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昭和20年(1945年)8月15日、ポツダム宣言を受託した日本は、早急にアメリカをはじめとする連合国と終戦処理についての具体的な要項を取り決めるため、フィリピンのマニラへ河辺虎四郎陸軍中将を全権とする特使を派遣します。この終戦特使を千葉の木更津から沖縄の伊江島まで運んだのが緑十字機と呼ばれる2機の飛行機で、一番機が一式陸上輸送機、二番機が一式陸上攻撃機でした。
伊江島から米軍機に乗り換え、マニラでの交渉を終えた一行は伊江島に帰り着くと再び2機の緑十字機に乗り込み、帰路につきますが、二番機は滑走路で軍用車両と接触して修理のため出発を1日延期、取り急ぎ一番機の一式陸輸だけが木更津へ急ぐこととなります。
しかし、順調に本土沿岸を飛行していたところ、なぜか木更津までは燃料が足りないことが発覚、迅速な判断で静岡県天竜川河口付近の磐田市鮫島海岸へ不時着(23時55分)することとなりました。搭乗員に被害がなかったのが幸いでした。深夜知らない地で降り不安の中「誰かおらんか!」と声をあげました。その時幸いにも、鮫島海岸では日干し中のイワシ盗難防止のため、住民が見張りをしていました。「急いで東京へ戻り報告しなくてはならない。」との河辺中将の言葉を受け、ここから鮫島住民、袖浦郵便局、袖浦飛行場の人達の甚大なる救援活動が行われました。 よって河辺中将らは無事、浜松飛行場へ到着、急ぎ、陸軍機「飛龍」を調整し朝6時30分には出発、8時00分には調布飛行場へ到着し使命を果たしました。
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・・・だからこそ語り継ぎ、次の世代に伝えたい。