あなたは全てであり全てはあなたです。| ネットの神社 文大神宮(あや・だいじんぐう)
ネットの神社 文大神宮
徳を、積んでいますか?
ネットの神社・文大神宮では
「徳積みのご祈願」を
しています。
徳とは?

徳とは生命エネルギーのこと。
生命エネルギーが活発であれば
人生を望ましく開いていけます。
この徳は増えたり減ったりするものです。
よい行い、よい想い、よい言葉などは徳を増やし、悪い行い、悪い想い、悪い言葉などは徳を減らします。
徳が増しますと人生はより豊かで幸福に、人に好かれ楽しいものとなります。
徳がなければ、裕福であってもつらくわびしいものになります。
世界の教えは一つ

世界のあらゆる教えのはじまりは土地は違えど、同じものだったと言えるでしょう。
そこから派生した様々な教えも真髄は一つにたどりつきます。その呼称は各地、各宗派で実に様々になっています。
神様から「神のしるし」をいただき現す人をクライス・イスト(イエズス、ハリストス、キリスト)といい、預かった言葉を現す人を「預言者」といい、自ら体得した人を悟った人の意味である「仏陀」といいます。
なぜご祈願は徳積みになるのか?

ご祈願することによる徳積みは古くから知られています。思いを祈念することで、未来の自分へのイメージの型を生成し、それに向かってすすむことで人は希望を叶えていきます。
一方で人は弱いものであり、その思いや意志は長く続かないことが多いものです。
ご祈願は、人の願い、思いを強固にするためにもけじめとして行われてきました。
祈りは人の行動を善へすすめる動力、活力になります。今日から気持ちを切り替えてがんばろう、という気持ちになり、よい言葉や思い、よい行動を出していく大きなきっかけになります。
文大神宮(あやだいじんぐう)の意味

神宮は神様のあつまるところの名前です。
文大神宮は生命のみなもとの神様と考えられる世界各地の様々な呼称で呼ばれてきた神様の大元のご存在である「神のしるし」をご神体としてお祀りしている大神宮です。
「神のしるし」そのものが、ほぼすべての宗教で様々な呼び方で秘匿とされているものです。
アヤとは実に多くの文字や由来があり、神様の呼ばれ方の一つです。それにちなんで
文大神宮(あやだいじんぐう)と名付けられました。

ネットの神社ってどんなもの?

ご参拝は普通、木や岩や鏡などのご神体のある場所へ赴いて行われます。
文大神宮のご神体は生命のみなもとの神様の「神のしるし」であるためご安置をして参拝をするという概念がございません。
神のしるしを知りうる当主だけがみなさまの代理祈願を行っております。
インターネット受付をし、
ご先祖への供養とペット供養は毎月無料一斉ご祈願を行っております。
それ以外のご祈願・ご参拝も随時行っております。
ネットでのご参拝は自ら足を運ぶという儀式がないため、いっそう心の思いを大切に考えます。


今あなたがすべきこと

今あなたがすべきことは、関わっている人にできるだけやさしくし、自分を傷つけないことです。
死後、人に与えた思いはその反射を自分が受けるといわれています。
そのことを本能的に人間は知っているのです。
ほんとうに正しい人生とはなんでしょうか?
順調なときは、人はお金を稼ぐことや自己実現に忙しいものですが、震災などが起きたら、どうしてみな、助け合いをするようになるのでしょうか?
ほんとうは助け合いが正しいことを知っているからです。

「もっとやさしくすればよかった!」
「いじわるをするんじゃなかった……」
と誰もがこの世での後悔を抱えています。
今あなたがすべきことは、関わってるものに、できる範囲でよいのでやさしくすること、自分の心の思い、言葉、行動、自分自身を大切にすることです。
なぜご祈願は徳積みになるのか?

ご祈願することによる徳積みは古くから知られています。思いを祈念することで、未来の自分へのイメージの型を生成し、それに向かってすすむことで人は希望を叶えていきます。
一方で人は弱いものであり、その思いや意志は長く続かないことが多いものです。
ご祈願は、人の願い、思いを強固にするためにもけじめとして行われてきました。
祈りは人の行動を善へすすめる動力、活力になります。今日から気持ちを切り替えてがんばろう、という気持ちになり、よい言葉や思い、よい行動を出していく大きなきっかけになります。

ほんとうの宗教とは?

