という言葉
に込められていることを
どうとるかによって、
ただ、怠惰なことを助長するのか、
素のまま、飾らない、偽らない
自分でいいと言う意味にとるのか
真逆と言っていいほど
違いがあります。

すべてのものは成長しようとしています。
ですから、変化するということが
「あるがまま」
なのです。

変化、成長がなければ
そのまま、も無いからです。

理想的な自分へ向かって
日々、時々刻々変化している、
そのなかで、
様々に葛藤がある、
感情の起伏がある、
それが、
あるがままです。

絶対に落ち込まない、
絶対に達成するまで諦めない
ということが出来るとしたら
そういう自分になっていないと出来ません。

でも、そういう自分に成りたいと
思う土台、土壌は
今現在の自分
些細なことで落ち込み、
すぐに諦めて、つぎつぎに
目的を変えてしまう
という自分

「些細なことでは落ち込まない」
と決めて、それを実行する

そうしたら、以前
落ち込んでいたようなことが
起こったとき、
ここで落ち込んだら、
前の自分と同じになると
踏ん張ってみたり
打開策を考えてみたり
今までと違う自分が
いわば成長した自分が
現れます。

また、落ち込むようなことが
おきたら不安だ
と、うろうろしているだけなら
今までと違う成長した
自分には出会えません。

どうしよう、どうしよう・・・。
ではなく、
どうしたらもっと成長できる?
どうすれば自分を助けてあげられる?

そう考えられて
それを実行できる
それが、今のあなたです。
それが出来るのは、
今のあなたしかいません。

今の自分を
「あるがまま」
にしておいたら、かならず成長しようとします。
あるがままでいいというのは
ほっておいたらいいというのではない

あなたはあなた自身を
ほっておくことは出来ません。
目的は何?
理想的な自分になる、
その目的はなんでしょうか?

理想的な自分を
「体験」
することです。

ほかの人からすれば
「体現」
している人にみえます。

そして、そのような人を
私は、
「Master」
と呼んでいます。

完璧を体現するということは
変化、成長を含んでいなければならないので
完全なる静止というような
完璧というものはありません。
そのいみで
完全なるもの=マスター
と言っているわけではありません。

マスターに近付こうとする者
それはすでに、マスターだと
言ってもいいでしょう。

あなたは、あるがままの自分を認められるか?
より成長しようとする自分
それがあることが当たり前ですから
それが、あるがままです

でも、
自分なんて、とか
自分ごとき、とか
どうせ自分なんて

というような
氣持ちを滅入らせるような
言葉を自分自身に投げかける
自分に対して、
そんな自分でいいと
そのままでいいと
思うでしょうか?

外側で何かが変われば
自分が変われると
思っている自分でいいでしょうか?

「あるがまま」の自分は、
自分で成長する力を持っています。

あなたが、成長したい
変わりたいと思うその
芽を踏まずに、大事に守って
成長を促すなら
その芽は踏みつけられるのとは
違う過程を必ず得ます。

「あるがまま」
その芽の成長した先を
見るというその未来が
現実になります。

すでに、すべて知っている。
自分自身から発芽してくる
成長しようとする芽を
踏みつけにしてきた人なら
しばらく、種を植えた場所
芽が出る場所がわからないかもしれません。

心の中がぐちゃぐちゃで
一時は、わけがわからなくなるかもしれません、

でも、大丈夫です。
あなたは、必ず知っています。
あなたは、成長しようとする
強い力に支えられているからです。

あなたが成長させてやろう、
としているのではありません。
あなたは、成長する主体そのものです。

種の中には
すでに、どう成長するか
すべて含まれています。

後は、環境をどのように取り込んで
どのような姿になるか?

植物の種は、自ら動くことはできません。
しかし、これは、
心の中の成長しようとする力、意識の
たとえですから、
心をどのような環境に置くか?
どこに種を植えるかを
自分で決めることができます。

しかし、あなたの心
という土壌以外は選べない
ということは、
植物と同じです。




創造をはじめる。
では、実際に創造について
考えていきます。

考える、ということは
思いを形に変えること
形にしようとすること
だとします。

「考える」とは何かを
考えた結果、
そういう言い方になった

ここで言うと、
そういう文字列になった
ということです。

私に思いがあり、
それを、どう形にして表現するか
それを考えたとき
このサイトの構想はできました。

ですから、
思いを形にするとき
考えが出てきます。

その考えを支えている信念が
あなたの一番知らなければならないものです。

例えば、
高級スーツを身にまとった
自分が理想的なのだとしたとき

何が、高級なのか?
を知らなければならない。

自分は、何を良いもの、
高級なものとしているのか?

それが漠然としていると
はっきりとした答えは出てきません。

あなたが、高級なスーツを
自らデザインする、
デザイナーだとしたら、
どんなスーツが高級だとするでしょうか?

