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 きょっけい
-極景-
夏目漱石「こころ」のオマージュ作品
2020年5月18日刊行
電子書籍は6月4日~9日まで、無料で読めます。試して頂けたら幸いです!

『教育』がモチーフのひとつになっています。
印税収入の全ては教育機関(いまのところ児童養護施設と考えています)へ寄付します。


これからを生き抜く
-アップデート-

Point.
1
寛容であることの大切さ、他者の有り難み
Point.
2
痛みに寄り添えるヒトへアップデートする
Point.
3
教育って、大切?
学問とは?
Point.
4
ヒトはエゴイズムの塊という前提に立つ
Point.
3
教育って、大切?
学問とは?

作品概要

作家生活スタートします。

この状況の中(2020年5月現在)で衣食住に困っている人、医療従事者、ライフラインを担う皆さんの、ご苦労に対して、これ以上の負担を掛けないことくらいしか、いまの私にはできません。

ただ、生きることに精一杯、それが現実ですよね。
アフターコロナの世界では、夢や目標を諦めざるを得ない方々が、いらっしゃるかも知れません。
世界の人々が連帯することでしか、これから起こる「なにか」から、生き残る術は、私にはないように思えます。
しかしながら、大国の情勢を鑑みると、分断の道を歩みそうです。
我々ヒト(ホモサピエンス)は、生態系から自然選択により、排除されようとしているのかも知れません。

ヒトが地球の支配者であるとの思い違いは、最早ボタンの掛け違えでは、済まされなくなっています。
地球上では、ヒトの数より、圧倒的にウイルスの数の方が多いです。
ヒトの体内でも細胞よりウイルスの方が多いのです。ヒトを生かすウイルスも居れば、殺すウイルスも居ます。
ヒトの生殺与奪はウイルスが握っているというのは過言ではないでしょう。

我々は9.11でも、3.11でも変われなかった。
ひとまずは生命と衣食住の確保が最優先ですが、今度こそ変わりたい。変わりましょう。

テクノロジーは進歩しましたが、ヒトとしては、後退しているとも言えます。
デマに踊らされ、トイレットペーパーを買い占めたり、マスク不足のドラッグストアでスタッフさんに詰め寄ったり……
日本人の民度の問題かと思いきや、先進国のほとんどで同様のことが起きていましたね。
日本より酷い争いもありました。

衣食住が整って、ビフォーコロナの世界に戻るのは、なにも前進に繋がりませんし、きっと戻れはしません。いまこそ、ヒトとしてのアップデートが必要なのだと思います。
これからは、より一層他者の痛みに寄り添える優しさ、寛容さが大切です。
できなければ、ヒトの存在は自然から、自ら創り出したテクノロジーから、淘汰されるかも知れません。
もちろん、そんな事態は起こしたくない。

そんな想いを、ひとつの世界を物語にしました。
夏目漱石「こころ」のオマージュ作品であり、私なりのアンサーストーリーです。

2020年5月18日、Amazonで電子書籍配信開始です。紙媒体も同時発売ですが、電子書籍の方が安価です。 
運良く読んでくださる方が、いらっしゃれば、印税収入の全ては、教育関係(いまのところ児童養護施設と考えています)に寄付します。

衣食住が整ったあとに、必要なのは教育です。残念ながら、現代の教育や学問は、受験競争と切っても切り離せない状態にあるようです。
本来の学問とは「想像力を鍛える」ためにあるのです。教育が行き届かなければ、我々ヒトは、なんどでもデマに振り回され、連帯から分断への道を歩み続けるでしょう。