ほんとうの宗教ってなんでしょうか?
国内だけでも数多くの宗教があります。
そしてその真髄は、ほぼすべての宗教でよくわからないままになっています。
真髄の部分(神のしるし)には実に様々な呼び名がついています。
日本で広まった中国八宗の仏教も各宗派で真髄は秘匿か、曖昧模糊にされています。
では、そのルーツである仏陀はどうだったでしょうか?
仏陀が残した最高のものとは「成仏の記別」です。ところが、各宗派は枝分かれをし、よりどころにした経文もバラバラになりました。
ではいったい、経文とはなんのことでしょうか?
経文とは「説明書」のことであります。
「経」とはなんのことでしょうか?
それは「カタチ」のことです。実際に経という漢字はカタチとも読まれます。
経とはカタチのことであり経文とはそれの説明書であります。
「経」とはなんのカタチなのでしょうか?それは「神のしるし」のことであります。
今では、その神のしるしという最重要の「経」(カタチ)をなくして「経文」だけが残ってしまっています。
「カタチ」の存在自体を知らない人が訳しているのですから、般若心経や法華経に書いてあることが理解できなくなってしまっているのです。
仏陀が行った最高のことは「成仏の記別」です。その人の機根に応じて成仏できるように「記号(神のしるし)」を「わけた」ことを「記別」というのです。
仏陀とは「悟った人」の意味です。では、なにを悟ったことを指すのでしょうか?
「神のしるし」を悟った人を仏陀と呼ぶのです。

西洋ではどうでしょうか?旧約聖書のころより「神のしるし」という言葉は非常にたくさん出てきます。その解釈がバラバラになり血統や民族で分かれて争いの歴史をくり返してきました。

神道には神璽があり、これは「神のしるし」のことを指します。
歴代の主要な神社や皇室に秘匿にされ、大切に守られているとされています。

もっとも古いといわれるアーリア人の自然崇拝ですら、アーリア・ヴァラ・オキテと呼ばれる真髄は「神のしるし」でありました。

イエス・キリストが迫害された理由は「神のしるし」(=免罪符)を信じることによって誰でも救われると説いたからであります。
民族や血で分けて習わしを重んじた、昔からの神様との契約を信じてる人たちにとっては、その教えが反逆的に映って、脅威だったことでしょう。
仏陀も同じように「成仏の記別」を授ければ誰でもやすやすと成仏できると説かれました。
イエス・キリストの「免罪符(天国への切符)があると天国へ行ける」ことと
仏陀の「成仏の記別を授かったら成仏できる」こと。
この二つは、呼称が違うだけで、まったく同じことを言っています。

ところでこの「神のしるし」は誰でも目にできるものではないようです。
これまでに「神のしるし」を体得した人と、偶然出会ったという人に出会ったことがあります。
雑識があると出会えないそうです。
文大神宮の当主も、人生、神、生まれた意味を、雑識をまじえず、まっすぐに求めていました。
その結果、「神のしるし」にたどり着くことができたのです。

このしるしに出会ったときの人の反応はこのようだと仏陀が申されました。
上品の人「驚き、最重要であることがわかり畏敬の念で信仰する」
中品の人「なんだかわからないが、説明を見てるうちに理解し信心できる」
下品の人「価値がわからずにバカにして罰を受ける」
仏陀でさえ、衆生の機根に応じて、今なら教えても大丈夫だろうか?と慎重でした。
修行をがんばってきた僧侶達に、ようやく「成仏の記別」と称して「神のしるし」を開示したのですが、トップのお弟子さんたちの中から、バカにして退転し信心をやめてしまう者が出たのです。

さてご縁があってこれをお読みになってくださってる方で、関心がありましたらぜひ、
「神のしるし」や「世界の宗教は実は一つだったのでは?」という仮説を立ててみて、
図書館やインターネットなどで、聖書や仏典や原書など、世界中のまともな宗教文献を探ってみてください。
「神のしるし」あるいはそれと同じ意味の言葉をたくさん発見されることでしょう。
そして、ここに書いてあることが真実であることが、おわかりいただけることと思います。
ほんとうの宗教とはなにか?宗教の価値とはなにか?をお考えになるきっかけになれれば幸いでございます。

文大神宮の当主は「神のしるし」を初めて見たときにまっすぐに最重要であることを生命の奥で感じ取りました。
現在、文大神宮では「神のしるし」をご神体にして感謝想起をし、ご祈願を行っております。
本物の宗教は
すべてが一つに
つながります。

