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経歴
・国際武道大学体育学部・トレーナー学科・スポーツ医学専攻
・東京で20年間スポーツクラブで働き10年前にに沖縄に!
・スポーツクラブ以外にも「整骨院・病院・リハビリテーションセンター・介護施設で働き幅広い知識をもつ。今までに約10000人の指導経験があり10000万とおりの指導方法をもつ
資格
・健康運動指導士(国家資格同等)
・ファスティングコンサルタント
・ファスティングマイスター
・ファスティングカウンセラー
・腸もみ・デトックスセラピスト
・睡眠コンサルタント
・ホームヘルパー2級
実績
・毎年、何十人ものダイエットを成功・20kgダイエット成功者10名以上!
・第一回Mr of the year全国大会特別賞「ベストスピーチ」受賞
・第二回Mrs of the year沖縄大会講師・スポンサー
・第三回Mrs of the year沖縄大会審査員
・第三回Mrs of the year全国大会沖縄親善大使
・日経スペシャルガイアの夜明け出演依頼
・ダイエットセミナー講師
・肉体美デッサンモデル
・沖縄クラスター発生介護施設・緊急支援員
・幼少の頃、壮絶な家庭環境で育つ
僕の父親はアルコールと処方薬の影響により、日本刀や包丁を振り回すような人でした。
母親は愛情深い反面、躾に厳しく仕事人間だったこともあり、甘える機会が少なく寂しい想いをすることも多かったです。
父親のこともあり、両親は毎日のように喧嘩をしていました。そんな両親の姿を幼いころより見ていたためか、いつも寂しい・辛い・苦しい・怖いなどの、思いを抱えていて心が満たされず、愛情に飢えていました。
小学校時代は周りの子となじめず一時期不登校になりました。中学校・高校はなんとか学校へ通っていたものの、顔では笑って心は満たされず生きにくさ、そして人生の苦しさを感じていました。
・薬物との出会い
高校の卒業が迫り、大学受験を控えていたときに僕の人生を変えてしまうものに出会います。それが「薬物」でした。
一般的に薬物と聞くと覚せい剤や大麻を思い浮かべる方もいるかもしれません。しかし僕が
最初に使った薬物はドラッグストアや薬局などで誰でも買える「液体の風邪薬」でした。
大学受験で思うように勉強が進まず悩んでいるときに、バイト先の先輩に風邪薬を勧められたのです。
「荻野くん、
○○(風邪薬の名前ですがここでは伏せます)飲んでみなよ!頭がスッキリして勉強はかどるよ」
その言葉に誘われるがまま、使ってみると確かに頭がスッキリしました。それと同時にこれまで満たされなかった心が幸福感に満たされました。
家庭環境の特殊さ、受験勉強の厳しさ、生きにくさ…これらを忘れさせてくれた薬物。
当時19歳の少年にとって、薬物は心を保つために必要なものでした。はっきり言って、当時は薬物がなければ心が壊れていたと思います。
しかし、薬物は徐々に心と身体をむしばんでいきました。
大学へ入学するも2年ほどで通えなくなり休学。自力で薬物をやめようと、車一台で北海道へ出向きました。北海道で酪農のバイトなど、仕事を転々としながら一時的に薬物を止めることができました。
「もう大丈夫だろう」
そう思って地元へ戻りました。しかし、一時的に薬は止まったものの根本的な解決にはいたらず、また直ぐに薬物は始まりました…。
・借金、自己破産、自殺未遂…
薬物を買うために親に嘘をついてお金を借りる・内緒でお金を抜く、それができなくなると金融機関でお金を借りて薬を買う。そして結果的に借金がかさみ自己破産してしまいました。
それでも薬物が止まらずさらに依存が進み、末期の頃にはお店で薬や酒などを無意識に取って店の外にでてしまい警察の世話になる事態に陥りました。
「もう死んでしまおう」
そう思い薬を大量に服用したこともあります。しかし、死ねませんでした。
そしてやっとの想いで回復施設につながります。
施設に入所した当時はこれでどうにかなると思いました。1回目に回復施設に入ったときは
1年ほどで退寮して社会復帰しました。しかし、社会復帰して束の間、すぐに薬物に手を出してしまいました。