時間があれば試し読みだけでもして貰えたら嬉しいです。

私のいまを全て書き切りました。
とは言え、三部作の第一部です。
あと、二部書きます。

第二部「息子より」
第三部「制御不能の雨」

叱咤激励よろしくお願い申し上げますm(_ _)m


著者紹介

キタノ レン
作家
兼 猫飼育員
1975年 岡山県井原市生まれ。
17年間、民間企業において従事するが、うつ病を発症し、退職。
現在は躁うつ病へと変容。
見た目、振る舞いからは、誰の目にも病気を持っているようには映らないようです。
病気は私を構成する、部品のひとつだと思っています。
誰もが、なにかを抱えている。
私も、同じくです。
だから、なにってほどのものではありません。
全部ひっくるめての私です。

現在はメス猫の飼育をしながら小説を書いています。



キタノ レン
作家
兼 猫飼育員
1975年 岡山県井原市生まれ。
17年間、民間企業において従事するが、うつ病を発症し、退職。
現在は躁うつ病へと変容。
見た目、振る舞いからは、誰の目にも病気を持っているようには映らないようです。
病気は私を構成する、部品のひとつだと思っています。
誰もが、なにかを抱えている。
私も、同じくです。
だから、なにってほどのものではありません。
全部ひっくるめての私です。

現在はメス猫の飼育をしながら小説を書いています。



著者メッセージ

  • 他者を傷つけ、他者に傷つけられることで、人はようやく寛容さを手に入れられるのではないでしょうか。 
     人生100年時代と言いながら、現代は生き急いでいる人が多いような気がします。私も同じくです。いえ、むしろ率先して生き急いできたと言えます。
     企業に勤めていた頃には、短期的な成果至上主義に生き辛さを感じながらも、他者を見ている振りをしながら、自らの成長という呪縛に絡み取られ、沢山の人を傷つけ、沢山のものを無くしました。
     無意識的に幸福のテンプレートを押しつける同調圧力には辟易とさせられますが、抗うのは容易ではありません。学校で起きる苛め問題、最近では企業でも蔓延しているようですが……一時的に誰かに守って貰ったとしても、一生平穏無事が続くとは限りません。時には逃げることもアリです。
     私は企業から逃げました。うつ病を発症し、いまは躁うつ病に変容し、治療中です。
     学校からも企業からも逃げられます。時間が解決してくれる場合もあれば、そうでないこともあるでしょう。対処は千差万別で、私には特効薬は処方できませんが『辛い時は逃げてもいいんです』
     生活費が……ローンが……子供の教育費が……体裁が……逃げられない理由は沢山あるでしょう。しかし、逃げるまではいかなくても一歩立ち止まることくらいは、どうでしょう。回遊魚ではないのだから死にはしません。
     学校は高校までだと12年間、企業なら60歳か再雇用されて65歳まで。我慢することで、なにかが前に進むのなら、意義があるのかも知れません。しかし、人生は一度切りしかないのです。ある意味で最も重要なファクターは『時間』と言えます。『時間』は誰にでもフェアで、前進しかしません。取り返しが効かないからこそ残酷です。
    なにへ『時間』を使うのか。
     意見は皆それぞれだと思いますが、私個人の結論は『誰と共に生きるか』いまは、そうとしか思えません。
     沢山の人を傷つけ、沢山のものを無くした私を救ってくれたのは家族であり、他者でした。
     恩返ししたいとか、そんな高尚な思いではありません。『誰かと共に生きる』ことが、自らを救い続けるであろうことが確信的に思えるからです。結局は私利私欲です。
     
     私は、数年前から『物語を書く』ことを始めました。元々読書好きではあり、いつかは自らも書くだろうなくらいの気持ちでした。書くことは私を解放してくれます。理性も感情も、なにもかもです。時には触れたくないことへ触れ、辛くなる場合もあれば、自らが作り上げた登場人物に感情移入して涙を流すことすらあります。それはそれで私には効能があるのです。おそらく生育環境に影響を受けているのだと思いますが、私の喜怒哀楽は、ほとんど誰にも伝わらないのです。涙を流すだけで、かなりすっきりします。四十過ぎで、それを知ることになるとは思いもよりませんでしたが、悪いものではありませんでした。