ほんとうは世界に
隔たりなどなかった。

ありとあらゆる教えを述べた宗教・書籍・サイトがあります。
それらは、はじめからまったく別々の教えなのでしょうか?
これらのルーツは呼称は違えど、「生命エネルギー」を創られた、たった一つのご存在についてを現したものがほとんどです。
多くの人はそのご存在を「神」と呼びます。
まっすぐにつながる人は運のよい人になります。斜めにつながる人は運がちょっと運びにくくなるといえます。
万物には生命エネルギーが与えられていますが、様々な理由から等しくはないのです。実に様々な理由によるため、それがよいとか悪いというのでもありません。
地球を木の根っこになぞらえ、桜の花びらを人間にたとえるなら、生命エネルギーの根元はつながっています。
どんな人のどんな立場であっても、「明日は我が身」のことであります。
ですから、可能なかぎり、ご縁のある人にはやさしくしたいものですね。
そして、可能なかぎり、自分のこともないがしろにしたり傷つけてはいけません。自分のことも、大切な預かりものとして上手に運んで行くことが大切です。
血で分けて人種で分けて土地で分けて職業で分けて宗教で分けることは、なぜされてきたのでしょうか?
それは「生命エネルギー」を創られたご存在(神と呼ばれています)への解釈がバラバラだったからにほかなりません。
ある人はそれを「血統」によって救われると考えました。ある人は「しるし」を得れば誰でも救われると考えました。
どちらも正解なのでしょうが、どちらもお互いにとって生きる上で都合が悪かったのは間違いなかったのです。どちらも己のつながっている【神】たる存在へ忠実でいようとしたために、そのプロセスが違うことを許容できなかったのです。
そして、血統によらずに救いを説いた後者は、もれなく暗殺の対象になってきたのです。
「しるし」に関する記述は、宗教的な文献からは、ほぼすべての箇所が悪しきものによって削除されてきたと言われています。
宗教をききかじった人ならば必ずこの2つを知ってると思いますが、キリスト様は「神のしるし」があれば天国へ入れるとされ、仏陀は「成仏の記別」を授かった人は成仏できると説かれました。この2つは表現こそ違えど同じことを言っているのです。そして「血統」で分けない教えだったために迫害を受けてきたのでした。
ずっと、地球の人々はここに生まれたことを「なぜだろう?」「どうすればいいのだろう?」「何が正しい人生なのだろう?」と考えてきました。
生命エネルギーの根源に感謝し、生かされてることを知り、大切に生き、なぜ生まれたのかを真摯に考えることが大切です。
まっすぐに信じてご自身の生命の根源たるご存在を感じられるように思いでつながってください。答えにいたるプロセスは個々で課題が違うからです。
宗教は世界各地ではじまり
様々に言い伝えられました。
そのもとは、一つだと言われています。
⇩以下は縮図になります。⇩
あらゆる宗教で、様々な呼び名のついた
たった一つのご存在を
あなたは何と呼びますか?

文大神宮では、その根源のご存在に対して
感謝と祈りを捧げております。
文大神宮のやさしい教え

文大神宮(あや・だいじんぐう)の教えは、世界中に散り散りになった神々の元は一つであると考えます。
太古に発祥した祈りの行為は世界のあちこちで散見されます。口伝、文献などで各地で言い伝えになり、次第に教義が分かれ、呼び名が変わり、ありとあらゆる宗教が生まれました。
しかし、そのもとは、やはり一つであると考えます。
わたしたち全員が持っている、魂の奥の奥にある神様から分けられた清い生命と、宇宙の中心である生命の根源のエネルギーは、しっかりと結びついています。
そのことに感謝を申し上げ、徳を積んでいくことが文大神宮の信仰です。
みなさま全員の命、すべての生命のみなもとは一つであり、その根源のご存在を、文大神宮では、「神様」と呼ばせていただいております。
ご神体は当主がご縁により出会えた「神のしるし」になります。しるしは神縁仏慮によって出会ったり体得すべきものですので、門外不出の秘匿となっております。当主が神様のしるしに直接、感謝想起をしご祈願をいたします。
みなさまはいつでも、どの時間でも、お祈りをしたいときはこのページにアクセスして、天に向かって自然な姿勢で手を合わせて、心静かにお祈りをしてください。

