〜はじめて明かす3.11からの想い〜
を
風化させないために・・
〜はじめて明かす3.11からの想い〜
『忘れてはならない事
前に進む事』
あの
未曾有な「3.11」
僕は3.11からの東日本大震災からの14年間
ずっとこう思ってました・・
当時の原発事故、
「・・先生早く逃げて!」「・・緊急避難だ!」の教え子や友人達からのメール
お昼頃、情報収集のために赴いた南相馬市役所ではちょうど
3号機の爆発時。
自◯隊の「ここはもうダメだ! 撤退!!」
・・・
縮みあがりそうなキモチをギュッと押し込み
挑んで冷静に振る舞うも
原発から30Km内は物資が届かず
店は閉じられ
人影もなくなる
まさに
ゴーストタウン化した市内。
風向を考慮し「このタイミングしかない」と
南相馬を脱出。
車を走らせる事、約1時間半
灯りのついた「コンビニ」を見つけたとき
『あぁ、お店やってる・・』
と涙が溢れてきたことは
いまだに忘れません。
避難所へ行き着き
津波で他界した親類・友人達を考えれば
ただただ
「生きている」ことに感謝しよう
そう誓い、ただただ無我夢中でした。
そして
原発事故に至るまでの経緯や
責任あるオトナ達の原発事故での対応を目の当たりにし
避難所で勉強をする学生を見たとき
三度の飯より勉強を、教えることが好きで好きで生きがいとして僕が
・・・教えることを拒絶・・・
「・・ただ『勉強』を教えることに一体何の意味があるのだろう
『ひととしての振る舞い』を教えなければ
過ちは繰り返される・・」
・・人の気持ちや痛みがわかる
「本物の人」を育てたい・・
そんな想いを強くして
学びに学び直しました。
今まで僕を育ててくれた
両親をはじめ、先輩、友人達
そして
人生の師匠
他界した神事の師匠等々
から薫陶を受けてきたことを
自分の中で噛み砕きながら
目前の「一人」を笑顔にするために
表現して
報恩感謝の
恩送りをしよう
そう思っていた矢先
僕に新たな試練が訪れます
・・救急車で緊急入院・・
検査漬けも
「原因不明」の診断
「こんなにヒドイ患者は初めて」
と医師から言われ
お迎えを待つだけの状況に。
高熱が続き、痛みで身動きができず
一日数十回のオムツ替えなどの
よりによってこんな病床の僕の頭の中へ
不思議なことに
この世界の「宇宙の仕組み」が知らされます
( 一部を話すとセカイは全て陰陽裏表 善悪が対で成り立って誰一人無駄な人は居ない そして全てを活かす 要旨)
時を同じくして運命的な
腸内細菌予防医学との出会い
でキセキ的に
生還
「今」生きてます。
・・今年は3.11東日本大震災から14年の節目
自分の経験を持つ・経験を
ワクワク生きて『幸せ』になる
ためのカタチに変えて
人の痛みを共有し
お互いの違いを認め合える
仲間と過ごし
試練を笑顔に変えて
認め愛う社会にしたい
そんな僕の想いに共感頂ける方
私と一緒に
全国、そして世界を「笑顔」溢れる社会に
変えていきませんか?
ご縁のあるあなたと一緒に
この地球(ホシ)を素敵な思いで包んで輝く未来の子供たちとこの地球のために・・・
愛と感謝と慈しみを込めて
インスタグラム⬇︎