2回目の入寮では生きる希望もなく死ぬこともできず家族からも見放されてどうしようもなく半ば自暴自棄でした。
「もうどうでもいい」
そう思いながら過ごす日々でした。しかし、施設で過ごすうちに徐々に生きる希望を取り戻していきあるとき「このままではいけない、僕の人生をどうやっても取り戻すんだ!」と一念発起しました。施設のプログラムに取り組むのはもちろん、自分自身を見つめなおすために認知行動療法にも取り組みました。
そして5年前、再度の社会復帰を果たします。
・社会復帰後に立ちはだかった壁と開業の決意
再度の社会復帰でも困難が立ちはだかりました。ブラック企業に就職してしまい、体も心もボロボロになって結果的に退職。未払いの残業代を請求したら「お前には、人に言えない過去があるだろ」と薬物を使った過去を持ち出されました。
「もう、使ってしまおうか…」
薬物のことが頭によぎりました。しかし、踏みとどまりました。
当時、妻と出会っていて同棲していました。妻が僕の状態に気づき、寄り添ってくれたのです。妻がいたから薬を使わず踏みとどまれました。もし1人だったら、使っていたかもしれません。
このブラック企業での出来事があったからこそ、僕はパーソナルトレーナーとして独立しようと思いました。
・スタイリッシュ創業と社会の受け皿作り
「社会復帰を頑張っても、ふとしたことで過去のことを持ち出されるなら自分からすべてをさらけだしてしまおう。そして、僕の考えや思いに共感してくれる人が来てくれればいい」
そう思い「パーソナルトレーニングジム・スタイリッシュ」を開業しました。
開業して3年がたちますが、その間にスタイリッシュに来てくれたお客様は200名を超えます。
「過去に失敗してきた僕だけど、僕のことを信じてくれる人はたくさんいる」
涙が出てくる思いでした。
僕を信じてやって来る方のためにも、妥協はせず精一杯力を尽くしています。
スタイリッシュにはダイエット、生活習慣病の予防、ボディメイク、心を鍛えつつ体も鍛えたい…本当にさまざまな理由でやってくる方が多いです。
体重が100kg近くあり高血圧のお薬や糖尿病のお薬を飲まれている方もいらっしゃいました。そのような方が減量に成功して-20kgを達成しお薬も減って検査の数値も平均値になったと聞いた時は自分のことのようにうれしかった。
人が変わっていく姿を見るのは、毎回感動します。
僕は、お客様のダイエットをお手伝いします。しかし、やるのはその人自身です。
僕ができることはお客様に正しい知識と正しいやり方を教えること、そして応援することです。
くじけそうなとき、モチベーションがあがらないとき、辛いときは僕が寄り添います。
真剣な気持ちで「変わりたい」という方、僕が全力を尽くしてサポートします。
ダイエットで悩んでいる方、生活習慣病を予防したい方、綺麗な体になりたい方…どんな悩みでもかまいません。真剣な気持ちがある方はぜひ、僕のところへ来てください。
あなたを本来の姿へと僕が導きます!
・最後に
僕は回復施設を卒業して社会復帰を果たし、3年前にスタイリッシュを創業しました。
「荻野さん、壮絶な人生から立ち直ってすごいですね」と言われることもあります。
しかし、僕に限らず人間誰しもが山あり谷ありの人生を歩んでいるはずです。
人間には「回復する力」「乗り越える力」が備わっています。その力を発揮するには、ときに誰かの力を借りることも必要でしょう。
その「誰か」の1人に僕はなりたいと思っています。
ダイエットで悩んでいる方の相談に乗ることはもちろん、
依存症や精神疾患、DV家庭の相談など、身近な人には言えないような悩みの相談にものっています。将来的には、スタイリッシュを社会復帰できる場所の受け皿にしたいと考えています。
依存症者回復のための啓もう活動としてミスターオブザイヤー・ミセスオブザイヤーというコンテストに出場したこともあります。昨年は「魂の人」というタイトルの本をAmazonの電子書籍で出しました。
少しずつではありますが、社会貢献をしています。
今後もこの沖縄の地で多くの人のために力を尽くしていきたいと思っています。そのために、僕の能力や経験が役に立てられれば幸いです。
感謝を込めて。
スタイリッシュ代表 荻野徹