文大神宮が行っている
ご祈願の内容です。

事業を軌道にのせるにあたり大切なのは徳です。
徳とは生命エネルギーのことですが、事業とは社会活動なため、生命全体のエネルギーに対して影響力は強いものになります。事業家にとって理念や社会に対する道徳は必要不可欠な素養となります。よい事業は社会に繁栄をもたらし、全体がよくなるような思いをもってすすまれています。
事業繁栄
恋愛とは何のためにするのでしょうか?
私たちはなぜ生まれるのでしょうか?
恋愛の目的は愛し合うことです。愛し合う経験のために恋愛があります。
恋愛における求愛活動には互いの生命エネルギーを奪い合うという側面があります。生命あるものは命をけずって恋愛をするからです。
ですから恋愛は諸刃の剣ともいえるでしょう。
その恋愛をよくするためには、まず自分が相手の生命エネルギーを与えられる側にならないといけません。真心で接し、かつ女性であれば、自らの体は守らないといけません。世界中の宗教で婚前に肉体関係をもつことは拒まれます。自分を大切にし、その上で相手を思いやる、この鉄則を忘れないでください。
恋愛成就
学業とはなんのためにあるのでしょうか?勉強とは他者との隔たりを作るものではなく、より勉強した人が、そうでなかった人を守り、全体のために働いてこそ徳をうしなわず知恵となって全体によいエネルギーをもたらします。そうでない人は勉強が苦しいものとなり、結果的に知識を増やしたぶんだけ他人を裁き、自分をさばくようになるように、この世界はできているのです。自分と他者を同時に幸せにするという思いから学業に挑みますと、不思議と力がわくものです。
学力向上
合格するにはその学校や資格に合格するための生命エネルギーを消費をします。
。そこへ到達するための運と勉強が必要です。
合格へ対策された勉強をし、準備をできるだけ多く獲得することで余裕が生まれます。
たとえば勉強量の多い難関校や難しい試験であるほど、生命エネルギーは大量に必要になります。そのためには睡眠、栄養をとり、人よりも勉強をしなければなりませんが、そのことが非常に徳積みになります。
よい努力を重ねた人はおのずと魅力が増します。
人は何か一つのことに努力をしますと、それに応じるように適した回路が開けます。その実感がわくと勉強が楽しくなります。適した道であれば、つらい勉強が楽しいものになります。しかし適さぬ道の場合には、苦しんでも道は開きにくいものです。適した道であれば、おのずとその道の学業の向上にすすむでしょう。
一方で万一合格をしても、それに見合う努力が足りなかった場合に、徳負けをして、非常につらい思いをしたりもします。生命力の範囲で努力をすることが大切です。
合格祈願
運とは何でしょうか?
運とは自分を動かしている、もともとのエネルギーとつながることを言います。
もともとのエネルギーとまっすぐつながることを運がいいといいます。
まっすぐつながっていないときは、ものごとを斜めに考えたり、適していない道を選んだりなど遠回りをしやすくなるようです。
では、どうしたらまっすぐつながるのでしょうか?
どのような呼称でもかまいませんから、自分自身を生み出したご存在に対して、まっすぐに感謝をすることです。
開運祈願とは、運を開きたいときに、まさにそのためのご祈願をすることをいいます。開運はありとあらゆるほかの項目にも通じます。どれか迷っているときにもお選びいただけるでしょう。

開運祈願
病気とはなんでしょうか?
病気の定義とは難しいものです。健康なときに完全なる健康がないように、病気そのものにも正体はなく、表裏一体でかならず、陰と陽、善と悪、光と闇は存在します。
風がなければ春がないように、人はときどき病気をします。これは防ぐ事が出来ません。
しかし業病とよばれる、生き方のクセによってなる病気については、ある程度防ぐことができるようです。

まず病気になる原因についてもっとも大きなものは、日頃は水や空気のように意識はしていないものですが、食べ物は大きく健康を左右します。そしてその食べ方の悪しき習慣は生活習慣病を作ります。

宗教的なまなざしで食べ方について考えますと、人を含めた生物全体は、個体によって体の大きさは違います。しかし、地球上の限られた資源の中で全員に分配できるだけの食料がなければ、生まれてはこないはずなのです。
そこで、体の大きさに対して得すぎることは、徳(=生命エネルギー)を失いやすいという設定が、なされていると考えられます。
そうでなければ生命全体は生き残れないからです。
健康増進への決心をされましたら、自分にあてがわれているであろう食物の量をオーバーしないように心がけることが大切です。世界中にベジタリアンがおり、極端ではないナチュラルな小食は健康のもっとも大切なキーワードとなっております。