今、世界にある高級とされる
スーツを沢山知っていて
詳しければ、それを考え出すのは
容易なことです。

計算を考えるとき
足し算をしらなければ
数字がたされるという概念を知りません。

高級というとき
それは、沢山の要素を
含んでいます。

足し算でも
まず、数、数字という概念
がもとになければ出来ません。

あなたがデザイナーだとして
スーツの生地を選ぶというとき
あなたの思い描く
色や形にあったものを選ぶはずです。
あなたが、生地にも詳しければ
どこの産地の、どんな素材で
どんな染色、どんな織り方で、と
理想的なものを導き出すことが
できるはずです。

一から、すべてを作り出そうとする
デザイナーであるなら、
そうした作り出そうとするものに
必要な要素全てに、詳しくなるはずです。

だれか、詳しい人と協力して
いる場合にでも、
その協力してくれる人と
話が通じるところまで
詳しくないと、
話ができません。

さて、あなたは
自分自身に詳しいですか?
何を表現するか?
さきに、あなたは全てを知っている
といいました。
でも、それには注釈があります。

それは、「潜在的には」
ということです。

ですから、「顕在的に」は
知らないということになります。

ですから、それは
「表現」されたときに
はじめて、体験的に知ることが出来る。

表に現れたとき
それを垣間見るということです。

創造するということは、
表現して初めて、体験される。

とてもよい土地で出来た
とてもよい植物からできた糸で
とてもよい織り機でおられた
素晴らしい生地が出来たとして、
デザインやパターンが素敵でも、
サイズが合わなければ
高級なスーツとは言えません。

きちんとした採寸をして
オーダーメイドでその人に
ピッタリのサイズになって
着心地がよくてはじめて
高級なスーツとして機能する。

どこが抜けても
どこか粗雑なものになる。

あなたは、まず、
自分は自分自身について
この世界に照らしてどうなのか?
を知らなければ、はじまりません。

あなたは男性、女性?
あなたは、表現された体によって
自分をどちらか、
またどちらかにカテゴライズされる事自体が
心地よくないと
おもうのか
それらを知っているはずです。

自分の性別を意識する前
あなたは、男性、女性どちらでしたか?
あなたは母親と異性ですか、同性ですか?
表現されたものを
まわりと照らして初めて
自分を知り、体験します。

これから、
あなたは、まだ表現されていない
体験的に知っていない
どんな自分を知ろうと思いますか?


あなたにとって価値のあるものは何か?
私にとって、あなたに
このような便りを書くことは
とても価値のあることです。
文字列に価値があるということよりも
まず、このような行為を
しようとする自分である
ということに対して
価値を感じるということです。

このサイトにかかれた言葉を
たとえ、
誰一人見てくださらなかったとしてもです。
自分が表現しようとしたことに対して、
価値があると思えなければ
指一本動かすことはできません。

そして、このことに時間をつかうそのこと
そのものが、自分の価値を表現することです。

もし、あなたがここまで
このサイトを読んで、真剣に
思いを、考えを、めぐらして
くださったのなら、わたしは
別の自分からも、価値があると
評価してもらったことになります。

そのことに時間を使う
というのは、そのものごとに
価値を見出している
ということだからです。

では、あなたにとって
大切な大切な時間を
何に使おうとおもいますか?
いままで、何に時間をとしてきましたか?

あなたは、自分の信念、価値観にしたがって
時間を使い、自分を表現し
体験的に何を知ってきましたか?


全てここにある。
ここまで、読んでくださった
あなたに、私は何をしているのか
を話しておきましょう。

別の私である、あなた
そう私は、私に言葉を贈っています。

自分自身であること
その価値を、自分自身に知らしめるために。

私は、
この世界で、何が価値あるものなのか
それを自分自身で知るために
あなたである、私に言葉を贈っています。

よくここまで生きてきたと
おもうでしょうか?
いよいよ、ここからだと
おもうでしょうか?

あなたは、
どう思うでしょう?

この先に、
なにかサービスが待っていると
思うでしょうか?

自分を知るために、
成長するために、
あなたが、あなたであるために
わたしが、
何かを提供しようと

それがあなたに必要でしょうか?

また、
あなたが、何かを受け取ったと思うなら
何かをしたいと思うでしょうか?

私に何かを与えたいと思うでしょうか?

私に不足しているものを
あなたは知っているのでしょうか?

私に、あなたが与えることが出来るもの
それは何だと考えるでしょうか?

それは、私にとって
とても嬉しい考えです。

なぜなら、
私である、あなたに対して
その考えは全て適用されるからです。

言い換えてみましょう。

あなたが、あなたであるために
あなたは、あなたに何ができるか?

あなたに不足しているものはなんだと思うのか?

あなたは、あなたに、
なにを与えたいと思いますか?

あなたが
もっと表現したいとおもうもの

それは
何ですか?

思いやり?
献身?
慈悲?
愛?
優しさ?
調和?

それとも、もっと欲しいという
不足?
不安?
不十分?

それとも、
それとも、
創造の主体である
自分自身?

でしょうか?




そしてはじまる。
最後まで読んでくださって
ありがとうございます。

私は、何者でもないもの、
だから、
これこれの成果を出したから
こう言える、
これこれの成功者
だから
こう言える、
だから信用できる
だから権威がある

その

だから
に入るものは
何もありません。

何かの成果は、
私のものではない。

だから、
このサイトにある言葉だけ
その言葉から
何を感じ
何を思い
何を考えるか

誰々だから、そう言える
誰々だから出来る
ということではない。

ここに書いてあるのは
あなたのことです。

わたしである、あなたのこと。

あなたである、わたしのこと。

そのあなたが

わたしに

喜びを捧げてくれました。

ありがとうございます。