病気平癒祈願
良縁とは何でしょうか?
人はなぜ巡り合うのでしょうか?
この世界のあと、あの世に行くと言われていますが、あの世よりもこの世はずっと寿命が短く、その間にわたしたちは地球で人間としての経験をするために生まれて来ています。
よいご縁はよい思いを媒介にしてつながります。しかし部屋の中にいては良縁はできにくいのも事実です。人は寿命という限られた制限時間の中で生きていますから、恋愛する時代になったら、可能なかぎり自分と話の合う人と知り合う場所にいることが大切です。そのためにはご自身のよさを知ってもらえるように、様々なことをしてみましょう。巷には様々な出会いにあふれています。どんな出会いであっても清浄な思いのあるところに清浄な出会いはあるものです。結婚のために大切なことは、お金と性は結婚してから分かち合うのであり、そうでない場合は自分をきちんと守るということです。
あなたは、ご自身の内面のあたたかさを人にわかるように出せていらっしゃいますか?
感動したとき、動植物や弱者を慈しむとき、涙を隠してしまうでしょうか?心のよい思いを、絶対に口に出しましょう。よい思いは、秘めることが美徳なのではありません。よい思いは口に出し、行動に出します。
愛していたら、大切に思っていることを口にし、愛しているゆえの相手のためになる行動をしましょう。
良縁成就
魅力とは生命のハツラツとした様子が外面に出て人々を引きつけることを言います。
花の一番生命力にあふれた姿を想像してください。人にもあのような姿が散見されますが、そこに年齢は関係がないようです。もちろん若いときの魅力もありますし、大統領スピーチのような魅力も多くの人を引きつけます。
魅力は、自分のよさを存分に出しているときに、顔などの造形の美醜にはまったく関係なく、体全体の表面にあふれ出ます。
「魅力的な人」は人から一目置かれ、大切にされやすいのです。その理由は、生命エネルギーを周りへ放出しているため、まわりの人を元気にするからです。
周りの人は魅力的な人から元気をもらっている状態になります。
魅力獲得
金運とはなんでしょうか?
金運とは資本主義社会における貨幣通貨を優位に持つことをいうのでしょうか。一般的にはそうだといえます。
しかし生命全体の宗教的なまなざしから見ますと、どうやらそれだけでは金運とはいえないようです。
大昔、貨幣がないころには物々交換をしていたのですが、もともとは食べ物や生活必需品を交換しあっていました。
この時代からも金運に値する運というものはあったはずです。そしてそれを現代に置き換えても通じるものとは、「平等分配の精神」を持つ人こそが金運の持ち主といえるでしょう。
生命エネルギーのもともとの根源たるご存在は、個々に必要なだけのエネルギーを分けたいという意志があることと考えられます。しかし人為的に変えられた世界では大変な不平等と貧困が存在しているのが事実です。良心的な起業家や富豪たちは、可能なかぎり貧困層に自身の資産を分配しようと試みます。こうした行いが金運を呼び、分配する者のところにお金、もしくはそれに代わるものが与えられるようになっています。
そしてお金の法則としては「じっくり育てたお金は大きくなる」傾向と、「すぐ稼げる方法」「短期売買」のような「安易な手段で他者からまきあげたお金」はすぐになくなる傾向があるようです。
現代はほぼすべてのサービス・モノに値段がつけられており、お金は交換価値のパワーそのものともいえます。
しかしお金がいくらあっても生活の質を上げてしまうかぎり、まったく自由にはなれません。
金運をよくするには「お金がなくても自由なわたし」を創ることが一番の解決の近道であります。
金運
先祖供養は、どうしてあげるのがよいのでしょうか?
海外でも祖霊崇拝があります。
自分の命のみなもとになったルーツですから、誰か一人でもいないと自分は生まれていないのです。
このご先祖様たちが、つらくとも生きぬいて命をつなげてくれたからこそ、私たちがいるのです。
先祖供養には、よくお団子をお供えしますが、この理由は、ふたつの輪の入ったしるし(記号)をお供えして成仏に導いたことに由来するようです。
先祖供養は、供養を送る人自身が深く信心を起こし、生命の根源たる存在に感謝をし、その功徳をご先祖様に分けていくことが大切です。
今、生きている人々の魂の学びが、そのままご先祖様の喜びになっていきます。

ご先祖以外には、事故や自殺など不慮の事象により命をうしなった人々への供養があります。
体と魂が、分離する準備にいたっていないときの死は、ちょうど心に体がついけいけないような状態になっているため、その人の寿命は、おおよそこのあたりだろうな、というくらいの時間をかけて長期戦でなぐさめるように供養をしていく必要があります。
具体的には時々言葉をかけ、大切に思っている事、会えなくてお互いにつらいよね、ということ、だけど頑張るね、ということ(心配はかけないようにします)、寿命がきたらそっちに行くので心配しないで待っててね、ということ、今がもしつらい状態でも、ずっとではないことを伝えてください。

親や先祖がわからない人でもご先祖さまを供養することができます。ご祈願をするご本人様が、現在の姓や、過去の姓などから苗字がわかれば、◯◯家先祖代々の霊位という名がつきます。わからない場合でも、あなた様ご本人のお名前、住所などから、
〇〇にお住まいの◯◯様の代々のご先祖様、というように具体的にご自身のご先祖であることを条件づけ、心の思いを感謝にかえて伝え、祈っていくこと自体がご先祖様への供養になっていきます。
姓自体がわりと近代のものでありますから、心配をする必要はないのです。
ご自身には必ずご先祖がいらっしゃり、いらっしゃるからこそ供養もしていけるのです。

昔から世界中で飢饉や天災、疫病などで家系が絶家し、孤児になった人がたくさん生まれました。しかしそこからまた新しい家が生まれ、子孫が生まれ、これまで命が繋がれてきたのです。
そこにいたるまでも、絶えることなく命をつないできてくれた人々がいたからこそ、今わたしたちが存在しているのです。



ペットの供養も行っております。
2017年4月20日(追記)
文大神宮 当主より

心のやすらぎは大切です。
これを読まれる方は、深い悲しみと後悔の中、してあげられることを探しているのではないでしょうか?
神様に守られる、絶対に安全であるという大安心と、納得が、飼い主様には必要なのだと思います。
すべての生命は神様のもとへ還ります。
宗教文献では、たとえば聖書にはこのようにあります。
「主よ、あなたは人をも獣をも救われる」
(詩編36・6)
この主とは、生命のみなもとの、すべてをお創りになられた神様のことです。

長年暮らして来た飼い主様が悲しみに打ちひしがれるよりも、やすらかな思い出にしてくれることをペットたちは望むでしょう。
そうはいっても、愛するペットとの別れはつらいものです。
また、最期を迎えるときに、どんな選択をしても後悔は必ずのこるものです。そのときの体は一つしかないため、別の選択をした場合の結果を知ることができないからです。
ペットの供養は、毎月15日、先祖供養の日に行っております。無料ですので、どなたでもご参加いただけます。
ペット供養について様々な本で色々なことが書かれておりますが、自然にまかせ、思い出したいときに思い出し、無理に忘れることも、無理に思い出すこともしないでいいのです。
もし心がつらくなりましたら、たのしく優しい日々を思い浮かべ、ありがとう、と思うだけでいいのです。
人には理性と愛情と知識があるため、生き物を育てることができます。しかし生き物の多くは人間より寿命が短いので、愛する我が子をうしなうようなつらい別れを経験することになります。
「してあげられることをすべてしてあげたい」
その気持ちに応えるためにも、ペット供養が存在します。
わたしは、ペット供養のこの部分の文章を、まさに愛猫を亡くした2017年4月20日に書いております。
今朝、約13年一緒に暮らした猫をなくし、どうしたらわたしはこの猫の死を無駄にせず、この苦しみを乗り越えられるだろうと考えました。
入院先には何度も面会に行き、給餌の介護を行い、それでも命の制限時間がやってきてしまったのです。
命を前にして、わたしたちはあまりにも無力です。
何をしても報われず、本当に苦しく辛いです。
おまけに、一つしかない体に対して、選択肢が複数あっても選べる行動は一つになることが多いです。
人は最善を尽くしても、してあげられたことより、してあげられなかった方を思い詰めます。
あのときああしていれば……という思いは、何を選んでも思ってしまうのだそうです。
苦しいからこそ、苦しい人々の心の支えになることを決意したのです。
「最高の供養をするんだ」
このことだけが、今この瞬間の、わたしの心の支えとなっています。
同じように、みなさまの悲しみ、つらさを、少しでも緩和できればという思いでいっぱいです。
なんのなぐさめにもならないかもしれませんが、できることをしてあげることで、大切なペットを送りだしてあげましょう。
すべての命のみなもとはひとつであり、そこへ還ることは決して不幸なことではありません。
ですがしばらくの間は会えませんので、触れ合えず、とてもとてもさみしい思いをします。
わたしもそのさみしさを、これからも日々、供養をすることでゆっくりと浄化して、愛する思いはそのままに、猫との思い出を抱えて人生を歩んでいく思いです。

ペット供養をご希望の方は、無料一斉ご祈願をお選びいただき、備考欄にペット供養とご記入ください。ご返信はしておりませんが、一回のお申し込みにつき、一回のご供養をさせていただきます。
ペットのご供養も人間のご供養も、神様へ感謝し、もともとの生命のみなもとへ無事に還ってゆけることを祈願してまいります。
そして神様への感謝をし、その功徳を供養をした人が受け、ご先祖様や、ペットへ回向していきます。

ちょうど、ある少年が非行をしても、母親が善人だったために人々からの憎しみをまぬがれるように、わたしたちの善なる思い、言葉、行いを神様へ捧げ、その善徳を亡くなった生命へ送ってゆけるのです。

誰でも先祖やペットの供養をしたいものです。
でも値段で諦めてしまってはいないでしょうか?
文大神宮では先祖供養とペット供養は、無料一斉ご祈願で毎月一回行っております。

どうか、みなさまのお気持ちが少しでも晴れやかになることをお祈り申し上げます。
先祖供養・ペット供養
※ご祈願は思いを強くし、イメージ強化のために太古から行われてきました。
これらは医療行為ではなく、治療効果を促進したりなどの効果を謳うものではありません。心の思いが千差万別であるように、祈りによる効果の現れ方には個人差があります。これらをご了承の上、お申し込みください。
合格するにはその学校や資格に合格するための生命エネルギーを消費をします。
。そこへ到達するための運と勉強が必要です。
合格へ対策された勉強をし、準備をできるだけ多く獲得することで余裕が生まれます。
たとえば勉強量の多い難関校や難しい試験であるほど、生命エネルギーは大量に必要になります。そのためには睡眠、栄養をとり、人よりも勉強をしなければなりませんが、そのことが非常に徳積みになります。
よい努力を重ねた人はおのずと魅力が増します。
人は何か一つのことに努力をしますと、それに応じるように適した回路が開けます。その実感がわくと勉強が楽しくなります。適した道であれば、つらい勉強が楽しいものになります。しかし適さぬ道の場合には、苦しんでも道は開きにくいものです。適した道であれば、おのずとその道の学業の向上にすすむでしょう。
一方で万一合格をしても、それに見合う努力が足りなかった場合に、徳負けをして、非常につらい思いをしたりもします。生命力の範囲で努力をすることが大切です。
合格祈願
人生に困難はつきもの。
なぜなら人生にはプラスとマイナスの両方が訪れるようにできているからです。
しかし、不運があまりにも多い場合には、どこかで徳をうしなう原因があるかもしれません。
ご祈願をきっかけにして、生き方を見直す方々は実に大勢いらっしゃいます。
今日より「自分さえよければ」「人の機会を奪ってでも得をしよう」という考えを捨て、
生命全体ですすむ大きな思いの流れに、自分の思いを乗せてみませんか?

無料一斉ご祈願以外のご祈願は、
真心のご祈願料をいただいております。
ご料金は1000円からの自由設定です。
こちらからご料金を提示・指定などはいたしません。
一週間のお振込期限を過ぎますと自動的にキャンセルになります。
無料一斉ご祈願以外のすべてのご祈願は1年間有効です。
ご祈願はすべて自由なお申し込みですので
一切の強制はありません。
もう少しご祈願したい、という安心がほしいときも
追加でお申し込みいただけます。
今は自分でがんばれる、と強く思えるときは
心で思うだけでもいいのです。

先祖供養は毎月無料一斉ご祈願を行っておりますので
ページの一番下の「無料一斉ご祈願」をご覧ください。
徳は生命エネルギー。
それは人の思いのチカラ。
祈りは思いを強くします。

自分でできる徳積みについて。

太陽の光に手を合わせ、お墓参りをし、ナチュラルな食事を。
■太陽
太陽は万物の生命エネルギーを育みます。世界は広く、サンゲージという、太陽のエネルギーを積極的に受ける体質改善を実験する人々もいるほどです。古代より太陽は世界中の人々から拝まれてきました。その恩恵ははかりしれず、明るい国には明るい人柄が育ちやすいようです。また、日照時間が短い季節にはうつや不眠が流行します。

■お墓参り
お墓参りは徳積みに大変重要な課題です。自分の直属のご先祖や姓をいただいた先祖、戸籍上の先祖など、様々な家庭の形がありますが、お世話になっていて先祖になった人々がいれば、お墓参りはもっとも大切な先祖供養になります。お掃除してお花の水を替えたりお線香をあげ、しゃがんだ状態の正しい姿勢で手を合わせて感謝を申し上げましょう。そして近況を報告します。

■ナチュラルな食事
ナチュラルな食事は人生を変えるほどの変化を感じることもあるでしょう。食事はもっとも人体に影響があり、穏やかな食事を続けると穏やかになっていきます。暴飲暴食は体に不調をきたし、自分の体を攻撃するため、おのずと機嫌も悪くなりやすいのです。ナチュラルな食事を心がけましょう。
具体的にはほ乳類のお肉は可能な限り避けます。
世界の多くの宗教では、酒とほ乳類の肉、あるいは肉全般を禁止しています。日本ではタンパク質が不足する等の栄養学的観点の指摘が多いのですが、それは本当に利権などの背景を省いた正しい情報なのでしょうか?
世界では日本の人口以上の多くの人がそれらの規則を守った食事をして健康を保っているのです。

■正しい思い・言葉・行動
一番大切なのは、日々の思いそのものです。
よい思いはどんどん口に出しましょう。これは日本人は得意ではありません。得意な人は人が集まってきます。今は形から入るために、思っていなくても「ありがとう」と口にする会が生まれるほど、その効果は多くの人が立証済みです。関わっている大切な相手がいい気分になることが大事です。身近な人に与えた思いは自分の魂を輝かせ、自分の死後にその思いの反射を受けると言われています。
よい行動はもっとも大切です。行動にすることは難しいのですが、子供を愛していたら子供を生かすためのことをしなければなりません。
一番大好きだと心で思っていても口にしなければ伝わりにくいので大変勿体ないのです。そのせいで歪んでしまっては子供もかわいそうです。
思っていたら、言葉にして行動しましょう。
愛していたら、言葉にして、行動をするのです。

なぜ死は悲しいのでしょう?

死に別れることが悲しいのは、魂が別の次元にいってしまうからです。

私たちが地球に生まれますのは、それぞれの人々が互いにふれあい、知り合って、なにごとかを経験し、知るべきことを知って魂を向上させるためです。
ですから、震災などの「死」を感じさせる出来事に遭遇しますと、人々はビックリして「もっとやさしくするべきだった」と本能的にさとって、他者にやさしくなるのです。そしてその行いや他者へ味わわせた思いは自分へ返ることを、私たちの魂は本能的に知っているのです。

死に別れることは何よりもつらいことです。
もっとよい経験をさせてあげればよかった、もっと一緒にいたかったと悔やまれてなりません。
生きているあいだに、「もっと一緒にいて」「もっとよい経験をさせて」あげましょう。悔いのない人生には、それが正しいのです。
「よい経験」とは「よい思い」で接して「よい言葉」をあげて、「よい行動」で時間を共有することです。

人を傷つけますと、あやまりたくても連絡先がわからなくなったりすると、とても後悔します。
人にやさしくした人は後悔が少ないものです。

死に別れることがつらいのは、一緒に経験をすることができなくなり、触れ合えなくなるからです。
誰でも地球にいる時間はとても短いですから、ご縁のある人々を大切にしていきたいですね。

毎月15日
無料一斉ご祈願で
先祖供養を行っております。

ご祈願は喜捨の精神で真心のご祈願料をいただいておりますが、毎月15日の正午に無料一斉ご祈願の先祖供養を行っております。

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まとめてのお申し込みはできないため、一度のご祈願につき、一回のメールでお願い致しております。
無料一斉ご祈願には、返信はございませんのでご了承ください。

無料一斉ご祈願は、全体の祈りに個人様の先祖供養を乗せることで、大きな流れに思いを乗せてあげることが目的です。

無料一斉ご祈願では主に先祖供養を行っております。
ご祈願を依頼された人が各自、太陽に向かって感謝を申し上げ、その功徳をご先祖様に回向していく祈願です。
太陽は出ていなくても大丈夫です。太陽への感謝の思いを送ります。
そして、その功徳をご先祖様へお返ししていきましょう。

全体の力をいただき、よい祈りにしていくために、世界の平和をともに祈ってくださいますようお願い申し上げます。

無料一斉ご祈願の先祖供養を1年間欠かさずに行った人の感想によりますと、家庭が明るくなった、子供が明るくなった等のお知らせをよく受けます。
これは、感謝の心が家庭に反射していることや、ご先祖様からの応援、そして知らない間にいるかもしれない水子さんたちの寂しさを、思いによってあたためてあげるからだと考えられます。
私たちは実に様々な先人の人々のお力とご縁を得て今があるのです。
決して感謝を忘れずに毎日を送りたいものですね。
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